謹賀新年2021

 

みわ はるか

 
 

今年も赤いチェックの半纏をクローゼットから出した。
肩にかけるだけでも温かい。
今年はよく雪が降る。
空もどんよりで暗い。
将来は暖かい所に住みたいと小さいころから思っていたけれどそれに拍車をかける。
そうでなくても未曽有の2020年だった。
明日が必ず今日のように来るとは限らないということを思い出させてくれる。
色んな人の人生が変わった。
そして、これからもきっといつもより早い速さで変わっていくのだろうと思う。

年末、不燃物のごみ袋、可燃物のごみ袋がベランダにたくさん並んだ。
使い古したキッチン用品、着なくなった洋服、不要になった書物・・・・・。
すっかりこぎれいになった部屋を見渡すとすっきりした気分になった。
ごみを収集場である場所まで運ぶとすでにたくさんのごみ袋で埋まっていた。
みんな同じだなぁとなんだか嬉しくなった。
普段顔を合わすこともない、隣に誰が住んでるか分からない集合住宅でも、ここでは間接的にみんなきちんと生きていることが分かる。
年末にきれいに部屋を整え、元日を清い心で迎える。
明るい未来を信じて。

今年は何十年かぶりに「おせち」というものをお店に頼んだ。
わたしの2020年最後のミッションは大寒波が来ると言われる31日に歩いて30分程のお店からおせちを持って帰ってくること。
この文章が載るころにはそんなおせちを食べているのかな。
小さい頃は何事にもきちんとしていた祖母が1つ1つ手作りで何日も前から作っていた。
黒豆、かずのこ、だし巻き卵、煮物・・・・・・。
お正月が過ぎても残っているそれらを見てぶつぶつ文句も言っていたけれど。
そんな思い出も今では大分忘れてしまった。
自分の人生が大分進んだということなのだろうか。
それならばこれからどんな日々を紡いでいこうか。
悩んだところで答えは出ない。
「今」を生きてみようと思う。

みなさんにとって良い1年になりますように。

 

 

 

口紅

 

みわ はるか

 
 

三十歳を目前に、わたしは口紅を一つゴミ箱に捨てた。誰もが知るブランドメーカーのもので少し幼さが残る淡いピンク色。まだ半分以上使える状態で残っていた。それは大学時代の友人が三年前のわたしの誕生日に贈ってくれたもの。その友人は律儀で毎年プレゼントを渡してくれる。尋ねたことはないけれどそれはなぜか必ず有名化粧品メーカーの口紅だった。まだ開けていない封の上から覗くと一年ごとに異なる色のようだ。毎日使っていてももったいなくて中々消費できずにいた。もう三本程の頂き物のそれが化粧ポーチの中を陣取っている。ただ、たくさんあったから処分しようと思ったのではない。数ヵ月前から頭の中でぐるぐると考えていた結果、自分に対するけじめとして捨てたのだ。

小学生時代、教室には木でできた机と椅子がきれいに同じ間隔で人数分並べられていた。
特に入学したての小学一年生の時には机にも椅子にも自分の名前が平仮名で大きく書かれていた。自分の存在するべき場所がきちんと用意されていた。当然のようにそこに座り、何回かの席替えを経験してもその場所がなくなることはなかった。みんな当たり前のようにそれを使っていたし、座高が合わなくなったりねじが壊れてしまった時には先生にその窮状を訴えれば無条件で交換してくれた。それは中学生の時もほぼ同じで相変わらず自分のポジションが必ず教室の中にはあって、それが普通だと思い込んでいた。教室という組織の中で自分が存在する小さな小さな城に毎日君臨していたのだ。それは音楽室や美術室、家庭科室等といった移動教室でも同じだった。大きな机に椅子がそれぞれ四脚ずつだっただろうか、班ごとに座る。なんとなく一人一人の定位置ができていて、インフルエンザのように長期間休む人が出ても必ず同じ位置が空席になっていた。体育の授業でも似たような感覚になる。机や椅子という物理的なものはないにせよ、背の順、あいうえお順、男女別々の順、その時々によって体操座りしたり前ならえの格好をしたり。そこには規則正しい配列があって自分の整列する位置があった。それは運動場だろうが体育館だろうがプールサイドだろうが同じことが言えた。十五歳までの学生生活には無条件にわたしを迎い入れてくれるる器がそこにはあった。そういう安心感みたいな感情があったのと同時に、どこか窮屈なそこにいなければいけないという切迫感のようなものも感じていたような気がする。

少し状況が変わったのは高校生になったころだ。わたしの入学した高校は同じ学区内では校風が最も自由と言われていた所だった。当時としては珍しく授業以外での携帯電話の使用は自由に認められていたし、冬に着るカーディガンの色も特段指定はなかった。教室の席は決まっていたものの、能力別で割り振られた特別授業や土曜日に希望者だけが受講するセミナーはどこに座っても何も言われなかった。その瞬間、私の中で初めての感情が生まれた。後ろから見られる目線が気になるなら一番後ろに座ればいい、眼鏡を忘れた日には前列中央を選べばいい、暑い夏は涼しい風が心地よく入ってくる窓際にしよう。どこに座ったって何も言われない、干渉されない。それがとても心地よかった。

大学生になるとそれはますます加速した。
まず個人の席という概念がない。一年生の時には全学部共通科目があり大きな講堂で何十人、授業によっては何百人という規模で講義があった。遅刻してこっそり空いている席に座っても、こっくり居眠りしていても、なんとなくさぼってしまっても誰も何も言わなかった。学年が進んで専門科目が始まった。さすがに人数は少人数制になりはしたがそこでも自分の席というものは存在しなかった。卒業という目的を達成するには授業に出て単位を取る必要はあったが、そこに出席するかしないかは自分自身に託された。単位が取れたなと確信したつまらない授業には顔を出さなくなった。その分、芝生の上でぼーっとしたり目的もなく街をさまよったりする時間に当てていた。当時その特定な場所がないということをこの上なく素晴らしいものだとわたしは疑いもしていなかったと思う。

そしてわたしは晴れて社会人となった。自分のデスクこそあったがぼーっとしていたらあっという間になくなるような幻のデスクだった。自分から学ぶ姿勢をもって能動的にならなければなかった。あっという間に後輩が入ってきてせかされた。毎日毎日一生懸命走り続けた。朝職場に行って自分の席があることに心からほっとした。消えてなくなっているのではないかとたびたび冷や汗をぬぐった。右も左も分からない入職したてのころの方がよかったとさえ感じてしまう時が増えた。平気で八段の跳び箱を跳んでいた怖いもの知らずの昔の自分のように。そんな時わたしの姿をたたえ褒めてくれた上司がいた、わたしを見ていると自分も頑張ろうと思うよと伝えてくれた同期がいた、先輩がいてくれて心強いですとこっそり教えてくれた後輩がいた。何物でもない何かに怯えていた自分が急に馬鹿馬鹿しくなった。居場所は真摯に物事に向き合っていればきちんと用意されるものなんだろうなと。どうもがいても上手くいかなくて幻の机が消えてしまってもそれはそれでいいじゃないか、その時またそこから可能性を掘り出していけばいいじゃないかと。

気持ちよく朝を迎えられるようになった。
ドキドキしていた鼓動はゆっくりと規則正しく聞こえてくる。まだまだゴールが何なのかいまいち分からない人生がこれからも確実に続いていく。毎年一つずつ年を重ねながら長い長い道のりが。今まで色んな居場所を見て様々な感情を抱いてきたけれど、これからは自分の納得できる居場所を探し続けていこうと思う。自分を進化させながらその時々にあった居場所を。

淡いピンクの口紅を捨てた日、新しい口紅の包装を丁寧に破った。クルクルとケースの下側を左手で回す。そっと顔を出したそれは少しくすんだちょっぴりラメの入った美しい赤色だった。デパコスで背筋のいいきれいなお姉さんがつけているような色合い。自分には恐れ多くて一生手に取ることのない物だとずっと思っていた。いつもより鏡に顔を近づけてそっとそれの先を唇に走らせた。なりたい大人に少しだけ近づけた気がした。

 

 

 

「生」と「死」と

 

みわ はるか

 
 

久しぶりにコンビニに入った。
そこでしか使えないプリペイドカードをもらったからだ。
夜ご飯を作るのが億劫になりがちな金曜だったため迷わずお弁当コーナーへ向かった。
コンビニというのは本当に便利なもので野菜、魚、肉、フルーツとなんでもそろっている。
なんとなくエビが食べたいなぁと思ったわたしはグラタンを選んだ。
大きなエビが4つも入っていた。
レジの女の子は20代前半だろうか手際がよかった。
慣れた手つきで会計までの処理を進めていく。
「温めますか?」
「あっ、お願いします。」
チーン
「熱いのでお気を付けください。」
「あっはい。・・・・・・・あっつつつつ、熱い。」
「ハハハハハハ、熱いですよね。気を付けてください。ハハハハハ。」
2人で笑った。
初めて会ったのにお互いの目を見て笑った。
居心地のいい笑いだった。

週刊誌コーナーに行った。
自ら命をたった有名人の記事が大きく取り上げられていた。
最近多いな・・・・・。
信憑性はよく分からないけれど家族の問題、親族の問題、色々書かれていた。
幼いころ、サザエさんはテレビの中だけの存在だと思っていた。
みんななんだかんだ仲が良くて、同じ食卓を楽しそうに囲んで同じものを食べる。
怒られているシーンさえも愛おしく思うようなそんな感じ。
休日にはみんなでお出かけしたり、ご近所とも和気あいあいみたいな。
でもそれは現実世界でも普通にありえるものだということを成長するにつれて知った。
大人になると結婚した友人や一人暮らししている知人が「あー来週は実家に帰ろう。」とか、
「実家でのんびりしよ。」とつぶやく言葉を頻繁に聞くようになった。
いいなぁ、羨ましいなぁと心から思った。
もちろんわたしにも実家はある。
小さい頃は家族みんなで花火をしたり、蛍を見に行ったり、海に行ったり、みんなと同じことをした。
でもなんとなく色んな事が不器用な人の集まりで、塾にいる時が居心地がよかったりした。
そんな感じで来てしまったのでわたしも色々と大人になって不器用な人間になってしまった気がする。
「愛想」について真剣に考えたり、何物でもない者に怯えたり、考えることを全てやめたいと思ったり。
家族は大切だし今でも定期的に会っている。
それでも心のどこかでわたしには帰る場所がないような気持ちで生きている。
今ここにある自分が全てなんだと思って日々過ごしている。
だから毎日苦手な朝日を浴びながら布団から出る。
どんなに嫌なことがあっても通勤用の鞄を肩にかける。
終業のチャイムが鳴った時は安堵して暗闇の中帰途につけたことに乾杯する。
欲しいものはほとんどない。
住む家と、食べ物と、温かい布団があれば満たされる。
少しの心から気を許せる人がそばにいてくれればそれでいい。
昔わたしの部屋を見た友人が学校の用務員室より簡素だねと言った。
その日暮らしのように感じるらしい。
自分が所有しているものがどこにどれだけあるか把握しておきたい。
物がない空間がわたしに安心をくれる。
すぐどこへでも移動できるから。
絶対的な明日が不確かな明日になる日はすぐそこまでやってきているかもしれない。

ちょっと暗い文章になってしまったのは冬至へ向かっていく季節からだろうか。
もちろん楽しい瞬間もたくさんある。
さっきまでガハハと笑って宅配ピザを食べていたし。
ピザだけじゃなくてポテトと新作のゴボウフライのサイドメニューもニヤニヤしながら頼んだし。
サラダもいるなと思って一生懸命大量のキャベツを千切りにもした。
これから大好きな映画だって見る(もう10回は鑑賞したというのに)。

自ら命をたつということは相当な覚悟が必要だ。
「運命」という言葉だけで終わらせてしまうのにはあまりにも悲しすぎる。
落ち込み悔やむ周囲の人たちがたくさんいるのだから当然肯定はできない。
だけれどももしかしたらやっぱりそれは「運命」だったのかもしれないと感じる時がある。
「生」と「死」は対極にあるのか、横並びにあるのか、そもそも比べる対象ではないのか。
その答えはまだわたしの中では出ていない。

 

 

 

トマト選果場

 

みわ はるか

 
 

ひょんなことから残暑がまだまだある日、わたしはトマトの選果場で1日働くことになった。
その選果場はとても広く大きなシャッターは全て開けられていて開放的な場所だった。
中は想像していた通りでたくさんの機械や箱ごとトマトを運ぶための乗り物が所狭しに並んでいた。
驚いたのは人の多さだった。
100人以上はいると思われた。
女性が圧倒的に多く、それぞれタオルや帽子を用意しており手にはペットボトルや水筒を握りしめていた。
年配の人が多く若い人を探す方が難しかった。
外からは熱気がムンムンと押し寄せてきていた。
空は青かった。

大きなスピーカーによる簡単な朝礼が終わると機械的に配属場所が割り振られた。
わたしはDゾーンに行くことを支持され、そこには長いレールが待ち構えていた。
他のレーンからは大きなプラスチックケースに詰められた様々な大きさのトマトが流れてきた。
それをよいしょと自分のそばに引き寄せ自分の前にある動くレーンに移し替えていく。
移し替える基準は大きさ、傷の数、傷の深さ、熟成度などいくつか見るべき所があった。
それを瞬時に判断して4つのカテゴリーのどれかに収めていく。
おちおちしているとどんどん周りに置いて行かれるので必死にマニュアルを覗き込んだ。
両脇はベテランだと思われる70才位のおばさま。
手慣れた様子ですごい勢いでトマトを選別していた。
ちらっとわたしの方を見て小さなため息をもらしつつもコツというものを丁寧に教えてくれた。
それを参考に作業を続けるとわたしの作業ペースは格段にあがった。
迷ったときは申し訳ないと思いつつも両脇のおばさまに尋ねた。
あっという間に2時間が過ぎ10時の休憩がやってきた。
なぜか休憩もあの両脇のおばさまと同じ木の椅子に座って休憩することとなった。
予想通り70才近い年齢で夏のこのシーズンだけ働きにやってくる。
家にいても迷惑をかけるから、都会からの出戻りで今でもお金が必要だから、働くことが好きだから。
理由は様々な色んな人がここには集まっていることを教えてくれた。
疲労感は感じたけれどみんないい顔ををしていた。
知らない人同士で塩味が効いた飴を分け合っていた。
たった2つしかない自動販売機には長蛇の列ができていた。
わたしは2人のおばさまと同じ空と雲を見た。
最後の力を振り絞って鳴く同じセミの合唱を聴いた。
お互いのことを詮索することもなくその時を過ごした。
汗がポトリと滴り落ちたがあっという間に蒸発していった。

1日はあっという間に終わった。
終わるころにはおばさまたちに負けないくらいのスピードで作業できるようにまでなっていた。
なんだか昔小学校の花づくり活動で泥だらけになりながら味わった達成感に似ていた。
外での作業はものすごく久しぶりだった。
ものすごく疲れたけれどすっきりした気分でいっぱいになった。

トマトの時期はもう終わる。
もうここに来ることはおそらくないだろう。
ここにいる人とも会うこともないだろう。
そんな1日ぽっきりのジリジリ太陽が照り付けていた日の出来事。

 

 

 

わたしと友人と愛犬

 

みわ はるか

 
 

星を見た。
夜中の23時ごろ、久しぶりに再会した幼なじみ3人でアスファルトの上に寝転がって見た。
傍らにはすっかり年老いてしまった我が愛犬もいたけれどおとなしく座ってお行儀よくしていた。
夜のアスファルトの上は気持ちがいい。
少し石っぽい痛さは感じたけれど苦痛というほどではなかった。
どこまでも続く夜空にはこれでもかという程の光が少し遠慮深そうに散らばっていた。
赤い光が一定のリズムで動きながら点滅していたのは旅客機だと思われる。
しばらくすると雲の向こうへ消えていった。
そして、久しぶりの再会を祝ってくれるかのように流れ星がすごい勢いで半円を描いて消えた。
それを見られたのが2人だけだったというのはちょっと残念ではあったけれど・・・・・。
3人とも半袖Tシャツに短パン、楽に歩けるサンダル。
まるで小学校に戻ったみたいな時間だった。
どこからともなくやってくる蚊さえいなければ朝までそこにいてもいいとさえ思えた。

この10年余りですっかり若年の人口が減ってしまった。
田んぼや畑で仕事をしている人はかつてわたしの記憶では若々しかったが今は腰を曲げてしんどそうにしていた。
大型機械に頼る人が増えて少しは楽になったのかと思ったけれど、夏の炎天下は老体には厳しそうに見えた。
ちゃんと水分や塩分を摂っているのだろうかとハラハラする。
それでも順調に生き生きと育っている稲や畑作物を見ると懐かしさがこみ上げずっとこの景色が消えないでほしいと無責任な感情が生まれてしまう。
風になびく稲の穂を目の当たりにするとほっとした。
収穫ももう間近である。
幼なじみから聞いた話によると最近は外国人や都会からの移住者が前と比べて随分増えたそうだ。
空き家になったところに住んだり、安い土地を購入して自分たちでカフェを始めたり。
田や畑を借りて異国の知らない土地で農作業を始め出荷する程の腕前を発揮する人もいる。
そこで家族ができて馴染んでいく人も少なくないそうだ。
もちろんトラブルは少々あるそうだがきちんと話し合えばある程度は解決していくみたいだ。
生きていると周りの様子や社会のシステムはどんどん変わっていく。
こんな「今」になるとは全然予想もしていなかったし、こうやって山や川を駆けずり回っていた友人と小難しい話をする時が来るとも思ってなかった。
愛犬がのそのその動き始めてわたしの方を「そろそろ帰ろうよ」という目で見てくるので2人とまたねと挨拶を交わして別れた。

再会は驚くほど早かった。
朝5時30分頃携帯が鳴った。
誰だこんな朝早くにと少し不機嫌な顔でコンタクトもつけてないので名前も分からず電話に出た。
昨日の友人の1人だった。
我が愛犬の散歩を3人でしようという旨だった。
もう1人にもすでに連絡してあるのであと15分程で我が実家に到着するという。
こんな朝早くにと驚いたけれど暑い日差しを避けての選択だった。
久しぶりに会ったので名残惜しかったのだろうと少しニヒヒとにやけながらも急いで洗面所に向かった。
コンタクトを入れ終え、歯ブラシに歯磨き粉をつけ終わった所で「おはよう~」と友人たちがやってきた。
案の定もう1人の友人もいきなり電話があったらしくまだ顔は起きてなかった。
麦茶をすすめ待ってもらうことにした。
歯を磨きながらこうやって昔の友人が実家の居間に座っている姿を見るのは何年ぶりだろうかと小首をかしげた。
なんだかあまり違和感を覚えなかったのも不思議だった。
麦わら帽子をかぶり日焼け止めをたっぷり塗って出発した。
愛犬は老犬になってしまったためノロノロと歩いた。
伐採されてしまった木々、いまでは遊べなくなったエリアの川、人気のない家々、手入れが行き届いていない林・・・・。
見るもの見るもの1つ1つに新たな発見があった。
昔通学路だった道、当時は小学校までがものすごく遠く感じだがものの10分で到着してしまった。
一掃された遊具、1匹もいなくなってしまったウサギ小屋、白から鮮やかな黄色に塗り替えられた校舎、水温が高くて入れないため開かれないプール。
200mある運動場のサークルはものすごく短い距離に見えた。
朝早く歩くというのはとても気持ちがよかった。
「早起きは三文の徳」と昔よく亡くなった祖母が言っていたけれどこういうことかと遅かれ気付いた気がした。
1時間も歩くと老犬とともに人間3人もさすがにくたばってきたので家路に急ぐことにした。
愛犬は舌をハッハッと出して体温調節しながら最後の力を振り絞って歩き出した。
わたしたちもそれに倣った。
家に帰って冷蔵庫の中をゴソゴソ探ると水ようかんが大量に出てきた。
麦茶とともに頂くとそれはそれはツルンとしてとても美味しかった。
特段何か特別な会話をしたわけではないけれどただいる、ただそこに古い友人がそこに存在しているという時間が心地よかった。
またまたねと言って別れた。
次はいつになるか未定だけれどまた並んで我が愛犬の散歩に行けたらなと思った。
心なしか愛犬も名残惜しそうに2人の友人の背中が見えなくなるまでいつまでもいつまでもしっぽを振りながら見つめていた。

 

 

 

焼きおにぎり

 

みわ はるか

 
 

ピッと赤く光るボタンを押すとガランガランと派手な音をたてて自分が選んだものが落ちてきた。
透明の蓋のようなものを手が挟まれないようにゆっくりと持ち上げ手を突っ込んでそれを取り出した。
生温かいぬくもりが感じられた。
写真で見るよりも小ぶりだけれどそれは紛れもなく醤油味が絶妙に効いた焼きおにぎりだった。

地元の最寄り駅に久しぶりに来てみたら、学生時代よく見かけた愛想は全くないがいつも大きな声であいさつをしてくれたおばちゃんがいなかった。
小腹がすいたときに食べたくなるようなチョコレートやスナック菓子、朝刊、雑誌、たばこ、ペットボトルのジュースや缶コーヒー。
そういった売り物が所狭しと並んでいた売店がなくなっていた。
小さな、だけどちょっとワクワクするようなその空間はたった1人で切り盛りしていたおばちゃんとともに消えていた。
代わりにやや大きめな自販機がどーんと設置されている。
その中の1つに焼きおにぎりが商品としてあったのだ。
おばちゃんは違う駅に飛ばされてしまったのかなと少し寂しくなった。
ただ、これも田舎のぽつんとした駅には必然な結果なのかもしれない。
時代は無情にも変わっていく。
でもどうしてだろう、たこ焼き、ポテト、お好み焼き・・・・・たくさん種類がある中で迷うことなく焼きおにぎりを選んだ。
ぼんやりと少しずつわたしは焼きおにぎりとの出合いを思い出し始めていた。

小学生低学年のとき仲のいい友達がいた。
よく土日には彼女の家に行ってお昼ご飯を忘れる程ゲームに熱中していた。
母親には宿題をしてくると言って逃げるようにいつも家を出発していた。
おそらく今も母はちゃんと勉強していたんだと思っていると思う。
ある時いつものように彼女の家に行くと、夕方から病院に行く用事があると言われた。
なんでも同居しているおじいさんの体調が悪くなり入院したという。
病院という所にほとんど縁のなかったわたしは同行させてもらうことにした。
夕方の病院というのはとうに外来診療が終わっているせいか薄暗くしんと静まり返っていた。
スタッフの数もうんと少ない。
院内も迷路のようで迷ってしまいそうだ。
その時ひときわこうこうと光を放っている一画があった。
3台程の自販機がみんなきちんと前を向くように並んでいる。
周りが暗いが故にとてもまぶしく感じた。
奥の2台は道端でもよく見るジュースやコーヒーが売られているものだった。
手前のそれは当時わたしにとっては初めて見る自販機だった。
前述の大人になって見たものとほぼ同じでたこ焼き、ポテト、お好み焼き・・・・・、そして焼きおにぎり。
どの写真もみんな美味しそうに見えた。
友達のお母さんはニコニコしながら慣れた手つきで500円玉をそれに投入した。
その時買ってくれたのが焼きおにぎりだったのだ。
友達と2人でわくわくしながら箱を破り醤油がかかってほんのり香ばしい焼きおにぎりにかぶりついた。
お腹がへっていたのもあってペロリとたいらげた。
2人とも口の周りに醤油をつけてもぐもぐさせながら顔を見合わせて微笑んだ。
友達の二カッと笑った時の歯と歯の間には茶色の米粒がいくつもついていた。
長椅子に2人並んで足をプラプラさせながら焼きおにぎりをほおばっていたあの時、わたしたちの間には幸せな時間が流れていた。
またそれ以上に自販機で食べ物が買えるということが当時のわたしたちには衝撃的な事実だった。
大人になって思うと、自販機に備えられているからある程度防腐剤が入っているだろうし写真ほど立派なものは残念ながらでてこない。
値段も普通に買ったり作ったりすることを思うと決して安くはない。
だけどあの時あの場所で光り輝いていた自販機にわたしたちは吸い込まれていくような気分だった。
堂々と立っているにも関わらず森の中で秘密基地を見つけたような気持ちになった。

残念ながらその友達とは高校から別の道を歩むことになり今ではすっかり疎遠になってしまった。
実家にいるというのは風の便りで知っているが今どんな風に生活を送っているのかは全く知らない。
ただあの時あの瞬間に2人で味わった驚きと幸福はこれからも消えることはないんだと思っている。

 

 

 

喫茶店

 

みわ はるか

 
 

しばしばどうしても「モーニング」に行きたくなる日がある。
モーニングというのは東海圏発症の習慣だ。
午前中、コーヒー1杯の値段でトーストやサラダ、ゆで卵なんかがついてくるシステムだ。
つまりとってもお値打ちなのである。
まだわたしが小学校の低学年だったころ、日曜の朝に家族で近所の喫茶店に行った。
内観は少し古めかしくてソファもどこか傷んでいる。
今みたいにLEDライトがあるわけでもなく薄暗い白熱灯が店内を照らしていた。
カランカランと扉を開けると、白髪白髭でダークグリーンのエプロンをしたひょろっとしたおじいさんがニコニコと迎えてくれる。
その後からヒョコっとまたもニコニコしたダークレッドのエプロンをした奥様が顔を出す。
少し年の差があるのか、髪は黒々としていたし肌つやもあったような、小柄なおばさまだった。
片手にはコーヒーポットを持っていた。
店中にコーヒーの香りが漂いそこにいる人みんなが休日の朝を穏やかに楽しんでいた。
もちろんわたしはまだ小さかったのでコーヒーではなくオレンジジュースを注文していた(実は大人になった今もコーヒーは苦手なのだけれど)。
半分に切ったトースト、キャベツや紫玉ねぎや人参が細かく切られたサラダ、ゆで卵は殻ごと出てきた。
トーストには小倉あんかマーマーレードを塗る。
たった2択しかないのに選ぶという行為がドキドキだった。
サラダにはちょっとおしゃれな、今思うとフレンチドレッシングをたっぷりかけた。
ゆで卵は苦戦して殻をなんとかむき少しお塩をつけて食べる。
最後はオレンジジュースを口の周りベトベトにしながら飲み干した。
お腹は満腹だった。
ゆるやかな時間がそこには流れていた。

家着でそのまま喫茶店にやってきたような無精ひげを生やしたおじさんが足を組んで煙草を吸いながら1人朝刊を読んでいた。
家族連れで来たであろうテーブルにはちびっ子たち用の漫画や絵本が散らばっていた。
常連なのだろう、マスターと慣れたように話す老夫婦は美味しそうにコーヒーを飲みながら会話を楽しんでいた。
メニューの数も飲み物の数も決して多くはなかった。
だけど、休日になると足を運びたくなるそんな不思議な場所。
タイミングよくコーヒーのおかわりを運んできてくれる奥様も素敵だった。
みんながその空間を楽しんでいた。

今、とってもお洒落なカフェやチェーン店が増えた。
店内は明るくて若い人も増えた。
そこには様々なモーニングサービスがあって選ぶのにも苦労してしまうほどだ。
内装やテーブル、椅子もモダンな雰囲気を醸し出している。
すごくかわいいのだけれどわたしはなんだかそわそわして落ち着かなくて、何食べたかも忘れてしまう。
お会計を済ませて外に出ると自然に「ふーっ」と息がもれた。
やっぱりわたしは昭和っぽいレトロな感じのお店が好きだなぁと思う。
今、夜9時までやっている理想な喫茶店に通っている。
店主はもう70才近いだろうか、白髪にどこで買ったのか丸眼鏡で少しよろよろと歩く。
娘さんがフォローしながらやっているそんなお店。
余計な詮索はされないし、夜のメニューにちょっとした軽食があるのでそれが嬉しい。
好きな本を持っていつまでも居座ってしまう。

店主、どうかどうかいつまでも元気でいてくださいね。

 

 

 

 

みわ はるか

 
 

間違えて寝室のカーテンを遮光カーテンにしなかったせいで朝が来るのが億劫である。
そうでなくても朝が苦手なのに、時間になると容赦なく照り付ける太陽が憎い。
雨より晴れが好きだけれど朝日はどうも苦手だ。
起きてすぐはなんだか不安でいっぱいで、これから始まる1日をどうしても肯定的に受け取れない。
長い間ずっとずっと悩まされてる。
小さなやかんんで沸かしたお湯をお茶っ葉を入れた小さな急須に静かにそそぐ。
1分位たったらお気に入りの湯飲みにそっと移す。
ほうじ茶の温かい香りが少しだけわたしを癒してくれる。
リモコンを操作してNHKに合わせる。
今日も司会のアナウンサーの人はきちんと身だしなみを整えテレビの中にいる。
それを確認してやっと窓の外の眩しい世界をなんとか受け入れることができる。
えいっとヨーグルトを口に押し込む。
ほんのりとブルーベリーの香りが鼻の奥の方まで漂ってくる。
バナナがあれば食べるし、なければ食べない。
そんな簡単な朝食がわたしにはちょうどいい。
新聞の第一面にさっと目を通しながら急いで歯磨きをする。
歯磨き粉はシトラスの香りのするものが好きだ。
うがいついでに洗面台でコンタクトを装着する。
最近アカウントアメーバの存在を知り前よりよく流水でレンズを洗うことにしている。
身支度を整え、ほうじ茶を入れた魔法瓶を忘れずに鞄にしまう。
何年も履いているパンプスに足をとおす。
昔は20cmとか21.5cmとか成長するごとに気にしていた足のサイズ。
ここ数年はずっとMサイズだ。
壊れないかぎり靴を代えなくなった。
扉をあける。
背広の人、ジャージの人、制服の子・・・・・。
同じような時間に動き出す周りの人に助けられてわたしもなんとか職場に向かうことができるような気がする。

みんなはどんな気持ちで朝を迎えているのだろう。
切実に知りたい梅雨前の心境。
 

 

 

自転車物語

 

みわ はるか

 
 

まろさんの背中はこんなにも大きかったんだなと初めて知った。
その背中を一生懸命に追うわたし。
上り坂が多くてわたしはすぐに息が切れてしまう。
ダイヤルを回して軽く足が運べる設定にしても限界がある。
中学生の時は駅伝大会で区間賞をとるレベルだったんだけどなぁと首をかしげながら時がたつことの残酷さに舌打ちしたくなった。
東屋が遠くに見えた。
あそこまでもう一息頑張ろうとぐっと足に力を入れる。
まろさんはわたしとの距離が空いてしまったことにようやく気付くとブレーキをかけこちらを振り返った。
咲いたばかりの桜の花を見るような柔らかい笑顔でいつまでもいつまでも待っていてくれた。

この春わたしはちょっぴり値がはる折り畳み式の雪のように白い自転車を買った。
まろさんが以前から持っていた炭のように黒いそれを真似て。

以前使っていた普通のママチャリを買ったのは高校入学時だ。
それを何度かのパンクを乗り越え大学3年生まで使った。
しかし残念ながら大学4年生の時、数ヵ月使わず学内の駐輪場に置いていたら当然のことながら撤去されてしまった。
「はっ」と気付いた時には後の祭りで、愛着あるわたしのパートナーはさよならを言う機会もなくいなくなってしまった。
落ち込みに落ち込んだ。
かごは錆びついてボロボロ、カラカラとペダルをこぐだびに聞こえてくる奇妙な音、学校から配られた校章の入ったステッカー。
全部が思い出だった。
あの自転車とともに大学の卒業式を迎えることがいつのまにか小さなゴールになっていた分ひどくがっくりした。
新しい自転車を買うことも考えだがなんとなく買わずじまいで卒業証書を受け取る日を迎えた。
それ以後自分では購入していなかったのでおよそ7年ぶりくらいに新しいパートナーと出会うことになったのだった。

折り畳みであることがわたしの世界を広げてくれた。
日本では公共交通機関を使用する際は袋にいれなければならない。
専用の袋も同時に購入したのですいすいと電車やバスに乗ることができた。
着いた先で折りたたんだ時とは逆の手順で組み立てる。
ものの30秒で完成してしまう。
そこからは自由だ。
その土地の行きたい方向へペダルをむける。
車では通れない細い小道も問題ない。
しだれ桜はほとんど葉桜になってしまっていたけれど八重桜は見頃だった。
黒色のジャージできちんと後ろ髪をポニーテールにしてジョギングをしている若い女の子たち。
少しくすんだピンク色の作業着につばの広い帽子をかぶったおばあちゃんが丸太のような木の上に腰をおろしている。
畑作業の途中だろうか、ずっと遠くを見ていた。
その目の先にはイワシ雲がたなびいていて深い緑の山、もっと標高の高い山には雪がしっかり残っていた。
パンが焼けるいい匂いがしてきたのでその匂いを追ってみた。
白い工場からそれは出ていて、中を窓越しに覗いてみても作業場しか見えなかった。
中に思い切って入ってみると数人の人影とともに事務所らしきものを発見した。
尋ねるとここはパンの製造だけで卸しているのもスーパーのみ、専用の店舗は持っていないのよと丁寧に教えてくれた。
幾分がっかりはしたもののパンの焼ける香りはいつでも追ってみたくなる魅力がある。
その香りがなくなる距離に達するまでずっとかぎ続けていた。
1時間程こぎ続けるとさすがに足も心も限界だった。
家にむかってこぎ続けていたのだけれどまだ30分くらいある。
まろさんは最寄りの駅から電車で帰ることを提案してくれた。
それが折り畳みのいいところなのだと。
あっという間に家の近くの駅まで来た。
改札を通るとまた組み立てて乗るだけだ。
まろさんは今度は横並びで走ってくれた。
まろさんが乗ると炭のように黒い自転車はとても小さく見える。
それがなんだかたまに滑稽に見えることがあるけれどそれもまたいい。
玄関に到着するころには付けていたヘルメットは汗でじんわり湿っていた。

世界恐慌が1929年、それからおおよそ100年後の現在世界はまた変革期を迎えているように思います。
外出や公共交通機関を使用することを躊躇う世の中になってしまいました。
見えない敵と戦うというよりはおそらくこれから先共存していかなければならない日々が続く気がします。
いつか、今はまだ無責任ないつかかもしれないけれど、誰か大切な人と外に出られる日がみんなに来ますように。

最後に、今自転車の需要が増えているそうで、購入した町の小さな自転車屋のおじさんがにんまり顔だったのが忘れられない。

 

 

 

贈り物

 

みわ はるか

 
 

土曜の朝、というか昼になるんだろうか、11時頃玄関のチャイムが鳴った。
布団の中にくるまっていたわたしはこんな時間に誰だと少し不機嫌になりながらも急いで半纏を羽織って扉を開けた。
若い郵便局員が大きな段ボールを重そうに持っていた。
無事受取人が出てきたことに安堵したのかにかっと嬉しそうに笑いながらわたしにサインを求めてきた。
「ありがとうございましたー」と若者らしく元気な声で言い終えると風のように去っていった。
そんなこんなで眠気もあっという間になくなってしまった。
そしてわたし宛の荷物にドキドキしながら依頼人欄を見るとそれは懐かしい名前だった。
所在地は遥か遠く日本の中心地、「東京都」であった。
彼女はわたしの中学時代のテニス部の同級生でとても美人な子である。
長身で肌は雪のように白く笑うとえくぼができてたっけな。
地毛がきれいな栗色で伸ばしたストレートの髪がよく似合っていた。
部活開始前のランニングではよくお互いにがははがははと笑いながらふざけあった。
木陰での休憩中には砂の上によく絵を描いた。
わたしのそれはとても下手くそだったが、彼女はさらっとかわいいキャラクターや幾何学模様のようなものを書いていた。
それはとてもわたしには真似できない上手な絵だった。
同じクラスで席が近かった時、彼女はよくわたしが一生懸命英単語を覚えている横でわたしの教科書に落書きをしていた。
「あっ」とわたしが気付くと悪びれた様子もなくあはははは~と笑いながら逃げていった。
「ふ~」と思って一度はシャープペンシルから消しゴムに持ち替えたけれど、その絵を見て消すのをやめた。
ただの、本当にただの落書きなんだけれど消すにはもったいないと思ったのだ。
それくらい彼女の絵はなにか引き付けられるようなものがあったのだと今では思う。
その時はなんだか不思議な本能で残しておきたいと思った気がする。
残念ながら昔の教科書類は全て処分してしまったのでもう確かめようもないのだけれどふともう一度見たいなと思った。
やわらかいタッチで、人やキャラクターを好んで描いていたあの作品を。

そんなことを思い出しながら段ボールの荷物の中身を取り出した。
そこには甲府で買ったと思われる赤ワイン、そしてわたしが昔から好きな日本茶の茶葉が丁寧にラッピングされた中から出てきた。
さらに奥をごそごそと探ると一枚の女性の絵と手紙が出てきた。
そこにはこう記されていた。
「こないだ共通の友人の結婚式で14年ぶりに再会できてとても嬉しかった。その時のことを忘れたくなくてその日着ていたワンピース姿のあなたを描いたよ。
ほとんど話す機会がなかったことはとても残念だったけれど昔と何も変わってないね。それがなんだかほっとしたよ。ワインとお茶はよかったら飲んでね。
また会えることを楽しみにしているよ。」
数か月前、同じテニス部の同級生だった子が結婚した。
その時、控え室で偶然会ったのだった。
14年ぶりの再会にお互い感動はしたものの席は遠くほとんど会話ができなかったのだ。
わざわざ気をきかせてこんなことをしてくれるなんてと、しばし感慨にふけってしまった。
自分を書いてくれたというその絵をまじまじと見てみた。
水彩画だと思われるそれはとてもやわらかい印象でずーっと見ていたくなるようなものだった。
わたしってこんな風に見えてるんだ、なんだか照れるなと一人ニヤニヤしてしまった。
その絵は縮小コピーして写真立てに入れ玄関に飾ることにした。
突然に華やいだ玄関はキラキラしていた。

段ボールの中をゴソゴソと整理しているともう1枚手紙が出てきた。
それには今までの近況が書かれていた。
10年程前に上京したこと、大学に通いながら誰もが知っている大手映像会社で絵を描く仕事をしていること、好きな映画監督の作品のこと、生まれ育った田舎との違いに今でも夜になると孤独を感じる時があること・・・・・。
わたしの知らない14年間がそこにはあった。
あーこんな嬉しいことはない、やっぱり彼女は描き続ける使命だったんだと何度も何度も読み返した。
慣れない都会でわたしなんかが知る由もない苦労がそこにはあるのだろうけれど、まだこれからも東京で頑張りたいと締めくくられた最後の一文には逞しさを感じた。

世の中にはこれをしたいと思ってものすごい努力をしてもどうしても報われない人が自分を含めてたくさんいると思う。
そうかと思えば本当に一瞬でさらっとやり遂げてしまう人が中にはいる。
そういう使命を持って生まれてきたような人がその道を進んでいるのはとてもいいなと思う。
そして、それが自分の古い友人の1人だと知った時の喜びは格別なものだ。

 

 

 
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