michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

蜜柑の器

 

萩原健次郎

 
 

 

空0楊柳の布に、水玉の模様。蜜柑に着せられた、ドレ
スのままに不明になった。そのまえに、やわらかな人
型は、強く手でこねられて球になった。不思議に思う。
蜜柑型があり、微妙な、赤か黄か判然としない器に人
がとじこめられたこと。球形の、完全な球には、針で
刺して空けられた穴があって、そこから甘い弦を擦る
音が漏れて、石垣の上に置かれて、鳴っている。あの
声は、糸の細さで球の外を望んでいるのがわかる。知
っている人の声のようで、ただ近隣で不明になった幼
児のようでもある。穴から、覗いてみる。一人ではな
いようで、穴ごとに無数のつぶやきが蠢いている。生
の木片か、それとも堅い化学的に組まれた樹脂で球は
こしらえたのだろうか。ちいさな虫のような、幼女の
無数が漏れている。

空0喩えであっても、蜜柑は蜜柑であって人ではない。
名づけられた器で、中に収容されている無数のことは
関わりがない。石垣のあたりを私はただ黙って通り過
ぎていく。私は、弦楽にはこだわるが、いびつな穴に
恋するが、楊柳のドット柄は大好きだが、無数の不明
の、極小の無数の人間などには興味がない。

「葬式百回やらないと」と言う。「四十九日の法要は
千回」だとも言う。私は、まったく関心がない。蜜柑
の器の前を私という樹脂の、眼が過ぎた。傷ついてい
るのは、蜜柑ではない。器に穴があいている。

 

「不明の里」連作より

 

 

 

音楽の慰め 第23回

降誕祭の音楽

 

佐々木 眞

 

 

Sさん、いかがお過ごしでしょうか?
12月といえばクリスマスの季節。そちらはもう雪が降りつみ白一色のホワイトクリスマスではないでしょうか。

そこで今宵は、北国の降誕祭にふさわしい音楽をピックアップしてみたいと存じます。

まずはなんといってもビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」ですね。
1941年にアーヴィング・バーリーが作詞作曲し、クロスビーが晴れやかな声で歌いあげたこの名曲は、我が国の内村直也作詞・中田由喜直作曲の「雪の降るまちを」にも似た古閑で鄙びた趣もあって、世界的にヒットしたのではないでしょうか。

 

 

次はドイツの作曲家、セバスチャン・バッハのオルガン曲です。
「小川」という名前をもつこの偉大なドイツの作曲家には、その名も「クリスマス・オラトリオ」という大曲もありますが、この季節に私が聞きたいのは、教会の礼拝の前にオルガンで演奏されるコラール前奏曲です。

「オルゲルビュヒラインBMW599-644」などのコラール前奏曲は、昔から著名なオルガニストによって演奏されてきましたが、私がひそかに愛聴してきたのはアルベルト・シュヴァイツァー博士の演奏です。

「生命への畏敬」を唱え、赤道直下のアフリカ・ガボンで医療と伝道に尽くし、ノーベル平和賞を受賞した「密林の聖者」は、優れた医師・哲学者・神学者・音楽学者であったばかりか、知る人ぞ知るオルガン奏者でもあったのです。

 

 

シュヴァイツァー博士が弾くコラール前奏曲は、技術をひけらかすどころか、聞きようによってはむしろ下手くそといえるかもしれません。

しかしそれにじっと耳を傾けていると、村の古い小さな教会でオルガンを弾きながら子供たちと讃美歌をうたっている小太りの老人セバスチャンの姿が、おのずから浮かび上がってくるような古拙な演奏で、これこそ神様が嘉し給う敬虔な調べというものではないでしょうか。

バッハの音楽の本質は神への尽きせぬ感謝とひそやかな祈りであり、その名の通り小さな川のように流れる日々の頌歌にこそあるのでしょう。

最後はご存じ管弦楽の神様、ヘルベルト・フォン・カラヤンが、名手ウィーン・フィルを指揮したクリスマス・アルバムです。独唱は黒人ソプラノ歌手、レオンティン・プライスですが、彼女が無心に歌う「清しこの夜」や「アヴェ・マリア」を聴いていると、文字通り心の底から清められていくような気がいたします。

 

 

それではSさん、今日はこの辺で。どうぞ良いクリスマスと新年をお迎えください。

 

 

 

山崎方代に捧げる歌 25

 

股ぐらに手をおしあてて極楽の眠りの底にわれ落ちてゆく

 

もう
昨日か

自転車で海まで走った

雨になるのか
灰色の空の下の海をみた

平らだった

帰って
ソファーで2001年宇宙の旅をみた

人間的な宇宙の絵画だった

愛などなかったと
いえない

デイジー
デイジー

君に夢中だ

 

 

 

分かれ 詩人なら

 

駿河昌樹

 
 

ホッと息を
しかし
やさしく
つく

そんな詩が
ほんとうは求められているのに
壮麗な自我の殿堂や
眉間に深く皺を寄せた息苦しさや
欧米語の語源へ遡りさえしない浅薄なナントカ主義擁護などが
数十年ほど幅を利かせていた国

それらが崩れ落ち
あまり見向きもされなくなって
どうやら
なめらかに古典になっていけそうにはない風情なのも
いい眺めではないか
諸行無常の
お得意の風土に
いかにもお似合いで

ホッと息を
しかし
やさしく
つく

それに曳かれるように
導かれるように
だれもが
ホッと息を
しかし
やさしく
つきたいのを

分かれ
詩人なら

 

 

 

文字配列せよ 言語配列せよ

 

駿河昌樹

 
 

意識たちは巻き込まれている
上下もわからない
時間の進行方向も知れないほどの大嵐の中に

すでに何度も記してきたが
そんな中でつかの間であれポジションをとり直すのに
改行の多い言語配列は本当に有効だ
文字配列と呼んでもよい
意味などなくてよい
浮かんだ言葉や文字を連打するだけでもよい
それがあなたを救う
無意味に文字を連打するうちにポジションの回復が起こる

言語配列や文字配列を詩から解放せよ
と何度も言っておく
詩は捨てていい
あらゆる詩は古いオヤジ自我の玩具になり果てる
つき合っているうちに怠惰な自足癖が感染してくる
感傷、嘆き、希望、狭い美意識の開陳、たいして面白くもない口吻
どれも古すぎ
これからいよいよ荒くなる嵐の中を生き延びるのには効かない

詩が貧者の武器であるように
文字と言語は困窮者や遭難者の最後の道具
紙もモニター画面もなくていい
頭の中で数行なら文字を記すことはできる
慣れれば数十行を記すこともできる
そこに強迫症者のように文字を記せ
それがポジションを取り戻させ
バランスをふたたび生む

そんな具体的な道具として使用せよ
文字配列せよ
言語配列せよ

 

 

 

「浜風文庫」詩の合宿 第二回

(鬼子母神にて)2017.12.02

 

 

浜風文庫では2017年12月2日に、
鬼子母神の蕎麦屋、鮨屋にて、小さな忘年会を行い、
その後、鬼子母神から池袋まで歩き、ファミリーレストランで「詩の合宿」を行いました。

協議の末、俳句と即興詩を制作することになりました。

俳句の兼題は「忘年会」で、
即興詩は各自がタイトルを書いた紙をくじ引きしてそのタイトルで15分以内に即興詩を書くことをルールとしました。

参加者は、以下の三名です。

尾内達也
長尾高弘
さとう三千魚

今回は、合宿の一部である俳句と即興詩を公開させていただきます。

なお、
だいぶ酩酊している状態での「詩の合宿」であることを追記しておきます。

(文責 さとう三千魚)

 

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俳句

 
 

忘れてはならぬことばかり忘年会

忘年会言われるまでもなく忘れ  ☆

天心の青に洗はれ年忘れ  ☆

忘年会犬も歩けばたたかれる

あな黒し忘年会の果てるとき

忘年会忘れていいのは何のこと

忘れても思いだすのさ忘年会

酔いまして上司の背中を叩く忘年会

参加せず夜の海を見る忘年会  ☆

 
 
 

即興詩

 
 

「社会」

 

尾内達也

 

愛の実現はむずかしい
気を抜けばたちまち
力関係の中
抑圧が嫌だと言っても、
愛するにはエネルギーが
いるわな
そこが男と女のちがいだね
女は愛されて自由になる
男は愛して自由かな?
社会の わなをくぐり
ぬける
赤インクのペンで、さ

 
 
 

「鬼子母神」

 

長尾高弘

 

他にも食べるものは
あったと思うんですけどね。
なんで自分が生み出したものを
また自分の中に戻しちゃったのか。
完璧を求めていたから?
いや、ただおくびょうだったから?
でも、
子どもを食べるのをやめたとき
ほっとしたんじゃないでしょうか。
いとしいものが見つかるなんて
とても幸せなことだから。
これで安心して死ねるから。

 
 
 

「馬鹿」

 

さとう三千魚

 

東名バスに乗って
鬼子母神までやって
来た
鬼子母神では
達磨の
湯呑みを買った
これで芋焼酎を飲むんだ
馬鹿は
馬と鹿だな
馬鹿は酒を飲んで
馬や
鹿の目玉をもらうのさ

 
 
 

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由良川狂詩曲~連載第19回

第6章 悪魔たちの狂宴~正歴寺の鐘は鳴る

 

佐々木 眞

 
 

 

やがて、朝ケンちゃんが登った寺山には、虹のような琥珀色の後光が射して、西の空が美しい朱色に染まりました。
その朱色が、わずかに暮れ残ったセピア色と溶け合いながら、明暗定かならぬ幻覚を見ているような微妙な色調に、おぼろおぼろに変わる頃、正歴寺の高く澄んだ鐘の音が、綾部の町ぜんたいに子守唄のような晩祷を捧げはじめました。

 

他人おそろし
やみ夜はこわい
おやと月夜はいつもよい

ねんねしなされ
おやすみなされ
朝は早よから
おきなされ おきなされ

ねんねした子に
赤いべべ着せて
つれて参ろよ
外宮さんへ

つれて参いたら
どうしておがむ
この子一代
まめなよに まめなよに

まめで小豆で
のうらくさんで
えんど心で
暮らすよに 暮らすよに

寝た子可愛いや
起きた子にくや
にくてこの子が
つれらりょか つれらりょか

あの子見てやれ
わし見て笑ろた
わしも見てやろ
笑ろうてやろ 笑ろうてやろ

あの子見てやれ
わし見てにらむ
突いてやりたや
目の玉を 目の玉を

 

と、その時、
正歴寺さんの鐘の音が、「突いてやりたや目の玉を、目の玉を」と唄い終わった時、
ケンちゃんは、由良川全域に響き渡るような大声で、

「そうだ!」

と叫びました。

ケンちゃんは、由良川の水際の泥と水を両足でぐちゃぐちゃにかきまぜ、砂利だらけの河原をましらのように走り抜け、さまざまな自然石を足掛かりになるようにコンクリートに埋め込んだ堤防の傾斜面をイノブタのように駆けのぼり、スズメノテッポウやチガヤが生えている堤防の上の一本道に座り込んで、土の上に棒きれでなにやら地図のような見取り図のようなものを一心に描きはじめました。

それからケンちゃんは、なにを思ったのか、もうとっぷり日が暮れて誰一人いない由良川へ、静かに入ってゆきました。
そして大きなストロークで河を15メートルほどさかのぼってから、空気をうんと吸い込んでどこか深い所へ潜ってしまいました。

5分、そして10分近く経っても、ケンちゃんは浮かんできません。
どこかでなにかが、ポチャンとがねるような音がしました。あれはきっとアユかフナが、水面すれすれに飛ぶユスリカに飛びついたのでしょう。
それからさらに30分、1時間と、時はどんどん過ぎてゆきます。

おや、水浸しになった濡れ鼠のケンちゃんが、星いっぱいの夜空に、片腕を元気いっぱい振り回しながら、岸に向って泳いできます。

――やったあ、これでうまくいくぞお! チェストー!

と、ケンちゃんは北斗七星の大熊くんに向かって吠えました。
それからケンちゃんは、由良川の堤防に置いてあった自転車に軽々と飛び乗ると、西本町の「てらこ」までお得意の両手放し乗りで帰ってゆきました。

晩ごはんは、ケンちゃんの大好きなスキヤキでした。
丹波の但馬のいちばんやわらかでおいしい肉を、ケンちゃんのおばあさんがサトウをどっさりかけてお鍋でグツグツ煮込んでいきます。
そこへフとネギを加え、肉と三位一体になった大好物が奏でる香ばしいかおりと絶妙の味わい……
ケンちゃんは、ごはんを3杯もおかわりして、もうお腹がいっぱいになってしまいました。
ごはんの後ケンちゃんは、おじんちゃんに由良川での投げ網の漁のやり方についていろいろ教わってから、大好きないつもの「テレビ探偵団」も見ないでお風呂に入り、8時すぎには、もうぐっすりと眠りこけてしまったのでした。

 
 

つづく

 

 

お正月

 

みわ はるか

 
 

2018年明けましておめでとうございます。

新しい年になりました。
元日は冷たい風やたまに降るしとしとした雨を家の窓から眺めていました。
近くに有名な神社があるためか、朝も早くからぞろぞろと人が同じ方向へ歩いていました。
わたしはというと、あいにく体調をくずしてしまったので、初詣や初売りにも行かず暖かい部屋でぬくぬくと過ごしておりました。
お正月、みなさんはどのように過ごしたのでしょうか。
わたしが思い出すお正月はまだおじいちゃんもおばあちゃんも元気だった頃のお正月。
それを少しここに書き留めておきたいと思います。

父親と祖父は人を呼ぶのが好きでした。
12月の末には必ずお餅つきをしていました。
従兄弟家族はもちろんのこと、その友達、近所の人もたくさん来ていました。
機械ではなく本物の杵と臼でつくのです。
それは想像以上に大変で特に男の人がメインでつきます。
20臼くらいを1日がかりでつくのです。
つきたてのおもちはやわらかく、きな粉、あんこ、大根おろしのいずれかにつけて食べます。
保存用のお餅はお鏡さん用の丸いもの、きれいに角を作った四角のものをそれぞれ上手に作ります。
お餅とお餅がくっつかないように専用の粉を端にはつけます。
それを各家庭で焼き餅やお雑煮にするのですがそのおいしいこと。
市販のものはもう食べられません。

正月三ヶ日のいずれかには従兄弟家族たちと家ですき焼きをしました。
お正月だからと特別に買った少し豪華な牛肉。
ネギや椎茸、豆腐とともにぐつぐつと煮込みます。
キラキラしている溶いた卵につけて口に運ぶまでのどきどきした時間は幸福な瞬間でした。
生卵はあまり好きではなかったけれどすき焼きだけは特別でした。
最後に手伝わされる洗い物でさえもあまり嫌だとは感じなかったのはすき焼きの魔力でしょうか。

今はもうこの行事はなくなってしまいました。
あの頃から考えれば驚くほどみんな年を重ねました。
戦隊ものごっこで遊んでくれた従兄弟のお兄ちゃんは結婚して子供が産まれ家を建てています。
あんなにパワフルだった叔母さんと叔父さんは今では家にある小さな畑で家庭菜園をしながら静かに生きています。
妹は仕事の関係で遠くに住んでいます。
年に2、3回しか帰ってきません。
弟はインターンシップや就職活動でとても忙しそうです。
あのころ飼っていた犬は2代目の犬になりました。
みんなで一緒に食事をするためのあの大きなテーブルは部屋の端で寂しそうに収まっています。
きっともうこのテーブルが活躍する日はないでしょう。
いつかゴミとして処分される日が来るのかもしれません。

みんなあのころよりも随分年を重ねて自由に生きています。
今まで続いていたことがなくなることに違和感は感じたけれど、不思議と寂しさは感じませんでした。
自然と疎遠になること、自然とあったものが消えていくこと、それは悪いことではないような気がします。

今年もどうかいい一年でありますように。