いつか私が人間だった頃

 

佐々木 眞

 
 

いつか私が鳥だった頃、私は瑠璃色の翼で覆われたルリビタキだったが、
赤いモミジの葉っぱをついばんでいる間に、飢えた台湾リスに食べられてしまった。

いつか私が魚だった頃、私はウナサブロウという名の天然ウナギだった。
ある日滑川の巣で昼寝をしているところを、川遊びをする子供たちの網に飛び込んだために、校長先生のまな板でかば焼きにされてしまった。

いつか私が植物だった頃、私は鎌倉市の市花で崖に咲く絶滅寸前のリンドウだったが、近所のタカギさんの電動芝刈り機で、あっという間に他の草花と一緒にチョン切られてしまった。

いつか私が動物だった頃、私はメリー洋装店のジョンという名の犬だったが、綾部保健所の凶暴な犬捕りに捕まって、ワンという暇も与えられず、締め殺されてしまった。

いつか私が人間だった頃、四季は温暖に巡り、花々は愁わしく香り、人々は私に優しかった。

ところがある日私は、脇道から突然出現した自動車に撥ねられて空高く跳び上がり、くるりと一回転して、地べたに叩きつけられた。

救急車で病院に担ぎ込まれ、九死に一生を得た私だったが、月命日の母が天上から手を差し伸べてくれたのだった。

それから私は、タンポポの好きな美少女に恋して、2人の愛らしい子供に恵まれ、蓮の葉っぱの上の小さなおうちに住んで、いついつまでも仲良く暮らしたことでした………

 

 

 

ジョルジュ・エネスク

 

南 椌椌

 
 


© kuukuu

 

J.S.バッハが野を踏んで後ずさりする
後ずさりしながら、差し出される手
その手で柔らかく放たれる音楽
ルーマニアのヴァイオリニスト
ジョルジュ・エネスクの弾くバッハ
その音はルーマニアの土や水をこねて
小さな器や土偶をつくり続けた陶工の手
サクサクとザラついていて大きい
陶器の瓷で白インゲンを煮る老婆
古い木の門や墓に添えられた土偶
ユーラシアの歴史を往還する風が
アンモナイトの渦巻きを独楽のように回す

J.S.バッハ作曲ヴァイオリンのための
無伴奏ソナタとパルティータ
その曲が鳴り出したとたん
胸襟が謎めいて内側に泡立ち、ひらく
J.S.バッハが野を踏んで後ずさりする
後ずさりしながら差し出される手
どこにもいなかったバッハがいる
白いカールのカツラをとったバッハ
恰幅のいいどこかのラマ僧だっていい
時空を超えたバッハが闊歩している
聖トーマス教会から怒りのメールが来る

クラシックに限らず音楽は手放せないが
いまはエネスクのヴァイオリンに拍手する
そこには他郷の老いた人々のしわぶきと
気管を通る掠れてちょっと淋しい呼吸がある

ジョルジュ・エネスクは1881年8月19日
ルーマニアの北東部リヴィニ村に生まれた
モルドヴァ、ウクライナに接するボドシャニ県
シトレ川とプルト川に挟まれた高原
わずかにロマも住んでいるという
辺境の小さな村に生まれエネスク少年
7歳でウイーンの音楽院に学んだほどだから
土器つくりのザラついた手とは無縁だろう

音楽というのは不思議なものだ 
演奏によって見える風景というものが確かにある
ひろがる麦畑、舞う柳絮、群れを追う孤鳥
ざわざわと森が広がり音楽が湧き立ち
ロマが煙を立てる、素足で子供らが舞う
憧れもしたトランシルヴァニアの風景だ

今日届いたアムネスティのニューズレター
ルーマニアでもコロナの流行で
ロマの人々へのヘイトクライムが増えている
このザラついた空気は忍び足のように
胸の奥の厄介な悪意をあぶり出す
この世紀をまたぐ悪意を反転させるには
いつものように歌うしかない
目を深層水で洗い、喉を火の酒ツィカで洗い
脳にこびりつく灰汁(アク)を風の手で洗い
ジョルジュ・エネスクをエンドレスにして