公園で

 

さとう三千魚

 
 

七月には

近所の公園の
花たちに

水をやった

サルビア
ジニア
コリウス

どれも地上の花たちだった

毎朝
水をやった

たまに
夕方もやった


おいしいかい

花たちに話しかけた

七月が
終わった

八月に福生の街を女と歩いたことがあった

遠い日
夏草が茂っていた

光ってた

塀の外へ
歩いた

草叢に佇ってた

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

残り雨

 

たいい りょう

 
 

バス停の屋根から
滴り落ちた 残り雨

いくばくもない生命(いのち)を
振り絞って

まるで 渇れ果てた 涙のよう
それでも 乾いた地面を
しっとりと濡らす

人は なぜ 生まれるのだろう
人は なぜ 生きるのだろう

異星人の声が 聞こえてきた
わたしは 火星から やってきた

音のしない葉音は
幽霊のように
手足をそよがせる

そして
盲目のわたしは すべてを
心のスクリーンで映すから
何も消えない

だから
私は 胸に手をあて
額を涙で拭う

明日 天気になあれ

 

 

 

音戸の瀬戸

 

工藤冬里

 
 

テキーラベースのコアントローの岩塩を囓る眼下には汁なし坦々のサンダル部落
希望を捨てずに進む亜墨利加映画のように
まわり道してなんの向こう岸か
海の隘路に平たい航跡を泡立たせ乍ら
池のような内海に解き放たれるだけ
遠くには尾道大橋
あれはさらなる回り道だ

 

 

 

#poetry #rock musician

共犯

 

長尾高弘

 
 

どうしたものか
おそろしく神経過敏な子に
育ってしまった。
女の子だけど、
男性を受け付けない。
夜の街でたまたま遊んだ相手は、
女だと思っていたら、
女装していた男で、
ふたりになったときに、
本性を現して襲ってきた。
なすすべもなく犯された。
帰ってきた子にその顛末を聞いた。
涙が止まらなかった。
娘は絶対に許さないと言っている。
止めても止められないことは
わかっている。
自分たちの子どもなのだから。
ひとりで刑務所に入っていくのを
見送るなんて親として忍びない。
私たちもいっしよに入ろう。
自分たちにできるのはそれだけだ。
そんな話だったのかもしれないし、
そうではなかったのかもしれない。
他人にはわからないことだ。
ここでひとつ問題がある。
親たちが手助けしようと、
妨害しようと、
結果は同じだったとする。
その場合、
幇助行為は結果に大きく寄与したとは
言えないのではないか?
(返り討ちに遭わないように
 的確な指導をしたとすれば、
 結果に影響はあるが、
 とりあえずそこは置いておいて)
それでも、
娘の殺人行為を手助けしようという
意思は明確にある。
その意思を処罰しなければ、
社会は秩序を保てないのではないか?
結果無価値か行為無価値かという
刑法理論の大きな対立点と
関係があるようなないような……
当人たちには
どうでもよいことかもしれないが、
社会としては白黒つけなければならぬ。
社会としてはね。

 

 

 

存在の消滅はいつも

 

ヒヨコブタ

 
 

青い鳥がここにきてとうとう騒ぎの渦中にいる
特段気にしてもいなかったつもりがなるほど、
新しいものに強い違和感を感じて初めて
あの青い鳥というものが親しかったような
錯覚にとらわれているのだ、わたしは

いつもなくなってからかつてあったものがとても愛おしく思えるとき
こころの中で組み立て替えてきた
そうすることによって
わたしはまた思い出の席に座ることができる
そこからふと目線をあげたあの絵にも会うことができる
さて全ては錯覚なのか
懐かしささえ傲慢のようだが私には愛おしい作業の手前にいつもある

壊されていく、建物のなかにあった日常も
季節ごとに咲いた花も庭木も
どれも今は同じような錯覚の優しい思い出のなかだ
無駄なものというものがなかったらわたしは
一体どう生きていいのか
こんなにも無駄なものと呼ばれそうなものに
日々とらわれゆたかに妄想するのだから

それらのなかにいるじぶんは
恐ろしいほど静かでうっとりしている
幸せな記憶の中にじぶんをおいておく
壊されぬようにそっとやわらかなばしょにおいておく
これ以上壊され続けぬように
そっと息を吐く