朝の歌

音楽の慰め 第1回

 
 

佐々木 眞

 

 

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空0これから時折、音楽にまつわる超個人的な思い出話、私の敬愛する詩人鈴木志郎康さんの素敵な用語を勝手に拝借しますと、「極私的」な話柄、を書き残してまいりたいと思います。

空0ひとくちに音楽と申しましても、おのずから私の下手の横好きのクラシックについてのあれやこれやになってしまいますが、その点はどうかご容赦願いたいと存じます。

空0まあ云うたらなんやけど、唐人の寝言、国内亡命者の口三味線、のようなもの、ですな。

空空空空空空空空空空空空0*

空0第一回のお題はとりあえず「朝の歌」にしてみました。
「朝の歌」といえば、まずはいまNHKの朝ドラでやっている「あさが来た」の主題歌でしょうか。

空0AKB48が歌う「365日の紙飛行機」は、副田高行さんのお洒落でシックなタイトルデザインとあいまって、「あたしなんざあ、もうとりたてて夢も希望もないけれど、今日もまた朝が来てしまった。でもとにかく全国的にアサー!なんやから、谷岡ヤスジみたいになんとか元気にぐあんばっていこうかなあ」という気持ちにさせてくれるようです。

空0AKB48は、皆さまがよくご存知のように、けっして歌が上手とはいえないやさぐれおねえちゃん集団なのですが、そのやさぐれ風の素人っぽさが、かえって日常の中の朝という時間の到来に、びっくらぽん、自然に寄り添っているような効果をもたらしているのかも知れませんね。

空0ところで「朝の歌」ということで思い出すのは、私の大好きな詩人、中原中也の大好きな詩「朝の歌」です。注1)

空空0天井に 朱きいろいで
空空空空空空戸の隙を 洩れ入る光、
空空0鄙びたる 軍樂の憶ひ
空空空空空空手にてなす なにごともなし。

空0という4行で始まるこのソネットは、

空空0ひろごりて たひらかの空、
空空空空空空土手づたひ きえてゆくかな
空空0うつくしき さまざまの夢。

空0という具合に嫋々たる余韻を残しつつ消えていくのですが、この最後の第4連の3行には、冒頭の代々木練兵場の軍樂の物憂い響きではなく、詩人の心の奥底でいつも鳴り響いていたうらがなしい滅びの歌が聞こえてくるようです。注2)

空0さて私事ながら、私の生家は丹波の下駄屋でしたので、町内の他の家の子供たちと比べて音楽的な環境に恵まれていたとはお世辞にもいえませんでしたが、なぜか祖父が熱心なプロテスタントであったために、小学生の時から強制的に教会に通わせられました。

空0私はそれが厭で厭でたまらず、その所為で却ってキリスト教に反発を覚えるようになり、現在に至るも無信仰無宗教の哀れな人間ですが、それでも教会で歌わせられる讃美歌の歌詞やオルガンの伴奏が、当時の田舎の少年の音楽心をまったく刺激しなかったと書けば嘘になるでしょう。

空0例えば讃美歌23番の「来る朝毎に朝日と共に」の出だしを聴くと、さきほどの中原中也の詩の冒頭にも似た、おごそかにして心温まる気持ちに包まれたものでした。注3)

空0後に成人した私が、LPレコードでモーツアルトのピアノ協奏曲第24番の第2楽章をはじめて聴いたとき、(それは確かクララ・ハスキルというルーマニア生まれの臈長けた女流ピアニストが、65歳で急死する直前に録音した曰くつきの演奏でしたが)、はしなくも思い出したのが、この讃美歌23番の奏楽でした。注4)

空0楽器もメロディも調性も異なってはいるものの、暗闇から突如一筋の光が地上に現われて、私のようにどうしようもなく愚かな人間にもかすかな希望を与えてくれる、無理に言葉にすると、天使が私を私を見つめながらゆるやかに翼をはばたかせているような、そんな有難い気持ちにしてくれた楽の音でありました。

 

空空空空空空空空空空空空0*

 

注1)中原中也の詩「朝の歌」は講談社文芸文庫吉田 煕生編「中原中也全詩歌集上巻」より引用。

注2)中原中也の芸術の記念碑的な出発点となったこのハイドンのピアノ曲を思わせる素晴らしい詩は、前掲書吉田 煕生の解説によれば、1926年(昭和元年)に初稿、1928年に定稿が完成し、諸井三郎の作曲で同年5月4日の音楽団体「スルヤ」第2回発表会で長井維理によって歌われた。なお本作が構想された当時、詩人の友人の下宿から陸軍練兵場(現在の代々木公園)の演習の「軍樂」が聞こえたことについては大岡昇平の証言がある。

注3)讃美歌23番(あるいは27番、あるいは210番)の「来る朝毎に朝日と共に」の第1番の歌詞は「来る朝毎に朝日と共に 神の光を心に受けて 愛の御旨を新たに悟る」。作詞は英国国教会司祭のジョン・キンブル、作詞は独教会音楽家のコンラート・コッヒャーと伝えられる。

注4)クララ・ハスキル独奏、イーゴリ・マルケヴィッチ指揮コンセール・ラムルー管弦楽団(2011年まで佐渡裕が首席指揮者を務めた)のモーツアルトのピアノ協奏曲24番は、録音は1960年と古いが、昔からフィリップス(最近デッカに買収された)の名曲の名演奏盤として夙に知られている。(20番も併録)

 

 

 

光の疵 屋上庭園

 

芦田みゆき

 

 

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ひりひりと疵が痛むとき、夜のデパートの屋上へとむかう。
エレベーターの扉があき、
過剰な光が流れる廊下を渡り、
重いガラスの扉を押すと、
まだらな闇が降りてくる。
あたしは闇をまとって、植物が売られているコーナーに行く。
工事が始まっている。
たくさんの植木鉢や、あいだに置かれた石像たちは端に片づけられてしまった。
代わりに白い布を被った何かがあちこちに置かれている。
あたしは自販機でコーンスープを買って、建物に沿って並べられたベンチに腰掛ける。

目を閉じると夏の喧騒がよみがえる。

 

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あたしは生まれてはじめてデモに行った。とけて消えてしまいそうな暑い夜。国会の脇にある木では蝉が鳴き、子どもたちは小さなライトを持ってカブトムシをつかまえていた。みせて?と声をかけると、あの木にいたの、と後ろの木を指さす。この、子どもたちの未来を守るために、あたしは来た。前に進んでいくと、赤ちゃんを背負い、荷物とプラカードを持った若いお母さんがコールを叫んでいる。あたしは人人の手ばかりを見ていた。どの手も白く美しかった。

目を開けると、闇が濃くなっている

 

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さぁ、帰ろうか、と隣のベンチをみると、一冊の本が置き忘れられている。手に取って開いてみると、とても古いロシア語の参考書だった。あたしは本を元のベンチに立てかけて、エレベーターへ向かった。