michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

む行

 

道 ケージ

 

「む」は「ん」と読む
むんむんムンムン
んは無音化する
むむ
むほんです

むはむむはむむはん
無は無
んーむ
ハム半分残しはんなり
無理じゃないん

無駄に麦を蒸す
ムハンマドむっつり
昔ムキムキ
無害の不精

無一文の村
無限の昔
息子に無理強い
ムズイとムスコ
無理
結んだ紐でむぎゅ

無我夢中で向かった
酷い
無間地獄
むせびなく

むき身無理やり
無銭飲食
無償の無罪
むく犬の迎え

無勢で多勢
無垢の武蔵
向こう傷
村雨無敵
無為に向かう

無闇に
胸元無造作
むせかえる
無邪気な夢精

紫むらぐも
ムンバイ無風
群れのムクドリ
無響

向かいの村
無辜の婿
無毛無関心
鞭打ち無情

むたいどすえ

 

 

 

鳥海山と手帳と

 

さとう三千魚

 
 

帰った

西馬音内から
帰ってきた

秋田では
姉と

鳥海山の鉾立まで登った
鉾立から人びとのいる地上を見た

花巻の賢治記念館では
照井良平先生にお会いした

賢治記念館に手帳の複製はなかった

珈琲の後に
羅須地人協会と

賢治の墓を見せていただいた
照井先生にはやわらかい笑顔があった

西馬音内では盆踊りを見た
西馬音内の盆踊りは亡霊の踊りだろう

笠を被り
頭巾を着け

顔を無くし
亡き者の傍らで踊る

幻影だろう
亡き者たちを抱いている

鳥海山も
手帳も

姉も
義兄も

幻影だろう

母も父も兄も祖父母も
沖縄の戦争で死んだ叔父も

幻影だろう
ウクライナもパレスチナも幻影だろう

奥羽本線で
山形に抜けるとき

電車の中から

やわらかなみどりの山々を見ていた
やわらかな懐かしい山たちを見ていた

畑のなかのトタン板の小屋も見た

山形新幹線は地上を走った
月山と羽黒山を遠く見て走った

埼玉では激しい雨のなかを走った
新幹線は激しい雨のなかを走っていった

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

Like snow in summer

 

工藤冬里

 
 

首を傾げて
塗り固めた本能を
屡々強く糺される必要があった
一方的な推論の矢が
耳を吐く戦場では矛盾していない
転がした石が戻って来て潰される
食べるのも億劫
Am not I in sport? 悪戯をしてはいけません
仙台育英がモーニングの目玉焼
羽のインスタが駐車場契約を吐く
9月になれば
新しい言語が始まる
食糧難は陣痛のはじまり
飽和状態で推移する暮らしは終わる
地震の規模ではなく苦しみの多寡で判断される
4355年前
売り場に豆腐が並んでいる
切り分けられて服している柔らかさ
紋章は狼のよう
チャラチャラしたバリエーションはあるけれども汚名を晴らすことが中国ショートムービーの王道となっている以上
誰が上帝かという法廷は必ず開かれなければならない
青い嘘としての球
二の腕の弛み

 

 

 

#poetry #rock musician

激しい雨

 

さとう三千魚

 
 

昨日か


嵐の朝か

雨のなかを河口まで歩いてきた

小川沿いの歩道には
蛞蝓や

蝸牛が
いた

角のような眼をのばしていた
ゆっくり

歩いていた

時折
雨が地上を叩いた

蛞蝓も
蝸牛も

地上に
いた

人もいた

午後に女と
映画「国宝」を観に街に出かけた

女は

よかった
三時間眠らずに観れた

そう言った
満席の映画館は

夏休みのアニメ映画のようだ
エンターテインメントなんだ

面白ければいいのか
我を忘れるほどにか

昨日か

嵐の朝か
いつもの朝にか *

激しい雨に打たれて *

いた
歩いていた

角のような眼をのばして
ゆっくり歩いていった

 
 

* ボブ・ディランのアルバムのタイトル”HARD RAIN “と歌のタイトル「One Too Many Morning」を引用しました

 

 

 

#poetry #no poetry,no life