「夢は第二の人生である」或いは「夢は五臓六腑の疲れである」第90回

 

佐々木 眞

 
 

 

西暦2020年如月蝶人酔生夢死幾百夜

 

私が提出した何度目かの業務改革の提案は、私がいくらVサインを出しても、その都度上層部によって闇に葬られ、永久に日の目を見そうになかった。2/1

船の什器がまだ揃っていないので、私はまだ出発進行の合図を出せないでいる。2//2

理想の子供服とは何か? 私はこの難問を、半世紀以上も追及するうちに、どんどん歳をとって、よぼよぼの老人になってしまった。2/3

某有名評論家が、映画の内部に忍び入っては、登場人物を吹き矢で殺すので、映画探偵の私は、五社から頼まれて消された人物の息を吹き返すのが、主要な仕事になってしまった。2/4

東レのテキスタイル情報を、ワールドの社長が盗んだのではないか、という疑いが生じたので、彼は、急遽海外へ斗横暴したのだが、国内できちんと弁明した方が、良かったのではないか。2/5

マーラーの交響曲を演奏する時には、反逆点で反逆音を響かせることが大事だ、と何度も教えたのに、小澤征爾はとうとう理解できないようだった。2/6

いくら悪戦苦闘しても、この人世が我が身にそぐわないので、私は早く来世へ移動してから活躍しよう、と思うようになった。2/7

私が身に纏っている衣服が、次々に映像化されたが、それらが、余りにもチープだったので、恥ずかしいやら哀しいやらで、思わず涙がちょちょ切れてしまったよ。2/8

不倫に関する電話のアンケートが、一日に何回もかかって来るのは何故だろう。「不倫ではなく浮気に関するアンケートなら答えてやる」というたら、「しばらくお待ちください。上司と相談してから、また連絡します」というたきり、音沙汰がない。2/9

久しぶりに京に住むことになり、さてどこにしようか。と探していたら、中京に格好のしもうたやがある、というので、そこに決めました。2/10

気が付くと、私は出世が遅れ、かつては自分の部下だった年下の男の下についているのであったが、幸い墓地の管理以外は、さしたる仕事もないので、毎日墓碑銘を刻んでいた。2/11

ある日思い立って、石屋の石長からもらった大理石に、私の来歴を斧で刻んでおいたら、森鴎外に似た掃苔者がじっと眺めていた。2/12

私は、かくて全員が死者であるところの村に着いて、直ちにモンミ事件の捜査を開始したが、なにせ住民が死者ばかりなので、さっぱり有力な証言を得られなかった。2/13

隕石直撃が忍び寄る地球最後の日に備えて、わいらあは、全世界人民の安全安心の整然たる火星脱出計画を樹立したが、結局は、各国各民族の競争と対立が災いして時を失い、地球はあっさり滅びた。2/14

ボクは、陽気なフルート吹き。南仏の地中海沿岸の避暑地を訪ねて、演奏して回るのが日課なんだ。2/15

「人類とコロナウイルスの戦いでは、当面は人類の負け戦が続くでしょう」と、神様がのたもうた。2/16

私は自分が出演している映画が上映されている、全国の映画館をすべて見て回ったが、どこもガラガラだったので、いたく傷つき、もう引退しようと思ったが、そうすればどうやって生き延びるか、何のあてもないのだった。2/17

「私は、その問題には、真正面から取り組んではいませんでした、」と告白すると、「その他の問題にもでしょ」と、誰かが揶揄したので、思わず赤面したのよ。2/18

大変難しいゲシュタルト問題が、やっぱり大量に出題されたので、私はまたしても第1志望の学校に入れなかった。2/19

オタマ入りの味噌汁を飲んだ社員は、他社の広告を入れるべきところに、自社広告を入れてしまったので、社長にえらく怒られてしまった。2/20

どおゆう風の吹き回しか、迷いこんだ場所が裁判所の法廷で、若い女が被告である。傍聴席にいる私は、彼女は無罪であると思いこみ、なんとかしてやろうと方策を考えるのだが、案を考え付くたびに地震が起こり、それがだんだん酷くなって来る。2/21

分限者の大酋長に、何から何までお世話になっている超貧乏人の私が、とうとう一穫千金の宝くじに当たったのだが、何パーセントのお礼をしたらいいのか、大いに悩んでいるところだ。2/22

ノノヘイのことを、今までアホかと思っていたが、よく考えてみれば、けっしてそんなことはない。清く正しくぐあんばっている青年だ。私は、そのことを彼に早く伝えて、頭を下げて謝ろうと思った。2/23

久しぶりに気分が高まったので、「弦楽四重奏のための緩徐楽章」というタイトルの詩を書いていたのだが、その題名の意味にとらわれすぎたので、最悪の結果、すなわち詩の放棄に終ってしまった。2/24

小中学の教科書のどこを探しても、「日本がほぼ世界中を相手に戦争をした」などと書かれていないので、驚いて先生に聞くと、「そんなこたあ、どうでもいいじゃん」と答えるのだった。2/25

佐々木家は「隅立て四つ目」の家紋なり。どうじゃ恐れ入ったか、と誰かがえらそうに言うので、「そんなこたあ、どうでもええやん」と答えた。2/26

イケダノブオが「ササキさん、なんかいいアイデアないすか?」と尋ねるので、「さあねえ、海のものとも、山のものとも、つかないなあ」と答えたら、「じゃあまず、その、海のものから聞かせてくださいよ」と迫るので、困ってしまった。2/27

いままさに物凄く興味深い夢を見ていると思うのだが、夢とおらっちとの間に、半熟の卵の表層の幕のようなものがあって、映画館の裏口で耳を澄ましている少年、のような映画の理解しかできない。2/28

 
 

2020年弥生蝶人酔生夢死幾百夜

 

いつのまにか、富士山が超スリムになってしまった。おらっちは、8合目辺りにベランダを作り、それをハンモック替わりにして、昼寝しているところだ。3/1

最前線に「重機」に代わって「商業」が出てからは、戦闘はやや下火になってきたので、敵味方ともに喜んだ。3/2

僕は、いわゆる機会主義者の一人に、一目でも会いたい、と切望しているのだが、そののぞみは、まだ叶えられそうにない。3/3

ケイサツゴッコをしながら、テレフォンごっごで遊んでいるうちに、季節は、ぐるぐると廻っていった。でも人は…… 3/4

ミクロ妃が、「この世では生きづらい」とさんざん泣きごとをいうのを、黙って30分間聴いていたので、疲労困憊してしまったずら。3/5

北陸地方を歩きながら、めぼしい芸能文化を記録しているが、やはり生活歌にまさる資料はなさそうだ。3/6

久しぶりに地下鉄に乗って銀座に出たら、旧知の映画会社の人から、試写会に誘われた。それが10時半から始まって、終るのが8時半だといので、大いに迷っているわたし。3/7

銀座通りを歩きながら、昔むかしのその昔、この松屋や松坂屋の前の小川にも、たくさんのウナギが泳いでいたことを、私は懐かしく思い出していた。3/8

旧知の人々から、大量の遺言状を手渡されたが、はてさて、これらをどうしたものか、と私は思いまどうばかりだった。3/9

私がしばらくのあいだ人間だった頃、四季は温暖に巡り、人々は私に優しかった。3/10

この睡眠から下手に覚めると、現実世界がもはや存在していないかもしれないので、わざと二度寝、三度寝して、様子をうかがっているのよ。3/11

完全な負け戦ではあったが、退役した老将軍の指揮ぶりは、いかにも老練そのものに洗練されており、一言にして尽くせば、見事であった。312

駅構内の、それぞれの地点での、人の流れを研究していると、いろいろな改善点が、おのずと浮かび上がってくるのであった。3/13

城壁の修理を頼まれた私ら土木業者は、複数の石を、美しく交叉させたり、エレメントの交響化に配慮しつつ、従来の布石を再編成させながら、より強靭な砦の完成に力を尽くした。3/14

3種類の日本文学全集を、あれこれつまみ食い式に読みあさっているうちに、どれをどこまで読んだのか、分からなくなってしまったずら。3/15

テレビを観終わってから、家を出て満員電車に乗ったのだが、なぜかリモコンを持って出たので、どこに置くか大いに迷っているところ。3/15

今まで暇だったのに、急に仕事が忙しくなって来たので、部下のサカイ君に3つほど応援を頼んだが、いつまで経っても返事がないので、どうしたのかと思ってデスクを訪ねると、もうだいぶ前に亡くなっていたのを、私が忘れていたことが分かった。3/16

余身が武そうに人のえつ会のような淑経になり裸の部分がなかった。3/17

その病院では、看護師が医者から莫迦にされているので、その腹いせに患者を莫迦にしているので、そのつけが病院全体に及んで、コロナ禍のさなかに倒産してしまった。3/18

誰もが、己の物語を動画を交えて、ものがたるのであるが、その男は、昔ながらの紙芝居方式でものがたるので、かえって新鮮かつ好評だったのよ。3/19

私は鉄人28号に変身したつもりで、秘密の抜け道を、全部ふさぎながら、グングン進んでいった。3/20

紳士衣料店の倉庫を襲撃した夜盗の群れは、それらの盗品を、やはり盗んだキッチンカーに乗せて、全国で売りさばいたのである。3/21

実際に歌手がやって来て歌うと、それをすぐにCDに焼いて、出口で即売することで音楽業界はひといきつけたのよ。3/22

私は、ある日自分が戦後間違った生き方をしていたことが、はじめて分かったので、その翌日から、そんな自分を弾劾する大行脚に出発したのだった。3/23

10年間、毎日何の仕事もせず、駄眠を貪り、美食と美女を求めるだけの生活に飽きただけではなく、途轍もない恐怖を覚えたので、私は万事を放擲して深山に籠った。3/23

ハシモト画伯は、その奴隷の叛乱の話を、絵にしようかどうしようか、とかなり長い間迷っていたが、ようやく一歩進んで太い鉛筆を手に取った。3/24

僕らは、夜になると飯を食いに行く代わりに、或る種のコーフン剤を飲んで仕事に励んだが、それは最終的には、精神の統一と仕事への集中を妨げる結果に終わった。3/25

「この折れた歯の右はなんとか使えそうですから、左半分を麻酔をして切り取ってしまいましょう」と、岸本医師はいと軽くのたもうのであった。3/26

その経理担当者は、私に向かって「早くここから出て行け」と偉そうに言うたのだが、何十年も経った後で、彼は竜宮で事故死していたことが分かった。3/27

故郷あやべの西本町から、裏西町のうらぶれた民家を少し行きすぎると、薔薇の生垣で囲まれた私の家の庭があり、そこには四季折々の野菜を植えた畑や、おいしいグミやユスラウメ、イチジク、カキ、ナツメなどが生る何本かの樹木もあった。3/28

1億の民が、毎日せっせせっせとマスクを棄てるので、その道は「白いコロナの道」と呼ばれるようになった。3/29

この街には、明治の文豪が住んでいたというので、屋敷などは取り壊されて跡形もないにもかかわらず、彼の足跡を尋ねる人々で、いつも大賑わいだった。3/30

1人の電気工は、鎌倉関東日本電工、もう1人の電気工は、日本アジア世界電工の社員と名乗ったので、私らは前者を採用した。3/31