風鈴

 

みわ はるか

 
 

近くの神社でたくさんの風鈴が飾られているというのを広報で知った。
風鈴好きのわたしはすぐにとことこと早足でそこへ向かうことにした。
その日はうだるような暑さ、もこもこと存在感をあらわにする入道雲、けたたましい蝉の鳴き声がそこら中で聞こえるような日だった。
黄土色の涼しげな帽子、日焼け止めを露出する肌に塗り、黒いサンダルで出かけった。
サンダルから覗く足の爪は赤かった。
そういえば昨日自分でマニュキアを塗ったことを思い出した。
街は以前のような活気はなくなってしまったけれど、みんな静かに夏を楽しんでいた。
玄関先の朝顔に水をやり、しっかりと庇をつけたベビーカーを母親らしき人が押し、キャップをかぶった若者は汗を滝のように流しながら走っていた。
夏、それだけでなんだかとってもうきうきする。

神社に着いた。
それは見事な風鈴たちだった。
赤、黄、緑、青、紫色の5色が隣同士被らないように丁寧に吊り下げられていた。
風通しがよい場所なので一斉に音色を奏でていた。
同じ方向になびく何百もの風鈴。
首が痛くなるのも忘れてずっとずっと見上げていた。
まもなく夏が終わる。
ものすごく残念で悲しい気持ちになった。
いつまでも見ていたかった。

築100年はたっているだろう茶屋に入った。
小柄で白髪のかわいらしいおばあさんが1人で経営していた。
数席あるカウンターには常連客らしいおじいさんが静かにコーヒーを飲んでいた。
何か話すわけでもなく、ただただ静かに時の流れを楽しんでいた。
縁側には中年の髭もじゃのおじさんがヨレヨレの赤いポロシャツを着て座っていた。
煙草をそっとふかしながら庭を眺めていた。
眼鏡の奥にはつぶらな瞳がひそんでいた。
わたしはあんみつを頼んだ。
少々出てくるのに時間はかかっていたけれど、1つ1つ果物、餡子、寒天がとてもきれいにカットされていた。
甘すぎず、ちょうどいいお味だった。
木造の家屋、昔ながらの柱や土壁、黒電話・・・・・・・。
定休日がなく、マスターの気まぐれでクローズする。
全てのガラス戸や窓が開放されている。
相変わらず蝉の鳴き声が響いていた。

帰りに駄菓子屋に寄った。
昔買ったペロペロキャンディーとショウガ味の豆を購入した。
まだこういう店が残っていることが妙に嬉しかった。
小さなかごをぶら下げてまた来よう。
この時だけは小学生のような純粋で素直な自分になれる気がする。

「夏」、静かな「夏」の終焉をまだもう少し堪能したい。

 

 

 

長田典子『ふづくら幻影』読書メモ

 

長尾高弘

 
 

 

『ふづくら幻影』は、作者が幼少時に暮らし、人造のダム湖である津久井湖の底に沈んだ旧神奈川県津久井郡中野町不津倉にまつわる詩作品を集めた詩集である。以下は、個々の作品の感想。まだ詩集を読まれていない方は、先に詩集を読んだ方がよいかもしれない。

「祈り」。「涙」という縦の動きが「水位」という言葉で横に広がる「湖面」という境界となり、その下に沈んだ祖先との間に長い距離ができる。この場合、水は必然的に冷たいものになるだろう。最後の「永遠に結露する」が見事。

「夏の終わり」。湖が渇れて地上に現れたかつての村の絵が二度描かれる。おじおばが若かった頃はまだどこがどこだったかわかるが、「新しく家族となった男」と数十年後に来たときにはもうどこがどこだかわからない。湖底というふだん見えないものが見えたときに数十年という時間が重層化される。「男」という言葉がちょっと冷たく感じられて気になる。

「上を向いて歩こう」。「幼すぎた私の涙」の5行と坂本九の歌で工場にいた家族、親戚、奉公人の思いを描いている。天井が夜空になって星が輝くことから、決して辛い涙ばかりではないのだろう。

「バャリースのオレンヂジュース」。働く人々の褻の日々を描いたあとで晴れの日が描かれる。ふたつの詩で高度経済成長期の空気をよく伝えていると思う(私も長田さんよりさらに幼いながらその時代を生きたので、ぼんやり思い出すものがある)。

「セドリックとダイナマイト」。タイトルのふたつはセットであることが明かされる。でも、補償金はまだ入っていないのだ。このセドリックの種明かしの1行が初読のときから印象に残った。火消しの場面は、この詩集では書かれていない家族の運命の伏線になっているようだ。最後から2番目の連はひょっとするとなくてもよかったのかもしれない。

「しらんぷり」。「大きな魚」が効いている。日常と非日常。外から来た人の死が明らかになったところで繰り返される「いつも通り」も効いている。最後の連を読むと、遠くから見ると光っているのに近づくとただの石になってしまう川の石の連が自然の恐ろしさの伏線になっていたのかと気づく。

「蛍」。50年前は私が住んでいた柏市でも行くべきところに行けば蛍が見られた。20代の頃、越後湯沢で見たのが最後だなあ、と蛍がいた頃のことを思い出す。すごい技を持っているおじさんというのも、ごくわずかになっただろう。その時代を知っている者には、時代が変わったことがよく伝わってくる。

「水のひと」。過去には夢ではなく現実だったはずの野辺送りの行列が夢のように美しく描かれている。とりどりの色とひらひら、ゆらゆらといった畳語(ひとびとというのもある)がそのような効果を盛り上げていると思う。最後の「商店街のある町で/溺れたひともいるそうです」の2行が、村を失ったことの後悔を問わず語りに示していてうまいと思う。

「お祭り」。過去の村の生活を美化しているだけではなく、男の子は神輿をかつげるのに女の子はかつがせてもらえないというジェンダーの問題を告発口調ではなくそっと示している。「黒曜石」は、「ツリーハウス」や「空は細長く」でも何食わぬ顔をして再登場する。

「かーん、かーん、キラキラ」。ジェンダーでは差別される側だったが、民族では差別している側に立っている。食べもののなかに砂が混ざり込んでいたときのような苦さがある。でも、この作品が入っていることによって、この詩集が描く村の生活は深みが増したと思う。

「川は流れる」。これを読んで改めて地図を見た。相模川の源流が山中湖にあることを初めて知った。川をせき止めて作った湖の詩集に川の源流の話は欠かせないだろう。最後の「めだかに遊んでもらっていたのも気づかずに/川がお母さんのようだったのも気づかずに」の2行が効いている。

「ツリーハウス」。村が湖底に沈んだあとの再訪の詩であり、「夏の終わり」と対応している。このふたつの詩の間に過去の村の絵が入っている。「蛍」からの3作が、開発と無関係だった頃の村の生活を活写していて、それが詩集のちょうど中央あたりになっており、時間をU字形にたどっている。山羊の黒曜石と「わたし」のうんこの対比が面白い。

「午前四時」。亡くなったご両親が夢に現れる。浜風文庫で故郷を離れたあとのお父上との激しい対立関係についての作品をすでに読んでいるので、「もう借金取りに追いかけられるのはいやだからね/こんどこそ儲かるといいね」という2行をいずれまとめられるだろうその詩集の予告編のように受け取ってしまった。でも、ここでは「もっともっと たくさん/いろんな ありがとうを 言わなくちゃ」といった行に救われる。

「黄浦江」。メアンダーはmeanderで蛇行という意味の英語。前作『ニューヨーク・ディグ・ダグ』を思い出させる。国境を越えて蛇行という共通点を持つ中国の川と外国の人が登場することによって詩集の風通しがよくなっている。

「空は細長く」。今という時間から過去を振り返っている。スサノオが退治したヤマタノオロチなるものもおそらく川であり、彼は治水の力によって権力を獲得したのだろう、というようなことを思い出す。詩集内の位置からも、湖の底に沈んだ川沿いの村へのレクイエムのような響きを感じる。

「巡礼」。ユーラシア大陸の西の果てで東の果ての故郷を思う。時間も戦国から現代までをたどり、「セシウム」が効いている。スケールが大きくて、詩集の締めくくりの詩にふさわしい。

途中で少々文句もつけてしまったが、時代と人が見事に描かれていて、構成がよく練られているすばらしい詩集だと思う。最後にもうひとつ文句を言ってしまうと、製紐工場の最後を見たかった。それは次の詩集で明らかにされるのかもしれないけど。

 

 

 

水のまち

 

塔島ひろみ

 
 

「浸水からまちを守っています」(*1)
と書いてあった
「まちに降った雨は下水道管へ流れます。下水道管は自然に流れるように少し傾いています。ポンプ所に流れついた雨水は、ポンプで汲み上げ「新中川」へ放流することでまちを浸水から守っています。」(*2)
昭和56年4月、ポンプ所ができた

となりに座っていたけど 一度も口をきかなかった
Kが 泣くのも 笑うのも 驚く顔も 見たことがない
寂しげな 少し困ったような目で 始終黙って 何もしないで ただイスに座っていた
私だけでなく 誰とも話さなかった
授業で指されると 小さなかすれる声で何か言った
ポンプ所開設前の昭和52年
流れ込む下水管を持たない中学校は荒れていて シンナーが流行った
タバコ、万引き、暴力
Kはどれもやらず、 誘われてもいない
似合わない学ランから細い首を出し その首には尖った顎と薄い唇がついていた
Kの世界はいったいどこにあったのだろう
授業が終わり 正門を出る 200m歩き 家に着く

卒業アルバムに載るKの住所(○○荘)は 中学校から200m、ポンプ所のすぐそばで
平屋建ての小奇麗な家が建っていた
アパートと同名の表札がかかるこの「○○」家の裏手にある、同じ平屋の一棟が
きっと○○荘 
青白い壁 雨戸が閉まり
駐車場にカラの物干し台が置かれ 一輪車が転がり
静かだった
誰もいないのかもしれないし
これから来るという大雨に備えて 閉じこもっているのかもしれない
Kが 40年たった今も 閉じこもっているかもしれない

ポンプ所が雨水を放流する新中川は、「埼玉県の一部と足立区、葛飾区および江戸川区の広範囲な地域を洪水から守るとともに舟運利用を目的として」(*3)昭和13年に開削が始まり、昭和38年に完成した
その年、私もKも1歳
その新中川にかかる八剣(やつるぎ)橋を
多くの生徒が渡って学校へ行き、また橋を渡って家へ帰る
帰り道 西の空が朱に染まり、遠くに富士山がくっきりと見える
どんな生徒も一瞬「あ」と思い、景色を見る
でも Kの家からだと その橋を渡らなくても学校へ行け、渡らなくても帰れるから、
この橋を 西の空が朱に染まる時間にKが渡ることはない
Kは一日一回きりの 贈り物のようなこの景色をきっと知らない

Kの世界はどこにあったのだろう
KはいまもKの世界にいるだろうか

小ぶりだった雨が次第に強くなってきた
今夜から大雨になるという
その雨の量がある数字を越えると
ポンプ所の努力むなしく
新中川もお手上げで
江戸川や利根川が決壊し、そのどちらか一方でも氾濫すると
Kの家は浸水する
平屋建てなので逃げ場はない

戸を閉めて 静かにじっとしている
あふれだした川の水が低地へと流れ、暴力のようにこのゼロメートル地帯の町を襲うとしても
一時の、シンナーみたいな流行りとして
Kは少し困った顔をしながらも黙ってやり過ごしてしまうだろうか

八剣橋は今、架替工事で風情ある欄干がなくなってしまった
西側に大型マンションが立ち 山も見えなくなってしまった
そんなことも この橋がそもそも必要なかったKには
何の脅威でも悲しみでもないだろう
Kの世界はあるだろう

私は
私の世界は
あるのだろうか あったのだろうか
わからなくて こわくて Kのことを思い出した
家まで行ってみたのだった

 
 

(8月某日 ポンプ所そばにて)

 

*1 細田ポンプ所(東京都下水道局)前の説明板より
*2 同上
*3 三和橋たもとの「記念碑」より

 

 

 

餉々戦記 (乾物ロード干し椎茸篇)

 

薦田愛

 
 

東向きいちめんの型ガラス窓を透かして
なだれこむ中庭の緑
北摂の一隅ちいさな集合住宅の
あかるいリビングダイニングは
ソファの真ん前がシステムキッチン
だから
食べることがメイン
煮ても焼いてもなんて言うけど
ここでは
煮るも焼くも蒸すも揚げるも
避けるわけにいかない
(とはいえ多めの油には及び腰
空0まだ揚げ物にはトライできていない)
三口コンロも広めのシンクも
ソファとサイドボードを並べて置けるのも
古いめ賃貸物件としては破格
つくづく
足りないのは私の料理の経験と腕と知識だな
でも
食べた経験なら年齢相応にそこそこ

家ご飯好きのつれあいユウキのほうが
ひとり暮らし経験もあって料理に慣れてる
のを頼りに
作ってもらう合間あいま
トマトと卵を炒め合わせて塩胡椒振ってみたり
干物をあぶったりまたもや豆腐を焼いてみたり
惣菜パックかかえて帰ってみたり
それで乗り切れるはずもなく
そうだねネット検索
そうだよ図書館で料理本
探すことには慣れてるんだ
なにしろ
話を聞きたい人についての資料とか撮影によさそうな場所とか
手土産に持っていくお菓子とかお疲れさまの食事の店とか
探すのも仕事だったから
それにほらこれ
『料理図鑑』ってタイトルの *
分厚い解説書もあるんだ
食材選びや扱いのコツがこと細かに
オールカラーでも写真入りでもなく
イラストとやさしい言葉とでね
ページを繰っては板ずりだの裏ごしだの
言葉は知っていても
やってみたことないなあなんて

シンク下の食材ラックごそごそ
乾物に乾麺に缶詰
東京をたつ直前は
備蓄しすぎの缶詰をせっせと食べて
未開封の乾物や麺は段ボールに詰めてきた
賞味期限ってどうなのかな乾物の場合
そうだ
高野豆腐煮てみよう
いっしょに干し椎茸、足りるかな
レシピレシピ
ああ小さめのだけど六枚か七枚
ボウルに水そして高野豆腐は三つ
そういえば
椎茸のもどし時間って短縮できるって、
どこだっけ、ああこれ
ぬるま湯に砂糖少々
もどし汁使うんだから
砂糖はそのぶん少なめにってことか
がさりがさがさ
袋をあける出すならべる洗う
ぴぃいっとケトル
おっと沸かしすぎ
ボウルにあつっと浄水足して
ひたす間に、そう
にんじんを
高野豆腐しぼる指がぎとり
油っぽいなんて
食べながら思ったこともなかったけれど
大豆油ってあるものね
おお椎茸のもどし汁
こんなに濃い色だったんだ飴色というか
醤油に砂糖に味醂かくはん
まずにんじんにゅるんと刃をにげる椎茸次いで高野豆腐に
落とし蓋おとしぶた
弱火と言ってもとろ火とは違うよね
ね、と尋ねる相手もいないので
はてなの行列振り切りふりきり
まあなるようになるでしょう
様子見い見ぃって
宙ぶらりん
やっぱりぃ
経験と腕と知恵の足りないぶん
しかたない

それでも
焦がさず煮つめすぎずにんじんかたすぎず
(爪楊枝をそっと刺し)
ほっほっ吹き冷まして口へ
うんまあまあ
汗して帰ってきたつれあいユウキは
「ん、んまい、いいね」
とにっこり
「好きなんだよね、干し椎茸
空0ばあちゃんがよく使ってたんだ」
おばあちゃんが? そうなんだ。
高野豆腐は?
「ん、美味しいよ」
かくてこのとり合わせは
以後
繰り返し登場してよし、とする

それでね
だからさ

高野豆腐に干し椎茸
切らさないようにいつも
でも、でもね
たかいんだぁ干し椎茸
高野豆腐に千切り大根かつお節に昆布
乾物いやとりわけ
干し椎茸もとめてうろうろ

ところが
それがね

その日降り立つバス停
古都東大路通五条あがったあたり
悪縁断ち切る御利益あらたかとか高名なお社手前の店さき
昆布椎茸の小袋大袋みっしりならぶコーナーに
出くわす秋日
町起こし塾の仲間と出かけた地図づくりの課題という一日の振り出しを
するっとわすれた

だってさ
直前に滋賀県産葉つき大かぶらをひとつ手に入れていて
そのうえ抱えあげた大袋は九州産干し椎茸四百五十グラム入り
ふだん手にする小袋や大袋と思っていた中袋のいったいいくつぶん
夫(ツマ)のために乾物
(馬の耳に念仏、じゃなくて)
そう
煮物何十度ぶん
塾の課題あとの空き時間
博物館へはともかく帰りのバスをなぜその停留所で降りたのか
椎茸昆布かつお節の匂いに誘われたのか私は
東大路通をひたすら北上四条通を左折して早足
河原町駅から十三そして宝塚行きに乗換え
型ガラスの窓の部屋へ
大袋と大かぶらにつれあい
「おっいいね」
とひとこと

それでますますあの煮物の出番が増え
たまにひじきや大豆や油揚げと煮ればひとしお
「せっかくなら三つくらい買ってくればいいんじゃない?」
などと唆されたから
ええ
三月に三袋 八月に三袋
もちろん出かければ
干し椎茸だけじゃなくてね
でも
干し椎茸提げて食事会 干し椎茸抱えて美術館
乾物が神仏、見物を上まわってね
そう食い気の産物
東大路通や阪急京都線はさながら干し椎茸みち、乾物ロード
引きずりそうなサイズの手提げに三つ押し込み
がさりがさっと抱え直すボックス席
車体のマルーンカラーまで何だか
干し椎茸の色に見えてくる

 
 

*『料理図鑑 「生きる底力」をつけよう』
おちとよこ 文 平野恵理子 絵 福音館書店刊