由良川狂詩曲~連載第20回

第7章 由良川漁族大戦争~僕らは若鮎攻撃隊

 

佐々木 眞

 
 

 

翌朝、ケンちゃんは、朝ごはんに山崎パンのトーストに生協のイチゴジャムをてんこ盛りに塗りつけたやつを1枚と、ネスカフェ・ゴールドブレンドの熱いのを2杯おいしくいただくと、おじいちゃん、おばあちゃんに「ごちそうさま」を言って、自転車を軽くひとまたぎ。あっという間に由良川河畔へとやってきました。

川には、一面の朝霧が立ち込めています。そこへ、寺山の反対側にそびえる三根山からまっすぐに立ちあがった5月の朝の太陽が、由良川を一望しながら、慈愛に満ちた光を放ちました。

ところどころうす雲をぽっかり浮かべた大空に、一羽のひばりが、ギザギザの螺旋状の軌道を残して舞い上がり、しばらくお神酒に酔っ払ったような歌を唄っていましたが、すぐに、青空のどこかで自分を見失ってしまったようでした。

素晴らしい朝です。
次第に温度が上がってくるようでした。

ケンちゃんは、由良川漁業協同組合の会員でもあるおじいちゃんから借りた漁網を自転車の後ろから取り出すと、それを井堰の上流15メートルの所に仕掛けました。
由良川の全幅700メートルにわたって、人の眼にも、魚の眼にも、それとほとんど識別不可能な漁網を、おじいちゃんに教わった通りに、端から端までていねいに張り巡らしました。
普通のネットだと破れる恐れがあるので、特別素材を二重にバック・コーティングしてある超ハイテク製品です。

そして、左岸に1本だけ立っている大きな柳の木の根っこのところにポッカリ口をあけている、例の千畳敷の大広間に通じる秘密の入り口の手前のところだけは、わずかながらネットを掛けない隙間をつくっておきました。
つまり、左岸の隅っこのわずか30センチを除いて、由良川は完全に封鎖された、というわけです。

それが終わると、ケンちゃんは、柳の木の下の木陰に腰をおろして、おばあちゃんが特別につくってくれた沢庵入りの特大おにぎりを、おいしそうに平らげました。
そして掌にねばつくご飯を、川の水でごしごし洗っていると、メダカが3匹寄ってきて、ご飯粒をツンツンつつきながら言いました。

「ケンちゃん、ケンちゃん、そろそろ1時だよ。戦闘開始の時間だよ。さっきから若鮎行動隊がスタンバッてるよ」

――よおーし。

気合いを入れながら、ケンちゃんは、寺山を背中にして西郷どんのような格好で、すっくと立ち上がりました。
ケンちゃんは上半身はもちろん裸ですが、半ズボンの腰のところにベルトをつけ、ベルトにはてらこ先祖伝来の少しさびた脇差をはさんでいます。

気合いもろともその短刀を腰からエイヤッと抜きはなって口にくわえ、一瞬川面ににぶい光をきらめかせると、ケンちゃんは、柳の根方から、一気に由良川に踊りこみました。
ケンちゃんは、口に短刀をくわえたまま、由良川の中央最深部めざして、ぐんぐん泳いでゆきます。

まもなく綾部大橋の下にさしかかります。
橋の下には、由良川でいちばん速い魚、すなわち50匹のアユが、全員うすいピンクのたすきを掛けてケンちゃんを待ち受けていました。

みなさま、覚えておられるでしょうか。これこそ、去る4月23日未明、全由良川防衛軍最高司令官に就任したウナギのQ太郎が編成した、海軍特別攻撃隊でした。

昨年の冬、丹後由良の海で越冬し、ふたたび由良川にさかのぼって来たばかりの頼もしいアユたちが、ケンちゃんの日焼けした顔を見ると一斉に胸ヒレを4回、背ビレを3回、尻ヒレを2回、そして尾ヒレを1回振って歓迎しました。
これが由良川の魚たちの正式の挨拶の作法なのです。

知育・体育・徳育の3つのポイントで厳重に審査された、由良川史上最強の若鮎特別攻撃隊は、ケンちゃんを三角形の頂点にして、見事なピラミッド梯団を組みながら、由良川を毎時13ノットで遡行してゆきます。

ドボン、ザボン、ガボン
僕らは若鮎攻撃隊

死地に乗り込む切り込み隊
命知らずの若者さ

ドボン、ザボン、ガボン
僕らは若鮎攻撃隊

邪魔だてする奴はぶっ殺す
ナサケ知らずの若鮎さ

みんなで唄いながら進んでいくと、やがて由良川は急に深くなり、きのうライギョたちが、ホルスタインを喰い荒していた地点にさしかかりました。

ここが「魔のバーミューダ・トライアングル」と呼ばれる怪しい一帯です。
水は濁りに濁り、前方は、ほとんど見通しがつきません。

 
 

次号につづく

 

 

 

家族の肖像~親子の対話その25

 

佐々木 眞

 
 

 

お母さん、海の幸ってなに?
海の中のいいもののことよ。
さっちゃんの幸だよね。
そうよ。

お父さん、笑うと連佛さんは?
「耕さん、アホ笑いしないでね」って言うよ
ぼくアホ笑いしませんお。

お父さん、しっかり食べないと死んじゃうでしょ?
そうだよ。
死んじゃう、死んじゃう、死んじゃう

ニューバージョンてなに?
新しいかたちのことよ。

お母さん、ぼくマーガレット好きですお。
お母さんも好きよ。
マーガレットどこにありますか?
今は無いのよ。今度植えますか?
植えてください。

お母さん、あしたお赤飯にして!
分かりました。

お父さん、まっすぐの英語は?
ストレートだよ。
まっすぐ、まっすぐ。

ドキドキってなに?
ドキドキすることよ。
怖い?
耕君、怖いことあるの?
ないよ、ないよ。

お母さん、きわめる、ってなに?
めいっぱいやり尽くすことよ。

シブいってなに?
ちょっと塩っ辛いことかなあ。
(父)そうじゃないよ、カッコイイことだよ。
シブい、シブい、シブい

お母さん、ぼくこんどインドネシア行きます。
そうなの、行ってくださいね。

お母さん、感じるってなに?
こうだなあ、って思うことよ。
感じる、感じる。

お母さん、ほんま、ってなに?
「ほんとう」のことよ。

お母さん、ナナちゃん入院したの?
うん。
どこの病院?
フジノ町の病院だって。

お母さん、ぼく海行きたいです。
えっ、海?
今年も海行きたいです。
そうなんだあ、分かったよ。

お父さん、しまった、は失敗した、でしょ?
そうだよ。

お母さん、ありふれたは?
よくある、よ。

 

 

 

夢は第2の人生である 第58回

西暦2017年長月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

失業したので、再び東映でチャンバラのアルバイトを始めた。キラレキラレてとことんキラレ、最後は格別念入りにスローモーションで斬られるのは、私だけにできる得意技なのである。9/1

私は、その有名な大作家の代表作の有名な泣かせどころを何回も読んだのに、まったく泣くことができず、こんなはずではないと激しく困惑してしまった。9/2

ジュンちゃんに忘年会の幹事を頼むと、「幹事代はいくらですか?」と尋ねるので、「16万円の経費からいくらかちょろまかせよ」と答えると、口をとんがらかせて文句を垂れていたが、「お土産は河道屋のそばぼうろだよ」と言うと、ニコニコ顔になって引き受けた。9/2

苦心惨澹創意工夫の結果、とうとう「つねに空中歩行可能なスペースウオーキングシューズ」を完成したというのに、てんで売れないのは、いったいどういう訳だろう。9/3

今夜は酒池肉林の宴ゆえ、極上の美女と山海珍味に加えて、コンドームとバイアグラもさりげなくわれわれ参加者に提供されていたが、誰ひとり見向きもしなかった。9/4

東京の南北で、果物にシロップを入れる/入れないの違いがあることが判明したので、広場に集まった人々は、パパパパッパ/パパパパッパと手拍子を打ち鳴らして、この発見を喜び讃えた。9/4

今晩だけは、女たちを食卓から遠ざけておくようにという指示が出ていたのは、こじれきったクマさんと八っつあんの仲を、私らが取り持ち、和解させるためだった。9/5

フリーターの私は、金に困って天孫の末裔が誕生するや否や、素早く奪取する仕事を請け負ったのだが、いつまで経ってもその兆しがないので、とうとう諦めてしまった。9/6

母校で園遊会が開かれるというので、久しぶりに上京して、懐かしい級友たちと久闊を叙していると、突然一天俄かにかき曇り、雷鳴とともに猛烈なにわか雨が落ちてきたので、我々は着飾った同級生とともに、教育学部の古い建物に逃げ込んだ。9/6

サカモト君とサカイ君と3人で地下街に入ったところで、のろまな私だけがヤクザに捉まって難癖をつけられた。彼奴はボクシングの構えをしながら私のポケットに手を入れ、金を探りながら、「殴るぞ、殴るぞ!」と脅かすので、「たあすけてくれえ!」と私は叫んだ。9/7

バベルの塔、バブルの塔、バベルの塔、バブルの塔、バベルの塔、バブルの塔、バベルの塔、バブルの塔があ 9/8

ねうねうねうみやうみゃうみゃうねうねうねうみやうみゃうみゃうねうねうねうみやうみゃうみゃう 9/9

イデ君と林間空港に戻ってくると、出発便で食い損ねた朝食が、座席の前にまだ残っていたので、腹が減っていたから、食おうかと思ったのだが、3日目の物を食って食当たりをしてもつまらないので、全部捨ててしまった。9/10

路地の先に進んでいくと、お誂え向きの切腹の場所となり、一人の老人が、いままさに皺だらけの腹の皮に脇差を突き立てようとしていた。切腹は型通りに行われ、あっという間に老人の体はふたつになった。9/11

私が彼女を見放したものだから、彼女は敵に捉まって、行方不明になってしまった。9/12

お姫様は、庭の池に「万物の精」を浮かばせて、「それでは、わらわに何か頼みたい者は、あの精に手を触れながら念じれば、その思いは叶うであろう」とおっしゃった。9/13

山の上には、映画関係者が利用する素敵な別荘があった。サイトウさんの紹介でそこを訪れた私は、その年の夏をゆったりと過ごすことができた。9/13

牛乳を飲んで、しばらくしてから、それを胃から取り戻して、貧者に分け与える。それこそがわれわれが発見した一本で二度美味しい、一石二鳥の裏技だった。9/14

「さあシオリの尻をよく見てろ」、とその男が指差したので、シオリのお尻をじっと見つめていると、シオリのお尻の下から、黄金色の大判小判が次々に出てきたのでした。9/15

わが先輩は、リーマンになったばかりの私に、出張とはなにか、出張費とはなにか、その事務処理はどうするのかについて、噛んで含めるように丁寧に教えてくれた。9/15

いつも冷酷無比という定評のあるその紳士だったが、その日は、ちょっと普段と様子が違って、にこやかな顔をして、私たちに、御馳走を振る舞ってくれた。なにか魂胆があるのだろうか?9/16

詩を作ろうとしていたのだが、てんでできず、そのかわりに、短歌が5つ6つできたので、フェイスブックに投稿したら、鈴木志郎康さんだけが「イイネ」をつけてくだすった。9/17

「痛いの痛いの、とんでいけえ!」と叫んだら、本当に飛んで行ったので、調子に乗って「あの塔、倒れろ!」と叫んだら、本当に倒れてしまったので、調子に乗って「○○死ね!」と叫ぼうとしたが、そればっかりは、いかにも憚られた。9/17

私は三越との打ち合わせに出席していたが、突然同じ時刻に伊勢丹、西武、そごう、小田急とも打ち合わせすることになっていたことに気づいて、茫然自失してしまった。9/18

東野英治郎に似ている老パイロットが、高層ビルの最上階に住んでいるので、時々遊びに行く。窓からは山やくの字型に折れ曲がった大河、プールで泳ぐ人たちが見える。老パイロットは、改造した自宅のアトリエに格納している、最新型の小型飛行機を見せてくれた。9/19

老人のマンションの格納庫のとなりは、だだっぴろいフリースペースになっていて、老人は恵まれない子供たちを引き取って、この部屋でひがないちにち遊んで暮らしているそうだ。老人は、先月レントゲンを撮ったら、末期ガンで余命半年と宣告されたそうだ。9/19

彼は、時々ツアーを企画する。その飛行機に乗せた少人数の人々を、世界中の楽しいところ、面白いところにみずから案内するのだ。3か月くらいのワールドツアーだ。料金も格安だし、どうやらこれが最後のツアーになりそうなので、私は来月妻と参加することにした。9/19

あの著名な画家のハシモト氏が、一度ならず二度までも、おのが人生を投げ出して再出発したという話を聞いて、私は衝撃を受けた。あれほどの世界的名声をかち得た人物の生涯に、いったい何があったのだろうか。9/20

もしもあの権力の真空状態にあって、彼奴らが「我々は権力を掌握した」という声明を出しさえすれば、クーデターは失敗し、勝負はついていたのに、彼奴らは、それをするのを怠たるという致命的な失敗を犯したのであった。9/20

ここはどうやらLAらしいのだが、砂漠の町で開かれている映画の試写会に行くために、広場に止まっているタクシーに乗ろうとすると、法外な運賃をふっかけられて、はてさてどうしたものか、と悩んでいる私。9/21

ブルックナー野郎と、世紀の対決をする羽目になった私は、小田原海岸では、ブルックナーの1番2番3番野郎に挟み撃ちにされ、大礒では4番、茅ヶ崎では5番、6番野郎と命がけの戦いを繰り広げ、藤沢では7番、鎌倉では8番としのぎを削ったが、いよいよ横浜ベイブリッジを舞台に、交響曲9番との世紀の大勝負が始まろうとしていた。9/22

帰宅途中、地下鉄の構内から出たところで、武装した兵士に取り囲まれたので、とうとう内乱が始まったことを知る。私の後に続いていたリーマンたちは、もちちろん丸腰だったが、もはや誰何もされずに自動小銃でバリバリ薙ぎ倒されていった。9/23

父から1000冊の古本を譲り受けた私は、うち200冊をすぐさま魚雷に転換して、夜襲を仕掛けてきた敵の軍艦のどてっぱらに見舞ってやった。9/24

家老の青山大膳に頼まれて、若殿のお守役を引き受けたずぶの町人のわたしは、莫迦殿にえらく気に入られてしまったので、大膳の推挙で苗字帯刀を許され、あこがれの武士になることができた。9/25

町内の音楽鑑賞会で、マーラーの交響曲9番のCDをかけたら、聴いていた爺さん婆さんが、たちどころに牛や馬に変身したので、「なるへそ、これが音に聞く風馬牛か」と、ハタと膝を打った。9/26

横須賀湾の軍艦見物をしていたら、町内会の連中も同じ湾内周遊船に乗り込んできたので、私は最初から彼らと一緒だったような何食わぬ顔をしていたが、本当は後ろめたかったのである。9/27

その夜のレイトショーに行くと、曰くつきの女が待ち伏せしていて、前後左右でうろちょろするので、ゆっくり映画鑑賞を楽しむどころの騒ぎではなかった。9/27

3人の若い教師の発言を聞いた後、私は立ち上がって「本日は私の講義はありません」というと、3人は笑ったが、私は「教師こそわが天職なり」という思いで、胸がいっぱいだった。9/28

CMでアフリカのライオンの撮影があるから、良かったらどうぞと誘われて現地に赴いたら肝心要のコンテが出来ていない。あなたはプランナーだから今日中に作ってくれとスタッフに言われて大いに面喰っている私。9/29

遠い日本から遙々アフリカくんだりまでやって来たというのに目当ての美貌の母娘とはまだコンタクトもとれず、したがって週刊誌から頼まれた突撃インタビューも出来ないでいるのだった。9/30

世界最高珍味のひとつである極楽ジュースを、私は一気に飲み干した。こういうものは珍味だからと言ってあまり長く保存しておくべきものではないと熟知していたからである。9/30

 

 

 

音楽の慰め 第23回

降誕祭の音楽

 

佐々木 眞

 

 

Sさん、いかがお過ごしでしょうか?
12月といえばクリスマスの季節。そちらはもう雪が降りつみ白一色のホワイトクリスマスではないでしょうか。

そこで今宵は、北国の降誕祭にふさわしい音楽をピックアップしてみたいと存じます。

まずはなんといってもビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」ですね。
1941年にアーヴィング・バーリーが作詞作曲し、クロスビーが晴れやかな声で歌いあげたこの名曲は、我が国の内村直也作詞・中田由喜直作曲の「雪の降るまちを」にも似た古閑で鄙びた趣もあって、世界的にヒットしたのではないでしょうか。

 

 

次はドイツの作曲家、セバスチャン・バッハのオルガン曲です。
「小川」という名前をもつこの偉大なドイツの作曲家には、その名も「クリスマス・オラトリオ」という大曲もありますが、この季節に私が聞きたいのは、教会の礼拝の前にオルガンで演奏されるコラール前奏曲です。

「オルゲルビュヒラインBMW599-644」などのコラール前奏曲は、昔から著名なオルガニストによって演奏されてきましたが、私がひそかに愛聴してきたのはアルベルト・シュヴァイツァー博士の演奏です。

「生命への畏敬」を唱え、赤道直下のアフリカ・ガボンで医療と伝道に尽くし、ノーベル平和賞を受賞した「密林の聖者」は、優れた医師・哲学者・神学者・音楽学者であったばかりか、知る人ぞ知るオルガン奏者でもあったのです。

 

 

シュヴァイツァー博士が弾くコラール前奏曲は、技術をひけらかすどころか、聞きようによってはむしろ下手くそといえるかもしれません。

しかしそれにじっと耳を傾けていると、村の古い小さな教会でオルガンを弾きながら子供たちと讃美歌をうたっている小太りの老人セバスチャンの姿が、おのずから浮かび上がってくるような古拙な演奏で、これこそ神様が嘉し給う敬虔な調べというものではないでしょうか。

バッハの音楽の本質は神への尽きせぬ感謝とひそやかな祈りであり、その名の通り小さな川のように流れる日々の頌歌にこそあるのでしょう。

最後はご存じ管弦楽の神様、ヘルベルト・フォン・カラヤンが、名手ウィーン・フィルを指揮したクリスマス・アルバムです。独唱は黒人ソプラノ歌手、レオンティン・プライスですが、彼女が無心に歌う「清しこの夜」や「アヴェ・マリア」を聴いていると、文字通り心の底から清められていくような気がいたします。

 

 

それではSさん、今日はこの辺で。どうぞ良いクリスマスと新年をお迎えください。

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第19回

第6章 悪魔たちの狂宴~正歴寺の鐘は鳴る

 

佐々木 眞

 
 

 

やがて、朝ケンちゃんが登った寺山には、虹のような琥珀色の後光が射して、西の空が美しい朱色に染まりました。
その朱色が、わずかに暮れ残ったセピア色と溶け合いながら、明暗定かならぬ幻覚を見ているような微妙な色調に、おぼろおぼろに変わる頃、正歴寺の高く澄んだ鐘の音が、綾部の町ぜんたいに子守唄のような晩祷を捧げはじめました。

 

他人おそろし
やみ夜はこわい
おやと月夜はいつもよい

ねんねしなされ
おやすみなされ
朝は早よから
おきなされ おきなされ

ねんねした子に
赤いべべ着せて
つれて参ろよ
外宮さんへ

つれて参いたら
どうしておがむ
この子一代
まめなよに まめなよに

まめで小豆で
のうらくさんで
えんど心で
暮らすよに 暮らすよに

寝た子可愛いや
起きた子にくや
にくてこの子が
つれらりょか つれらりょか

あの子見てやれ
わし見て笑ろた
わしも見てやろ
笑ろうてやろ 笑ろうてやろ

あの子見てやれ
わし見てにらむ
突いてやりたや
目の玉を 目の玉を

 

と、その時、
正歴寺さんの鐘の音が、「突いてやりたや目の玉を、目の玉を」と唄い終わった時、
ケンちゃんは、由良川全域に響き渡るような大声で、

「そうだ!」

と叫びました。

ケンちゃんは、由良川の水際の泥と水を両足でぐちゃぐちゃにかきまぜ、砂利だらけの河原をましらのように走り抜け、さまざまな自然石を足掛かりになるようにコンクリートに埋め込んだ堤防の傾斜面をイノブタのように駆けのぼり、スズメノテッポウやチガヤが生えている堤防の上の一本道に座り込んで、土の上に棒きれでなにやら地図のような見取り図のようなものを一心に描きはじめました。

それからケンちゃんは、なにを思ったのか、もうとっぷり日が暮れて誰一人いない由良川へ、静かに入ってゆきました。
そして大きなストロークで河を15メートルほどさかのぼってから、空気をうんと吸い込んでどこか深い所へ潜ってしまいました。

5分、そして10分近く経っても、ケンちゃんは浮かんできません。
どこかでなにかが、ポチャンとがねるような音がしました。あれはきっとアユかフナが、水面すれすれに飛ぶユスリカに飛びついたのでしょう。
それからさらに30分、1時間と、時はどんどん過ぎてゆきます。

おや、水浸しになった濡れ鼠のケンちゃんが、星いっぱいの夜空に、片腕を元気いっぱい振り回しながら、岸に向って泳いできます。

――やったあ、これでうまくいくぞお! チェストー!

と、ケンちゃんは北斗七星の大熊くんに向かって吠えました。
それからケンちゃんは、由良川の堤防に置いてあった自転車に軽々と飛び乗ると、西本町の「てらこ」までお得意の両手放し乗りで帰ってゆきました。

晩ごはんは、ケンちゃんの大好きなスキヤキでした。
丹波の但馬のいちばんやわらかでおいしい肉を、ケンちゃんのおばあさんがサトウをどっさりかけてお鍋でグツグツ煮込んでいきます。
そこへフとネギを加え、肉と三位一体になった大好物が奏でる香ばしいかおりと絶妙の味わい……
ケンちゃんは、ごはんを3杯もおかわりして、もうお腹がいっぱいになってしまいました。
ごはんの後ケンちゃんは、おじんちゃんに由良川での投げ網の漁のやり方についていろいろ教わってから、大好きないつもの「テレビ探偵団」も見ないでお風呂に入り、8時すぎには、もうぐっすりと眠りこけてしまったのでした。

 
 

つづく

 

 

家族の肖像~親子の対話その24

 

佐々木 眞

 
 

 

お母さん、運命ってなに?
結局こうなってしまう、ということよ。

お母さん、ちっともってなに?
全然ていうことよ。

お母さん前夜祭って亡くなったときでしょう。
そうよ。キリスト教よ。

お母さん、耳を澄ませば?
なにか聞こえるでしょ?

オトゾウさん、目を閉じた?
閉じたのよ。

お母さん、海の幸ってなに?
海でとれる大事なものよ。お魚とか。

さっちゃん、「お父さんバッカア」って泣いちゃったよ。
なんで泣いたの?
分からないけども。

お父さん、クサカンムリに秋は萩でしょ?
クサカンムリに秋かあ。うん萩だね。

ぼく「電池が消えるまで」好きだお。
そうなんだ。

今日コンスープにして、お母さん。
そうしましょう。

うれいは哀しいことでしょ?
そうだね。

お母さん、強いるってなに?
無理矢理押しつけることよ。

今日さっちゃん、笑ってたよ。
そう、さっちゃんて誰?
黒川友香だお。「こころ」の。
そうかあ。
ぼく、さっちゃん大好きだお。

お父さん、ぼく「ハンガリーダンス」好きですお。
なに?いまの音楽?
そうですよ。
そうか、ブラームスのハンガリア舞曲だね。

お母さん、つまんないってなに?
そうねえ、つまらないことよ。

江の島水族館好きですよ、お母さん。
そう。今度行こうか。
行きますお。

 

 

 

「八軒谷戸」の歌~荒川洋治著詩集「北山十八間戸」を読みて歌える

 

佐々木 眞

 
 

 

今日は朝から木曜日
アクアに乗ってお買いもの*
おらっちはかみさんと
アクアの歌をうたいつつ
上郷生協でお買い物**

 

空白空0おおアクア おおアクア
空白空0お前の名前は なぜアクア?

空白空0アクアはラテン語で水だけど
空白空0しかしアクアには 水色がない

空白空0あるのは どぎつい青
空白空0誰も買わない エグイ青

空白空0青色は水色ではありません
空白空0断じて水色ではありませぬ

空白空0仕方がないから
空白空0おらっちは

空白空0白いアクアを 買ったんだ
空白空0泣く泣く 白にしたんだよ

空白空0おおアクア おおアクア
空白空0しかしお前は よく走る

空白空0お前は 奥さんの運転で
空白空0忍者のように するする走る

 

生協は毎週木曜が売り出しデー
ほかの曜日よりお得です
上郷生協は、「八軒谷戸」の交差点のすぐそばさ
右にイタチ川、左にワークマンが見えたなら
ワークマンの歌をうたいましょう***

 

空白空0広がる世界に
空白空0夢が溢れてる

空白空0家族を思えば
空白空0頑張れるはずさ

空白空0(ワークマンでいこう!)

空白空0この町で 暮らそう
空白空0みんな住む町で
空白空0行こうみんなでワークマン!

 

すると鼬川のイタチたち
一族郎党身を乗り出して
ブラボー、ブラボーと喝采拍手!
うれしくなったおらっちが、
歌うはご存知ワットマンの歌****

 

空白空0テレビにラジカセ、レコーダー
空白空0掃除機、洗濯機冷蔵庫

空白空0パソコン、インクにプリンター
空白空0電化製品なら なんでも揃う

空白空0きみもぼくも ワットマン
空白空0(みんなで行こう ワットマン!)
空白空0ラララ、ランラン、ワットマン

 

すると見よ!
「八軒谷戸」の交差点のそばにある
金魚専門店の琉金 出目金 その他大勢
金魚鉢から身を乗り出して
ブラボー、ブラボーと拍手喝采!
みんな聴け!
今度はナップマンの歌であるぞよ*****

 

空白空0ラララ、ランラン、ナップマン
空白空0朝の次には昼が来る 昼の次には夜が来る

空白空0夜が来たならナップマン
空白空0おしゃれでシックなパジャマです

空白空0ラララ、ランラン、ナップマン
空白空0夜が来たならナップマン

空白空0楽しい夢を朝までみよう
空白空0ラララ、ランラン、ナップマン

 

ちょいと出ました童子8人
上郷生協から飛び出して
ブラボー、ブラボーと拍手喝采!
そこで一発かましたね
誰も知らない「八軒谷戸」の歌*****

 

空白空0さてお立ちあい 皆の衆
空白空0平安時代の昔から この谷戸は「光明空白空0谷戸」と呼ばれてた
空白空0谷戸の奥には 聖徳太子の像があって
空白空0キンキン キラキラ 光り輝いてた

空白空0朝な夕な 谷間の奥で
空白空0あやしく輝く 太子様!
空白空0ありがたや ありがたや
空白空0霊験あらたか太子様! 太子様!

空白空0谷戸の中には 八軒の家
空白空0大谷戸、神戸、新家、神主、
空白空0谷戸の前、井戸窪、下の井戸窪、谷戸の元屋敷
空白空0全部で8つの家が あったげな

空白空0ところが いつの間にやら
空白空0聖徳太子像が なくなった
空白空0いつの間にやら なくなった
空白空0影も形も なくなったとさ

空白空0「光明谷戸」には 光も輝きもなくなったが
空白空0相も変わらず 8つの家は残ってた
空白空0八軒の家が 残っていたので
空白空0江戸時代には「八軒谷戸」と呼ばれたそうだ

空白空0その八軒家 今では遠く忘れ去られたが
空白空0大谷戸、神戸、新家、神主、
空白空0谷戸の前、井戸窪、下の井戸窪、谷戸の元屋敷
空白空08つの家名を 今に伝える8人の童子

空白空0今でも童子は いるそうだ
空白空0「八軒谷戸」の交差点の前
空白空0上郷生協に隠れ住み
空白空0夜な夜なうたう「光明谷戸」の歌

空白空0光り輝く 聖徳太子の歌
空白空0遠い昔の 懐かしい歌
空白空0ラララ、ランラン、谷戸の歌
空白空0ラララ、ランラン、谷戸の歌

 

さて皆の衆 お立ちあい
おめえさんの「八軒谷戸」の歌なんか、メじゃないヨと
8人の童子たちが 一斉に
うたいだしたよ「生協の歌」
うたいだしたよ ア・カペラで

 

空白空0生協 生協 生協
空白空0セコ セコ セーキョー

空白空0牛肉、ブタ肉、ゆめぴりか
空白空0ドラ焼き、カステラ、富有柿
空白空0なんでも揃うよ上郷生協

空白空0今日は朝から木曜日
空白空0特売品がいっぱいだ

空白空0ポイント2倍のおまけつき
空白空0他の日よりお得です

空白空0生協 生協 生協
空白空0セコ セコ セーキョー

空白空0おむすび、天ぷら、鮭切り身
空白空0蜜柑にパスタにアイスクリーム

空白空0生協 生協 生協
空白空0なんでも揃うよ上郷生協

空白空0生協 生協 生協
空白空0セコ セコ セーキョー

 

 


* 没落する帝国中産階級のためのトヨタ製自動車。燃費は良いが、長時間乗っていると腰が痛くなる。

**「上郷生協」とは横浜市栄区上郷の「ユーコープ上郷店」。

***「ワークマン」のCM

****「ワットマン」は、以前逗子駅の近所にある家電販売店で、私は以前よくビデオテープなどを買っていた。

***** 某アパレルメーカーの紳士物パジャマのブランド名。

******「八軒谷戸」についての情報は、横浜市栄区のホームページおよびライターの立花真弓(橘アリー)さんが「はまれぽ.com」にお書きになった情報を参考にさせて頂きました。

 

 

 

夢は第2の人生である 特集号(第55回・第56回・第57回)

 

佐々木 眞

 
 

 

夢は第2の人生である 第55回

西暦2017年水無月蝶人酔生夢死幾百夜

 

龍宝部長は、「これで肉をあぶって食べるといいよ」といって、私に超強力なコンロを呉れた。6/1

大阪支店で乾燥庫に入ったら、熱が強すぎてスーツの色がたちまち変色し、危うく焼肉になってしまうところだった。6/2

社長の私が「今日はオラッチがなんでも奢るぞ」というと、部下たちは勇んで超高級メニューを発注し始めたので、内心こりゃやばいぞ、と焦った。6/3

鈴木志郎康さんに差し上げた工場の作業現場のノイズ録音テープが、ゼミの学生たちによってダビングされ、ヤフオクで途方もない値段で取引されているのを知って驚いた。6/4

天安門にゴロゴロ殺到する戦車の前で、大きく両手を広げてみたものの、怖くて怖くて仕方なかった6/5

週刊文春の短歌欄で、「自己」というテーマで投稿を呼び掛けていたが、現在のところ誰も応募していないようだ。6/6

この会社の広告制作部では、営業が勝手に担当クリエーターに直接発注しているので、アートディレクターは暇だが、制作物の質は最悪だった。6/6

その会社の広告制作部では、朝から晩まで、管理職を除く男性クリエーターたちが、唯一の女性で可愛いデザイナーのキヨミヤさんに、間接セクハラして喜んでいた。6/6

「西暦2017年2月17日の午前中に、神奈川県の大和市で、言うべくして、とうとう言えへんかったことども」という出だしの文章を書いているが、これは単なる散文か? それとも散文詩と呼んでも構わないものだろうか。6/7

中華料理屋で食事中に、緊急打ち合わせが飛び込んだので、シウマイを持ったまま会議室へ向かう途中で、別の中華料理屋の裏口から入って、玄関口から出ようとしたら、「うちのシウマイを持ち逃げするな」といわれて、困ってしまった。6/8

図書館の本は、すでに20冊予約済みなのだが、いますぐ読まなければならない本が10冊もある。はてさてどうしたものか、と私は思案した。6/9

「客に物を買わそうと思ったら、A→B、B→Cのように具体的に矢印で指示すれば、絶対に買うよ」と、その男は断言した。6/10

いったん捨ててしまった1萬牌を最後につもって、私は役満の「国士無双」を上がった。6/11

越中島から永代に来てみると、ヤギ君が「ワカバヤシが打ち合わせに来ない」というてパニックっていたので、「大丈夫、今まで彼と越中島でマージャンをしてたから、もうすぐここへ来るよ」と教えてやると、安心したようだった。6/11

ナカノ君とマツイ君のカバンの中から、つぎつぎに奇妙なハイテク商品が出てくる。「それは6500円だね」と私が言い当てると、マツイ君は、あっと驚いた。6/12

イデノトシコは、にっこり笑って、私にグミの実がいっぱいなった枝をくれたので、私と一緒に暮らしてくれるのか、と一瞬思ったのだが、それは全くの幻想で、彼女はたちまちどこかへ消え去ってしまった。6/14

ブルーレイ・レコーダーには、既に3つの外付けHDDが接続してあるのだが、4つ目をテレビに直接取りつけたら、なにか問題が起こるのだろうか。誰かに聞こうと思うのだが、適当な相談相手が見つからない。6/16

アイオーデータという、何を省略したのか意味不明の会社に、「どうして貴社の外付けHDDは、パナソニックのギーガと接続できないのか」と電話したら、女の子が「検証できていませんので」と、何度も国会答弁のように繰り返した。6/17

ともかくA女に借りができたので、彼女が支配下に置いているB女の店で本を、C女の店でCDを買って、埋め合わせをしようと思って、妻と一緒にポポロ広場へやってくると、くだんのA女が私らを睨んだ。6/18

深夜の海で地引網を引いてみたら、どういうわけか最先端のハイテクおもちゃが、大量に浜に引き揚げられたので驚いたが、子どもたちは大喜びでそれで遊んでいる。6/19

中国の巨大な空港で行方不明になってしまった私は、5時間後に、中国の不思議な役人のおかげで発見され、感謝の言葉を述べようと思ったが、あっという間にいなくなってしまった。6/20

「本日にて、貴君への監視を終了する」と刑事と名乗る男が言うたので、私はずっと共謀罪の対象者だったとはじめて知った。6/21

野原で開かれているマル戦の集会で、かわいこちゃんの亜麻色の髪がおいらの鼻先をくすぐるので、いつまでもクンクン嗅いでいたら、マツイ君とテルイ君が、「おれたちの話を真面目に聞け」と怒り出した。6/22

ようやっと立ち上げた託児所で、預かった子供たちの昼食を作ろうと、ガスの火を点けたら、なにかに引火して、あっという間に家もろとも燃え尽きてしまった。6/23

私は45歳と46歳の元祇園芸者が経営するスナックに入り浸りになり、骨抜き状態になっているところを、「週刊新潮」にフォーカスされたが、別に誰からもなにも言われなかった。6/24

朝な夕なに海水が氾濫するこの街に、観光客を呼び込もうと、新任広報担当のマエダ嬢が「日本のヴェニスへどうぞ!」と懸命にPRしたが、いつまでたっても誰もやってこなかった。6/25

足元を流れている溝を覗くと、生まれたばかりの子犬が流されていたので、素早く拾い上げて抱いてやると、うれしそうに尻尾を振った。6/26

私は、最近友達になったばかりの馬と犬を連れて、街中をゆったり散歩した。6/27

私は、なぜだかモンシロチョウの雌になっていて、イタドリの葉っぱの上で羽根を広げ、下肢をピンと立てて、上空から雄が降りてくるのを待っていた。6/28

シュア製のカートリッジが暗闇に転がっていたので、何気なく拾い上げて右ポケットに入れ、速やかにその場を立ち去ろうとしたら、店主らしく男が睨みつけるので、さりげなくそこらへんに置いて、すたこらさっさと立ち去ったが、盗人にならなくて良かった。6/29

私はパエリア国の日本大使館のシェフに任命されたので、NYの世界各国の代表部の大使たちに、魚と野菜を主体とした北欧料理を、日本料理風味にアレンジして供したら、大好評だった。6/30

私は金曜の夜、会社のエレベーターの扉にもたれて不貞腐れているヤマちゃんを誘って、パエリア国大使館に向い、かの国の美女たちに囲まれて、極上の北欧料理と性的サービスの饗宴に満腹満足しつつ、うまし夢路を辿った。6/30

 
 

夢は第2の人生である 第56回

西暦2017年文月蝶人酔生夢死幾百夜

 

最後は私とマムシの決闘だったが、私は彼奴に噛まれないように後ろに回って尻尾をつかみ、石の上に何度も叩きつけたので、とうとう彼奴は私の軍門に下った。7/1

アシダ君はレリアン担当を命じられたが、苦手の婦人服分野なので、どのように取り組んだらいいのか、日夜悩んでいた。7/2

朝の5時だというのに、ごしごしと木を切っているやつがいる。「神様、私を助けてください」という少女の叫びも聞こえる。すると突然蝉が鳴き、ピアノがポロンと鳴った。7/3

悪者に追いかけられてたので「さあ困った、どうしよう?」と検索に打ち込んだら、いきなりイタリアの高級車アルファロメオが、目の前に現れたので、これ幸いと乗り込んで、窮地を脱することができた。7/4

阪神の源五郎丸に似た名投手と仮契約するために、今すぐ130万円が必要なので、すべての財布とポケットを探しまくったのだが、たったの1円すら持ち合わせがなかった。7/5

玄関に人の気配がするので覗いてみると、生協の配達のお兄さんが、しょんぼりと立ち尽くしているので、「どうしたの?」と尋ねると、「このシャケの切り身を注文されましたか?」というので、「いいや」と答えると、がっくりうなだれてしまった。7/6

私は式守伊之助だが、知らない間に土俵の外の砂に大きな足跡がついている。しかしいつ誰が踏み出したのか、さっぱり記憶がないので、頭の中が真っ白になった。7/7

「ホテルにしますか? 旅館にしますか?」と聞かれたので、「朝晩食事はついてるし、畳の上の布団で寝られるし、旅館にきまっとるがな」と答えて、その日は小西屋に泊った。7/8

そのうちに私らのオケは、だんだん地力がついてきたので、オペラ座がガルニエ宮で「トリスタンとイゾルデ」をやる同じ日時に、シャンゼリゼ劇場での公演をぶっつけ、乾坤一擲の勝負に出た。7/9

我が党ではつねに新鮮な新人候補者がプールされているので、選挙のたびに、大量の新人を繰り出すことができました。7/10

どういう訳だか、私はW社に二重採用されていたので、ある時は営業、またある時は企画の席を行ったり来たりして、都合が悪くなると、有休代休を取りまくって、給料も2倍もらっていた。7/11

鎌倉市長になった元ミス鎌倉のヤマモトヨシコは、自分の華麗な恋の遍歴を、市の広報に総天然色24ページで特集して、5万部増刷したので、一部の市民の顰蹙を買った。7/12

昨日ネットで買ったばかりの扇風機が、朝から怒涛のように押し寄せてくるので、甚だ迷惑だ。同じ扇風機を、こんなにたくさん購入した記憶はないのに。7/13

この新聞は、誰かが記事を読んだ途端に消えてしまうので、非常に困る。私は真っ白になったタブロイド紙を持ったまま、あちこち駆けずり回って、読んだ人からその内容を聞き取ろうと試みたのだが、空しかった。7/13

その男は、私がヤマダ電機で予約したレコーダーを勝手に使って、いろいろな番組を予約したり、かと思えば解除したりするので、私はひどく困惑してしまった。7/14

川上から下ってきたその男は、汀の生き倒れ人を見ながら、「誰でも人世にはこういう時がある。きっとあそこから落っこちたのだろう」と、橋の欄干を指差した。7/15

「自閉症は遺伝です」と、そのフランス人は熱く語ってやまないんだが、我が家の自閉症の長男は「なにをいまさら川端やなぎ、なにいううとるねん、ぱあでんねん」と笑い飛ばすだけだった。7/17

20代の私なら、一撃のもとに退治できた夏の蚊であったが、いまでは冬の蚊でさえ叩き潰すことができず、何度も掌が虚しく柏手を打った。7/18

西部戦線で異状があった。私と共に敵情視察に出向いた少年兵のハンスが、敵の狙撃手の1弾を喰らって、即死したのだ。7/19

私はダリル・ハンナの桃色の太腿で、細い首をぎゅうぎゅう絞めあげられ、あまつさえその首を、左右にぎゅぎゅっと捻られたので、思わず「もう勘弁してくらさいな」と泣きを入れたが、ハンナ嬢は知らん顔してる。7/20

私は平家の領地や源氏の領地に居ると、いろいろトラブルが起こるので、そのいずれにも属さない領分を見つけては、そこでぶらぶら遊んでいた。7/21

極寒の地で、人も鳥も犬も飢えていた。私がカメラを上空に向けていると、名も知れぬ黒い鳥が、私のすぐそばに、嘴を下に、ジャックナイフのように突き刺さった。飢えた彼奴は、私の生温かい肉を狙ったのだ。7/22

腰まで積った雪を、切り裂くようにして、家から出てきた女をみつめながら、狼は牙をむいた。私が彼奴にカメラを向けると、彼奴は、私を襲おうか、それとも女を襲おうか迷っていたが、そのまま息絶えた。7/22

昔から非常にださくて凡庸な企画ばかり提出して、物笑いの種になっていた男が、世界を代表する美術展のプロヂューサーに成りあがっているので、私はびっくり仰天した。7/23

半世紀ぶりに訪れたウッドストックは、地球上の他の場所と同じように、草木も土も生物もみかけない、荒れ果てた不毛の地、デッドストックと化していた。7/26

「冒険倶楽部」創刊記念3千号は、記念パーティが既に3回も開かれたにもかかわらず、まだ世に送られず、その代りに「浮草マガジン」や「おろぬき少女」という新雑誌が創刊された。7/27

私は、私に残された人生の末路を知るべく、最新鋭の「人世先取り録画機」を5倍速で早回ししてみたが、灰白色のノイズが忙しく点滅するのみで、その詳細は杳として知れなかった。7/28

私はどういう訳だか、知らない間に友人のブログを乗っ取ってしまい、友人になりすまして、多種多彩な情報を各方面にばらまいていたようだ。7/29

「お前の誕生から死まで、すべての経歴を、この全自動洗濯機に放り込んでおいたのさ」と神様は宣わった。良く見ると、私は、シャツやパンツに混じって溺れかかっていた。7/30

待望の幻の稀覯書を書架に見出し、欣喜雀躍せし余は、その時早く、かの時遅く、そを鷲攫みにして、レジに赴きたりしが、懐中に一銭の持ち合わせなきことを見出したり。7/31

 
 

夢は第2の人生である 第57回

西暦2017年葉月蝶人酔生夢死幾百夜

 

おない年の古い友人、井出隆夫死去の知らせを受けた私は、いたずらに長生きしても仕方がないと、全財産を投じて、かねて買いたいと思っていた格安CDセットを、アマゾンで衝動買いした。8/1

私が喉を腫らして往生していると、あまり付き合いのなかった営業部の顔の大きな男がやってきて、「佐々木さん、これをすぐに飲みなさい、すぐに効きますよ」と言うて、白い錠剤をくれたが、はてさて飲んでいいのやら悪いのやら。8/1

全身身動きできない病気でベッドに縛りつけられている真夜中に、突然自地震がやってきた。ああ怖や怖や。8/2

一刀両断された巨大な鯉の半身の上に、跳躍した別の半身がぴたりと覆いかぶさると、元の見事な鯉の全身像が復元され、たちまち池の底に消えてしまった。8/3

私の留守中に奥村氏が訪問されたというので、私はすぐに家を飛び出してあとを追った。するとビルの壁面いっぱいに「拝啓佐々木眞殿、奥村土牛参上」と大書された横断幕が張られていたので驚いた。8/4

生まれ育った神田鎌倉河岸で、百坪の土地を手に入れた私は、その地で、ささやかな繊維会社を始めることにした。8/5

「地元民に限って、原爆の被害を見せてやる」と言うので、勇んで現地に駆けつけたものの、その眼を覆いたくなる惨状に言葉を失った。8/6

「海底と湖底のそれぞれに沈めてある私の玉の身に異常がないよう、くれぐれも注意してくれ」と言い置いて、私は牢屋に入った。8/7

40年間働いた御礼に貰ったキンコン船に乗って、港の外へ出て行こうとすると、部落の人々が、小舟に乗って別れを惜しんでくれた。8/7

朝カトウさんから「このたびわたくしウトウの君とケッコンいたします」というメモが来たので驚いた。なんでも、信号待ちの車で隣同志だったウトウが、窓からカトウの車に乗り込んできたのがなれそめだとか。8/8

ベテラン役者と称された私だったが、敵の首をちょん切ることだけは苦手で、いつも失敗していたので、汚名を挽回しようと、毎晩ひそかに練習を続けていた。8/9

ケンちゃんと一緒に電車に乗って、降りたところは、風がビュービュー吹き付ける賽の河原だった。仕方なくまた電車に乗って、次の駅で降りると、地下街で超マイナー作家の文庫本フェアを開催していたので、2冊買って、そこで藝大へ行くケンちゃんと別れた。8/10

激しい川の流れの中から引き揚げられたのは、2つのこんもりとした黒くて小さな塊で、私はその中のひとつが、自分の子供ではないか、とおののいた。8/11

私は人気の超高齢者番組に呼ばれて特別ゲストになったのだが、一言もコメントできなかったので、あっさり首になってしまった。8/12

賽ノ河原を歩いていると、「ササキマコト」と書かれた卒塔婆を見つけ、ずいぶん手回しが早いことだと驚いた。8/13

イソムラ氏は、さすが元NHKのアナウンサーらしく、私が持っていたレシーバーの4つのボタンを、最適のポジションにセットしてくれたのだが、その間に、本日のゲストの紹介が着々と進行していた。8/14

デパートの屋上にいる耕君のジャケットが、1階のエスカレーターの傍にあったので、私はそれをつかんで屋上まで昇ると、誰もいない。行き違いになったのだ。焦った私は、猛烈な勢いで、エスカレータを駆け降りた。8/15

大災害に遭った我が家に、いち早く駆けつけてくれた小人が呉れた竹筒の中には、おにぎりと小さな打ち出の小槌が入っていて、小槌を振るたびに、大判小判がザクザクと降ってくるのだった。8/17

ネットで私の名前を検索してみたら、生年と死亡年月日が記載されていたので驚いた。私は、もはやこの世の人ではなかったのだ。8/18

理事長は、いつも私の顔を見ると、私が講義している「春夏秋冬論」の中で、いろいろな年中行事の話を加味してほしい、と懇望するのだが、その都度私は無視して、聞き流してきた。8/19

私は「自分を語る」という番組に出ることになったのだが、キャメラが回り始めると、本当に自分が存在したのか、いまも存在しているのかよく分からなくなったので、スタジオから逃げ出して、満員電車に乗った。8/20

代々木駅で荷物を引っ張り出しているうちに、電車は新宿に向って発車してしまったので、私は、知人に挨拶もできずに別れてしまった。8/20

その高山鉄道は、麓の生誕駅からはじまって、少年少女、成人、恋愛、同棲、結婚、離婚、病気、老人、頂上の死別駅まで、10の名前がつけられていた。8/21

万博会場の跡地の最高塔がついに竣工したので、私はようやく、やすらかに永眠することができた。

サイトー君が、大枚を投じてカンヌで買い付けた映像は、映画祭の議事進行や、歴代の来賓の挨拶などを収録したもので、肝心要の映画とは、なんの関係もなかった。

私は暴漢に、何度も何度も刺されたようだが、その直前に友人のブログを乗っ取って、その友人になりすましていたたので、事なきを得た。

私は親類縁者のすべてに頭を下げて、港の外海に狭い漁場を確保していたのだが、新しい権力者が登場すると、そのささやかな利権は奪われてしまった。

イケダノブオの新ブランドは、毎年のように誕生したが、それがどこで、どのように販売されているかは、誰も知らないうちに、またしても新しいのが誕生するのだった。8/24

八木駅で山陰線に乗ろうとしていた私は、駅前に蝟集する不気味な黒集団に圧倒されたが、傍らのヤギが何か叫んだので、はっと気づいて、彼らの目の前にキャンバスを据えて、スケッチを始めた。8/25

前の理事長は、精力的に資金運用していたが、新任の理事長ときたら、そんなことにはまったく無関心で、部下に全部任せている。8/25

それにしても、真昼の海のどかな岬だ。しかし、こんなところにもなぜか映画会社があり、映写技師と私しかいない狭い試写会では、おりしもジョン・フォードの「捜索者」が上映されていた。8/26

恋に破れ、やけくそになったその女は、わが社をアポなし訪問して、「10万円を10日寝かせば投資で100万円にしてみせる」と、社員を見境なしに勧誘したが、誰も乗ってこないのだった。8/27

宇宙ロケットからクルーズ船、電車、新幹線、バス、飛行機、なんでも乗れてクレジットで買い物もできるという汎用性カードが送られてきた。ワーイ、ワーイ。8/28

私は五体満足だし、知能もまあ普通だし、いわゆる一人の平均的人間と周囲からは思われていたが、おそらく式亭馬琴が「八犬伝」でいう「仁義礼智忠信孝悌」の仁義八行のうちのどれかが欠落している、と自覚していた。8/29

私がデザインしたキッズ用のシープスキンのジャケットは、企画課長が没にしていたのを、営業課長への直訴が成功して復活したのだが、売り場に並んだ途端、売切れになって、追加生産ができるかという問い合わせが、全国から殺到した。8/29

道場で勝負を所望してきた素浪人と2度立会い、2度とも技ありで退けたのだが、今度は「六条河原で真剣勝負したい」としつこく迫るので、三度目の正直で、首を斬りおとしてやった。8/30

私の目の前で、いかにもそれらしく振る舞ってはいたが、その若い男女は、本当にお互いを熱愛しているとは到底いえない確たる証拠を握っていたので、私はひそかにほくそ笑んだ。8/31