夢は第2の人生である 特集号(第55回・第56回・第57回)

 

佐々木 眞

 
 

 

夢は第2の人生である 第55回

西暦2017年水無月蝶人酔生夢死幾百夜

 

龍宝部長は、「これで肉をあぶって食べるといいよ」といって、私に超強力なコンロを呉れた。6/1

大阪支店で乾燥庫に入ったら、熱が強すぎてスーツの色がたちまち変色し、危うく焼肉になってしまうところだった。6/2

社長の私が「今日はオラッチがなんでも奢るぞ」というと、部下たちは勇んで超高級メニューを発注し始めたので、内心こりゃやばいぞ、と焦った。6/3

鈴木志郎康さんに差し上げた工場の作業現場のノイズ録音テープが、ゼミの学生たちによってダビングされ、ヤフオクで途方もない値段で取引されているのを知って驚いた。6/4

天安門にゴロゴロ殺到する戦車の前で、大きく両手を広げてみたものの、怖くて怖くて仕方なかった6/5

週刊文春の短歌欄で、「自己」というテーマで投稿を呼び掛けていたが、現在のところ誰も応募していないようだ。6/6

この会社の広告制作部では、営業が勝手に担当クリエーターに直接発注しているので、アートディレクターは暇だが、制作物の質は最悪だった。6/6

その会社の広告制作部では、朝から晩まで、管理職を除く男性クリエーターたちが、唯一の女性で可愛いデザイナーのキヨミヤさんに、間接セクハラして喜んでいた。6/6

「西暦2017年2月17日の午前中に、神奈川県の大和市で、言うべくして、とうとう言えへんかったことども」という出だしの文章を書いているが、これは単なる散文か? それとも散文詩と呼んでも構わないものだろうか。6/7

中華料理屋で食事中に、緊急打ち合わせが飛び込んだので、シウマイを持ったまま会議室へ向かう途中で、別の中華料理屋の裏口から入って、玄関口から出ようとしたら、「うちのシウマイを持ち逃げするな」といわれて、困ってしまった。6/8

図書館の本は、すでに20冊予約済みなのだが、いますぐ読まなければならない本が10冊もある。はてさてどうしたものか、と私は思案した。6/9

「客に物を買わそうと思ったら、A→B、B→Cのように具体的に矢印で指示すれば、絶対に買うよ」と、その男は断言した。6/10

いったん捨ててしまった1萬牌を最後につもって、私は役満の「国士無双」を上がった。6/11

越中島から永代に来てみると、ヤギ君が「ワカバヤシが打ち合わせに来ない」というてパニックっていたので、「大丈夫、今まで彼と越中島でマージャンをしてたから、もうすぐここへ来るよ」と教えてやると、安心したようだった。6/11

ナカノ君とマツイ君のカバンの中から、つぎつぎに奇妙なハイテク商品が出てくる。「それは6500円だね」と私が言い当てると、マツイ君は、あっと驚いた。6/12

イデノトシコは、にっこり笑って、私にグミの実がいっぱいなった枝をくれたので、私と一緒に暮らしてくれるのか、と一瞬思ったのだが、それは全くの幻想で、彼女はたちまちどこかへ消え去ってしまった。6/14

ブルーレイ・レコーダーには、既に3つの外付けHDDが接続してあるのだが、4つ目をテレビに直接取りつけたら、なにか問題が起こるのだろうか。誰かに聞こうと思うのだが、適当な相談相手が見つからない。6/16

アイオーデータという、何を省略したのか意味不明の会社に、「どうして貴社の外付けHDDは、パナソニックのギーガと接続できないのか」と電話したら、女の子が「検証できていませんので」と、何度も国会答弁のように繰り返した。6/17

ともかくA女に借りができたので、彼女が支配下に置いているB女の店で本を、C女の店でCDを買って、埋め合わせをしようと思って、妻と一緒にポポロ広場へやってくると、くだんのA女が私らを睨んだ。6/18

深夜の海で地引網を引いてみたら、どういうわけか最先端のハイテクおもちゃが、大量に浜に引き揚げられたので驚いたが、子どもたちは大喜びでそれで遊んでいる。6/19

中国の巨大な空港で行方不明になってしまった私は、5時間後に、中国の不思議な役人のおかげで発見され、感謝の言葉を述べようと思ったが、あっという間にいなくなってしまった。6/20

「本日にて、貴君への監視を終了する」と刑事と名乗る男が言うたので、私はずっと共謀罪の対象者だったとはじめて知った。6/21

野原で開かれているマル戦の集会で、かわいこちゃんの亜麻色の髪がおいらの鼻先をくすぐるので、いつまでもクンクン嗅いでいたら、マツイ君とテルイ君が、「おれたちの話を真面目に聞け」と怒り出した。6/22

ようやっと立ち上げた託児所で、預かった子供たちの昼食を作ろうと、ガスの火を点けたら、なにかに引火して、あっという間に家もろとも燃え尽きてしまった。6/23

私は45歳と46歳の元祇園芸者が経営するスナックに入り浸りになり、骨抜き状態になっているところを、「週刊新潮」にフォーカスされたが、別に誰からもなにも言われなかった。6/24

朝な夕なに海水が氾濫するこの街に、観光客を呼び込もうと、新任広報担当のマエダ嬢が「日本のヴェニスへどうぞ!」と懸命にPRしたが、いつまでたっても誰もやってこなかった。6/25

足元を流れている溝を覗くと、生まれたばかりの子犬が流されていたので、素早く拾い上げて抱いてやると、うれしそうに尻尾を振った。6/26

私は、最近友達になったばかりの馬と犬を連れて、街中をゆったり散歩した。6/27

私は、なぜだかモンシロチョウの雌になっていて、イタドリの葉っぱの上で羽根を広げ、下肢をピンと立てて、上空から雄が降りてくるのを待っていた。6/28

シュア製のカートリッジが暗闇に転がっていたので、何気なく拾い上げて右ポケットに入れ、速やかにその場を立ち去ろうとしたら、店主らしく男が睨みつけるので、さりげなくそこらへんに置いて、すたこらさっさと立ち去ったが、盗人にならなくて良かった。6/29

私はパエリア国の日本大使館のシェフに任命されたので、NYの世界各国の代表部の大使たちに、魚と野菜を主体とした北欧料理を、日本料理風味にアレンジして供したら、大好評だった。6/30

私は金曜の夜、会社のエレベーターの扉にもたれて不貞腐れているヤマちゃんを誘って、パエリア国大使館に向い、かの国の美女たちに囲まれて、極上の北欧料理と性的サービスの饗宴に満腹満足しつつ、うまし夢路を辿った。6/30

 
 

夢は第2の人生である 第56回

西暦2017年文月蝶人酔生夢死幾百夜

 

最後は私とマムシの決闘だったが、私は彼奴に噛まれないように後ろに回って尻尾をつかみ、石の上に何度も叩きつけたので、とうとう彼奴は私の軍門に下った。7/1

アシダ君はレリアン担当を命じられたが、苦手の婦人服分野なので、どのように取り組んだらいいのか、日夜悩んでいた。7/2

朝の5時だというのに、ごしごしと木を切っているやつがいる。「神様、私を助けてください」という少女の叫びも聞こえる。すると突然蝉が鳴き、ピアノがポロンと鳴った。7/3

悪者に追いかけられてたので「さあ困った、どうしよう?」と検索に打ち込んだら、いきなりイタリアの高級車アルファロメオが、目の前に現れたので、これ幸いと乗り込んで、窮地を脱することができた。7/4

阪神の源五郎丸に似た名投手と仮契約するために、今すぐ130万円が必要なので、すべての財布とポケットを探しまくったのだが、たったの1円すら持ち合わせがなかった。7/5

玄関に人の気配がするので覗いてみると、生協の配達のお兄さんが、しょんぼりと立ち尽くしているので、「どうしたの?」と尋ねると、「このシャケの切り身を注文されましたか?」というので、「いいや」と答えると、がっくりうなだれてしまった。7/6

私は式守伊之助だが、知らない間に土俵の外の砂に大きな足跡がついている。しかしいつ誰が踏み出したのか、さっぱり記憶がないので、頭の中が真っ白になった。7/7

「ホテルにしますか? 旅館にしますか?」と聞かれたので、「朝晩食事はついてるし、畳の上の布団で寝られるし、旅館にきまっとるがな」と答えて、その日は小西屋に泊った。7/8

そのうちに私らのオケは、だんだん地力がついてきたので、オペラ座がガルニエ宮で「トリスタンとイゾルデ」をやる同じ日時に、シャンゼリゼ劇場での公演をぶっつけ、乾坤一擲の勝負に出た。7/9

我が党ではつねに新鮮な新人候補者がプールされているので、選挙のたびに、大量の新人を繰り出すことができました。7/10

どういう訳だか、私はW社に二重採用されていたので、ある時は営業、またある時は企画の席を行ったり来たりして、都合が悪くなると、有休代休を取りまくって、給料も2倍もらっていた。7/11

鎌倉市長になった元ミス鎌倉のヤマモトヨシコは、自分の華麗な恋の遍歴を、市の広報に総天然色24ページで特集して、5万部増刷したので、一部の市民の顰蹙を買った。7/12

昨日ネットで買ったばかりの扇風機が、朝から怒涛のように押し寄せてくるので、甚だ迷惑だ。同じ扇風機を、こんなにたくさん購入した記憶はないのに。7/13

この新聞は、誰かが記事を読んだ途端に消えてしまうので、非常に困る。私は真っ白になったタブロイド紙を持ったまま、あちこち駆けずり回って、読んだ人からその内容を聞き取ろうと試みたのだが、空しかった。7/13

その男は、私がヤマダ電機で予約したレコーダーを勝手に使って、いろいろな番組を予約したり、かと思えば解除したりするので、私はひどく困惑してしまった。7/14

川上から下ってきたその男は、汀の生き倒れ人を見ながら、「誰でも人世にはこういう時がある。きっとあそこから落っこちたのだろう」と、橋の欄干を指差した。7/15

「自閉症は遺伝です」と、そのフランス人は熱く語ってやまないんだが、我が家の自閉症の長男は「なにをいまさら川端やなぎ、なにいううとるねん、ぱあでんねん」と笑い飛ばすだけだった。7/17

20代の私なら、一撃のもとに退治できた夏の蚊であったが、いまでは冬の蚊でさえ叩き潰すことができず、何度も掌が虚しく柏手を打った。7/18

西部戦線で異状があった。私と共に敵情視察に出向いた少年兵のハンスが、敵の狙撃手の1弾を喰らって、即死したのだ。7/19

私はダリル・ハンナの桃色の太腿で、細い首をぎゅうぎゅう絞めあげられ、あまつさえその首を、左右にぎゅぎゅっと捻られたので、思わず「もう勘弁してくらさいな」と泣きを入れたが、ハンナ嬢は知らん顔してる。7/20

私は平家の領地や源氏の領地に居ると、いろいろトラブルが起こるので、そのいずれにも属さない領分を見つけては、そこでぶらぶら遊んでいた。7/21

極寒の地で、人も鳥も犬も飢えていた。私がカメラを上空に向けていると、名も知れぬ黒い鳥が、私のすぐそばに、嘴を下に、ジャックナイフのように突き刺さった。飢えた彼奴は、私の生温かい肉を狙ったのだ。7/22

腰まで積った雪を、切り裂くようにして、家から出てきた女をみつめながら、狼は牙をむいた。私が彼奴にカメラを向けると、彼奴は、私を襲おうか、それとも女を襲おうか迷っていたが、そのまま息絶えた。7/22

昔から非常にださくて凡庸な企画ばかり提出して、物笑いの種になっていた男が、世界を代表する美術展のプロヂューサーに成りあがっているので、私はびっくり仰天した。7/23

半世紀ぶりに訪れたウッドストックは、地球上の他の場所と同じように、草木も土も生物もみかけない、荒れ果てた不毛の地、デッドストックと化していた。7/26

「冒険倶楽部」創刊記念3千号は、記念パーティが既に3回も開かれたにもかかわらず、まだ世に送られず、その代りに「浮草マガジン」や「おろぬき少女」という新雑誌が創刊された。7/27

私は、私に残された人生の末路を知るべく、最新鋭の「人世先取り録画機」を5倍速で早回ししてみたが、灰白色のノイズが忙しく点滅するのみで、その詳細は杳として知れなかった。7/28

私はどういう訳だか、知らない間に友人のブログを乗っ取ってしまい、友人になりすまして、多種多彩な情報を各方面にばらまいていたようだ。7/29

「お前の誕生から死まで、すべての経歴を、この全自動洗濯機に放り込んでおいたのさ」と神様は宣わった。良く見ると、私は、シャツやパンツに混じって溺れかかっていた。7/30

待望の幻の稀覯書を書架に見出し、欣喜雀躍せし余は、その時早く、かの時遅く、そを鷲攫みにして、レジに赴きたりしが、懐中に一銭の持ち合わせなきことを見出したり。7/31

 
 

夢は第2の人生である 第57回

西暦2017年葉月蝶人酔生夢死幾百夜

 

おない年の古い友人、井出隆夫死去の知らせを受けた私は、いたずらに長生きしても仕方がないと、全財産を投じて、かねて買いたいと思っていた格安CDセットを、アマゾンで衝動買いした。8/1

私が喉を腫らして往生していると、あまり付き合いのなかった営業部の顔の大きな男がやってきて、「佐々木さん、これをすぐに飲みなさい、すぐに効きますよ」と言うて、白い錠剤をくれたが、はてさて飲んでいいのやら悪いのやら。8/1

全身身動きできない病気でベッドに縛りつけられている真夜中に、突然自地震がやってきた。ああ怖や怖や。8/2

一刀両断された巨大な鯉の半身の上に、跳躍した別の半身がぴたりと覆いかぶさると、元の見事な鯉の全身像が復元され、たちまち池の底に消えてしまった。8/3

私の留守中に奥村氏が訪問されたというので、私はすぐに家を飛び出してあとを追った。するとビルの壁面いっぱいに「拝啓佐々木眞殿、奥村土牛参上」と大書された横断幕が張られていたので驚いた。8/4

生まれ育った神田鎌倉河岸で、百坪の土地を手に入れた私は、その地で、ささやかな繊維会社を始めることにした。8/5

「地元民に限って、原爆の被害を見せてやる」と言うので、勇んで現地に駆けつけたものの、その眼を覆いたくなる惨状に言葉を失った。8/6

「海底と湖底のそれぞれに沈めてある私の玉の身に異常がないよう、くれぐれも注意してくれ」と言い置いて、私は牢屋に入った。8/7

40年間働いた御礼に貰ったキンコン船に乗って、港の外へ出て行こうとすると、部落の人々が、小舟に乗って別れを惜しんでくれた。8/7

朝カトウさんから「このたびわたくしウトウの君とケッコンいたします」というメモが来たので驚いた。なんでも、信号待ちの車で隣同志だったウトウが、窓からカトウの車に乗り込んできたのがなれそめだとか。8/8

ベテラン役者と称された私だったが、敵の首をちょん切ることだけは苦手で、いつも失敗していたので、汚名を挽回しようと、毎晩ひそかに練習を続けていた。8/9

ケンちゃんと一緒に電車に乗って、降りたところは、風がビュービュー吹き付ける賽の河原だった。仕方なくまた電車に乗って、次の駅で降りると、地下街で超マイナー作家の文庫本フェアを開催していたので、2冊買って、そこで藝大へ行くケンちゃんと別れた。8/10

激しい川の流れの中から引き揚げられたのは、2つのこんもりとした黒くて小さな塊で、私はその中のひとつが、自分の子供ではないか、とおののいた。8/11

私は人気の超高齢者番組に呼ばれて特別ゲストになったのだが、一言もコメントできなかったので、あっさり首になってしまった。8/12

賽ノ河原を歩いていると、「ササキマコト」と書かれた卒塔婆を見つけ、ずいぶん手回しが早いことだと驚いた。8/13

イソムラ氏は、さすが元NHKのアナウンサーらしく、私が持っていたレシーバーの4つのボタンを、最適のポジションにセットしてくれたのだが、その間に、本日のゲストの紹介が着々と進行していた。8/14

デパートの屋上にいる耕君のジャケットが、1階のエスカレーターの傍にあったので、私はそれをつかんで屋上まで昇ると、誰もいない。行き違いになったのだ。焦った私は、猛烈な勢いで、エスカレータを駆け降りた。8/15

大災害に遭った我が家に、いち早く駆けつけてくれた小人が呉れた竹筒の中には、おにぎりと小さな打ち出の小槌が入っていて、小槌を振るたびに、大判小判がザクザクと降ってくるのだった。8/17

ネットで私の名前を検索してみたら、生年と死亡年月日が記載されていたので驚いた。私は、もはやこの世の人ではなかったのだ。8/18

理事長は、いつも私の顔を見ると、私が講義している「春夏秋冬論」の中で、いろいろな年中行事の話を加味してほしい、と懇望するのだが、その都度私は無視して、聞き流してきた。8/19

私は「自分を語る」という番組に出ることになったのだが、キャメラが回り始めると、本当に自分が存在したのか、いまも存在しているのかよく分からなくなったので、スタジオから逃げ出して、満員電車に乗った。8/20

代々木駅で荷物を引っ張り出しているうちに、電車は新宿に向って発車してしまったので、私は、知人に挨拶もできずに別れてしまった。8/20

その高山鉄道は、麓の生誕駅からはじまって、少年少女、成人、恋愛、同棲、結婚、離婚、病気、老人、頂上の死別駅まで、10の名前がつけられていた。8/21

万博会場の跡地の最高塔がついに竣工したので、私はようやく、やすらかに永眠することができた。

サイトー君が、大枚を投じてカンヌで買い付けた映像は、映画祭の議事進行や、歴代の来賓の挨拶などを収録したもので、肝心要の映画とは、なんの関係もなかった。

私は暴漢に、何度も何度も刺されたようだが、その直前に友人のブログを乗っ取って、その友人になりすましていたたので、事なきを得た。

私は親類縁者のすべてに頭を下げて、港の外海に狭い漁場を確保していたのだが、新しい権力者が登場すると、そのささやかな利権は奪われてしまった。

イケダノブオの新ブランドは、毎年のように誕生したが、それがどこで、どのように販売されているかは、誰も知らないうちに、またしても新しいのが誕生するのだった。8/24

八木駅で山陰線に乗ろうとしていた私は、駅前に蝟集する不気味な黒集団に圧倒されたが、傍らのヤギが何か叫んだので、はっと気づいて、彼らの目の前にキャンバスを据えて、スケッチを始めた。8/25

前の理事長は、精力的に資金運用していたが、新任の理事長ときたら、そんなことにはまったく無関心で、部下に全部任せている。8/25

それにしても、真昼の海のどかな岬だ。しかし、こんなところにもなぜか映画会社があり、映写技師と私しかいない狭い試写会では、おりしもジョン・フォードの「捜索者」が上映されていた。8/26

恋に破れ、やけくそになったその女は、わが社をアポなし訪問して、「10万円を10日寝かせば投資で100万円にしてみせる」と、社員を見境なしに勧誘したが、誰も乗ってこないのだった。8/27

宇宙ロケットからクルーズ船、電車、新幹線、バス、飛行機、なんでも乗れてクレジットで買い物もできるという汎用性カードが送られてきた。ワーイ、ワーイ。8/28

私は五体満足だし、知能もまあ普通だし、いわゆる一人の平均的人間と周囲からは思われていたが、おそらく式亭馬琴が「八犬伝」でいう「仁義礼智忠信孝悌」の仁義八行のうちのどれかが欠落している、と自覚していた。8/29

私がデザインしたキッズ用のシープスキンのジャケットは、企画課長が没にしていたのを、営業課長への直訴が成功して復活したのだが、売り場に並んだ途端、売切れになって、追加生産ができるかという問い合わせが、全国から殺到した。8/29

道場で勝負を所望してきた素浪人と2度立会い、2度とも技ありで退けたのだが、今度は「六条河原で真剣勝負したい」としつこく迫るので、三度目の正直で、首を斬りおとしてやった。8/30

私の目の前で、いかにもそれらしく振る舞ってはいたが、その若い男女は、本当にお互いを熱愛しているとは到底いえない確たる証拠を握っていたので、私はひそかにほくそ笑んだ。8/31