発生即思い出

 

駿河昌樹

 
 

いまとなってはいい思い出だ と よく 言う

これもいつか いい思い出になるよ とも けっこう 言う

ぼくのいま現在の感覚をしゃべらせてください
毎瞬毎瞬が発生即思い出です
いつの頃からかそうなってしまって
もう
ありありと発生即思い出です
一瞬一瞬なにかが起こったと同時に思い出として思い直しているのです

あ 洗濯機がピーピー言って
洗濯の一回分を
はげしく懐かしんでいる!

 

 

 

枝変えて 身は明日に生く 花うばら

 

一条美由紀

 
 


船頭が言った。
”舵は任せろ、でも保証はなしだ。”
遠い存在を非難して
気持ちをホイップする
糸電話はもう見つからない。

 


独りは全員へと変わる
多手連弾の意識が広がっていく

 


夢はリレー方式
順番を告げるベルが鳴る
中洲で生きてる人形は
カードをめくり
私は彼女のコレクションに加えられた

 

 

 

少年

 

工藤冬里

 
 

上の△は下では▲か▽
△は正しい正しさ
▲は間違って正しい正しい間違い
▽は正しく間違った間違った正しさ

△を下で敷衍しようとすると必ず齟齬が生じる
その霊性を欠いた原理的な正しさは逆に下では間違い▲として現れる
間違い▲としてしか現れない、現れ得ない!
ほんらい正しいが故にいまは非難されているのだ!
そしてその非難にはじゅーーーうぶんな根拠が添えられる
添えることができる!

▲に対するそうした批判は絶対的に正しく間違っている!
正しい間違いである!!
正論とはいまはそうした正しく間違った▽のことである!
世の中とは正しい間違い▽でできているのである!
▽は絶対的に間違っているゆえにいまは正しいとされているのだ!

(▲や、△を知らない▲に対する▽の非難は「正しい間違い▽」でも「間違った正しさ▲」でもなくほんとうのほんとうに間違っているだけなのだが)*

それに対して正しさらしさ▲のほうも間違っている!!!
それは正しいからだ!!!!
圧倒的に正しい正しさだからだ!!!!!
正しいゆえに絶対的な正しさ△からは遠ざかっていく!!!!!!
正しさ▲がいまはいちばん間違っている!!!!!!!
正しさ▲のほうが間違い▽よりももっと間違っている!!!!!!!!
ゆえに正しく間違った間違った正しさ▽から非難されているのだ!!!!!!!!!

 

*(作者注)

 

 

 
#poetry #rock musician

すべてに失敗した五月の、抑鬱段階にある落窪の歌

 

工藤冬里

 
 

柿の葉が太くなって考えられていた大きさまで太くなってきています
考えられていた太さはとても太い
柿には二種類しかない
なで肩か肩幅があるかのどちらかだ
柿は肩幅だ
肩幅があると頼もしい感じがする
女は差別なく公平に言ってたおやかだ
差別なく平等に扱われているだろうか
女偏に弱いと書いて嫋やかと読む
ちなみに魚偏なら鰯である
イワシは強いのではないか
前針に掛かったことがある五寸くらいなのに一尺のベラくらいの力があった
将来起きることは左肩と右肩の間の金ネクタイに落ちてゆく
ネクタイは見える喉のようだ
男前の顔が漏斗に落ちるようにタイの太い結び目に落ちてゆくのだ
スーツは黒がいい
オスカーワイルドの世紀末からの結論だ
ワイルドは一九〇〇年の十一月に死んだ
非の打ち所のない柿だった
だれも洪水など経験したことのない時代に
木を加工し樹脂を使ってハコを立ち上げタイを流行らせたのだ
不快なものである東京軍が包囲をやめて一時的に撤退する
その間に秩父の山の方に逃げたのです
箱舟の七人練炭自殺
連合赤軍大菩薩
ロックフォークのシオンて子音の嗄れだね
熱帯なのに三寒子温は変なのでもうストーブ捨てて了い給えよ
シュッとして認める
現在、人種や国籍にかかわらずなで肩と闘っています
疲れ果てて弱ることも
躓いて倒れることもある
骨格の闘争
落窪の笑窪
下落合・戸塚辺りの雑草
忽ち老成する二世
過去の過ちなどない
ネットで中傷するようになりました
竹を割ったようなメンマ
青だけ踏み赤は棒編み
悔いのない共食の共食いから
目を逸らす犬
注ぎ出す水の駅ビルといえば岡山が噴水
鈍色のパッドが置いてけ堀
傷つけられる状況は変わらなかったが
傷つける北の方(キタノカタペニンナ)をカキの葉の太さが凌駕していた
そういう虐めには耐えられても
正当化できない失敗柿なのであれば無駄なことだ
考えることを止めることを決意するしかない
唯一の抜け道は間違った言語を通してその間違いを学ぶことだ
それにしても柿の葉は太い
それを自分はもはや言うべきではない
玉は尽きた打ち止めだ
トータルで損して終わった
終わりの時代が終わるのはそれが終わりだからだ
終わりが終わらないのだとしたら終わりなどいらない
白いカバの形のグラデーションに一瞬青空
不安の原因を教えてもらうこと
いや、すべてに失敗した五月の、原因の原因を教えてもらいたい

 

 

 
#poetry #rock musician

敦盛どうぶつの森

 

工藤冬里

 
 

春分てあるの知らなかった。直実が新聞紙を全面に拡げてゴキブリをとる要領で近づき、さっとくるんだら逃げなかった。押し入れに仕舞われる時、新聞紙から少し青がはみ出しているのが見えた。世の中にはまだ知らないこういうこともあるんだぜと僕は直家に得意になって教えた。まだいるかなと思い自分でも家の中を探してみると玄関の上框の隅にレンタル水のサーバーくらいの空気の青い部分があり、それが春分よ、と言われた。捕まえようとするのだが、変形しては海月のようにするすると抜けて漂って行ってしまうので、畑の方に出てみた。色が空とが合わさるので探すのは難しかったが、陰になった地面にいたので今度は捕まえたらわりとゼリー状で、口をつけてみたら味はしなかった。押し入れに丸められたやつはいなくなっていたので、今度は直家の十六まで使っていた六畳間に入れると、急に、なんで捕まえるの、と声がするので、えーっ、しゃべるんだ、と言うと、どことなく顔にも見えるような像容となり、あなたわたしのこと好きでしょ、さっきもここら辺をぎゅーっとしてちゅっちゅっとかして(笑)などと言いながら消えていこうとする。きみみたいなのは沢山いるの?、と訊くと、そうだよ、メールとかも見るんだよ、アドレスはアビルジーンatumori何とか、と言う。自分のiphoneが手元になかったので直実のアンドロイドに入力しようとするが、abirug..?と確認すると、うーん字で書くとそういうことになるわねえ、などとゆっくりいいながら春分はそれでも消えていこうとする

 
 

 

 

 
#poetry #rock musician

自転車物語

 

みわ はるか

 
 

まろさんの背中はこんなにも大きかったんだなと初めて知った。
その背中を一生懸命に追うわたし。
上り坂が多くてわたしはすぐに息が切れてしまう。
ダイヤルを回して軽く足が運べる設定にしても限界がある。
中学生の時は駅伝大会で区間賞をとるレベルだったんだけどなぁと首をかしげながら時がたつことの残酷さに舌打ちしたくなった。
東屋が遠くに見えた。
あそこまでもう一息頑張ろうとぐっと足に力を入れる。
まろさんはわたしとの距離が空いてしまったことにようやく気付くとブレーキをかけこちらを振り返った。
咲いたばかりの桜の花を見るような柔らかい笑顔でいつまでもいつまでも待っていてくれた。

この春わたしはちょっぴり値がはる折り畳み式の雪のように白い自転車を買った。
まろさんが以前から持っていた炭のように黒いそれを真似て。

以前使っていた普通のママチャリを買ったのは高校入学時だ。
それを何度かのパンクを乗り越え大学3年生まで使った。
しかし残念ながら大学4年生の時、数ヵ月使わず学内の駐輪場に置いていたら当然のことながら撤去されてしまった。
「はっ」と気付いた時には後の祭りで、愛着あるわたしのパートナーはさよならを言う機会もなくいなくなってしまった。
落ち込みに落ち込んだ。
かごは錆びついてボロボロ、カラカラとペダルをこぐだびに聞こえてくる奇妙な音、学校から配られた校章の入ったステッカー。
全部が思い出だった。
あの自転車とともに大学の卒業式を迎えることがいつのまにか小さなゴールになっていた分ひどくがっくりした。
新しい自転車を買うことも考えだがなんとなく買わずじまいで卒業証書を受け取る日を迎えた。
それ以後自分では購入していなかったのでおよそ7年ぶりくらいに新しいパートナーと出会うことになったのだった。

折り畳みであることがわたしの世界を広げてくれた。
日本では公共交通機関を使用する際は袋にいれなければならない。
専用の袋も同時に購入したのですいすいと電車やバスに乗ることができた。
着いた先で折りたたんだ時とは逆の手順で組み立てる。
ものの30秒で完成してしまう。
そこからは自由だ。
その土地の行きたい方向へペダルをむける。
車では通れない細い小道も問題ない。
しだれ桜はほとんど葉桜になってしまっていたけれど八重桜は見頃だった。
黒色のジャージできちんと後ろ髪をポニーテールにしてジョギングをしている若い女の子たち。
少しくすんだピンク色の作業着につばの広い帽子をかぶったおばあちゃんが丸太のような木の上に腰をおろしている。
畑作業の途中だろうか、ずっと遠くを見ていた。
その目の先にはイワシ雲がたなびいていて深い緑の山、もっと標高の高い山には雪がしっかり残っていた。
パンが焼けるいい匂いがしてきたのでその匂いを追ってみた。
白い工場からそれは出ていて、中を窓越しに覗いてみても作業場しか見えなかった。
中に思い切って入ってみると数人の人影とともに事務所らしきものを発見した。
尋ねるとここはパンの製造だけで卸しているのもスーパーのみ、専用の店舗は持っていないのよと丁寧に教えてくれた。
幾分がっかりはしたもののパンの焼ける香りはいつでも追ってみたくなる魅力がある。
その香りがなくなる距離に達するまでずっとかぎ続けていた。
1時間程こぎ続けるとさすがに足も心も限界だった。
家にむかってこぎ続けていたのだけれどまだ30分くらいある。
まろさんは最寄りの駅から電車で帰ることを提案してくれた。
それが折り畳みのいいところなのだと。
あっという間に家の近くの駅まで来た。
改札を通るとまた組み立てて乗るだけだ。
まろさんは今度は横並びで走ってくれた。
まろさんが乗ると炭のように黒い自転車はとても小さく見える。
それがなんだかたまに滑稽に見えることがあるけれどそれもまたいい。
玄関に到着するころには付けていたヘルメットは汗でじんわり湿っていた。

世界恐慌が1929年、それからおおよそ100年後の現在世界はまた変革期を迎えているように思います。
外出や公共交通機関を使用することを躊躇う世の中になってしまいました。
見えない敵と戦うというよりはおそらくこれから先共存していかなければならない日々が続く気がします。
いつか、今はまだ無責任ないつかかもしれないけれど、誰か大切な人と外に出られる日がみんなに来ますように。

最後に、今自転車の需要が増えているそうで、購入した町の小さな自転車屋のおじさんがにんまり顔だったのが忘れられない。