最後の4つの歌~リヒャルト・シュトラウスの「白鳥の歌」

音楽の慰め 第7回

 

佐々木 眞

 
 

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誰もがシューベルトのように「白鳥の歌」を歌います。

松尾芭蕉の生前最後の句は、「旅に病で夢は枯野を駆け廻る」でした。
与謝蕪村は「しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり」と歌って死にました。
子規の絶筆3句は、「糸瓜咲て痰のつまりし佛かな」「 痰一斗糸瓜の水も間に合はず」
「 をとゝひのへちまの水も取らざりき」でした。

また時代を大きく遡って、「古事記」で大活躍するヤマトケケルノミコトの最後の4つの歌は次のようなものでした。

○倭(やまと)は国の真秀(まほろ)ば たたなづく青垣 山籠れる 倭し麗し

○命の 全(また)けむ人は 畳薦(たたみこも) 平群(へぐり)の山の 熊白檮(くまかし)が葉を 髻華(うづ)に挿せ その子

○愛(は)しけやし 我家(わぎへ)の方よ 雲居立ち来も

○嬢子(をとめご)の 床(とこ)の辺(べ)に 我が置きし 剣(つるき)の大刀(たち) その大刀はや

そして今宵わたくしが皆様にご紹介したいのは、リヒャルト・シュトラウスの「白鳥の歌」です。

リヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss1864~1949)はドイツの後期ロマン派を代表する作曲家で、リストの交響詩やワグナーの楽劇を華やかな技法をもって発展させましたが、戦後は第3帝国の音楽院総裁を務めるなどナチスとの悪い噂も取り沙汰され、あまり幸福な晩年とはいえなかったようです。

彼が死の前年の1948年に作曲した「最後の4つの歌」は「春」「9月」「眠りにつく前に」「夕映えの中で」の4曲からなっていますが、とりわけ私の心に迫って来るのは廃墟となった故国と老人の絶望を身を捩るようにして呟く「夕映えの中で」という昏い暗い歌曲です。

ヨーゼフ・フォン・アイヒェヘンドルフという詩人の言葉に、シュトラウスが曲をつけたのですが、これを吉田秀和氏の最晩年の邦訳でご紹介しましょう。

私たち、困苦と喜悦を切り抜け
手に手をとって やってきた
そのさすらいから 休もう
今こそ 静かな国の上で

あたり一面、谷は身を傾け
大気はもう暗くなってきた
ただ雲雀が二羽上へ上へとのぼってゆく
夢からさめやらぬまま 靄の中へ。

こちらにおいで、鳥たちには勝手に囀らせておけ
もうじき眠りにつく刻になる、
私たち、お互いはぐれないよう
この人気の全くないところで。

おゝ、広々と静かな安らぎ、
夕映えの中で かくも深く
私たち 何とさすらいに疲れたことか
もしかしたら、これは、死?
(吉田秀和「永遠の夜」より引用)

さあ、それではこの名曲中の名曲を、ドイツの名歌手シュワルツコップの独唱で聴いてみましょう。
伴奏はアッカーマン指揮フィルハーモニア管弦楽団、あるいはジョージ・セル指揮ベルリン放送交響楽団の演奏がお薦めです。

「最後の4つの歌」の最後の曲の最後の言葉「Ist dies etwa der Tod?」の問いかけが響きわたるとき、私たちの心もまた、地球最後の日の夕闇に沈んでいくような悲哀を覚えるのです。

 
 

 

 

 

吉増剛造著「怪物君」を読んで

 

佐々木 眞

 
 

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この世に、果てしなく外部へ拡散していく詩と、限りなく内部へと沈潜していく詩と、永久にその場所に佇む詩の三つの詩があるとすれば、吉増選手のこのたびのLineは、1番線からの衝動的発車だろう。

駅には電光表示板に「アリス、アイリス、赤馬、赤城、イシス、イシ、リス、石狩乃香、兎!巨大ナ静カサ、乃、宇!」という行先が電光表示され、怪物君は自家製のドローンかスペースシャトルのようなものに跨って、全世界から全宇宙の隅々までも軽やかに飛翔する。

ウッ、ウッ、ウッ! ワッ、ワッ、ワッ!

怪物君は、怪物くんかもしれないし、最シン・ゴジラかもしれない。
怪物君は、あの手この手の禁じ業、とっておきの奥の手を使って、喚きに喚く。
私たちは、怪物君から放射される無慮無数のLine攻勢を全身に浴びて、至る所で棒立ちになるだろう。

しかし孤独な怪物君は、私たちにいちいち応答を求めているのではない。
虚空に向かって彷徨しながら、ただラアラアと咆哮しているだけなのだ。

ウッ、ウッ、ウッ! ワッ、ワッ、ワッ!

これはいったい何なんだ?
タダのダダの言葉遊びか? 時代遅れのシュルシュルレアリスム?
それとも全地球詩緊急一時回想録?

東北の被災地に生きる人々やその記憶、オリーヴと白桃、阿弥陀仏と孝標女の対話などがアラエッサアサアとばかりに繰りだされてくるが、だからといって怪物君はそこに長く滞在する訳ではない。

ウッ、ウッ、ウッ! ワッ、ワッ、ワッ!

蜜を求めて花から花へと移る気まぐれな蝶のように、あちらこちらにフラフラ立ち寄りながら、限りなく自らを他物と他者に憑依する寄生虫怪物君!

ウッ、ウッ、ウッ! ワッ、ワッ、ワッ!

怪物君は、ひとたびは個我を放棄することによって、世界を無意味に彩る装飾の一部と化し、またしても壁画から飛び出して全世界を遊覧し、随所でコブラがえって痙攣し、股股情動しつつ、スペースシャトルのようにGo!Go!いくたびも発射台に立ち戻る。

「ひーひやら、何ぞ馬鹿囃子!」*
そう、「詩人は考ヘルまへに、歌ッていた」*
これが「おまえの一生ノ音楽だッた」*
それらは全部、詩人の寝息であったのかもしれないネ。

ウッ、ウッ、ウッ! ワッ、ワッ、ワッ!

「手を翳しているだけで、それでよい」*
「手を翳しているだけで、それでよい」*

ウッ、ウッ、ウッ! ワッ、ワッ、ワッ!

 

空白空白空白*は詩集からの引用です。

 

 

 

家族の肖像~「親子の対話」その9

 

佐々木 眞

 
 

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お母さん、ぼく午後海に行きますよ。
はい、分かりました。
お父さん、ぼく午後海に行きますよ。
分かりました。

お母さん、東幹久がねえ、比嘉さんに「お前なんかまだ早すぎる」っていったんだよ。
どこで言ったの?
「どんど晴れ」で。
そうなんだ。

お父さん、もう水色の電車走っていないでしょ?
どこの電車?
京浜東北線の古い電車
そうだね、もう走ってないね。
どっか遠くへいっちゃったでしょ。
うん、遠くへいっちゃったね。

京浜東北線に快速ができましたよ。
いつから
昭和63年からだお。

お母さん、ぼく快速急行、好きです。
どこの快速急行?
小田急ですお。

お父さん、新さいたま駅できたよね?
うん。いつできたの?
平成12年だお。

眞さん、近鉄ちょっと揺れるでしょ?
うん、ちょっとね。

お父さん、京浜東北線の快速、新橋は止まらないのよ。
えっ、そうなの?
神田は止まるのよ。
へええ、知らなかったなあ。

お母さん、「障がい者と共に生きる」ってどういうこと?
そ、それはねえ、お父さんやお母さんが、耕君のような障がい者と一緒に生きるってことよ。

お父さん、ぼく「悪いのはお前だ」って言われたよ。
誰に?
クワヤマ君に。
いつ言われたの?
昔ですお。

フルカワさん、病気になっちゃったの?
うん。
お母さん、フルカワさん、眼閉じた? 口も閉じた?
閉じましたよ。
私はフルカワさんです。
こんにちはフルカワさん。

お父さん、薬の英語は?
メディシンだよ。

お母さん、包丁出しておきましたよ。
ありがとう。

お母さん、里帰りってなに?
実家に帰ることよ。誰が里帰りするの?
ゆかりさん。

お父さん、ぼくが笑うと蓮佛さんは?
怒るよ。
ぼく、莫迦笑いしません。

お母さんは?
いま他の電話でお話し中。お父さんじゃだめなの。
グワアアアww

お母さん、うたがうってなに?
うそじゃないかとおもうことよ。

ジュンサイってつるつるだよね。
そうだよ。
ジュンサイ食べられるよね。
食べられるよ。

お母さん、日本生命ってなに?
会社の名前よ。

お父さん「千の風になって」って亡くなったときでしょう?
そうだよ。

ぼく、マルヤマさん怖いんですお。
怖くないよ。優しい人だよ。
怖いですお。

お母さん、ぼく、しあわせになります。
耕君がしあわせになってくれれば、お母さんなにも心配することないわ。
お父さん、しあわせの英語は?
ハッピイだよ
ぼく、しあわせになりますお。
しあわせになってね。
しあわせ、しあわせ、しあわせ。

 

 

 

夢は第2の人生である 第41回

西暦2016年卯月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

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会社の事務の人が今日でお別れだというのにその課の人が誰も誘わないので、一緒に食事をした。始めてちょっと話をしただけだが、優秀な人だと思った。4/1

僕たち3人の山岳兵はファシスト政権軍と戦っていたが、そのうちの1人が負傷したのでひとたびは見捨てて立ち去ろうとしたが、思い直して2人で山奥の隠れ場に退避し、彼の傷が癒えてから再び前線に立ちもどった。4/2

酒池肉林の限りを尽くしたあとで、この世の別天地のような桜花爛漫の国についた私は、紅白の桃の花を咲かせる1本の木の下で夢のようなひとときを過ごした。4/5

私の城に遊びにやってきたパバロッティの前で、私が彼のライヴァルであったドミンゴとカレーラスのLDばかり映し出していると、次第に怒りをあらわにして額に青筋が立ってきた。4/5

社食で昼食をとろうとしたら、ランチメニューが品切れで困っていたら、他のメニューの惣菜をかき集めて急遽新ランチを作るので、あと10分待ってほしいとアナウンスがあった。4/6

カール・ヘルムのジーンズを身に付けた私は、リングの上で黒人にヘッドロックされ息も絶え絶えになっていたが、シンヤ君がいたので、「今度LAに行ったら、ジーンズを2本買ってきてくれないか?」と頼んだ。

シンヤ君が「いいすよ。ブランドはなににしますか?」と聞くので、私は「ちょっと待ってくれよ。いまこいつをやっつけながら考えてみるから」と返事すると、それまで黙って話を聞いていた黒人が「やっぱりカール・ヘルムがいいんじゃにすか」というた。4/6

何ヶ月振りかで登校して、シンジョウ教授の教室に入っていったら、いきなり仏文和訳を命じられたので、目を白黒させて脂汗を流していると「キミは予習をしてこなかったんだな。そおゆう不届きな者は私の授業に出る資格はない。とっとと出てゆけ!」と激怒せられた。

これは私が悪かった。仕方なく退室しようとしたら、怪しい男が可愛い女の子と一緒に教室に入ってきた。
鈍く光るナイフを突き付けられて蒼ざめているのは、なんと私の昔の恋人ヨイコではないか。私はいきなりヨイコの腕を摑んで、教室の外へ飛び出した。

すると男も、あわてて私らの後を追ってくる。
私らはキャンパスの坂道を転がるように駈け下りて全速力で走ったが、男に追い付かれそうになってしまった。
あわやというその瞬間、ヨイコは持っていたバッグの中から財布を取り出し、ありったけのお金をばら撒くと、男は夢中になって拾い集め、それを自分のバッグに入れた。

そのすきに私らは全速力で逃げ出したが、しばらくすると、またしてもその男に追い付かれそうになった。あわやというその瞬間、ヨイコは持っていたバッグの中からiPhoneを取り出し、その場に抛り投げると、男は夢中になってそれを拾った。

そのすきに私らは全速力で逃げ出したが、しばらくすると、またしてもその男に追い付かれそうになった。あわやというその瞬間、ヨイコは持っていたバッグの中から六つ子おそ松君を取り出し、その場に抛り投げると、男は夢中になっておそ松君を追いかけ、やっと追い付くと自分のバッグに入れた。

そのすきに私らは全速力で逃げ出したが、しばらくすると、またしてもその男に追い付かれそうになった。あわやというその瞬間、ヨイコは持っていたバッグの中から一松君を取り出し、その場に抛り投げると、男は夢中になって彼らを追いかけ、拾い集めた。

そのすきに私らは全速力で逃げ出したが、しばらくすると、またしてもその男に追い付かれそうになった。あわやというその瞬間、ヨイコは着ていたジャケットを脱ぎ捨て、その場に抛り投げると、男は夢中になってそれを拾い、自分の身につけた。

そのすきに私らは全速力で逃げ出したが、しばらくすると、またしてもその男に追い付かれそうになった。あわやというその瞬間、Y子は着ていたセーターを脱ぎ捨て、その場に抛り投げると、男は夢中になってそれを拾い、自分の身につけた。

そのすきに私らは全速力で逃げ出したが、しばらくすると、またしてもその男に追い付かれそうになった。あわやというその瞬間、Y子は着ていた天使のブラを脱ぎ捨て、その場に抛り投げると、男は夢中になってそれを拾い、自分の身につけた。

そのすきに私らは全速力で逃げ出したが、しばらくすると、またしてもその男に追い付かれそうになった。あわやというその瞬間、Y子は着ていたスカートを脱ぎ捨て、その場に抛り投げると、男は夢中になってそれを拾い、自分の身につけた。

そのすきに私らは全速力で逃げ出したが、しばらくすると、またしてもその男に追い付かれそうになった。あわやというその瞬間、Y子は身につけていた黒いパンティを脱ぎ捨て、その場に抛り投げると、男が夢中になってそれを拾おうとしたので、私は思わずヨイコの手を離し、それを拾って素早く身につけたのだった。

ロンドンまで逃げた私たちだったが、執拗に追ってきたトランプ大統領の手下どもにとうとう捕まってしまった。古くて狭いパブに監禁されている私たちを助け出そうと大勢の支援者が駆けつけ、一緒に戦おうと言ってくれた。4/8

再び北海道への移住が許可され、私は12人の希望者のひとりとなった。別荘にはスウェーデン人の令嬢を同伴していったが、私は彼女に日夜精を吸いとられたために、ほとんど仕事にならなかった。

敵が放つ刺客の暗殺を恐れていた私は、いつも従者を私の身代わりにしていたのだが、或る日その従者が私の目の前で暗殺されてしまったので、世を儚んだ私は出家して仏門に帰依した。4/8

私はアイスクリーム店を経営して金儲けしようと、我が家の改装を業者に頼んだのだが、見積もりを大幅に値切ったせいか、カウンターがあまりにも高くて、お客さんの手が届かないために、せっかく店開きしても誰も買いに来なかった。4/10

せっかく田舎から上京してこの文藝本部を訪ねてくれたというのに、俳諧部の連中は全員銀行、いや吟行に出かけてしまったので、仕方なく私たち和歌部で対応したのだが、微妙なところで話がバルバロイになってお互いに消化不良に陥った。4/12

急に腹が痛くなって下痢しそうになった。急いでトイレに走ったが2人も先客が待っている。ようやく1人待ちになったが、こいつがなかなか出てこない。もう限界と思った時、ヒグマ君がボックスを揺すってそいつを抛り出してくれたので助かった。4/13

デスクに戻ると、黒板の左上に小さな字で「次期WHD担当は佐々木さんです」と白いチョークで書いてある。WHDっていったいなんだ? 私はなにをすればいいんだ? 誰かに尋ねようと思うのだが誰一人いない。4/14

2つの大都会の中間部の田舎の小さな町で、私は誰からも知られずにひっそりと暮らしていた。おそらくこのまま無名のままで地上から消え去っていくのだろう。4/14

なんとか教の宣教師は、その聖なる教えについて滔々と御託宣を並べ立てたのだが、私はその間じっと項垂れて、2筋に分かれて放水するオシッコをなんとか1本にまとめようと腐心していた。4/15

南太平洋の楽園に到着した私は、その島に上陸することになったが、旅の途中で荷物もバッグも財布も無くしてしまったので、この世の極楽と呼ばれるそのリゾートに着いてもてんで嬉しくなかった。4/17

すると落ち込んでいる私に同情したのか、1人の親切な島民が、南洋特産の極彩色の魚を呉れたが、その魚は「私を殺さないでください」とでもいうように、一度も目を閉じないで、じっと私を見つめているのだった。4/17

試写室を出ると知り合いのハーフの女の子がいたので、しばらく雑談した。十分に魅力的な容貌と肉体の持ち主だったが、無念にも私はあがってしまって、話の継穂が尽きたので「じゃあね、バイビー」と唐突に別れを告げた。4/18

それから私は、女と同棲していた高級アパルトマンの5階の部屋へ帰ろうとしたのだが、突然何年も帰っていない女房のことを、あの懐かしいみそ汁の味と共に思い出し、踵を返して元の古巣への道を辿っていった。4/18

その中国人は料理の達人で、空中からいきなり卵を取り出すと、美味しい卵焼きを即座に作ってみせた。4/19

会社で働いている私に、「電話ですよ」とギャルがいうので、受話器を取って「もしもし佐々木ですが」と喋るや否や、細かい穴から水が猛烈な勢いで流れ出し、オフィスはたちまち大洪水になってしまった。4/20

自称寛永生まれのオオサンショウウオお婆さんのピアノ・コンサートを聴いた。なんでもフジコ・ヘミングウェイというお婆さんの演奏があまりにも酷いので、それなら自分がちゃんと弾こうと思ったのだそうだ。4/20

思いもよらぬところで、偶然昔の恋人と再会した。聞けば離婚した後に再婚し、明日新しい亭主と外国へ旅立つという。私たちは恐らくもう2度と会えないだろうと思いながら軽く抱擁して別れた。4/21

「もしかするとあなたは「ここに1着のセーターがあります」という例のたとえ話を持ち出すんじゃないでしょうね」と彼女が言うので、私はまんまとその挑発に乗って「ここに1着のセーターがあります」で始まる、長い長いたとえ話を語り始めた。4/22

彼は昔は私と同じような貧乏人だったのに、最近どんどん金持ちになっていく。どうして?と尋ねたら「水道の蛇口からどんどん10円玉が出てくるので、それを貯めてお金持ちになったんだ」とその秘密を漏らした。4/23

CMは細く長く打つのがいいか、それとも資金のありったけを投じて一気に流すのがいいか大先輩のイマイさんに聞いたら、「そりゃ断然後者だよ」というので、私は朝から晩まで全局でCMを流し続けた。4/24

進駐軍に差し押さえてられていたオケが、ようやく解放された。指揮者がいないこのオケでコンサート・ミストレスを務める母は、久しぶりにコンサートができる嬉しさを全身で現しながら、上体と頭を激しくゆり動かしつつ音楽に没入していた。4/26

本日をもって競馬のジョッキーの世界から足を洗ったH氏は、心機一転料理学校に通うことにしたそうだ。4/27

バカ田大学の近所に住んでいた私が、朝早く駅に急いでいると、キャンパスに通学する無数の学生たちがワンサカワンサカ大河のように流れてくるので、私は身動きできなくなってしまった。4/29

長らく陰険な上等兵と2人で行動していた私だったが、ようやく上官から独立行動を許され、「アラン・ラッド似の謎の男を追跡せよ」という命令に従って、全国を流浪することになった。4/30

 

 

以下に「夢百夜」の未掲載分を追加します。

 

西暦2014年文月蝶人酔生夢死幾百夜

 

 

J.クルーの来秋冬シーズンのメンズのパンツのシルエットが、みんなサブリナパンツのように絞られいるので、驚いてデザイナーのエミリー・ウッズに修正するように頼むのだが、彼女はどうしても妥協しない。7/31

持っていた自転車の鍵を、東京駅の新幹線乗り場の改札口の機械に挿入したとたん、私は新大阪の駅に到着していた。7/30

水の上を浮遊する廃市を2日間流離っていた私は、なにも口にしていなかったので、そこで出された肉じゃが定食を、世界でいちばん美味しい料理として賛嘆しつつ頂戴したのであった。7/28

下水配管が集まっている場所に巨大なサッカー練習場があったので、ここでボールを蹴り合っていたら、四方八方から押し寄せる人々によって、私は王として戴冠された。7/28

素敵な小道をどんどん辿っていたら、愛らしい少女と出会ったので、私は彼女を家に連れ帰って寝た。

某重大事件の犯人を追う私は、2人の詩人の協力を得て知床半島のウトロの番屋までやってきたのだが、なんの手がかりもなかった。

政府の大号令で大舞踏会が開催され、老若男女が踊り狂ったが、それが終わると、「今後はいかなる歌舞音曲も慎むように」という命令が出されたのであった。7/26

最高級ホテルでのショーが真夜中に終わったので、私が北島君に帰ろうかと声をかけたが、「僕はもうちょっとここにいる」というので会場を眺めると、黒人のプロデューサーが、ショーに使われた衣装や小道具や高級車や時計などの小物を、全部お客に呉れてやっているのだった。7/25

私とある老人がSNSで好きなことを語り合っていると、今井さんが「そんな無駄話は即刻やめろ」と文句をいうので、「ここは死にゆく者のための空間なんですよ」と反論した。7/24

バラエティ番組に出ていた色っぽい女優が、「背中から尻尾が出ている友達をここへ呼んできてもいいかなあ」というので、プロデューサーの私は、「いいとも」と鷹揚に頷いた。7/23

車の運転は運転手にまかせ、後部座席で乳繰り合っていた私たちだったが、ふと前を見ると誰もいないので青ざめた。7/22

山澤君が操縦する蒸気機関車は、猛烈なスピードで展示会場に突入し、いろいろな障害物をなぎ倒しながら、壁に激突して、ようやく停止した。7/21

戦争が始まって徴兵されることになったので、まだ童貞で恋人もいなかった私は、いわゆる風俗へ行ったのだが、もはやその種のセックスショップは閉鎖されており、味気ない思いで営倉の門を潜ったのだった。7/19

古めかしい大劇場で、演劇を観ていた。はじめは全然詰まらなかったのだが、ようやく面白くなりかけてきたところに、突然大地震が発生、いまにも天井が崩れ落ちそうになったので逃げ出そうとするのだが、足がすくんで動けない。7/18

「「時は西方に流れる」という題名の映画の撮影に同行しませんか?」と誘われたので、私は妻と一緒に3ヶ月間全国を流浪する、ロングバケーションに旅立つことになった。7/17

その少女と関係するのかしないのかが、その場に居合わせた人々にとっての最大の関心事になってしまったようなので、私はおおいに戸惑っているのだった。7/16

激しく泣き叫ぶ声が聴こえたので、息せき切って駆けつけると、一頭の小象が、仰向けになってのたうち回っていた。7/15

足元にまとわりつくリトルピープルを蹴飛ばしても、蹴飛ばしても、まだくっついてくるので、私は疲労困憊してしまった。7/14

ぬばたまのお伝は、「お客さん、よってらっしゃい、みてらっしゃい、これはほんとに美味しいお酒ですよ」と巧みに客引きをしながら、じつはこえたごから汲んで来た汚ない水を売りつけているのだった。7/13

せっかく生まれ落ちても、この小さな蓮池では立ち泳ぎしていないとおぼれてしまうので、子供たちは、必死で手足を動かしているのでした。7/12

「空」派が勝つか「海」派が勝つか、という熾烈な社内闘争の結果、アトム衛星がC衛星を撃墜して後者が勝利を収めたので、私は初めて名刺を作ってもらえることができた。7/12

荒涼とした夜の街の広場で、息子はたった一人でなにか訳の分からない言葉を呟きながらうろついていたので、私は全速力で走り寄って、その太った体を両手で抱きしめた。7/10

私が撃った銃弾は6発であったが、あとで回収されたそれらは、条痕がくっきりと刻まれ、午後の陽ざしを浴びて、黄金色に輝いていた。7/10

戦闘中に気がつくと、心臓のすぐ傍を弾丸が貫通しており、夥しい血が流れ出しているので、私はいよいよ自分はこれで死んでしまうのだと初めて悟った。7/9

さる戦国大名の依頼を受けた私は、「ともかく兵に戦争を徹底的に楽しませ、てんでカッコよく死なせてやりませうヨ」と言って、濠の前面にお色気たっぷりのおっぱいの絵を描いたり、大砲の色をピンクにしたりしたので、次々に注文が舞い込んだ。7/8

恋人同伴でショウを見物に来たら、日隈君が「課長どういうつもりですか、このショウの準備は全部うちの課の担当なんですよ。それにもう1箇所イベントもあるし、一体どうするんですか」、とパニクッっている。7/7

「米国からばかりじゃなくて、英国からも借金しないと不公平じゃないか」と彼がいうので、私はまた新しい手土産を持って未踏の地雷原に分け入る羽目になった。7/6

私はナボホ族の女が呉れた旨そうな肉を口に含んだが、彼らが昨夜ヒュー族の男たちを虐殺するところを見ていたので、すぐに吐き出した。ところが仲間のペー公は私がいくら止めろといっても聞かずにムシャムシャ食べている。7/4

ナボホ族を征服させた私たちを歓待しようと、美女が美食を持ってきたが、私は前回の経験に懲りて、蒸しパンだけを口に入れたのだが、じつはそこにも殺されたヒュー族の男たちの肉が含まれていると分かったので、私は直ちに一族を皆殺しにした。7/4

「1500億円相当の秘伝の舞の奥儀を、特別に8000万円で教えてつかわす」というので、私がどうしようかと迷っていると、その名人は、「さあどうする、どうする」と、手に持った浄瑠璃人形を、私の顔にぐいぐい近づけるのだった。7/3

裏口から逃げだした私と彼女は、オートバイに乗った奴らに追いかけられたので、必死で逃げたのだが、とうとう追いつかれた。「ヤバイ、万事休す」と思われた瞬間、彼らは私を追い越して駆け抜けていった。7/1

 

 

 

西暦2014年葉月蝶人酔生夢死幾百夜

 

ベートーヴェンの「第9」を演奏することになった。基本的にはベーレンライター版に依拠しつつ、ブライトコプフ旧版の良さも取り入れ、いうなれば柔道の受身のような自然体の良いとこ取りで臨んだわけであるが、演奏は、それはそれは酷いものだった。8/1

街のどこかにある家の地下室に横たわっていたら、突然スポットライトが当てられて、誰かが「歌を歌え」というのだが、私にはそんな器用なことはできないので、いつまでも固辞してうだうだ言っている。8/1

どこかで時計が鳴っているので目が覚めたが、よく聞いてみるとそれはすだく虫の音だった。あんな金属的な響きはいままで耳にしたことがないが、けっして不快な音ではなかった。8/1

夜の弾丸配送列車での運送を依頼した3社に対して、私はその委託を急遽キャンセルしようとした。2社はすでに出発していたので間に合わなかったが、さいわい残る1社の弾丸列車は、まだ発車していなかったので助かった。8/2

頭が2つで体が1つの人間と、頭が1つで体が2つの人間がいた。
前者の頭のうちの1つは私の頭であったが、見知らぬ別の頭の持ち主との折り合いがつかないので、困る。
また後者の頭の裏表は、別々の人物の顔になっていて、その1つは私なのだった。8/2

頭の中のノートにマーラーの全交響曲の全楽章を書き出しながら、頭の中でその音楽を鳴らそうとしたが、全然だめだった。
考えてみれば楽譜を読み書きできない私には、はなからそんな芸当ができるはずがない。8/3

グラグラ自転しながら公転する巨大なお皿の上で、人形のジェロームとフラッシャーがうごめいていたので、はズドンと1発で仕留めてやった。8/5

閻魔大王による審判が終わった。
お情けで今生の思い出に1曲だけ聴かせてやるというのでジュークボックスのバッハを押したのに、流れてきたのはなんと「千の風になって」であった。8/6

ようやくパリの地下鉄構内に入ったが、ここでいきなり投石を受けた私たちは、やむをえずその正体不明の集団に対抗して石やゴミや棒を投げ返したので、そこらじゅうに血まみれの負傷者が続出した。8/7

2年前のリストラを上回るリストラをやらねば会社がつぶれてしまう、と思い込んで、私は出張をキャンセルして、本社への道を急いだ。8/9

リストラのことで頭がいっぱいになっていた私は、毎朝新聞の全15段広告を代理店に発注するのをすっかり忘れていたので、夜の街を疾走した。8/9

カタログ撮影の3人のモデルが上京してきたので、次々にものにしてやろうと思い、まず最初の女に手をつけたのだが、次の日になると誰が誰だかわからなくなってしまったので、もう手を出すのをあきらめてしまった。8/10

大儲けを企んだ投資に失敗して一夜にして資産を失ったオブローモフを憐れんだ婦人ソーニャは、一文なしの初老の男を彼女が経営する旅籠に招いた。8/11

そして彼女は、来る朝ごとに彼の部屋の窓から見える白雪の前庭に、さまざまな意匠を施した世界中の珍しい風景や花鳥風月、珍奇な見世物を、みずからの手で色彩豊かに飾り付け、傷心の男オブローモフを慰めた。8/11

会社の製品を上代の半額で社員現売して、大量に外部に横流ししている社員がいるとわかり、突如監査が入ったので、私たちは「俺じゃないぞ、俺じゃないぞ」と大騒ぎしていた。8/12

海底からにょろにょろと立ち上がるヒドラの2本の足を、私は自分の足でキックしながら撃退していたのだが、ヒドラはその攻撃の手を休めずにだんだん肉薄してくるのだった。8/12

私の好きな尾道のおじさんは、舟遊びが大好きで、東京湾にボートを係留している。8/13

おじさんと2人で山本橋を散歩していたら、おじさんが「ほら見て御覧、ほらほらあそこ」と指さしながら、夕暮れの運河に落ちてしまった。おじさんは毛皮の首巻きのついたコートを着たまま、浮き沈みしている。

ようやく岸壁に辿りついた尾道のおじさんに「あれはわざとおっこちてみせたんでしょう?」と尋ねたら、「そうじゃない、ずるずる滑り落ちてしまったんだ」と笑いながら答えた。8/13

大地震で海に落ちた2人の女の子は、すぐに元気を取り戻して、それぞれ2人の男の子から声をかけられたが、2人ともてんでその気はないのだった。8/13

菊池は作曲家だったので、ジャノメミシンに向かってある少女への思いを作曲しようとしたのだが、それほど彼女を愛しているわけではないことが分かった。8/15

私がやむにやまれず意思表示をするやいなや、官憲は「秘密保持法違反のヒコクミンめ!」と怒鳴りつつ私を拘束した。8/15

こんなド田舎の茶店などいつ潰れてもおかしくないというのに、私はルリマツリの花で覆われた土蔵に名人を招いて、連日連夜の連歌三昧にうつつを抜かしていた。8/16

引っ越し用の荷物を積む込むトラックがやってきたので、運転手に「これは物集高見の荷物なんだがね」と言ったが、知らん顔をしていた。8/17

首の入ったずだ袋をたくさん並べて風入をしていたら、捨てたと勘違いしたのだろう、誰かが全部持ち去ってしまった。817

一晩中窓を開けたまま眠っていたので、上弦の月が、私の額をいつまでも照らしていた。8/19

その大分限者は、太平洋を見はるかす大邸宅の3階に住んでいたが、ときどき私たちが住んでいる2階まで降りてきて、キョロキョロと様子を窺うのであった。8/19

かの有名なる彫刻家に頼まれて、彼の膨大な作品の複製を製作をすることになったのだが、考えてみれば、それで一生食いっぱぐれこそしないものの、自分の作品は作れそうもないので、意を決して断った。8/20

半世紀ぶりにマージャンをやることになった私は、いきなりチンイツトイトイドラサンイッパツツモバンバンで上がったのだが、この「バンバン」こそが我が国の高度成長の原動力となり、バタイユの生きる歓びであり、ベルグソンのエラン・ヴィタールであったことが初めて分かった。8/21

「象の飼育に必要な毎月の経費100万円は、ここから出してください」と言われた。私は金川氏の預金通帳を預かっているのだが、いつも残額がすれすれなので、ハラハラドキドキさせられているのである。8/22

また電通の岡田君が出てきて、「この広告の掲載誌は何部お持ちしましょうか?」と尋ねる。
彼は三越の社長の御曹司であるという噂があるが、本当だろうか?親とは似ても似つかぬ顔立ちと性格の人なのだが。8/23

私は日本人が大好きなアメリカ人だったが、大川のほとりを散策していたら、おばあさんが私に興味を持ったのかいろいろ話しかけてきて、とどのつまりは旧芭蕉庵の近所に下宿することになってしまった。8/24

部下の男女がヴェルサイユ宮殿で挙式するので、仲人を頼まれた私(景山民夫になっていた)が仕事を終えて駆け付けると、待ってましたとばかりにスピーチを指名されたのだが、いくら考えても2人の名前すら出てこないので、頭の中が真っ白になり、滝のような汗を流していると、ミンミンゼミが大きな声で鳴いてくれたので助かった。8/25

祖父小太郎の展覧会を開催しているという連絡があったので、はるばる駆け付けてみたのだが、だだっ広い会場に人影はなく、展示物は祖父に何の関係もないものばかりなので、私は途方に暮れてたたずんでいた。8/27

「憲法」という文字をどう「読み解く」かでいろいろな意見が出たが、「ケムンパス」と読むのが正解だと、全評議員の意見が目出度く一致した。8/28

世田谷のノッポビルで撮影があるというのでやってきたが、指定場所には定時になっても1人の女性モデルしか姿を現さない。
仕方なく色々話し合っているうちにすっかり意気投合して屋上へ行って抱擁、接吻したのだが、それ以上は許そうとしないのだった。8/28

大恐慌に突入したために、私が関係している5つの会社からすぐに連絡するよう急を告げる電報が届いていたが、私は全部ごみ箱にほうりこんで山本大介と一緒に銀座に飲みに出かけた。8/28

江ノ電の中で短歌新聞を読みふけっている少年は、腰越に住んでいることを、なぜか私は知っていた。8/29

暖房のないシカゴの鋼鉄ビルの最上階で凍えていた私を温めてくれたのは、春の女神アフロディーテだった。私らはことのついでに何度も愛し合ったのだったが、2か月ほどで別れてしまった。8/29

11時にパリのIRCAMを出て、そのレストランを探した。それと思しきレストランは街道に面して建っていたが、私は車から飛び降りることができなかったので、そこへ行くことができなかった。8/29

4年生になった私たちの別れの時がやってきた。在学中に有名になったデザイナー黒田信夫が、「1年生の時に、俺はこの日のために君たちのために黒いスーツを作ってやったことを覚えているかい?」と聞くので、そういえば黒い奇妙な服をもらったような気がしはじめた。8/30

なかなか電車が動かないので、私たちは駅のホームに降りた。大勢の子供たちが乗車口を出たり入ったりしていると突然ドアが閉まり、電車が動き出したために、何人かの子供は線路に振り落とされ、回転する車輪が彼らの頭や手足を切断していくのがはっきり見えた。8/30

田中陽子がブラジル国王に選ばれた瞬間、彼女の心身が、私に転位してしまった。そして次の瞬間、私は押し寄せる群衆の渦に飲み込まれてしまった。8/31

 

 

 

真夏の夜の夢

 

佐々木 眞

 
 

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ある日のこと、金に困って往生していたら学生時代の友人にぱったり出くわしたので、これ幸いと窮状を打ち明けたら「万事俺に任せろ」という。

友人はその場で茂原印刷の茂原社長に電話して、「いつものように、あれを印刷してやっとくれ」と頼んだ。

おいらが「あれって何だ?」と尋ねると、「ほら、これと同じ偽札だよ」と言って、本物そっくりの1万円札を見せた。

「2時間ほど経ったら、茂原印刷へ行ってみな。出来たての新品が100枚、首を揃えて待ってるぜ」というので、白山下まで行ってみると、果たしてその通りだった。

やった、やった、ヤシカがやった!

鬱から躁に舞いあがったおいらは、クラスのマドンナだったつうちゃんとまりちゃんを電話で呼び出し、久しぶりに酒池肉林の宴を開いたんだ。

そしてピン札で勘定して、ご祝儀に2人に10枚ずつプレゼントしてから、らりらりらあんと歌いながら帰宅したんだ。

ところが翌日のお昼ごろ、おいらは、突然土足で踏み込んできた刑事に叩き起こされた。

なんと、つうちゃんとまりちゃんが、今朝横浜銀行の窓口で、おいらの渡した万札を、別のお札に両替してくれと頼んだ、というのだ。

そこでおいらは、「だから良家の御嬢さんは嫌いだよ」とぼやいたが、後の祭りだった。

 

 

 

離脱せよ

8月の歌

 

佐々木 眞

 
 

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厭離穢土、欣求浄土
極楽証拠、正修念仏
離脱せよ、離脱せよ
ひとり限りなく遠くまで、行くんだ。

離脱せよ、英国。
離脱せよ、離脱せよ、英国。
EUから離脱して、ひとり限りなく遠くまで、行くんだ。
まだ誰も行ったことのない地平まで。

離脱せよ、沖縄。
離脱せよ、離脱せよ、沖縄。
日本から離脱して、ひとり限りなく遠くまで、行くんだ。
まだ誰も行ったことのない地平まで。

離脱せよ、ニッポン。
離脱せよ、離脱せよ、ニッポン。
米国から離脱して、ひとり限りなく遠くまで、行くんだ。
まだ誰も行ったことのない地平まで。

離脱せよ、わたくし。
離脱せよ、離脱せよ、わたくし。
私から離脱して、ひとり限りなく遠くまで、行くんだ。
まだ誰も行ったことのない地平まで。

離脱せよ、地球。
離脱せよ、離脱せよ、宇宙船地球号。
太陽系から離脱して、ひとり限りなく遠くまで行くんだ。
まだ誰も行ったことのない銀河の彼方へ。

厭離穢土、欣求浄土
極楽証拠、正修念仏
離脱せよ、離脱せよ
ひとり限りなく遠くまで、行くんだ。

 

 

 

夢は第2の人生である 第40回

西暦2016年弥生蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 

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かつて友人だった男が脳こうそくで倒れたので、その代理に私が呼ばれて、彼が復帰するまで、「名前だけの社長」を務めることになった。3/1

海水浴を楽しんでいたら、大きな箱がプカプカ浮かんでいたので、その上にイスと机を置いてくつろいでいたら、各国の軍艦が見物にやってきた。3/2

A男とB子が、私を銀座の料亭で接待してくれるというので、喜んで出かけたのだが、酒や料理はそっちのけで、やおら販促物のパンフレットを持ちだして、これについてなにか意見を述べろ、と強要する。

その口調が変なので、よく見ると、彼等はもう存分にきこしめてぐでんぐでんに酔っぱらっているのだ。こんな連中と打ち合わせなんて、とんでもない。「想定外のコンコンチキだ!」と捨て台詞を吐いて料亭を飛び出したが、2人はどんどん後を追ってくる。

瞬く間に追い付いた男の顔をよく見ると、なんと前の会社にいた日隈君ではないか。彼は「佐々木さん、そんなに大急ぎで逃げ出さなくてもいいじゃありませんか。せっかくあなたの昔の恋人を連れてきたのに、一言も言わずにほおっておくんですか」という。

じぇじぇ、それではあの酔っ払い女がそうだったのか、と思わずその場で立ち止まると、「ほおら、急に態度が変った。それじゃあ僕たち先に東京タワーに行っていますから、あとから来てくださいな」といいざま姿を消した。3/5

地下道ですれ違おうとした男が、いきなり私の腰に腕をまわしてエイヤとぶん投げようとしたので、そうはさせじとこっちも彼奴の腰に腕をまわしてナンノナンノとこらえているといつのまにか周りに人だかりができた。3/6

すると男は急に力を抜いて「いやいやこれは失礼つかまつった。ほんの冗談、冗談。許されよ、許されよ。アラエッサッサア」と言いながら一礼し、すたこらさっさと立ち去った。3/6

「私Adogの田村ですが」という電話が掛かってきたので、いったい誰だろうと訝しく思ったが、すぐに先週名刺を交換した取引先の女性だと分かった。

「なにかご用ですか?」と尋ねると「送って頂いた企画書の件で直接お目にかかりたい」というのだが、私はそんな企画書を送った覚えはないので、はてどうしたものかと思い悩んだ。3/6

小高い丘の上で黄揚羽と戯れながら巨大な水色の蝶が飛びまわっている。翅の色はクスサンに酷似しているがこれはこれは新種の揚羽に違いないと確信した私は、薄絹の採集網を一閃してそれを捕獲し、部厚い胸部を一気に押して窒息させた。

まだ生温かいその大きな蝶を三角の硫酸紙に折りたたんでいたとき、私は突如急な便意に襲われたので、三角紙に包んだ蝶をその場にそっと置き、近くの草むらで用を足してすぐに戻ったが、それはどこにもない。いくらあちこち探しても、影も形も見当たらなかった。3/7

大阪のデザイナーたちは「東京のデザイナーなんか最低。なんとかしてください」とみんな声を揃えて新社長の私に言い付けるのだった。3/7

私は超多忙だった。まず所属するカルテットの演奏会が目前に迫っていたが、委嘱した新曲がまだ出来あがっていないから練習さえできないでいたのである。3/8

次に新雑誌の創刊号に64ぺージももらっていたのだが、その中身をどうするのか何ひとつ決まっていなかった。最後は自分が監修するふぁちょんブランドの次期シーズンのデザインがノーアイデアだった。

にもかかわらず月日は矢のように飛び去っていくので、私は仕方なく3つ目の仕事部屋全体を大きな布で覆って外から見えないようにしたので、まったく気にならなくなった。3/8

「只今から26種の植物の植え込みを行います」と宣言したサトウ君は、私の弁当箱の中に無秩序に散らばっていた多種多様な苗を、26の棚田のように整然と区画整理して綺麗に植えこんだので、みんな拍手喝采した。3/9

25歳の処女の大活躍の御蔭で、宿願の用水が切り開かれたのだが、不幸なことに彼女の過去の罪業が暴かれ、逮捕監禁されることになったが、「功罪相半ばする」と判定されたので、無罪放免されることになった。3/10

ふと周りを見渡すと、第1章に出てきたサーカスの親子と、第2章で登場したじいいさんばあさん、第3章でSMに耽っていた男女がいずれもこの巨大な木の下の青い草の上で憩うているのだった。3/11

彼が起きると朝の7時半で、女も起き上ったが、彼は「疲れただろうから、君はもっと寝ていなさい」と言い残してベッドを離れた。3/12

私たちが乗った世界一大きな風船が、熱帯夜の赤道上空に差し掛かったので、窓を開けると月の光と共にわずかばかりのそよ風が吹き、極彩色の鳥が舞い込んできた。3/13

どういう風の吹きまわしかアレがだんだん硬くなってきたので、「オオ、イイゾ、イイゾ」と驚いて様子をみているうちに、やっぱりみるみる凋んでいった。3/13

燃えるゴミ、燃えないゴミのほかに、燃えるか燃えないか分からないゴミがあるので、我が家では3番目のカテゴリーを新たに設定して、土曜日に出したのだが、市役所のゴミ車は引きとってはくれなかった。3/14

わが社が冷果会社を吸収合併した途端、トランプにそっくりの顔をした社長が、「すぐそこにオフィスを作って仕事をしろ」というので、氷と氷の間にブースを作って、イヌイットのような生活をしている。3/15

私はその大学の寄宿舎に住んでいたのだが、ある日同級生の山口君が「君の誕生日はいつだ」と聞くので「じつは今日なんだ」と答えると、「それは目出度い。実は私の映画俳優の伯父も今日が誕生日なんだ。今から連れてくるからここでお祝しよう」と行って出かけたきり、いつまで経っても帰ってこなかった。3/16

うちの事務所は新進気鋭の男女の作曲家を抱えているのだが、いくら新曲を書いても楽譜出版や演奏の見込みは皆目ないので、ここ10年間は演歌の編曲でなんとか食っていた。3/17

その時大きな幕がざっくりと切り開かれて蒼ざめた馬が嘶き、地は大きく震えたので、我われは「第7の封印」が解かれたことを知った。3/18

野球賭博をやったと噂されている巨人の生意気な若手選手が、バッターボックスに出て来たので、大きく振りかぶった私が、顔すれすれのビーンボールを投げると、彼奴はバットを投げ捨てて、ダッガウトへ逃げ出した。3/19

私は役満の「九連宝燈」をてんぱっていた。たぶん9面待ちだと思うのだが、もしかするとそうではないかもしれない。そう思うと額に脂汗が玉のように滲みだし、馴染みの雀荘に居たたまれずに逃げ出したくなるのだった。3/19

私が要塞に入って最初にしたことは、3.7インチ高射砲の砲身に右手で触ることだった。私は、手に入れたばかりの自分の武器を、自らの手で触れて確かめたかったのだ。3/19

夜になると7時間立哨せよと命じられたが、だんだん眠くなってきた。立ったまま眠っているとオオカミに喰われるので、私は皆と同じ寝袋に潜り込んで朝までぐっすり眠ってしまった。3/19

私は原子炉だが長い間使われていなかったので、技術者が恐る恐る「出力は30ぐらいでよろしいでしょうか」と聞くので、「大丈夫、とりあえず45までならいけそうだよ」と教えてやると、嬉しそうな顔をして「では、どうぞよろしくお願いします」と頭を下げた。3/20

本邦の代表的なテノール歌手は、先日の健康診断でガンの宣告を受けたにもかかわらず
昨日はモザール、今日はバッハ、明日はヴェルディを国立劇場で歌うことになっているというので、すぐに手術をするように勧めたが、ガンとして言うことを聞かない。舞台で歌いながら死にたいそうだ。3/22

5年前に会社を辞めた吉田君が突然やって来て、「ただ同然の値段で高級別荘地が手に入るから、いますぐ現地へ行きましょう」とせっつくので、「いまから会議があるんだ」と断ると、「この絶好のチャンスを逃したらもう二度と手に入りませんよ」となおも勧誘する。3/22

某国の宰相に良く似た男が暗い部屋の中にいたので、私は静かに背後に回って彼奴のそっ首をかいた。3/23

「戦争が始まったので、今日からネットの物販はできなくなる」と通達にやって来た役人が、たまたま昔の部下だったので、私はぎりぎりで「しきみ」の実を買うことができた。3/24

ジェームズ・ボンドの私は、新幹線が停車している高架線路の下にあるカフェでコーヒーを飲んでいたのだが、誘拐犯がドアを出て線路に降りた瞬間に立ちあがって、マグナム弾を連射すると、そいつはあとかたも無くなった。3/26

小泉首相は、閣議で立憲主義てふ言葉をこの国から追放しようと演説しただけではなくて、実行したのであった。3/27

せっかく寄席に行ったのに、誰一人客が来ていないので、私は万やむを得ず高座に上がって、自分自身のために一席伺う羽目になってしまった。3/28

いつまでも胸に秘めているのが心苦しくなってきたので、私はこの絶好の機会にむかしむかし黄色い花のような連中を殺してしまったことを告白した。3/28

さすが日本を代表する大手メーカーの大展示会だ。広大な空間をフルに生かした様々な物販ブースが何百と設営され人だかりができている。私たちもすぐに入場したいと思ったが、なんせ招待状を持っていないからどうしようもない。3/29

必死でもぐりこむ口実を考えていたら、O社の吉田氏が通りかかったので、これ幸いと大声で呼び止め「吉田さん、吉田さん、ちょっと中へ入れて下さいよ。生憎記者招待券を社に置いてきちゃたんで困ってるんですよ」と頼み込んだ。

すると吉田氏は「なんだ佐々木か。お前なんか、ウチの社にとってなんのメリットもないからなあ」と嫌みを言うので、「おや、そんなことないですよ。なんならおたくがいま喉から手が出るほど欲しいものを言ってみなさいよ。たちどころに希望を叶えてあげるから」と返した。

すると吉田氏は声をひそめて「じつは渋谷の専門店百貨店情報が入ってこないんで弱ってるんだ」というので、「なんだ、そんなこたあお安いご用ですよ。手元に渋谷流通協会の報告書が手元にあるんで、よろしければお貸ししますよ。リース代はお任せしますから、そちらで適当につけてもらえばいいですよ」というと、吉田氏はこちらへすっ飛んできて中へ入れてくれた。3/29

L社の宣伝部へ行き、次シーズンのテーマを尋ねたらアリゾナ州のイメージだという。アリゾナ州のどんなイメージなんですかとまた尋ねたが、ただ「アリゾナ、アリゾナ」とオウム返しに答えるだけで、具体的な内容がある訳ではないことが分かった。

「だいたいアリゾナ州ッってどこにあるんですか?」と聞いたが、それすら理解していないようなのであきれ果てた。「いったい誰がそんなテーマに決めたの?」と尋ねたら、カンという人物だという。

「カン氏はどこにいるの?」と聞いたら、「あそこです。あそこでふんぞり返っています」というので、見るとどこかの国の官房長官そっくりだったので、私はカン氏には会わずにL社を出た。

L社を出たら、そこはアリゾナ州だった。見渡す限り荒涼とした砂漠が広がり、風がヒューヒュー吹きすさんでいる。ふと見ると大勢のインデイアンの子供たちが私を取り囲むようにして迫ってくる。

怖くなった私は彼らから逃れてどんどん高い山に登っていくと、円陣を組んだリトル・インデイアンたちもどんどん私を追って高い山のてっぺんまで登ってくるので、困ったなあ、どうしようと立ち往生していると大正時代の着物をきたおばさんたちがやはり円陣を組んで、リトル・インデイアンたちの円陣にまともにぶつかっていくので、「嗚呼助かった」と喜んだ私は、その間に沖縄の亀甲墓のような建物の中に入り込んだ。ここならきっと安全だろう。3/30

ウイキで「第9」を検索すると、直ちにその男の猛烈に下手くそな「おお、フロイデ!の野太い一声がユーチューブの映像で出てくるのだが、その下手くそさが並外れているのであっという間に世界的な人気を博し、近々ベルリンフィルに呼ばれるそうだ。3/31

 

 

 

*「夢百夜」の過去の脱落分を補遺します。

西暦2014年皐月蝶人酔生夢死幾百夜

 
 

京の町を散歩していたら「はい、鉄板誕生400年記念日です」と言われて、誰かに写真を撮られてしいまったが、あれはいったいどういうことだったんだろう?5/31

ボーカルとギターの双方が、おのれが目立とう目立とうと競っていたので、私が謡と三味線と笛太鼓の演奏を聴かせると、2人とも黙り込んでしまった。5/30

「お客さん、どうせなら年増より初々しい少女のほうがよろしいでしょ」と、番頭は卑猥な笑いを押し殺しながら、珍客である私への人身御供を吟味しているのだった。5/29

いちおう胸の彫りものは終わったはずなのだが、私が「どうも龍のデザインがいまいちすっきりしないな」というと、彫師は「そうでやんすか。もう一度あっしが零からやり直しやしょう」と胸を叩くのだった。5/29

「東京を出て大阪に行かむとする者は神戸をめざすべく、仙台をめざす者は岩手をめざさざればついに大阪、仙台に到る日はあるまじ」と、或る者したり顔に語れり。5/28

私が小説の中で「「ドアンゴ」という名前の車は、漫画みたいなふざけた命名でよくない、むしろ安吾にすべきだ」と書いたら、その会社の社長から「よい案なので早速改名します」と電話があった。5/27

真夜中にバッハの「主よ人の望みの喜びよ」が2回鳴ったので、いつもの無言電話かと思って放置していたら、3回目にまた鳴って、それは渡辺さんのご主人が、たったいま湘南鎌倉病院に救急車で運ばれた、という電話だった。5/26

水道の水で乾き切った喉を潤し、ようやく元気を取り戻したので、再び元の道を南に向かって進む。行けども行けども誰にも会わない。やがて陽が沈み、空がゆっくりと黄昏れると、道はふっつりと消え去り、深い暗闇の奥底に私は取り残された。5/25

自転車に乗ってどんどん進んでいく。どこまで行っても道路に車はない。道路も周囲も行けども行けども無人である。はらっぱの向こうに一軒屋がみえてきた。平屋の一間に入ると真ん中に囲炉裏の灰穴があったので、私はそこで用を足した。5/25

水辺の別荘のすがれた庭で、私たちはふぁっちょん広告の撮影をしていた。その別荘の持主の老人が、ノーメークでモデルとして出演したのだが、モノクロ写真がかえって人物と風景に深い陰影を与えていた。5/24

その顔をよく見ると、知り合いの大辻嬢だった。彼女は養父の暴力と抑圧をうけて念願の巴里留学の夢が絶たれようとしていたので、私は無償の留学制度があることを教え、身元保証人になってあげるから早く旅立て、と助言したのだった。5/23

私が講演代を半額に値切ったことをまだ覚えていたらしく、ぶつぶつ文句を言う掘氏に別れを告げて、半島の小村の市場へ行くと、魚や野菜が信じられないような価格で並んでいたので、私がどんどん手にとっていると、レジの女性が大きな袋を貸してくれた。5/23

雨宮さんの家は、しろつめ草が茂る広大な丘陵の中にあり、放牧された牛たちがのんびりと空ゆく雲をながめていた。私は彼の奥さんと子供の3人ずれで、その大草原をこころ行くまで散歩するのが常だった。5/22

海外勤務員がなんだか落ち込んでいたので、「君の日記をネットで全世界に発信すれば、面白く読んでくれる人がきっといるはずだよ」と慰めると、次第に元気を取り戻して、「そうでしょうか。ぼくやってみます」などと口走るのだった。5/21

売上不振のこの会社にあって、他の誰もリストラされないのに、なんで販売課の課長の俺だけが指名解雇されるのか。しかも過去2カ月は抜群の売り上げを誇っているのに、と激しく怨みながら、私はノサップ岬の白い波頭を眺めているのだった。5/20

私は愛する少女のためにそのミュージカルをつくり、そのラブソングをつくったのだが、彼女はそんなこととはついぞ知ることなく、涙を流しながら、千秋楽まで毎晩主題歌を絶唱したのだった。5/19

「なにゆえ短歌」というネットでやっている怪しい短歌制作の試みを、授業でもやっていたら、教室の中に得体の知れない老若男女がおしかけてきたので、女子大生たちはきゃあきゃあ悲鳴を上げながら逃げ出した。

「般若のお辰」が迫ってきたので私は驚いたが、お面の奥から昔の女の顔が出てきたので、また驚いた。原宿でお茶していると、隣の席に嫌な女が2人座っていてしきりに私らを窺うので、急いで店を出て彼女のマンションへ行った。5/16

そのひとは、かつてはヘレン・ケラーのように偉大な人物として慕われていた。老いてアルツハイマー症を患ってからは、ほとんど昔日の面影は失われたにもかかわらず、若き日の美しさと冒しがたい気品がかすかに漂っているのだった。5/15

「ドスコイ、エンヤコラショ、おいらの掘った左の穴は、直径100×100」とシコを踏んだ途端左足のふくらはぎが攣った。ようやく回復したので、「ドスコイ、エンヤコラショ、おいらの掘った右の穴は、直径100×100」とまたシコを踏んだら、今度は右足が激しく攣った。5/15

私は巨大な蜂の巣のような巨大な穴の最低辺で働いていたので、遥か上方を見上げると大小いくつのもシャンデリアがさんざめいて、とてもここが地獄のような労働工場とは思えないほどだった。5/14

「ちょっと口を開けてくれませんか」と歯医者が言うので、言われるがままにしたところ、彼はいきなり麻酔注射をぶちかまして、予期せぬ大手術が始まったのであった。5/13

クリークを渡ろうとしたら、底には巨大な2匹の白蛇がうねっている。仕方なく側面をつたって前進しようとしたのだが、そこにも白魚のように白い無数の子蛇たちがうねうねダンスを踊っているので、さてどうしたものかと私は考え込んだ。5/12

プラクシートという所で世界演劇祭が開催されているというので、そこへ行こうと思ったのだが、いくら調べてもそんな名前も地名も出てこないので、私は途方に暮れた。5/11

日露交渉の日本側の通訳を担当することになった私は、プーチンを担当するロシア側の美貌の通訳官と恋に落ちてしまい、業務などそっちのけで愛を交わしていたのだった。5/10

3Dプリンターで拳銃を作ろうとしていたら、みょうちきりんな男が出てきて「シュウダンシジェイエイケングア」どうしたこうしたと言っているので、削除しようとしたが出来ない。仕方なくプリントアウトした奴を、危険物塵出しの日に出した。5/9

私はローバーミニに4人の外国人の女をぎゅうぎゅうづめに詰め込んで、逃走を続けていたが、それは彼女たちを、アフリカの偉大なる王への貢物にするためだった。5/7

野茂になった私は、捕手はもちろん監督の言うことなどもまったく聞かないで、勝手に剛速球を投げ込んでいた。それが墓穴を掘ることが自分でも分かっていたにもかかわらず。5/6

私は原稿を書いている時間が無いので、やむをえず生まれて初めての口述筆記を試みたのだが、私の秘書の男は(こいつはバカ殿のどら息子だった)、それについていくことができず、いたずらにドラエモンの漫画を書き散らしているのだった。5/5

その黒人の牧師は、説教を始める前に聴衆に向かって「まず喫煙をやめるように」と警告したが、聴衆がその指示に従ったのを知ると、「説教代は消費税込みで20.8ドルだ」と言い放った。5/4

息子が何度も「お父さん、すぐに食器を洗ってくださいね」と頼むのだが、パソコンに向かって仕事をしていた私が生返事ばかりしていると、彼は突然怒り狂い、地団太踏んで暴れ出した。5/4

「白いドレスの女」という映画について私が書いたコラムについて、それが国家情報局のビッグデータに収蔵されているデータとの整合が取れていない、という理由で文句をいわれた。そもそも題名からして違っているというのである。5/3

あの日私は、下から押し寄せてくる水をものともせずに、机の位置を少し高い場所に移動して、下からどんどん届けられる荷物を次々に処理して、普段通りに夕方帰宅したのであった。5/2

来年度の予算を立てている村田マネージャーが首をひねっているので、「消費税が上がったから困っているんでしょう?」と水を向けると、そうではなくて「盆踊りの経費をどうしても捻出できないので弱っている」というのであった。5/1

 
 
 

西暦2014年水無月蝶人酔生夢死幾百夜

夢は第2の人生である 第19回 西暦2014年水無月蝶人酔生夢死幾百夜

 

 

「あまりにも多忙だったので、パンフレットの文字校正をする余裕がなかったのです」、と若者たちは、懸命に弁明するのだった。6/30

私たちが運営しているNPO法人は、今年は赤字のはずだのに、なぜか50万の黒字になっているので、調べてみたら安倍蚤糞という会社から350万円の寄付があった、ということが分かった。彼らは水面下で税金をばらまいているようだ。6/29

その謎の電話会社は、先住民に誘拐された一家の悲劇を、隠喩だか、暗喩だか、モチーフにしているという噂があったので、私以外は加入していなかった。6/26

「これは陰茎ではなく、イチジクの形をした肥料なのです。原料は花のエキスなので舐めると花のキャンディにような甘い味がしますよ」と、そのセールスマンはイチジク浣腸をぶらぶらさせた。6/26

地下のスタジオでカモラマンと一緒に撮影をしていると、役員室から尾上理事長が降りてきて、「このパンフレットには違う判子が押してある」などと、じつにくだらないイチャモンをつけたために、撮影は中断のやむなきに至った。6/25

夜の海の奥底には、無数の深海魚がひめやかに泳ぎ回り、その隠微な世界は、波の上からのぞきこんでいるだけでは、到底伺い知ることができない。6/24

停車中の電車に乗り込むと、大学の演劇部の仲間たちが、座席にすわっている乗客たちを次々に殺しているので、恐ろしくなった私は、電車から飛び降りて線路伝いに逃げだした。6/23

独り暮らしをしているマンションで家政婦を頼んだのだが、火はつけっぱなし、水は出しっぱなしで、部屋中が水浸しになってしまったので、すぐに追いだした。6/22

もののはずみで誰かが「こんな会社辞めてやる」と言い出し、まわりの連中も「我も我も」と続いたので、ブラックプレジデントの私は、「本当に辞めたいなら、人事課長の中沢君か係長の内田君に届け出なさい」と言うた。6/21

夢の中なので、いくらお金を借りようが使おうが関係がないということにようやく気づいた私は、それこそ夢中になって欲しかった高価なあれやこれやを、どんどん手中に収めていたのだが、ふと「夢から覚めたらどうなるのか?」と心配になった。6/20

私はAに金を貸した。その金をAはBに貸した。しばらくしてAは、「Bが行方不明になった」と私に告げたが、おそらくそれは嘘だろうと思いながらバイトを続けた。6/19

私は、息子が私のお金を無断で持ち出したことを知っていたが、なにも言わなかった。しばらくして金庫を覗くと、そのお金は元に戻っていたので、息子が返したことが分かった。6/19

地震警報が発令されたので、私らは間もなくやってくる津波にそなえて、各戸に1個ずつ配布されている大きな浮輪を膨らませようとしたのだが、慣れない作業ゆえに捗らず、焦りまくっているうちに、それは襲ってきた。6/17

客がギネスばかりのんでいるロンドンのパブで、私はノンアルコールのビールを頼んだはずなのだが、それはいつまで経っても運ばれて来なかった。6/16

彼らは男ばかり数名で共同生活をしているようだった、ノノヘイが病気の時はセキノが、セキノの具合が悪い時はスギザキが代わりに仕事に出て、お互いに助け合っている姿が好ましかった。6/15

東京を逃れて京都にたどりつき、熊野神社あたりで学生相手の一膳飯屋を物色していたのだが、唯一の女性である前田嬢が「これは嫌、これもダメ、ちゅうちゅう蛸かいな」と文句ばかりつけるので、いつまで経っても昼飯にありつけない。6/14

世の中が戦争一色に染まって来たので、もう黙っているしかないといったんは思ったのだが、あまりに酷い事態を迎えつつあるので、最後の科白を言おうとした途端、突撃兵たちの集団に飲み込まれてしまった。6/13

私が率いる1個小隊は、東に向かっていたのだが、西からやってきたわが軍団の大波にのみ込まれてしまったので、みな三八銃を抱えたまま、ちりじりばらばらになってしまった。6/13

「これからはワンショットごとに消費税を掛けることになった」というので、念のために撮影済みのフィルムを調べてみると、確かに映像毎のすぐ後の黒いフレームには「消費税8%」と書きこんであった。6/12

私は息子を海につれていって泳ぎを教えようとしたのだが、彼は親の言うことは全然聞かず、しばらく放置していたら独りで沖合まで行って勝手に泳いでいるのだった。6/11

塹壕戦に従軍していた私らは、指揮官が全軍突撃を命じたので、三々五々前面の狭い砲撃口から外へ出ようとしたのだが、そもそもそこが狭すぎるうえに、銃や背中の飯盒が邪魔になって、押し合いへしあいするうちに全てが終わった。6/11

プロレスの八百長試合で、私が「ハイ」と声を掛けると、甲が乙に業を掛ける段取りになっていたのだが、んなこたあすっかり忘れて試合を見物していたために、試合はそのまま終了してしまった。6/10

最新のメンズ市場の販売動向を中島選手が延々とレポートしている間、僕たちはねんねぐーしたりあらぬ空想にふけったり、どうやって借金を返済するか算段したりしていた。そして僕たちはこういう時間こそはリーマンにとって至高の時であることを知っていた。6/9

大勢の兵隊を乗せた巨大な軍用列車は、なぜか線路から浮かんでしばらく空中で静止していたのだが、突然呪縛が解けたように汽笛を鳴らして疾走し始めたので、兵士も群衆も鳥も喜んで叫んだり鳴いたりした。6/8

洗濯物を家の外に干しておいたのだが、いつの間にやらそれが道路に落ちてしまって、その上をたくさんの車が轢き過ぎていくのだった。6/8

苦心惨憺の末に1枚1面当たり3時間の長時間超高音質安価LPレコードの開発に成功した私は、CDの音の暴力に悩まされ続けていた全世界のクラシックファンから感謝されただけではなく、一躍大金持ちになってしまった。6/7

死刑囚の私の首の上からシューっと唸り声を上げてギロチンの刃が落ちてくるのを聞きながら、私はそれが初めてではなく、いままでに幾たびか経験していたことを思い出していた。6/6

戯れにガイガーカウンターを買った私が、自分の体や周囲の家具や植物などにそれを向けると、物凄い音響を発してガアガア、ガアガアと唸り続けるので、私は思わずそいつを取り落としてしまった。6/5

プロデューサーは、私が演出する番組の視聴率が悪いのを気にして、あれやこれやの提案を口にするのだが、私は昆虫の名前はすぐに覚えられるのに、どうして野の花や草花の名前を覚えられないのかと考え込んでいた。6/3

私は寝る前に黒い靴下を履き、これなら水虫も痒くならないはずだ、と考えていたのだが、夜中に蚊に刺されてしまったことは想定外であった。6/3

私が彼の女を奪ったために、彼はたいそう私のことを怨んでいたが、これまで彼は大勢の男たちの女を無理矢理奪っていたので、これもいい薬だと私はひそかに考えていた。6/2

グリーン州のグリンランドがこんなに素晴らしい緑の楽園とは知らなかった。観光客は誰ひとりいないし、風と鳥の鳴き声以外は朝から晩まで物音一つしない。私はなにもかも捨ててこの地に永住したいと願った。6/1

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第2回

第1章 丹波人国記~性霊のささやき

 

佐々木 眞

 
 

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丹波の国は、いまは京都府と兵庫県に分かれていますが、古くから京の都のすぐ近くにあって、山城、摂津、播磨、但馬、丹後、若狭、近江の7カ国に接し、わが国の分国のなかでも重要な国のひとつでした。
しかし江戸時代のはじめに関祖衛という人が著したといわれている『人国記・新人国記』で紹介されている丹波の人々の印象は、けっして好ましいものではありません。
「この国の風俗は、人の気懦弱にして、めいめい自分勝手、己れを自慢し、他人の非を謗り、他人の素晴らしいところを悪くいい、まるで女の腐ったような心を持っている。百姓は農業だけを専らにしないで商売を兼業し、金もうけしようとする。すべてに勇気を持つこと少なく、やたらに人に諂い、昨日の味方も今日は敵となり、あわれむべき世渡り第一主義といえる。
思うに、この国は四方が山々にとりかこまれ、みな谷間の人家である。冬の雪も北国ほどではないにしても相当なものだ。偏屈で了見が狭いのは、そんな風土からきているのであろう。人の性格が堕弱なのは、この国が都に近く、その乱れた風俗を見るにつけ自然と気持ちがくずれて素朴で飾らない気質を失ってしまったのであろう。
とくにひどいのは婦人のだらしない風俗であって、どうしようもないほどである。しかし能力のある人が生まれてきたならば、気持ちの柔らかな意地で成立している社会であるから、無双の人も出現するだろう。戦乱の世にあってこの国を治めようとすれば、たった5日でおさまってしまうであろう」
と、ほぼ全面的にコテンパンであります。
この女性の風俗の乱れについては相当有名だったようで、おなじ江戸時代の中期に諸国の民謡を集めた『山家鳥虫歌』では、前の著作をなぞるように、
「此の国都に近く其の風を倣ひ、とりわけ婦人の風締りなし。此所に多く蚕を飼ふ」とありますが、「締りなし」と書かれるくらいですから、それ相応の事実がその当時にはあったのでしょう。
ところで丹波の国の綾部というところは、この国のひとつの中心地として大和朝廷と共に栄え、奈良時代に入ると由良川沿いの低地では桑が栽培され、養蚕業が盛んになりました。
養蚕機織を主な生業とする秦氏、漢(あや)氏がこの地に渡来し、大きな勢力を持っていたといわれ、「綾部」という地名も、江戸時代のはじめまでは「漢(あや)部」と記されていたそうです。
時代がさがって明治に入ると、綾部の養蚕業は次第に盛んになり、明治29年には波多野鶴吉という人が、郡是製糸という会社を創設しました。現在の「グンゼ」ですね。
この波多野鶴吉翁の鼻の欠けた立派な銅像が、綾部の市街地を見おろす寺山の麓に立っています。なぜ鼻が欠けているかというと、翁は若き日にさんざん女道楽をして性病に罹ってしまい、鼻はその後遺症だというのです。
いわば身から出た錆で自業自得なのですが、それからが凡庸な私たちとはまったく違います。この不名誉な事件に懲りた翁は一念発起し、この地方有数の養蚕教師となって何鹿(いかるが)郡蚕糸業組合を設立。丹波の綾部の養蚕技術を日本全国にとどろかせたのでありました。
またこの実業家は熱心なキリスト者としても有名で、彼が設立した前述の「郡是」という会社は、単なる製糸会社ではなく、一面では人格の陶冶のための宗教的組織、他の面では地域社会における経済的文化的拠点という要素を兼ね備え、何鹿(いかるが)郡のセンターに屹立していました。
明治という時代の特性を頭においても、この時代のこの国に、これほど浪漫的で理想主義的な企業はそれほど多くはなかったでしょう。
まあそんな次第で、「蚕都」綾部を代表する「無双の人」のこそ、この波多野鶴吉翁に他ならなかったのです。(じつはこの盆地には、あの大本教を立ち上げた出口王仁(わに)三郎というもう一人の「無双の人」がおりましたが、彼についてはまた改めてお話したいと思います。)

ところで、さきほど引用した『山家鳥虫歌』は、丹波の女性の風紀と養蚕を結び付けて奇妙にエロティックな記述をしています。
「前に出でてあるものに感ずるといふ事、不思議なるものなり。蚕は性の霊なるものにて、物に触れ形をなす」
さあ、これはいったいどういう意味なのでしょう。ちょいと飛ばして、次を読んでみましょう。
「中国の漢の時代にある寡婦が、ある夜どうも寝られないので、枕によりかかって自分の家の壁が崩れているところから、お隣の家で蚕を飼っているのをなんとなく眺めていた。その蚕はちょうど繭を作っているところだったが、出来あがった繭を見ると、その女の姿形によく似ていた。目許、眉のかかり具合などははっきりしないが、物思う女の形をしていたのを、琴の名人の蔡中郎(さいちゅうろう)という人が金に糸目をつけずに買い求めてきて、その琴の弦にして弾いたところ、その音はじつに哀れに聴こえた。
その寡婦が蚕になったのではない。ただ蚕の性の霊のせいだ。人間は万物の霊である存在だから、いろいろ奇怪なことを引き起こすと思うかも知れないが、そんなものは表面だけのことであって、いちばん奇怪なるものの正体は、『陰陽二気』だけだという事をしっかり考えるべきべきだ」
読みながら私は、ある夏の日の午後、丹波の綾部の蚕糸試験場の無人の一室に放置された何千何万という蚕たちの純白の群れが、上になり下になり、鈴なりになってムシムシと不気味な音をたてながら、桑の葉をむさぼり食う光景を見て、なぜか心が凍るような戦慄を覚えたことを思い出しました。
このように、蚕に“性霊のささやき”が天与されていて、一種の性的な霊媒の気を持つ怪しい虫であることは、かなり早くから世に知られていたのです。
みなさんの中には今村昌平監督が1963年にメガフォンを取った『にっぽん昆虫記』で、左幸子さんの左肢の内側のところを秘所に向かってゆっくりと這い上ってゆく第五齢の白い蚕の姿を覚えている方がいらっしゃるかもしれません。
あれなんかも、蚕が性の霊なるもので、物に触れ、形をなす、その寸前の怪しい雰囲気をなかなか巧みにとらえていたと思います。
ともあれ、丹波の国に綾部という町があり、その綾部の中心に一匹の巨大な蚕が蠢いていて、その蚕の中心に性霊が渦巻き、その渦巻きの中心にひとりの哀しい女が佇んでいる。
綾部という言葉を耳にすると、私はどうしてもそんなイメージが浮かんでくるのです。

 

空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空次回へつづく

 

 

 

家族の肖像~「親子の対話」その8

 

佐々木 眞

 
 

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「オレの生徒にクズはいねえんだよお!」
耕君、それなあに?
ドラマの「GTO」ですお。

「お父さん、体が悪くなったら病院でしょ?」
「そうだよ。耕君どこか悪いの?」
「悪くないお」
「悪くなったらお父さんにいうんだよ」
「はい、分かりました」

「お母さん、ぼく常磐線好きですお」
「そう、じゃあ今度乗ろうか?」
「嫌ですお」

「アイラブユーって好きなこと?」
「そうよ」
「アイラブユー、アイラブユー」

「バージンロードって結婚するとき?」
「そうよ」
「バージンロード、バージンロード」

「ビッチョビチョ、ビッチョビチョ。ビッチョビチョって、汚いことでしょ?」
「そうだよ」
「ビッチョビチョ、ビッチョビチョ、ビッチョビチョ、ビッチョビチョ」

「めちゃすきやねん、めちゃすきやねん」
「なにそれ?」

「お母さん、のんだくれってなに?」
「お酒を飲みすぎて迷惑をかけることよ」
「のんだくれ、嫌ですねえ」

YMCA GO GO GO!
YMCA GO GO GO!
お母さん、ぼくYMCAのリーダーですよ!

「お母さん、たしなめるってなに?」
「そんなことしちゃだめよっていうことよ」
「お母さん、たしなめる、たしなめよう、たしなめておくれようってなに?」

「君をなくしたら悲しいでしょ?」
「悲しいですよ」
「君、君、君」

「営業ってやることでしょう?」
「そうだよ」
「営業なんて、営業なんて、営業運転されることになりました」

「ついては」ってなに?
「それについては」ということよ。

「車体構造ってなに?」
「車体の構造だよ」
「車体構造は、ほぼこうなっています。6扉車登場ね」

なんで緒形 拳「しゃべるな」っていったの?
苦しいからでしょ。
しゃべると気持ち悪くなるからでしょ。

「お母さん、ぼくはしあわせになります」
「耕君、しあわせなの?」
(無言で2階に消える)

「お母さん、お金は買い物するときでしょう?」
「そうよ」
「買い物するのはぶたぶた君だお」

「気象情報って、天気予報のことでしょ?」
「そうだよ」

「お父さん、仮面ライダー好き?」
「好きだよ」
「ぼく、仮面ライダー好きですお。こうたろうさん、好きですお」

「お母さん、おもてなしってなに?」
「気持ちよくすごしていただくことよ」
「そ、そうですよ。そうですよ。おもてなし、おもてなし」

「お母さん、気まぐれってなに?」
「自分の好きなことばかりしていることよ」
「気まぐれ、気まぐれ、気まぐれですお」

ふきのとう舎へ行く時は、桜ヶ丘駅で、降ります。
藤沢から各停に乗るか、急行で乗り換えることができます。
長後から出発して、急行に乗ったら、大和まで行ってしまいます。
ふきのとう舎に行くに時は、大和まで行かないようにしましょうね。

「お父さん、6のさかさまは9?」
「そうだよ」

「お父さん、ごきげんようの英語は?」
グッドバイ、シーユーツモロー。

「お母さん、黙祷ってなに?」
「目をつぶって祈ることよ」

「ぼくキシモト歯科いきませんお、いきませんお」

タクちゃん「しあわせになろうよ」みた?
きっとみたと思うよ。
「しあわせになろうよ」は黒木メイサでしょ?

「お父さん、お母さん治ってほしいですねえ」
「そうだねえ、治ってほしいね」
「お母さん、早く良くなってね」

「お母さん僕は協力しますよ」
「なにに協力するの?」
「キョウリョク、キョウリョク」

たまもりゆうたですお。「幸せになろうよ」、の。

「お父さん、今年も旅行でお土産買いますお」
「ああそう。よろしくね」
「分かりました」

ハッケヨイ、ノコッタ、ノコッタ
お相撲ですよ。

「ヒロタカ君、クミコさんと結婚したんでしょう?」
「そうだよ」

「お父さん、セイザブロウさん、綾部の下駄屋でしょう?」
「そうだよ」
「ぼく、下駄好きですお」

「ぼく、のぞみ幼稚園好きですよ」
「のぞみ幼稚園、誰が通ってたの?」
「タクちゃんとリョウちゃんですお」

お父さん、ぼく「どんと晴れ」のナツミさん、好きですお。

「お父さん、ぼくアジサイ好きですお」
「何色が好き? 青? 赤?」
「両方ですお」

「お父さん、5はいつつですお」
「そうだね」

「お父さん、横浜線の205系はどこ行きましたか?」
「どこへ行ったの?」
「インドネシアだお」
「へええ、インドネシアかあ」

「お父さん、ぼくクワイ好きだお」
「そうかあ」
「サトイモ好きだお」

「お母さん、ぼく今日ハス見に行きますお」
「はい、行きましょうね」

「お父さん、そんなことないの英語は?」
「ノットアットオールかな」
「お母さん、そんなことないって、どういうこと?」

「ぼく、がっかりしなかったよ」
「なにをがっかりしなかったの?」
「お母さん、がっかりってなに?」

「お父さん、遅くなったらだめでしょう?」
「遅くなってもいいよ」

「お母さん、ごきげんようってさようならのこと?」
「そうよ」
「ごきげんよう、ごきげんよう」

「お母さん、誘拐ってなに?」
「ひとをつかまえることよ」
「誘拐いやですねえ」

「お母さん、心臓飛び出したら?」
「びっくりですよ」

お母さん、杉浦さん「トイレットペーパーそんなに使わないでください」て言ったよ。
そうなの。

「お母さん、簡保は簡易保険でしょ?」
「そうよ」

ぼく「ぶたぶた君のお買いもの」好きですお。
お母さんも好きですよ。

高橋さん、「またあした」っていったお。
そうなの。

お父さん、渡辺千尋君ね。ぼく順子さん。
「千尋、ダメダメ」
「お母さんごめんなさい」

「先生」と呼んだらダメですよ。「さん」と呼ぶんだよ。

「お母さん、これオオバギボウシの葉っぱでしょ?」
「そ、そうよ。驚いた! 耕君よく知っているのね」
「このオオバギボウシ、どうしたの?」
「昨日小田原のオオバさんから頂いたのよ」
「オオバギボウシオオバギボウシオオバギボウシ」

「耕君、人生楽しいですか?」
「楽しいよ」