この夏に、きこえる

 

ヒヨコブタ

 
 

夏祭りのお囃子が
空耳のようにきこえてくるのは
こどもじだいのすりこみか

故郷は遠く、盆踊りも遠い昔になった今でも
歌える歌がきこえてくる
海沿いのとても短い夏に
浴衣を着せてもらってなれない下駄をはく
恥ずかしくて輪のなかに入れないわたしを
大人たちが誘う

そのうちに夢中になって踊る
さいしょは忘れていたような振り付けも
真似しているうちに思い出して
手拍子が揃うと嬉しくて

確かなわたしの記憶が
そこにつれていく

このはやり病のなかでは
それさえこどもたちには届かないのか
大人の無茶で理不尽な混乱を
堪えているのか

願ってやまないのは
こどもらの記憶に
少しの糧が残ること
下駄を脱いだあとの足の裏の違和感を覚えている
かつてのこどもが
この夏の少しの記憶を
いまのこどもたちひとりひとりに
楽しかったと残ること

これもまた大人の無茶な要求だろうと
百も千も承知のうえで
口ずさむ
盆踊りの歌を

 

 

 

猫のいたずらに思う

 

ヒヨコブタ

 
 

猫が落としたその詩集は
若き日講演会のあとにサインをしてもらった懐かしいものだった
そのときのことを緊張のあまりわたしは覚えておらず
付き添ってくれた友が
後々今まで笑って話してくれる
ペンは友のものだったこと
筆圧が強いのですねと言われ
間髪を入れずにはいと答えたこと
それらのやりとりすべてが
懐かしく愛おしい時間だ

こころしずみがちであるいまも
そのことを思うと
くすりとするわたしがいる
確かに
あの時間は存在したのに
遠く、友とわたしだけの作り話のように

そのひとは世を去り
たくさんのことばを遺した
わたしのなかには
穏やかに微笑むそのひとが
いつもいるような気がする

猫はよくわたしにとってかけがえのないものに
いたずらをする
けれども
このいたずらは
すこし苦くて
ほんのり甘いような日々を連れてきた

あの頃が総て愉しく充実していたはずもない
苦しくてもがいていたのはいまと同じだ

ただそこに若さがあり
友からペンを奪い取るような
情熱もあった

あの大教室で
最後の三人になって
交わしたことばは
わたしの明日をいつも照らす
いつも、これからもおそらくは
変わらずにあたたかいだろう

 

 

 

いのちとの別れについて思うこと

 

ヒヨコブタ

 
 

こころのなかに
降り積もっているかつての
命あったひとたちのことを
おりにふれ思う

じぶんよりうんと若い命との別れがあった
それを悔やむより
よく頑張ったよと
いまはそんなこころもちで

幾人かの友人が世を去ったとき
それはまだ見えぬ未来に変わる
じぶんのなかで
そのひととの細かな会話や
すこしのエピソードがわたしを慰めるから
まだ生きていかねばならぬのだと
強く強く思わされてきた

なかには
とても酷い人生のように見えるひともいた
生まれ変われたならきっとと思う
にこやかにただふつうに
生き返ることを願う

そういうことを
すこしずつ共有できる僅かな友がいるのは
めぐりあわせとしか思えぬこと
大量消費されるようにたいがいは忘れるひとのなかでは
わたしは
黙する

美化することもなく
蔑むこともない
皆がいつか行く道の
そのひとつでしかないのだろうと
わたしは再び
ことばを探しに
潜っていく
深い深い水のなか
高い高すぎる空の上に
ことばを這わせて

 

 

 

掴み得ぬこころの

 

ヒヨコブタ

 
 

ふとしたときに
なにかの合間に
かつて友からの便りにあった
おもはゆいということばを
思い出しては想像する
おもはゆいこころもちであった彼女は
いまどうしているだろう
はたして
わたしはおもはゆいということばの
彼女の意図するところを
きちんと掴めたのだろうか
おもはゆいはそんなふうにわたしのまわりを漂って
手をすり抜けるようにしているのに
ある日ぬんと表れる
おもはゆさとはこんな感じだろうか
いや違うだろう

何年経ってどんな人生になっていても
お互い関係や思いが変わらぬままというのは
憧れではあるものの
すれ違っていくのを感じるとき
それが重なるとき
彼女のことばは表れる

照れくさいほどに顔を会わせたくなるひとたちの
一人ひとりを思い浮かべては
ぼんやりとしてしまう
それらはわたしのなかにある記憶で
現実の彼女彼らではないのだろう
この世界は
思い浮かべるほど広くなりまた狭くもなる
思いこみの世界なのか
あまりに膨大で
深い海のように

 

 

 

追いつけぬ、春

 

ヒヨコブタ

 
 

濃い紅色の花が咲く頃はとても嬉しいのに
薄く色づいた花が咲き始める頃
わたしは落ち着かなくなっている
毎年のことだ
と言い聞かせようとして
さて
毎年がここ数年は少しずつ異なっていることを思い知らされて
また落ち着かない心持ちになる

家の窓口になるというのは
不幸があってもお祝いがあってもさしてかわらないのだが
不幸が続くと
花をみる心も揺らぎ始める

墓参りを済ませ
すこし清々しく感じても長続きせず
年老いて気弱になり始めることばを吐く人たちに
ゆらゆら揺らされていることにも気がつく
平気な顔をしてそれらを片付けては
ため息のような空気がこころにたまっている

変化していくのはなにも子どもの頃だけではなかったのだ
大人になり年々季節が変わるのに追いつけなくなっているじぶんがいる

わたしの年齢にかつて暮らした親を重ねてみても
なんだか心許ないのは
そのひとたちに心底安心を得て過ごしてきていないからではないかと
責任転嫁してみる
いや揺れ動くじぶんを
操ったり宥めたりすることが
まだまだ不得手なのだと
思い知らされる気がする

春を待ちわびていたのは
何かが変わるからだった
いまはそうではないのかもしれない

日々新聞をひらくとそこには猫が乗り
撫でろと鳴く
一枚捲るのに宥め撫でながら
すこしの安寧がそこにあることを思う
猫は撫でて欲しいのか
はたまたそうではないのか
わからないまま撫で、ブラシをかける
気が変わりすとん、とジャンプをして
また寝入る猫に
羨ましいようなほっとするような不思議さ

春は嫌いだといえばいいのか
いや春は好きだ
いまのじぶんの心持ちが好きではないのだと
離れたじぶんがじぶんをみている

 

 

 

旅立ちが遺すものは

 

ヒヨコブタ

 
 

真っ黒に焼けた顔でにかっと笑うとき
少し黄ばんだ歯がのぞくのを覚えている
その口で
俺は学がないからねといつも口癖のように

学がないということの意味はそのうちにわかってきた
祖父母の意向で長男だけは上の学校に進めなかったこと
代々の土地を
畑作を守るためのひとだという理由で
さして年も変わらぬおばは女学校に
兄弟姉妹を親が働く間子守りまでしていたのはそのひとだというのに
にかっと笑うその笑顔はすこしさみしそうで
自嘲気味のことばも
意味がわかってくるたびにかなしくて

存分に与えられたのはお金だったろうか
本当に欲しいものは
ほんとうは
愛情だったのではないかと

気弱な父と姑に逆らえぬ母をそれでも慕う
そのおじが
旅立った
いつもかあさん、いるかい?
と裏口から入ってきて
人形遊びをしている姪にちらりと視線をくれるひと

親同士が仲違いをしてもうしばらくになった
会うこともかなわなかった

こうしてひとりひとりのおじやおばが
旅立っていく
わたしにすこしのさみしさと
温もりのある記憶をおいて

行かないでと幼ければ泣いたろう
いまは
行ってしまうことの安らぎを願う
またあたらしい日々が戻れば
週明けにはにかっと笑うのではないか
幼いわたしに残したおじの笑顔が
焼きついて消えない

 

 

 

三つ編みおさげの彼女の

 

ヒヨコブタ

 
 

たくさんの年始の挨拶のなかに
おばの懐かしい文字があった
幼い頃に農家へ養子に出たその人の
一文字一文字が胸をうつ

元気でいればまたお目にかかることも出来るでしょう
そのときを楽しみにしています

親の兄弟姉妹のなかでも一目おかれる彼女は
確かにそう思っているのだと
一つひとつの文字の強さにそう感じる
この冬も家のまわりは吹雪くだろう
田畑は雪に覆われて
地吹雪も酷いだろう

腰はとうに曲がり
いつも生まれたての玉子を持たせてくれた
訪ねると持っていった以上の収穫物を
美味しい米も美しい花も

彼女にいまとても会いたい
白髪の長い髪を乙女のように三つ編みにした
愛らしいひとに

わたしが生まれたばしょではないのに
訪れるたび先祖の開墾をおもうばしょに
確かに彼女はいる

叶わぬことも
叶えるために
日々呼吸をしている
また彼女に会うために
またあの地に立ち
あらゆる記憶をつかみとるために

 

 

 

思い出す、彼女の

 

ヒヨコブタ

 
 

花が好きだった
そのひとから
時折届く葉書には
小さな押し花があった

決まった時刻にパンと
少しのスープを食べ
読書もかかさなかった

彼女のひとりという時々を
孤独に思うひともいたろう
わたしには
ゆたかな彼女が思い出されるのだ
ひとつひとつが丁寧で
少しのおしゃべりに笑顔になる

昨冬のこの頃に
まったくひとりで旅立った
幼い頃に編んでくれたセーターの色も温もりもまだ残したまま

かつて彼女がそうしたように
年の瀬わたしも台所で
少しずつの正月料理をゆっくり作る
こつこつと

どこかで重なる
どこかで思い出す
そのひとは
優しい寡黙なひとだったと

出汁や醤油の匂いのなかに
彼女を
みるような
年の瀬

今年ほどの忙しなさを
異質な日々を
彼女が知らなくて良かったと
それだけは

くつくつと煮たつ鍋のその湯気に

 

 

 

いつかの秋

 

ヒヨコブタ

 
 

いつかの秋
わたしは大きな公園で一日を過ごした
まわりが淋しくなる頃
落ち葉を拾って立ち去った

いつかの秋
わたしはまた大きな公園に
いた
賑わいは耳に残っていない
景色だけが
そのときの気持ちだけが残っている

いつかの秋ばかりになる

今年の秋
わたしはその大きな公園に
いない
その公園のわたしを呼び出しては
秋を遊ぶ
落ち葉を拾い集めて
本にはさんで帰るのだろう
ぼんやりと
いつものように走り回る子らを眺めるのだろう

いつかの秋は
いまより豊かにみえて
行かずにいる大きな公園は
賑やかに思える

わたしはここにいるというのに

 

 

 

別れの不穏と悲しみとは

 

ヒヨコブタ

 
 

さようならをする準備を
させてはもらえない
今年はそんな年になった
身近なひとが幾人も旅立てばこころあわだち
荒波が押し寄せる
笑顔多きひとの印象は
悲しみでひとりの背中を想像させてくれもしない
一人一人に問いたい
あなたは
あなたはひとりだったのですか

去年の秋に発表された歌に希望をみた
その頃にはマスクだらけのこの世界はまだなかった
殺伐としたスーパーもなかった
他愛ない会話に満ちていたんだ
その秋にうまれた歌に
過去に救われたんだ
あなたはそうではなかったのですか

ひとの死を美化しているといわれたことがある
わたしは
口をあんぐりとさせてなにも言えなかった
ときに
話を通じさせあうことができればいいのに
できないひとも多いのだと知っている
わたしもひとりになる時間かもしれない

とある死
その人の死からその年齢の倍になったことに気がつく
わたしは未だにわからずにいる
あのときどれほど誰かとその人について語り合いたかったか
語り合い続けたかったか
20年
以上の日々ひとりで考えている
形見分けには多すぎるものはしまってしまった
生きてきた証という苦しみの塊も含まれた段ボール
なぜこんなに手放されたのだろう
わたしのもとで休んでいるといいのだけれど

ただ息をして息をし続けるということは
これほどまでに困難なことなのか
それだけは知っている
つもりだ
なぜなのかは
わからぬままに

生きていられる喜びというものは
脆くて危なっかしい
それが生き続けるために足りないときがある
魔の時間だ
そんなときは休もう
じぶんにも言い聞かせているのだ
そちらとこちらは近いようで
あまりに
遠いから

子どものころから願っているのに
まだ神様とやらはきいてくれない
届いていないのだろうか
もう誰も死なずにすみますように
お願いです
そんな日がありますようにと

今日も願う
もしも誰かに届くなら
このちっぽけなわたしの言葉でも
きいてくれやしませんか
あなたが大切です、どうかいなくならないでと

不穏な秋は
いらない
ともに空を見上げよう
どこかまで繋がっていると信じてみませんか