堀切橋下

 

塔島ひろみ

 
 

黒い卵から双子が生まれた
黒い兄と黒い弟
黒い肌と黒い髪
黒い唇 黒い瞳
真っ黒で 目鼻があるかもわからない二人はいつも一緒だった
同じ背丈で同じ声で同じ服装
どっちがどっちかは誰にもわからず
どっちがどっちかわかられないままよく怒られ よくいじめられた
二人とも勉強ができなかったし 黒かったからだ
走るのが遅かったし 話しかけられるとマゴマゴした
同じようにどんくさく 実際ちょっと変なニオイがする黒い双子
けとばしても唾をかけても黒いので表情がわからない
血が出ても黒いので傷の深さがわからない
傷の在り処もわからない
二人でいた 寄り添っていた
ように見えた
タバコを吸っていた
黒い固まりが二つ 肩を並べて黒い煙を吐き出していた
橋の下 黒い川がゆっくりと流れていた
金管楽器の音がどこかから聞こえた
黒い双子はこの河原で 何本も何本もタバコを吸った

そしてある日双子の兄は弟を
この黒い川の中へ突き落とした
泳げない弟は 水の中でバシャバシャし
流され、沈み、そしてぷくぷくとあぶくが出て
浮き上がってきたときは死んでいた
兄はそれを全部見ていた でも見分けはつかないから
兄でなく弟の方だったかもしれない
死んだ方も生きてる方も
黒いので表情はわからない
それを包み込んで流れる川の表情も 
水が黒いのでわからなかった
空は晴れて 大きな鳥のような雲が浮かんでいた
向こう岸には高い塔やビルがあった
背後の高速は渋滞し
トラックが数珠なりに連なっていた
水は静かに流れ 黒い少年を運んで行った
水と同じ色の少年のりんかくはすでにない
海まで10キロ 兄は川に向かって佇み タバコをふかす
黒いので表情はわからない
どこを見ているかもわからない
足元にコケみたいな細かい雑草がはえ
ところどころで小さい黄色い花が開いていた
金管楽器の音が聞こえてきた
本当は全然 違う顔だったのかもしれない
違う心だったのかもしれない
いつも寄り添っていた 一緒だった
金管楽器の音が聞こえていた
今も寄り添っているのかもしれない

 
 

(11月某日、堀切橋下で)

 

 

 

侵略

 

塔島ひろみ

 
 

この土手に 河川敷に
あっというまに広がった
どこまでも伸び そして増えた
秋 気がつくと河原には
セイタカアワダチソウの黄色が
ザザー ザザーと 嵐の日の海のように揺れていた
仲間をよぼう
肩を寄せよう
この黄色が 鮮やかだから
青空に美しく照り映えるから
私より高く伸び 届かないから
密生して 群落の奥は暗いから
なにかが 隠れているかもしれないから
企まれているかもしれないから
恐いから
手をつなごう
「わたしたち」という固まりになろう

軍手をはめよう

武器をとろう

セイタカアワダチソウたちは 
荒川放水路の土手下で
夕日を浴びて ギラギラと光った

強靭なこの害草を
手に手に 打ち倒し 引き抜き ハンマーで叩き 火を付ける
真っ黄色の花粒が空に舞う
空が染まる
黄色に染まる

よく荒れるから「荒川」と呼ぶ
荒川放水路は水防のために村をつぶして作った人工の川だ
水害はなくならず
河川敷にはいま 「越水までの水位表示」と書かれた堤防高を示す棒杭が立つ
その河原で 橋の下で 
冷え始めた夕刻
ゆったりと流れる黒い水を見ながら お酒をのむ
少しの豆と 焼き鳥の缶詰 
一人が恐くて 仲間と群れて お酒を飲む 
ポケットにハンマーを持っていた
仲間たちが恐かった
川が恐かった
堤防が恐かった
堤防の向こうが恐かった
自分が恐かった
ポケットのハンマーが恐かった
セイタカアワダチソウが恐かった

いつのまにか音もなく シラサギが水辺に立ち 餌を探している
こんな夜に 汚い川辺で
武装して 冷えたトリニクを突っつく酔っ払いたちの至近距離で
たった一羽で
恐くないのか
そして 橋から離れた暗いところには 一面 あの背の高い帰化植物たちが
除いても 除いても 生き延びて陽を受けて膨らみ 伸び 黄色く花開くしなやかな植物たちが
夜が明けるのを待っているのだ

セイタカアワダチソウと太陽と水

セイタカアワダチソウと太陽と水

無防備な鳥を
ハンマーを持った男たちが静かに取り囲む
輪を縮める
ライターも持っている

いつかセイタカアワダチソウになりたくて
この水のそばに 私はいた

 
 

(10月某日、四つ木橋下で)

 

 

 

詩について

 

塔島ひろみ

 
 

まだ子どもが小さかったとき、近所の、M区内の小さな医院にかかっていた。
そこは産婦人科なのだけど、産んだあとも赤ちゃんの病気を診てくれた。
診るのは産婦人科の先生でなく、受け付けのおばさん(先生の奥さん)が、そのときだけ白衣をまとい急ごしらえの先生となって診察室にすわる。
それで私の話(子どもの症状)を聞き、子どもの口をのぞき腹をさわり頭を押し、そのあと10分ぐらいもだらだらと様子を見ながらおしゃべりしたあげく、最後は「よくわからないけどまあ少し休ませて様子をみて、治らなかったらまた来て」ということに大体なる。診断もつけないし、薬も出さない。この人は本当に医者なのか?と思う。でもそれで少し休ませると自然に治るので、なんだ、医者に行く必要もなかったなと思うけど、また具合が悪くなるとそこに行った。

子どもは保育園に通っていた。一度具合が悪くなって保育園を早退したり休んだりしたあと、園に戻るには受診の報告が必要だった。
「◯◯医院に行って、診てもらいました」と私。でも保育園はそれだけでは満足せず、「何の病気だったのか? 原因は?」と聞いてきた。「薬は?」と聞いてきた。答えられないと「今度から薬を出してもらってください」「薬を出してくれる医者に行ってください」などと言われた。「◯◯医院は、産婦人科で小児科ではないのでは?」と言われたこともあった。
おばさん先生は決して薬を出さなかった。「薬は赤ちゃんが病気と闘う力を殺してしまう」と口癖のように言った。それで私はせめて、と思って「熱が何度になったら登園してもいいでしょうか?」と聞いた。そしたらすごく悲しい表情になって、厳しい声で
「数字じゃないのよ、あなた」
と言ったのだった。

ああそうなのか。
そうだ、数字じゃないんだ、と思った。

さとう三千魚さんから詩についてのエッセイのお話をいただいて、私はどうして詩を書くのだろうか?と考えた。

言い換えのできない、他の言葉では説明できないもの。書いた人の心や気持ち。どうしようもないもの。詩とは、そんなものだと私は思っている。思っていた。

そして、この世界が本当は数字ではないから、私は詩を書くのだなあと、今、おばさん先生の言葉を思い出しながら、改めて思っている。

「数」が発見され、人間は数えることを始め、
計算すること、比較すること、予想することを覚え、科学が発展していった。
「数」を基盤に、人間は社会を組織し、整備していった。
この社会では数字が間違っていれば「ウソ」である。
この社会では、人間はウソをつくが、数字は決してウソをつかない。

だけれど子どもの体調は数字ではなかった。
てことは子どもの命は数字ではない。
だから私の命もあなたの命も数字ではない。
そして命が数字でないなら、生きているか、死んでいるか、生きてないモノか、そんな判別は、誰にも、できないのではないか。
数字が教えてくれる地球のすがた、宇宙のしくみ、さまざまな生きものの命の様。それをどうして「真実」「真理」と言えるのだろう?

私は本当の世界を知りたくて詩を書いているのだと思う。
詩の世界は「空想の世界」でなく、「本当の世界」なのだと思う。

 

 

 

水のまち 2

 

塔島ひろみ

 
 

高度成長期におこなわれた地下水の大量のくみ上げで
水のまちは東京湾の海面より低いゼロメートル地帯になっている
だからひとたび洪水が起きると 一帯は甚大な被害を受ける
地球温暖化 海面上昇 台風の巨大化・・・
水害の危険が間近に迫った水のまちは
国やゼネコンと連携し 数々の治水対策をおこなった
東京ドーム30杯分の調節池
八ツ場ダム
地底50メートルを流れる「地下の川」

ジージー、ジージーと 鳴いている
ゼッ、ゼッ、ゼッ、ゼッと 鳴いている
親が死んで取り残された精神病の女性が 
病院か施設かに移ってから
人の住まなくなったその家の庭から 
茫々とおい茂った背の高い草草の間から
地面にはびこるぐしゃぐしゃの葉と葉の間から
ギィギィギィ、チキチキチキ、シャンシャンシャン、ズィーーーーーと
きょうも 生き物たちが鳴いている

それはオスからメスへの恋のアプローチだということだ
鳴き続けるオスは メスに出会えないでいるんだろうか
メスは どうなのか
耳をすまして じっと待っているんだろうか
自分は鳴きたくは ならないんだろうか
歌いたくはならないんだろうか
羽をかきむしり 叫びたくならないんだろうか

水のまちにはかつて、背の高いヨシなどが繁茂する、「やっから」と呼ばれる湿地帯が広がっていた
「人々は、たびたびの水害に苦しめられながらも、川沿いの小高い場所に家を構え、湿地で農耕を営み、水が運び育む自然の恵みを受けながら暮らしていたと考えられています」(*1)

その、人の住まなくなった家の裏には 老夫婦が住んでいる家があった
おじいさんが死んで おばあさん一人になり
そのおばあさんも あるとき救急車でどこかへ連れ去られ
それから そこも長らく無人だ
二つの空家に二方を接する形で 私の暮らす家がある
隣りにいながら
私はそのゴタゴタのひとつも 知らなかった
呻き声ひとつ 聞かなかった
メスは 鳴かないで こわれるのだろうか

出会いたくて鳴くオスと
その声を待つ 鳴く虫のメスたち
オスの声が聞こえなくても ひっそりと暮らしつづけるしかない 鳴く虫のメスたち
水のまちは公園の一角に「カンタンの里」という草むらをつくった
それは「ルルルルル…」という澄んだ美しい鳴き声から「鳴く虫の女王」と呼ばれる、「カンタン」の保護区だ
草むらの地上1メートルの高さで生き、その茎に卵を産みつけるカンタンは
草むら、特に背の高い草むらの減少で 水のまちから姿を消しつつあったそうだ
ヨモギ、ハギなど植わった、四畳半程度のちっぽけな草むらがロープで囲われ
「鳴く虫の女王の数少ない生息地です ゴミはここに捨てないで持ち帰りましょう」と、札が下がる
「カンタンの里は、いってみれば区立公園内にある葛飾区の原風景です」(*2)
その狭い狭い「里」の中から かすかにいくつかの虫の声が聞こえるが
澄んだ「ルルルルル」というのはない
図鑑に載っていた、2枚のカンタンの写真を思い出しながら草むらを見つめ
しゃがみこんで声を待つ
写真の1枚は「葉を拡声器のようにして鳴くオス」
もう1枚は「交尾 誘惑線をなめるメス」(*3)

水のまちは水害に備えて 川の護岸補強の工事も始めた
河川敷にやぶ状に繁茂した草木を刈り
棲んでいた虫や動物を追いだして
コンクリートを打ち込んでいる
住処を奪われた彼らは
変わって増えだした空家の庭や台所 腐食した壁に居を移し 生きながらえる
保護されなかった美しくもないものたちが 育ち、増え、
その根が 卵が 
私の家の裏庭で
じっとりと
かたずをのみ
耳をすまし
中のメスが
石になるのを待っている

 
 

(9月某日、水のまちで)

 

注1 『葛飾区 生きものガイドブック 自然と生物多様性』(2013年、葛飾区)
注2 同上
注3 『図鑑 日本の鳴く虫』(2018年、奥山風太郎著、エムピージェー)

(参考:『葛飾区水害ハザードマップ解説編』(2020年、葛飾区)、カンタンの里説明板(葛飾区環境部環境課))

 

 

 

水のまち

 

塔島ひろみ

 
 

「浸水からまちを守っています」(*1)
と書いてあった
「まちに降った雨は下水道管へ流れます。下水道管は自然に流れるように少し傾いています。ポンプ所に流れついた雨水は、ポンプで汲み上げ「新中川」へ放流することでまちを浸水から守っています。」(*2)
昭和56年4月、ポンプ所ができた

となりに座っていたけど 一度も口をきかなかった
Kが 泣くのも 笑うのも 驚く顔も 見たことがない
寂しげな 少し困ったような目で 始終黙って 何もしないで ただイスに座っていた
私だけでなく 誰とも話さなかった
授業で指されると 小さなかすれる声で何か言った
ポンプ所開設前の昭和52年
流れ込む下水管を持たない中学校は荒れていて シンナーが流行った
タバコ、万引き、暴力
Kはどれもやらず、 誘われてもいない
似合わない学ランから細い首を出し その首には尖った顎と薄い唇がついていた
Kの世界はいったいどこにあったのだろう
授業が終わり 正門を出る 200m歩き 家に着く

卒業アルバムに載るKの住所(○○荘)は 中学校から200m、ポンプ所のすぐそばで
平屋建ての小奇麗な家が建っていた
アパートと同名の表札がかかるこの「○○」家の裏手にある、同じ平屋の一棟が
きっと○○荘 
青白い壁 雨戸が閉まり
駐車場にカラの物干し台が置かれ 一輪車が転がり
静かだった
誰もいないのかもしれないし
これから来るという大雨に備えて 閉じこもっているのかもしれない
Kが 40年たった今も 閉じこもっているかもしれない

ポンプ所が雨水を放流する新中川は、「埼玉県の一部と足立区、葛飾区および江戸川区の広範囲な地域を洪水から守るとともに舟運利用を目的として」(*3)昭和13年に開削が始まり、昭和38年に完成した
その年、私もKも1歳
その新中川にかかる八剣(やつるぎ)橋を
多くの生徒が渡って学校へ行き、また橋を渡って家へ帰る
帰り道 西の空が朱に染まり、遠くに富士山がくっきりと見える
どんな生徒も一瞬「あ」と思い、景色を見る
でも Kの家からだと その橋を渡らなくても学校へ行け、渡らなくても帰れるから、
この橋を 西の空が朱に染まる時間にKが渡ることはない
Kは一日一回きりの 贈り物のようなこの景色をきっと知らない

Kの世界はどこにあったのだろう
KはいまもKの世界にいるだろうか

小ぶりだった雨が次第に強くなってきた
今夜から大雨になるという
その雨の量がある数字を越えると
ポンプ所の努力むなしく
新中川もお手上げで
江戸川や利根川が決壊し、そのどちらか一方でも氾濫すると
Kの家は浸水する
平屋建てなので逃げ場はない

戸を閉めて 静かにじっとしている
あふれだした川の水が低地へと流れ、暴力のようにこのゼロメートル地帯の町を襲うとしても
一時の、シンナーみたいな流行りとして
Kは少し困った顔をしながらも黙ってやり過ごしてしまうだろうか

八剣橋は今、架替工事で風情ある欄干がなくなってしまった
西側に大型マンションが立ち 山も見えなくなってしまった
そんなことも この橋がそもそも必要なかったKには
何の脅威でも悲しみでもないだろう
Kの世界はあるだろう

私は
私の世界は
あるのだろうか あったのだろうか
わからなくて こわくて Kのことを思い出した
家まで行ってみたのだった

 
 

(8月某日 ポンプ所そばにて)

 

*1 細田ポンプ所(東京都下水道局)前の説明板より
*2 同上
*3 三和橋たもとの「記念碑」より

 

 

 

1円

 

塔島ひろみ

 
 

清掃工場の水色の煙突を目指して
橋を渡る
襲いかかる雲から逃げるようにスピードをあげ
いらなくなったものたちが 橋を渡る
乾いた血のような色に塗られた橋を 
トラックで、バイクで、自転車で、あるいは徒歩で、渡っていく
風が強い ときどき顔を動かさないまま 目を閉じる
白いワイシャツの背中が風を含み まるで巨漢のようになったバイクの男は
ハンドルを握ったまま前だけ見ている
後ろに やせた女が乗っている
橋を渡ると
右手に金属リサイクル工場があり パワーショベルが金属片を砕いている
向かいには 一日500トンのゴミを焼却する清掃工場の大きな門
隣接する広場では、少年たちがサッカーをしていた
高く張られた網の中で ボールを蹴る みなゼッケンをつけている
ゼッケンには 彼らが正当な再生品であることを示すためにか
「○○工場でリフレッシュ出荷」というシールが貼られていた
小ぎれいな額から 汗がぽたぽたと流れている その汗が エメラルドグリーンに光って
泣いているようだ
太い煙突から 捨てられた500トンを燃やす煙が空にたなびく
買いすぎた野菜、去年のスカート、終わったマイブーム、病気の親、ほくろ、ワキガ、盗癖、いらない過去、いらない未来、いらない自分
スリムに生まれ変わって、正しく、新しく、失敗のない足でまっすぐに
ボールを蹴る
シュートを決める

ベンチに浅く腰かけて のっぺらぼうのサッカーをぼんやり見ていた
ベンチの下に1円玉が落ちている
門の前では 燃えるものと燃えないものを 分別している
リサイクルできるものとできないものを 分別している
いるものと いらないものを 分別している
いる心と いらない心 いる私と いらない私を 分別している
門の中にいらないものたちが押し込まれる 
そのやり方が 分別方法がむずかしくて わからなくて
のっぺらぼうのサッカーをぼんやり見ていた

高く蹴りすぎたボールが 網を越えた
飛んできたボールはバウンドすると コロコロ転がり 少し傾斜のある道路をどこまでも
どこまでもどこまでも どこまでもどこまでもどこまでも 転がっていった
まだこの先に道は続き坂下には人が住む町があることを 私は
そして 青い顔をしてボールを目で追う網の中の 少年の姿をした老人たちは
そのとき知った

ベンチの下に1円玉が落ちている
ゴミに分類されなかったから ここにあるのか
それとも いらないから ここに捨ててあるのか
拾って 砂を払って ポケットに入れる

ボールの転がっていった方角に 坂を下りてみることにする

 
 

( 7月某日、清掃工場前で )

 

 

 

スイカわり

 

塔島ひろみ

 
 

青いTシャツの背にはくっきり リュックの形に日焼跡が残っている
太陽を背負って歩いてきたのだ

だから太陽の熱さは知っているが
太陽の重さを知っているが
彼は
太陽を見たことがない

前を向いたままするするとリュックをおろし、そこに置いた

汗ばんだ肩を、二度三度上下させたあと、振り向きもせず帰っていった

黒いサングラスをかけていた

黄昏の放課後
授業を終えて生徒たちが校門を出る
ランドセルカバーの色に塗られた寄宿舎への誘導ブロックが
警官のように彼らを待ち構えているのだが

今日は誰もその手に乗らない

それは太陽が教えてくれた

リュックサックの中に石のように閉じ込められた太陽が教えてくれた

太陽はずるずると引きずられた
日が暮れる
彼らは太陽を連れ、
点字ブロックなどまるで無視して、
道すらも無視して、
野猿のように自由自在に、
歩いて歩いて、
そしてどうやら目的の場所に着いた
(方向感覚を失い 私はここがどこなのか見当もつかない)
(街灯もないのだ)

パーン!
気持ちよい音
しぶきのようなものが飛んでくる
もう一度、 パーン!
するどい破片が頬に当る

太陽は砕かれ まったくの闇が訪れた

くすくすと かわいらしい笑い声がそこかしこから聞こえてくる
いくら目をこらしても
この闇では彼らの姿はおろか 頬に当った破片の輪郭すら見ることができないけれど

涼しげな一陣の風が
私のよく知る甘い香りを運んできた

そして
太陽を食べた少年たちのからだが
闇の中でキラキラ光を放つのを私は見たのだ

(火薬のにおい・・・)

 
 

( 6月某日、都立盲学校そばで )

 

 

 

飼育

 

塔島ひろみ

 
 

郵便局で用をすませ家畜を連れて帰路につく
たまった洗濯物がまつ 43号棟にむかい
首に括りつけた紐を引く
家畜は太って重く膝が悪い
家畜にあわせてゆっくり歩いた
旧棟解体後放置された空地のまん中を
ふれあい通りという名の道が通る
両側に旧棟があったときについた名だ
空地には雑草が咲き乱れ 小鳥たちの絶好の遊び場となっている
疲れたので少し休む
「今日もラーメンでいいね」とぼっそり言うと、家畜が笑った
ふいに思い立ち 紐を後ろに強く引く
家畜は首が締まり、苦しそうに咳をした
ここは私達が50年ほど住んだ16号棟のあった辺りだ
広大な地面の上に空は大きく
ずっと先に11階建ての新棟が見える
黄色い花がいっぱい咲いていた
スズメが棒杭の上に立ち 歌の練習をするように 大きく長く鳴いていた
投げ込まれたゴミをカラスがボリボリと食っていた
どこかに池があった気がする
池の場所をぼんやり探しながら
私は家畜のそばににじりより 
もう使い物にならなくなった尻を叩く
肩を抱く
家畜はイヤイヤをしてそっと逃れた

 

(5月某日、高砂で)

 

 

 

洗濯

 

塔島ひろみ

 
 

全自動洗濯機が洗濯をしている
音を立てて、乱暴にまわり、
これでもか、これでもか、これでもか、
汚れた白衣を、
黒ずんだ泡のなかに引きずり込み、
ひねりあげ、振りまわし、殴打するのを、
男は見ていた
分厚い手を腰にあて、ランニング姿でまっすぐ立ち、
ぎょろついた目で、白衣から、卵液、油、汗垢、髪の毛、羽虫(死骸)、大腸菌、その他さまざまなゴミ類が暴力的に引き剥がされるさまを、じっと見ていた
上の方に浮いてきた「汚れ」が男と顔を合わせきまり悪そうにニヤニヤし、また渦の中に見えなくなる
突然回転がとまり、ごぼごぼと水が落ちだした
洗濯機はピーと先生のように笛を吹き、蓋を閉じるように要求する 男は静かに蓋を閉じる 
洗濯槽が見えなくなると勢いよく何かが始まった
つぶれたそば屋の白衣がこの洗濯槽の中にいる
ゴーと地鳴りのような音が聞こえ、洗濯機がゴトゴト痙攣する
用無しとなったそば屋の白衣がこの中にいる
男は揺れ続ける洗濯機の蓋をじっと見ていた

4階建アパートの2階に男はいた
店賃が払いきれなくなり 3日前男は商店街の端っこにあるそば屋を閉じた
白衣を毎日この洗濯機で洗っていた
風呂に入っている間にすませたから
白衣を洗っていたのは男ではなく、洗濯機で
男は、しみだらけの白衣が強烈な臭いのする泡のなかでさんざんいたぶられ小突きまわされたあげく再生するさまを
今、初めて見ている
4階建アパートの2階で見ている
外階段から2階にあがると廊下があり、ずうっと奥まで見通せる
廊下に沿って8個ほどドアが並ぶ、そのドアのひとつの内側で
口をまっすぐに結んだまま、洗濯機の蓋を見つめるその男の姿は
廊下から見えない
その見えない男が3日前まで着ていた白衣が
洗濯機の蓋の下の男からも見えない暗い地下牢のような場所で
ぐるぐると回転にかけられていた
最後の回転にかけられていた
外では雨が降っていた
傘を差した人がとぼとぼと駅方向に歩いている
たった今横長の古ぼけたアパートの横を通り過ぎたことも気に留めないで 歩いている

アパートの上の階にはベランダがあり、部屋ごとに似た竿が吊るされ似た室外機が置かれていた
雨が上がったら、その南に向いた窓のひとつが開き
洗いあがったそば屋の白衣が
長年活躍した白衣が
もう誰も着ることのない白衣が
ごつごつとした分厚い手で丁寧に陽に干されるだろう
太陽がそれを見るだろう

 

(4月某日、亀有5丁目で)

 

 

 

ペダル

 

塔島ひろみ

 
 

がれきを積んで走ってきた
春の陽を浴び スックと 狼のように立っている
産業廃棄物運搬車第024295号
菜の花が似合う

私はこれから自転車で
年寄りからセカンドバッグを奪うために
川を渡る
年金を下ろした年寄りが、自転車の前カゴに金の入ったセカンドバッグを不用意に突っ込み、もたもた走る
私は遊ぶ金欲しさに 背後から追い抜きざまにそれを奪う
その実行現場へと
立ちこぎでペダルを踏み 橋へ続く坂をのぼる              
川の向こうは東京だ

左手に一面のネギ畑、菜の花、桜、そして
私が卒業した中学の校舎
その正門に続く畑の間の凸凹道を
国道からそれてトラックが一台 走っていく
幌がかかった大きな荷台を揺らし
畑の中にぽつんと立つ中学校へ トラックが向かう
ガタゴトと 次第に学校へ近づいていく
なぜか胸騒ぎを覚え 唇をかんで自転車をこぐ
学校では 私の後輩たちが給食を食べているだろう 
教室の窓から 近づいて来る大きなトラックを見るだろう
彼らは目をつぶり、祈るだろうか
チャイムが鳴る
チャイムの音が ここまで聞こえる

老人はペダルから足が外れ、傾いていた
左足で踏ん張りながら 右足をペダルに戻そうとするが
足がうまくかからない
「大規模環境創造型複合街区」の工事が進み
来るたびにきれいになっている、私から一番近い東京の
その、まだきれいになっていないパチンコ店裏の小さな道で
ボロボロの自転車のペダルがくるくると ぎごちなく回る
自転車と同じくらいボロボロの、老人の右足がペダルを追う 甲で位置を定めてから足を乗せようと試みるが
ペダルは逃げるように形を変え、 息が合わない
その間にも車体はさらに傾いて、老人の左足が入ったしみだらけのズボンがぷるぷる、ぷるぷると震えている

自転車はペダルだけが黄色に塗られていた

店がひしめきあっていた
弁当屋にも飲食店にも行列ができ
肉やパンを焼くにおいがたちこめる往来の片隅で
老人は一人黙々と戦っている
前カゴからコロンと、つぶれた空き缶が一つ落ちた
カゴには、年金が入ったかばんではなく、汚らしい空き缶が山盛りに入っているのだ

遊ぶ金欲しさに、前カゴに年金を突っ込んだ自転車を探す私の前で、
無益な老人は042495号産廃車のように孤独に、
最後のバランスを保ちながら立っていた

黄色い、菜の花のようなペダルを見つめ
私は自転車にまたがり右足をペダルにかけたまま唇を噛み息をこらし、
じっと祈る

 

(3月某日、葛飾区東金町で)