夢は第2の人生である 第5回

佐々木 眞

 

西暦2013年皐月蝶人酔生夢死幾百夜

 

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破壊され尽くしたビルの中にはさまざまな機械部品のジャンクがいたるところに転がっていたので、私はそれらをひとつずつ廃墟の中から拾いあげ、時間をかけて超精巧な最新型の機械式時計に再生していると、真っ赤な夕焼けの空で烏がカアカアと鳴いた。

会社の社員旅行でほとんどの連中が昨日から出払っていたが、私はA子と一緒に朝から2人切りでやり残した仕事を片付けていると、夕方になってフジテレビのB子がやって来て私たちを意味ありげに見るので、「俺たちはそういう関係ではないよ」と力説しているところへ社員たちが帰って来た。

居間のテレビを見ていたら、突然市川中車がやってきて「おお、おおお」とみずからの演技に酔いしれている。うるさくてかなわないのでいい加減にしてくれと注意しようとしたら、横合いから耕君がガツンと一発お見舞いしたので、中車はのびてしまった。13/5/4

小川町で都電を降りて坂道を登り、スタインウエイのショールームの前までやってくると、もう息が切れた。見るとアポロンだか、ダビデだかの像を真似た素っ裸の男が、そこいらの会社の人間広告塔になって突っ立っている。13/5/5

人体が全体として突っ立っているだけではなくて男性の性器もひどく突っ立っているので、「君きみ、そんなものを公衆の面前で見せものにすると、猥褻物陳列罪でおまわりに捕まってしまうぞ、早く仕舞っておけ」と注意した。

すると、アポロン男はなぜかおねえ言葉になって、「いえねえあなた、あたしだってこんな恥ずかしいこたあやりたかあないんですよ。だけど社長から、こんな恰好で朝から晩までずっと立ってろと命令されたものだから、仕方なくここに棒立ちになってるんですよ」と泣き言をいう。

「それにね、いちばん重いのがこの体の真ん中のやつ。こいつが勝手に立ち上がるもんだから、重くって重くって仕方がないの。ねえ、お客さん、あたしはこんなもんもう要らないから、あなた持ってってくださらない。まだまだお役に立ちますよ」

そう言いながらアポロン男は「あそこ」を根元からポッキリともぎとって、いきなり私のカバンの中に放り込んだので、父の遺品のカバンはずっしりと重くなった。

それから私は大きなビルが立ち並ぶ学生街の中を歩いて行くと、見覚えのある大学の講堂でコンサートをやっていたが、バンドが演奏している音楽が詰まらなかったので、私はすぐに会場のホールを出た。

ふと右手を見ると、東京駅にあるような煉瓦でできた巨大な水の無い100mプールがあったが、もうずいぶん長く使われた形跡はなかった。
左手にはやはり重厚な煉瓦で組まれた便所があったので、それを使おうとしたが高さ1mくらいの煉瓦の上に乗らないと用を足せないので、諦めて外に出た。

すでにとっぷりと暮れた黄昏の街を歩きだすと、狭い通路の左側のはるか谷底のような位置に大学の広い体育館があり、それに続いてぼんやりとしたあかりで照らしだされた教室があり、白髪の老教授の講義を聴いている数名の学生の姿があった。

さらに進んで行くとまた大きなホールがあり、そこでは韓国か北朝鮮かは分からないが朝鮮の人たちがなにかの記念式典を開催しているようだった。
いつのまにやら会場に引っ張り込まれた私が演壇に目をやると、司会者の男性が朝鮮語、日本語、英語の順でなに説明していたが、なんのことやらさっぱり分からない。

しばらくしてから席を立って帰ろうとすると、出口にいたおばさんが、「はいお土産。お米2つと大根2本」と言いながら大きな荷物を私に押しつけたので、一生懸命に断ったのだが、でっぷりと肥ったその女性はどうしても許してくれない。

仕方なく私は5キロの米袋2つとぶっとい練馬大根2本を左右にぶらさげて駅まで歩き始めたのだが、予期せぬ荷物は歩くほどにだんだん身に重くなっていった。

私はニコンのカメラを首からぶら下げていたが、季節はちょうど冬のはじめだったので、ウールの重いコートを一着に及んでいた。歩くうちに二組の米と大根セットはどんどん重みを増し、私のか弱い心臓は早鐘のように動悸を打った。

そのとき私は、隣家の堤さんから頼まれた重い荷物をかかえながら駅まで急行した父が、心筋梗塞に襲われ担ぎ込まれた病院で七〇歳で身罷ったことをはしなくも思い出し、「土産より命が大事」ということにようやく気付いた。

まずは荷物の半分を路上に残し、私は帰路を急いだが、面妖なことに歩けども歩けどもめざす駅に着かない。今にも倒れるのではないかと我が身を案じつつ、全身汗まみれで私はようやく駅前に辿りついた。

そのとき私は、自分が、米も、大根も、カメラも、父の遺品のカバンさえどこかへ投げ捨て、ただ一本の長い棒だけをしっかりと握りしめていることに、はじめて気付いた。
良く見るとそれは「八重の桜」で黒木メイサが振りまわしていた長刀だった。13/5/5

ある日のこと、大工事が行われて奥深い地下になってしまったお茶の水駅の近くで昼飯を食おうとレストランを探した。
丸顔のイタリア人シェフが「ステーキランチは8500円」というので、他を探したがもうどこも営業をやっていない。

仕方がないので電車に乗ろうとしたが、ポケットの中には初乗り130円のチケットと50円玉しかない。しかもそのチケットはだいぶ以前のものなので、いま使えるものだか分からないし、50円ではどこにも行けないので私は途方に暮れた。

ライターの女性と私は、京都のあるお寺へ向かった。取材は彼女にまかせて内部をぶらぶら歩いていると、広く薄暗く猛烈に暑い部屋のあちこちで男女が立ったまま抱擁して呆然としている。私は一瞬歓喜仏ではないかと疑ったが、まぎれもなく生きた男と女のからみあいなのだ。

しかしよく見ると、男あるいは女が一人で棒立ちになってその姿かたちが熱で溶解している姿もあった。いったいここはどういう部屋なのか。もしかすると彼らは即神仏の途上にあるのかもしれない。

おそるおそる広間から後退した私は、ライターと合流して寺男の案内で別の小さな寺院に向かった。ここは門が高いのでよじ登って入るしかない。寺には中年の艶めかしい女性とその娘がしゃがんで遊んでいる。

尿意に駆られたライターが慌てて便所を探したが、間に合わなかったとみえて少し離れたところでしゃがんで用を足すと、それが近くを流れている小川の流れに乗ってここまで流れてきた。

街が一斉に茶色になりキナ臭くなり、いよいよ蜂起の時がやって来たかに見受けられたが、わが統領は出口なおを気どってか、屑拾いに身をやつし、みすぼらしい小屋に吊るしたハンモックに身を横たえながら、「まだだ、まだだ」と待機の姿勢を崩そうとはしなかった。

いよいよ戦争が始まるというのでパリから帰国した橋本画伯を尋ねようと、私は小田急の新宿駅に向かったのだが、改札口に至る階段は国防軍の武器、弾薬、軍事物資の一時的な物置場と化しており、乗客たちはそれらの上を必死でよじ登りながら行き来しているのだった。

空襲警報が鳴りB29の大編隊が押し寄せてきた。
ゼロ戦に乗った海軍上等兵の私は、霞ヶ浦霞から飛び立ったが、エンジントラブルで離脱した。が、友軍機は体当たりを敢行し、敵2機を道ずれに自爆して海上に散華した。

私は彼女の夢を記したレポートを読みながら、どこが私の夢で、どこからが彼女の夢なのかをお互いに論じあっていたのだが、だんだん訳が分からなくなって、私はまた夢の世界へと戻っていったのだった。

その方形の躯体の内部では、黒いマレー人の男性と白い中国人の女性の数多くの顔が光り輝きながらゆっくりと移動していて、その顔の中の眼が時折私をチラチラと見るのであった。

久しぶりに白水社のフランス語教科書を開いてみると、最初の頁にはダで終わる単語がたくさん並んでいたので、私は少しく奇異に感じたが、ナンダ、オランダ、ミランダなどとおずおず発音していった。

課の全員が、部屋のあちらこちらにある封筒に貼られた未使用の切手を探して回ったが、なかなか見つからない。この切手がないと故障した課のパソコンを修理に出すことができないので、私たちは朝から晩まで夢中になって探し回った。

私が作った講義テキストを見ながら2人の学生が、「こんな内容なら簡単に単位が取れちゃうわね」とほざいていたので、私が「いやいや君たちが思っているほど甘くはないよ、チチチ」と呟いたら、彼らは怪訝そうに私を見た。

私はヤナイ氏というライターのいる小さな雑誌社にあこがれていたのだが、なんとか見習いとしてそこに潜り込むことができた。
その夜はチャーリー・パーカーの公演があり、舞台に向かって左側の座席は満員だったが、右側はかなりの空席があった。ヤナイ氏が右に移動してもいいぞというので私たちはそうした。

開演の時間が迫ってくると、私たちのすぐ傍をチャーリー・パーカーとその仲間たちがぞろぞろと通り過ぎ、そのまま舞台に登って演奏が始まった。

「そうですか。ここは私に任せてください」、というと、イチロー選手は見えない標的に狙い定め、鋭いスイングでバットを一撃すると、爆弾の入った大きなボールは見事敵陣のど真ん中に命中したのだった。13/5/20

私の家は水屋で、お向かいの店も同業だったが、私の家と違って向かいの店主は店員たちに絶対に水を飲ませない。「これは大事な商品やさかい、おまえたちにガブガブ呑まれたらわやや」とか言って夏の盛りにも呑ませないので、大勢の店員がどんどん倒れていた。5/22

いよいよ4人乗りのF1レースが始まった。私の車には水屋の娘をはじめシビル・シェパードなど細身の美女たちが乗ったが、ライヴァルの車には石ちゃんやデブで醜い伊集院なんとかたちがどかどか乗り組んでいたので、レースは私たちの圧勝だった。

海を渡ってライヴァル会社との交渉に臨もうとした私たちは、その夜ライヴァル社が枕元に送り込んで来た2人の特別慰安婦の魅力に負けてしまったために、翌朝から始まった熾烈な遣り取りに太刀打ちできず一敗地に塗れてしまった。5/23

上司のところに派遣されたのは正真正銘の女性だったそうだが、私の部屋に忍んできたのは女を装った美貌の男性だった。けれどもそいつが男であることは私にはなかなか分からず、「あっ、こいつは男じゃない女だ」と思ったときには、もうなにもかもが遅すぎたのだった。

水野社長がなぜか裸踊りをはじめると、部下たちは最初はあっけにとられて呆然と見詰めていたが、やがて自分たちもワイシャツを脱ぎ、ネクタイを取り去ってやけくそのようにラアラア歌いながら「えんやとっと踊り」をはじめた。5/24

ヨーロッパの田舎町で、齢老いたピアニストが亡くなった。
彼は世界中に名が売れた実力のある演奏家であったが、自分の生家で死を迎えようと戻った翌日に、ベートーヴェンの協奏曲第4番の出だしを弾きながら静かに息絶えた。5/25

ロンドンのトラファルガー広場のような広場で、親子が見せものを見物しているが、実際は彼ら自身が見せものになっていて、そこではシャツ1枚で冬の極寒にどこまで耐えられるかの実験が行われているのだった。5/26

夢の中で夢の記憶装置箱が2個転がっていたので、再生してみると、だいたいは私の記憶通りなのだが、ところどころ食い違っていたり抜け落ちていたりしているので、夢の記憶そのものと2つの記憶箱の内容のどれが正しいのか、夢の中で私は迷っているのだった。5/27

私は宝くじの1等賞を引き当てたらしい。金額は正章が1億円で副賞の2500万円がおまけにつくのだという。しかし宝くじなんか最近は買ったこともなかったのに、いったいどうして当選したのだろうと私は怪しんだ。13/5/29

最近どうも人気がいまいちだということで、東洋人の私がなぜだかジバンシーのクリエイティブ・ディレクターに選ばれてしまった。
自分ながらに考えて昨シーズンとは色柄デザインを変えつつブランド独自のテーストはいじらなかったのだが、スタッフはどうも不満のようだ。5/30

 

 

 

夢は第2の人生である 第4回

佐々木 眞

 

西暦2013年卯月蝶人酔生夢死幾百夜

 

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眉目秀麗な彼は、若者を代表して「風次郎」役に選ばれた。
この共同体のトップモードをさし示すという重要かつ誇らしい役目だ。

私は彼の補佐役をおおせつかり、丘の頂上に据え付けられたインカ帝国の祭壇のような席に座ると、古代の共同体の家や畑がアリのように小さく見渡せた。

全身紫ずくめの奇妙な恰好をした「風次郎」はすっくと立ち上がり、「これが俺たちの新しい制服だあ!」と叫ぶと、しばらくしてその声は、こだまになって帰ってきた。

絢爛豪華な着物の裾から手を入れて、豊かな乳房を鷲づかみすると、彼女は厳しい目で私を睨みつけたが、かといって、自分から逃れようとはしないのだった。

まだ春だというのに、夏型の大きなヒョウモンチョウが、原っぱをゆらゆら漂っている。この品種らしからぬ緩慢な動きだ。しかも巨大なヒョウモンの翅の上に別の種類の小型のヒョウモンチョウが乗っている。

私がなんなくその2匹のヒョウモンチョウを両手でつかまえ、これはもしかして2つとも本邦初の新種ではないかと胸を躍らせていると、半ズボン姿の健君も別の個体を捕まえて、うれしそうに私に見せにきた。

それは確かにヒョウモンチョウの仲間には違いないが、いままでに見たこともない黄金色に輝いており、国蝶のオオムラサキを遥かに凌駕するほどの大きさに、興奮はいやがうえにも高まるのだった。

私たちはバタバタと翅を動かしてあばれる巨大な蝶を、懸命に両手で押さえつけていたのだが、それはみるみるうちにさらに大きな昆虫へと成長したので、もはや彼らを解放してやるほかはなかった。

しかし巨大蝶は逃げようとせず、その長い触角をゆらゆらと動かし、「さあ私のこの柔らかな胴体の上にまたがってみよ」、とでも言うように、その黒い瞳で私たち親子をじっと見詰めたので、まず半ズボン姿の健ちゃんが、ひらりと巨大蝶の巨大な胴体の上にまたがった。

息子に負けじと私も別の巨大蝶にまたがり、そのずんぐりとした黒い胴体をつかんでみると、あにはからんや、それはくろがねのような強度を持っていた。

私たちがそれぞれの大きなヒョウモンチョウに騎乗したことを確かめると、2匹の巨大な蝶はゆっくりと西本町の子供広場から離陸し、狭い盆地を一周すると、見はるかす下方の片隅に、見慣れた故郷の街や家や寺や山、銀色の鱗に輝く由良川の流れが見えた。

それから巨大な蝶は、猛烈なスピードで故郷の街を遠ざかり、波がさかまく海をわたり、大空の高みを力強く飛翔しながら成層圏に達し、そこからまた猛烈なスピードで下降した。

ぐんぐん地表がちかづいたので、よく見るとそれは教科書の写真で見たことのある万里の長城だった。気がつくと巨大蝶の姿は消え、私たち二人だけが大空の真ん中にぽっかりうかんでいる。私たちは思わず手と手を握り合った。

しかし墜落はしない。無事に飛行は続いている。私たちはそのまま元来た空路をたどって故郷に帰還すると、そこには仲間の巨大蝶が勢ぞろいしていた。
その後蝶たちは、住民の飛行機としての役目を半年間にわたってつとめたのちに、南に帰っていった。

私は岡井隆ゼミに出ている学生なのだが、前回は風邪で欠席したので今日の内容が全然わからない。先生がもう一人の女子学生に動詞の活用や終止形について親切に教えている姿を、私は妬ましく見詰めていた。

私が生まれて初めて撮った映画「福島原爆」は、青空に放り投げられた無数の魚たちの骨がレントゲン写真のように透けるシーンから始まる。
1945年3月11日、米軍のB29特別爆撃機は、東京に投下するはずの原爆を誤ってこの地に投下したのだった。

当然現地ではその後の広島・長崎と同様の凄まじい惨禍をもたらしたが、幸か不幸かそこは無人の海岸だったので、当事者である米軍と日本軍、近くに住む一握りの人々を除いて広く知られるところにはならなかった。

それは恐らく日米両政府の陰謀によるもので、彼らはこの大事件を知る者がいないことを利用して長い年月に亘って秘密を隠ぺいしていたが、はからずもこのたびの震災による放射能流失で恐るべき実態が明るみに出されたのだった。

大学1年生の私が文学部へ行こうとすると、法学部の2人の学生が「そっちじゃない、こっちだ」と無理矢理別の路へ連れてゆこうとする。
しばらく成り行きにまかせていた私だったが、腹に据えかねてそのうちの強引な一人を押し倒し、ボコボコにしてやると、そいつは動かなくなってしまった。

私たちはさまざまな外界の現実音を採録してから、このスタジオに集まった。
お互いにその音をダビングしあって新しい電子音楽を創造しようと試みているのだが、A子だけはなかなかその複写を許そうとしなかった。

夢の中でやっと会えたというのに、A子ときたら昔とおんなじことをいうのだ。
「ダメダメ、でも奥さんと別れる気があるなら私に触れてもいいわ。」

広報課長と部下の女性が、その企業の重要な記者発表をどちらが行うのかで微妙な駆け引きを演じていた。
実力と自信のある女性は、自分ですべてを担当したいのだが、無能な管理職がそれを阻止しようと、しきりにいやがらせをするのだ。

ラスカルという名のロシア男は、自分は音楽と体操のたいそうな名人であると吹聴しながら、私を小馬鹿にするように見詰めた。

知り合いの女性が企画したダンテの「神曲」の煉獄観光ツアーが好評だというので、私も参加させてもらった。
原作を(もちろん翻訳で)読んだ時にはじつに退屈な脅迫による宣教本に過ぎないと思って馬鹿にしたものだが、実際に現地を訪れると大迫力で興奮した。

流行の最先端をゆくこのデザイン事務所で、あろうことかシラミが大繁殖。
あれやこれやの方法で駆除しようと試みたが、どうしても出来なかったので、スタッフ全員が地下の暗渠に投げ込まれ、東京湾の藻屑と消えた。

その囚人が不敬な言葉を吐きだす度に、その巨人は自分の目や耳にガムテープを張って見ざる聞かざるを決め込むのだが、それは怒りに駆られた彼が、囚人をひねり殺してしまわないためだった。

我ながらいい短歌が出来たと思ったので、いちど毎日新聞に投稿しようと思った。けれども私は毎日は取っていない。急いで近くのミニストップに行ってみると、ほとんどがスポーツ新聞で、私の大嫌いな産経と読売はあったが毎日も東京もなかった。

私の狭い家の中には、なぜだか広告代理店の人間がいっぱい押しかけてくるので、いつも牛ぎゅう詰めになっている。
その大半が私の知らない顔だが、電通の長谷川という男は良く知っていて、いつでも挨拶を交わす仲なのだが、その長谷川がときどき白い犬に変身してしまうので困る。

東北から北海道を制覇するんだということになり、おじに率いられてわたしも新幹線に乗り込んだのだが、途中で検札に引っかかった。
切符をおじに預けていた私は、途中の駅でつまみだされ、全員集合に間に合わなかったのだが、それはおじの陰謀だったのかもしれない。

ようやく青森につくと、私はおじの運転するロールスロイスに乗せられた。
おじは大通りで車を停めると、交差点の向こうにそびえる教会堂に向かって巨大な鏑矢を射た。それはひゅるひゅると音を立てながら飛んでいき、鐘楼に突き刺さった。

砂漠の族長が私たちに与えたのは、真っ白い包帯でグルグル巻きにされた2つの物体だった。その包帯を時間をかけて解いていくと、ひとつからは人間の姿かたちをしたきらめく黄金、もうひとつからはいままで映画の中でも見たことが無いようなイスラム風の絶世の美女が姿を現した。

演奏会の度にステージに立って、「私たちを警察に突き出して、「あいつらはもしかして殺人犯ではないか」と報知してほしい。そうすれば3人とも無罪であることが明明白白になるから」と聴衆に告げているのだが、笑うばかりで誰もそうしようとはしないので、いつまで経っても私たちの心は晴れないのだった。

ついさきおととい、髪も髭もぼうぼうぼうできたない乞食のような中年男が、ヴェネチアの運河のほとりをほっつき歩いていた。
ところがまさにその男が、今朝のミラノでのMTGにトム・フォードのスーツを一着におよんで、にこやかに私の右手を握ったので驚いた。

広場には大勢の人たちが集まっていたが、彼らの表情には不安の色が浮かんでいた。
そこで一計を案じた私は、仲間のドイツ人たちと一緒に広場に乗りこんで、彼らを落ち着かせようとした。
身軽なドイツ人の若者は、音楽に合わせてマイケル・ジャクソンを凌駕する完璧な幽体移動の必殺技を繰りだすと、次第に暗欝な雰囲気が崩れて笑顔が戻って来た。

そこではいままさにアジア、いな世界最大の万博が開催されており、広大な会場には自然館と商品館の2つの球形のパビリオンが並んでいた。
自然館はそのまま地球の7つの大陸がそっくり内蔵されており、商品間で買い物をした大勢の客たちは、レジを終えるまでに数時間も待たされていた。

久しぶりに妻君と旅行に出かけたが、同じ車両の中に彼女に会わせたくない女性が2人も乗り合わせていることが分かったので、私はもはや旅行気分などどこかへ吹き飛び、戦々恐々として目を泳がせているのだった。

会社の図書室に配属された私が、その狭い部屋に行くと、山口君の姿が見えない。
きょろきょろ探していると、彼と事務の女性の2人が、狭い部屋に山積みされた雑誌類の上に机を置いて執務していたので、「ここは図書室なのだろう。誰か借りに来るのかい」と尋ねたが、誰も一度も来ないという。

国家教育局に続いて、国家映画局の統制がはじまった。
どんな映画も、あの暗黒の1940年代と比べてもハンパなく検閲されている。
本編のみならず予告編や広告の映像やキャッチフレーズについても、官憲の気狂いじみたきびしい統制が繰り返されるので、私は映画界から逃走することにした。

客の要望に応えてクラシック音楽を流している純喫茶を訪ね、私はフルトヴェングラーが指揮する「トリスタンとイゾルデ」をリクエストするのだが、どの店に行っても第3幕第3場でイゾルデが歌う「愛の死」の箇所のレコードが無い。
もうすぐ朝がやってくるので私は焦った。

中国本土を侵略中の皇軍兵士を慰安すべく、私たちはサーカスのキャラバンを組んであちこちを巡業していた。そのとき突然敵が来襲し、銃弾が飛んできた。
私はとっさに私がひそかに好いている女性のほうを見ると、彼女は巧みな宙返りで敵弾を避けていた。

そろそろ死期が近づいてきたことが分かったので、私はそのためにあらかじめ準備していた眺めの良い場所にやってきた。
ところが緊急時に使用するための人工臓器が無くなっているので、きょろきょろ周囲を見回すと、悪戯そうな瞳の若い女と目が合った。

電車から降りて無人の改札口を出たところで、前を行く白いチョゴリを着た若い女が幼女と共に道端の渓流に飛び込むのを目撃した。
私は一瞬躊躇したがザブリと川に飛び込み、まず少女を救い、次いでぐったりとなった女を胸に抱いて水から引きあげた。

蒼白の女は、眉が細く美しい容貌をしていた。
私が「しっかりせよ」と声を掛けても目を開かず、一言も発しないので、盲目かつ聾であることが分かった。
娘とも妹ともおぼしき少女の泣き声だけが、白昼の荒野に響いていた。

「ほら、ほら、ほら」と言いながら、みんなは吉田君からもらった異様に大きな林檎を私に見せつけた。
きっと私の分は無いのだろう。
悲しい気持ちに沈む私の傍を、思いがけず昔の思い人が通り過ぎていった。
なにも言わないで。

私の両側には、2人の女が横たわっていた。
これって前に読んだ村上春樹の小説とおなじシチュエーションだなあ、と思ったのだがそれ以上なにも起こらず、朝になると誰もいなかった。

追い詰められた私たちは、階段を登ろうとしたが、その階段は途中で終わっていたので、階段のたもとまで下って、階段の左の脇道を進もうとしたのだが、そこでにっちもさっちもいかなくなってしまった。
私の顔の前に彼女の顔があった。ので余儀なく私は彼女を抱いた。

金曜日の朝、渡辺派がいよいよ私を粛清しようとしている気配を察知した私は、大聖堂めざして急な坂道を駆けのぼった。

無人の大聖堂をいっさんに駆け抜け、私はその裏道を急いだが、どうも誰かが私の跡をつけているようだ。
真っ暗な小道をひた走りに走ると、いつのまにか異人街に辿りついた。教会では大柄な人々がクリスマス・キャロルを歌っている。

明日は大学試験の初日だというのに、僕たちは夜遅くまで夢中になって話しこんでいた。色々な地方からやって来た受験生の中には、女性体験の豊富な若者もいて、僕らは目を輝かせて、いつまでも彼のレポートに耳を傾けたのだった。

市役所の広報課長はわけがわからぬ男だった。
市に有利な情報だけをマスコミに流そうとして経済、社会、健康、人口、衛生、文化、教育などにかんするありとあらゆるデータの、おのれに有利な部分だけを取り出して、それをごった煮にして公表するのだった。

集英社の編集者に採用された私は、辣腕のヴェテランスタッフたちから軽侮されながら仕事を続けていたが、とうとう編集をクビになって、書籍の荷造り係りに降格されてしまった。
しかしそれでも私は、「なにくそ啄木だって朝日新聞の校正係で妻子を養っていたんだ」と、流星群が降り注ぐ九段坂の夜空を見上げたのだった。

 

 

 

夢は第2の人生である 第3回

佐々木 眞

 

西暦2013年弥生蝶人酔生夢死幾百夜

 

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中国の戦地で孤立した私たちは、手榴弾を投げ尽くしてしまった。しかたなく地の果てまで逃亡すると、雪が激しく降って来た。その場にうずくまって雪がやむのを待ったが、しばらくして、私はとうとう梶上等兵になった。

「さっきまでお前が見ていた夢を、全部思い出すんだ。吐き出すんだ」と、どこかで誰かが怒鳴っていたので、私は目が覚めた。

いつか行ったことがある懐かしい場所。その遠い思い出の場所に限りなく近づきながらも、私はいつまでたっても、そこにたどり着くことができないのだった。

おいらは、あいつが憎らしくて殺したんだけど、牢屋に入ったら、国はロシアン・ルーレットで、おいらたちを殺すんだ。たまったもんじゃあないぜ。と死刑囚の私は呟いた。

返品してくれよ、こんな欠陥商品を作りやがって。しかもせっかく修理したのに、また故障しやがって。なにが「日本を代表する世界のトップ・メーカー」だ。社長を出せ、社長を!

いくたびも、またいくたびも快楽の絶頂に達した吉行和子と藤竜也の絶叫で、わたしは朝まで寝られなかった。

私たちは、しばらく東シナ海をさまよっていたが、やがて同乗していた2人の若者は、言葉も上達したので大陸に残り、私は母国に帰還することにした。

私が乗り組んでいる潜水艦の艦長は、ちょっと変わった人物で、いつもなにやらブツブツ繰り返し言っている。注意して耳を傾けると、「大好きだお、真理ちゃん」と呟いているのだった。

訓練の時にも「敵艦見ゆ、大好きだおお、真理ちゃん」、「魚雷発射、大好きだお、お真理ちゃん」と号令をかけるので、部下から馬鹿にされながらも愛されていた。

艦長は、「水兵は体を鍛えておかねばならぬ」という信念のもと、狭い艦内を、陸上競技場にみたて、私たちを全力で疾走させるのだった。

さてその日は、母港の地元民を艦に招待する日だったが、艦長は、いきなり若くてきれいな女性の手をつかんで艦内に連れ込み、みずからあちこち案内して回った。

艦長は、魚雷の格納庫の傍に彼女を引っ張り込んで、「ほらほら、これが水雷だ。こいつで敵さんのどてツぱらに、風穴を開けるのだ」と言いながら、いきなりチュウしてしまった。

もうこれで何年になるのだろう。私は教団の責任者として、毎日新幹線で東京と大阪を往復しているのだが、精も根も尽き果てた。「教祖」などとあがめられ、奉られても、その実態は一個のでくのぼうに過ぎなかったのである。

学校の卒業旅行は、英国風のグランクルーズだったが、中東だかアフリカあたりで、私は集団から脱落してしまった。ここはいったいどこなんだ。チュニジア? それともアルジェリア? 見たこともない風景が広がり、やたら暑い。

暑い砂の上に横たわっていると、奇妙な形をしたこれまでに見たこともない大中小のリスがやってきて、食べ残しのパンをむさぼり食っている。と、その時、黄色くて巨大な、そして異様に美しい網目ニシキヘビが、リスたちの背後でとぐろを巻いた。

私はある地方都市で、市の広報誌の編集をまかされていたが、その仕事を、ロスの私立探偵フィリップ・マーロウの捜査と意識的に勘違いし、紫のキャデラックに乗っていたので、さまざまなトラブルを引き起こすことになった。

私が下宿していたのは、ちょっと色っぽい元美人の姥桜だったが、これが、事あるごとに私に首を突っ込んでくるのだった。

ローマの皇帝が、その教戒師である私にこう語った。「6人の男女をとらまえて牢屋に入れて、「男は全員明日ライオンと闘え」と命じると、その前夜までには、3つのカップルが誕生している」、と。

私が王国から略奪した3つの玉手箱は、セピア色に塗り替えられた。私はジェットコースターの先頭に第一の玉手箱を置いてこれに跨り、「さあ発車するのだ!」と号令をかけたが、玉手箱には車輪がないことと、私の2人の美貌の部下が、第2、第3の玉手箱に無事に跨っているかどうかを、始終気に掛けていた。

しかし幸いなことに、その不安は杞憂であった。私は安心してジェットコースターの突進に身を任せていたが、それがあまりにも天空高く登りすぎたためか、突如玉手箱もろとも地上めがけて真っ逆さまに転落した。

そして猛烈なスピードで地表に激突するまさにその瞬間に、私はもはや玉手箱の中身になんの関心もなく、2人の美少女にも全く欲望を覚えていないことがわかった。

私は神保町の金ペン堂主人の薫陶を受け、長年の研鑽の末に、ずば抜けた性能を誇る万年筆を1本2千円で製造することに成功した。それから私は、腐女子2名の支援よろしくこれを1本2万円でネット販売したので、ほんのいっときだけは大儲けしたのだった。

私は、喉の奥に生えているジャックの豆の木にぶらさがりながら、どこまでも、どこまでも降りていった。

「26歳の美人秘書付きのオフィスを、無料で貸してあげるけど、使いませんか?」とある親切な方が申し出てくださったので、私は大川のほうに向かった。オフィスの近くに、見慣れない2人の男が待ち受けていて、私を無理矢理銀座に連れて行こうとする。

仕方なくいいなりになって見知らぬバアに入り、飲めないジャックダニエルを一口だけ舐めていたが、トイレに行く振りをして、7うまく脱出することに成功した。

銀座の地下は、ものすごく深いところに地下鉄を含めた何層もの広大な地下通路が走っていて、それが大川の向こうまで走っていることを、私は初めて知った。恐らく東京の地下には、地上を上回る交通網がすでに敷かれているのだろう。

やっとこさっとこ前のオフィスに入っていくと、26歳の美人秘書の代わりに、62歳くらいのおばさんが一人ぽつねんと座っていた。

私の嫁入り先は、古い封建的な約束事が根強く息づいている地方だった。はじめは大人しくしていた私だったが、歳月の経過とともにだんだん本領を発揮して、ある日、思い切って謎めいた埃だらけの部屋を開けた。

まるで江戸時代のような畳の奥座敷には、虫に食われた帳簿が何冊も並べられていて、数人の男が会計の実務に従事していた。彼らは私を見ると驚いたが、帳簿を見た私が、たちまちこの家の危機的な収支状況を把握したのを知ると、さらに驚きを新たにしたようだった。

第2の部屋、第3の部屋と次々に私が秘密の部屋を開けはなっていくと、誰かの注進でそれを聴きつけた夫が、まるで青髭公よろしく目をギョロリと大きく見開いた。

 

 

 

夢は第2の人生である 第2回

 

佐々木 眞

 

西暦2013年如月蝶人酔生夢死幾百夜

 

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オフィスではいつも課長と私と部下の3人が同じところに並んでいたのに、ふと気がつくと上司がいない。あたりをきょろきょろ探すと、遥か彼方にたった一人で座っていた。

 

球場では難民救済のためのイベントが行われていた。遠くから小さな箱に向かって阪神のバース選手と札幌芸大の吉田君がボールを投げる。狭いスポットにうまく入れば大成功というわけだが、わたしにはその勇気がなかった。

 

荒波が打ち寄せる真っ暗な洞窟に降りて行くと、そこでは大勢の若い男女がお面をかぶって乱れ騒いでいた。誰かが私を手招いている。

 

私はロシアのスホイ戦闘機を4機抑留した。なぜか、どのようにしてかは、自分でも全然分からないのだが……。その結果わが国に亡命することに決めたパイロットたちを、私は大阪の寄席に連れて行った。

 

空からぐんと突き出している険しい階段を上っていくと「森本主義者」と書いた哲学者の家があった。どうやら2人の年老いたインテリゲンちゃんが住んでいるらしい。

 

そのうちの白い髭をはやしたおじいさんが、「これが入場券だよ。好きなのを取りな」と言って差し出した白い布の上には、赤、青、翠、黄色などで彩られた美しい鼈甲のような飾りが乗せられていた。

 

ようやく戦争が終わったので、私は氷結したランチを解凍してもらったのだが、その中から見知らぬ男の死体が出てきたので、ギャッと驚いた。

 

懐かしい山紫水明の故郷のはずなのに、それはどこかが根本的に変わってしまったようだった。しかし相変わらず渓流には清らかな水が走り、森や原っぱにはさまざまな花が咲いていた。

 

草原の1本道をずんずん進んで行くと、巨大な白いハスの花にとまった白いゴマダラチョウが、大きな翅をゆらゆらさせていた。

 

私は会社員で、ある製品の企画会議に出席していた。黒板には誰が書いたのか「アメリカン・ファンタジー」という英語が大書してある。あまりにも下らない会議なので「忘れ物を取って来ます」と言っていったん帰宅してから出直すと、もう電車がなかった。

 

さてどうしようか、家に帰ろうか、それとも歩いてでも会社に行こうかと駅前で考えこんでいると、暗闇の中でギラリと光る眼があった。ハアハアと喘ぎながら涎を垂らしている狼犬の口は毒々しい赤だった。

 

私の仕事に脇からイチャモンをつける上司。これは間違いなくパワハラだ。そこで私が「これはおいらの仕事だ。お前さんは大人しく引っ込んでろ!」と怒鳴ったら、その声で目が覚めてしまった。

 

若く美しい女をベッドの上に押し倒すと、にわかに欲情が湧きおこって来たので、おもむろに伝家の宝刀を抜こうとしたが、見つからない。必死で探していると、なんとダリの「記憶の固執」の柔らかい時計の隣にぶら下がっていた。

 

オペラハウスのバルコニーの隣の席に、工藤さんが椿姫のヴィオレッタのような衣装でちらと顔をのぞかせた。「あら貴方、お元気だったの?」と工藤さんが尋ねたので、私は懐かしくなって「君こそ元気なの?」と尋ねたら、彼女は「生きてしあればと」いうアリアを小さな声で歌うのだった。

 

自分でもそれと知らないうちに、私は探偵オペラに出ていたらしい。第1幕と第2幕では女性が主人公であったが、突如「三一致の法則」やそれまでの正常な展開が否定され、ちょうどベートーヴェンの「第九」の歌いだしのような形で、私が進み出るのだった。

 

「こういう短歌を詠むといいわよ」という人がいて、ああそうかなあと思いつつ一晩中考えていたが、けっきょく完成しなかった。その中身は私が丹精込めて世話したカエルの産卵の話なのだが、さてどうしたものかなあ。

 

貧乏な私は、当時ある上司と部屋をシェアしていた。その部屋の壁面は床から天井まですべて無数のノートブックで埋め尽くされており、他の壁面も数多の文庫本によってことごとく埋め尽くされていた。

 

外出から帰った私が、このアパートのトイレに駆け込んで用を足そうとしていたら、もう一人の別の今中という名の上司が、無理矢理オマルに跨って用を足そうとする。文句を言おうとしたが、彼も下痢のようだ。結局私たちは1つの便器をお尻合わせで使用した。

 

私は北海道の新聞社に入社した。先輩が歓迎会をしてくれるというので、一緒に会場に向かおうとしていたのだが、駅で電車を待っている間に見失ってしまった。仕方なく帰宅しようとしたら、北嶋氏から携帯に電話が入り、駅の反対側の居酒屋で待っているという。

 

あたしはフランソワ。きょう学校で校長先生から3万フランもらった。学校の評価基準が変わり、出席・成積・体育のほかに徳育という項目がつけ加わり、あたしのママが死んだ友人のお墓に毎月お花を捧げてお祈りしていることが分かったからだって。

 

あたしはフランソワ。毎日登校すると、入り口で体を横向きにして懸垂しながら腕の力だけでよじ登り、門番が居る部屋に入ろうとするのだけど、いつも失敗する。すると門番が飛んできて、あたしの体を下から抱きかかえて入れてくれるの。

 

あたしはフランソワ。きのう友達の男の子5人がパルチザンに志願して銃を持って学校から出て行った。今朝登校してから窓を開けたら、真っ白いアルプスの山のいろんな所に5つの黒い点が動いていたわ。

 

突然「すぐに来てほしい」という電話が泣き声混じりでかかってきて、しかたなくその部屋を訪れると、私の全身が白い芙蓉のような顔の下にある2つの深紅の小さな穴の中にどんどん引きずり込まれていき、またしても取り返しがつかない事態が引き起こされるのだった。

 

「ほんとうに私がいちばん好きなの」と女が訊ねる。「私よりもあの女が好きなんでしょう、もうあの女と寝たんでしょう」と、なおも追及してくる。ああいやだいやだ、これだからいやなんだと、私は夢が早く覚めてくれることを願った。

 

こんな半島の南端にもスタジオがあるのだった。そこではサーファーの若者を主役にしたコマーシャルが撮影中だった。今ふうのきざなディレクターが「よおし、君ここでOK!ボッケイ!と叫んでくれ」と注文するのを、私はうんざりしながら傍観していた。

 

私が懸命に秘匿していた資料や物件がどんどん明るみに出て、周囲の疑惑が一身に集まって来たので、私は潔くすべてを告白して罪をつぐなうことに決めた。

 

うざったい女どもが、私の邪魔をする。堪忍袋の緒が切れた私は、まず右手の拳銃で右側の女たちを殺しはじめたが、今度は左側の女たちが逃げ出し始めたので、左手で別の拳銃を取り出してバンンバン撃ち始めた。これでいいのら。

 

私はその日に生涯最後の時を迎えた北の王グスタフだった。忠臣どもに遺訓を残らず伝え寝台に美姫を招き、膝に乗せて事に及ぼうとした途端、私はプロレスのセコンドとなって、デブでダメなポンコツレスラーのアドバイスに声をからしていた。「いいか、ゴングが鳴ったらいきなりキンタマキック3連発だ。そうすりゃやあいつも参るだろう。おいお前、聴いているのか!」

 

「ああそうなの、じゃああなたの名前で私がサインすれば、いくらでも交際費が使えるってわけね」と見覚えの無い女がほざいた。

「るせえ、もうもう」と喚きながら私が拳銃をぶっぱなすと、朱に染まって父が斃れた。返す刀で弟にもぶっ放すと、倒れながら彼の父親譲りの牛のように大きな紅い瞳がかすかに頬笑んだように見えた。

 

真夜中に「きゃああ!」という絶叫が聞こえた。女か子供か、はた魔女か?

 

私の教団には「一の山」と「二の山」があって、私は一日おきにそれらを訪問し、宿泊していた。夜になるとその山の宿舎には謎の女が忍び込んでくるのだった。

 

昼と夜の間の境目にはまりこんだ私は、いまが夜なのか昼なのかを考えようとしたが、その考え自体が昼間のものだか夜のものなのか分からなくなってしまった。

 

ピアノの上に女を乗せて膝を割ると、女とピアノが大小高下さまざまな音を鳴らしはじめたので、これはまるでジョン・ケージの音楽のようだと私は思った。

 

清らかな水が流れ、桃の花があちこちで咲いているその里では、上の句や歌に下の句や歌を付けるとただで食事が出できたり、出来栄えによっては無料で旅館に泊めてくれるのだった。

 

会社に「女帝」が乗り込んできたために、今までのように自由にタクシーを使えなくなった。しかし私は最寄りの駅までは10分も歩かねばならない。地下鉄に乗ろうと急いでいると部下の女性が誰かと脇道で接吻していたので驚いたが、放置して通り過ぎた。

 

私は地方の王に仕える書記官として、その一族の事績を細大漏らさずパソコンに登録し記録に残しておかねばならなかった。しかし日々次々に起こる行事や事件をどのような書式で記録するべきかについて頭を痛め、いまだにその形式を見いだせずにいた。

 

通勤中のリーマンたちを背後から急襲したのは、国家警察だった。彼らは必死に逃げる私たちを大通りの向こうの広い公園に追い込んだ。公園は頑丈なロープで区画され、私たちは現行天皇制や憲法などへの賛否別に分かたれたブースへ閉じ込められた。

 

 

 

 

夢は第2の人生である 第1回

 

佐々木 眞

 

西暦2013年睦月蝶人酔生夢死幾百夜

 

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ふと思い立って、昨年の1月から「夢日記」をつけはじめました。

ほとんど毎晩見る夢を、枕元の手帖にメモしておいて、朝一番にできるだけ忠実に再現したものなり。

いつのまにやらいっぱいたまったので、少し「風入」させて頂きます。

なおタイトルは、わが敬愛する仏蘭西の詩人ジェラール・ド・ネルヴァルの有名なお言葉をちょいと拝借しました。

ネルヴァルさん、許してね。

 

最近保守党の党首になった男から、自分のスピーチライターになってくれと執拗に頼まれたが、そもそも思想も主義主張もまるで正反対の人物なので、固辞し続けるうちに朝になった。13/1/3

オーストラリアでは革命が起こっていた。白人とアボリジニが激しい銃撃戦を繰り広げているが、その戦いの理由は判らない。どちらが革命派でどちらが反革命派なのかももちろん不明である。殺されないように逃げまわっているうちに朝が来た。1/3

それからわたしはようやく渋谷の大きな書店の入り口に辿りつき、そこに置いてあった汚れた布団を2つ折りにしてわたしの体を包み込むと、もう何があってもこのまま朝まで眠りこむぞ、と決意したのだった。1/4

私はとっくの昔に会社を辞めたはずなのに、当時の仲間が大勢集まってパーティを開いているようだ。事業部のリーダーがグラス片手にやってきて「あんさん、例の件どないなりましたか?」と尋ねる。はて、例の件とは何のことだろうか。1/5

そうだ忘れていた。吉本隆明にブランド宣伝の提灯持ちの本を書かせてくれるはずの講談社の鈴木編集長と大至急連絡を取らなければ、とんでもないものが世間に出てしまう。1/5

現場に駆けつけて見ると、想像以上の大混乱だった。 すでに暴徒と化した連中がてんでに武器を持って襲いかかって来たので、私はやむをえず腰にたばさんだコルトを取りだして先頭の男のどてっ腹めがけてぶちかますと、彼奴は朱に染まってその場に倒れた。 愉快だった。 1/6

急いで電車に飛び乗ると、国籍不明の奇妙な駅についた。線路の傍まで巨大な波が次々に押し寄せている。津波の前兆ではないかと私の身の毛はよだったが、誰も心配していないようだ。駅前ではボギーの極彩色の広告看板が「三つ数えろ!」と叫んでいる。1/6

ここはどこだか分からないが、どうやら私はがらがらの観光バスに乗って当地にやって来たらしい。しかし観光見物どころの騒ぎではない。なにやら怒り狂った連中がこちらに向かって走って来る。運転手が必死に押しとどめようとするのだが、バスの中に入ろうとしている。1/7

「これは乗り合いバスじゃない。券がなければ誰も乗れない全席指定の観光バスだ。」と運転手が怒鳴ったが、暴徒と化した彼奴等は耳を貸そうとしない。「指定席だかなんだか知らないがガラガラじゃないか。早く俺たちを乗せろ!」とまた怒鳴る。1/8

そこで俺はまたしても腰にたばさんだ愛用のコルトM1911を取りだして、バンバン撃ちまくると、彼奴等は蜘蛛の子を散らすように逃げて行ったので、俺はアテネ五輪金メダルの北島康介のように「チョー気持ちいい」と叫んだのであった。1/9

昨夜の私はなぜだかリヤカーか人力車のようなものに乗って誰かから逃げていた。ここは中国? それともヴェトナムなのだろうか。ふと隣を見るとなんとイラストレーターの川村みづえさんだ。久しぶりなので挨拶しなきゃと思っていると、人力車はいきなり全速力で発車した。1/10

「みづえさん、どうしてこんなものに乗っているの?」と尋ねると「わたしもどうしてだか分からないの。それよりあなたは?」と聞かれても、私にだって分かるわけがない。1/11

フランスの郊外を走るローカル電車に乗っている。昼下がりにの車内は人もまばらだ。やっと駅についたので降りると世界中どこでも見かけるショッピングモールが駅前にそびえていた。入ると見知らぬ人が「お待ちしていました」と笑顔で迎えてくれるのだった。1/12

どうやら先方は私のことを知っているらしい。差し出された手を握るといきなり「例のシャツですが平織りにしますか、それとも綾織りで行きますか?」と聞かれた。いったいどういうことなのだろう? 1/13

この人が誰なのかは分からないが、恐らく服飾の世界の人であり、どうやら生地の問題でもめているらしいが、私にはなんのことやらさっぱり分からない。はてさてどう答えたものかと天を仰いだが、生憎太陽も星も見えなかった。1/14

するとその時、突然「平織り8割、綾織り2割で行きましょう。これがいちばん売れるんです」という声が聞こえたので、誰かと思ってその人物の顔をじっと見るとデザイナーの池田ノブオだった。1/15

私が荒れ地に巨大な木の枠をつくり、それを2階建て、3階建てへと拡大していると、人々がやって来て、「おおなんと素晴らしい。あなたは行く宛てのない難民のための住居をつくろうとしているのですね」と口々に言って握手を求めてきた。1/16

しかし私はそんなことは夢にも考えずに、ただ自分の夢の中でいたずらをしただけのことなのに、彼らはそれを勝手に拡大解釈して世間に触れまわっているのだ。1/17

昨日は大変だった。上司と組んで仕事をするのだが、その上司は「お前は仕事をしなくてもいいから、BGMにマーラーの交響曲を流してくれればいい」というのだ。1/18

法隆寺の沈香のような白壇の古木を11本並べておけば、馥郁たる芳香を放ちながらまるでCDラックのようにマーラーの交響曲を演奏してくれるという訳だが、その並べ方が難しい。1/19

また白壇の古木を9本ではなく11本というのは、マーラーの9つの交響曲のほかに「大地の歌」と未完の交響曲第10番も含まれているのだった。1/20

Twitterのツイートの欄にうなぎを入れ、そいつにチョイチョイ味付けをしてから私は自宅のメールアドレスに発送した。これで帰宅したら美味いかば焼きを食べることができる。1/21

ここはどこだ? たぶん中国の古い城塞だろう。私が大きな石積みの間の狭い道を登っていくと行き止まりとなり、そこから見下ろすと目がくらむような断崖絶壁だった。1/22

城塞の上からは遥か遠くにそびえる山々や平野を流れる川や、中国の古い様式の建物などがよく見えた。青い空の真ん中をさまざまな動物の形をした雲がゆるやかに流れている。1/23

疲れを癒しながらしばし絶景の鑑賞に耽っていた私は、自分の仕事を思い出して愛用のソニーの初代ビデオカメラを左の肩に乗せ、この素晴らしい景観を撮影しはじめた。これはちょっと重いが赤と緑の発色が鮮やかなのである。1/24

ふと気がつくと私から少し離れた所で、ソニーよりも大きなミッチェル撮影機がカタカタと音を立てながら回っている。昔映画の撮影によく使われた名機をひとりで操作しているのは頭の禿げたオッサンだった。1/25

よく見るとオッサンのとなりには、もうひとりもっと頭の禿げたオッサンが立っていて、ジタンを喫みながらミッチェルの回転に留意している。どこかで見た顔だと思っていたらゴダールとラウル・クタールの凸凹絶妙コンビだった。1/26

この至高の景色を前にしてゴダールがC’est Magnifiqueというかと思ったが、C’est mieuxといった。ゴダールたちと並んで撮影しながら私は限りなく幸福だった。1/27

センスの良くないデザイナーが示したレイアウトを前にしてウームと唸るわたし。明らかに彼奴は無能で悪しき表現物なのだが、ではどこをどう直せと具体的に言えないから困るのだ。1/28

私はおそらくモンゴルにいて、かなり高さのあるなんとか峠から大平原を見下ろしている。すると京マチ子似の白い着物姿の女性が、わたしに「どうしてもシェルタリングスカイに変えて頂かなくては困ります」と激しく迫るのだった。でも「シェルタリングスカイに変える」って、どういうこと?1/29

私が森の中で腰を下ろしていると、人々も思い思いに座っていたが、いきなり2匹の白い犬が1匹の黒い犬と喧嘩をはじめた。白い犬が黒に咬まれて悲鳴を上げているが誰も助けようとしない。人々がすがるような目で私を見るので、しかたなく「シロシロ」と呼ぶと、私のところに飛んで来た。1/30

ファニー・アルダンが夢の中で出てきて私に何か語りかけたのだが、ジュリア・ロバーツと同じくらい大きな口が動くのを見ていたので、彼女がなんと言うたのか忘れてしまった。1/31