原田淳子
雨のあと
風の振り子がとまる
葉脈を雫が伝う
記憶の回路に迷い込む
もうすこし
夕凪
あのこが泣き止むまで
もうすこし
あのこが葉を渡るまで
深夜、見切り品を買い物籠に膨らませ
翌日の弁当の惣菜をつくる
なにかの罪ほろぼしのように
なにかの祈りのように
油で揚げれば古くなってもたいてい美味しいのよ
あしたの糧をつくるのよ
腐りかけたそら豆の鞘を剥くと
育ちきれなかった杯がこびりついた
純白の平安があった
やわらかな水の弾力が光る
真綿の繭
このなかに生まれ変わりたい
と、呟いたところで
冷蔵庫のうえに置かれた
砂抜きのアサリが
花柄ボールのなかで
ぷくっと息をした
ぷくっと、息をした
ちぃさな
泡
砂
あぁ きみの息のおおきさと
わたしの呟きはおなじね
生きようと息吹き返したものを
わたしは食べるのだ
砂を被りながら
生きても
生きても
辿りつかない
平安の鞘
わたしは
そこにゆきたいだけなのに
深夜、しがみつく世界
鞘を剥き、
アサリの砂を被る
忘却にはまだ時が足りない
骨をも腐らす、ながい雨の時代だった
緑の陰で溺れ、背には甲羅が生えた
もう、三百年生きた
望みという友もいない
亀は海に還るまえに光をみにいくことにした
闇の眼ではなにもみえず、光の匂いを辿った
這いながら泥を舐めた
それは微かにまだ記憶に残る
三百年前の水の味がした
峠を這い、
頂きの朝、
甲羅に全方位に亀裂が走った
未来という頂きに鳥が舞う
眼から落ちた鱗は光の粒
真珠の首飾り
“すべてが美しく、
傷つけるものはなにもなかった”
ヴォネガットの墓に刻まれたその言葉を甲羅に刻んだ
亀は海に還ることにした
石に導かれて、浜を漂い
青く寄せる波に甲羅は溶けた
声の方角に風が吹いた
幻の石がひとつ、浜に遺された
峠の光のいろ
大菩薩峠にきょうもまた陽が昇る