最後の詩

 

村岡由梨

 
 

眠と二人で訪れた名古屋のビジネスホテルで、
やっと寝息をたて始めた眠を起こさないよう、
備え付けの小さな机のデスクライトを点けて
私は、いつになく気落ちしていた。
昼間上映会場で見た、
自分の映像作品の未熟さを思い出して
気落ちしていた。

野々歩さんが数日前にプレゼントしてくれた
深緑色のセーターを着て
ホテルのメモ用紙に言葉を書き留めながら
東京にいる野々歩さんとMessengerで
他愛もないやり取りをする。

「今、詩を書いてる。これが最後になるかも」
「大丈夫。いつまでも『最後』の作品にならないように、
 君の創作ノートやメモの類を片っ端から破っていくから(笑)!」
「……」
「……」

野々歩さんとのやり取りが終わって、
「おやすみ」と送ってスマホを閉じた。
そして、服を脱いで、
居室のバスルームにある
大きな鏡に映った自分の裸を見た。
体重が増えて、やや大きくなった乳房。
眠と花を生んで、色が濃くなった乳首。
ずっとずっと見ていた。
なぜか、ずっと見ていたかった。目が離せなかった。
そこには、紛れもない「今」の私が映っていた。
今年の秋に40歳になって、
20代の時のように、
鏡に映る自分の体に欲情することは少なくなったけれど、
いつまでも風変わりで美しいものに執着していたい。
そんな気持ちだった。
でも、40歳。
「自分は20歳になるまで生きられない」
そう信じていた頃の自分に、
どうしようもない後ろめたさを感じてしまう。
「死んでしまいたい」
そんな熱情のような気持ちを初めて自覚したのは、
多分14,15歳の頃。
それから25年が経って、
かつての熱情は、冷たくて硬質な覚悟に変わった。

 

シャワーを浴び終わって、部屋着に着替えて、
ベッドに潜り込んだ。
眠はよく眠っているようだ。
目を閉じて、東京にいる花のことを考える。
期末試験があり、一緒に名古屋へ来られなかったのだ。

ちょっと前にあった幸せなことを思い出す。
その時、私は三軒茶屋へ用事があって
自転車を走らせていた。
すると、数十メートル先から
学校帰りの花が歩いてくるのに気が付いた。
「おーい」と言葉には出さないけれど、
私は大きく手を振った。
すると、気付いた花も大きく手を振って駆け出した。
家の外で抱きしめ合うのは恥ずかしいから、
ハイタッチをして、他愛のない会話をした。

この日、私たちが幸せだったことを、
私はずっと忘れない。

 
 
 

先日、野々歩さんと、
高校に残されている眠の荷物を引き取りに行った。
ロッカーに教科書が数冊、
化学の授業に使う白衣とゴーグル
教室には緑の上履き入れ。
あっけないほど少なかった。
放課後の教室には、眠のクラスメート(だった)子達が
まばらに居残っていた。

私の知らない場所で、
ロッカーから教科書を出し入れしていた眠。
教室で一生懸命に授業を受けていた眠。
文化祭の催しに使う看板をひたむきに作っていた眠。
眠は、確かにここにいたのだ。
そう思うと、涙がこみ上げた。

 

眠も花も野々歩さんも私も、
今、確かに、ここにいる。
鏡に映るのは、紛れもない「今」の私たちだ。
未完成で不完全な私たちだ。
かつて「滅んでしまえばいい」とさえ思い、
憎んでいた世界の地面に、私たちは
二本の足を踏みしめて立っている。
悩んだり、憎んだり、苦しんだりしても
きっと最後は幸せな詩が書けると信じている。

「いってきます」の代わりに「さよなら」と言う
その日が、いつか訪れても。

 

 

 

褪せた水色と白のストライプ、血痕

 

村岡由梨

 
 

1. 娘A

 
楽しそうに話す学生たちの声。
キュッキュッと忙しく歩く上履きの音。
「学校」という色々な音が渦巻く空間の中心で、
ひとり孤独感を募らせた、娘。
特に誰かに悪口を言われたわけでも、
意地悪をされたわけでもない。
鳴らないスマホ。
周囲の友達の、悪意の無い無関心。
自分という存在が持つ意味がわからなくなって、
娘はやがて、呼吸の仕方がわからなくなった。
そして、学校へ行けなくなった。
もちろん、それだけが理由なのでは無いのだろう。
理解のある面倒見の良い先生。優しい友達。
誰も悪くない。だから辛い。
「高校3年 大学4年 仕事を始めたら40年」
「今、選択を間違えたら、この先大変なことになりますからね」
オンラインの特別ガイダンスで声を張り上げる先生たち。
それを虚ろな目で見る娘。
思わず抱き寄せると、
体が静かに震えていた。
将来のことなんてわからない。
考えたくもない。それなのに
カチカチと無情に時間を刻む時計。
カチカチとカッターナイフの刃を出す音。
切れ味の悪い刃で、娘の白い皮膚が裂かれるのを見て
悲鳴をあげる。

 

「自殺したい」
親が子供にそう言われる苦しさを思い知りました。

そう言って診察室でうなだれる私。
「今はたくさん甘えさせてやりなさい。」
先生はそう言った。

娘が「ママさん、ママさん」と言って無邪気に抱っこをせがんでくる。その無防備な二つの胸の膨らみに、抱くのを躊躇う私がいる。これまで母親のような役割も果たしてきた夫に娘が抱っこされるのを見て、戸惑う私がいる。父娘が抱き合うのを見て、男女の性愛を思い浮かべてしまうのだ。うなされ苦しむ娘の声を聞いて私は、女である私と母親である私との間を右往左往する。これは育て直しなのだ。甘え直しなのだ。ぎこちなく娘を抱き寄せて、背中をさする。「ママさんって、いい匂いがするね」しばらくして抱いている手をゆっくりとほどいて、娘を寝かせて、手を握る。娘がどこか遠くを見つめて言った。

「ママさん…ママさんは近いのに遠いね」
「そう?」
「うん。近いのに、遠い。」
「そっか…」

そんなことないよ、とか
遠くなんてないよ、とか
そんな風に娘の孤独を受け止められる母親に、
これから私は、
なり得るのだろうか。

 
 

2. 娘B

 
夜遅くに塾が終わって、
突然の雨で全身びしょ濡れで帰ってきた疲労困憊の娘が
怒り任せに、こう言った。
「何でこういう時に限って迎えに来ないの」
「死ね、毒親」

 

「死ね、毒親」

 

かわいいとか愛しいとか、かけがえのないとか
そういった熱を帯びたような感情が、
すっと冷めていくような気がした。
こんなことくらいで感情が冷めていく、
自分の心の脆さが、こわかった。

「冗談だった」と言ってくれた娘。けれど、「私の知らないところでも、私のことを毒親だと嘯いているのではないだろうか。」自分の子供のことを邪推する。他人から悪い母親だと言われるのがこわい。いつかひどい言葉で傷つけられるんじゃないかと警戒する私がいる。自分自分自分吐き気がするような自己愛に耽溺する私。それを軽蔑する娘たち。自分自分自分自分自分自分自分自分いくら人から作品を認められたって、二人の娘の心に響かなければ意味がない意味がないもうどうすればいいのかわからない。自分という存在に意味を持たせようと必死だったけど、意味がない もう意味がない 自分の都合のいいように娘たちを解釈しようとする私 後ろめたさ いい母親ぶっていること 全て見透かされている

 
 

3.

 
ある日、私たち家族は、窮屈なベッドで眠っていて…
身動き出来ないほど、窮屈だった。
その時、まるでフラッシュバッグのように私は
2017年に訪れたアウシュビッツ(オシフィエンチム)で見た光景を思い出したのだった。
ぞっとするほど冷たい手で心臓を握りつぶされて
引きちぎられたような衝撃だった。
気がつくと、私はアウシュビッツの収容棟にいた。

モノクロではなく、鮮やかなカラーの光景だった。
私は、褪せた水色と白のストライプの囚人服を充てがわれ、
たくさんの囚人たちと同様、「名前を奪われて」、
一緒に収容棟へ入れられた。
寒い寒い夜だった。
古びて煤けた粗末な二段ベッドで痩せた体を押しつけ合い、
互いの体温を分け合いながら、
身を切るような寒さをしのいでいた。
生きのびるために
生きのびるために、自分以外の誰かの体温が必要だった。

ある日、一人の看守が一人の囚人を表にひきずっていった。
間も無くその囚人は頭を撃ち抜かれて死んでしまった。
地面に広がる赤い鮮血。周りにいる人たちの無関心。

夢から覚めて、
その血の赤さを思い出して
これまで「詩」という名の暴力で
娘たちの「名前」を奪ってきたのではないかと思う私がいた。
ただでさえ生きづらさを抱える娘たちを
自分勝手に振り回して、
私は今まで一体何を思って書き続けてきたのだろう。

過去の何もかもを消してしまいたい。
でも消したくない。
娘たちが許してくれてもくれなくても、
無条件に人を愛せる人間になりたいから。
娘たちになら、頭を撃ち抜かれて死んでも構わない。

けれど
生きのびるために
私たちは「名前」を取り戻さなければならないのだ。
生きのびるために
人は、自分以外の誰かの存在の温かさが必要なのだ。

生きのびるために
生きのびるために。

 

 

 

14歳になった、花へ

 

村岡由梨

 
 

 

14歳のお誕生日に、
おばあちゃんから贈られた
チャコールグレーのロングワンピースを着て、
ママがプレゼントした黒のブーツを履いて、
パパがプレゼントしたベージュのポシェットを首から下げて、
みんなでお祝いに外食したね。
ポシェットの中には、眠が一生懸命選んで買ってくれた
ピンク色のお財布が入っていた。
すごく大人びた姿だったけれど、履きなれないブーツのせいで、
靴擦れを起こして、帰り道は辛そうだったね。

その後、ママと夜の公園を散歩した。
昔あったジャングルジムも、鉄棒も無くなってしまった公園で、
「鬼ごっこしたいなあ」と呟く君。
君がズボンを真っ黒にして駆け回っていた頃とは
もう随分変わってしまった。
公園も、君のからだも。
私たちは、しばらく何も言わずに、夜の公園を歩いたね。

眠と君は姉妹で、
とても仲の良い姉妹で、
いつも子犬のようにじゃれあっているけれど、
一方が元気で、もう一方が元気じゃない時もある。
そんな時、パパやママの気持ちは、
元気じゃない方に傾いてしまう。
人間のからだや気持ちを平等に半分にするのは、すごく難しい。
右半身と左半身
上半身と下半身
前半分と後ろ半分
眠と君、両方に、平等に、
からだと気持ちを与えたいけど
そうはいかない、すごく難しい時があるんだ。
そのせいで、
「誰もわかってくれない」
君がそんなさみしい気持ちになって
落ち込んで、
ベッドで一人ぼっちで泣いている時もあるかもしれない。
ほんとうに、ごめんね。

時々、パパや眠や君が待つ家に帰ることが
不思議に思える時があるよ。
家に帰ってきても、
誰も「おかえり」と言ってくれない、
一日の労をねぎらってくれない、
世の中にはそんな孤独な人もたくさんいるというのに。

14年間、苦しくて辛い日がたくさんあったでしょう。
でも、君が生きて呼吸をしているだけで
ママは幸せです。

ありがとう。
面と向かって言うのは何だか恥ずかしいから、
「浜風文庫」の力を借りて、君に言葉を送ります。
本当は「君」なんて書くの、こそばゆい。

 

お誕生日おめでとう。
瑞々しく変貌を遂げていく君。

これからも、よろしくね。
14年経っても、何だかぎこちない母より。

 

 

 

私は、映像の中の私と対話する

 

村岡由梨

 
 

私は、人間をやめた人間だった。

私は、死んだ小鳥の化身だった。

私は、金色の神だった。

私は、7色のビンの精だった。

私は、白黒のキャンバスだった。

私は、分娩台にのった処女だった。

私は、傷ついた少女だった。

私は、母親だった。

私は、3色の立方体だった。

私は、瀕死の猫だった。

私は、私の過去を燃やしてしまった。

 
 

小さな上映開場の一番後ろの席で、
娘の花が泣いていた。
スクリーンに映る私(たち)の物語を見て、
薄暗闇の中、小刻みに肩を震わせて
花が、泣いていた。

 

 

 

世界の終わりを見ている猫

 

村岡由梨

 
 

夕暮れ時、飼い猫のクルミが窓辺に座って外を見ていた。
窓の外は燃えるように赤い空だった。
窓の内側には青空が広がっていた。
きっとクルミは
「晴れてるな」「電線に鳥がとまってる」「車の音が聞こえる」
と思っていただけで、
まさか「窓」が世界を「内側」と「外側」に分断しているなどとは
思っていなかっただろう。
意味付けをするのは、いつも人間の勝手で、
空は美しい。
世界は美しい。
とか言いながら、ほんの一握りの人たちが、
「美しい世界」を真っ二つに分断してしまった。
そして、大多数の人たちは無自覚にその世界に身を委ねてしまっている。

 

ちょうど10年前のあの日、あの人は、
経堂のコーヒーショップで
地面の激しい揺れに怯えてパニックになった人たちを尻目に、
「自分は落ち着き払って悠然とカフェオレを飲んでいた」
と得意気に語っていた。
自分だけは助かると思っていたのか。
自分なんか助からなくていいと思っていたのか。
自分以外の人たちが死のうが生きようか、
自分には関係ないし、どうでもいいと思っていたのか。

また、ある人は安全が約束された快適な部屋で、
布団に包まれて、日がな一日テレビを見て
人の不幸にいちいち反応している。
「今日の感染者数は1496人だって」
「今日は1273人だって」
「こわいねー」
「かわいそうだねー」
自分は
安全で
快適な
部屋にいて、
外界の狂騒など
まるで他人事のように

**********************************************************************

ところで今日私は、
「大勢の人を見殺しにして、その死の上にあぐらをかいてのうのうと生きてきた罪」
で、処刑される。
正方形の死刑執行室の真ん中に正座して、部屋のぐるりを見渡すと、
壁に奇妙な絵が掛けてあって、血の付いたヤギの頭と奇妙な記号が描かれていた。
床には長い黒髪のカツラが無造作に転がっていた。

死刑執行室の向かいに、もう一つ正方形の部屋が繋がっていて、
そこには遺族が座っていた。
なぜか、私の母もいた。

赤ん坊を抱いた女性がすっと立ち上がると、
まっすぐ私のそばまで歩いてきて、
頭を抱えてうずくまる私の背中をナイフでメッタ刺しにした。
私は泣きながら「ごめんなさい」「ごめんなさい」と許しを乞うた。

すでに血まみれで瀕死の私の為に、
部屋の中央に大きくて透明な筒が、急いで設置された。
長さは2メートルくらい、人一人がやっと入れるくらいの細い筒だ。
それに私を立ったまま入れて、水を注入し、溺死させる仕組みだ。

私の体が筒に入れられる。
ヌルヌルとした水の注入が始まる。
足首、膝、足の付け根、腹、胸
どんどん水かさが増してくる。
私は叫ぶ。
「もう、しません」「もう、しません」「ごめんなさい」
「おかあさん たすけて!!!」泣き叫ぶ。
こわいよ
くるしいよ
いきができない
おかあさん たすけて
おかあさん たすけて
おかあさん おかあさん おかあさん

おかあさん
ごめんなさい

みせたくなかった こんなわたしを
ごめんね
さよなら

 

自分だけは助かると思っていたのか。
自分なんか助からなくていいと思っていたのか。
自分以外の人たちが死のうが生きようか、
自分には関係ないし、どうでもいいと思っていたのか。

世界中の誰もがそう思うようになったら、
きっと世界は終わってしまうだろう。

人間から国籍を剥いで名前を剥いで肩書きを剥いで年齢を剥いで性別を剥いで性的嗜好を剥いで、詩まで剥いだら、きっと
意味を持たないただの肉の塊と、一片の悲しみしか残らない。

誰もいないはずの暗闇に気配を感じて、足早に通り過ぎる。
夜、雷鳴のない稲光に震えて、急いで自転車を漕ぐ。
雷はとうに止んでいるのに、
地面が、故障した自転車のヘッドライトに照らされて
稲光のようにピカッピカッと怒っている。

人はいつも何かに怯えて生きていて
人が生きていくには、必ず誰かの助けが必要だ。
だからと言って
「みんなの気持ちを私が代弁する」
そんなヒロイズムに酔った詩を書きたいわけではなく
たった二人の娘に伝えたい。
世界が終わっても、生き延びて欲しいと。

 

今日もクルミは窓辺に座って、
世界が終わりつつあるのをただ眺めている。
娘たちや、世界中の子供たちや、
善良な人々が生き延びることが出来るのならば
退廃的な私たちは無責任な死を選ぼう。
そうすれば、世界の終わりはきっと美しい。
そう思ってしまったのだ。

 

 

 

弟の結婚

 

村岡由梨

 
 

弟が結婚する夢を見た。
夢の中で、弟から1枚の写真が送られてきた。
特徴のない顔をした奇特な女と
行為に及んでいる最中の写真だった。
弟のペニスかと思って、よくよく見たら、
姑のうんこだった。
こん棒のようなうんこ。
直径5センチ、長さ20センチ
色は、こげ茶。
固くて長い。
手袋をはめてうんこをつかみ、
その臭いに失神しかけながら
トイレに流そうとしたが、
あまりにも硬くて長くて
便器に引っかかってしまい、流れないので
さらに手袋をして、うん・こん棒をほぐして、
やっとトイレに流した。
コーンやパフが入っている
チョコ棒の親分みたいなうんこだった。
チョコ棒は舅の好物だった。

14時、舅にシャワー浴させる。
その前にまずベッド脇のポータブルトイレに座り、
肛門のあたりで待機している
ありったけのうんことおならを出してもらう。
機関銃のようにリズミカルに発射される、うんことおなら。
激しい銃撃戦の後、お尻をある程度きれいにしてから、
いよいよシャワートイレ室に移動する。
歩行器を使いながら、
息を切らせてヨロヨロと歩く姿は
まるで、年老いた囚人のようだ。
その背中を抱えて 私は、
かつて / そして今でも、この人の書いた言葉が
たくさんの人に影響を与えてきた / いることを思う。
シャワートイレ室に置かれた
橙色のシャワーチェアは
まるで死刑囚を待ち構える電気椅子のように
硬質な怒りをたたえていた。

ふと姑を見ると、寝ながら手鏡を覗いて
歯をむき出して、歯間ブラシで
歯クソを取っている最中だった。

 

21時、刃渡り36センチの柳葉包丁を持った私が
いつも通り玄関から入り、居間へ向かう。
私はまず、長さ7センチの大きな縫針に丈夫なタコ糸を通して、
寝ている女の口を塞いで、キツくまつり縫いをして開けなくする。
かつてこの人の言葉で
どれだけ傷つけられてきたかを思って、怒りに手が震える。
ブツン ブツンと
興奮気味に女の口を縫っていく。

死にたいって言ったよね?
何度も何度も何度も言ったよね?

気がつくと、刃の欠けた柳刃包丁を持って血の海に佇む私がいた。
居間の時計がカチカチと時を刻んで、もうすぐ朝を連れてくる。
朝が来たら、私や私の家族はどうなるんだろう。
大変なことをしてしまった。
でももう、怪物と化した女の怖い夢も、
女から理不尽に罵声を浴びせられる夢も見なくなるはず。
ただそれだけの為に、人を一人殺してしまった。
返り血を浴びた口を大きく開けて笑って笑って、
そして泣き叫んだ。
もう全部おしまいだ。

「介護とは、うんことの熾烈な闘いである。」

ところで、弟は私と同じ精神障害?障碍?障がい?者で、
父方からの悪い血と、彼らの身勝手と暴力で心が壊れ、
ひとりの友人もおらず、
もう何年も、取っ手のないドアの向こうに引きこもっている。
結婚なんて、夢のまた夢のような話だ。

ジイシキカジョウ コダイモウソウ
ビョーキの私の話なんて、
どうせ誰も信じてくれない。

 

 

 

眼球の人

 

村岡由梨

 
 

大人たちは、少女の私を見る度に、
「無邪気で愛らしい」と言ってくれた。
皆の愛のこもった視線の先にいるのは、いつも私だった。

バイオリンのお稽古へ向かう電車の中で、
向かいに座った不潔で醜い男が、私のことをじっと見ていたので、
私はスカートの下の両脚を少しずつ開いて、男を見つめ返した。
男が、私の股の間を凝視する。
男は、股の間のその先にある“もの”を欲しがっている。
それは、熱を帯びた私の邪悪な眼球だ。
穢れた水を湛えた眼球だ。
男の穢れた視線と私の邪悪な視線が絡み合って、
しっとりと下着が冷たくなるのがわかった。

しばらくして停車駅に着いたので、
私は何事も無かったように電車を降りた。
何食わぬ顔をして、バイオリンの先生の家に向かいながら、
さっきの男と駅の公衆便所で事に及ぶことを想像して、
私の眼球は破裂寸前だった。

自転車のサドルで
階段の角で
あらゆる方法で、
幼い私は快楽を貪った。
行為の最中、私の虚ろな眼球は、一体何を見ていたのだろう。

そして今、ホンモノの真っ当な行為を終えて、
裸でベッドに横たわる自分を
深く恥じ入っている。
幾度もの快楽を経て、二人の子供を身ごもったことを
後ろめたく思っている。
ベッドのある部屋には、私のポートレートがいっぱい飾られていて、
たくさんの私が、無言で、じっと、私を見ている。
暗闇で、私を見つめる、私 私 私。
「あなたはきれいだよ」と言ってくれることもあれば
「この穢らわしい悪魔」「死んでしまえ」と言われることもある。
その中には眠が描いてくれた私のポートレートもあって、
「ママさん、ママさん」と優しく呼ぶ声がする。
顔の中心に線を入れると、
半分は優しい母親の顔
もう半分は邪悪な顔。
私の邪悪な顔を知ってもなお、眠は
私の母親としての顔を、変わらず信じてくれるだろうか。

2021年5月31日。
眠は、私たちから遅かれ早かれ決別をすることを宣言した。
「ママさんやパパさんはどうしてそんなに私を苦しめるの」
私の中の眠が、真っ赤な涙を流して泣き叫んでいる。
母親すなわち私の視線が交錯する部屋で苦しむ私から
逃れたいのもあるだろう。
逃げて逃げて行き着く先が空っぽだとしても、
もうそこに私たちはいない。
自由だ。

私は、眠の若さに嫉妬する。
そして、そう遠くない未来に、
眠が私の手から離れていくことに、
思いがけず動揺している。

今はまだ、私たち家族のために
かき氷機でかき氷を作ってくれる優しい眠。
赤いシロップをかけて「はい、どうぞ」と、はにかむ眠。

氷が溶けて、ぬるくなった赤いシロップがたゆたう。
かき氷機の鋭い刃がキシキシと光って、触れるのをためらう。
私たちが知らない場所で、
誰が「かき氷機の鋭い刃で手を切らないようにね」と
眠に言ってくれるだろうか。
私たちの知らない場所で、
手を切って怪我をしてしまうかもしれない。
真っ赤な血を流すかもしれない。
誰が傷付いた眠を手当てしてくれるのだろうか。

先日、眠が16歳の誕生日に種を蒔いたひまわりが花を咲かせた。
芽吹いたひまわりは、私の身長を超え、
あっという間に野々歩さんの身長も超えたのだった。

曇天が続く中、懸命に太陽の光を求めて咲いたひまわり。
黄色い睫毛の、渇いた大きな眼球だ。
生きようとする切実な眼差しだ。

眠と私の視線が初めて交錯した日を思い出す。
生まれたばかりの眠が、
白い産着を着せられて、
保育器の中からじっと、私を見ていた。
「ママ、ママ」と言ってヨタヨタと歩く眠の視線の先にいたのは、
紛れもない母親の私だった。
あの頃、私の視線の先にいたのは、いつも眠だった。

歳を重ねた今、手の中でコロコロと持て余していた
2つの邪悪な眼球を思い切り握りつぶしたら、
中から清廉で透明なゼリーが溢れ出てくるだろう。

ひまわりの花を見上げて
自分を恥じないで生きていいのだと、
私は私に言い聞かせる。
ひまわりがこんなにも美しくて切実な花だと、眠が教えてくれた。

 

 

 

あなたは、右も左もわからない私の透明な手を引いて

 

村岡由梨

 
 

洗面台の鏡に映る幼い私は、半泣きだった。
いつもは優しい母が、めずらしく厳しい口調で言った。
「もう一度聞くわよ。
あなたが右手を上げて鏡を見る時、
鏡の中のあなたが上げているのは、右手?左手?」
「…わかんない」「わからない」「わからないよ」
「わかるまで、そこに立っていなさい」
母は突き放すように、言った。
私はいつまでも泣いていた。

わからなかった。
世界には「右」「左」と名付けられた概念があるということ
幼いなりに理解していたつもりだった。でも、本当のところ
右って何だろう?
左って何だろう?
どこからどこまでが右で、
どこからどこまでが左なの?
右と左の境界線はどこにあるの?

大きくなって、携帯のナビを使って目的地へ行こうとしても、
右と左がわからないから、難儀する。
ナビが私のめちゃくちゃな指示に取り乱し、次第に狂う。
「次、右です」「次、左です」
右です左です右です左です右です左です右です左です
畳み掛けるように、私を責める。
地面が液体のように揺れて、風景が歪んで、私に覆いかぶさる。
車酔いのようなひどい吐き気がして、思わず地面に座り込んだ。
世界にひどく意地悪をされたような気がして、絶望した。

その時、誰かが優しく私の手を引いた。
「僕の指差す方が右で、反対が左だよ」

僕を信じる?

 

信じるよ。黄緑色の名前のあなたを。

そして私たちは結婚した。

若かった私にとって、結婚は困難の連続で、
「結婚」という奇妙な病に罹った私の両腕は、
黄緑色の斑点だらけになってやがて腐り落ち、
私は永遠に翼を失ってしまった。

それでも私たちは17年も結婚生活を続けて、
長い年月を経ても尚、
あなたは変わらぬ愛情を注いでくれた。
右も左もわからない私の透明な手を引いて、
「今夜は月がきれいだよ」と言って
外に連れ出してくれた。
でも、不安だよ。
いつか私があなたを失うことがあったら、
私はまたこの世界に放り出されて、迷子になってしまうのかな。
そうなる前に、私はもっと強くなりたい。
あの日、鏡の中で泣いていた幼い私自身を抱きしめるために。

この世界の有り様を、私自身の内なる言葉で名付けよう。
「右」じゃなくてもいい。「左」じゃなくてもいいじゃない。
目的地に辿り着きさえすれば。

この詩が、幸せな結末になるか不幸せな結末になるかは、私次第で、
自分の思いは自分の言葉で決着をつけたい。

「僕を信じる?」
「信じるよ。黄緑色の名前のあなたを。」

私たちは、黄緑色の油絵の具で汚れたお互いの手と手を取りあって、
「右」と「左」の境界線を真っ直ぐ歩いていく。
まだ名前を持たない未知の世界を
私たちの内なる言葉で名付けるために。

 

 

 

死と、ひまわり

 

村岡由梨

 
 

このところ、毎晩上原へ行って、
御年85歳の志郎康さんのオムツを交換する。
まずベッド脇にあるポータブルトイレに座ってもらって、
デンタルリンス入りの水で、口をゆすいでもらい、
アローゼンという便通の薬を1g服用してもらう。
それが終わったら、熱めの蒸しタオルで、顔→背中→手の順に清拭する。
背中を拭くと、志郎康さんはいつも「ああ、気持ちがいい」と言う。
そして陰部と臀部に薬を塗り、
日中用のリハビリパンツではなく、
就寝用のテープ式オムツをあてて、ベッドに寝かせて、帰る。

昨日の夜は嵐だった。
嵐の日でも、もちろん上原へは行かなければならない。
びしょ濡れになりながら、急いで自転車を走らせていたら、
道のど真ん中にネズミの死骸があった。
突如目の前に現れた「死」に、私は戦慄した。
ネズミの頭は潰れていて、頭の周りに血がまあるく広がっていた。
雨に濡れたアスファルトに、
空虚な穴がぽっかり開いているみたいだった。

志郎康さんに、どうして長生きしたいのか、聞いてみたことがあった。
志郎康さんは、
「世界がどう変わっていくか、まだ見ていたいから。」
と、少しも迷わず真っ直ぐに答えた。

別の日の夕方、上原から、自転車で東北沢へ。
志郎康さんの薬を受け取りに、駅前の薬局へ行く。
再開発が進む、東北沢の駅前の変化には驚くばかりだった。
いつの間にか、ロータリーのようなものも出来上がっていた。

薬局で、薬が出来上がるのを待っていた私はふと、
東北沢の駅前のマンションに住んでいた、
富子さんのことを思い出した。
富子さんは、変わっていく東北沢の風景を最後まで見届けることなく、
2018年、94歳で亡くなってしまった。
志郎康さんの言うところの、
「世界が変わる」ってこう言うことなのかと、
何だか腑に落ちたような気がした。

そこにあったものが無くなること。
そこにいた人が、いなくなること。
そこに無かったものが、現れること。
そこにいなかった人が、生まれること。
そんな風に世界は呼吸して、日々生まれ変わっているんだなあ。
でも、

 

今日も夜9時に上原へ自転車を走らせる。
ネズミの死骸は跡形もなく無くなっていた。
誰かが拾ってゴミとして捨てたのか。
カラスか何かがくわえて持って行ってしまったのか。
まるで何事も無かったように
ネズミなんて元からいなかったかのように、
刻々と変化し続ける世界の残酷さを思うと
何だかとても気が滅入った。

それでも、
「若さゆえの希望」
それだけで、死は鳴りをひそめてしまう。
眠は、16歳の誕生日にひまわりの種をもらったので
早速大きな鉢に植えて、熱心に世話をし始めた。
「どうしてひまわりの種が欲しかったの?」
そう尋ねたら、眠は
「空に向かって真っ直ぐに伸びていくのを見たいから。」
と、少しも迷わず真っ直ぐに答えた。

85歳の志郎康さんと、16歳の眠。
決して希望を捨てず、
何事もまずは受け入れる
やわらかな思考の志郎康さん。
太陽の光を存分に浴びて、
変わりゆく世界を真っ直ぐに見つめる、
ひまわりと眠。

どうか私を置いていかないで、世界。
ふたりの「真っ直ぐ」を私にも下さい。
そして「死」を壊したその先にある
その先の先にある「世界」の変化を
私も生きている限り見届けていても、いいですか。

 

 

 

ボディステッチ

 

村岡由梨

 
 

手のひらに刺繍しようと思って、
100円ショップで縫い針と赤い糸を買った。
手のひらの皮膚の、血が出ない痛みもない
ギリギリの深さまで針を刺して、すくいとる。
きれいな模様にしたいけど、
なかなか思い通りにいかない。
すごく惨めだけど、
きれいな赤だな、と思った。

手のひらを握って、私の「作品」を隠す。
みんな目に見える傷にしか気付かないんだね。
そういえば、縫い針って消毒したっけ。
ボディステッチって不潔かな。

だんだん赤い糸が引きつって、こんがらがって、
イライライライラする。
私の中のイライラとムズムズが
赤く盛り上がって白く膿む。
おでこ、鼻、あごの下。
頰にできたニキビは、
特に最悪で、
私を絶望させる。打ちのめす。
針の先っぽを、なかなか治らないニキビに刺したら、
白い膿がプツッと出た。

何度も何度も擦り切れるほど顔を洗っているのに
なかなかニキビが治らない。
これは私の数々の悪行に対しての、神様からの罰なのかな。
みんな私じゃなくて、私のニキビを見てるんだね。
醜いね。汚いね。
いちいち言われなくても、わかってる。
誰にも見られたくない。私を見ないで。
私が自分の醜さにどれだけ苦しんでいるか
お前らなんかにわかってたまるか、と心底思う。
能天気な笑顔の奴ら、みんな消えていなくなればいい。
中学の卒業アルバムなんて、とうの昔に捨ててしまった。
一人だけ背景の違う、歪に顔を歪めた顔写真なんて。
どこまで残酷なの。どこまで私を苦しめるの。

 

赤い糸が絡まる 絡まる ほどけない 助けて
糸をひく入れ歯。悪臭のする陰部。汗ばんだ手。
日常の些細な事柄が、
あまり気持ちの良くない思い出を引きずり出す。
私たちのせいで捕まった、哀れな男性のロッカーを開けたら、
裸のリカちゃん人形の写真がいっぱい出てきたんだって。
逃げられないように、
みんな両脚を切断されてたんだって。

思い出さないようにじゃなく、
思い出しても大丈夫になるために、
精神科に通う。薬を飲む。
先生、私に赤い薬をください。
両脚を失くした私は
汚い思い出から、なかなか逃げきれない。
数少ないきれいな思い出は、
誰にも知られないようにノートに書き留めて
枕の下に隠した。
誰にも知られたくない痛みは
カッターで太ももに赤く刻んで、
スカートの下に隠した。

夜、街を彷徨っていたら、
赤ん坊の叫び声みたいな
皮膚を切り裂くような音がキーンと聞こえて

夢を見た。
お風呂場で手首を切って
真っ赤な血がどんどん広がって
止まらなかった。
真っ赤な浴槽に浸かって、一人で泣いていた。
誰も私のことなんか気にかけない。
誰も助けに来てくれない。
そんな夢だった。

水洗トイレに座って、
赤い経血が一筋、滴り落ちるのを見た。
一本の赤い糸が便器の水たまりの中で
ゆっくりほどけて広がっていくみたいで
とてもきれいだった。

糸を縫い付けた手のひらが痙攣して、少し疼く。
明日になったら、針を刺したところから
少しずつ膿み始めるだろうな、と思う。

ひどく膿む前に
縫い付けた糸を抜いてしまう前に、
刺繍した手のひらを
本当は誰かに見て欲しかったな、
なんてね。
笑えないよ。
バカみたい。
最悪。最悪。最悪。