秋の音連れ

 

工藤冬里

 
 

Jul 28  

いきつめて
待つかなかなの都合
かな
 

Aug 1  汀

https://torikudo.com/archive/%e6%b1%80/

https://twitter.com/yyyuko1002/status/1534374876714258432?s=20
 

Aug 2 

近所のゴミ屋敷の子が家に入りたくなくて外で寝ている。僕の部屋は猫アレルギーだからだめだそうだ。しょうがなく鷹子に連れて行って置いてきた。問題は父権が絡み複雑すぎて明日以降どうなるというものでもないがとりあえず今日は休め。
 

Aug 3 

熱中症時代の楠元君のバイク音が聞こえて知る4時
私たちの起きている時間は短い
寝ている短い無時間はビッグモーターでメンテしているから永遠と言ってもいい
短い無時間と長い無時間があって、そこでは輪も矢も敵もない
TOHOシネマズで六千万入った紙袋を落としたが恋は使い物にならなかった

このように近い虹は初めてであるかもしれなかった

 

Aug 4 田川

朝ガラガラとかなかなを聴きに行く音を聞き乍ら、慎一さんは今日も美代子さんのことを書いておられるのだろうか、と思った。勿論小説だから毎朝名前を変えるのだけれども。10年で底をつくかのように今から野垂れて。

きみに必要なのは音楽ではない

 

Aug 5 加西

秋は色々な誘いを断りながら黒ラベルが不味い
かなかなの途切れて今朝の終わり 哉
セラドンの地衣類這わせて墓石 哉

休田の多くはなくて草の丈は低く池には太陽光パネルが浮かんでいる
合理的に見えるが少し酸素不足であり燕は戸惑っている
森はよく手入れされており火の見櫓は新しいステンだし家々は焼杉であるが蛙は孤独そうである
消防団の倉庫には時計が仕込まれている。公民館には公衆電話がある。ヒマラヤ杉は低く燃え立っている。肉石類は程良く嵌め込まれ押さえ込まれている。余裕があるのか百姓は起きるのが遅い。空の軽トラがたまに通るくらいである。
月は鏡にしては全く顔が違っている。
石牟礼道子が居て森崎和江が居ない。
どこも地獄だ

あついなつなつい
土曜はどんより
あ、手をはなれる
においとともに剥がれる
神社エール

 

 

 

#poetry #rock musician

森の庇(ひさし)

 

室 十四彦

 
 

森は庇に満ちている
雨は漏れ落ち
陽はこぼれ出る
忍び寄る風に遠慮はなく
毛虫は糸をつたい降りてくる
クワガタは枝を踏み誤って落ちてもくる
枯れ枝は樹上の茂みから勝手気ままに投棄される
森の神様は上の方ばかり気にかけているんかい!
エナガからカラスに至るまで庇の隙間を狙い定めて脱糞だ
朝のさえずりの爽快さの真意はそこに在る

森は庇に満ち
嵐ともなれば
吹き飛ばされないテントを張ってくれる
巨木の腕は太く枝葉は厚い
頼もしい限りだが
俺ももう歳だと云わんばかりに
バギッと雄たけびを森中へ轟かせる
庇は柱ごと崩落し
森の屋根にホールを産む
さらに大きな
森のような宇宙が現れる
これから、何が落ちてくるんだろう

 

 

 

ままごと

 

塔島ひろみ

 
 

おかあさんになりたかった
植木鉢がひっくり返り
錆びた物干し台が打ち捨てられ
雑草が茫々に生い茂り
タイルや空き缶が散乱するその空地で
わたしは おかあさんになりたかった
おかあさんは忙しく空地のあちこちを飛び回り 雑草を引っこ抜き 貝殻を掘り出し 落ちていたガラクタを空き箱に集め あれこれ想像をめぐらし 工夫をこらし
野菜を手際よくトントン刻み
土に白砂をかぶせ花びらを散らしたナントカごはんと
カラフルなゴミがいっぱい浮いたドロドロシチューを
客(私と、あと誰か)にふるまい
自分も食べながら感想を求めた
私たちはそれぞれポジティブな感想を口にする
おかあさんは食器の片付けもそこそこにお風呂をわかし
洗濯をして 宿題を見て 布団をしくので
私はお客さんから子どもになって
お父さんや ちょっとボケたおばあちゃんにもなったけど
いつまで待っても
おかあさんにはなれなかった
おかあさんになりたかった
その空地で
気持ちよい風が吹くその空地で
おかあさんだけが生きていた
輝いていた
絶対者だった
おかあさんになりたかった
大きなぬいぐるみを引っぱりだすと
なだれるようにいろんなものが落ちてきた
コンクリートにぶつかり跳ね返る
ラケット、バーベキューコンロ、ビーチサンダル
物置に詰め込んできた思い出が
ガレージにゴミのように散乱し
白髪頭のおかあさんが途方に暮れる
おかあさんになりたかった
それは私のおかあさんではなかったし
えみちゃんのおかあさんでもまきちゃんのおかあさんでもたぶんなかった
だれのおかあさんだったのか
汗が噴き出る
金づちで三輪車を殴りつける
バキッと音がして車輪がとぶ
おかあさんは威勢よく かつ丁寧に思い出を解体する
暑くて暑くて
でもおかあさんだから
だれも助けてくれないから
空地は湿っていて石のイスに座るとお尻が濡れた
すぐ前は貨物線の土手で 時々貨物列車が通る
長い長い列車 いつまでも終わらない
ノリ面に白い花がたくさんゆれて
音がして 空がゆがみ わたしはおかあさんがつくるごはんを待ちながら
壊れかけた空を鳥がツーと横切っていくのを眺めていた

ガレージは夕方までにはきれいになった
かけらひとつ残っていない
おかあさんは 汗をふきながらお相撲を見ている
絶対者だから 金色に輝いて
テレビの前に君臨する

 
 

(7月某日、奥中区道踏切近くで)

 

 

 

公園で

 

さとう三千魚

 
 

七月には

近所の公園の
花たちに

水をやった

サルビア
ジニア
コリウス

どれも地上の花たちだった

毎朝
水をやった

たまに
夕方もやった


おいしいかい

花たちに話しかけた

七月が
終わった

八月に福生の街を女と歩いたことがあった

遠い日
夏草が茂っていた

光ってた

塀の外へ
歩いた

草叢に佇ってた

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

残り雨

 

たいい りょう

 
 

バス停の屋根から
滴り落ちた 残り雨

いくばくもない生命(いのち)を
振り絞って

まるで 渇れ果てた 涙のよう
それでも 乾いた地面を
しっとりと濡らす

人は なぜ 生まれるのだろう
人は なぜ 生きるのだろう

異星人の声が 聞こえてきた
わたしは 火星から やってきた

音のしない葉音は
幽霊のように
手足をそよがせる

そして
盲目のわたしは すべてを
心のスクリーンで映すから
何も消えない

だから
私は 胸に手をあて
額を涙で拭う

明日 天気になあれ

 

 

 

音戸の瀬戸

 

工藤冬里

 
 

テキーラベースのコアントローの岩塩を囓る眼下には汁なし坦々のサンダル部落
希望を捨てずに進む亜墨利加映画のように
まわり道してなんの向こう岸か
海の隘路に平たい航跡を泡立たせ乍ら
池のような内海に解き放たれるだけ
遠くには尾道大橋
あれはさらなる回り道だ

 

 

 

#poetry #rock musician

共犯

 

長尾高弘

 
 

どうしたものか
おそろしく神経過敏な子に
育ってしまった。
女の子だけど、
男性を受け付けない。
夜の街でたまたま遊んだ相手は、
女だと思っていたら、
女装していた男で、
ふたりになったときに、
本性を現して襲ってきた。
なすすべもなく犯された。
帰ってきた子にその顛末を聞いた。
涙が止まらなかった。
娘は絶対に許さないと言っている。
止めても止められないことは
わかっている。
自分たちの子どもなのだから。
ひとりで刑務所に入っていくのを
見送るなんて親として忍びない。
私たちもいっしよに入ろう。
自分たちにできるのはそれだけだ。
そんな話だったのかもしれないし、
そうではなかったのかもしれない。
他人にはわからないことだ。
ここでひとつ問題がある。
親たちが手助けしようと、
妨害しようと、
結果は同じだったとする。
その場合、
幇助行為は結果に大きく寄与したとは
言えないのではないか?
(返り討ちに遭わないように
 的確な指導をしたとすれば、
 結果に影響はあるが、
 とりあえずそこは置いておいて)
それでも、
娘の殺人行為を手助けしようという
意思は明確にある。
その意思を処罰しなければ、
社会は秩序を保てないのではないか?
結果無価値か行為無価値かという
刑法理論の大きな対立点と
関係があるようなないような……
当人たちには
どうでもよいことかもしれないが、
社会としては白黒つけなければならぬ。
社会としてはね。

 

 

 

存在の消滅はいつも

 

ヒヨコブタ

 
 

青い鳥がここにきてとうとう騒ぎの渦中にいる
特段気にしてもいなかったつもりがなるほど、
新しいものに強い違和感を感じて初めて
あの青い鳥というものが親しかったような
錯覚にとらわれているのだ、わたしは

いつもなくなってからかつてあったものがとても愛おしく思えるとき
こころの中で組み立て替えてきた
そうすることによって
わたしはまた思い出の席に座ることができる
そこからふと目線をあげたあの絵にも会うことができる
さて全ては錯覚なのか
懐かしささえ傲慢のようだが私には愛おしい作業の手前にいつもある

壊されていく、建物のなかにあった日常も
季節ごとに咲いた花も庭木も
どれも今は同じような錯覚の優しい思い出のなかだ
無駄なものというものがなかったらわたしは
一体どう生きていいのか
こんなにも無駄なものと呼ばれそうなものに
日々とらわれゆたかに妄想するのだから

それらのなかにいるじぶんは
恐ろしいほど静かでうっとりしている
幸せな記憶の中にじぶんをおいておく
壊されぬようにそっとやわらかなばしょにおいておく
これ以上壊され続けぬように
そっと息を吐く

 

 

 

顔色はいい

 

辻 和人

 
 

妹の電話がどやどや連れてきた
「お父さんとお母さん車に乗せてあちこち走ってたら
何か近くまで来ちゃったの。
突然で悪いけどさ、今から行ってもいい?」
近いうちに孫の顔見せに行かなきゃとは思ってたけど
向こうから
どやどやどやってきた
父は膀胱悪くて腰に尿パックつけてる
顔色はいい
母は父を支えるのに忙しいけど顔色はいい
突発的な行動取るのが得意な妹は顔色はいい
コミヤミヤもこかずとんもミルク飲んだばっかりで顔色はいい
折角来てくれたんだから抱っこもしてもらわなきゃ
オジイチャン、腰にオシッコ袋つけたまま抱っこ
意外な重さによろけたけど踏ん張れた
コミヤミヤ、ちょっと傾いて
ふぇって顔崩れそうになったけど
まだ人見知り始まってないコミヤミヤ
態勢立て直すとほわっと笑顔
ぼく含めて3人育てた経験あるオバアチャン
昔取った杵柄でこかずとんを一発でしっかり横抱き
まだ人見知り始まってないこかずとん
肘のくぼみにすっぽり収まって
薄目開けてほわっと笑顔
介護の仕事長いオバチャン
高齢者も赤ちゃんも基本は同じと2人一緒にピシッと抱っこ
人見知り始まってない2人、今度は正面向いて
ピシッと笑顔キメる
「ああ、笑ってる笑ってる」
「あんなにちっちゃい手なのにしっかり服つかんでかわいいねえ」
さて、あり合わせだけどお茶にしますか
ちょっと疲れたコミヤミヤとこかずとん
下したマットでもぞもぞ
大人はスーパーで買ったモナカをもそもそ
小休止
沈黙の時が訪れた
もぞもぞ、もそもそ
音がする
ありゃりゃ
ここにいるみんな
体でつながってるな
コミヤミヤとこかずとんを真ん中に
性器やらへその緒やらその他いろいろ
体でつながったことのある者たちだ
性器は見えない
顔は見える
意外な重さによろけたりしたけど
体でつながってるから
沈黙してても途切れない
もぞもぞ、もそもそ
いい音がして
いい顔色だ

 

 

 

ラストダンスはわたしに ***

 

無一物野郎の詩、乃至 無詩! 48     jyun 様へ

さとう三千魚

 
 

赤や
黄色

白や
ピンク

むらさきいろ

ドレスは
いろいろ

箪笥にある

わたしは百日草だった
ダンスホールの花だった

遠いのか
近いのか

遅いのか
早いのか

青いのか
深緑か

わたしにはわからない

最後に
踊りましょう

わたしと

 

 

***memo.

2023年7月24日(月)、自宅にて、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩!」として作った48個めの詩です。

タイトル ”ラストダンスはわたしに”
好きな花 ”百日草”

 

 

 

#poetry #no poetry,no life