茅野、そして高遠の

 

薦田 愛

 

 

ダム湖のへりを歩いてお昼の会場へ向かいながら
傘が手放せない
お天気よかったら、もっと暖かかったらねぇ
でも満開だったし、おなかいっぱい
これ以上ないくらい桜ばっかり
そうね、それならよかった
高遠城址公園からさくらホテルへ
下り坂とカーブをきる道は湿っている
よかった、辿り着けてよかった
どうなることかと思ったもの
今朝は

ぬかった
スーパーあずさ1号に乗り遅れてしまった
四月十三日月曜午前七時新宿発の
中央本線茅野駅九時八分着の
母とふたりぶんの席をぽかんとあけたまま
目の前で発車した
低い低い空の朝

高遠の桜をみに行こう
寒いからとやめた二月の河津のかわり
そこにしかないという
タカトオコヒガンザクラを
みに行こう
母と話したのは三月初め
高遠城の名前は知っていたけれど
運転もしないから
長野の山あい高みはるかなところ
行くこともないと思っていたのに
タカトオ、と母が
上田さんからきいたのか、細川さんだったか
口にしたから
行ってみるとしたら、と調べた
ああ、行けないことはない
というか行ける
遠い
遠いよ
それでも日帰りのほうがらくだという
母の誕生日の翌日
週末の混雑を避け
休みをとって行けばいい
散ってしまうよりは咲きかけでも
茅野からはバス
目的の城址公園で三時間
ただし昼食時間を含む
そのあとに梅苑――梅苑?
桜のころに梅の花?
そんな日帰りツアーに申し込んだ春彼岸
カウンター越しに渡された旅程表の
赤で印をつけられた緊急連絡先が
まさか役だつことになるなんて
乗り遅れた場合はクーポンだから
まるまるダメになると思っていたら
違った

新宿駅でみおくってしまったスーパーあずさ
そうと気づいたのは上野でのこと
余裕をみて出かけたはずが
いつのまにか費やされ
JR上野駅山手線外回りのホームで
まっしろになる
ここじゃない
地下鉄銀座線で行かなくては間に合わない
平日朝六時半、東京のただなかで
今しがた行った一本の次はいつなのか
まっしろ
待つのがよいのか経路を変えるのが正解か
いまさら検索しなおしても、とくちびるをかむ
むなしくページを繰る私の干からびた脳
ちいさすぎるケータイの画面
立ちつくす母がことさらちいさくみえる
はらをくくる
ごめんなさい新宿から乗るあずさに間に合わなくなった
なんとかするから、とにかく向かいましょう
いやなんとかなるかどうかわからないけれど
わびるしかないではないか
私はわからないからついて行くしかないよ
そう言って母は

早くしなさい、なにやってるの
ぐずぐずしないで
せきたてられるこども
要領のわるい気質はのこって
年を重ねた
ひとりだけ育てた母も
年を重ねた
連れだって歩いて、つい足早になると
置いて行かれそう
仕返しされてるみたい、と苦笑
仕返しだなんて
せきたてていたのは躾だったんじゃないの?
尋ねたことはない
だから言ったでしょ
もっと早く出かければよかったのに
矢継ぎ早に言われても不思議はないのに
だまっている
言われればくちおしいが
言われなければ心配になる
埋め合わせる言葉を
探したいのに
なんとかできるか考えることで手いっぱい
次の中央本線下り特急新宿発は三十分後
茅野に九時五十一分
ツアーのバスが九時半に出ると次は二時間後
タクシーしか足がない
お城でツアーに合流できるのか
そもそもツアー参加は目的じゃないはず
合流に意味はあるのだろうか
思いが逸れる
ひとりならやめてしまうかもしれない
けれど今日は
母を誘ったのだから
いな
タカトオの桜、という
母の言葉に誘われたのだから

乗り遅れた場合、当日の後続列車、自由席に限り有効
という一行を旅程表に発見
でも中央本線だから新宿発とは限らない
千葉からぎゅうぎゅう詰めで着いたらどうしよう
三両のうち二人ぶんの席
なければ指定席
二時間立ったままは母には酷だ
もしも満席だったら……
不安がふくらむのに待ち時間は充分
駆け寄って駅員さんに聞くとやはり千葉方面発
紛らすように
現地バス営業所すなわち緊急連絡先に電話すると営業時間外
八時まで緊急事態の解消は延期
やがてぎゅうぎゅうのあずさが入線、ドアから降車に次ぐ降車
そう、月曜の朝だった通勤電車なのだ
ひとのあふれ出たあとの車両へ身体をねじ込む
ああ座れる
指定ではないし遅れてはいるけれど
向かっているね
高遠へ
地図の上なぞる思いでたしかめたしかめ
バス営業所へもう一度

あずさに、そしてツアーバスに遅れたと言うと
運転手さんは大笑い
いやいや、だからあなたにお願いするわけで
茅野駅前からアルピコタクシー、午前十時前
鼻先を逃れる
いな
乗り遅れたツアーバスに電話
城址公園で桜をみたあと
さくらホテルの食事会場で合流してください
添乗員の女のひとの声
バスのなかに響いているね
はずかしい
食事のあとバスで梅苑へ向かうから
後半で合流ってことになるのかな
山ひとつ越えて
高遠は茅野より標高が低くて暖かいんですよ、と
運転手さん
高くて遠いところと思っていたけれど
伊那、いえ、否、山あいの
お城は平山城と
あとになって読んだ案内ちらしにあった
山ひとつ越えて近づく道みち
ほのかに赤らむ木々が群れていて
このあたりはまだ木が若いから
色も濃いの
お城のほうが白っぽいかもなあ、とつぶやく

お礼を言って下りる足もとは水たまり
ライナーつきコートに携帯レインコートを重ねた母に
駅で見つけた使い捨てカイロを渡す
濡れながら広げる傘の先ほら
タカトオコヒガンザクラ
小さなほの赤みの差す花は
きゃしゃで小柄な母の手にするデジカメにも易々とおさまる
傘に鞄にデジカメ
両手いっぱい身体いっぱい桜にあずけるように母は
いっぽんからいっぽんへ
カメラを向けて
むちゅう
ねえ、そろそろ行かないと
お城に着く前にメモリがいっぱいになるよ
促す私も深々と息をついて
ケータイで一枚
タカトオコヒガンザクラタカトオコヒガンザクラタカトオコヒガンザクラ
いちめんのタカトオコヒガンザクラならぶ城址のぬかるむ凹凸を靴裏に写し取りながら
山肌おおう花はな花の綿あめ
融けかけた綿あめの甘い赤みに似た花を追ううち
ふりかえりざま羽がいじめ
低い花枝に阻まれる
しなる枝の鞭
花の虜にならよろこんでなる
母にちがいない
いな、私は
ああ、お昼の時間に
遅れないようにしなくては

 

 

 

ファミレス

 

みわ はるか

 

 

「ファミレス」に来た。
一人で。
いつも来てから後悔するのに。
もう一人で来るのはやめようって思うのに。
忘れたころにまた足を運んでしまう。

略さずに書くと「ファミリーレストラン」。
日本語にすると、「家族で食事する場所」と言ったところだろうか。
食器と食器が触れ合う音とともに楽しそうに会話する家族の声が聞こえてくる。
家族が同じテーブルを囲み、各々好きなものを注文し、それを口に運ぶ。
そんなほほえましい姿を第三者である他人が怪しまれることなく垣間見ることができる。

気の強い母だった。
不器用な父だった 。
小学生のとき参観日に両親の姿を見ることはなかった。
入学式と卒業式、ピースサインで二人の間に自分が収まっている写真は貴重だ。
学校から帰って一番に鍵穴に鍵をさすのは自分の仕事だった。
飼っていた牛みたいな模様の犬だけがしっぽを盛んにふって毎日出迎えてくれた。
家の中に入ってまずはじめにテレビをつけた。
電気ではなくて、テレビ。
自分に話しかけてくれているわけではないけれど音がするということに安心した。

耳をそばだてていた。
母の運転する車が家の敷地に入ってくる音を聞き逃さないように。
一目散に走った。
今日あったことを報告するために。
音読のテストですらすら 最後まで読めたこと、給食に大嫌いなサバがでたけれどできる限り食べたこと、友達が新しい自転車を買ってもらってそれがものすごく羨ましいこと、来週の家庭科の調理実習には人参を家から持っていかなければならないこと。
話すことなんてたくさんあった。
どうでもいいことから本当に大事なことまで。
それでも全部伝えたかった。
自分のことは全部知っていてほしかった。
仕事から帰ってきた母はとても忙しそうだった。
留守電の確認、夕飯の準備、明日の天気予報の確認・・・。
人を寄せ付けない雰囲気がそこにはあった。
今、成人し仕事をするようになった自分にはそのときの母の気持ちや行動が理解できる。
仕事を遅くまでやり 、帰ってからは家族のためにご飯やお風呂の準備、愚痴をはくこともなく毎日こなしてくれたことに感謝しかない。
しかし、当時それを理解するのには幼すぎた。
寂しかった・・・寂しかったのだと思う。

何かを確認するために、何かを取り戻すために自分はファミレスに行くのだと思う。
5、6人掛けの椅子にひ1人で長く居座るのは少し目立つけれど。
きっとまたファミレスに自分は行くのだと思う。

 

 

 

厚くてガッチリ

 

辻 和人

 

 

すぅーっ
はぁーーっ
すーっ
はぁーーっ
深呼吸、深呼吸
はぁーーっ
さすがに緊張してます
滅多に着ないスーツとネクタイが
ぎゅぎゅっと体を締めつけてきます
(職場は自由服だもので)
今日はミヤコさんのご両親にお会いする日
下北沢のドーナツショップでミヤコさんと待ち合わせてるんだけど
アイスコーヒー、味が全くしない
すぅーっ
はぁーーっ
すーっ
はぁーーっ
あ、ミヤコさん、来た

先週、ぼくの両親にミヤコさんを紹介したんだ
それがさ
いきなり和気藹藹なのよ
いきなりバンザイなのよ
食事の前に母が経営している(といっても一人でだけど)陶器の店に連れてったんだけど
「これ、きれいですね。」
「あら、そうでしょう。有田の若い作家さんが焼いたものでね。」てな調子
ホテルの和食レストランに移動した後は
「インドに出張されたんですか?……あははっ、そりゃ愉快ですねえっ。」てな調子
何しろ女性を両親に紹介したことなんか初めてだからなあ
それだけで両親は舞い上がってる
もちろん、ミヤコさんのきちんとした受け答えがあってのことだけどさ

しかし、逆もこういくとはかぎらない
お父様は「頑固者」だそうだし
……はぁ、腹を括るってこういうことか
えーいっ、何のこれしき
ノラ猫だったファミを実家まで運んだ苦労を思えば
「辻さん、お待たせしました。今日はよろしくお願いします。」
「こちらこそ。緊張してますが、頑張りますのでよろしくお願いします。」
いざいざ
相模大野へ、出発

祐天寺のアパートで面倒をみていたノラ猫ファミを
伊勢原の実家で飼ってもらうことにしたのがかれこれ6年前
猫狩りに遭うんじゃないかと心配してね
アパートじゃ飼えないので両親に頼みこんだというわけ
今では家の主みたいな顔してるけど
連れてくる時は大変だったんだよ
運ばれる最中
ファミは猫キャリーの内側を狂ったように引っ掻いて暴れた
引っ掻く、鳴く
引っ掻く、鳴く
ああ、思い出してきちゃったな
その同じ小田急線の電車に
ぼくは手足を硬くさせたまま揺られてマス
深呼吸が途中でふぅっとため息に変わってしまいマス
こりゃ、元気がある分ファミの方が上だ
ちょっと怖いけど大丈夫、なんて言ってたのにさ
ただの顔合わせ、挨拶しにいくだけなんだって
幾ら自分に言い聞かせてもダメなんだよね

相模大野駅で降りてバスに乗り換えて10分
ラーメン屋さんを過ぎて細い路地に入って
すぅーっ
はぁーーっ
すーっ
はぁーーっ
「ここが私の家です。じゃあ、頑張りましょう。」
はい
植木がいっぱい並んだそのお家のブザーを
意を決して
えいっ
押した
すぅーっ
押しちゃったぞ
はぁーーっ

「お待ちしていました。さ、どうぞおあがり下さい。」

出迎えてくれたのは
頭髪はちょっと薄くなっているけれど
精悍な感じのお父様、それに優しそうなお母様

「今お茶お持ちしますからね。楽になさって下さい。」
「はい、ありがとうございます。」
楽になんかできるわきゃないけど
―どこにお勤めですか?
―お休みの日は何をなさっているんですか?
そんな質問に一つずつ答えていくうち少しずつ落ち着いてきた
サルサのバンドを学生の時からもう30年やっている話をすると
「はははっ、それは結構ですねえ。」
おいおい
フレンドリーな雰囲気じゃないか
お母様は短歌を詠まれているそう
同好の方々と共同で刊行した歌集を見せていただいた
良い歌が幾つもあった
詩集を出したことのあるぼくとしては
「今度単著で歌集を出されてはいかがでしょう?」と
先輩風(?)を吹かせてみた
「いやあ、私なんかがとてもとても。」
謙遜されていたけれどまんざらでもないような……

答えるばかりじゃ会話は成り立たない
余裕も出てきたし、攻勢に転ずるか
「お父様はフィリピンで印刷の仕事をされていたとお聞きしましたが?」
すると
待ってました!

「私はね、若い頃は○○印刷に勤めていたのですが、
その後、縁があってフィリピンの印刷会社に入り
経営に携わることになりました。
ミヤコがまだ小学生の頃でしたかねえ。」
そこからの話はマジで面白い
フィリピンの人たちに印刷についての知識を授けて
信頼を勝ち取っていったというのだ
「日本人が評価されるのはですねえ。
現地の人にノウハウを教えて自分たちの手でできるようにさせるところですよ。
他の国の人はそんなことしない。ただこき使うだけ。
日本人は現地の人と一緒にやろうと考える。
だから信頼されてどんどん次の仕事がくる。」
「フィリピンではたくさん友人ができましたよ。
印刷会社の社長の弟さんでカルロスさんという方がいらっしゃるんですけど
今でも大親友ですよ。
フィリピンに来い来いっていつも言われてまして
前に遊びに行った時は一家で大歓迎でした。」
―日本はフィリピンに侵攻したことがあったじゃないですか?
「そう。すごい迷惑をかけた。
でも、日本を恨んでいるフィリピン人はあんまりいない。
××さんという方なんて
日本軍の捕虜にされたんだけど収容所がそれはそれはひどいところ。
海の近くにあるんだけど
潮が満ちてくると収容所に海水が流れ込んでくるっていうんだ。
それでも自分からはそんな話一言もしない。
後で知った時はびっくりしたねえ。
戦後の日本は戦前とは違うってわかっているんだ。」

熱のこもった話がいつもまでも続く
テレビのドキュメンタリー番組を見ているよりもずっと面白い
日本の繁栄を支えてきた人の中にこういう人がいたんだなあ
まあ、こういう草分け的な仕事をする人は
多少頑固なところがないと務まらないよな(笑)
話題の先を仕事から趣味に変えてみた
「お父様は陶芸がご趣味とうかがっているのですが
この棚にあるお皿やカップはお父様の作品ですか?」
こちらの反応もすごい。

「ええ、ええ、だいたい私が作りました。
引退してから陶芸を始めましたけれど、今では出品して販売もしています。
最近あちこちで陶器市が開催されるようになってきてましてね。
月に何度も展示販売することがあるんです。
仲間と一緒に店を出してね、これが楽しくて仕方ない。」
横からお母様が嬉しそうに口をはさむ
「これだけやってて赤字じゃないんですって。」
「そうなんです。多くはないんですけどね。利益が出てるんですよ。
そのためにはちゃんと使えるものを作らなくちゃいけない。
例えばこの急須は取っ手のところが難しい。
ぽきんと折れちゃったらどうしようもないですから。」

棚に収めてある作品は
母の店の有田焼と違い
分厚く、ガッチリ作られている
でも
マグカップはお茶が飲みやすく
皿は料理が並べやすく
使う人のことを一生懸命考えて作った末にできた形だ
しかも遊び心も忘れていない
「これ何だと思います?
瓢箪みたいな形でしょう。
これ、徳利を真っ二つに切ったものなんですよ。
面白い形のおかず入れができるなと思いついて
切ってみたら意外と使いやすくて評判もいい。
飽きがこないようにするには工夫が必要なんですよ。」

それら線の太い造形物は
にょきっと足が生えていて
踏ん張っているように見える
滑らかではない厚手の体は
紛れもなく生きている者の生きている手で
ヨイショヨイショとこねられたもの
土だけど
生身だ
スキを見て
乗せてある料理を
パクッと
食べちゃう
ん? 一つ残しておいた肉だんご、どこ行っちゃたんだ?
なんてことが起こってしまうかも

後半はすっかり聞き役に回ってしまった初顔合わせ
「またぜひおいでください。」の声に送られて
お家を後にする
「お疲れ様でした。」ミヤコさんが笑う
「ふーっ、疲れたけど、何か楽しかったですよ。」
涼しい風が吹いている
夕暮れが近いな
振り返ると
家の前に並べられた山野草の鉢が
来た時よりずっと鮮やかに見えた

 

 

 

ファミレス

 

みわ はるか

 
 

「ファミレス」に来た。
一人で。
いつも来てから後悔するのに。
もう一人で来るのはやめようって思うのに。
忘れたころにまた足を運んでしまう。

略さずに書くと「ファミリーレストラン」。
日本語にすると、「家族で食事する場所」と言ったところだろうか。
食器と食器が触れ合う音とともに楽しそうに会話する家族の声が聞こえてくる。
家族が同じテーブルを囲み、各々好きなものを注文し、それを口に運ぶ。
そんなほほえましい姿を第三者である他人が怪しまれることなく垣間見ることができる。

気の強い母だった。
不器用な父だった。
小学生のとき参観日に両親の姿を見ることはなかった。
入学式と卒業式、ピースサインで二人の間に自分が収まっている写真は貴重だ。
学校から帰って一番に鍵穴に鍵をさすのは自分の仕事だった。
飼っていた牛みたいな模様の犬だけがしっぽを盛んにふって毎日出迎えてくれた。
家の中に入ってまずはじめにテレビをつけた。
電気ではなくて、テレビ。
自分に話しかけてくれているわけではないけれど音がするということに安心した。

耳をそばだてていた。
母の運転する車が家の敷地に入ってくる音を聞き逃さないように。
一目散に走った。
今日あったことを報告するために。
音読のテストですらすら最後まで読めたこと、給食に大嫌いなサバがでたけれどできる限り食べたこと、友達が新しい自転車を買ってもらってそれがものすごく羨ましいこと、来週の家庭科の調理実習には人参を家から持っていかなければならないこと。
話すことなんてたくさんあった。
どうでもいいことから本当に大事なことまで。
それでも全部伝えたかった。
自分のことは全部知っていてほしかった。
仕事から帰ってきた母はとても忙しそうだった。
留守電の確認、夕飯の準備、明日の天気予報の確認・・・。
人を寄せ付けない雰囲気がそこにはあった。
今、成人し仕事をするようになった自分にはそのときの母の気持ちや行動が理解できる。
仕事を遅くまでやり、帰ってからは家族のためにご飯やお風呂の準備、愚痴をはくこともなく毎日こなしてくれたことに感謝しかない。
しかし、当時それを理解するのには幼すぎた。
寂しかった・・・寂しかったのだと思う。

何かを確認するために、何かを取り戻すために自分はファミレスに行くのだと思う。
5、6人掛けの椅子にひ1人で長く居座るのは少し目立つけれど。
きっとまたファミレスに自分は行くのだと思う。

 

 

 

pot つぼ 鉢

 

今朝は
スープをつくらなかった

昨夜
曽根さんと飲んで

神田で
銀座線に乗ったのかな

中目黒で乗換えて
気付いたら

日吉だった

新丸子で
夜中に

渡辺 洋さんのツイートを読んだ

長尾さんが纏めてくれた

いつもポットに
スープを入れて会社に行く

 

 

 

such そのような

 

モコは元気がなかった

散歩にいこうといっても
困った顔で

みあげていた
うずくまっていた

それで病院に連れていった
血液検査をした

怖がり痛がるからだを押さえて
血をぬいた

検査結果に問題はなく
整腸剤をもらって帰ったのさ

そのような休日だった

 

 

 

泥んこ銀製の夜

 

爽生ハム

 

 

深夜のポテチ、たばこの光が蛍

どこで手に入れる、そんな回路

これが蛍ならぶらさがってみる
これが蛍なら
これが蛍なら誰をおもってみる

蛍光灯の下、数える
夜と昼、でも、なぜか夜は稼げる
街灯に出会わない
とおいとおい街、夜景を見透かす
底辺の夜は、まがる

消費する昼に会いたい
破裂した深夜のポテチ
円盤が街を侵略する

寝ている人を棺桶にそっと移して
花が寝ている、場所へ連れていく

もう少し待て
湧き水が別れて
銀幕のスターが夜を
まわす、まざる、あける

 

 

 

ある晴れた日の出会い

 

 

みわ はるか

 

 

もうあれから5年たつのかとカレンダーを見ながらふと思った。

5年前の今日、転勤により全くなじみのない町に一人で引っ越してきた。
住み始めたアパートには若夫婦とその子供からなる核家族が多く住んでいた。
その中の1つ、わたしの隣には当時小学校1年生だった少女が両親とともに生活していた。
わたしはその少女に心を救ってもらったことを今でもとても感謝している。

当時、わたしは仕事で何をやってもうまくいってなかった。
自分をさらけだして相談できる友人や同僚もおらず、途方に暮れ心を病んでいた。
生きる意味さえ見出せずにいた。
そんなとき、ふと窓を開けベランダに出て下を見ると、黄色い帽子に真新しいランドセルを背負ったその少女と目が合った。
屈託のない笑顔に、きらきらした目をわたしに向けてくれていた。
その顔からは、大袈裟かもしれないけれど、明日や未来に希望だけを見出しているかのように見えた。
残暑が残る8月下旬、その子の髪から滴り落ちる汗さえも美しい結晶のように感じた。
わたしの顔にも自然と笑みが表れ、もう少しだけがんばってみよう、そんな気がわいてきたのだ。

来年の春、彼女は中学生になる。

 

 

 

家族の肖像~「親子の対話」その1

 

 佐々木 眞

 

 

「♪オオレエ、オレ、オレ、オレエ。お父さん、僕歌ったよ」
「何を歌ったの?」
「サッカーの唄だお」

「お母さん、歴史ってなに? 歴史ってなに?」
「それはね、昔何が起こったかっていうことよ。たとえばわが家の歴史はね」
「そうですよ、そうですよ。もう分かりました、分かりました」

「僕、おとぞうさん、好きですお!」
「そうなの」
「おとぞうさん、大好きですお。僕、おとぞうさん」
「こんにちは、おとぞうさん」
「こんにちは」

「みんないなくなっちゃったねえ」
「大丈夫、お父さんもお母さんもいるわよ」
「みんないなくなっちゃったねえ」

「大江光の『人気のワルツ』好きですお」
「どんな曲?」
「ラララア、ラララア、ラララア、ラララア」
「そうか、そういう曲なんだ」

「お父さん、夏は『夏美』の夏でしょう?」
「そうだよ。NHKの『どんど晴れ』の若女将だろ」
「『私は夏美です』」

「小林さんのおじさん、ダンボ知ってる?」
小林理髪店主「知ってるよ、大きな猫でしょ」
「違いますお。ダンボは象ですよ」
小林理髪店主「そうか、象かあ」

「ぼく、タカハシさんに『手とまってる』『ちゃんとやりなさい』っていわれちゃったよ」

「お母さん、しりとりしよ。ファミリーナ宮下」
「た、た……たぬき」
「----」

「お母さん、頑固者てなあに?」
「自分勝手でひとのいうことを聞かない人のことよ。耕君って頑固者?」
みなまで聞かず二階に去る子。

 

 

 

pond 池

 

かつて
冬の池に身を投げて死んだ

男がいた

男は

自己に
殺されたのだろう

池は

閉じこめる
鏡だ

水を

ひらき
流れて

海に
いけよ

男よ
死んだ男よ

みんなそこにいくが
景色は違う

突堤がのびていた

テトラポットが

波に
洗われていた