家族の肖像~親子の対話その26

 

佐々木 眞

 
 

 

お母さん、あした「こころ」みますお。
みてね。

お母さん、しまったっ、てなに?
失敗したなあ、と思うことよ。

危ういってなに?
危ないことよ。

お母さん、地主ってなに?
土地を持っている人よ。

お母さん、おもにって、だいたいってこと?
まあそうねえ。

お母さん、脳波ってなに?
頭の中の波を調べます。

お母さん、ジュンサイつるつるでしょ?
はい、つるつるですよ。

お母さん、ぼく今年も海行きますお。
そうなの。わかりましたあ。

お父さんお母さんが死んだら、耕君どうしますか?
ぼく、ホームで暮らしますお。

お父さん、要はかなめでしょ?
そうだよ。
ぼく要です。
要君こんにちは。

荒々しいってなに?
乱暴なことよ。

お父さん、テレビ壊れたの?
そう、線が入るようになったんだよ。

お母さん、ことしモリタカさんに会った?
会ったよ。
ぼく、モリタカさん好きですお。

モリタカさん、ネクタイしてた?
してなかったよ。
モリタカさん、笑ってた?
笑ってなかったよ。

モリタカさん、おうちでお仕事してるの?
もうしてないと思います。
ぼく、ぼく、モリタカさん好きですお。

オオツキサッチャン、どこに住んでいるの?
藤沢かな。
ぼく、オオツキサッチャン好きですお。

お母さん、腰痛めると、嫌ですねえ。
お母さん、木を切ったから、腰痛いよ。
腰痛めると、嫌ですねえ。

事故防止って何?
起こらないようにする。

警察って、お巡りさんがいるところでしょ?
そうだね。

お母さん、イベントってなに?
催しよ。

お父さん、孤独ってなに?
そうねえ、とても寂しいこと、かな。

 

 

 

性のむきだし音楽

音楽の慰め 第24回

 

佐々木 眞

 
 

 

この世の中で、セックス、というより、ずばり「性交という行為そのもの」を表現した音楽は、おそらく星の数ほどたくさんあるでしょう。あるはずです。

経験豊富な皆さんと違って、奥手の私が知っているのはたった3つしかありませんが、今宵は恥をしのんで、それらをご紹介しませう。

そのひとつはあまりにも有名なジェーン・バーキンとゲンスブール(ガンスブールと発音すべきだという御仁もいらっしゃいますが)とが、蝶々睦々ちんちんかもかもとからみあう、超悩ましい「je t’aime… moi non plus」(ジュ・テーム・モア・ノンプリュ)という極め付きの1曲です。

 

#1 バーキン盤

 

もういい加減にしろと言うても、きっとこの調子で朝までエクスタシーが続くのでしょうね。若さの勝利というも愚かなり。

なおこの空前絶後の「アヘアヘあえぎ」は、ゲンスブールのそれまでの恋人だったブリジット・バルドーと録音されていたのですが、バルドーは当時の夫を忖度して発売を拒否したためにお蔵入り。その代打で急遽登場したバーキン盤が世界中で大ヒット。
それが原因でゲンスブールはバルドーと別れたんだそうですが、なんとも羨ましいような話ですなあ。

 

#2 参考までにバルドー盤

 

お次のセックス音楽は、リヒアルト・シュトラウスの有名な「薔薇の騎士」の冒頭の音楽です。

物語の舞台はマリア・テレジア治下のウイーン。まだ開けられない深紅のカーテンの向こう、夫の不在の寝室のベッドで絡み合っているのは、妖艶な元帥夫人と青年貴族オクタビアンです。

いきなり指揮棒が一旋すると、管楽器の不協和音が鳴らされます。
高鳴るホルンの一撃は余りにも早すぎるペニスの勃起であり、次なる弦楽器の強奏は、成熟した年増女の「警告と教育的指導」です。

しばらく血沸き肉踊る猛烈な揉み合いが続いたあとで、全木管金管楽器がぐるぐり悲鳴を上げて咆哮するフォルテッシモは、17歳の若者のあまりにも性急で早すぎた射精であり、そこにすかさず分厚く覆いかぶさる弦楽器は、やむを得ず自分のエクスタシーを早めようとする元帥夫人の怒りを込めた焦り、なんですね。

やがてゆるやかに奏される序曲の終わりは、すなわちセックスの終わりとそれなりの性的満足の表明、なのでしょう。

R.シュトラウスの「バラの騎士」はカルロス・クライバー指揮のウイーン国立歌劇場またはバイエルン歌劇場による演奏。同じくカラヤン指揮のウイーン国立歌劇場またはフィルハーモニア管演奏のできれば映像付の録音がおすすめです。

 

#3

 

最後は、旧ソ連を代表する作曲家、ドミートリー・ショスタコーヴィチ(1906-1975)が、わずか26歳の若さで完成させた自由奔放なオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」です。

帝政ロシア時代の地方の富裕な商人(50代)の美貌の後妻、カテリーナは、23歳の若さと性欲をもてあましてもんもんと眠れない夜を過ごしていました。

が、その隙をついて忍び込んだイケメンの下男に犯され、よくある話ですが、あのチャタレイ夫人のように初めて性の燃え上がる喜びを感じて、いわゆるひとつの充たされた生活、を満喫するようになります。良かった、良かった。

しかし好事魔多しとはよくいったもので、2人の仲は義父に知られてしまう。
そこで追い詰められたカテリーナは、義父を毒入りキノコで毒殺し、出張から帰ってきた夫も、恋人と共同で殺してしまいます。(レスコフの原作では、もう一人少年も殺害するのですが、オペラではカットされています。)

やがて晴れて結婚した2人でしたが、「天網恢恢疎にして漏らさず」のたとえ通り、悪事が露見した2人は流刑地に送られ、なおも陰惨な悲劇が続くのですが、それはさておき、ここでの問題は、第1幕第3場における荒々しい性行為の音楽。
すべての弦と管と打楽器が荒れ狂う獣のように咆哮し悲鳴を上げるのです。

私はマリス・ヤンソンス指揮ロイヤル・コンセツトヘボウ管による2006年6月、アムステルダムはネーデルランドオペラ公演のライヴDⅤDで視聴しましたが、まさに阿鼻叫喚の激烈な強姦音楽です。(45分~47分あたり)

 

#4

 

どうしてこのように野蛮な、セックスむきだしの原始的な音楽が、当時のソ連で大好評をかち得たのか?
おそらくは人間は、昔も今もどんな社会体制にあっても、生きているからにはその性的快楽を全面的に肯定するほかないじゃないか、という原点を、初めて音楽で本気で描いたからではないでしょうか。

しかし残念ながらこの文字通り革命的なオペラも、当時の独裁者スターリンが見物した直後にソ連共産党の機関紙「プラウダ」で「荒唐無稽!」とこてんぱんにやっつけられ、それから20年後にショスタコーヴィチがその行き過ぎた個所をマイルドに削ぎ落とした改訂版を「カテリーナ・イズマイロヴァ」として世に送るまで、音楽史の暗闇に放置されるほかなかったのでした。

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第20回

第7章 由良川漁族大戦争~僕らは若鮎攻撃隊

 

佐々木 眞

 
 

 

翌朝、ケンちゃんは、朝ごはんに山崎パンのトーストに生協のイチゴジャムをてんこ盛りに塗りつけたやつを1枚と、ネスカフェ・ゴールドブレンドの熱いのを2杯おいしくいただくと、おじいちゃん、おばあちゃんに「ごちそうさま」を言って、自転車を軽くひとまたぎ。あっという間に由良川河畔へとやってきました。

川には、一面の朝霧が立ち込めています。そこへ、寺山の反対側にそびえる三根山からまっすぐに立ちあがった5月の朝の太陽が、由良川を一望しながら、慈愛に満ちた光を放ちました。

ところどころうす雲をぽっかり浮かべた大空に、一羽のひばりが、ギザギザの螺旋状の軌道を残して舞い上がり、しばらくお神酒に酔っ払ったような歌を唄っていましたが、すぐに、青空のどこかで自分を見失ってしまったようでした。

素晴らしい朝です。
次第に温度が上がってくるようでした。

ケンちゃんは、由良川漁業協同組合の会員でもあるおじいちゃんから借りた漁網を自転車の後ろから取り出すと、それを井堰の上流15メートルの所に仕掛けました。
由良川の全幅700メートルにわたって、人の眼にも、魚の眼にも、それとほとんど識別不可能な漁網を、おじいちゃんに教わった通りに、端から端までていねいに張り巡らしました。
普通のネットだと破れる恐れがあるので、特別素材を二重にバック・コーティングしてある超ハイテク製品です。

そして、左岸に1本だけ立っている大きな柳の木の根っこのところにポッカリ口をあけている、例の千畳敷の大広間に通じる秘密の入り口の手前のところだけは、わずかながらネットを掛けない隙間をつくっておきました。
つまり、左岸の隅っこのわずか30センチを除いて、由良川は完全に封鎖された、というわけです。

それが終わると、ケンちゃんは、柳の木の下の木陰に腰をおろして、おばあちゃんが特別につくってくれた沢庵入りの特大おにぎりを、おいしそうに平らげました。
そして掌にねばつくご飯を、川の水でごしごし洗っていると、メダカが3匹寄ってきて、ご飯粒をツンツンつつきながら言いました。

「ケンちゃん、ケンちゃん、そろそろ1時だよ。戦闘開始の時間だよ。さっきから若鮎行動隊がスタンバッてるよ」

――よおーし。

気合いを入れながら、ケンちゃんは、寺山を背中にして西郷どんのような格好で、すっくと立ち上がりました。
ケンちゃんは上半身はもちろん裸ですが、半ズボンの腰のところにベルトをつけ、ベルトにはてらこ先祖伝来の少しさびた脇差をはさんでいます。

気合いもろともその短刀を腰からエイヤッと抜きはなって口にくわえ、一瞬川面ににぶい光をきらめかせると、ケンちゃんは、柳の根方から、一気に由良川に踊りこみました。
ケンちゃんは、口に短刀をくわえたまま、由良川の中央最深部めざして、ぐんぐん泳いでゆきます。

まもなく綾部大橋の下にさしかかります。
橋の下には、由良川でいちばん速い魚、すなわち50匹のアユが、全員うすいピンクのたすきを掛けてケンちゃんを待ち受けていました。

みなさま、覚えておられるでしょうか。これこそ、去る4月23日未明、全由良川防衛軍最高司令官に就任したウナギのQ太郎が編成した、海軍特別攻撃隊でした。

昨年の冬、丹後由良の海で越冬し、ふたたび由良川にさかのぼって来たばかりの頼もしいアユたちが、ケンちゃんの日焼けした顔を見ると一斉に胸ヒレを4回、背ビレを3回、尻ヒレを2回、そして尾ヒレを1回振って歓迎しました。
これが由良川の魚たちの正式の挨拶の作法なのです。

知育・体育・徳育の3つのポイントで厳重に審査された、由良川史上最強の若鮎特別攻撃隊は、ケンちゃんを三角形の頂点にして、見事なピラミッド梯団を組みながら、由良川を毎時13ノットで遡行してゆきます。

ドボン、ザボン、ガボン
僕らは若鮎攻撃隊

死地に乗り込む切り込み隊
命知らずの若者さ

ドボン、ザボン、ガボン
僕らは若鮎攻撃隊

邪魔だてする奴はぶっ殺す
ナサケ知らずの若鮎さ

みんなで唄いながら進んでいくと、やがて由良川は急に深くなり、きのうライギョたちが、ホルスタインを喰い荒していた地点にさしかかりました。

ここが「魔のバーミューダ・トライアングル」と呼ばれる怪しい一帯です。
水は濁りに濁り、前方は、ほとんど見通しがつきません。

 
 

次号につづく

 

 

 

家族の肖像~親子の対話その25

 

佐々木 眞

 
 

 

お母さん、海の幸ってなに?
海の中のいいもののことよ。
さっちゃんの幸だよね。
そうよ。

お父さん、笑うと連佛さんは?
「耕さん、アホ笑いしないでね」って言うよ
ぼくアホ笑いしませんお。

お父さん、しっかり食べないと死んじゃうでしょ?
そうだよ。
死んじゃう、死んじゃう、死んじゃう

ニューバージョンてなに?
新しいかたちのことよ。

お母さん、ぼくマーガレット好きですお。
お母さんも好きよ。
マーガレットどこにありますか?
今は無いのよ。今度植えますか?
植えてください。

お母さん、あしたお赤飯にして!
分かりました。

お父さん、まっすぐの英語は?
ストレートだよ。
まっすぐ、まっすぐ。

ドキドキってなに?
ドキドキすることよ。
怖い?
耕君、怖いことあるの?
ないよ、ないよ。

お母さん、きわめる、ってなに?
めいっぱいやり尽くすことよ。

シブいってなに?
ちょっと塩っ辛いことかなあ。
(父)そうじゃないよ、カッコイイことだよ。
シブい、シブい、シブい

お母さん、ぼくこんどインドネシア行きます。
そうなの、行ってくださいね。

お母さん、感じるってなに?
こうだなあ、って思うことよ。
感じる、感じる。

お母さん、ほんま、ってなに?
「ほんとう」のことよ。

お母さん、ナナちゃん入院したの?
うん。
どこの病院?
フジノ町の病院だって。

お母さん、ぼく海行きたいです。
えっ、海?
今年も海行きたいです。
そうなんだあ、分かったよ。

お父さん、しまった、は失敗した、でしょ?
そうだよ。

お母さん、ありふれたは?
よくある、よ。

 

 

 

夢は第2の人生である 第58回

西暦2017年長月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

失業したので、再び東映でチャンバラのアルバイトを始めた。キラレキラレてとことんキラレ、最後は格別念入りにスローモーションで斬られるのは、私だけにできる得意技なのである。9/1

私は、その有名な大作家の代表作の有名な泣かせどころを何回も読んだのに、まったく泣くことができず、こんなはずではないと激しく困惑してしまった。9/2

ジュンちゃんに忘年会の幹事を頼むと、「幹事代はいくらですか?」と尋ねるので、「16万円の経費からいくらかちょろまかせよ」と答えると、口をとんがらかせて文句を垂れていたが、「お土産は河道屋のそばぼうろだよ」と言うと、ニコニコ顔になって引き受けた。9/2

苦心惨澹創意工夫の結果、とうとう「つねに空中歩行可能なスペースウオーキングシューズ」を完成したというのに、てんで売れないのは、いったいどういう訳だろう。9/3

今夜は酒池肉林の宴ゆえ、極上の美女と山海珍味に加えて、コンドームとバイアグラもさりげなくわれわれ参加者に提供されていたが、誰ひとり見向きもしなかった。9/4

東京の南北で、果物にシロップを入れる/入れないの違いがあることが判明したので、広場に集まった人々は、パパパパッパ/パパパパッパと手拍子を打ち鳴らして、この発見を喜び讃えた。9/4

今晩だけは、女たちを食卓から遠ざけておくようにという指示が出ていたのは、こじれきったクマさんと八っつあんの仲を、私らが取り持ち、和解させるためだった。9/5

フリーターの私は、金に困って天孫の末裔が誕生するや否や、素早く奪取する仕事を請け負ったのだが、いつまで経ってもその兆しがないので、とうとう諦めてしまった。9/6

母校で園遊会が開かれるというので、久しぶりに上京して、懐かしい級友たちと久闊を叙していると、突然一天俄かにかき曇り、雷鳴とともに猛烈なにわか雨が落ちてきたので、我々は着飾った同級生とともに、教育学部の古い建物に逃げ込んだ。9/6

サカモト君とサカイ君と3人で地下街に入ったところで、のろまな私だけがヤクザに捉まって難癖をつけられた。彼奴はボクシングの構えをしながら私のポケットに手を入れ、金を探りながら、「殴るぞ、殴るぞ!」と脅かすので、「たあすけてくれえ!」と私は叫んだ。9/7

バベルの塔、バブルの塔、バベルの塔、バブルの塔、バベルの塔、バブルの塔、バベルの塔、バブルの塔があ 9/8

ねうねうねうみやうみゃうみゃうねうねうねうみやうみゃうみゃうねうねうねうみやうみゃうみゃう 9/9

イデ君と林間空港に戻ってくると、出発便で食い損ねた朝食が、座席の前にまだ残っていたので、腹が減っていたから、食おうかと思ったのだが、3日目の物を食って食当たりをしてもつまらないので、全部捨ててしまった。9/10

路地の先に進んでいくと、お誂え向きの切腹の場所となり、一人の老人が、いままさに皺だらけの腹の皮に脇差を突き立てようとしていた。切腹は型通りに行われ、あっという間に老人の体はふたつになった。9/11

私が彼女を見放したものだから、彼女は敵に捉まって、行方不明になってしまった。9/12

お姫様は、庭の池に「万物の精」を浮かばせて、「それでは、わらわに何か頼みたい者は、あの精に手を触れながら念じれば、その思いは叶うであろう」とおっしゃった。9/13

山の上には、映画関係者が利用する素敵な別荘があった。サイトウさんの紹介でそこを訪れた私は、その年の夏をゆったりと過ごすことができた。9/13

牛乳を飲んで、しばらくしてから、それを胃から取り戻して、貧者に分け与える。それこそがわれわれが発見した一本で二度美味しい、一石二鳥の裏技だった。9/14

「さあシオリの尻をよく見てろ」、とその男が指差したので、シオリのお尻をじっと見つめていると、シオリのお尻の下から、黄金色の大判小判が次々に出てきたのでした。9/15

わが先輩は、リーマンになったばかりの私に、出張とはなにか、出張費とはなにか、その事務処理はどうするのかについて、噛んで含めるように丁寧に教えてくれた。9/15

いつも冷酷無比という定評のあるその紳士だったが、その日は、ちょっと普段と様子が違って、にこやかな顔をして、私たちに、御馳走を振る舞ってくれた。なにか魂胆があるのだろうか?9/16

詩を作ろうとしていたのだが、てんでできず、そのかわりに、短歌が5つ6つできたので、フェイスブックに投稿したら、鈴木志郎康さんだけが「イイネ」をつけてくだすった。9/17

「痛いの痛いの、とんでいけえ!」と叫んだら、本当に飛んで行ったので、調子に乗って「あの塔、倒れろ!」と叫んだら、本当に倒れてしまったので、調子に乗って「○○死ね!」と叫ぼうとしたが、そればっかりは、いかにも憚られた。9/17

私は三越との打ち合わせに出席していたが、突然同じ時刻に伊勢丹、西武、そごう、小田急とも打ち合わせすることになっていたことに気づいて、茫然自失してしまった。9/18

東野英治郎に似ている老パイロットが、高層ビルの最上階に住んでいるので、時々遊びに行く。窓からは山やくの字型に折れ曲がった大河、プールで泳ぐ人たちが見える。老パイロットは、改造した自宅のアトリエに格納している、最新型の小型飛行機を見せてくれた。9/19

老人のマンションの格納庫のとなりは、だだっぴろいフリースペースになっていて、老人は恵まれない子供たちを引き取って、この部屋でひがないちにち遊んで暮らしているそうだ。老人は、先月レントゲンを撮ったら、末期ガンで余命半年と宣告されたそうだ。9/19

彼は、時々ツアーを企画する。その飛行機に乗せた少人数の人々を、世界中の楽しいところ、面白いところにみずから案内するのだ。3か月くらいのワールドツアーだ。料金も格安だし、どうやらこれが最後のツアーになりそうなので、私は来月妻と参加することにした。9/19

あの著名な画家のハシモト氏が、一度ならず二度までも、おのが人生を投げ出して再出発したという話を聞いて、私は衝撃を受けた。あれほどの世界的名声をかち得た人物の生涯に、いったい何があったのだろうか。9/20

もしもあの権力の真空状態にあって、彼奴らが「我々は権力を掌握した」という声明を出しさえすれば、クーデターは失敗し、勝負はついていたのに、彼奴らは、それをするのを怠たるという致命的な失敗を犯したのであった。9/20

ここはどうやらLAらしいのだが、砂漠の町で開かれている映画の試写会に行くために、広場に止まっているタクシーに乗ろうとすると、法外な運賃をふっかけられて、はてさてどうしたものか、と悩んでいる私。9/21

ブルックナー野郎と、世紀の対決をする羽目になった私は、小田原海岸では、ブルックナーの1番2番3番野郎に挟み撃ちにされ、大礒では4番、茅ヶ崎では5番、6番野郎と命がけの戦いを繰り広げ、藤沢では7番、鎌倉では8番としのぎを削ったが、いよいよ横浜ベイブリッジを舞台に、交響曲9番との世紀の大勝負が始まろうとしていた。9/22

帰宅途中、地下鉄の構内から出たところで、武装した兵士に取り囲まれたので、とうとう内乱が始まったことを知る。私の後に続いていたリーマンたちは、もちちろん丸腰だったが、もはや誰何もされずに自動小銃でバリバリ薙ぎ倒されていった。9/23

父から1000冊の古本を譲り受けた私は、うち200冊をすぐさま魚雷に転換して、夜襲を仕掛けてきた敵の軍艦のどてっぱらに見舞ってやった。9/24

家老の青山大膳に頼まれて、若殿のお守役を引き受けたずぶの町人のわたしは、莫迦殿にえらく気に入られてしまったので、大膳の推挙で苗字帯刀を許され、あこがれの武士になることができた。9/25

町内の音楽鑑賞会で、マーラーの交響曲9番のCDをかけたら、聴いていた爺さん婆さんが、たちどころに牛や馬に変身したので、「なるへそ、これが音に聞く風馬牛か」と、ハタと膝を打った。9/26

横須賀湾の軍艦見物をしていたら、町内会の連中も同じ湾内周遊船に乗り込んできたので、私は最初から彼らと一緒だったような何食わぬ顔をしていたが、本当は後ろめたかったのである。9/27

その夜のレイトショーに行くと、曰くつきの女が待ち伏せしていて、前後左右でうろちょろするので、ゆっくり映画鑑賞を楽しむどころの騒ぎではなかった。9/27

3人の若い教師の発言を聞いた後、私は立ち上がって「本日は私の講義はありません」というと、3人は笑ったが、私は「教師こそわが天職なり」という思いで、胸がいっぱいだった。9/28

CMでアフリカのライオンの撮影があるから、良かったらどうぞと誘われて現地に赴いたら肝心要のコンテが出来ていない。あなたはプランナーだから今日中に作ってくれとスタッフに言われて大いに面喰っている私。9/29

遠い日本から遙々アフリカくんだりまでやって来たというのに目当ての美貌の母娘とはまだコンタクトもとれず、したがって週刊誌から頼まれた突撃インタビューも出来ないでいるのだった。9/30

世界最高珍味のひとつである極楽ジュースを、私は一気に飲み干した。こういうものは珍味だからと言ってあまり長く保存しておくべきものではないと熟知していたからである。9/30