lol

 

工藤冬里

 
 

表層が剥ぎ取られ
惨めな層と交代する夜更けに
節節は散けて
投げ出された骨は
絵文字の丘で
発掘されるのを待つ
水枕ガバとある種の恐ろしい予期だけが骨となっているlol

耳鳴りの視野に検出されたされないで幸不幸は入れ替わり
警告なしで点滅する運不運を速報する
フォーマットされてからのDNAの回復はない
爆報とはよくも言ったもので
IT用語に換骨された器形を裏返しにして
戻ってはならない後ろを振り返らせる
後ろを安全に守ろうとする者はデータを失い
失う者はデータを生き長らえさせる
その夜、二人のデータが一つの寝床にいるだろう
一方は移動され、他方は消去される
その時二人のデータが(たぶん有機の)畑にいるだろう
一方はコピーされ、他方はごみ箱からもいなくなる
二人のデータが車なんでグラスは一つ〜とか偽って同じ瓶ビールから飲んでいるだろう
一方はクラウドに保存され、他方は共有を切られた前機種と共に消滅する
死体置き場には鷲も集まっているだろうlol

音の立ち上がりは敵味方をはっきりさせる
幸不幸運不運に関わりなくCOVID-19PANDEMICの間でも
だめなものはだめだ
顔の左右非対称が進む政治家のように
なぜ?と訊かれたら
終身パスポートをもらってもウォルトに愛は感じない、と答える
遠くの絵文字の丘から毎日摘んで来てくれたらだんだん感じるかもしれない
“彼(lol coxhill)の音楽にはユーモアがあったが、フリーの演奏は冗談ではないことを観客に伝える必要があると時々感じさせるものだった” (wiki)
愛しているか知るために試しているんです
行おうとします
しかも一生懸命にそうします
デレク・ベイリーとリチャード・タイテルバウムの二人のデータ(あまりおもしろくない)が左右対称性の後ろをあるく
鳥は鳴く
変わらないなら罔(クラ)く殆(アヤ)うい

 

 

 
#poetry #rock musician

ふいに真の恋に

 

駿河昌樹

 
 

わたしの詩の読みかたなんぞ
いいかげんである
なにをするのもいいかげんだが
詩なんかを相手にするときなんぞ
なににもまして
いいかげんである

けれども
いいかげんな読みかたをしてさえ
りっぱに引き込まれちゃったりするか
どうか
詩の見分けかたは
そこにあるような気がしている

いい詩というのは
読み手のいいかげんさを貫く
まるで
怠け者でぐだぐだで
あたまも悪い愚か者が
ふいに真の恋にだけは貫かれるように

 

 

 

発生即思い出

 

駿河昌樹

 
 

いまとなってはいい思い出だ と よく 言う

これもいつか いい思い出になるよ とも けっこう 言う

ぼくのいま現在の感覚をしゃべらせてください
毎瞬毎瞬が発生即思い出です
いつの頃からかそうなってしまって
もう
ありありと発生即思い出です
一瞬一瞬なにかが起こったと同時に思い出として思い直しているのです

あ 洗濯機がピーピー言って
洗濯の一回分を
はげしく懐かしんでいる!

 

 

 

spread・広げる 広がる

 

さとう三千魚

 
 

5時に起きて
浜風に

HAPPY HONG KONG 2047 was disturbed by TOKYO 2020
のコンテンツをまとめた

昼前に
アップした

それから
広瀬さんのブロック塀の写真と

工藤さんの
少年という詩を

アップした

昼過ぎに
階段を降りていくと

モコと女がソファーで待っていた

昼食なしで
おしるこを食べて

また

二階で
アニュス・デイを

聴いてた

全てが貨幣に置換された世界に

その声は
いらない

辻潤は死んだ
たくさんの人が死んでゆく

汚泥に佇つ
人よ

汚泥に佇つ人たちよ

声は
与えられたか

夕方

モコと
散歩した

ノラたちがいた

西の山が雲に隠れていた

 

 

*タイトルは、twitterの「楽しい英単語」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

枝変えて 身は明日に生く 花うばら

 

一条美由紀

 
 


船頭が言った。
”舵は任せろ、でも保証はなしだ。”
遠い存在を非難して
気持ちをホイップする
糸電話はもう見つからない。

 


独りは全員へと変わる
多手連弾の意識が広がっていく

 


夢はリレー方式
順番を告げるベルが鳴る
中洲で生きてる人形は
カードをめくり
私は彼女のコレクションに加えられた

 

 

 

少年

 

工藤冬里

 
 

上の△は下では▲か▽
△は正しい正しさ
▲は間違って正しい正しい間違い
▽は正しく間違った間違った正しさ

△を下で敷衍しようとすると必ず齟齬が生じる
その霊性を欠いた原理的な正しさは逆に下では間違い▲として現れる
間違い▲としてしか現れない、現れ得ない!
ほんらい正しいが故にいまは非難されているのだ!
そしてその非難にはじゅーーーうぶんな根拠が添えられる
添えることができる!

▲に対するそうした批判は絶対的に正しく間違っている!
正しい間違いである!!
正論とはいまはそうした正しく間違った▽のことである!
世の中とは正しい間違い▽でできているのである!
▽は絶対的に間違っているゆえにいまは正しいとされているのだ!

(▲や、△を知らない▲に対する▽の非難は「正しい間違い▽」でも「間違った正しさ▲」でもなくほんとうのほんとうに間違っているだけなのだが)*

それに対して正しさらしさ▲のほうも間違っている!!!
それは正しいからだ!!!!
圧倒的に正しい正しさだからだ!!!!!
正しいゆえに絶対的な正しさ△からは遠ざかっていく!!!!!!
正しさ▲がいまはいちばん間違っている!!!!!!!
正しさ▲のほうが間違い▽よりももっと間違っている!!!!!!!!
ゆえに正しく間違った間違った正しさ▽から非難されているのだ!!!!!!!!!

 

*(作者注)

 

 

 
#poetry #rock musician

flesh・肉(体)

 

さとう三千魚

 
 

仕事
無く

家にいる

元々
仕事はなかったが

もっと
無い

午後に
浴室の裏の草むしりをした

軍手に
枯れた草が絡まる

素手で
草を毟る

トカゲがいて
女は

逃げていった

昨日の夜
“火口のふたり”という映画をみた

男と女が性交ばかりしている

西馬音内の盆踊りの
場面で

男は女の手を曳いてゆく

“はぐれている肉体” **

という
いいかたを土方巽はしていた

寒い
雨の日

家の軒下で小石を積んでいた

家出して
自転車でどこまでも走っていった

肉体は

どこへも
帰らない

 

 

*タイトルは、twitterの「楽しい英単語」さんから引用させていただきました.
** 土方巽「美貌の青空」より引用しました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life