家族の肖像~「親子の対話」その2

 

佐々木 眞

 

 

「お母さん、オオヨワリってなに?」
「オオヨワリ?」
「オオヨワリだお」
「大弱りか。とても困ること、だよ」
「オオヨワリ、オオヨワリ、オオヨワリ」

「お父さん、サクラ、サクラ、サクラ好きですお」
「サクラ、お父さんも好きですよ」
「お父さん、桜は木にツに女ですお」

「さわむらさん、莫迦笑いしてたよ」
「サワムラさん?」
「ブラックプレジデントの」
「ああTVドラマの社長役の沢村一樹かあ」
「莫迦笑い、莫迦笑い」

「ヘーツト、ヘーツト」
「誰がヘーツトって言ったの?」
「綾部の精三郎さんですお」
(二人で)「ヘーツト、ヘーツト」

「お母さん、複雑ってなに?」
「物事がいろいろ混ざっていることよ」
「複雑複雑複雑複雑」

「皇太子さんはキシモト先生によく似ていますよ」
「誰に似てるって?」
「横須賀の歯医者のキシモト先生だお」

「お母さん、原因ってなに?」
「それが起きた理由」
「ゲ、ゲ、ゲンイン、ゲンイン」

「お父さん、赤羽線から埼京線に変わったの?」
「どうもそうらしいね」
「京浜東北線の6扉は6号車だけですよ」
「へええ、そうなの」

「お母さん、ぼく南浦和に泊ります」
「分かりました。いつ泊りますか?」
「分かりませんお、分かりませんお」

「♪もう一度、もう一度 なんの歌ですか?」
「うーーん、聞いたことのある歌だなあ」
「♪もう一度、もう一度 なんの歌ですか?」
「分かったぞ、小柳ルミ子の歌だ」
(二人で)「「♪もう一度、もう一度 なんちゃらかんちゃらもう一度」

 

 

 

金木犀の香り

 

みわ はるか

 

 

その香りが金木犀だと知ったのは随分あとのことだ。

向かいのお姉さんの家の庭は常にきちんと剪定されていて、いい香りがするその植物はその庭の端にちょこんと植えられていた。
隅のほうにあったけれど存在感は抜群だった。
そんな香りのベールにつつまれてお姉さんは毎日決まった時間に大きな玄関から出勤していた。
黒く長い髪をひとつに束ね、赤い小さめの鞄を肩からさげていた。
洋服は職場で決められているのだろう。
白いブラウスの上にチェックのチョッキのようなものを着ていた。
紺色のスカートはひざ下まであり、それにあわせて黒いヒールを履いていた。
当時部活の練習で日に焼けた肌をしていた中学生のわたしにとって、憧れの存在でとてつもなくまぶしくうつった。
いつかわたしもあんなふうに颯爽と歩くオフィスレディにでもなるのかなと勝手に夢をふくらませていた。
こんなわたしにもニコニコした笑顔をむけ挨拶をしてくれた。
お姉さんに会うときはなぜか少しどきどきして恥ずかしかった。
特別親しく遊んでもらった記憶はないけれど、長女のわたしにとっては本当の姉ができたようで嬉しかった。

そんなお姉さんもいつもいつも明るかったわけではなかった。
少し伏し目がちで大きなため息をついて家から出てくることもあった。
きっと人に言えない辛いことや苦しいことがあったのだろう。
そんな日が続くとものすごく心配になったけれど、またあの笑顔ですれちがえたときは心底ほっとしした。
やっぱりお姉さんの笑っている時の姿が一番好きだった。

それから月日は流れた。
お姉さんはその家から居なくなった。
遠いところにお嫁にいってしまったらしい。
遠いところってどこだろう~、元気にやっているのだろうか~。
想像することしかわたしにはできなかった。
そして、少しずつお姉さんのことを忘れていった。

わたしも大事な高校受験や大学受験を経験し、少しずつ大人の階段をのぼっていた。
前はお肉を好んで食べていたけれど、今は有機野菜や消化にいい食べ物に興味をもつようになった。
夏は紫外線なんか気にせずさんさんとふりそそぐ太陽の下部活のテニスに精をだしていたけれど、今はいかにしみやしわを防ぐ化粧品を見つけられるか
に時間を使うようになった。
キャラクターがプリントされているTシャツよりも、少し品がある無地の洋服を好んで着るようになった。
お菓子はあまり食べなくなった。
マンガや恋愛もののドラマよりニュースを見るようになった。
多少のことではわたわたと怖がることがなくなった。
遠足の前日のようにうきうきやわくわくすることが減った。
いつもいつも明るい明日が来るわけではないということを悟った。
時間的制約がある限り限界というものがあることを知った。
色んなことが自分の知らないうちに確実に変わっていった。
私は少し大人になれたのだろうか。

お姉さんをまた見るようになったのはそんなふうにわたしが大人に近付いているときだった。
金木犀の香りに包まれてあの玄関から出入りする姿があった。
一人ではなかった。
お姉さんの腕で大事そうに抱かれた小さな小さな赤ちゃんも一緒だった。
白いふわふわの生地で包まれたその子は天使のような微笑みをお姉さんにむけていた。
それを見ているお姉さんの顔はそれ以上の笑顔だった。
守るべき存在ができたお姉さんは前よりもたくましく見えた。
日が陰ったころ、ベビーカーにその子を乗せゆっくりとゆっくりと歩いていた。
聞き取ることはできなかったが何か優しく話しかけながら。
その時、一つ間違いなく言えるのは、その瞬間確かにお姉さんは幸せだった。
そしてきっと今も幸福な人生を送っているに違いない。
そうであってほしい。

わたしも結婚を機に地元を離れてしまったが、金木犀を見ると思いだす。
金木犀のお姉さんのことを。