michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

Cease to exist

 

工藤冬里

 
 

7番目の野獣の日に、地球上ほぼどこででも手に入るものはコカコーラと英語だ。On the Seventh Beast Day, Coca-Cola and English are available almost everywhere on earth. good luck your lack of goodluck

もう試合は終わっている
和製英語で言うロスタイム、今はadditional timeと言うらしいがそれでも無謀なシュートは打たない

演奏前の介入には健気に耐えたが、演奏後の演奏を室野井は毛嫌いしていた
空気感が変わって場の仕舞いがつかなくなるからだと彼女は言った
音は返ってこないが漂っているという考え方は周波に限ってはきっと正しいのだろう

この虹を渡ってはなかなか良かったですよ。先導する美紀子さんのジャズマスターがいい音を出しています。途中の528Hzへの切り替えの決断と再開のタイミングもいいです。
https://torikudo.bandcamp.com/track/over-the-rainbow
こういった場合、上手い下手は全く関係なくなっていると思います。コンサートという形式も意味がありません。誰が作ったかも関係ありません。松明のようなリアルだけが文化の終わりを照らします。

94年に導入されたネオニコ系農薬でミツバチが激減し、浜名湖からはウナギがいなくなった
温暖化への脅迫は祈りの周波の束にまで及ぶ。悲しみが雨を降らせた、と。
野獣にはそのようにして動機を入れる。頭蓋の蓋を開けて流し込むレッドブルのように。
ヒットエンドラン
ヒットエンドラン
龍も野獣も多頭症


サーファーとしてのお前も百点だろう
そして今回も何かが足りないままだ
今度会う時は一万点のお前でいてくれ
朝霧の症例が明らかになるにつれ、我々はこれはADHD治療を主題にしたマンガなんだと気付く。そして身近な多動症成人の顔が脳裏を過ぎる。

Cease to exist

高台に逃れたが
あれは
なんだったのだろうか
下の方に見えたきみに会えなくなったあれは

枝豆がバラけたビニール袋から
タッパーに入れたタブレットをまた出して連絡しようとして手間取っていると
映画を右にスライドさせろと何回も言われた
後ろを叩けとも

さっきまで行くところもないし話すこともない、と喋っていた
あれはなんだったのだろうか
きみに会えなくなったあれは

実現しているのを見ているから
山は
切り倒された統治
顔と名前を覚えないまま
伝えたいと思うようになる
救いに行く
スーパーマンと夜空
昏くないということですね
流行病と食糧不足がある
ジェネレーションZ的な受け答え、
どんなに能力があっても自分の力で得られるものではない
水だけではなく光が必要
光の働きとは
言葉を自分の家にする働き
自分をずらして照準を合わせる働き
全体像を見せて教える働きと
思い起こさせる働き
ほとんどのことは思い出すことで解決する
自分をずらして照準を合わせる綱引きによって目を閉じれば窓は菱形
光を悲しませてはならない
チェックリスト Έφεσος4
登り直す必要はない

認知で死に洩れると余計な思い出がクッションみたいに挟まって生とエレメンツの汽水域の無惨が悲しみを減らそうとする
それでも物質に戻る直前の意識について人々は論(アゲツラ)う。マッチを擦る度に臨終を思い出し、街の灯りが消える毎に淋しさが募るのはそのためだ。

気後れすることなく活用してほしい
話しかける能力は贈り物
片割れの死
その場に合った励ましの言葉
エリフは聞き流すことはしないで自分を与え相手のためになることを話した
ヨブが答えなかったのは同意して泣いていたからかもしれない

 

 

 

#poetry #rock musician

また旅だより 39

 

尾仲浩二

 
 

三重からの帰りは中央線経由で新宿へ戻ることにした。
なんとなく薮原という駅で途中下車。
次の電車までは二時間ある。
小さな集落はすぐに歩き終わってしまった。
昨夜の残りの焼き芋をホームで食べる。
今年の秋は気持ちのいい空が続いている。

2021年11月2日 長野県木祖村にて

 

 

 

 

ソシラヌふりはできない

 

南 椌椌

 
 


© kuukuu

 

庭の枯れ葉を掃いてゴミ袋に詰めて
ふたつみっつ重ねてるうちに
もうなにも言わずに過ごしたいという思いが
大きくなったのは本当です

10月18日から30日までは喋りすぎた
個展「ソシラヌ広場」を開催中であり
コロナ感染激減の朗報もあってか
連日、多くの旧友知人が
ギャラリーに甘い蜜をそそいでくれて
ワタクシは蜜をくらって喉をうるおし
元気そうだね お互いによかった
テラコッタコラージュのこと
飲食店の危機 まめ蔵大丈夫だったか
健勝の友の噂 死んでしまった友のこと
これからどんな作品に向かうの 
次から次に話題がころがり
おしゃべりは掠れ掠れてよどみつつも
途切れては また果てしない

旧交を温めるというのは大切なことだが
毎日温めすぎると おまえはいったい誰だ?
ギャラリーを出て 火照ったワタクシに
吹きすぎる秋風がささやいたりする

昔、明石の蔵元を出たところで
おまえは友だち作るために生きてると
ほろ酔いの悪友に半分は図星
愛をこめて馬鹿にされたことを思い出す
また別の悪友の幼かった息子に
そんなこたあどうだっていいだろ!と
あらゆる局面で使いたくなる卓見を戴いたことも思い出す

喋りたいことがあるうちは喋る
喋るうちに思い出すことの量
喋るうちに破棄される思い出の量
喋るうちに先送りされる老いの暗証
そんなこたあどうだっていいだろ!と
幼かった彼に叱責されるのがオチだけど
ソシラヌふりなど出来るわけがない

庭の枯れ葉を掃いてゴミ袋に詰めて
ふたつみっつ重ねてるうちに
なにも言わずに過ごしたいという思いが
大きくなったのは本当です

 

 

 

さち

 

山本育夫

 
 

たったっ たったっ
あしおと か おいついてくる
たれの おとか 
ふとうはたけ の なかのみち
おいつき おいこされる る
おいこしていったのは たれ? 
うしろすかた しか みえなかった た
たったっ たった

たれか か うたっている る
こえか つきに おいかけてきた ららら

いつも なにかか おいかけてきて
おいついて おいこしていく くくく

ゆめは はかない と
たとぅー を いれた ちふさ か
ゆれている んたろうね
そのたひに

そのたひに さちあれ れ

とおい ていほう から
いぬとひとと こちらを
みている 

みんなに
さちあれ 

 

 

 

用雙重的季節向妳致意。
二つに重なる季節の挨拶を君に贈る。

 

Sanmu CHEN / 陳式森

 
 

等一等,黑沉沉的玫瑰;
重傷的青銅已沉默不歌。
不辭的心充盈着秋闇的餘輝。

等一等,賦格的玫瑰;
醉舟離開妳睫毛的星座
離開星星的群島。

等一等,不眠的玫瑰;
詩節骨離,杯酒往何處?
最 !
瀝血的刻度寸斷象牙。

以後,我詩中的玫瑰不再是玫瑰。

 

 

等一等,黑沉沉的玫瑰;
 待ってくれ、黒々としたバラよ;
重傷的青銅已沉默不歌。
 深く傷ついたブロンズはもう沈黙して歌わない。
不辭的心充盈着秋闇的餘輝。
 諦めない心は秋の闇の余韻に満たされている。

等一等,賦格的玫瑰;
 待ってくれ、フーガのバラよ;
醉舟離開妳睫毛的星座
 酔いどれ船は君のまつげの星座を離れ、
離開星星的群島。
 星の島々を離れる。

等一等,不眠的玫瑰;
 待ってくれ、眠らぬバラよ;
詩節骨離,杯酒往何處?
 詩片はバラバラになり、グラスの酒はどこに向かうのか。
最 !
 最高じゃないか!
瀝血的刻度寸斷象牙。
 血の滴る目盛りは、象牙を寸断する。

以後,我詩中的玫瑰不再是玫瑰。
 これから、私の詩の中のバラは、もうバラではない。

 
日本語訳:ぐるーぷ・とりつ

 

 

 

 

パンドラモン、雨が降り始める

 

サトミ セキ

 

九月一日の朝 空気のにおいが変わった
雨の降りそうなにおいがしますね
と机から顔を上げて言うと
そうなんだ と上司は書類を見たままぼんやり答える
その昔 季節が変わる日
においと気圧と音の聞こえ方と微妙な気温の下がり方が違うやろ
と理科教師の母は言った
(湿度が上がると空気中の水分量が多くなって、水分が振動して遠くの音が聞こえやすくなるんよ。普段聞こえない踏切の音、隣町の中学校のチャイムの音も耳に届くし)

耳の奥が水の中にいる時みたい。隣りのデスクにいる人が遠くにいてゆらり姿が揺らぐ
雨が降る 降り始めます もうすぐ
鼻の奥に感じる重苦しさ、安いポリエステルの制服ブラウスの下の肌がべたべたしてきて、わたしはどうしてここに毎日通っているの 狭いビルの一室に電話とパソコンと電卓に囲まれて
(なんてね)

故郷の町の雨は
海に降るとき 大きな港に魚たちの粒子が油まじりに泡立ち
山に降るとき 緑がざわめく 海も山も雨が欲しいのだ

降り始めと雨上がりのにおいが違うのって知ってた?
だれかとお昼休みに話してみたい
(いいえ母と)
雨に濡れる公園の土の上に寝転んで土のにおいを全身にまぶしたい

三階の事務所から コンクリートの階段を音立てて駆け下りる
キュイーン、カウィーン、
雨や雪が降る前は耳鳴りがする、耳を上から押されたみたいに
エビアンを地下のキオスクで買う エビアンは雨水の味がする
このビルには下水道のにおいが上がってくる
わたしの身体が見えない水に圧迫されているんだ
故郷の町は 染色工場の酸っぱいにおいが流れて来ると雨が降った 今はその染色工場もないけれど
窓を開けると
新幹線の架橋が近いこのビル街でも 草のにおいがしてくる
目に見えないどこかで 草たちは勢いよく繁茂している
もうすぐ雨が降り始める

母と喋りたい

  初雪が降ると布団の中でわかる。深夜から朝にかけてのにおい
  初雪のにおいには名前があるんよ ラノリーノン、今名付けたよ
  季節が変わる雨のにおいはパンドラモン  なにそれ、パンドラの函?
  うんそんなもの

その昔 母は喋り続けた
雨の日には なんでカエルがたくさん道に出てくるんやろね (雨の降り始めはカエルのにおいに似てる) ちゃうちゃう、濡れたアスファルトや土のにおいや
いつもより早く学校に来た時のにおい、マラソン大会の冬のにおい、桜の花びらチラチラする新学期の夕方のにおい、運動会の朝は子供のにおいが濃ゆいし、みんな違うわ (ああわかる)
家の扉を開けると収穫時の田んぼは早よ刈り取ってというにおいがしたし、雨降りの前日は牛糞のにおいが遠くからはるばるやってくる
(それは知らんわ、)とわたしは笑った

土曜日の午後のわたしの故郷 海へと下る坂のにおい
母が最後に入院していた人工島に飛行機で降り立つといつも あの九月一日がどこかに混じっている

パンドラモン ラノリンノーリン ンドラモン
(十一年前の八月三一日は晴れていて 九月一日夜明け前に雨が降った)

今日 季節が変わった
もう言葉で伝えられないけれど
今あなたが感じるにおいはどんなものなの
教えてよ
この世ではないその場所のにおいを
パンドラモン 今日で十一年
新幹線が見えるこのビルにも 雨が降り始めた
草のにおいが濃くなって来る
わたしもこの街で一本の草になるんだろう
おかあさん あなたの顔を忘れてしまった