島影 22

 

白石ちえこ

 
 

千葉県 久留里

城のある町へ向かった日。房総半島旧道。
白い鳥がたくさんとまっている樹が遠くに見えて、近づいてみると鳥ではなくて大きなモクレンの花が咲いていた。
その近くにあった樹は土に埋まった蹄のある動物の頭部にも見えた。
幹がぐんぐんとのびた角に見えたり、または、木肌を押し破って出てきた白猿が東に向かって頭を下げ、手を合わせて拝んでいるようにも見えた。
鏡の中の、もうひとつの国に迷い込んでしまったような奇妙な一日だった。

 

 

 

怖れ

 

工藤冬里

 
 

絶望するしかないわけではありません
埃のように私は舞う
食事と睡眠どっちが怖いか分かりません
エルピスというのかギリシャ語で希望
なんていうんだろう絶望は
疎開先では飢えが怖い
入って来ないように灯りを消そう
書く欄がありません
ソーランを養う
山鳩は歌う
力強い羽音に狂う
今日はトンボたちだけが酔う
一緒に住むことを快く思う
って言ってるだけじゃだめなんだって
空の青に剣
飲み物としての眠気も怖い
決意ができていない
早く起きろよ

 

 

 

#poetry #rock musician

迷い出た羊のバラード

 

工藤冬里

 
 

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解像度という飲み物
居酒屋のような明かり
垂れ下がる洗濯物
柿の実は太り
髪もくるり
やましさの故に
飲めないくすり
二つの夕方の間に

愛されてはぐれ者
雲塊に阻まれる祈り
彷徨うのは標野
以前の死者との隔たり
わたしを自分で屠り
食用のために
自分で調理
二つの夕方の間に

モオブからモノ
日本と同じみどり
納屋から斧
作業の滞り
思いは偏り
試練を蝶結びに
アクアパッツァにはアサリ
二つの夕方の間に

道は先細り
羊は南(エル・スール/ネゲブ)に
食べるなら微塵切り
二つの夕方の間に

 

 

 

#poetry #rock musician

我が家の庭紹介/Introduction to my garden

 

辻 和人

 
 

ドミッッミ レファッッファ
ファラッッラ ソシッッシ
ドミッッミ レファッッファ
ファラッッラ ソシッッシ

ミヤミヤが夏休みを利用してウチの庭の動画を作った
たった3坪ちょい日当たりも良くない
けど庭師さん呼んでああでもないこうでもない
渾身の力傾けて植えるもの考えた
ミヤミヤ魂こもった庭なんだ
約2分で非公開のくせして英語字幕入り
チープなフリー素材の音楽もついている
そんな動画をご紹介します!

「はじめに我が家に1つだけある寄せ植えです」
This is a flower pot at the entrance.
「トウガラシ、ミント、アイビーなど。アイビーが存在感ありますね」
Red pepper, Mint, Ivy, etc., are there. Ivy has a presence.

鉢から零れんばかりの緑のもじゃもじゃ
「目線」がふうわり近づいて、静止
この前面にあるのがヒトデ型の葉っぱの奴がアイビーだな
狭い狭い空間を埋め尽くして
伸び足りない伸び足りない
伸び足……

「南側の庭」
This is a garden on the south side.
3坪の庭の左横から「目線」がふぅっと入ってくる
下方に落として、落とし過ぎか、おっ少し上に修正しました
「いろいろ植わっています。ソヨゴ、ゆず、ジューンベリーなど」
There are various plants, such as Longstalk, Yuzu, Juneberry, etc.
右から左へゆっくり移動する「目線」
ナツハゼもあるね
うへぇ
数本しか植えてないのに結構鬱蒼とした感じじゃん
夏の威力か
いろんな濃さの緑がぎらっと光る
ゆず、今年はあんまり実をつけてないな
去年は結構取れたんだけどな
おっと

「目線」、不意に上方に浮いて
「ジューンベリーがかなり伸びてきました」
The Juneberry tree grew tall.
ねえねえ、このジューンベリー
冬にぼくがハシゴ使ってギッッチョギッッチョ枝切った奴なんだよ
あんなに切りまくったのにもうこんなに伸びてるのか
画面をさわさわ揺らして勝利宣言
植物様には敵いません
秋になったらまた切るかなあ、と思ってたら

「目線」が下に切り替わる
左から右へゆっくりと
「下草も元気です。ヤブランどんどん増えています」
The plants beneath trees are perky. Liriope is growing steadily.
ほんとだ、植えたのは一カ所だったのに
いつのまにか庭中に点在してる
細長い葉がしなっと半円描いて澄ました様子
庭は毎朝見てるつもりなのに気がつかないもんだ
と、

「目線」が不意に真下へ
「グラウンドは芝にしたかったのですが、日当たりがあまりよくないので、
実際はコケと混合です」
I wanted the ground covered by lawn. But actually, it is a combination of lawn and moss, since it is not so sunny.
そうなんだよねえ
芝があんまりふさふさしなくてねえ
水やりが不足してるのかと思ったらそういう問題じゃないらしい
でもね、悪くはないんだよ
ここで「目線」がぐっと地面に近づく
じっとりじっとり土に粘りつくコケ
味わいあるよね
芝とコケ、仲いいんだか悪いんだか絡み合うように共生している様を
「目線」は舐めるように映して
そのまま庭の右奥へ、と思ったら

「シソを昨日植えてみたのですが、早速虫に食われてしまいました」
I planted Perila yesterday. It was already eaten by insects.
穴あきの葉っぱをクローズアップする「目線」
ありゃありゃ
ぼくもミヤミヤもシソは大好き
増えたら刻んで冷ややっこの薬味に、なんて思ってたのに
植物の繁殖力もすごいけどそれを狙う虫の食欲もハンパない
残念に感じているのか
「目線」はしばらくシソの穴あき姿を愛おしそうに撫でる
気を取り直して

「こちらは玄関の植え込みです」
There are plants near the entrance,
北側の玄関サイドを左横から覗く「目線」
白い家の壁に緑が映えてるね
家と自動車の間の縦30センチ横2メートルの極小スペース
「アジサイ、ソヨゴなど」
including Hydrangea, Longstalk holly, etc.
このアジサイ、茎のトコぶっとくて木みたいなんだよ
右端の名前わかんない庭木は緑の実に甲虫が集まっちゃって大変
「目線」、上に向かったか、
もう次?

「コンクリートの隙間はクリーピングタイムを植えました」
I planted Creeping Thyme in the space between the concrete.
クリーピングタイムって地を這うように伸びるハーブで
春にはピンクの花が咲く
「目線」、ちょっと近づきました
しばらく静止
駐車場のコンクリートの細い隙間の土から
きっちり水分養分取って
もしゃもしゃたくましく生きてます
「目線」、もしゃもしゃを軽く追っかけて

「庭を屋内から見るとこんな感じです」
When I view the garden from inside, it is like this.
大きな窓越しに庭を眺める
正面から近づいて
「目線」、ゆっくり左から右へ
ジェーンベリー、ゆず、ナツハゼ、ソヨゴ
お澄まし顔で整列
うん、これはいつものおとなしい庭の植物って感じだ
家の外ではやんちゃだが内からだとと猫かぶってる
「目線」、また正面に戻り
両脇にカーテンが軽く映るくらいまで
下がって、下がって、下がって

横長長方形のフレームに
ふぅわふぅわ浮かんだ庭
「目線」が一生懸命整理してくれたおかげで
3坪ちょいの我が家の庭の<今>がとーってもよくわかったよ
ミヤミヤ魂
家の外でも内でも
フレームありでもなしでも
しっかり漂ってた
お疲れっ、よくできてるよっ

「ご視聴いただき、ありがとうございました」
Thank you for watching the movie.

ドミッッミ レファッッファ
ファラッッラ ソシッッシ
ドミッッミ レファッッファ
ファラッッラ ソシッッシ

 

 

 

すすり泣く曇り空のバラード

 

工藤冬里

 
 

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bcbC

暑いが曇っている
夏も終わりだ
事物は震えている
きっと冷房のせいだ
木々の緑は殆ど黒だ
花もなく
道といえば獣道だけだ
曇り空の下ですすり泣く

うす青い峰々が白濁している
病院から見える景色はみな同じだ
車は車道を走る
薬もあの時と一緒だ
死ぬ元気が出るほど元気だ
今は夏だけが往く
夏だけが終わりだ
曇り空の下ですすり泣く

来ないまま死ぬと思っている
のはだめだ
生きているうちに来る
と思っているのもだめだ
いつ来てもいいと思っていなければだめだ
病気も死もなく
トラウマを思い出すこともなくなるのだ
曇り空の下ですすり泣く

いつ来てもいいように待っていなければだめだ
恐れもなく
思い出すこともなくなるのだ
曇り空の下ですすり泣く

 

 

 

#poetry #rock musician

夢素描 05

 

西島一洋

 

飛び転死

 
 

今回は飛ぶ夢について書こうと思っていた。最近は飛ぶ夢をあまり見ない。もしくは見ていても思い出せない。とはいえ、昔たくさん見たので、それらをのんびり思い出しながら書こうと思っていた。もちろん、書けないことはない。

しかし昨日見た夢が、特に鮮明だとか強烈だとかではないけれど、妙に心の奥底に引っかかっていて、やっぱり吐露した方がよいかとおもう。

これは夢ではないのだが、一回りほど年下の友人が、ある時ある集まりの中である出来事を述懐した。というより告白か。十人くらい居合わせたと思う。

子供の頃の体験談である。しかし、この日まで人に言ったことはなく、ずっと苦しんでいた。話したことで癒されるわけでもないが、この話は、もちろん本人にとっては切羽詰まった現実そのものなので、奇異とか面白いという類のことではない。

ただ僕は面白かった。何が面白いかというと、僕にはその情景がくっきりとイメージできたからだった。おそらくは、現実のイメージとは違うのだろうが、そんなことはどうでもよい。

薄暗い。水が流れている。勢いよく。溜まりもある。濁ってはいないが透き通ってはいない。流れてきた。少女だ。小さい少女だ。3歳ぐらいだろうか。最初はゆっくりと、そして、目の前に来た時は異様に早い。手は出せた。だが、怖くて動けない。少女はそのまま流されて、そして、死んだ。

さて、昨日見た夢だが、ここまで書き進んでいるうちに、なんだか、書く必要もないのかなあとも思えてきた。

ただ、どうしても気になるので、書いておこう。おそらく今書かなければ、きっと忘れてしまう。いや、書くことによって忘れてしまうということもあるので、記憶を留めるためには文字化しない方が良いのかなあ。

労働と死という夢であった。

この国では、死も労働として認められており、貨幣経済も認知されている。したがって、死ぬことによって労働の対価が支払われる。死ぬことに宗教とか哲学とか思想とかもちろん芸術とか一切の共同幻想は介在しない。死ぬことの大義名分も無い。

ただ、死ぬのである。なぜか、淀んだ水の中に飛び込んでそれでおしまいなのだ。死への労働志願者は途切れることなくどんどんやってくる。気になるのはその労働への対価は誰に支払われるのだろう。

夢だから情景は、くっきりというかもやもやというか、ただ、あっさりと死んでいく人たち、僕はまだこちら側にいたが、ああそういうもんだなあ、と、特に悲しくもなく、苦しくもなく、罪の意識も無く、ああ、いずれ、こんな感じで死んでいくのかなあという感じか。

でも夢のリアリティから離れてみれば、やっぱり死にたくは無いなあ。