人間なんて

 

佐々木 眞

 

 

人間なんて弱いものだ人間なんて弱いものだ人間なんて弱いものだ人間なんて弱いものだ人間なんて弱いものだ人間なんて弱いものだ人間なんて弱いものだ人間なんて弱いものだ人間なんて弱いものだ人間なんて弱いものだ人間なんて弱いものだ人間なんて弱いものだ人間なんて弱いものだ人間なんて弱いものだ人間なんて弱いものだ人間なんて弱いものだ人間なんて弱いものだ人間なんて人間なんて人間なんて人間なんて人間なんて弱くないのかもしれないな。

 

 

 

一族再会  ~短歌詩の試み

 

佐々木 眞

 

 

もうええわ、わたしおとうちゃんとこいきたいわというて母身罷りき 蝶人

 

 

祖父、小太郎は、「主イエスよ」といいながら琵琶湖ホテルで亡くなった。

祖母、静子は、急を知らせるベルを押しながら亡くなった。

父、精三郎は、お向かいの堤さんに頼まれた反物を運びながら、駅前の病院で亡くなった。

母、愛子は、寒い冬の夜、自宅で風呂上りに櫛梳りながら亡くなった。

愛犬ムクは、自分を山で拾ってくれた私の次男に、「WANG!」と叫んで亡くなった。

さて恐らく、次は私の番だ。

私は、どんな風にして死んでいくのだろう?

それを思えば、そら恐ろしい。ほんまに恐ろしい。

私は最後の審判にかけられたら、いったいどんなところへ行くんだろう?

人殺しこそやってないけど、人さまには口が裂けても言えないこともやってきた私。

天国になんか、到底行けそうにない。

絶対に行けそうにない。

では地獄か? 地獄に落とされるのか?

地獄の沸騰した釜の中で、生きたままグツグツ煮られて、閻魔さんだか大天使ミカエルだかに、ヤットコで、えいやっと舌を引っこ抜かれるのか?

それを思えば、そら恐ろしい。ほんまに恐ろしい。

ほんまに恐ろしいが、ちょいと面白くもある。

ワクワクするところもある。

あっちへ行ったら、お母ちゃんやお父ちゃんやおじいちゃんやおばあちゃんやムクに、ほんまに会えるんやろうか?

先に亡くなったお母ちゃんは、またお父ちゃんと一緒に下駄の鼻緒をすげているんやろうか?

おじいちゃんやおばあちゃんは、中庭の奥の八畳の間で、「十年連用日記」をつけたり、裁縫をしたりしているんやろうか?

ムクはムクゲの根方で、朝寝して宵寝するまで昼寝して、時々起きてWANGWANG吠えているんやろうか?

そこへ私が「ただ今」なんて、もにょもにょ言いながら姿を現すと、
みんなびっくりしたような顔をして、
「なんや、まこちゃんやないか。よう戻ったなあ!」
と、口々に声を上げるんやろうか?

ムクはWANGWANG鳴きながら、私に飛びついてくるんやろか?

そうだと、いいな。

そうだと、いいな。

ああ、ほんまにそうなら、ええな。

 

 

 

家族の肖像~「親子の対話」その1

 

 佐々木 眞

 

 

「♪オオレエ、オレ、オレ、オレエ。お父さん、僕歌ったよ」
「何を歌ったの?」
「サッカーの唄だお」

「お母さん、歴史ってなに? 歴史ってなに?」
「それはね、昔何が起こったかっていうことよ。たとえばわが家の歴史はね」
「そうですよ、そうですよ。もう分かりました、分かりました」

「僕、おとぞうさん、好きですお!」
「そうなの」
「おとぞうさん、大好きですお。僕、おとぞうさん」
「こんにちは、おとぞうさん」
「こんにちは」

「みんないなくなっちゃったねえ」
「大丈夫、お父さんもお母さんもいるわよ」
「みんないなくなっちゃったねえ」

「大江光の『人気のワルツ』好きですお」
「どんな曲?」
「ラララア、ラララア、ラララア、ラララア」
「そうか、そういう曲なんだ」

「お父さん、夏は『夏美』の夏でしょう?」
「そうだよ。NHKの『どんど晴れ』の若女将だろ」
「『私は夏美です』」

「小林さんのおじさん、ダンボ知ってる?」
小林理髪店主「知ってるよ、大きな猫でしょ」
「違いますお。ダンボは象ですよ」
小林理髪店主「そうか、象かあ」

「ぼく、タカハシさんに『手とまってる』『ちゃんとやりなさい』っていわれちゃったよ」

「お母さん、しりとりしよ。ファミリーナ宮下」
「た、た……たぬき」
「----」

「お母さん、頑固者てなあに?」
「自分勝手でひとのいうことを聞かない人のことよ。耕君って頑固者?」
みなまで聞かず二階に去る子。

 

 

 

夢は第2の人生である  第10回

 

佐々木 眞

 

 

西暦2013年神無月蝶人酔生夢死幾百夜

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撮影を任された新米マネージャーの私は、カメラを持った男に話しかけて細部の打ち合わせを始めたが、どうも要領を得ない。モデルもクライアントもやってきて、「いよいよ撮影だ」という段になって、初めて私が打ち合わせしていた男が、ただカメラを持って現場にいた人物だとわかった。10/1

久しぶりに渋谷のデパートでぶらついていると、突然猪八戒のような男が出てきて、そこいらの客を恫喝しながら金品を強奪している。これはヤバイと思った私は、全速力でフロアを駆け抜けて外へ出ようとした。10/2

偏執狂の女に追われた私は、高橋君が運転するオート三輪に乗り込んだが、そこには彼の細君や娘や情婦もぎゅうぎゅう詰めに詰め込まれたうえに、高橋君の運転が滅茶苦茶なので、その間ぐっと噛みしめていた私の歯は6本がかけおち、うち4本は炭になっていた。10/4

夢の中で私は「天の松原」で終わる和歌を読みあげながら、「おや、この歌には3つも掛け言葉があるぞ」と気付いたので、夢から覚めたら「逆引き広辞苑」でよく調べてみようと思って、すやすや寝りこけてしまったのだった。10/5

上司の川村さんの依頼で私が押さえている会議室に、誰かが勝手に入ってお茶や煙草をのんだりしている。私は頭に来たが、そこでずっと見張っているわけにもいかないので、終日仕事が手につかなかった。10/6

マガジンハウスが、ライター志望者に対して朝3時に銀座の本社に来るように命じたので、その時間に行ってみると、何百人もの若者たちが詰めかけ、押すな押すなの盛況だったので、ロートルの私は、首をうなだれてとぼとぼもと来た道を引き返したのだった。10/7

私はこのたびの世界ダンス選手権では、絶対優勝してやろうとひそかに猛練習を続けていた。どのコーチも私を指導などしてくれなかったが、私は見事に栄冠を勝ち取ることに成功したのだった。10/8

大学の老朽校舎の中でトイレを探しているのだが、なかなか見つからない。「こっちです」という学生の後を追うと、彼が壁の中に潜りこんだので、その後から潜ったとたん、私は黄金色の魚に変身して、水の中を泳いでいるのだった。10/9

市長になったばかりの私は、側近の勧めるがままに「売上3割拡大計画」を立ち上げ、毎日駅前に置いたみかん箱の上から声を嗄らして「もう1品買い上げ運動」の旗を振ったのだが、誰も見向きもしなかった。10/10

横須賀線があまりにも混雑しているため、ドアから潜り込めなくなった私は、思い切って最後尾に両手でぶら下がり、少年時代に帰った気分で楽しく鎌倉駅に到着することができた。10/12

ワンマン社長の命令で、全社員がバス借り切りのゴルフ旅行にでかけた。私はゴルフなんてできないのだが、みんなが楽しそうにしているので見物していたら、突然暴風雨がやって来て、ゴルフ大会は中止になったのだが、ホテルで食事をしているうちにまた快晴となった。10/13

頃は明治。バイエルンからやって来た男が日本滞在の最後の夜に、私が貸した弾でイノシシを撃ったが、斃れなかった。そこで彼は、別の弾を私に返して横浜から帰国した。10/14

女社長の甘言に騙されて巨大な玩具の競技場に無理矢理連れ込まれた私は、その販売促進政策を下問されたので、早速答えようとして彼女の顔を見たら、自民党の超右翼の政調会長そっくりだったので、急激なめまいと嘔吐に襲われてその場でしゃがみこんでしまった。10/14

謎の美貌の女性によって完全なMに仕立て上げられた私は、彼女の奴隷となって日夜奉仕を続けていたのだが、その女があろうことか私の敵のマッチョな男に犯されてSからМに変身したことを知り、なんとかその屈辱的な豚のような日常から逃れる機会を窺っていた。10/14

ある日彼らの性愛の決定的瞬間を盗撮することに成功した私は、その卑猥な動画を武器に女を恐喝して暴力で意の儘にし、逆に女を隷属させただけでなく、彼女に命じてそのマッチョな男を罠にかけ、完全なSだったはずの男を完全なM奴隷に転換させたのだった。10/14

いつも高論卓説をSNSで書き飛ばしている男とたまたま知り合いになったが、その文章と同じか、あるいはそれ以上に高慢ちきな人物だったので、「なんのおのれが櫻かな」というメッセージを送って絶縁したつもりでいたのに、彼奴はその意味も分からず、ひたすら未練がましいメールを寄越すのだった。10/15

かつて私の恋人だった女性が、文机の奥に全裸でその身を隠しているのは、よほど酷い目にあわされたのだろう。私がそっと両腕を差し伸べ、ゆっくり体を引き寄せると、はじめは抵抗していた彼女も、しばらくすると諦めたように私の胸に飛び込んできて、まるで蛸のように両手両足でしがみついてきた。10/16

北朝鮮国籍を偽らず本邦で活躍してきたデザイナーのA氏が、「古希を契機に現役を引退する」と宣言したので、彼のラストショーをコンベンションセンターに観に行ったら、同年齢の日本人女性デザイナーのBさんが、「じゃあ私はどうししたらいいの?」と聞くので、「そのまま行ける所まで行けば」と助言した。10/17

岸本歯科へ行って、「奥歯が痛いから、もうブリッジを全部はずしてください」と頼み、その通りにしてもらったら、嘘のように痛みが消えた。10/18

軍隊で「行軍中に脱糞した奴のパンツを貰い下げてこい」と上等兵に命じられ、新兵の私が洗濯場に行くと、そこは広大な糞尿の池になっていて、猛烈な悪臭が漂う水面に無数のパンツが浮かんでいるのだった。10/19

社内の派閥抗争にいつのまにか巻き込まれていた私。副社長の娘とも、専務の娘とも情を交わしあっていたために、にっちもさっちもいかない雪隠詰めの状態となり、しばらく会社に出ないで町をうろついていた。10/20

夢の中で夢を見ていると、脳内に「1時脳」「2時脳」「3時脳」というふうにその時間が来ると点灯する枠があって、その枠内に自分が見ている夢の内容が同時再生されているのだった。10/21

私のお陰で、暴力団の急襲から1度のみならず2度まで危ういところで助かった女は、そのお礼をするつもりかバスの後部座席に私を押し付け、両腕でしっかり抱きしめて接唇したが、その蛇のような冷たさに私は慄いた。10/22

某大学で晴れて「てなもんや文化論」を講ずることになったのだが、英米文学の専門莫迦講座を持つ先輩たちが、私の教室に押し掛けてきて悪さや嫌がらせをするので、私はノイローゼになり、奥歯と顎が痛むようになってしまった。10/23

家が完成したというので現地へ行くと、業者が「やっと1階が出来ました。2階と3階はこれから見積もってお金を頂戴してから工事にかかります」というので驚いた。こんな話は聞いたことが無い。そもそも私は発注すらしたことがないのだ。10/24

いつのまにか私たち3人は、お馴染みのパリのカンブラン広場にやって来ていて、お腹が空いたのでどこかレストランにでも入ろう、ということになった。先頭の女性が狭い横長の日本料理屋に入っていったので、その後を追おうとするのだが、それには先客の一列になった食膳の隙間の上を歩かねばならなかった。10/25

米国の外資系企業に勤めている昔の恋人が、久しぶりに帰国して同じ部署に配属になったので、私はまた彼女と自然に情を通じるようになってしまったのだが、それがあまりにも自然なので、これは本当に同じ女性なのだろうかと何度もいぶかしんだ。10/26

皆で浴衣を着てシャネルの盆踊り大会に出かけたら、女医Xのなんとか嬢や作家の川上なんとか嬢が、下半身を激しくくねらせながら踊りまくっていた。あらえっさっさあ!10/25

「樹冠の日」という映画を製作するために、私たちは何年間も世界中の樹木の映像を撮影していた。10/27

行きはアマチュアとして人知れず乗り物に座っていたのだが、帰りはもう立派なミュジシャンとして認知されていた私は、座席指定券を買って貰って、久しぶりに満ち足りた思いで座っていました。10/28

新宿での講習会が終わった。Aさんが私とBさんを御馳走してくれる約束があったので2人でビルの外に出たが、足元を見ると私は裸足だ。仕方がないので近所で靴を買ってから合流する旨Aさんに電話しようとしたが、なぜか私がAさんの携帯を持っているのだった。10/29

友人が柳橋の料亭で、「皇太子のビオラソロを聴いたんだが、この人も苦労しているんだなあと思うと、涙が出た」と語っていると、それまで陽気に騒いでいた女将の鹿のように大きな瞳が突然曇ったのだが、タクシーに乗ってから雅子妃だったと気付いた。10/29

広報室長の今井さんのところで打ち合わせをするんだ、という4人の女性を逃れ、私は市ヶ谷駅の辺でランチを取ろうと商業施設の中をうろついた。けれどもろくなものがなかったので、仕方なく電車を待っていたのだが、いつのまにかプラットフォームがなくなっていた。10/30

ブルーノ・ガンツに良く似たフィンランド人が、日本からやって来た私たちを歓迎してくれた。ガンツは手招きしながら細長い通路の奥にどんどん入ってゆく。羊腸のごとく細長いレストランで、彼は「何を食べますか」と聞いてくれたが、私は既に済ませていたので、コーヒーを飲みながら商談に乗り出した。10/31

 

 

 

雑巾の歌

渋谷ヒカリエで「I’m sorry please talk more slowly」展をみて

 

佐々木 眞

 

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寒い寒い冬の夜
目の前に雑巾を置いて、
そいつをじっくり眺めてみよう。

すると突然雑巾が、なにか、ぶつぶつ言い始める。
「I’m sorry please talk more slowly」
すると雑巾は、おのれについて、ゆるやかに語り始めるだろう。

「ホラホラ、これが俺の骨だ。これが俺の肉だ。
これが俺のはらわた。俺の脳髄。これが俺の肌の色。
これこそが俺の実在なんだ」

頭巾の奴は、次第に雑巾野郎としての本質を露わにしてくる。
雑巾は、雑巾としてのレエゾン・デートルを、
静かに、しかし、力強く主張しはじめる。

雑巾をじっと見つめると、それは美しい。
雑巾をじっと見つめると、それは侵しがたい。
雑巾をじっと見つめていると、それはひとつの宇宙だ。

雑巾は、もう誰にも「たかが雑巾」などとはいわせない。
なぜならそれは、吹けば呼ぶよな家政婦よりも、したたかに存在しているから。
いまや雑巾は、長らく人間どもに浸食された主権を、奪還しつつある。

寒い寒い冬の夜
キャンバスの前で画家に描かれている雑巾は、だんだん雑巾ではなくなってくる。
雑巾が、雑巾ではない何か、雑巾以上の何者か、になってくる。

画家は、それをありのままに、油絵で描いた。
すると雑巾は画家に感謝して、「健君ありがとう」と言ったので
画家は「どういたしまして」と答えてから、筆を置いた。

 

 

 

なあんも要らへん

 

佐々木 眞

 

 

世を呪い、わが身を呪いながら
苦しい息の下で、老人は叫んだ

要らん、要らん、なあんも要らへん
金も、女も、ダイヤも要らへん

要らん、要らん、なあんも要らへん
ごめんで済んだら、警察は要らへん

要らん、要らん、なあんも要らへん
ムクさえおれば、犬は要らへん

要らん、要らん、なあんも要らへん
羽田があれば、成田は要らへん

要らん、要らん、なあんも要らへん
新幹線があるから、リニアは要らへん

要らん、要らん、なあんも要らへん
中古があれば、新築は要らへん

要らん、要らん、なあんも要らん
田中がおるから、黒田は要らへん

要らん、要らん、なあんも要らへん
谷風雷電甦るから、モンゴル横綱は要らへん

要らん、要らん、なあんも要らへん
マルクスがあるから、ピケティは要らへん

要らん、要らん、なあんも要らへん
九条があるから、軍隊は要らへん

要らん、要らん、なあんも要らへん
戦はせんから、基地など要らへん

要らん、要らん、なあんも要らへん
真昼を暗黒にするから、自民は要らへん

要らん、要らん、なあんも要らへん
岸、佐藤で懲りたさか、安倍は要らへん

要らん、要らん、なあんも要らへん
イランもシリアも「偽イスラム国」も要らへん

要らん、要らん、なあんも要らへん
ロシアも、アメリカも、日本も、中国も要らへん

要らん、要らん、なあんも要らへん
あんたも、あたしも、みーんな要らへん

要らん、要らん、なあんも要らへん
要らん、要らん、だーれも要らへん

世を呪い、わが身を呪いながら
一人の瘋癲老人が、いま息を引き取った

 

 

 

四月の歌~「田村隆一全集6」を読んで

 

佐々木 眞

 

 

四月はいちばん残酷な月さ

ミルクもヨーグルトもケチャップも値上げになって

年金の手取りがみるみる減ってゆく

 

四月はいちばん残酷な月さ

政権に楯突くキャスターたちが

突如解雇されて路頭にさ迷う

 

四月はいちばん残酷な月さ

花見酒に浮かれてカッポレを踊っている間に

不戦の誓いがウジ虫に喰われていく

 

四月はいちばん残酷な月さ

終戦を敗戦、大学紛争を闘争と言い換えていた友が

2015年を平成27年という。

 

四月はいちばん残酷な月さ

かつて国立競技場を埋め尽くした人々が

スタジアムもろとも滅びていく

 

四月はいちばん残酷な月さ

桜の樹の下で眠る愛犬ムクが

早く来てねとワンワン吠える

 

 

 

なにゆえに

 

 

佐々木 眞

 

 

なにゆえに

黄色いひよっこ

ピヨピヨピヨ

生きてるだけで

たのしいからさ

 

なにゆえに

めんどりおばさん

コケコッコ

生きてるだけで

仕合わせだからさ

 

なにゆえに

うちのムクちゃん

ワンワンワン

生きてるだけで

うれしいからさ

 

なにゆえに

隣のタマちゃん

ミャウミャウミャウ

鳴いてるだけで

恋しいからさ

 

なにゆえに

うちの耕君

ニコニコニコ

生きてるだけで

面白いからさ

 

なにゆえに

うちの奥さん

オホホノホ

思い出しても

可笑しいからさ

 

なにゆえに

うちの父さん

グウグウグウ

とにかく人世

疲れるからさ

 

 

 

夢は第2の人生である 第9回

 

佐々木 眞

 

西暦2103年長月蝶人酔生夢死幾百夜

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新築したばかりの家に行って見ると、大勢の中国人や韓国人がリビングに座り込んでいるので、業者に文句を言ってからしばらくしてまた現地を訪れると、今度は大勢の日本人がリビングに座り込んでいる。9/1

私はどういうわけかさる同僚の女性と共にカラヤンの秘書を務めていたのだが、最近マエストロが彼女に冷たくあたるので気になっていた。意地悪な彼は、重要な情報を私だけに漏らして、私よりも遥かに有能な彼女には伝えないので、いろいろな障碍が生じていた。9/2

美貌のサディストである日本ファシスト党女性党首の甘美な拷問を受けた私は、一夜にして転向してその手下となり。この国の全左翼を血祭りにあげたあとで革命的な「百貫デブ粛清作戦」の先兵となった。9/3

燃え盛る鋼鉄製の箱に乗って宇宙から帰還した私は、予定された着陸地点から大きく逸れたマリアナ海溝の奥深く沈んで行ったにもかかわらず、奇蹟的に脱出することに成功して元の職場に戻ったのだが、周囲の連中の態度は冷たかった。9/5

超短い詩歌の形式を考えようと2晩続きで悪戦苦闘していたので殆んど眠ることができなかった。短歌俳句より短いスタイルなら5語、6語、8語もありだが、いっそ1語、2語、3語、4語という器を考えるべきなのだろう。9/6

業績不振でリストラが相次いでいる会社の中で、「超優秀」という評価でたった一人だけ残留した私の元の上司が、殺到する業務と鳴り響く電話の嵐のただなかで、さながら生ける聖徳太子のように鮮やかに対応しているのだった。9/7

日曜日だけ取っている日経の歌壇を開いたら白紙だった。他の頁はちゃんと見出しも記事も写真も広告も掲載されているのに、そこだけはまっ白けのけでなにも書いてない。もしかして私の短歌が載っていたかもしれないのに。9/8

友人のY君は軽井沢の山荘で隠遁生活を送っているはずだのに、だいぶ前に亡くなってしまったという。しかし最近彼から私のところには小説や詩の原稿が届いたばかりだ。もしかするとこれは霊界からの便りなのだろうか、と私は首を傾げた。9/9

アフリカの2人の王に迎えられ、やむなく仕えた私だったが、最初の王は何者かに殺され、次の王はおのれの権力を有効に使うすべを知らない無能な人物だったので、傷心を抱えながら私は帰国の途についた。9/10

以前仲間と3人で録音した原盤の演奏が下手くそだったので、そいつを取り返して廃棄しようと保管されている蔵の前までやって来たのだが、仲間の1人が「いやあれが良かった。廃棄したくない」と言うので、争っているうちに火事で燃えてしまった。9/11

誰か知らない人が私がfacebookに書いた記事にコメントしてくれたのだが、あまりにも文字が小さく、しかも文字列が下の罫の下に潜り込んでいて読みとれないので、私は必死になってそこにポインターをあてて潜り込もうとした。9/12

電通の杉山恒太郎氏に、「所詮僕はマーチャンダイザーにはなれてもデザイナーにはなれない人間なんだよ」と話してから、建物の外に出て並木道を歩いていると、歩く傍から両側の樹木が黄色い不思議な光を放ってゆくのだった。9/13

鍵を無くしてしまった私は、仕方なく共通の鍵を持っている人たちの傍にくっついているほかなかった。その鍵が無ければ部屋にも入れず、全財産が入った荷物も開けることができないのだ。しかし彼らは芝生に座りこんだまま、いつまで経ってもその場を動こうとはしない。9/14

長らく企業内デザイナーとして活躍してきた人が、私に相談があるというので、岡の麓にある彼の家まで自転車を転がしながら歩いていった。独立する意思を持っているようなのでさぐりを入れたが、なかなか言い出さない。仕方なく「じゃあまたね」と言って別れたが、自転車を忘れたので戻ろうとしたが、彼の家は見つからなかった。9/15

就活用のパンフレットの製作を依頼されたので、撮影の準備をして学校に行ったのだが、約束の時間になっても人事の担当者も、モデルになるはずの学生も一人も現れない。やがて夕陽が学園の校舎を真っ赤に染めると舟木一夫が現れたので驚いた。9/17

上野の黒門のあたりから本郷台を眺めていると、遥か彼方に富士の白嶺が望まれた。私は敵が攻めてくるまでここでゆっくり花見をしてやろう、と決め込んでいた。9/18

東京の中央駅の近くではあるがそこだけは開発から取り残されている旧野分町電停付近はなぜだか世界中からやって来た観光客がたむろしていた。若いバックパッカーたちが数多く見受けられたので、もしかすると彼らはそこで野宿するのかもしれない。9/19

私はアフリカ戦線の女性指揮官が運転するサイドカーに添乗して、猛スピードで走りまわっていた。黒衣のレザーに身を包み細身の鞭を握りしめた彼女は、時々私に戦況報告を求めるのだが、返事を聞いても上の空である。私は、彼女と過ごすであろう夜がだんだん怖くなってきた。9/20

いつものように新宿にある学校へ行こうと家を出たが、その途中、法政大学の近所の商業施設の中で道が分からなくなってしまった。階段を息せき切って登り降りしているうちに時間がどんどん過ぎてゆく。ピザ屋のおやじに時間を聞いたら3時前という。それならもう授業は終わるころだ。9/20

小学館の梅沢さんが児童教育についての素晴らしいペスタロッチ的箴言を吐いておられると知って、私も負けじと自分流の名言を吐こうと唸っているうちに、朝日が差してきたのだった。9/21

さる有名編集者の集いになぜか招かれた私は、家を慌てて出てきたためにズボンをはかず、次男の健君から父の日に贈られた真っ赤なパンツいっちょうで駆けつけた。周囲の射るような視線を浴びて赤面し、立ち往生していると、いつのまにか飛蝶のように現れた健君が私をひょいと横抱きにして裏山に隠してくれた。9/21

沖合からやってきたダフニスとクロエが、波打ち際で足を取られて何度も転んだ。彼らなりに雰囲気づくりに貢献してくれたのに、朝ご飯も出ないとは気の毒だ。誰かにクレームをつけようと思うのだが、私にはその誰かが分からない。9/22

妹は生まれながらにして治療不可能な難病に侵されていたが、この世のものとも思えないほど美しかった。男たちは彼女が若くして死ぬことが運命づけられていると知りつつ、さながら、炎の周囲に集まる蛾のように狂ったように飛び回りながら、激しく身を焦がすのだった。9/24

ともかく雑誌がまるで売れないので、われわれはソホロやカルカ剤の販売で食いつないだ。そのうちにやけくそになった男たちが、大酒をくらって、「くそたれ女でも買いに行こう」と叫んで部屋を飛び出して行ったが、私はカルカ剤の製造に勤しんでいた。9/25

トイレから出て左側に歩いて行くと、いつも夢に出てくるお馴染みの場所に出た。ここは町と丘と駅と人と樹木と民家が混然一体になっている懐かしい場所だが、いきなり神話にも登場する有名な神社の神体が、むきだしで飾ってあったので驚いた。9/26

劇場を出てから外を歩いていると知り合いが、「佐々木という映画評論家が死んだそうだ」という。佐々木って誰だと不審に思って彼の後についていくとトイレに入ったので、並んで小便をしようとしたが、便器のすぐそばが民家になっていて、中で眠っている人の顔が見えたんでおしっこはやめた。9/26

久しぶりに試写会に招待されて銀座の大劇場に行き、1階の空いた席に座っていると、いきなりそのフロア全体が客を乗せたまま猛烈な勢いで高速回転しながら上へ上へと螺旋状に舞い上がる。私は振り落とされないように、懸命に座席にしがみついていた。9/26

朝ポストをみると、頼んだ覚えもないのに「大日本短歌新聞」が入っていた。ニューヨークタイムズの日曜版と同じくらいの分量で恐らく100頁近くあるだろう。どんどん読んで行くと読むはじから文字が消えて行くので、私はもう必死になって読んで読んで読みまくったが、何も覚えていない。後には真っ白な紙だけが残った。9/27

京都の株屋に勤めていたおじいちゃんが、僕を新京極の鰻屋さんに連れて行ってくれました。僕の顔を見ると、おじいちゃんは大喜びして僕の手を両手で握りしめ、「おお、ようきたなあ」とうれしそうに笑いました。そのとき僕は、ああこの人が僕の本当のおじいちゃんなんだ、と分かりました。9/27

久しぶりに乗った満員電車の中で、私のまん前にいたのはブロンドの若い娘だった。どんどん混雑してくる電車の中で、彼女は恐らく意図的に私の身体の中心部に自分の下半身を擦りこむように身を寄せてくるので、私はもうどうにも我慢できずなくなってしまった。9/28

私は5m走の世界チャンピオンだったが、ある大会で100mの世界チャンピオンが私を見ながら嘲笑っているような気がしたので、彼のところまで行って「フライ級でもヘビー級でも、チャンピオンに違いはないよ。なんなら君と5m競争してみようか」と言うと、黙って向こうへ行ってしまった。9/29

デザイナーのオネちゃんが、またぼやいている。「封筒を制作したが規格より大きすぎたうえに、料金別納と印刷しなかったので、失敗だった。どうしたものか、困った困った」とぼやいている。オネちゃん、どうしようもないじゃないか。9/29

詩人の鈴木志郎康さんから、「君の詩はポッドがあるね」と言われたので私は喜んだが、よく考えてみるとポッドの意味が分からない。Podを辞書で引いてみると、「(エンドウなどの)さや」と出ていたので、なるほど俺は突然ポット弾ける「枝豆系」の人間なのだと得心がいった。9/30

 

 

 

てふてふが海峡を飛んで行った

 

佐々木 眞

 

 

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                  て

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波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波