廿楽順治
「わたし」はうりふたつになり
はらわたが
みな出てしまいました
空襲の夢です
「その住まいは荒れ果てよ
そこに住むものはいなくなれ」
炎のようなべろが分かれ
ひとりひとりの
逃げていく「わたし」の上にとどまり
どうして「わたし」たちは
めいめいのふるさとのことばを
ゆがんで聞くのでしょう
「あのひとたちは
新しいぶどう酒に酔っている」
隣人たちは
うりふたつで
出生をねじってつなげていくのです
どうして
口論は
こんなにもねむたいのでしょう
「わたし」はうりふたつになり
はらわたが
みな出てしまいました
空襲の夢です
「その住まいは荒れ果てよ
そこに住むものはいなくなれ」
炎のようなべろが分かれ
ひとりひとりの
逃げていく「わたし」の上にとどまり
どうして「わたし」たちは
めいめいのふるさとのことばを
ゆがんで聞くのでしょう
「あのひとたちは
新しいぶどう酒に酔っている」
隣人たちは
うりふたつで
出生をねじってつなげていくのです
どうして
口論は
こんなにもねむたいのでしょう
題名の「錨氷」という言葉を知らなかったので、ネットの『ブリタニカ事典』で検索すると「びょうひょう」と読み、固着している氷のこと。「底氷」ともいうらしい。
しかし本書の終りの方に、作者自身による丁寧な説明があった。
「極寒に流れる川底の石に、氷の始まりである直経一ミリにも満たない円形の晶水が張り付き、錨氷となる。錨氷は朝日で剥がれて川の流れに乗り、やがて川は一面、厚い氷で覆われる」。(P137)
さて徐に本書をひも解いてみよう。
するといきなり「旅に出ろ。旅に出ろ。旅に。出ろ。」と“耳の奥から届いた声”に動かされ、作者は先住民アイヌの住む北の大地へと向かうのである。
唐突ながら、ここで私は、かの俳人、松尾芭蕉を思い出した。
生涯を旅に明け暮れる中で俳諧の道を究めようとした芭蕉が、道祖神に突き動かされるようにして『奥の細道』の旅に出たように、作者もまた地道に勤め上げた小学校の教師を突然辞め、50代半ばにしてNYで2年間の学校生活を体験し、帰国後暫くしてから、今度は大学の博士課程で新たな学びが始まる、というような生き方をする。*
それゆえ、ここだけの話だが、私は長田典子という詩人は、現代の松尾芭蕉ではないか、とひそかに思っているのである。
それはともかく、今回の旅で、作者は北の大地を目指す。
そしてその先住民であるアイヌと真正面から出会うのだ。
―アイヌは和人の言葉で「にんんげん」という意味で
「にんげん」はアイヌの言葉では「アイヌ」で
アイヌは「アイヌ」だ。(p39)
未知の旅に限りなく高揚する作者は、土の下から聞こえてくるアイヌの女性の語りに耳を傾けているうちに、いつしかアイヌの女性が自分の身体に入ってきたような感覚に襲われ、ヤマブドウ、エゾイチゴ、ハルニレ、オヒョウ、マリモ、ヒメマス、イトウ、カワシンジュ、それらすべての物語とひとつになる。
作者は、「広い大地を自由に移動し自然とともに生きた人々の物語」を口ずさみ(P89)、樺太アイヌの弦楽器トンコリを弾いたりもする。
そうして北海道の網走に生まれ育った『無知の涙』の著者にして元死刑囚の永山則夫、そして日本国籍がないのに日本兵として徴集され、シベリアで10年近く重労働を強いられた樺太生まれの北方少数ウィルタ民族の北川源太郎ことダーヒンニェニ・ゲンダーヌも俄かに呼び出され、作者の熱い、熱い抱擁に包まれる。
―「この血よ騒げ!
もっともっと騒げよ!
忘れるな
おれたちはウィルタだ!」(P126)
やがて熱量に満ちた極寒の地から地元に戻った作者は、故郷にそっくりの佇まいの福島県大沼郡昭和村を経て、ダムの底に深く沈んだ今は亡き懐かしい不津倉(ふづくら)集落へと舞い戻り、ル・クレジオのように「きっとわたしも先祖の顔や仕草を引き継いでいるに違いない」と呟いて、長い長い螺旋状の旅の終わりを静かに告げるのである。**
これは、詩とエッセイが渾然一体となって、新しい旅と、新しい自分、新しい世界との出会いをうながしてくれるような、そんな奇跡的な1冊である。
*長田典子著『ニューヨーク・ディグ・ダグ』(2019年、思潮社刊)第53回小熊秀雄賞受賞
**長田典子著『ふづくら幻影』(2021年、思潮社刊)
五時近く、寂れたモールの屋上に車を停め、フードコートに下ってみると、ゴーゴカレーやらナポリタンやらは軒並み終了していて、上りのエスカレーターで駐車場に戻り、層になったバラ色混じりの雲を眺めていると、昨日も同じことをしたのを思い出した。
左の三本指の画像の頃、王は人気のある職業ではなかった。neighbourhoodに仕えなればならなかったからだ。右の画像の時代になると指は五本になっている。
泡に当たっている者が隅に二人いるが歩いているのは自分だけで、無い屋根から夜空が眺められ、主浴の、どこか円空じみた角顔のビーナスから湯が流れ落ちていて、刺青OKらしく人は疎だが、炭酸泉から隣の電気風呂に移る時など失礼しますと互いに挨拶し合ったりして、脱衣場の床も濡れていないのだった。
隆二が他を差し置いて上々一締めを回してくれるというので有り難いが非道く咳き込むので明日取りに行けるか、これが最後の白土になるやもしれん、残りの土物やってその白轢いて人生終わりだ、小山の息子は南蛮とか父親のくすりを使い切ったか?おそらく。
抽象は最高の形態だけれどもストンとしたフラクタルの収まりを得るにはデッサンの修練が矢張り大事で、石膏とかではなく眼だけによるものでも勿論いいんだけれども、二次元に拘泥る場合にはやはり手と紙と鉛筆が必要だ。手帳を用意して島を描いてみなさい。
咳止めを飲んで寝ていると、昔ジュネとエフェドリンという曲を演っていたのを思い出した。
#poetry #rock musician
雪の
とける
ころ
生まれた
雪の下では
水が流れていた
ピンクの
ガーベラを抱いて
ここまできた
バイクに跨り
ここまで
走ってきた
***memo.
2025年12月3日(水)、
FM K-MIXさんの依頼を受け書いた、
“無一物野郎の詩、乃至 無詩!” 第44回、第2期 21個めの即詩です.
12月10日、8時30分〜、電話インタビューが放送されます.
よろしければ、お聴きください.
タイトル ” バイク ”
好きな花 ” ガーベラ、ピンクの ”
#poetry #no poetry,no life;
揺れてた
ちいさな
花たち
揺れていた
風が吹いていた
過ぎていった
夏の想いが
ゆれていた
ありがとう
ありがとう
***memo.
2025年11月22日(土)、
一箱古本市の日に、
静岡市北街道「水曜文庫」で実施した、
“無一物野郎の詩、乃至 無詩!” 第44回、第2期 20個めの即詩です.
タイトル ” そよかぜ ”
好きな花 ” ネモフィラ ”
#poetry #no poetry,no life;
小中高と、
場所もメンツもぜんぜん違う学校に行ったのに、
ついたあだ名はいつも「じいさん」だったな。
そう言えば、
幼稚園のお芝居でも、
おむすびころりんのおじいさん役だった。
本人は主役だと喜んでたけど、
受け取り方が間違ってたかもしれないな。
そんなおれも、
六十五歳の誕生日が来ちゃったから、
めでたく前期高齢者、本物のじいさんだぜ。
(同い年のきみたちもおめでとう)
でも鏡を見る限りでは、
そんなにじいさんになった気がしない。
子どもの頃に見た親戚のおじいさん、おばあさんは、
もっと老けてたような気がする。
顔も手足もしわしわだったし、
声の出し方がいかにもおじいさん、おばあさんで、
若いときにどうしゃべってたのかとても想像がつかなかった。
六十五歳ともなれば、
いつお迎えが来ても不思議じゃないって空気を醸し出してて、
実際、それから数年で大半が亡くなってしまった。
(あの人たちは戦中、戦後の食糧難も経験してたし、
男は兵隊に取られてたわけだしな)。
でも自分はまだ死ぬ気は全然しないし、
声だってあんな感じじゃなくて若いときと同じだし、
顔だってしわだらけってわけでもない。
(鏡を見る限りではね)
頭が禿げてるのは三十の頃からだし、
その代わりと言ってはなんだけど、
白髪なんてあまりない。
ところが最近驚いたことがあってさ。
親戚が集まって旅行に行って、
お互い写真を撮り合って、
それぞれが写ってる写真を渡し合って、
自分が写ってる写真ももらったわけ。
その写真のなかの自分が
鏡で見てた自分よりずっと老けててさ。
なんだかまっすぐ立ってなくて傾いてるし、
目つきも悪いし、
要するにやたらとじじくさい感じがするのよ。
鏡を見たときにそんなに老けてないように思ってたのは、
なんか咄嗟に顔つきを変えてたのか、
悪いところを見ないように、
無意識のうちに見た内容を修正してたのか。
いや、過去形で言ったけどさ、
不思議なことに、
その後も鏡を見るとそんなに老けてないような気がするんだよねえ。
自分のことって自分ではわからないものなのかなあ。
こうべを垂れて
いた
白く
咲いてた
ちいさな
花
ぼくの花
鈴蘭
すずを鳴らして
いく
森のなかを
歩いていく
***memo.
2025年11月22日(土)、
一箱古本市の日に、
静岡市北街道「水曜文庫」で実施した、
“無一物野郎の詩、乃至 無詩!” 第44回、第2期 19個めの即詩です.
タイトル ” 野生 ”
好きな花 ” スズラン ”
#poetry #no poetry,no life;
薫ってた
ちいさな
黄色い花
たくさん
たくさん
咲いてた
金木犀の
花と花と花を
線で結ぶ
花たちを結ぶ
***memo.
2025年11月22日(土)、
一箱古本市の日に、
静岡市北街道「水曜文庫」で実施した、
“無一物野郎の詩、乃至 無詩!” 第44回、第2期 18個めの即詩です.
タイトル ” 線引き ”
好きな花 ” キンモクセイ ”
#poetry #no poetry,no life;
牡丹かと
おもった
はじめは
そう
おもった
まるく咲いてた
大きかった
きみは
わたしだった
うすいピンクの
おおきな
花だった
芍薬
まるい
わたしだった
***memo.
2025年11月22日(土)、
一箱古本市の日に、
静岡市北街道「水曜文庫」で実施した、
“無一物野郎の詩、乃至 無詩!” 第44回、第2期 17個めの即詩です.
タイトル ” ぼくはきみがきらい ”
好きな花 ” シャクヤク ”
#poetry #no poetry,no life;