工藤冬里
決定する能力は批判されるべきではない
昭和に鞭して
身体の決定は常に「眠れ」
終わりの時代に工藝性は必要なのか?
そうやって結論ありきでAIに相談してるといつかヤラベアム化するぞ
#poetry #rock musician
わたしの足は
けっして洗わないでください
多くの足が
そう言い出してきかない
(うるさい地面の夜が来る)
がむしゃらに菜めしを
喰っているものに
そのかかとをあげてやりましたが
ある日
きみはわたしの足を
知らないと三度まで言うだろう
喰ったにわとりの足は静か
などと うつくしく
詩に書いてしまうだろう
その詩は
足に来た夜でも
だれの地面でもないというのに
昨日は
立石の
二人展の後に *
駅前のブンカ堂で飲んだ
それから
桑原正彦の墓所に向かった **
立石の
桑原の
墓石に水を掛けた
手を合わせていた
墓石の下の
小石を拾い
ポケットに入れて
最終の新幹線で帰ってきた
今朝
義母の仏壇の
大日の足元に石を置いた
そこには
一昨年
女と登った
不二の小石もふたつ置いてある
赤い石と
黒い石と
溶岩石を置いてある
去年の
出雲崎の良寛記念館の
裏庭の
拾った瓦の欠片も
置いてある
小石や瓦はそこにある
あることのほかにはない
記憶が
曖昧になって
いる
亡き者たちを抱いて
無き者になっている
* 二人展:つげ忠男 × 中里和人 二人展「東京原風景・サブが居た街」のこと
** 桑原正彦:画家 桑原正彦のこと
#poetry #no poetry,no life
家々の色はとりどりで
晴れ晴れとはしていないけれども
とりどりで
クラフトマッコリのブリューワリーもあり
中国名の寸劇が街を覆う
分裂症つまり統合失調症が全体性への無理矢理の回復であるとしたらそれは、 部分と部分を劇的に結びつけようとするという点で知恵と似ている。 資本主義が全体主義に吸い取られる際に使われる物語がおどろくほど無理矢理で劇的なのはそのためである。
角谷の箴言めいた口調
例えば道を歩きながら「すべてに逆説がある」
ゑでぃまあこんのハロー警報はニルヴァーナの後だったが、 角谷のハローシカはソ連邦崩壊前だった。《故に》角谷はソ連邦を崩壊させたのだ。
#poetry #rock musician