広瀬 勉
東京・豊島千早?
雨戸を
閉めて
ブラームスの
6つのピアノ曲の
第6曲を
繰り返し
聴く
そこに
おとこがいて
おんなと
おとこがいて
きみは
甘い
液体なのかい
世界の終わりをみてる
雨戸を
少し開けてみる
底のない世界できみの美はどれほどの強度をもつの
壁にそって歩く。少しは、盲の手さぐりで、視ることを失わずして、ぽかん場までふいに出る。わたしは、いつかは踊り手だったのだろうか。手の視線があり、狭隘な道と道が交わる丁字の接点に立っていた。
光のとおり導かれているとも言えるし、翳に吸い寄せられるように、薄い黒点を求めているとも言える。
気配の翻り、反転、天地のひっくり返りや、一瞬に無彩にしてしまう所作に酩酊気味に自嘲しながら、ときおりの盲の心持をふところに隠している。
高い塀のあるところまでたどり着いた。その前には石が敷き詰められている。鳩だろうか、カラスだろうか、それは小鳥のような細かなざわつきではなく、鳥の体躯のすみずみに満ちた気の隙間を震わせて、私の足許に迫ってくる。
――なぜ、逃げないのだろうか。
私は、足をばたばたと、地を叩く。
――円陣に、縛られているのかなあ。
ピーピーという、甲高い声が鳴る。
眼の行為を失うために、眼の行為を摩耗するまでに繰り返して、それを鳥たちに覚られているのなら、もう諦めるだろう。
――私のたじろぎは、もう鳥たちの眼の行為で鋭利に抉られている。
あとは、熱度への執着だろうか。私は、どんな人間よりも熱を帯びている。手も足も耳も腹もさわれば熱いぐらいだ。その気を放てば、鳥も虫も寄ってはこないだろう。盲といっても、凍えてはいない。
――そうか、熱線で、鳥たちのか細い脚を、ジュジュッと焼き切ってやろうか。
あと数分で、この川面が夕焼けに染まる。川面だけではない。一帯が闇の中に沈んでしまうその手前の瞬時、一帯が滅ぶ朱の粉末が降ってくる。
盲の私の、眼の象形までもが鳥の嘴に殺られる。
日曜日
イタドリの葉っぱの上で、ゴマダラカミキリが交尾している。こっちでももう一組が夢中で交尾している。するとそこへもう一匹がブーンと飛んできた。「僕も混ぜてくれよ」
月曜日
朝夷奈峠を登っていたら、まだ学習中の鶯が「ホー、ホケキョウ、ケキョウ」と鳴くので「ホー、ホケキョ」と口笛で教えたが、また「ホー、ホケキョウ、ケキョウ」と鳴いた。
火曜日
大水が轟々と流れる光触寺橋のほとりにじっとたたずむ青鷺のザミュエルを、1年ぶりにみつけた。「おいザミュエル、元気だったかい」と呼びかけても知らん顔で水面を見ている。
水曜日
亡き母の家の庭に亭亭と茂る無患子の花冠が、風にそよいでいる。
藝大の庭で拾った一粒の実から、十五年を経てとうとう花開いた無患子の黄緑色の花。
木曜日
太刀洗に散歩に行ったら、今朝生まれたばかりの無数の瑠璃蜆に取り囲まれた。
瑠璃蜆また瑠璃蜆てふてふてふダンスだダンスだ瑠璃色ダンス。
金曜日
滑川をまた蛇が泳いでいないかと覗きこんでいたら、川向うの野原を茶色いものが跳ぶ。
40年目にして初めて見る野兎だ。「おーい、ラビット太郎」と呼びかけたが、森に消えた。
土曜日
夜、次男と一緒に三郎の瀧まで散歩したら、蛍が舞っていた。
高く高く飛んでもはや星と見分けがつかなくなった蛍を、二人でいつまでも眺めていた。
日曜日
長男の大好きなカレーライスを、家族揃ってお昼に食べる。
世の中にこんなおいしいものがあるだろうか。
月曜日
次男がアパートの外でずぶぬれになってミャアミュア鳴いていた子猫を拾って、医者に連れて行ったら元気になったそうだ。いい人に貰ってほしいな、青い瞳の子猫チャン。