michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

He likes taking a walk by himself.
彼は一人で散歩するのが好きだ。 *

 

さとう三千魚

 
 

this morning
I didn’t walk

always

4 o’clock in the morning
I wake up

vaguely
breathe

book
read

then

along the river
I was walking to the estuary

this morning
I open the window

I’m waiting for a little bird to come to the window

once
from Mr. Shirouyasu

I got a “walking newspaper” **

“tobotobo walking is completely different. that’s it. it’s walking that has only free time.” ***

so
was written

He likes taking a walk by himself *

 
 

今朝
歩かなかった

いつもは

4時に
目覚めて

ぼんやりと
呼吸して

本を
読んで

それから

川沿いを
河口まで歩いていた

今朝は
窓を開けて

窓辺に小鳥がくるのを待っている

かつて
志郎康さんから

“徒歩新聞” ** を貰ってた

“トボトボ歩きは全く違います。それしかない。暇だけしかないところの歩行です。” ***

そう
書かれていた

彼は一人で散歩するのが好きだ *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用しました.
** 「徒歩新聞」は鈴木志郎康が発行していた冊子のこと.
***「徒歩新聞」創刊号(1973年1月1日発行)の創刊の辞から引用しました.

「徒歩新聞」創刊号 創刊の辞

トボトボ歩いている。これは非常にいゝことです。散歩ではありません。散歩は気分を変えるとか、健康のためとかいろいろ利益を目録んでのことですが、トボトボ歩きは全く違います。それしかない。暇だけしかないところの歩行です。本当は凝っと坐っていればいゝのだし、それに越したことはないのですが、残念ながら、そうしているとすぐに飽きてしまうので、歩き出すという奴です。トボトボ歩いていると、人間は自然とものを見て、もの思いに入ります。この二つのことが紙の上に移されたのが、この徒歩新聞です。

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

What do you want with me?
私に何の用事ですか。 *

 

さとう三千魚

 
 

I want to meet a little bird

so
I want

in the morning

when I wake up
I open the window

the tangerines at the tip of the driftwood branches on the windowsill have dried up.

the west mountains stand in ultramarine under the light blue sky.

I want to meet a little bird
I want to meet a little bird

someday
I want to meet

so
I want

What do you want with me *

 
 

小鳥に
あいたい

そう
思うのです

目覚めると
窓を開けて

窓辺の流木の枝の先の
蜜柑の

干からびて
西の山が

薄い青空の下に群青色に佇っています

小鳥にあいたい
小鳥にあいたい

いつか
あいたい

そう
思うのです

私に何の用事ですか *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用しました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

I put aside the book I was reading.
私は読んでいた本をわきに置いた。 *

 

さとう三千魚

 
 

yesterday

from evening
it was raining

it became a storm at midnight

the rain was banging on the ground

this morning
sunny

on the windowsill
I put the tangerines of the little birds

I listened to Thom Yorke’s song

repetition
listened

singing “we were standing on the edge” **
singing “we were standing on the edge” **

this morning
on the windowsill

little birds do not come

I put aside the book I was reading *

 
 

昨日は

夕方から
雨が降ってた

深夜には嵐となった

雨が
地面を強く叩きつけていた

今朝は
晴れて

窓辺に
小鳥たちの蜜柑を置いた

トム・ヨークの歌を聴いた

繰り返し
聴いた

“we were standing on the edge” ** と歌っている
“we were standing on the edge” ** と歌っている

今朝
窓辺に

小鳥はこない

私は読んでいた本をわきに置いた *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用しました.
** RADIOHEADの曲「LUCKY」から引用しました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

追いつけぬ、春

 

ヒヨコブタ

 
 

濃い紅色の花が咲く頃はとても嬉しいのに
薄く色づいた花が咲き始める頃
わたしは落ち着かなくなっている
毎年のことだ
と言い聞かせようとして
さて
毎年がここ数年は少しずつ異なっていることを思い知らされて
また落ち着かない心持ちになる

家の窓口になるというのは
不幸があってもお祝いがあってもさしてかわらないのだが
不幸が続くと
花をみる心も揺らぎ始める

墓参りを済ませ
すこし清々しく感じても長続きせず
年老いて気弱になり始めることばを吐く人たちに
ゆらゆら揺らされていることにも気がつく
平気な顔をしてそれらを片付けては
ため息のような空気がこころにたまっている

変化していくのはなにも子どもの頃だけではなかったのだ
大人になり年々季節が変わるのに追いつけなくなっているじぶんがいる

わたしの年齢にかつて暮らした親を重ねてみても
なんだか心許ないのは
そのひとたちに心底安心を得て過ごしてきていないからではないかと
責任転嫁してみる
いや揺れ動くじぶんを
操ったり宥めたりすることが
まだまだ不得手なのだと
思い知らされる気がする

春を待ちわびていたのは
何かが変わるからだった
いまはそうではないのかもしれない

日々新聞をひらくとそこには猫が乗り
撫でろと鳴く
一枚捲るのに宥め撫でながら
すこしの安寧がそこにあることを思う
猫は撫でて欲しいのか
はたまたそうではないのか
わからないまま撫で、ブラシをかける
気が変わりすとん、とジャンプをして
また寝入る猫に
羨ましいようなほっとするような不思議さ

春は嫌いだといえばいいのか
いや春は好きだ
いまのじぶんの心持ちが好きではないのだと
離れたじぶんがじぶんをみている