@150410 音の羽  詩の余白に 3 

 

萩原健次郎

 

 

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白梅が塵のように架かっている木のそばを通り過ぎました。いつだったか、父に手を引かれてこの道を歩いたことを思い出していました。きょうと、同じ季節。白い塵が、老木のぐにゃぐにゃした枝ぶりの輪郭を隠して、遠くから見ると木の全体に靄がからまっているみたいでした。
父が死んだのが、十年前だったか、五年前だったかはっきりとわからなくなるときがある。何年か前の春先の、できごと。
すこし日がたつと、ここからすぐ近くの椿の群生地が燃えたように炎に染まる。
私は、父の娘と思う。
白梅と真紅の椿と、引かれた手の温もりと。
ふたいろに、塵———-色彩の魔が吹かれる時間、
曼殊院から、まっすぐに伸びている道は、住宅地を貫いている。この道は、叡山から流れ落ちてくる雨水の束だろうと思う。きのうは、紅葉で、きょうは、白梅、あしたは、桜花が舞い、すぐにまた蝉しぐれにつつまれるみたいに、私の時間の感覚は、どうかしていると、記憶が頭の中で混在して、まるで眼前の塵と同じなんだと、感じている。
感じていながら、この光景に抱かれたり、あるいは、時にこの光景に裸体の私の身体のすみずみが見られているように錯覚している。
ああ、あの雪が横殴りに顏面を、ひゃひゃと叩いた日のことを思い出した。
それから、凍てついた池に落ちていく夢。鯉が全身を舐めていく。くすぐったい感じが濃くなってくると息苦しくなって、その苦しさに溺れる気がして、目が覚める。
助かったと覚醒したときには、同時に鳥の鳴き声が聞こえてくる。抱かれ、見つめられているこの光景も、命の犇めき合う、隙間のない器のようで、私はそうか、そこに密閉されているにすぎない。
ほんとうは、色彩や音楽に窒息しそうになっている時間が、生きていることで、音羽の川は、ただ喩えとして山から、宅地にまで貫いている。
私は、梅の木の下にいました。
死んだ父の手のぬくもりが、光景に線を描いて、天からの穴がここまで差してきて、ストローの管を伝わり私の口へ息を送ってくれる。胎盤で通じているなどと思うのが、可笑しい考えだとすぐにはわかるけど。
雑音とは、ほんとは、混じりっ気のない純音で、真空で、
その音を嫌な感じで聴いている。

 

 

 

@150310 音の羽  詩の余白に 2 

萩原健次郎

 

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しゅうたん、しゅうたんと呟きながら、急峻な坂を降りてきた。
私の愁い嘆きは、心が薄く透けている証であり、右足、左足、腰、胴、頭と、道筋に落としていく身体のぐらつきと同じように、心の揺らぎに拠っている。
修行とは、何か。しゅうたんしゅうたんと繰り返すことか。
雲母坂の中程、もう陽は落ちて、一切が闇の中である。風があると、木々の葉末がそよいで、波のようにうねり去っていく。去ればまた、音の波が起って重なり去っていく。
遠い、川の瀬音も重なる。
ぎゃぁと、嗚咽した。
薄い、草鞋の、指先の下で、何かを踏みつぶした感じがした。
液質の、ひしゃげる音もした。
ちいさな生き物を潰したのだろう。爬虫類か、それとも、少し大きな虫なのかもしれない。
私が、今こうしていることを知っている人は、誰もいない。さっきまでただ蠢いていた命を殺めたことも、誰も知らない。
しゅうたん、しゅうたん、比叡の頂から、私が落としてきた汚い砂、小石、言葉。
欲、小欲の銭。穴のあいた硬貨の幻かもしれない。
行とは、落下。落とし、捨てるほかに、修めることなど何もない。
幻を払い落とす、踊りの所作を闇の中に溶かすこと。
雲母橋を渡りきったそのあたりから、遠い西山の麓に町の灯りを眺めることができる。
魚を煮る匂いが、たちこめてくる。
「震度1以上の各地の震度は――」というラジオの音。
漫才師の、割れる怒声。
それから、赤ちゃんの泣き声。
水のような体験をしているのは、修行僧である私である。水は、生きている声音を吸い取って、この山あいから街中へと降りていく。
音の塵を溺れる寸前まで飲まされているのは、私である。
枯草で編んだ、草鞋には液質の何かが沁みている。草の汁か、それとも命が食した、また別の命の汁だろう。
ぴちゃぴちゃ、ぴちゃぴちゃ――
いつのまにか、足下の道は、舗装されている。
私は、硬直して別の音を鳴らしていた。

 

 

 

@150210 音の羽  詩の余白に

 

萩原健次郎

 

 

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獣の足跡を追う仕事をしていると、自分の中に蠢く律動に対して正直になる。
猿の背に発信器を装着する。山の端から、麓を滑空するように動いている動線をたどる。
付近の農家から、作物を荒らす被害がでていて、その苦情にこたえるかたちで、私のような職業が成り立っている。
滑空するように蠢いているかと思えば、まる一日、まったく移動しないときもある。疲れているのか、死んでいるのか、あるいはそこに獣たちの食物があるのか、想像をしてみるが、深く考えない。
発信器は、一頭に付ければいい。獣たちの首領が、大家族を引き連れているから。
鹿の場合は、番が多い。雄と雌。どちらか一方が老いていることがよくある。
猿の群れとこの鹿の番が、ひとところで動線が交差するときが稀にある。双方ともに、動きが留まらないところをみると、諍いの類はほとんどないように思える。
この私に、発信器を付ければどうだろうか。獣たちの動線を探る、変わった職業の、人間の動線。
ふだんは、麓を巡回し、山並みを見つめている。肉眼では、獣たちは樹木に隠れてその姿を確認することはできない。ただ、私には、緑色のLEDで浮かび上がる細い線の絵図が見える。見えるのは、それだけ。
いつも無音。煩わしいことに、頭の中では、奇妙な不協和音ばかりが重なる弦楽の音楽が流れている。
あるとき、首領猿の動線が、数日にわたってまったく止まってしまうことがある。
その地点を確認し、藪の中へ入っていく。至近距離に近づいても、まったく動こうとする気配は確認できない。その時点で、歩を早める。死んでいるのだ。
この私に、発信器を付けていればどうだろうかとまた想像してみた。動いてる緑色の電子線は、猿ではなく生きている私だけなのだ。
私の生は、だれに発しているのだろか。
電子の信号は、私と言う身体が、土中に溶けてしまったとしても、発することをやめないだろう。
獣たちも、私もこの山並みの宙空に交差する、破線を生きている。
毎日、山を眺め歩いていて、私は獣たちの声を聞いたことがない。
ただ、軋む弦音の擦りきれる悲鳴のただ中にいる。
きょう、私は空模様のわずかな変化に気づかなかった。
修学院山の、重なり合う常緑の墨色に、霙がまっすぐの白線を描いていた。

 

 

 

@150109 音の羽

 

萩原健次郎

 

 

6.22

 

眼の躓き。

剥がれた膜を
電気で焼きながら、元の球になおしていく。

数日前に、浴した夕照の、急速に上昇してい
く鳥影は、なにかを報せていた。

どんな音楽も
かすかな音もそこで、鳴っていたかどうかは
思い出せないが、
脳にからまっている細い糸には、切れていく
弦楽が、破線状に詰まっていた。

此方の岸の欠片も
彼方の岸の欠片も、
透明の責を
双岸から擦り合わせて
もう、勝ち負けのつかないことになっていた
からただ、茫然と、
夕暮れのせいにして帰ってきた。

たしかに、その時刻、その気象の下にいまし
た。

因という因を、川に捨てて坂を、足早に降り
てきて
空は、轟々と間に挟まっている音楽を暴き出
そうとしている。

眼を損傷しただけのことだ。電気の熱波で、
つるつるに焼き切ればいい。

交換しないことを条件に
引き分けに、もちこもうと
その時の夕暮れは、考えたのだろう。

虚の壷にわたしの回路は、入っている。
引き分けでいい。

ここで説いている喩えに水流の音が聴こえな
い。

やはり、
もう交換してしまったのかもしれない。

夜、布団に入って寝てしまい
別の、破線の糸がつながる。

欠片だけが散乱する
絵図の
絵図の
絵図の、

音。

ぺきんぺきんと、
折れていく。

 

 

 

@141208 音の羽

 

萩原健次郎

 

 

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じぶんは、いつだったか、吐いて吐いて、喉
からはもうなにもこみあげてくるものもなく
ただ、じぶんは、じぶんの管につまっている
乾きかけた液が、赤いいろをしていることが
じぶんは、見えた。

赤い豆粒のかたちをした実が
畑の中程で、群れて
頽(ルビくずお)れようとしている。
廃する、
野の地からすこし宙空に浮いた
おばさんの農具をふるう、空振りの美(軌道)
をこっそりと眺めていた。

まるで玩具に仕立てられた、犬の尾の尖の震
えが、愛嬌ではなく憎悪の印だなんてだあれ
も知らないだろう。

赤い実を
おいしそうな、実を鳥たちは、けっして食べ
ない。鳥は、はらをこわすことを恐れている。

夜半に、大量の便を出した。
尻からは、黄や紅や、濃い緑の粒が
粒のままのかたちをして、出てきた。

鋤や鎌の、空振りか。

粒 (球)を、板の上にのせて、薄く輪切りにし
て、鍋の中に、ぱらぱらと落として、ぐつぐ
つ煮立てて、それを食べると、また夜になり、
虚が煮えていく。

じぶんが、じぶんを火にかけて、
鍋の水面に、ぷかぷか浮かぶ
粒 (球)を、人差し指でつっついて、底へ押し
それが、浮き上がっては、また突いて
あそんでいる。

秋の次に、
春になれば
もう、生きた思い出も消えている。

 

 

 

@141110 音の羽

 

萩原健次郎

 

 

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破らないと、
逆さの川の
逆さの花の、隙間に満つる
朱と朱の気が混じり
そこに潜んでいる
いきものの胚が、
ほそい振動で、伸びきった
色素の、
諍いのこえが、
高音と低音が
交差して、
どこか水平に、
繊い、和音となって
緑地に溶けている。
よく見ると、
地面と錯視していたそこには
無数の苔の芽が、天をめざしている。

生きる道を習うとなると
つぶやきに耳を澄ますのだが
もう、習う必要もない。

朱の色と濃緑の
まったき調和は、どんな疑いも
とどけていない。

静かな無残に酔うように
空も親和の音楽で合わせ、
景もまた、気もまた
眠っているように感じられる。
鎮める、朱よ
わかれる、隙に
だれかの、思惑をつめて
唱和すれば、
深い、その奥の奥から、呼び戻される。

直立と座位の
こちら側の隙に
ううっと、噎せてくる気は
なんなのか。

毛のもの、
繊維のもの、
それから
人工の、金管や木管、
読経、人声、
吠える声、

糸の、切れる音。

 

 

 

@141010 音の羽

 

萩原健次郎

 

 

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苦い匂いが立っている。
夕暮れは、麓の家々で魚を焼く。
海の産物が、川風を遡行して、山裾を抱く。
はらわたも、骨も皮も
薄茶色に焦げて、レンジの上
換気扇を通って外気に混ざっていく。
ラジオから漏れている
明るい嬌声も
それもまた、苦い匂いに似ている。

すれ違う、老人の眼も
華奢な愛玩犬の眼も
焼かれ、焙られる魚のようで
覚っているようだ。

小皿には、茹でた青菜
おろした大根
醤油
それらも、卓に並べられているだろう。

生の匂いが、だれかの袖の中に潜んで
懐には、少量の水が流れている。
ざわざわと
笹の葉末が擦れて
住居から、その音に漏れ
苦い音楽になって溢れてきている。

昨日、それから数年前、
それからもっと古いこと
ひと昔、

窒息しそうな悲しい時間が
食卓に並ぶ。

小さな犬の泣く声は、
黄色く鋭利で、
それもまた、夕刻の無残で、
一匹一匹の声が、
音域を鮮明に分けて辻に満ちている。

恋情という匂いかなあと
川面の逆光を舐めて
こちらへ迫ってくる気配。
そちらはもう、ほの暗い夜から
朝になろうとしている。

苦い匂いを懐かしむように
川は、
誰かを、何かを慕う無数の人間を
流してきた。

犬も魚も青菜も、
肉の
器具も。

 

 

 

@140911 音の羽

 

萩原健次郎

 

 

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川上から流れてくる人
強いられているのではなく
意志を固めて、眼をしっかり見開いて
身体は、上下に揺れることもなく
流れてくる。
ひとり、ふたり、さんにんと
等間隔で、川下に向かい
微笑んでいるようにも見える。

そうかもしれない。

自らの動力も気力も
発露することなく
ただ、上から下へと
地点を代えているだけなのだから。

生動の川は、無情ではない。

両岸に、四季の花々が咲き
風が吹き、
草木が潤い、また枯れ
滅していく。

光景は、拝まれている。
祈られている。

そして忘れ去られている。

そうかもしれない。

音楽のように、生きて鳴ったと思えば
生動の川も、無情ではない。

秋桜を
岸を歩いている
こどもたちに、あげよう。
言葉ではなく
聴いてきた、音楽の旋律をなぞって
しらせてあげよう。

溺れているように見えるかもしれないが
ただ、生動しているだけなのだ。
地上は、暴かれているだろう。
この真昼も

川の中から
拝んであげよう。
祈ってあげよう。

この世は、きょうも
生きるために、動いている。

 

 

 

@140710811 音の羽

 

萩原健次郎

 

 

DSC06991

 

直情に、
頂から、山裾へ落下していく。
水は、直情に、汚濁する。
野を迂回すれば、少しは、澄む。
汚濁は、安穏であるからと
川の声が、ハミングしている。
オダク、ワ、アンノン、
アンノンと。

混じる、幼い子の声
かぞえられないほどの、悲しいことの
束。
針で刺されて、それに応える
泣き、叫び。

疾っと、つっと、
とどまらず、流されていく子ら
笑い声も聴こえる。

合弁花、きばな、べにばな
黒花、
直情の花も、裏切る。

あの坂の中腹にある高い木の名を
誰かにたずねてみようかと
すれ違う人の顏を確かめる。
それから、振り返り、
離宮、
北山の峰、西の山。
夕照に、激しく射られて
木の名を訊くことを忘れる。

夏に、他季を流す。
声と花いろと、
印を混ぜて、喉いっぱいに
雑音が詰まり、
音の羽が口中に、充満していく。

木の名は、夢の中で知る。

混濁する気配のうちに知ったのは
異国のことばだったか、
うにゃりうにゃりと、響いていった。

声音に、弦楽の弦を擦る音が重なり
その名は、薄く削がれていく。

 

 

 

@140710  音の羽

 

萩原健次郎

 

写真 14-07-05 16 26 41

 

水の催し
そこから羽化した、小さな蝿が
暗雲に混じって
ぶれている。
そういう視界に
生き物とそうでないものの
区別をつけて
あるいは、蝿たちが見ている
わたしという、一塊も、そうでないものと
別けられている。

無機の兆しが
景に満ちて
だれかに、なつかしく思われたいと
夏の坂道に、ある。

ぶうぶう、ぶうぶう、
ずっと遠くから鳴っている
それが、営みの末なのか端なのか
確かめようともしない。

川の両岸に
花の子が、空へ垂直に
よろこんで、立っているようで
紅も、白も不憫で
あまり見つめられない。

ちらちらと、生きているようで
さみしそうにもしていない

里の人に育てられた
茄子に、ビニールの覆いにも
黙礼をして、
ただ、背を押されるようにして
気を、降ろしていく。

荷のない午後に
逆さまに。