Claudio Parentela
2枚の柔らかな薄ピンクの皮膚
唇だ
そこに薄グレーの細長い奴
ぺろっと横たわる
夜中いびきかいたらお互いうるさいからね
それに喉乾燥して風邪ひきやすくなるからね
寝る時口にテープ貼ることにしない?
ミヤミヤが決めて、かずとんも実行した
呼吸苦しいかな
大丈夫
すーっ、鼻呼吸に移行
眠くなってきた
で
薄グレーの細長い奴
ぱっちり目覚める
2枚の薄ピンクの間で
伸び縮み伸び縮み
裏返りそうになって
キャッ、キャッ
いびき、食っちゃおうか
いびき、食っちゃおうよ
くっす、くっす
やがてやがて
とおーくでアラーム鳴る
ミヤミヤとかずとん
一緒に唇からテープ剥がし
よく眠れた?
眠れたよ
顔洗って
薄ピンク2枚ぱっちり活動始めると
屑籠の見えない底では
伸び縮み伸び縮み、はもうしないけど
キャッ、キャッ
くっす、くっす、くっす
虹…、漢字で書くとあじけない。
というか、ハエかカかアブのようだ。
まあいいや。
今、六十七歳だ。これまで虹を見たことは確かにある。ちょろっとした虹も含めて、何回見たのだろう。なんとなく記憶を辿る。
おそらく、二十回程かなあ。多分。もうちょっと多いかなあ。でもその倍の四十回としても、意外と見ていないのだなあ。
で、夢で見た虹の記憶は、おそらく一度だけだ。いつだったのだろう。
二階の窓を開けると、木製の朽ち始めた物干し台。ここは心の故郷のようなところである。今はもう無い。家も土地もすでに人手に渡って、解体撤去されて、今は違う建物が建っている。というか元々借家なので人手に渡るという表現は正しくはないが、大正時代から祖母が借りていた家なので、愛おしい。鶏小屋を解体した材木で造ったボロ屋である。二階の六畳に僕ら親子五人。祖母は一階の二畳くらいのところ。僕が住んでいたのは、五歳頃から十九歳頃まで、十九歳にはすぐ近くの六畳一部屋のアパートに独り住まいで転居した。記憶の中ではもっと長い間ここで暮らしていた感じだが、計算してみると実際は15年に満たないのか。しかし、記憶の中では、家の隅々まで、…ある。
ここからは何度も飛んだなあ。夢ではないが、この物干し台を伝って、二階の屋根にもよく登った。ある時、飯田街道を挟んだ向かいの自転車屋さんが僕の姿を見て、泥棒がいると、大騒ぎになったこともあった。裸足で瓦は熱かった。この物干し台では、よくしょんべんもした。
この物干し台から虹を見たのは夜である。真っ暗な天空を見上げると、虹。美しい。圧倒的な存在感だ。虚無感など微塵も無い。口の中のチョコレートの中のアーモンドの粒が次から次へと出てくるようだ。
七色では無い。三十六色だ。しかも、ど太い。天空の半分を占めている。色は鮮やかで、色と色の境界もくっきりだ。この時僕は思った。これで良し。これ以上のことは望まない。後は苦労しよう。苦労して、苦労して、そのまま死ぬのだ。
追記、何かあったが、忘れてしまった。思い出したらまた書こう。
追記の追記。
何を忘れてしまったんだろう。むしろ、忘れたことも忘れてしまった。忘れてしまったといううちはまだ良い。忘れたという感覚が無くなった時が危ない。
追記の追記の追記。
おそらくは、僕が見たのは真正の虹だった。オーロラのようなふわふわしたものではない。どでかく、どっしりとした、かっちりとした虹だ。あまりにも壮大な情景。そして、おそらくは僕一人で見た。音は聞こえない。見た時間は、実際には十秒間程だったが、百億光年だったかもしれない。
追記の追記の追記の追記。
先に「僕一人で見た」と書いたが、記憶を辿ると、「虹が出てるよ」と呼び掛けたような気もする。音のない世界で、僕の声は誰かに聞こえたのだろうか。僕の声は誰かに届いたのだろうか。そして、誰か来たかもしれない。でもその誰かが、この虹が見えているかどうか…。返事を聞いた記憶は無い。
この虹を見たのは、おそらく十歳くらいの時だったかもしれない。素晴らしい光景だったので、六十年近くたった今でも、鮮明に覚えている。
名神高速道路の高架下の日陰でこれを書いていたら、先ほど蚊に喰われた。左頬骨と右後ろ頸筋辺り。五十メートルほど逃げて、今日向にいる。僕は蚊に弱いのでムヒは常備している。液体タイプのやつだ。さっそく塗った。まだ痒い。今日は十月二十日。この時期の蚊は特に痒いのだ。蛇足から始まって、蛇足で終わる。
名前を覚えないことで距離を置いていた
青い床
光の縁取り
裁縫の仕方を男子が教えている
なかなか身体が折れ曲がらない
宝塚っぽい暗い虹色のセーターを着て
一瞬気を失っていた
アカシア材.comから
ずぶ濡れて猫
刺し通される筈の言葉がなぜ
スペインの黄色と青のプリンタリーに
数字を右手と額に、
行為と思考に刺青する
数字と数字の距離を空けただけで
野獣は離れていくか
朱鱗洞が死ぬ一空白空白空白空九空白空白空白空一空白空白空白空八年に空白空二空白空白空〇歳のロルカは処女作「風景と印象」を出版するが黙殺される。スペイン風邪が明けた一空白空九空白空二空白空〇年二空白空白空白空二歳の時にアルヘンチーナを据えた「蝶の呪い」で処女公演を果たす。そ の空白空白二空白空白空年 間 に 何 が あ っ た か。桜井大造はそこに満を辞したコロナ明けの演劇、という視点を持ち込むが、本当にそうなのか。
座席の距離を詰めても空けても忘れ去られるだけなのだから
シニフィアン連鎖の間隔を空けることでこちらから忘れてやる
名前を覚えられないのではない
覚えないことで距離を置いていたのだと気付いた
野獣アルヘンチーナは脳内を舞う
他の名前は
覚えない
#poetry #rock musician
マイナーに酔っ払ったフジオが観に来て、僕に、ションベンみたいな演奏だな!と言うので、確かにノイズのオルガンはションベンに似ているかも、とは思ったが、うるせえウンコ野郎、と言い返せば良かったのだと今日思い付いて、ほら、ションベンにウンコと返せば気が利いてるじゃん、タイムマシンがあったら、一九七八のマイナーに戻って、言い返したいな、フジオは反浜岡原発の時非常に知的な喋り方が出来る人間だと知ったけど、それとこれとは別だからな、即興舐めんなウンコ野郎、いつか言ってやりたいな
#poetry #rock musician
投げられない
委ねられない
転がせない
手をつないで歩いているわけではない
右手を差し伸べられて
引き上げられるだけだ
#poetry #rock musician