今朝
電車で
シフの
モーツァルトの
ピアノ曲を
聴いた
楽興の時だったか
なぜ
モーツァルトは
風が旋回するピアノ曲を作り
ヒトは
聴くのか
満員の通勤電車で
揺られて
聴いた
車窓の向こうに
景色は流れた
悲しい
わけではなかった
今朝
電車で
シフの
モーツァルトの
ピアノ曲を
聴いた
楽興の時だったか
なぜ
モーツァルトは
風が旋回するピアノ曲を作り
ヒトは
聴くのか
満員の通勤電車で
揺られて
聴いた
車窓の向こうに
景色は流れた
悲しい
わけではなかった
春は
過ぎる
春には
過ぎるもの
たちが
いる
風は過ぎた
花も
友も過ぎた
母たちも過ぎていった
たとえば
世界は
過ぎ去るものと
包むものでできている
ひとつ
泪を流して逝った
ことばは無かった
花々の中の蝋の
母の
白い手に触れた
三日ほど
寝てた
風邪を
ひいて
熱が
さがらなかった
悪夢はみなかった
寝てる間
聴きたい音楽を考えた
淋しい音が
聴きたかった
アイヌの歌謡と
竹山の
尺八を聴いた
それから
泣く大人の物語を読んだ
胸に
掌をあててみた
夕方
昼寝から目覚めて
モコと
散歩した
眠るまえ
突堤の
ある
浜辺で
波がテトラポットにあたって
砕けるのを
みてた
波は砕けて
しろくひろがった
神田で
飲んだわたしの
姉の
背中が忘れられない
姉はなにをどこに運んでいるの
いつも
車窓から
景色をみる
新幹線の
車窓から
景色が流れるのを
みる
景色が
好きなのか
景色が
流れ去るのが
好きなのか
どうか
ただ
みてる
流れ去る世界の景色があり
流れ去るものをつつむ世界がある
これを
好きというのか
ただ見てた
朝になる
障子をあけると
窓の外に
西の山と
軒下の
白木蓮のしろい
花が
見えた
窓辺には
桑原正彦の
子鹿の絵葉書がある
子鹿の向こうに草原が
ひろがり
遠くに
白い山脈が見える
いまハクセキレイが
鳴いた
西の山の上に灰色の空がある
朝には
目覚めて
歯をみがいた
朝には
モコと
散歩した
土手には
菜の花が揺れてた
浜辺では
カモメたちが飛んでた
わたしの母は
あの世へいった
薄い
細い
やせた
白い骨を残して母は
いった
母は笑っていた
母は笑っている
詩を三つ残して
逝った
坂の上の家
いのり
生きる ※1
最後に
ときには暴力的に
境界線上にいた人びとも引き裂いて
心たちのすみかをつくる ※2
と書いた
だから俺は叩く
だから俺は何度も叩く
花は咲いた
川は流れた
ヒトはいた
心たちのすみかに
※1:渡辺 洋さんに浜風文庫は三つの詩を寄稿いただいた。
浜風文庫:渡辺 洋さんのページ
https://beachwind-lib.net/?cat=26
坂の上の家
2015年1月29日
https://beachwind-lib.net/?p=4762
いのり
2015年2月4日
https://beachwind-lib.net/?p=4842
生きる
2015年2月20日
https://beachwind-lib.net/?p=4987
※2:渡辺 洋さんの詩「生きる」から引用しました。
死に
間に合わなかった
母は
最後に
なみだをひとつ流して
逝った
そう
姉は言った
なみだは
母の言葉だったろう
納棺された母の顔は
ふくよかだ
柔らかい笑みをたたえていた
母は白い骨となるだろう
母の白い喉仏は合掌するだろう
母の
腹から
産まれた
憶えてないが
空白から
産まれたのではない
母は
絹といった
一人娘で
兄は
沖縄の戦争で死んだから
苦労もした
水をはった田圃に
屈んだ母の
姿を憶えている
空白から産まれた
のではないが
そこに
帰る
笑っている