ふたりだけの時間
という
冊子を
山下徹さんから
いただいた
ボクと
えっちゃんが
登場した
日録だった
2014年6月11日から7月19日までの
日録だった
ヒトに渡すコトバがあった
売りものではない
テレビ放送ではない
ふたりだけの時間
という
冊子を
山下徹さんから
いただいた
ボクと
えっちゃんが
登場した
日録だった
2014年6月11日から7月19日までの
日録だった
ヒトに渡すコトバがあった
売りものではない
テレビ放送ではない
二の酉、通りは人ひと人の
しらない顔かたちにあふれている
下町、くるわ、のおかれていた近く
こんじきの文字を掲げたお社はあり
隙間なくならぶ提灯しらしらと照らす境内へ
うねうね長い行列のひとりとなって進む
久しく
詣ることのなかった神さまのもとへ
しらない顔かたちの
人ひと人のあとにつづく
列をなして対面、神さまと
列をなして対面、神さまと
神さまと対面するいっしゅん目指して
列をなす
しらない顔かたちどうし
すごいねぇ、とまばたきする
しっている顔かたち
旧い友と、友の友
すごいって?
しらず張り上げる声かき消える
路地の闇
すれちがう人の肩におどる
通称かっこめ、つまり
鶴亀松竹梅大判小判俵七福神干支のひつじ
そして福相のおみなすなわち
おかめを飾った
熊手
揺れて
通りを渡る
神輿のように
旧い熊手はこちらへ
ゆるみのない誘導
境内は狭いですから押さないで押さないで
神さまは公平ですから
列をなし
対面まであと少し
お賽銭の遠投をこころみる
初老短髪腕に覚えありと書いてある顔
ちいさくうなる放物線の
くりかえし刻まれるいちにち
列をなして対面、神さまと
列をなして対面、神さまと
おもいおもいの個別を証しだてる術はなく
おもいおもいの重さ大きさをはかる野暮もなく
いっしゅんののち
ぐにゃっとほどけて
ちりぢりの人ひと人
しらない顔かたちも友の顔も
おもいおもいにあおぐ見あげる
とりどりあまたの
かっこめ
大鷲の爪のつよさにあやかって
つかまえよ財宝、つかまえよ福を、と
つぶやいてみる
ああ、手拍子だ
生乾きの胴体が二年後にやっと乾く。
わたしの焼身はスケッチされて終わる。
(心配だ、信用するべきか、慣れたから許せるのか。)
快音響く鳩のぱたぱたを追いかけ、羽の細やかさに目を疑う。
突然に襲われた。後頭部への打撃、むせる口もと、
茶番に興じる。休日の人
茶番と判断する人は、永久に鳴りやまない訪問者に褒められ続ける。
そして、また褒められる為に功績が欲しくなる。
わたしは
悲惨でなおかつ、暇だから、唾で日本酒をはねかえして、人の淵を温めて過ごす事にした。
ブルックナーをふと聴きたくなって
(たくさん演奏は持っているのだが、
(奥のCD書庫に行くのはちょっと面倒で
(手近にあるアーノンクールの箱に手を伸ばし
しかし
その前にメンデルスゾーンの『イタリア』を
なぜか聴きたくもなって
手近のブリュッヘンの演奏をとり
そこから遠くないところに見つかった
ブロムシュテット演奏の『ロマンティック』
ブルックナー第4番も手にとり
(これらが今の気分にいちばん合うものではないのは
(わかっているのだが
(手近さから
(面倒くささから
アーノンクールのブルックナーとあわせて
ステレオの前のテーブルに置き
アーノンクールから聴きはじめたが
(TELDECの2012年発売のこのボックスは
(ちょっと違うシャープなブルックナーが聴けて
(買った当座はずいぶん聴きこんだが
どうしたことかナ
今日はピンとこない
あんなに現代そのもののようにシャープな音だったのが
今日はヌルくなって聴こえる
つまらない
つまらない
つまらない
ので
ブロムシュテットに替える
が
買った当座はなかなか味わい深く感じたこれも
今日は鈍く感じ
つまらない
つまらない
つまらない
どうしたのかな
よかったんだけどな
DENONのこれ
こんなにつまらなかったかな
やめる
で
で
で
ブリュッヘンの『イタリア』
メンデルスゾーンに
ああ
これはいい
シャープな音
切れがいい
もたつかない
…シャープさを求めているのか?
演奏に
演奏にまで
つめたさと
シャープさと
ガラスと新建材でできた
新しい巨大なさびしさを湛えた高層ビルの
どこかの廊下やロビーでうっかりひとりになって
じ・ぶ・ん
などというものがすっかり透視され切って
(…切・っ・て
(…切・っ・て
しまっている時の感覚のような
演奏
音
響き
そして響きの切断を
求めて
いるのか?…
のか?…
で
ブリュッヘンの『イタリア』を
ぜんぶ
聴いてしまう
聴いてしまった
聴いてしまった
(アーノンクールも
(ブロムシュテットも
(ぜんぶ
(捨ててしまおうかナ…
(売るのではなく
(燃えるゴミの
(袋に入れて
(断罪
(してしまおうかな
ま、
べつの時には
べつの気分
(―生マレ変ワリノ機会ヲ与エヨ
(―蘇リノ
(―機会ヲ奪ウナ
(どんな演奏を集めても
(CDなど
(ようするにプラスチック
(君ハぷらすちっく相手ニ歓ビ
(落胆シ
(興奮シタリ
(オゾマシクモ文化シヨウトシタリ
ニーチェを最近忘れているんじゃないかキミ?
(ああ
(プラスチックな
(キミよ
(おプラスチックな
(おキミよ
お
バレンボイムが1994年にベルリンフィルをふった時の
ブルックナー第8番もこんなところにあるが
…かけてみる
ああ
つまらない
音の厚みはいいけどな
つまらない
つまらない
つまらない
こんなにつまらなかったかな
やめる
こんな時にちいさな生のむなしさが
おもむろに水位をあげて
ひたひた
ひたひた
ちゃぽん
ちゃぽん
足首まで
もう没して
こころの
足首
ひたひた
ちゃぽん
ちゃぽん
人生
ジンセイ
ジンセエ
なんて
どこにも
けっきょく向かわない
脳内3Dだったということが
わかっちゃうとねエ
(小津映画でも見て
(セルフ鎮魂
(セルフ鎮まり
(しますか…
(しますか…
(しますかァ…
ことばは鎮魂
あわれなアナタ
生きてる細胞の泥沼の戦場
あわれなアナタ
キレイゴト言ってもキレイゴト夢見ても動植物の殺戮者
新陳代謝
死滅し続ける細胞たち
巨大企業のように
あなたの体が解雇し続ける無数の細胞たち
期限つきで生き残って酷使される現細胞たち
アワレといわずしてなんと言おう
生の条件
生は差別と選別と見捨てと殺戮の無限連鎖
…と
最近
めったに聞かない
グレン・グールドのバッハ『ピアノ協奏曲集』
目に留まる
発見
CD書架のわきに入れっぱなしのままで
隠していたわけではないんだけれど
ネ
バッハのチェンバロ協奏曲
ピアノを使えばピアノ協奏曲
オーボエで演奏している人もいたりするが
ほんとうに大好きな曲集でネ
いっぱい
いっぱい
演奏
持ってる
あるよ
(ワタシ、コレクター
(では
(ないアルヨ
(あれこれ聴き集めてたら
(いっぱいに
(なっちゃった
(ダケ
(ダケ
(物欲でもないアルネ
(なりゆき
(ものの
(ハズミ
(我ガ人生の
(すべての
(ように
(…アーメン
グールドの演奏はネ
けっして最良とはいえない
コロンビア交響楽団をバックに
バーンスタインや
ゴルシュマンなんかとやったのが
SONYから出ているけれど
やっぱり
古楽器のチェンバロ奏者の名手たちが弾いたのには負けている
グールド節があまり通用しない曲なのか
あのバーンスタインらが
やっぱりグールドとは反りがあわないのか
とにかく
聴くんならグールドではないものを―
となってしまう
他の奏者のものを
と
グールド
かわいそ
グルード
かわいそ
だが
ひさしぶり
見つけちゃったから
かけてみる
聴かないで放っておくと
CDにも埃はつくし
黴ることもあるし
ときどき
使ってみる
いい
こと
アルヨ
モノ
物質の
アワレサ
よ
…
…
…
(かけている
…
…
…
(かけてみている
…
…
…
と
で
よかったんだよ
グールド
これ
が
現代の録音技術から見れば
録音には切れがない
雑音がある
ところが
そんなものを超えた切れ味がある
なんだ
この切れ味は
バッハから来るものか
いや
いや
切れ味とかシャープさとか
そんなもの
どうでもいいんだと思わせられる
そんな演奏
けっこう手作り
手作り感満載
こちらの
価値観や消費者的要望を
切ってくる
ゴシゴシ
いつのまにか
こそぎ落としてくる
そんな
経験
ちょっと分厚い空気で包まれ直すような
経験
グールドだから
伝説だのあれこれのエピソードだの
そんなものもワッと蘇るから
そんなもののためかもしれないが
それでも
馬鹿正直に突き進んだ人の
(その人はもういないのに…
(その人はもういないけど…
熱が
ワッと来る
モコモコ
もこもこ
そこに
している
熱が
なのダヨ
熱が
もこもこ
もこもこ
うぉわーっと
ふぉわーっと
ふんぉわーっと
んぉわーっと
グールドの熱
グールドには熱があるのだよ
あったのだよ
その熱に
ひさしぶりに会ったよ
わたしは自分の求めていたものを反省した
会うべきものを誤っていたのではないか
たぶん他の間違いも犯しているのではないか
犯し続けているのではないか
わたしは反省しなければいけないのではないか
あれもこれも
いろいろと
たくさんのことを
自分の感覚も考えも価値観もだ
おおおおおおおわたしは反省するぞ
まだまだ大展開するぞ
しなきゃいけないのだ
今日の今のここまでのわたしはわたしにとって殻である
わたしは変わる
ついさっきまでグールドの熱を忘れていたではないか
そんなわたしはわたしにとって大切ななにかであるか
ノン
ノン
ノン
絶対にノンである
わたしは転回する
わたしはいま変わる
いまからさらに変わる
まだまだ変わらなければいけなかったのだ
くそくらえ年齢体調時代文化教養経験こびりついたわたし認識
わたしはいまから変わる
Beau ciel, vrai ciel, regarde-moi qui change!*
Beau ciel, vrai ciel, regarde-moi qui change!
(…美しい空、真の空、さあ見よ、わたしが変わるのを!)
(…美しい空、真の空、さあ見よ、わたしが変わるのを!)
ヴァレリーさん!
こんな意味で言ったのかあなたも
あなたの側に行こうなんて思っちゃいない
しかしこの文句は共有する
ヴァレリーさん!
Beau ciel, vrai ciel, regarde-moi qui change!
Beau ciel, vrai ciel, regarde-moi qui change!
(…美しい空、真の空、さあ見よ、わたしが変わるのを!)
(…美しい空、真の空、さあ見よ、わたしが変わるのを!)
さあ見よ、わたしが変わるのを!
あなたもだ!
今のままで安定飛行していこうなんてダメだ!
このまま楽なところへ降下して行こうなんてダメだ!
さあ見よ、あなたも変わる!
もう大人だから?
もう老いも来ようとしているから?
もう終末も遠くないから?
ノン!
ノン!
ノン!
墓碑銘にNONと記したセリーヌ!
ノン!
ノン!
ノン!
ここからが始まりだ!
美しい空!
真の空!
さあ見よ、わたしは変わる!
あなたは変わる!
彼は変わる!
彼女は変わる!
出発だ!
さあ見よ!
われらは変わる!
さあ見よ!
さあ!
さあ!
さあ!
*Paul Valéry : Le cimetière marin
ポール・ヴァレリー『海辺の墓地』
朝日が玄関の格子戸に当たっている
記憶に残るその家。
六十九年前の
一九四五年三月十一日の朝の記憶ですよ。
東京大空襲の翌朝、
旧中川の土手を火に追われて逃げてきて、
平井橋の袂で命拾いした九歳のわたしが
母と祖母と兄と共に生き延びた直後に落ち着いたその家。
風向きが変わって焼け残ったその家。
その家に今年の十月十二日の夕方、
突然、訪れたんですね。
六十九年振りですよ。
戦災の焼夷弾の炎に追われて逃げて助かって、
その翌朝、祖母の実家のその家に落ちついてから、
六十九年振りですよ。
戦災の体験を語り伝えるという映像作品のロケーションで、
旧中川に掛かる平井橋の袂で、
電動車椅子に乗った姿で、
カメラを前に、
「ここまで逃げてきた」と語った後、
「ちょっと行ってみよう」と訪れたその家。
その家はわたしが九歳まで育って戦災で焼けてしまった家と
そっくりだったんです。
驚いた。焼ける前の家がそこにあったんです。
今は墨田区によって、
「立花大正民家園 旧小山家住宅」として保存されている家です。
玄関の格子戸。
あの朝、朝日が当たっていた格子戸。
懐かしいなあ。
そして小沢さんのカメラに撮られながら中庭に回ったら、
ガラス戸がはまった長い縁側、
雨戸の溝に心張り棒を電車にして走らせていた九歳のわたしが
突然、蘇った。
家の中にいるスタッフの藤田功一さんに
「六畳と八畳が続いて床の間があって、
縁側の突き当たりが便所でしょう」と家の外から声を掛けると、
「そうです、そうです。その通りです」と藤田さん。
戦前の焼ける前のわたしが育った家と全く同じだ。
その八畳の間に風邪を引いて寝ている子供のわたしが
母がリンゴを擦って持ってきてくれるのを今か今かと
待っていた、母を待っていた
その家じゃないですか。
七十九歳まで生きて、
六十九年ぶりに、
この家と出会えてよかったなあ、ですよ。
戦災体験者が少なくなって、
その記憶を体験していない者たちにどう伝えるかってことで、
東京大空襲・戦災資料センター主催の
「秋の平和文化祭2014」が
十一月一日から三日まで開かれてね、
「詩を読み、映像が語る
空襲と詩と下町と
鈴木志郎康さんの詩をフィールドワークする」ってのに、
わたしは参加したんです。
「大空襲 若者が伝える」(注1)
「戦争 記憶のバトン
空襲・焼け跡・・・少年時代の詩人が見たもの」(注2)
という見出しで新聞記事になっちゃったんですね。
詩作品の、「この身の持ち越し」と
「記憶の書き出し 焼け跡っ子」が引用された。
おお、わたしの詩が新聞の記事になったんですね。
小沢和史さんと小沢ゆうさんと息子の鈴木野々歩君が
「この身の持ち越し」を
山本遊子さんが
「記憶の書き出し 焼け跡っ子」を
映像でフィールドワークしたんですね。
そのフィールドを六十九年前の戦災の夜、わたしは
「母と共に、よろめき倒れそうな祖母の手を引いて 中川の土手を歩き、平井橋の袂に辿り着き、風向きが変わったから、わたしたち三人は 偶然に逃げた身で生き残った」
わたしは小沢和史さんにこの旧中川の土手と平井橋の袂に連れて行かれて、
当時のことをカメラに向かって語った。
「わたしの父はあの夜、逃げ遅れて、炎に阻まれて、この中川に飛び込んで、浮いているものに掴まって助かった」
ところが、どっこい、今の中川の土手の中は、
すっかり変わってしまって、
川の中の水際にゆるく下る坂道の遊歩道になっていて、
燃えさかる川岸を逃れて川の中で一夜を明かす情景を
思い浮かべることはとうていできない。
そこで多くの人が死んだのだった。
焼けてしまったわたしの育った家の跡も
区画整理で道筋が変わってしまって
九歳の頭に叩き込まれた亀戸四丁目二三二番地が、
どこだか分からなくなちゃってる。
戦災前の下町の亀戸の街は記憶の中で薄れて行くばかりですね。
小沢ゆうさんは自分のおばあちゃん新名陸子さんに、
詩を朗読して貰って、
自分の子供と友達にその言葉を復唱させた。
「焼夷弾」から書き抜いた「夷」の字を
おばあちゃんは
「エビス」と読んだ。
「エビス」
「エビス」
「エビス」
子供たちは詩の最後のことばの
「ハイ、オジギ」
と言って可愛らしくオジギした。
八歳の小沢元哉君、村宮正陸君、桑原大雅君たちは
六十九年も昔の戦災をどう受け止めたのだろう。
鈴木野々歩君はわたしの詩の
「夜空にきらめく焼夷弾。 焼夷弾。 M69収束焼夷弾、と後で知る。 三百四十三機のB29爆撃機の絨毯爆撃、と後で知る。焼夷弾に焼かれそうになった記憶。黒こげに焼かれなくてすんだ。」
というこの詩をフィールドワークした。
インターネットのアーカイブから、
アメリカの空軍が撮影した東京大空襲の映像を探してきて、
それを自分の部屋の窓に重ねて、
B29が飛び、
余裕のパイロットの姿、
焼夷弾がばらまかれるイメージ。
そして、フィールドワークの後半では
わたしと母と祖母が逃げた北十間川から平井橋辺りまでの
現在の情景がモノクロ写真になって燃やされる。
今だって爆撃されれば焼け跡になっちまうというメッセージか。
戦後の焼け跡で遊んだ九歳のわたし。
その焼け跡の、
「その瓦礫の果ての冬空に見えた富士山。亀戸から上野動物園まで焼け跡を歩いていったのよ。子供の足で」ってところを、
山本遊子さんは十二歳の少年と亀戸から上野まで歩いて、
空襲があったことなどを話し歩きながら撮影した。
その少年高橋慧人君が辿る道筋には立ち並ぶビル、ビル、ビル、
そして東京スカイツリーに行き当たるんだ。
何も無かった焼け跡には、今や、立ち並ぶ圧倒的な建造物。
焼け跡は言葉と写真でしかないじゃん。
その言葉を体験してない者に押しつけるなんて、
傲慢なんじゃないか、
と少年と歩いた山本遊子さんは感想を語ったんですね。
わたしは息子たちに自分の戦災の体験を話したことがなかった。
敗戦後の焼け跡体験も話したことがなかった。
息子たちはもう三十歳代四十歳代になっている。
これまでの日々の生活では、
自分の体験や来歴を彼らに話す機会がなかった。
考えてみると、
家族に自分のことを語るということがない。
わたし自身、親から彼ら自身の口から彼らのことを、
まともに殆ど聞いたことが無かった。
だが、洗いざらい自分のことを詩に書いてやろうと、
詩に戦災体験を書いたのだった。
戦災資料センターの山本唯人さんの目に止まって、
その詩のフィールドワークってことになったんですね。
わたしは電動車椅子で会場に行って、
被災者として、
戦争では犠牲者になる立場を自覚して、
映画を見ても漫画を読んでも、
主人公ヒーローの立場でなく、
そこで犠牲になるその他大勢の立場で、
ばったばったと殺される者たちの一人に
身を置いてきたと話した。
久し振りに人前で話をしたんだ。
そして電光が煌めく宵の東京の街中を
藤田功一さんが運転する車で家に帰ったきた。
電光が煌めく宵の東京の街中を。
電光が煌めく宵の東京の街中を。
もう一度、あの家に行ってみたいと思った。
花見ドライブに誘ってくれた戸田さんに頼んで、
戸田さんの車で夫人の紀子さんと一緒に再び、
戦災で焼けた亀戸のわたしの家があった場所を確かめて、
旧中川沿いの「立花大正民家園 旧小山家住宅」に行ったんですね。
玄関の上がりかまちを上がるのにちょっと苦労して、
座敷に上がって、
部屋の中を歩き回ったんです。
この家の中を歩き回るってことは、
九歳の記憶を歩き回るってことでしたね。
この居間の棚の上にラジオがあって
真珠湾攻撃の放送を聴いて、
「東部軍管区情報、空襲警報発令」を聞いて、
ああ、ここで。
ああ、ここで。
ああ、ここで。
わたしはしばし感傷に浸った。
オーセンチなのね、シロウヤスさん、ヤスユキさん。
九歳ではヤッチャンだったね。
そうだ、わたしはこの家で思いっきり感傷に浸れる特権者なのだ。
この家が戦災前の鈴木家の家と殆ど全く同じだと体験できるのは、
わたしと兄しかいないのだから。
神棚とその下の仏壇のある居間で、
戸田さんと並んで写真に撮って貰ったんです。
そして暮れなずむ東京の街を自宅に戻ったってわけです。
電光煌めく街中を走り抜けて帰って来た。
「夜空のきらめく焼夷弾。
焼夷弾。」
やっぱりこの「夷」ですよ。
焼かれちまった夷ですよ。
劫火に追われて逃げ延びた夷ですよ。
選挙が近く「国民」という漢字が、
新聞紙面に踊っている。
写真には、
二本の杖を突いた白髪のわたしが写ってた。
(注1)読売新聞2014年11月5日
(注2)朝日新聞2014年10月30日
夕方には
モコと散歩した
西の山に
日が沈むのをみた
空が橙色に輝いて
山の縁がしろくひかっていた
西の山をみる
いつも
みる
なんどもみる
その向こうになにがあるのか
だれがいるのか
懐かしい場所がある
笑っている
そこにいる
あれからミヤコさんとは毎日メールするようになってね
「今日はお疲れモード><のため、早めに zzZZ ・_・ことに。
あと1日頑張りましょう (=^・^=)
お休みなさい^^」
だってさ
ケータイの画面の中から
「女の子」が手を振ってるよ
ミヤコさん、意外と顔文字・絵文字いっぱい使う人なんだよなあ
字だけの無粋なメール返しちゃって悪いけど
はい、頑張りますよ
お休みなさい
デートは週一のペースでいろんなトコに行った
中野のタイレストランに行った、渋谷の沖縄料理店に行った
行った、行った
美術館や映画にも行った
ミヤコさんのオススメは世界報道写真展と脱北者の人生を描いた韓国映画
うーむ、お固い
「です」と「ます」を語尾にくっつけて
取引先の人に対するように、にこやかに、丁寧に、話し
そんでもって
ケータイの中ではちゃっかり「女の子」だ
行った、行った、行ってみた
40代「女子」の世界
未知だったこの世界
うん、いい、すごくいい
水曜の夜、会社が退けて吉祥寺に急ぐ
ミヤコさんが以前入ったことのあるお店に案内してくれるという
ぼくも人並みなことしてるなあ
待ち合わせ場所でピンクのカーディガンが目に飛び込んでくる
派手でもなく淡くもないその色調が
40代「女子」としてのミヤコさんの現在地を示している
「ここ、前に職場の人と来たんですけど、感じ良かったですよ。」
公園入り口近くの焼鳥屋さん
なるほど
大衆的な価格設定だが清潔でオシャレ感も少々
会計はここのところワリカンでさ
無理していい店なんかには行かなくなった
毎週アフターファイブに異性の人と会う
特定の趣味をやるとかじゃなくて
ただその人と会いたいから会う、なんて
人並みな、ね
ことをするっていうのが
まーぁー何だかー
不思議ぃーなんだなー
その不思議をひと串つまんで
顔を軽く見合わせて
じゃ、いただきます
「せっかくだから酔い醒ましに公園ちょっと歩きましょうか。」
「あ、いいですね。」
はい、ここは夜の井ノ頭公園です
こんなに広かったっけ?
こんなに暗かったっけ?
木ってこんなにごわごわしてるもんだっけ?
この時間帯でも歩いている人はそこそこいるんだけど
人影は半分食われたみたいに細っこい
ミヤコさんは平然としてカッカッカッと歩いているけど
大丈夫なの?
「いやあ、意外に大きい公園なんですねえ。」
「ええ、一人で歩くときっと怖いと思いますよ。」
え?
ぼくがいるから平気ってことですか?
エヘヘ
頼られちゃった
人並みって奴を随分長い間遠ざけていたけれど
人並みも一つ一つ違うんだね?
そんなことにこの年齢で気がつくってのも
悪くないや
揺れるピンクのカーディガンが闇の中でぽっと目立って
そこだけあったかい感じがするぞ
「また仕事で海外行ったりしないんですか?」
「いいえ、しばらくありません。」
みたいな会話を続けていて
おりゃ?
そろそろ一周なのに駅への出口が見えない
「ツジさん、出口あそこです。私たち、通り過ぎちゃったみたいですね。」
おりゃりゃ
暗くて全然わからなかった
何度も来たことあるのに、井ノ頭公園、昼と夜とじゃ大違いだ
「すいません。気がつかなくて。
引き返しましょうか?」
言いかけて
うん、よし!
「あのー、どうせですからもう一周歩きませんか?」
さあ、どう出るか?
「いいですよ。歩くの気持ちいいですね。歩くのは好きなんです。」
ヤターッ
ミヤコさん、ここぞってトコで決断力がある
一周するのに20分はかかるのにさ
今日は週の真ん中で明日休みじゃないのにさ
じゃ、ぼくももう一つ決断するよ
「あの、手、握っていいですか?」
「いいですよ。」
生身のミヤコさんの生身の手に
生身のぼくの生身の手が近づいて
そしたら生身のミヤコさんの生身の手も近づいてきて
触れて
合わさって
ぎゅっと
一つになった
暖かい
柔らかい
ぼくとミヤコさんが辿り着いた
人並みの感触だ
生身の人並みの感触だ
ぐるぐるして、ぎゅっ
ぐるぐるして、ぎゅっ
ぐるぐるして、ぎゅっ
微かな光を跳ね返してひたひた動く
黒い黒い池の水が、今
大好きだ
坂道を照らす
ココはナンセンスな高台。
ダンスキューブのなかに凡ゆる人格が入っていく
人狼の遠吠えをかき消す為に採取した雨の搾り汁を
唐揚げにかけて階下に運ぶ。
スロープの重厚な手ほどき
の末、
唐揚げは再度、揚がった。
実に香ばしい
シャネルの包みに唐揚げを入れ姉は紅をぬりたぐり
そっと。
一階の南東に配置された窓 に手をあて、磨りガラスのぬめりを手のひらに記憶させた。
知った
形状よ
スルリとうららか
欠けた問題に染み入る。知ってる。この記憶
黄色の粘土状の塊にしか見えないイチョウの木
庭先の木
磨りガラスが眼球にはりついたかしら?
白ける午前中の介護に負けた。
情けないほど転ぶ妹
裁きやすい妹を持つと勿体無いから、姉は満足だった。
幾度となく負けた
膝の紅、包むシャネル
二人 姉妹が撒いた
水のうえをスカーフが走り去った
「反復せよ」と跳ねた水が姉を貫通し、その後、姉は住宅街を練り歩く。
使命感に歩かされていた。
人間を登場させるのを一旦やめて、姉妹の企みに身を委ねる
サーカスから逃げだした姉は
連続して射殺されて以降
声をださなくなった
帰ってこなかった
荒井くんの
部屋は駒形にあり
通りの向こうに
隅田川が流れている
深夜に
ラモンテ・ヤングを
聴いた
竹田賢一も聴いた
いつだったか
挽歌なのですかと聞いたら
そのヒトは
はい
とこたえた
桑原正彦は電話の向こうで
しずかに話した
語らない
なにも
話さない
大切なことは
すこしだけ
ポケットにいれて
歩いていこう
すこしだけ
ポケットに
いれて
見上げていた
暗い空に
星が光っていた
小さな星がたくさん
光っていた
夜空をみていた
小さな星を握っていた