どう
むかえるのか
そのヒトを
どう迎えたらよいのか
誰も
いない
仏間なのか
にぎやかな客間なのか
そもそも
そのヒトは誰か
血縁は
あるのか
友人の友人なのか
蝉の声を
聴いた
ない
夏を抱いた
団地を過ぎて淋しい盆踊りをみた
と言った
どう
むかえるのか
そのヒトを
どう迎えたらよいのか
誰も
いない
仏間なのか
にぎやかな客間なのか
そもそも
そのヒトは誰か
血縁は
あるのか
友人の友人なのか
蝉の声を
聴いた
ない
夏を抱いた
団地を過ぎて淋しい盆踊りをみた
と言った
参った。ぎっくり腰がよくならなかった。畑は草ぼうぼうになった。畑の土に草を干物にしたものを入れて土を作っていたが、ぎっくり腰でぶらぶらしていた間に、例のごとく草を使って草を育てている状態になった。草の干物を入れた場所は生えている草の背丈が他の場所と全然違う。見事な草だ。人の背丈どころではない。近くに立てば、大きく見上げるほどの草が育った。おお、すごい、と見上げた。何度見ても見事だ。
先月もぎっくり腰のことを書いたはずだと思い、「浜風文庫」を読んでみたが、梅雨入り後まもなくしてやったぎっくり腰は、何月何日にやったのか書いてなかった。「二週間寝た」と書いてあるから、7月の初めにすでに2週間以上経っていたことはわかる。6月の初旬にやったんじゃなかったか。
今、8月2日に入ったところだが、6月にやったぎっくり腰がいったん治ってから、何度も小さいのを繰り返したので、つい2週間ほど前までよくならなかった。
6月に2週間寝た後、7月の初めには立ったり歩いたりはしていたのだが、簡単に軽いやつをやるようになってしまった。畑に1回行って3日ほど寝ているようなことを2度繰り返した。もう完全に癖になってしまったのだなと思った。一晩寝て歩けるような小さいやつをやった時も、畑に行くとまたもう一度軽いぎっくり腰をやったりする。そんなのは何回あったのか、もうわからなくなった。
草ぼうぼうというか、ジャングル状態というか、見事な草の林を見て、いよいよ畑がやれない体になったのかと思った。
腰は何がどうなっているのかわからなかった。軽いのをやって翌日起きても、ものを持ち上げるようなことができない。怖くて駄目なのだ。車の乗り降りもゆっくりゆっくりやった。軽いぎっくり腰をやるのが、日課のようになってしまったのだった。
セブンイレブンで、「体の痛みの9割は自分で治せる」(鮎川史園・PHP文庫)というのを立ち読みした。よさそうな気がしたので買った。これはよさそうなだけでなく、実際によかった。買ってよかった。よかったわ、あなた、と淑女に言ってもらいたい。
この本のセルフ整体術と名付けられているやり方で体をいじり始めてから、小さいぎっくり腰を繰り返すことが止まったのであった。徐々によくなり、草を刈ってから腰を伸ばすのも怖くなくなってきた。
腰が痛いとか肩が痛いというような痛みを治すやり方が書いてあるのだが、やるべきことは簡単なものだ。
例えば、腰が痛いのであれば、腰や腰の周りのあちこちを指の腹で押してみる。脚の付け根や尻などを自分の手の親指や他の指で押してみると、ひりひりする痛みやツーンと響く痛みが生じる場所がみつかる。ズーンとくる重量級の痛みがみつかることもある。
筋肉が固く緊張していたり、細い筋みたいなものが腫れたみたいになっているところが痛い。ここをこの角度から押すと一番痛いなというところを、その角度でぐりぐりと押す。ぐりぐりと大きな動きで押すところもあるし、小さくクリクリと押すところもある。小さい脂の固まりみたいな感触のところはクリクリと押す。
10回ほどぐりぐりやクリクリして、押して痛い状態のまま、足先が向いている方向を変えてみたり、膝を曲げてみたり、首を傾げてみたり、背中を曲げてみたり、いろいろに体を動かして、痛みがなくなるか軽くなる姿勢を探すのである。こうやると痛みがなくなるなという姿勢が見つかったら、その姿勢のまま90秒間、形を固定して動かないでいるのである。
足首や首をほんのわずか傾けるだけで痛んだり痛みが消えたりする場所が見つかることがある。
痛みが消える格好が、痛む筋肉がゆるむ格好なのである。それを90秒保つ。緊張していた筋肉をゆるめるのだ。
何もしないでいると90秒というのは結構長い、格好が崩れないようにしながら、iPhone の画面を見ていたりすることもあるし、何もしないで長い時間が経過するのを味わうこともある。
時間を測るのは、軽トラの中なら勘でやるし、自宅のベッドの上だったら、キッチンタイマーを使って測ったりする。勘でやっても40秒から60秒程度なら割と正確に測れる。90秒にするには、1分は経ったなという感覚があってから、しばらくおまけを付け足してやるのである。
英語のレッスンで、生徒の音がたるんだ状態になっているのを指摘し、「ゆるめない!」というような指示を厳しく申し渡したりしているくせに、自分ではもうあちこちの筋肉をゆるめっぱなしにゆるめている。どこがどういう名前の筋肉なのかは全然知らないが、一つずつゆるめ、数多くの筋肉をゆるめる。
軽いぎっくり腰を繰り返した後に始めたせいか、押すと、もうやたらあちこちが痛かった。痛い場所はすぐ見つかったが、翌日はまた違うところが押すと痛くなった。隠れていたものが、浮いて出てくるような感じがあった。実際は同じ場所を押しているのかもしれないので、それほどでもないのかもしれないが、初めの三日くらいで、数十カ所も痛い場所を見つけたような気がした。
痛みが消えるか軽くなる格好を90秒保ったら、ゆっくりと押して痛かったときの格好に戻す。ゆるめていた筋肉に急に力を入れないようにしながら戻す。その筋肉を使わないで戻せればその方がいい。
元の格好に戻ったら、最初に痛みを見つけたときのように、同じ場所を指の腹で押してぐりぐりやってみる。痛みが軽くなっていれば、その場所の治療は終わり。同じように痛むようなら、もう一度同じことをする。
痛みが軽くなっていたら、他の痛む場所を探して同じことをする。
要約すれば、以下の通り。
指で押して痛いところを探す。
指の腹でぐりぐり(くりくり)する。
指の腹で押したまま痛みが消えるか軽くなる体の格好を探す。(見つかったら、指は体から離してよい)
その格好を90秒保つ。
指で押して痛かった時の格好に戻す。(ゆるめていた筋肉をなるべく使わないで戻す)
指で押して再度ぐりぐりさせ、痛みが軽くなっていることを確認する。
指で押して痛いところを探すとか、指の腹でぐりぐりするというようなことは、この本を買う前からやっていた。痛いところには自然に手が伸びるものだ。人にやってもらったこともある。
土方をやっている人に体を揉んでもらったとき、「ああ、これだ」とその人が言った。私はと言えば、「ひえええ、痛いいい、痛いけど気持ちいいいい」と叫んでしまう。その人がぐりぐりしているところに、凝りがあるのが自分でもわかった。細い筋などにできている凝りは、固めのきょときょとした脂みたいな感触がある。実際に脂であるかどうかは知らない。脂みたいな感触のところではなく、しっかりした太い筋肉などは、張っていたり棒のように固くなっていたりする。
押すと痛い場所は、骨のそばや、太い筋肉のそばにみつかりやすい。
人にやってもらったり、自分でやったりして、痛いところを指の腹でぐりぐりさせるのは知っていた。ここまでは、多くの人も知っていることだろう。
本で初めて知ったのは、押して痛い状態で、痛みが消えたり軽くなる体の格好を探すということだった。知らなかった。
ぐりぐりさせた後、筋肉を弛緩させることを知らなかったのである。
その後もう一度ぐりぐりさせるのは、鍼を打ってもらう場合、鍼の先生が、鍼の先を軽く動かしてしばらく放置し、鍼を抜いてから、その場所を指の腹でぐりぐりするのと同じことだろう。そうやってその場所に血がめぐりやすくするのだ。これも鍼を打ってもらいに鍼灸院に通ったことがあるので知っていた。
90秒、筋肉をゆるめっぱなしにするということを知らなかったのだ。そして、これが効くのだと思う。鍼を打つのと同じくらい効く。畑の草もだいぶ刈った。軽いぎっくり腰を繰り返していたときの何倍も仕事ができる。草の干物をかなり土に混ぜ込むことができた。
娘や女房にもやってみろと言っているのだが、彼女たちはやろうとしない。長年一緒に暮らしてきているので、彼女たちは私を信用しないことに決め込んでしまっているのだ。私はそれほど信用できない人間なのである。
馬鹿だねえ。やってみて駄目なら駄目と言えばいいのだ。決め込みということは恐ろしい。やだねえ。決め込むことに決め込んでいるのである。恐ろしいねえ。
読者の皆様におかれましては、どうぞお試しあれと申し上げておきますぞ。
このところ寝不足が続いておりますので、今回はたったこれだけ書いて、明日の暑さに備えさせていただきます。頓首。
と、ここまで書いて寝た。もうそれだけでゲンコーにするつもりだった。
夜中3時頃に寝て、よく寝た気がして起きたら午後の3時だった。飯屋でこの時間に開いているところはほとんどない。4時で店を閉めるが、4時までは飯が食えるキャロルに行った。休みだった。かっぱ寿司しかない。かっぱ寿司に戻って、サーモンとイカを攻めた。「本気の炙り」とかいうのがあり、サーモンはいろんな炙りがある。トロサーモンの炙りが、炙りが浅くてうまい。イカはソデイカ、マイカ、アオリイカだったか、3つ食った。サーモンはまずチリの養殖ものだし、イカにはストロンチウムが蓄積されないとフェイスブックで読んだから、サーモンとイカを食うことが多くなった。
カツオのヅケも食ったが、太平洋で穫れる回遊魚を食うときは、放射能を食うつもりで食う。店内放送が「さまざまな品質管理をやっている」と放送している。何が品質管理かと言えば、日本で穫れた魚はホームページで県名まで明らかにしているというだけのことだ。
以前は、店内に魚の名前とその魚が捕れた海の名前を書いて張り出してあった。マグロのところを見たら、「太平洋」と書いてあった。あんたねえ、福島第一原発のすぐ脇の海も「太平洋」なんだぜ。
かっぱ寿司の店内放送は、国が決めた100ベクレル以下なら安全なのだと言っているにすぎない。はっきりとそういう数字を言わないで言っているにすぎない。何県で穫れた魚でも、漁港がその県にあるというだけのことだ。その県の陸地の上を海の魚が泳いでいたわけはない。県名を明らかにして何がなんだというのだ。
野菜のように、その県の土地で栽培するわけでもない。福島以外は安全だなどということがあるわけはない。魚は泳ぐし、回遊するのだ。だから、食うことはロシアンルーレットだ。回転寿司を回転する寿司のどれが実弾なのかわからない。どの県の漁港にあがった魚なのかをホームページに公表してあるからといって、なんで「安心」なのかわからないままとにかく食う。
無意味な放送をかっぱ寿司に行くたびに聞かされる。胸くそが悪くなる。お茶を飲む。
お茶を飲み、ガリを囓り、かっぱ寿司を出て、今日はコーヒーで休まずそのまま国民温泉に行った。セルフ整体をやり始めてから、温泉が気持ちよくなった気がする。先月、体調の「陰の極」というようなことを書いたが、セルフ整体を始めたら、「陰の極」を遠ざけておけるような気がするのだ。今のところ「陰の極」は一度も来ていない。
飯を食って、温泉で温まり、セブンイレブンの駐車場に駐めた軽トラの中で、コーヒーを飲みながらセルフ整体を40分くらいやった。それだけで、英語の仕事が始まる時間になってしまった。起きて、飯食って、温泉に入って、セルフ整体をやっただけだ。畑に行く時間はない。
頓首だ。英語のレッスンはさっき終わったが、頓首だ。
あんなに寝たのにまた眠い。
そうだ。つけ加えておかなければ。
セルフ整体がうまく体に届くと、眠りが深くなる。
であるからして、頓首。
来月再拝。