長崎に来て
千尋さんの墓にいった
千尋さんの無辺
という絵をはじめてみた
無辺は
線が入り組んで
景色が見えた
二十六聖人をみた
東松照明の写真をみた
肌がただれていた
硝子ビンがねじれていた
末次助作さんは
三菱兵器製作所で被爆したのだ
長崎に来て
千尋さんの墓にいった
千尋さんの無辺
という絵をはじめてみた
無辺は
線が入り組んで
景色が見えた
二十六聖人をみた
東松照明の写真をみた
肌がただれていた
硝子ビンがねじれていた
末次助作さんは
三菱兵器製作所で被爆したのだ
昨日の夜
桑原くんから電話を貰いました
桑原正彦は画家です
若い頃は死んだ
犬を三匹並べて描いていた
いまは巨大な
天使の絵を描いている
巨大過ぎて天使には見えない
巨大過ぎて天使には見えないよ
桑原くんは
天空を支えるヒトとなった
千駄ヶ谷の
美術館にたっていた
千駄ヶ谷の美術館のなかの
小部屋にたっていた
全裸だった
少女は獣の毛皮をはおっていた
わたしの娘なのだとわかった
すぐにわかった
鳥肌がたった
全身に鳥肌がたっていた
アンディ・ウォーホルはわたしの娘なのだった
もう
昼は過ぎたろう
小鳥が鳴いている
誘われて
飲んだ
昨日も飲んでしまった
立ったまま
多摩川をわたった
深夜の満員電車で多摩川をわたった
昨日
そのヒトの命日だった
笑顔が電車の窓ガラスに映っていた
遠い街の灯にかさなってみえた
昨日は
墓参りにいきました
墓石には
慈という文字が刻んでありました
亡くなったそのヒトの娘が
書いた文字です
そのヒトは生前
娘とその母に迷惑をかけたそうです
それでも
墓には花を供えます
情報ではありません
墓には花を供えます
墓には花を供えます
しばらく前に、川崎真素実さんからお母様の詩集「未明 燃えて」を送っていただいた。
真素実さんに仕事の関係でお会いしたときに、お母様の詩集のことにを伺い、真素実さんのお母様の詩集というものを読んでみたいと思い、お願いして送っていただいた。
奥付には2013年12月に土曜美術社出版販売から発行されていて、はじめての詩集であり、石原吉郎さんや嵯峨信之さん、西一知さんに師事されていることが書かれていた。
これが現在の詩のカタチなのだろうか?
茫洋として掴まえられないコトバたちがならんでいる。
「きざし」という詩まで読み継いで、
なんとなく川崎芳枝さんという詩人のコトバの場所がわかってきたと思えた。
きざし
咲きはじめた朝顔をかぞえる
のどかな日
晴れわたる空に高くうかぶ
誰ひとり いない
忘れていた時を思い出したように
突然 とめどなく落ちる涙
光は内から発すると気づいた時
抱きしめたかった
やわらかくなる
まわりから溶けていく
夢に近いところで
もうひとつ 花がひらく
「きざし」という詩を全文引用させていただきました。
なぜ、誰ひとりいないのか、
なぜ、突然とめどなく涙が落ちるのか、
なぜ、光は内から発するのか、
それは、これらのコトバが夢に近いところで語られているからだと思いました。
この詩をよんでこの詩人のコトバの場所がすこし理解できそうだと思った。
わたしたちは夢をみる。
わたしも夢をみる。
多くは忘れてしまうがたまに憶えている夢もある。
憶えている夢は不思議なリアリティを持っている。
夢は欠落を持ちながらひかり輝く欠片のようだ。
夢は、欠落しているからこそひかり輝くだろう。
誰ひとりいないところに「ワタシ」がいて、もうひとつの花がひらく場所だろう。
そこに、コトバが影のように揺れるだろう。
もうひとつ、「できることは 何もない」という詩がある。
できることは 何もない
あなたから投げられた石のつぶてを
胸にうけて
大きくえぐられた空洞
あなたの絶望を前に
それでも立っている 不思議
二本の足が ふるえている
かみ合わないことばが
いくつもはじけて 消えていく
ふるえているという
それだけの かすかな希望
あなたに出会った
許されてここに在る
ただそれだけ
「できることは 何もない」という詩の全文です。
ここに書かれている「あなた」とは誰なのだろう?
神だろうか?
恋人なのだろうか?
わたしはその「あなた」から投げられた石のつぶてを胸に受けて、
胸に大きな空洞ができているのである。
ひどいめにあわされているのに、
あなたに出会った、許されてここに在る、
と書かれている。
この「あなた」は果てしない者なのだろう。
この場所からコトバを書くことは難しいだろう。
なぜなら果てしない者にたいしてコトバは必要ないからだ。
ゆるされてここに在る、ただそれだけ、なのだ。
ヒトは、その場所では、祈るか、うなり声をあげるか、小鳥のように囀るしかないだろう。
「川岸」という詩があります。
川岸
渓流のなかの岩に
風にあおられた蝶が ふと舞いおりる
白という安らかさをまとって 止まる
(中略)
うすい陽は
すみきった川面にひろがり
そこに 無数の蝶が乱舞する
まぼろしをみる
届かない もっと深く
小石を投げいれる
夕もやに沈む 青い流れになるまで
せせらぎの音をきく
また、「未明 燃えて」という詩のなかで、このように語られています。
見知らぬ人がゆっくりとふりむく
(何も残さなくていい)
とおりすぎる風に
ひっそりとした日々が
今日もまた 燃えあがる
ここに「あなた」と呼ばれる者への言葉があるだろう。
そこはもうひとつの花がひらく場所だろう。
コトバは影のように揺れるだろう。
その場所では、祈るか、うなり声をあげるか、小鳥のように囀るしかない。
昨日は
神田で飲みました
通り沿いの
二人席でおとうさんが飲んでいました
おとうさんは
一人で飲んでいました
おとうさんは
泣いていました
いない誰かと飲んで
話していました
わたしの幽霊も近くにいるでしょうか
くつをはいて
いるのでしょうか
昨日は
広瀬さんのBar鳥渡でのんだ
トム・ウェイツと
ちあきなおみが唄っていた
四つのお願いきいてと
唄っていた
そこに
英雄はいなかった
囁くように
語るヒトたちがいた
壁にはうなだれた
犬の写真が掛けてあった
チェンマイで
広瀬さんが撮った写真だった
雲を
みていた
ポカンと白い雲をみていた
波をみていた
キラキラ
ひかっていた
なることは
わかることなのかな
わけいっても
あなたにはなれなかった
だから
悲しい
雲が白く浮かんでいた
空で
わらっていたな
あなたがわらっていた
休日には
海辺をモコと散歩します
部屋に帰って
窓から西の山をみます
悠治さんの
ピアノを聴きます
夕方には
モコと近所を散歩します
それから
窓から西の山をみます
波は
光っていたな
キラキラ光っていたな
どの波も
おなじ波ではなかった