招待状

 

みわ はるか

 
 

2年前の物語。

「ご報告 私事で大変恐縮ですがこの度かねてよりお付き合いしていた彼と結婚する運びとなりました。夏ごろに挙式・披露宴を予定しています。ご都合がつけばぜひはるちゃんにも参加してほしいです。詳細に関してはまた後日改めて葉書を送ります。」

空0はるちゃんと言うのはこのメールを受け取ったわたしのことだ。晴れて新婦になる中学時代の友人のわたしに対する呼び方だ。社会人になると名字で呼ばれることがほとんどになったためなんだかとても懐かしい気持ちになった。さらにその友人のお相手はびっくりしたことに同じ中学校の同級生だった。つまり、新郎新婦両方を知っているし、おそらくこの式に招待されるであろう人もほとんどが昔の同級生になるだろう。二十九歳という結婚適齢期をわたしたちは迎えているということを視覚的に認識させられた瞬間だった。わたしたちの間に時は流れた。もう昔のように同じ教室で机と椅子を並べることも、同じ時間割で授業を受けることも、同じ宿題をこなすこともない。みんなそれぞれが自分の未来を考え歩んでいる。それが大人と言うことなんだろうけれど、頭の中では理解しているはずなんだけれど、ものすごく寂しい気持ちになった。窓から空を見上げると灰色がかった雲が太陽を隠していた。

空0小さな田舎町に生まれた。周りは見渡すかぎり木々が生い茂る山に囲まれていて、平気で猿や鹿、猪なんかが出るようなとこだ。畑の農作物はしょっちゅう獣に狙われていたし車との衝突も珍しくはなかった。上流から下流まで流れる川は透き通っていてきれいだった。鮎やアナゴなんかも確か釣れたはずだ。近くに養殖場もあって夏には友人家族と一緒にバーベキューをするのが恒例だった。わたしの小学校の同級生はたったの十四人。中学校でさえ八十人程だった。みんなの顔はもちろん知っていたし、フルネームを漢字で書くこともできた。家族構成もなんとなくは知っていた。わたしたちは男女問わずわりと仲がよかったと思う。なんだかんだブーブー文句を言う男子もいたけれど、それなりに年に一度の合唱コンクールではまとまりが見られた。応援席より選手として出場することが多かった体育祭も最後に涙を流す人が少なくないような感動的なものだった。部活動がどの部もみんながレギュラーだった。中には定員割れの所もあって苦労していた。そのせいだろうか、市の大会に出ると初戦で負けることがどうしても多かった。校内で競争心が持ちにくい環境は大きな欠点となっていたかもしれない。そして、わたしたちは全国のみんなと同じように絶賛思春期だった。甘酸っぱくて、淡くて、清々しい恋の話は楽しかった。わたしはどうしたことか当事者としてはそういうものに興味がなかったけれど、部活の後に聞くそういう話はレストランで最後に出てくるデザートを目の前にした時と似た感情になった。誰かを思う気持ちはいつの年代も、時代もとても美しいと思う。それが仮に思い通りにいかなかったとしても。学生時代にそういう瞬間がもてたということは人間として大きな財産をもつことができたのではないかと感じる。
お互いを知り尽くしたこの時のような友情はこの先には絶対にない。だから今とてもその時のことを愛おしく感じる。

空0高校進学、大学進学、就職を機会にわたしたちは会うことはほとんどなくなった。小さな田舎町では想像できないことの連続にわたしを含め日々戦っているのだと思う。確か大人になって久しぶりにみんなに再会したのは同級生の葬儀だったと思う。こんな形で再会しなければならなかったのはとても無念だった。わたしたちは若くして友人を亡くした。一緒に校庭を駆け回ったやんちゃな子が今では二児の母親となった。上京して、見上げると首が痛くなるほど上の方のビルの中でパチパチとパソコンのキーを叩きながら仕事をしている元生徒会長。農家の長男として大根やニンニク、じゃがいも、白菜、人参と丁寧に丁寧に野菜を育てている友人。東京で少しは名の通るイラストレーターになった友人(アニメのエンディングでその子の名前を見つけた)。一度は遠い土地に嫁いだけれど出戻った友人。当たり前だけれどわたしの知らないところであの時一緒に同じ黒板を見ていた同級生が様々な世界の中で生き続けている。それがとても不思議で興味深かった。

空0新婦となる彼女から来たメールの返信には「もちろん参加させてもらいます。本当におめでとう。会えること楽しみにしています。」と打った。
いつのまにかわたしたちの間に流れた年月が文面の末尾をですます調にさせていることもなんだか自然で悪くないなと思った。

 

 

 

り・わたくし、りり・わたしたち

 

薦田愛

 
 

ねえユウキ
わたしたちの家のなかって
リサイクルショップとジモティー
加えて最近では
クリーンセンターでずいぶん
調達しちゃってるよね
「そうだね。すごくいいシステム。必要なところにちゃんとつながる、つなげてる」
ほんとうにいろんなモノ
あつかってるよね
ベッドやセンターテーブル、本棚にパソコンデスク、ダイニングテーブルに椅子
下駄箱にリクライニングチェア、灯油ファンヒーター
洋服にバッグ、洗濯機やトースター、クリーナーにパソコン
くらいまでは
まあ想像の範囲
でもってフライパンや土鍋やバスタオルに毛布にミル付きコーヒーメーカーの新品
ああ未使用品ね
そして特大木製キャットタワーに三段ケージ

でも
でもね、まさかね、
保護猫譲渡だとか、ドアとか
そう!
玄関のじゃないけど
ドアを譲りますなんて!
そもそもジモティーでドアを探してみようと思いつくひとにもびっくりだけど
(ユウキのことだよ)
出品してるひとがいるってことには
もっとびっくり
十一月だったっけ
はやくに出かけたユウキが昼前
どっしりした白いきれいなドアとドア枠を
積んで帰ってきて車庫のすみに立てかけて
ああほんとだったんだなって

りり りさいくる りゆーす りら るりる
りゆーす りさいくる りりら る りる
使って汚して使ってぶつけて使ってけずれて
ぬぐってみがいて塗りなおして乾かして
ふっ ふ
小傷はありますが
まだまだ使えます
もらってください
なんなら
粗大ごみ処理券ぶんくらいですけど
お礼もしますって

少額の持参金つきで
もろうてや もろうてや
ノークレーム ノーリターンやて
ふっ ふ
ふふ
考えてみればさ
わたしたちも
どこかに
USEDってスタンプ
ぺたん
はは
チューコ セコハン 
はは
り・わたくし、りり・わたしたち
わたし
わたくし

ぬいでうらがえして
りゔぁーす
りばーす
り・ばーす
う・うむ うまれなおす
ほこりたたいて
ふっ ふ
ふふ
りり 裏 りめん
ひろげてほどいて洗って乾かして
シワのばしてぬいあわす
いちど にど
なんどでも なんど でも
めんどう飲みくだして
ふっ ふ
ふふ
ふるいにかけて
のこるもの
なんか
あるかな
ふるびがついて
あじわいになるか
なんて
わからない
はは
悲哀っていうほどの
うわぐすりも
かかってないほどの

でも
りり りるり
り・ばーす
り・ゔぁーす
はは
りり りらる
りめんににじむ
文字
ひろいあげて
ふっ ふ
ふたり
ものがたりを
読もうよ

 

 

 

柊の白い

 

さとう三千魚

 
 

どこにも行かなかった

今日は
憲法記念日

晴れていた

息を
吸ってた

息を吐いてた

“われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する” *

今日も

どこにも
いかなかった

庭の

柊の
枝の葉の

尖ってた

指に

刺さった

柊は
ひいらぎ

葉に
棘があり

英語で
hollyと綴られる

基督の
棘冠の葉

には

棘が
あり

花は白かった

ひいらぎの

白い

梢の下から

見上げていました

あまい香りがした
あまい香り

した

陽水が
歌っていたな

“夢で逢いましょう”って

歌って
いた


“夢で逢いましょう”
“夢で逢いましょう”

陽水が
歌っていた

 
 

* 日本国憲法前文より引用いたしました

 
 

・・・・・

日本国憲法 前文

日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民と協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。

これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。

われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけて、全力をあげて崇高な理想と目的を達成することを誓う。

 

日本国憲法(1946年11月3日公布)

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/dl-constitution.htm

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

幾郎終活サッポロマイナス一番

 

工藤冬里

 
 

4月26日―5月3日

4月26日
そろそろまた大失敗しそうだ
歓迎する

4月27日
justiceが存在するなら異星人は居ない
居るとしたら人類の緩慢な死刑は存在しなかった。
離れないために出来ること四つ

¡Qué desdichado soy!

微音生
https://youtu.be/oJwVph72dBY

4月28日
食用
人生の目的
いやしむべきパンとしての身体を
代用肉として与えてはならない
与えられるのは隠されているマナ
煮ても焼いても食えない身体
埋めるしかない身体
散骨は太平洋を汚し
自浄の出口なき牢獄をパクリ食パン

4月29日
sonorous vessels
https://youtu.be/lLH2m-gkyLs
https://youtu.be/6p5HJG6vU3k

薄っぺらい愛国心を 剥がすと
仕事は物質の管理だけになった

4月30日
ライブラブい無頼伊良部らV
ソーシャルディスタンス
いいね
人の言葉を覚えた鳥が愛しているよと言って死ぬ
トラッキングをされても学ぶ無料AI英会話

5月1日
発信

’人‘ 土也 風 フlく


ツイートなしで済ませるはずが死んでるんだと仄めかし

AIを使ったcognitive war
具象と芸能と工芸性に対する印象操作
連休旗日ワクチン
認識戦争の場としてのプラットフォーム

ク抜きでスペクタルと言う人は多いが発音はスペクタこー
スペクタクル忌避も認知戦争の具材
覚えずペットの隣人となる
カラスをタコと思う

芸能運動ワクワク
チンチン電車発射往来オーライ
免疫メンデルスゾーン

空0
優生学パルティータ

幻像肢ワクチンパスポートブルガリアヨーグルト

プラットフォーム無頼
焼け跡ステ頃
ソクラテスラかプラ豚か
反動半導体
熊笹嫉妬の水shit

やだよ
#認知戦争

as a counter-intelligence

Magnetic Strings
https://youtu.be/pZGwxsSDYcE

なあ

Twitterみたいだろ?

https://youtu.be/JE3yqbfH3E4

昔は「いけないことをしたような〜裏切りの花が咲いていた〜」とか唄っていたのが居直って

問題系の中で生きられているうちは本物じゃない

5月2日
昨日さ、こんな感じで怖かったよね
なんか始まるんじゃないかって

絵に戻るっつってもさ、5を通して2に行く、みたいなアレがしつようでしょ

Soy carnal
きみは市民生活を営んでいるのではない
家という生態系に君臨しているだけだ

芸能人やスナックのママが好きな言葉 気は心

5月3日
幾郎終活サッポロマイナス一番
https://youtu.be/Mcr_VqqZ0KM

5月3日の詩
タイトル:幾郎終活サッポロマイナス一番

そろそろまた大失敗しそうだ
歓迎する
justiceが存在するなら異星人は居ない
居るとしたら人類の緩慢な死刑は存在しなかった
離れないために出来ること四つ
¡Qué desdichado soy!
微音生
食用
人生の目的
いやしむべきパンとしての身体を
代用肉として与えてはならない
与えられるのは隠されているマナ
煮ても焼いても食えない身体
埋めるしかない身体
散骨は太平洋を汚し
自浄の出口なき牢獄をパクリ食パン
sonorous vessels
薄っぺらい愛国心を 剥がすと
仕事は物質の管理だけになった
ライブラブい無頼伊良部らV
ソーシャル・ディスタンスって慣れたと思ってましたが
さびしいですね
いいね
人の言葉を覚えた鳥が愛しているよと言って死ぬ #dodoits
トラッキングをされても学ぶ無料AI英会話 #Doo-Doettes
発信

’人‘ 土也 風 フlく


玉曜

ツイートなしで済ませるはずが死んでるんだと仄めかし #都都逸
AIを使ったcognitive war
具象と芸能と工芸性に対する印象操作
連休旗日ワクチン
認識戦争の場としてのプラットフォーム
ク抜きでスペクタルと言う人は多いが発音はスペクタこー
スペクタクル忌避も認知戦争の具材
覚えずペットの隣人となる
カラスをタコと思う
芸能運動ワクワク
チンチン電車発射往来オーライ
免疫メンデルスゾーン

空0
優生学パルティータ

幻像肢ワクチンパスポートブルガリアヨーグルト
プラットフォーム無頼
焼け跡ステ頃
ソクラテスラかプラ豚か
反動半導体
熊笹嫉妬の水shit
やだよ #認知戦争
as a counter-intelligence
Magnetic Strings
なあ
Twitterみたいだろ?
昔は「いけないことをしたような〜裏切りの花が咲いていた〜」とか唄っていたのが居直って
問題系の中で生きられているうちは本物じゃない
敵は
昨日さ、こんな感じで怖かったよね
なんか始まるんじゃないかって
絵に戻るっつってもさ、5次元を通して2次元に行く、みたいなアレがしつようでしょ
麦秋フライデー
Soy carnal
きみは市民生活を営んでいるのではない
家という生態系に君臨しているだけだ
芸能人やスナックのママが好きな言葉 気は心
幾郎終活サッポロマイナス一番

 

 

 

#poetry #rock musician

閉じこもってしまいたい でも/閉じこめられてしまえば/出たいと思う

中村登詩集『水剥ぎ』(魯人出版会 1982年)を読む

 

辻 和人

 
 

 

中村登(後年、古川ぼたると改称)の詩は、長い間私の関心の的であり続けている。私が大学に入って間もない頃、渋谷のぱろうるで第1詩集『水剥ぎ』を手に取り、即、購入したのだった。私は高校の時から現代詩に対する関心を抱き始めていたが、読んでいたのは既に実績のある年配の詩人の詩集ばかりで、若い詩人の作品はほとんだ読んだことがなかった。中村登(1951年生まれ)の詩を、私は「現代詩手帖」の広告で知ったのだったが、私(1964年生まれ)にとっては感覚的に共感するところが多く、店頭で立ち読みしてすぐ気に入ったのだった。以来、しばらくの間、枕元に置いて寝る前に必ずどれかの詩を読んでいた。更に、詩集『プラスチックハンガー』(1984年 一風堂)、『笑うカモノハシ』(1987年 さんが出版)を愛読し、彼が参加していた詩誌「ゴジラ」や「季刊パンティ」にも目を通した。まるで中村登のおっかけのようなものである。後に自分が詩作を始めてからも、彼の詩はいつも頭のどこかにひっかかっていた。彼ならどう書くだろう、と考えたりしていたのだ。「季刊パンティ」が終わった後、詩を余り書かなくなっていたが、2012年にさとう三千魚さんを通じてブログ「句楽詩」で詩作を再開したことを知り、嬉しく思った。
私は一度本人にお会いしたことがある。鈴木志郎康さんの講演の場で偶然一緒になった。穏やかな表情の快活な方という印象だった。お話ししたいことがあったが、用事があったので一言挨拶を交わしただけだった。その後、ネット上で少しやりとりをした。いつかゆっくりお話をしたいものだと思っていたが、2013年4月、急死されたと聞いて驚いた。脳出血とのことだった。もう新しい詩が読めないのかと思うと寂しい気持ちでいっぱいだが、残された作品を論じることはできる。

私は中村登の詩のどこがそんなに気に入っていたのか。彼の詩は、身の周りのことを書いた私詩的なものが多く、一般の目を引くドラマチックな題材などは一切扱わなかった。言葉の運びは巧みだったが、華麗な比喩を使うこともなければ抒情美でうっとりさせることもなかった。一見すると、ネクラな、ぱっとしない詩という印象を与えられる。
しかし、二十歳前の若者だった私は夢中になったのだった。読み込んでいくと、はらわたに浸み込むように、その真価がわかってくる。中村登の詩には、彼が生活の中で抱えた問題-金銭の問題とか人間関係の問題とか健康の問題とかいったテーマのはっきりした問題ではなく、もっともやもやした、個人的な問題-を正確に言葉にしようと苦闘する様が刻む込まれているのがわかってくるのである。

まず、冒頭に置かれた表題作「水剥ぎ」を全文引用してみよう。

 

空0水を一枚ずつ剥ぐ。
空0今宵の流れは何処へめぐるか。
空0乳白色に迫ってくる河は、
空0巨大な交尾に浮上する。
空0交尾に狂う河だ。
空0河が固い喉を裂いた。
空0ふるえを飲む。
空0泥を飲む。
空0関東ローム層のスカスカした暮らしの
空0腕がこわばる、
空0樹を飲む。
空0橋を飲む。
空0道路を飲む。
空0家を飲む。
空0自我へ渡る睡眠中枢を断ち、
空0喩に痩せた夢飲まず。
空0大陰唇押し広げ、
空0飲み下す舟の軸先が突き刺さる扁桃腺の浅瀬で、
空0否定項目が苛立ってくる。
空0ちくちくと畜生。
空0蓄膿する眼底に意味を流しては囚われるばかりだ。
空0青大将が鎌首もたげて顔色見てるな。
空0小水程の氾濫とみくびっていやがる。
空0煙立つ深夜の四畳半ギッと握り締め、
空0ずり足で河へ入る。
空0向う脛掬われ溺れそうだ。
空0家族を薙ぎ倒し、
空0記憶が胸元で濡れようと一瞥、
空0だが、明日は何処へちぎれるか解らぬ。
空0詩人奴が新しい喩を使う事件が不在だと嘆いている。
空0事件!
空0「何処にどんな気持ちのいい河があるんだ」

空0水剥ぎ、
空0交尾に狂う河を浮上させ、
空0幻想の瘡蓋剥ぐ。

 

荒れる河を前に昂揚した心情を歌い上げた、緊張感溢れる詩だ。畳みかけるような鋭角的なリズムが、凶暴化していく気分を描いている。「ふるえを飲む。/泥を飲む。」以下の「飲む」のリフレインが特に効いている。河は、様々なものを飲み込んでいくが、「自我へ渡る睡眠中枢を断ち、/喩に痩せた夢飲まず。」とあるので、自意識だけは飲んでくれない。逆に言えば、河が、自意識が裸で突っ立っている状態を作っているということだ。更にその後、「大陰唇押し広げ、/飲み下す舟の軸先が突き刺さる扁桃腺の浅瀬で、/否定項目が苛立ってくる。」とあり、性の営みも出てくるが、それは話者に豊かな官能をもたらすものではなく、むしろ苛立ちを掻き立てる。話者は「蓄膿する眼底に意味を流しては囚われるばかりだ」と物事に意味を求めるのを止め、「煙立つ深夜の四畳半ギッと握り締め、/ずり足で河へ入る。」と、たった一人で、荒れる自然の営みの中に入っていく。自分を支えてくれるはずの家族も「薙ぎ倒し」、過去も捨てる。自己表現の手段である詩でさえも、「詩人奴が新しい喩を使う事件が不在だと嘆いている。」と揶揄する。そして、「事件!/「何処にどんな気持ちのいい河があるんだ」と吠えるのである。
制度化されたものを一切拒否したい。が、事はそう簡単ではない。途中で「青大将が鎌首もたげて顔色見てるな。/小水程の氾濫とみくびっていやがる。」の2行がある。吠えながら、自分を縛ってくるものから逃れることはできない、と、心の底でわかっている。自由を希求するヒロイズムではなく、それが不可能なことの憂鬱が語られた作品なのだ。

鈴木志郎康はこの詩集の跋文の中で「詩集の頁をめくって行くうちに、ひとつの歩調を持って、水から離れて乾いて行くという経路を辿っているのである。『渇水』して乾いて行くのであるから、息苦しくなってしまうのだ」と述べている。では、序詩と言える表題作の後、どう「渇水」していくかを見てみよう。

詩集の始めの方は釣りのことを書いた詩が多い。中村登は子供の頃から河で釣りを楽しんでいたようだ。「切りつめズボン少年の夏は河口へ」は、少年時の作者と思われる人物が自転車を河口へ走らせるが、河口は赤潮に満ちていてお目当てのハゼは釣れず、また自転車に乗って引き返すという詩である。

 

空0飛白肩手ぬぐい貼り当て軒先に立つのを
空0ひしゃく振り祖父が
空0水打散らす
空0ボクら弟前に押し
空0コジキコジキ囃子
空0イッチャンニット黄歯頬かぶり笑い
空0コウチキローサンのバケツブリキに
空0味噌ムスビころげころげ
空0“稲が燃えるぞ アッハッハー
空白梨が燃えるぞ アッハッハー“

 

少年時代の作者は近所の人たちと親しくつきあっていたことがうかがえる。釣りはそれをすること自体楽しいが、社交の場としても機能していたようだ。同年代のイッチャン、大人のコウチキローサン、祖父も近所に住んでいる。そしてみんな一緒に釣りを楽しんでいた。中村登が少年時代を過ごした1960年代の埼玉の農村では、関係の密な地域共同体が生きていたのだろう。ゲームセンターもなく映画館もない、そんな中で、釣りは地域のみんなを結びつける貴重な娯楽だったのではないかと思われる。
釣りは潤いのある共同体を映し出す鏡のような存在だったが、中村登が成人する頃には様子が変わってくる

 

空0あぎとに突然
空0一条の水が突き刺さった
空0喉を引かれるままに
空0膜を破り見た
空0俺のような死体が
空0草のなかで
空0乾いた鱗が反りかえっていた
空白空白空白空白「魚族」より

 

空0青草を敷いて
空0闇に竿先を見つめる
空0失職の夜は
空0針ほどの目に暗くて
空0頼りたかった
空0河を渡る電車の窓光
空0旋回する飛行機の尾灯や建物の明りが
空0赤い腫れもののように
空0浮きあがる
空白空白空白空白「夜釣りの唄」より

 

釣りはみんなでわいわい楽しむものから一人でするものに変わっている。ここでの釣りは、「乾いた」自分を見つめる、孤独との対峙の場である。埼玉の農村も郊外の波が押し寄せてきたのだろうか。

 

空0逃げてゆく
空0逃げてゆこうとする魚が私を
空0引っ張る
空0たまらず竿を立てる
空0一日中釣りのことで毎日を過ごしたい
空白空白空白空白「釣魚迷(つりきちがい)」より

 

ここでの作者は、「切りつめズボン少年」だった頃とは全くの別人になっている。周囲との関係を絶って、逃げてゆくものをひとすら追いかける、という行為の中に自分を閉ざしているのである。

作者は結婚し、家族を持つが、そこでも安らぐことはできない。

 

空0娘が陽を溜めた
空0赤茶が
空0トウモロコシは泡の中
空0からんでる
空0私だけが浮き上がる
空0ドラム缶に転げる
空0200㎏に軋んだ
空0工場の爪は
空0髪にすすがれ
空0鮮やかになる隙間で
空0浴場
空0と限り掴む
空白空白空白空白「湯上りに娘の耳を」より

 

作者は風呂からあがって幼い娘に優しく向き合うが、工場での無機的な労働の記憶が消えず、自分が周囲から浮き上がっているように感じてしまう。

 

空0ムカデが妻を誘っていた
空0子供らが傍で関節を折っていた
空0男の子の手にハシが突き刺さっていた
空0女の子の胸にキキがララと笑っていた
空0妻は息を殺して這っていた
空0全足が喚起する苦しげな腹でムカデは
空0妻を包み込むように身をよじった
空白空白空白空白「妻の病」より

 

家の中にムカデが這い出て緊張が走る光景と妻との性行為がダブルイメージで描かれている。駆除すべき虫が、夫である自分に成り代わって、妻と交合する。最も親密なエロスの場からも爪はじきされた気分なのだ。或いは、夫であり父である自分が、家族によって駆除される存在のように感じられてしまうのか。

この状況は、テレビがまだ普及しきれていない時代のことを書いた「夜の荷台」という詩と好対照をなす。「(町の最初のテレビが八時になろうとしていた。昼のうち道路の砂利を新しくしていた父が慌てて夕飯を喰う)」という前ふりで始まるこの詩は、

 

空0頭の上にうなっている
空0時間ではなくいつも蠅が(トオサン百姓)
空0季節が首を吊ったまま(ボク子供のノブ)
空0目の裏に鮮やかな
空0呼び戻す胃で
空0上等兵が杓文字で殴る
空白空白(頬につくわずかな飯粒がうれしかっ
空白空白空0たってトウサンが言うのを聞いたし、菊と宝刀
空白空白空0があるとも、その腰)

 

父と子が一体となって町に一台しかないテレビにかぶりついている様子が描かれている。父は農作業の傍らに土木工事に従事し、家族を養っていたようだ。父は戦争の記憶が鮮烈であり、その記憶は戦争を舞台としたドラマを通じて子に継がれている。釣りと同じくテレビも皆で楽しむものだった。親子の間で記憶の断絶はない。
しかし、農業で食べられていた時代はどうやら父の代までで、作者が成人する頃には農業が衰退してしまったのだろう、作者は工場で働く他なくなる。

 

空0赤い顔料が渦巻く
空0言葉を熱く頭にめぐらす粒子が
空0こすれて発熱する
空0熱を溜める体に
空0顔料が流動する工場は
空0言葉が言葉をもっている言葉は連れて行く
空白空白空白空白「熱い継ぎ目」より

 

単調な作業の繰り返しの中で、人との接触を絶たれて行き場を失った言葉が、独り言のように頭の中で生まれては消えていく。労働疎外とは、こうした感覚が麻痺した状態を指すのであろう。

次に全文引用する「防爆構造」は、本詩集で最も完成度の高い作品と思われるが、当時の作者の切迫した心情を描いている。

 

空0工場の朝へ
空0足が溜る
空0吹き出す
空0口を
空0防爆に
空0モーターの
空0螺子込み垂れ籠み
空0きっちりと
空0火花を摘んである
空0時折り 爪が
空0蓋に咬まれつぶれる
空0死血が溜る
空0排卵の月は筋めく股
空0妻かって?
空0餅切り
空0くっつかないように
空0片栗粉まぶし
空0餡子も熱いうち金時と
空0塞いでしまう
空0伝説の四天王では詰まらない
空0容器をまちがえたか
空0詰め物がちがうか
空0凝ってくる
空0影に引かれて
空0蝙蝠
空0こんもり夜が
空0帰ってきた玄関で腰に
空0警棒が
空0たかっている
空0腐りものを探しているのだ
空0発酵寸前の
空0いい匂いがするのだ
空0チューブ巻きあげ
空0ハンバーグがにょっきり出たりするので
空0肛門開きのぞき込む
空0台帳のナカムラさんですか
空0と丁寧に念入りな箪笥抽斗押入鴨居
空0やがて
空0性交の数まで根堀り葉堀り長さ太さに穴の深さを
空0手帳する
空0それではアレもあるだろう
空0もちろんアレもあります
空0まだぬくといアレだぞ
空0ハイハイそうです
空0ぶっくりふくれる
空0子宮です

 

ねじめ正一はこの詩に対し、「防爆構造とは、一つ間違えば爆発する構造に他ならない。いや、もっと言えば爆発が不可避だからこそ防爆構造なのである」と述べている。まさにその通りだろう。勤務先で監視されながらふらふらになるまで酷使され疲弊した作者は、家に帰っても「監視されている」という感覚が消えない。夫婦の営みとその結果としての妻の妊娠は、普通なら潤いに満ちた愛を示すが、そうした最も親密な行為さえも「監視されている」という感覚を伴ってしまう。性行為は体を重ねて求めあう濃密な行為だが、唐突に出てくる「ハンバーグ」という言葉は、そこから愛する者同士のコミュニケーションという本質的な要素を抜き去って、行為の物理的な生々しさだけを強調する。「警棒」が家庭内に侵入し、行為から意味を除去し、即物的に記録していくのだ。その不快さに対し、我慢に我慢を重ねている、それが「防爆構造」なのである。
「防爆構造」を抱え込んだ意識は

 

空0私は思うこともなく煙草に火をつけていると
空0扉の把手の金属の内側に
空0閉じこもってしまいたい でも
空0閉じこめられてしまえば
空0出たいと思う
空白空白空白空白「便所に夕陽が射す」より

 

のように、自分が何をしたいのかわからない、ふらふらした「モノ」のような様態となる。このふらふらと行先の定まらない意識は、様々な奇怪な幻想を紡ぎ出すようになる。

 

空0あぶな坂の夕陽の辺りに
空0乳首が上下している
空0髪をすきにくるあなたは
空0南風に
空0ケガをしたのですか?カアサン
空0妻の股から今し方あなたの
空0首が降りて来ました
空0その首を吊り下げて
空0坂の中腹にさしかかると
空0飛んで刺しにくる 初めは
空0アルコールでスッと拭きました
 空白空白空白空白「私の声が聞こえますか」より

 

空0壁を剥ぐ
空0妻の股には傷口が深くえぐられ赤い内面に
空0血液がしたたる
空0倒れた妻を抱き血液をなめいとおしむ脳の
空0空地に土砂降りの雨が溢れ
空0沼をかきむしるその手に
空0缶カラッ、看板、破けた
空白空白空白空白「夜の空地」より

詩集の後半では、性的なモチーフから、非現実的で不気味なイメージを引き出す局面がたびたび出てくる。妻は魔女のように極端にモノ化されて表現される。こうした対象のモノ化は、生活に疲れ切って荒んだ作者自身の意識の表出であろう。

 

空0妻と子供らが帰ってこない
空0熱い夜は窓を開けて寝る
空0風のなかではぴらぴらと少しも
空0位置がはっきりしないそれが
空0家庭の本質、とつい絵の中のコウモリが
空0監獄の天窓めがけて飛び立つ夢を描く
空0夢が描けない俺は
空0未決の留置場で朝ごとにバスが来る
空0なんでも吐いてしまいな
空0と言われても
空0ただの酔っぱらいの俺に何が吐ける?
空白空白空白空白「風に眠る」より

 

妻が子供を連れて実家に帰ったのだろう。もしかしたら夫婦の間で何か揉め事があったのかもしれない。作者は深酒し、家庭というものについて改めて考えるが、答えを出せないまま吐き気に苦しむ。架けてある絵にはコウモリが描かれており、それは空想の中で、こともあろうに「監獄の天窓」に向かって飛ぶ。しかも作者は監獄に入るという、どん底ではあるが決然とした運命には行き着かず、「留置場」という中途半端な場所で生殺しに近い状態に置かれる。吐きたくても吐けない、という状況設定に作者の心境が窺える。

 

空0妻と行く先々の話を
空0今から話した
空0子供は六歳の雪江と三歳の秋則で私は妻より
空0二年遅れて死ぬ
空0死ぬ日から数えて
空0今はいつなのか
空白空白空白空白「大嵐のあった晩」より

 
 
この詩を書いた時中村登は30歳になっていないのだ。まだ若い作者がこんなことを思いつくのは、未来に希望を見い出せないからではないか。かけがえのない生きる時間というものも、一種の「モノ」として捉えている。土から引き剥がされ水から引き剥がされ、それでも一家の大黒柱として、家族を養うために過酷な労働に従事することをやめられない。その苦い認識が作者を人生の行き止まり地点に連れていくのだろう。

 

空0粗方の荷物は昼のうちになかに運び込んだ
空0傷つくのを気づかってくれた
空0大きなものは重い重いと言いながらも
空0置き場が見えていた
空0タンスとか冷蔵庫とか父とか母とかは
空0弟や義兄が手伝って家に帰った後夜になった
空白空白空白空白「引っ越した後で」より

 

「タンス」「冷蔵庫」と、「父」「母」が、「モノ」として同じ比重で扱われている。「切りつめズボン少年の夏は河口へ」で描かれた暖かな人間関係と何と異なることか。作者は、家族を、淡々とした筆致でもって、とことん突き放して描いている。心を故意に、虚ろで鈍感な状態にしているように見える。
その虚ろな心的状態は「漏水」という詩で端的に描かれる。

 

空0目が割れている 何処の
空0家庭の蛇口も深夜には
空0閉じられる
空0水圧があがる 見えないが
空0内部が磨滅しているのだろう 隙間から
空0水がもれている

空0私に隠して
空0感情の接点をむすんでいる
空0妻の背中で
空0漏れた水が流れ込む その底に
空0闇水が眠っている

 

「防爆構造」の緩みを、蛇口から水が漏れる場面に即し、外側から内側から、精密に描出していく。目に見えないところで、摩耗し、漏れていくものがある。それは確かに感じられる。しかし、何が摩耗し何が漏れるのか、作者自身にもはっきりと説明することができない。はっきり説明できないもどかしさと不安を、詩の言葉でなら克明に表現できる。中村登を詩に向かわしめる動機は、ここにある。

社会的な面で、中村登の詩を巡るポイントは二つあると思う。一つは都市化・郊外化の流れで、住民の関係が密な村落共同体が壊れていき、個人がバラバラな状態に向かっていったということ。釣りは、みんなでわいわい楽しむのが常であったが、それが孤独を見つめる行為と変化した。テレビも同様である。少年時代が幸福であっただけに、その変化はひとしお不自然なものに感じられたであろう。郊外化を推し進めたのは、高度成長の副作用と言える農業の衰退であり、若者は土を離れて工業に従事せざるを得ない状態となった。働く者の判断で仕事を進めることのできた農業と違い、工場では労働を徹底的に管理され、人間性を剥ぎ取られたような扱いを受ける。労働に対する疎外の感覚が生まれるということだ。
もう一つはジェンダーの問題である。中村登は20代で結婚し、父親となった。保守的な地域において、男性が家庭を持つということは、家の長として家族を養う責務を追うということになる。性的役割分担制は、しばしば女性の自由と権利を侵害するが、男性の場合でもそうである。どんなに辛くとも対面を保つために金を稼ぎ続けなければならない。都市化のために、自分の裁量で事を進められる自営的な仕事が立ち行かなくなり、資本によって雇用され稼ぐしかなくなった時、人間性を侵す残酷な扱いを甘受しなければならない。しかも、形の上で女性を支配する側として立つ男性の場合、その辛さを口に出すことは世間的に許されないのである。男性の過労死・自殺が多いのはそうした理由によることが多い。
その点で言えば、中村登の詩は、「女性詩」として括られていた同時代の詩との親和性が高いように思うのである。

 

空0あんたがもってきた時計のおかげであたしは
空0キャベツの千切りの速度が決められた
空0その気づくはずがなかった慣習という
空0単純な不幸のために
空0あたしはあんた好みに重くなっていく
空0寝ているあたしを隅においやり
空0家具と並べてながめ
空0なじめていない丸い部分を削りとる
空白空白空白空白白石公子「家庭」より

 

空0穴であると感じた
空0私は、自分を穴でしかないと感じた
空0そういうふうに私が抱く特権が
空0今のあなたには与えられているということか
空0ただし、穴には感情がない
空0私はどうでもよくなった
空白空白空白空白榊原淳子「飼い殺し2」より

 

この二人の詩人は、女性として受けた抑圧を、赤裸々にうたいあげている。心の抑鬱を、自らの性や身体の在り方に即して、読者に直接語りかけていくのだ。その語りの激しさに心を打たれないではいられない。常に個人の身体感覚を基点に言葉を繰り出す点において、中村登の詩は二人の女性の詩人の詩と酷似している。「女性詩」とは、女性が書いた詩のことなどではなく、女性の書き手が多いことはあったにしても、固有の性と身体から出発し常にそこを基調とする詩を指すのではないだろうか。であれば、中村登の詩も「女性詩」の範疇に入るように思うのである。
但し、白石公子、榊原淳子という二人の詩人がどちらも、被抑圧者として抑圧者を「告発する」という姿勢を露わにしているのに対し、中村登の方は姿勢がすっきりせず、もごもご内向している感じである。この「もごもご感」は、家父長として「抑圧する側」に立たされているために、「告発」という形を取れないために表れる。男性のジェンダーを語ることの困難がここにある。そして中村登は、このすっきりしないもごもごした様態を、詩の言葉でもってできる限り正確に伝えようと、苦闘していると言える。

「閉じこもってしまいたい でも/閉じこめられてしまえば/出たいと思う」という詩句には中村登の詩の特質が凝縮して表れている。こういう苦しさがあるのでこうしたい、と事態を打開する道を模索するのでなく、打開の道などないと諦観した上で、閉じこもったり出たり、ふらふらしている。その逡巡ぶりは一人の男性が生きて苦しんでいる時間の伸縮そのものであり、詩を読み始めたばかりの私はそこに惹かれて夢中になったのだった。

 

 

 

洗濯

 

塔島ひろみ

 
 

全自動洗濯機が洗濯をしている
音を立てて、乱暴にまわり、
これでもか、これでもか、これでもか、
汚れた白衣を、
黒ずんだ泡のなかに引きずり込み、
ひねりあげ、振りまわし、殴打するのを、
男は見ていた
分厚い手を腰にあて、ランニング姿でまっすぐ立ち、
ぎょろついた目で、白衣から、卵液、油、汗垢、髪の毛、羽虫(死骸)、大腸菌、その他さまざまなゴミ類が暴力的に引き剥がされるさまを、じっと見ていた
上の方に浮いてきた「汚れ」が男と顔を合わせきまり悪そうにニヤニヤし、また渦の中に見えなくなる
突然回転がとまり、ごぼごぼと水が落ちだした
洗濯機はピーと先生のように笛を吹き、蓋を閉じるように要求する 男は静かに蓋を閉じる 
洗濯槽が見えなくなると勢いよく何かが始まった
つぶれたそば屋の白衣がこの洗濯槽の中にいる
ゴーと地鳴りのような音が聞こえ、洗濯機がゴトゴト痙攣する
用無しとなったそば屋の白衣がこの中にいる
男は揺れ続ける洗濯機の蓋をじっと見ていた

4階建アパートの2階に男はいた
店賃が払いきれなくなり 3日前男は商店街の端っこにあるそば屋を閉じた
白衣を毎日この洗濯機で洗っていた
風呂に入っている間にすませたから
白衣を洗っていたのは男ではなく、洗濯機で
男は、しみだらけの白衣が強烈な臭いのする泡のなかでさんざんいたぶられ小突きまわされたあげく再生するさまを
今、初めて見ている
4階建アパートの2階で見ている
外階段から2階にあがると廊下があり、ずうっと奥まで見通せる
廊下に沿って8個ほどドアが並ぶ、そのドアのひとつの内側で
口をまっすぐに結んだまま、洗濯機の蓋を見つめるその男の姿は
廊下から見えない
その見えない男が3日前まで着ていた白衣が
洗濯機の蓋の下の男からも見えない暗い地下牢のような場所で
ぐるぐると回転にかけられていた
最後の回転にかけられていた
外では雨が降っていた
傘を差した人がとぼとぼと駅方向に歩いている
たった今横長の古ぼけたアパートの横を通り過ぎたことも気に留めないで 歩いている

アパートの上の階にはベランダがあり、部屋ごとに似た竿が吊るされ似た室外機が置かれていた
雨が上がったら、その南に向いた窓のひとつが開き
洗いあがったそば屋の白衣が
長年活躍した白衣が
もう誰も着ることのない白衣が
ごつごつとした分厚い手で丁寧に陽に干されるだろう
太陽がそれを見るだろう

 

(4月某日、亀有5丁目で)

 

 

 

「夢は第二の人生である」或いは「夢は五臓六腑の疲れである」第90回

 

佐々木 眞

 
 

 

西暦2020年如月蝶人酔生夢死幾百夜

 

私が提出した何度目かの業務改革の提案は、私がいくらVサインを出しても、その都度上層部によって闇に葬られ、永久に日の目を見そうになかった。2/1

船の什器がまだ揃っていないので、私はまだ出発進行の合図を出せないでいる。2//2

理想の子供服とは何か? 私はこの難問を、半世紀以上も追及するうちに、どんどん歳をとって、よぼよぼの老人になってしまった。2/3

某有名評論家が、映画の内部に忍び入っては、登場人物を吹き矢で殺すので、映画探偵の私は、五社から頼まれて消された人物の息を吹き返すのが、主要な仕事になってしまった。2/4

東レのテキスタイル情報を、ワールドの社長が盗んだのではないか、という疑いが生じたので、彼は、急遽海外へ斗横暴したのだが、国内できちんと弁明した方が、良かったのではないか。2/5

マーラーの交響曲を演奏する時には、反逆点で反逆音を響かせることが大事だ、と何度も教えたのに、小澤征爾はとうとう理解できないようだった。2/6

いくら悪戦苦闘しても、この人世が我が身にそぐわないので、私は早く来世へ移動してから活躍しよう、と思うようになった。2/7

私が身に纏っている衣服が、次々に映像化されたが、それらが、余りにもチープだったので、恥ずかしいやら哀しいやらで、思わず涙がちょちょ切れてしまったよ。2/8

不倫に関する電話のアンケートが、一日に何回もかかって来るのは何故だろう。「不倫ではなく浮気に関するアンケートなら答えてやる」というたら、「しばらくお待ちください。上司と相談してから、また連絡します」というたきり、音沙汰がない。2/9

久しぶりに京に住むことになり、さてどこにしようか。と探していたら、中京に格好のしもうたやがある、というので、そこに決めました。2/10

気が付くと、私は出世が遅れ、かつては自分の部下だった年下の男の下についているのであったが、幸い墓地の管理以外は、さしたる仕事もないので、毎日墓碑銘を刻んでいた。2/11

ある日思い立って、石屋の石長からもらった大理石に、私の来歴を斧で刻んでおいたら、森鴎外に似た掃苔者がじっと眺めていた。2/12

私は、かくて全員が死者であるところの村に着いて、直ちにモンミ事件の捜査を開始したが、なにせ住民が死者ばかりなので、さっぱり有力な証言を得られなかった。2/13

隕石直撃が忍び寄る地球最後の日に備えて、わいらあは、全世界人民の安全安心の整然たる火星脱出計画を樹立したが、結局は、各国各民族の競争と対立が災いして時を失い、地球はあっさり滅びた。2/14

ボクは、陽気なフルート吹き。南仏の地中海沿岸の避暑地を訪ねて、演奏して回るのが日課なんだ。2/15

「人類とコロナウイルスの戦いでは、当面は人類の負け戦が続くでしょう」と、神様がのたもうた。2/16

私は自分が出演している映画が上映されている、全国の映画館をすべて見て回ったが、どこもガラガラだったので、いたく傷つき、もう引退しようと思ったが、そうすればどうやって生き延びるか、何のあてもないのだった。2/17

「私は、その問題には、真正面から取り組んではいませんでした、」と告白すると、「その他の問題にもでしょ」と、誰かが揶揄したので、思わず赤面したのよ。2/18

大変難しいゲシュタルト問題が、やっぱり大量に出題されたので、私はまたしても第1志望の学校に入れなかった。2/19

オタマ入りの味噌汁を飲んだ社員は、他社の広告を入れるべきところに、自社広告を入れてしまったので、社長にえらく怒られてしまった。2/20

どおゆう風の吹き回しか、迷いこんだ場所が裁判所の法廷で、若い女が被告である。傍聴席にいる私は、彼女は無罪であると思いこみ、なんとかしてやろうと方策を考えるのだが、案を考え付くたびに地震が起こり、それがだんだん酷くなって来る。2/21

分限者の大酋長に、何から何までお世話になっている超貧乏人の私が、とうとう一穫千金の宝くじに当たったのだが、何パーセントのお礼をしたらいいのか、大いに悩んでいるところだ。2/22

ノノヘイのことを、今までアホかと思っていたが、よく考えてみれば、けっしてそんなことはない。清く正しくぐあんばっている青年だ。私は、そのことを彼に早く伝えて、頭を下げて謝ろうと思った。2/23

久しぶりに気分が高まったので、「弦楽四重奏のための緩徐楽章」というタイトルの詩を書いていたのだが、その題名の意味にとらわれすぎたので、最悪の結果、すなわち詩の放棄に終ってしまった。2/24

小中学の教科書のどこを探しても、「日本がほぼ世界中を相手に戦争をした」などと書かれていないので、驚いて先生に聞くと、「そんなこたあ、どうでもいいじゃん」と答えるのだった。2/25

佐々木家は「隅立て四つ目」の家紋なり。どうじゃ恐れ入ったか、と誰かがえらそうに言うので、「そんなこたあ、どうでもええやん」と答えた。2/26

イケダノブオが「ササキさん、なんかいいアイデアないすか?」と尋ねるので、「さあねえ、海のものとも、山のものとも、つかないなあ」と答えたら、「じゃあまず、その、海のものから聞かせてくださいよ」と迫るので、困ってしまった。2/27

いままさに物凄く興味深い夢を見ていると思うのだが、夢とおらっちとの間に、半熟の卵の表層の幕のようなものがあって、映画館の裏口で耳を澄ましている少年、のような映画の理解しかできない。2/28

 
 

2020年弥生蝶人酔生夢死幾百夜

 

いつのまにか、富士山が超スリムになってしまった。おらっちは、8合目辺りにベランダを作り、それをハンモック替わりにして、昼寝しているところだ。3/1

最前線に「重機」に代わって「商業」が出てからは、戦闘はやや下火になってきたので、敵味方ともに喜んだ。3/2

僕は、いわゆる機会主義者の一人に、一目でも会いたい、と切望しているのだが、そののぞみは、まだ叶えられそうにない。3/3

ケイサツゴッコをしながら、テレフォンごっごで遊んでいるうちに、季節は、ぐるぐると廻っていった。でも人は…… 3/4

ミクロ妃が、「この世では生きづらい」とさんざん泣きごとをいうのを、黙って30分間聴いていたので、疲労困憊してしまったずら。3/5

北陸地方を歩きながら、めぼしい芸能文化を記録しているが、やはり生活歌にまさる資料はなさそうだ。3/6

久しぶりに地下鉄に乗って銀座に出たら、旧知の映画会社の人から、試写会に誘われた。それが10時半から始まって、終るのが8時半だといので、大いに迷っているわたし。3/7

銀座通りを歩きながら、昔むかしのその昔、この松屋や松坂屋の前の小川にも、たくさんのウナギが泳いでいたことを、私は懐かしく思い出していた。3/8

旧知の人々から、大量の遺言状を手渡されたが、はてさて、これらをどうしたものか、と私は思いまどうばかりだった。3/9

私がしばらくのあいだ人間だった頃、四季は温暖に巡り、人々は私に優しかった。3/10

この睡眠から下手に覚めると、現実世界がもはや存在していないかもしれないので、わざと二度寝、三度寝して、様子をうかがっているのよ。3/11

完全な負け戦ではあったが、退役した老将軍の指揮ぶりは、いかにも老練そのものに洗練されており、一言にして尽くせば、見事であった。312

駅構内の、それぞれの地点での、人の流れを研究していると、いろいろな改善点が、おのずと浮かび上がってくるのであった。3/13

城壁の修理を頼まれた私ら土木業者は、複数の石を、美しく交叉させたり、エレメントの交響化に配慮しつつ、従来の布石を再編成させながら、より強靭な砦の完成に力を尽くした。3/14

3種類の日本文学全集を、あれこれつまみ食い式に読みあさっているうちに、どれをどこまで読んだのか、分からなくなってしまったずら。3/15

テレビを観終わってから、家を出て満員電車に乗ったのだが、なぜかリモコンを持って出たので、どこに置くか大いに迷っているところ。3/15

今まで暇だったのに、急に仕事が忙しくなって来たので、部下のサカイ君に3つほど応援を頼んだが、いつまで経っても返事がないので、どうしたのかと思ってデスクを訪ねると、もうだいぶ前に亡くなっていたのを、私が忘れていたことが分かった。3/16

余身が武そうに人のえつ会のような淑経になり裸の部分がなかった。3/17

その病院では、看護師が医者から莫迦にされているので、その腹いせに患者を莫迦にしているので、そのつけが病院全体に及んで、コロナ禍のさなかに倒産してしまった。3/18

誰もが、己の物語を動画を交えて、ものがたるのであるが、その男は、昔ながらの紙芝居方式でものがたるので、かえって新鮮かつ好評だったのよ。3/19

私は鉄人28号に変身したつもりで、秘密の抜け道を、全部ふさぎながら、グングン進んでいった。3/20

紳士衣料店の倉庫を襲撃した夜盗の群れは、それらの盗品を、やはり盗んだキッチンカーに乗せて、全国で売りさばいたのである。3/21

実際に歌手がやって来て歌うと、それをすぐにCDに焼いて、出口で即売することで音楽業界はひといきつけたのよ。3/22

私は、ある日自分が戦後間違った生き方をしていたことが、はじめて分かったので、その翌日から、そんな自分を弾劾する大行脚に出発したのだった。3/23

10年間、毎日何の仕事もせず、駄眠を貪り、美食と美女を求めるだけの生活に飽きただけではなく、途轍もない恐怖を覚えたので、私は万事を放擲して深山に籠った。3/23

ハシモト画伯は、その奴隷の叛乱の話を、絵にしようかどうしようか、とかなり長い間迷っていたが、ようやく一歩進んで太い鉛筆を手に取った。3/24

僕らは、夜になると飯を食いに行く代わりに、或る種のコーフン剤を飲んで仕事に励んだが、それは最終的には、精神の統一と仕事への集中を妨げる結果に終わった。3/25

「この折れた歯の右はなんとか使えそうですから、左半分を麻酔をして切り取ってしまいましょう」と、岸本医師はいと軽くのたもうのであった。3/26

その経理担当者は、私に向かって「早くここから出て行け」と偉そうに言うたのだが、何十年も経った後で、彼は竜宮で事故死していたことが分かった。3/27

故郷あやべの西本町から、裏西町のうらぶれた民家を少し行きすぎると、薔薇の生垣で囲まれた私の家の庭があり、そこには四季折々の野菜を植えた畑や、おいしいグミやユスラウメ、イチジク、カキ、ナツメなどが生る何本かの樹木もあった。3/28

1億の民が、毎日せっせせっせとマスクを棄てるので、その道は「白いコロナの道」と呼ばれるようになった。3/29

この街には、明治の文豪が住んでいたというので、屋敷などは取り壊されて跡形もないにもかかわらず、彼の足跡を尋ねる人々で、いつも大賑わいだった。3/30

1人の電気工は、鎌倉関東日本電工、もう1人の電気工は、日本アジア世界電工の社員と名乗ったので、私らは前者を採用した。3/31