諏訪大社上社本宮境内

 

狩野雅之

 
 

写真は演繹すべき物ではない。写真は過去の一点で立ち止まっている。写真は未来を志向しないし過去を振り返らない。写真は写されたものの存在証明であり、存在の現れの記録である。同時に写真は表現を志向することによって芸術へと向かう。しかしそこにおいても芸術となるのはそこに写されたものであって「写真」そのものが芸術として現れることはない。写真はメディアではないし存在を入れる(あるいは保存する)容器ではない。
 
個人的にはそんなふうに考えています。

なにも考えずに浸っていただければこれに勝る喜びはありません。

 


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くり返されるオレンジという出来事 1

 

芦田みゆき

 
 

一匹の犬だ。

その日、ホームセンターの駐車場で、犬はじっとこちらをにらみつけている。
街灯にしっかりと繋がれているが、今にもこっちへ駆けだしてきそうだ。よく
見ると、何やら口に銜えている。遠くからだと人形の頭のようにも見えたもの
で、ちょっとぎょっとして近寄ってみた。

口に銜えていたのは、一個のオレンジだ。歯が深くまで刺さり、果汁がだらし
なくしたたっている。食べているという感じでもなく、犬は、ただ、オレンジ
を銜えたまま、じっと遠くを視ている。

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また旅だより 04

 

尾仲浩二

 
 

用事はなくなったけれども飛行機のチケットは変えられないのでパリからドイツへ行った。
なんの仕事もなければ約束もない十日間。
適当に電車に乗って終点まで行ってみたり、街中のビアホールで昼から飲んだり、近所の池にガチョウにも会いに行った。
クリスマスマーケットではホットワインを何杯も飲んだ。
ドイツの教会の人たちは、あまりに早い時期からマーケットを開けるのはクリスマスを商売に使っていて、けしからんと怒っているそうだ。日本のクリスマスを教えてあげたい。
新宿では三の酉で飲んでいると友達がつぶやいていた。

2018年11月24日 ドイツ フライブルクにて