michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

水のまち

 

塔島ひろみ

 
 

「浸水からまちを守っています」(*1)
と書いてあった
「まちに降った雨は下水道管へ流れます。下水道管は自然に流れるように少し傾いています。ポンプ所に流れついた雨水は、ポンプで汲み上げ「新中川」へ放流することでまちを浸水から守っています。」(*2)
昭和56年4月、ポンプ所ができた

となりに座っていたけど 一度も口をきかなかった
Kが 泣くのも 笑うのも 驚く顔も 見たことがない
寂しげな 少し困ったような目で 始終黙って 何もしないで ただイスに座っていた
私だけでなく 誰とも話さなかった
授業で指されると 小さなかすれる声で何か言った
ポンプ所開設前の昭和52年
流れ込む下水管を持たない中学校は荒れていて シンナーが流行った
タバコ、万引き、暴力
Kはどれもやらず、 誘われてもいない
似合わない学ランから細い首を出し その首には尖った顎と薄い唇がついていた
Kの世界はいったいどこにあったのだろう
授業が終わり 正門を出る 200m歩き 家に着く

卒業アルバムに載るKの住所(○○荘)は 中学校から200m、ポンプ所のすぐそばで
平屋建ての小奇麗な家が建っていた
アパートと同名の表札がかかるこの「○○」家の裏手にある、同じ平屋の一棟が
きっと○○荘 
青白い壁 雨戸が閉まり
駐車場にカラの物干し台が置かれ 一輪車が転がり
静かだった
誰もいないのかもしれないし
これから来るという大雨に備えて 閉じこもっているのかもしれない
Kが 40年たった今も 閉じこもっているかもしれない

ポンプ所が雨水を放流する新中川は、「埼玉県の一部と足立区、葛飾区および江戸川区の広範囲な地域を洪水から守るとともに舟運利用を目的として」(*3)昭和13年に開削が始まり、昭和38年に完成した
その年、私もKも1歳
その新中川にかかる八剣(やつるぎ)橋を
多くの生徒が渡って学校へ行き、また橋を渡って家へ帰る
帰り道 西の空が朱に染まり、遠くに富士山がくっきりと見える
どんな生徒も一瞬「あ」と思い、景色を見る
でも Kの家からだと その橋を渡らなくても学校へ行け、渡らなくても帰れるから、
この橋を 西の空が朱に染まる時間にKが渡ることはない
Kは一日一回きりの 贈り物のようなこの景色をきっと知らない

Kの世界はどこにあったのだろう
KはいまもKの世界にいるだろうか

小ぶりだった雨が次第に強くなってきた
今夜から大雨になるという
その雨の量がある数字を越えると
ポンプ所の努力むなしく
新中川もお手上げで
江戸川や利根川が決壊し、そのどちらか一方でも氾濫すると
Kの家は浸水する
平屋建てなので逃げ場はない

戸を閉めて 静かにじっとしている
あふれだした川の水が低地へと流れ、暴力のようにこのゼロメートル地帯の町を襲うとしても
一時の、シンナーみたいな流行りとして
Kは少し困った顔をしながらも黙ってやり過ごしてしまうだろうか

八剣橋は今、架替工事で風情ある欄干がなくなってしまった
西側に大型マンションが立ち 山も見えなくなってしまった
そんなことも この橋がそもそも必要なかったKには
何の脅威でも悲しみでもないだろう
Kの世界はあるだろう

私は
私の世界は
あるのだろうか あったのだろうか
わからなくて こわくて Kのことを思い出した
家まで行ってみたのだった

 
 

(8月某日 ポンプ所そばにて)

 

*1 細田ポンプ所(東京都下水道局)前の説明板より
*2 同上
*3 三和橋たもとの「記念碑」より

 

 

 

餉々戦記 (乾物ロード干し椎茸篇)

 

薦田愛

 
 

東向きいちめんの型ガラス窓を透かして
なだれこむ中庭の緑
北摂の一隅ちいさな集合住宅の
あかるいリビングダイニングは
ソファの真ん前がシステムキッチン
だから
食べることがメイン
煮ても焼いてもなんて言うけど
ここでは
煮るも焼くも蒸すも揚げるも
避けるわけにいかない
(とはいえ多めの油には及び腰
空0まだ揚げ物にはトライできていない)
三口コンロも広めのシンクも
ソファとサイドボードを並べて置けるのも
古いめ賃貸物件としては破格
つくづく
足りないのは私の料理の経験と腕と知識だな
でも
食べた経験なら年齢相応にそこそこ

家ご飯好きのつれあいユウキのほうが
ひとり暮らし経験もあって料理に慣れてる
のを頼りに
作ってもらう合間あいま
トマトと卵を炒め合わせて塩胡椒振ってみたり
干物をあぶったりまたもや豆腐を焼いてみたり
惣菜パックかかえて帰ってみたり
それで乗り切れるはずもなく
そうだねネット検索
そうだよ図書館で料理本
探すことには慣れてるんだ
なにしろ
話を聞きたい人についての資料とか撮影によさそうな場所とか
手土産に持っていくお菓子とかお疲れさまの食事の店とか
探すのも仕事だったから
それにほらこれ
『料理図鑑』ってタイトルの *
分厚い解説書もあるんだ
食材選びや扱いのコツがこと細かに
オールカラーでも写真入りでもなく
イラストとやさしい言葉とでね
ページを繰っては板ずりだの裏ごしだの
言葉は知っていても
やってみたことないなあなんて

シンク下の食材ラックごそごそ
乾物に乾麺に缶詰
東京をたつ直前は
備蓄しすぎの缶詰をせっせと食べて
未開封の乾物や麺は段ボールに詰めてきた
賞味期限ってどうなのかな乾物の場合
そうだ
高野豆腐煮てみよう
いっしょに干し椎茸、足りるかな
レシピレシピ
ああ小さめのだけど六枚か七枚
ボウルに水そして高野豆腐は三つ
そういえば
椎茸のもどし時間って短縮できるって、
どこだっけ、ああこれ
ぬるま湯に砂糖少々
もどし汁使うんだから
砂糖はそのぶん少なめにってことか
がさりがさがさ
袋をあける出すならべる洗う
ぴぃいっとケトル
おっと沸かしすぎ
ボウルにあつっと浄水足して
ひたす間に、そう
にんじんを
高野豆腐しぼる指がぎとり
油っぽいなんて
食べながら思ったこともなかったけれど
大豆油ってあるものね
おお椎茸のもどし汁
こんなに濃い色だったんだ飴色というか
醤油に砂糖に味醂かくはん
まずにんじんにゅるんと刃をにげる椎茸次いで高野豆腐に
落とし蓋おとしぶた
弱火と言ってもとろ火とは違うよね
ね、と尋ねる相手もいないので
はてなの行列振り切りふりきり
まあなるようになるでしょう
様子見い見ぃって
宙ぶらりん
やっぱりぃ
経験と腕と知恵の足りないぶん
しかたない

それでも
焦がさず煮つめすぎずにんじんかたすぎず
(爪楊枝をそっと刺し)
ほっほっ吹き冷まして口へ
うんまあまあ
汗して帰ってきたつれあいユウキは
「ん、んまい、いいね」
とにっこり
「好きなんだよね、干し椎茸
空0ばあちゃんがよく使ってたんだ」
おばあちゃんが? そうなんだ。
高野豆腐は?
「ん、美味しいよ」
かくてこのとり合わせは
以後
繰り返し登場してよし、とする

それでね
だからさ

高野豆腐に干し椎茸
切らさないようにいつも
でも、でもね
たかいんだぁ干し椎茸
高野豆腐に千切り大根かつお節に昆布
乾物いやとりわけ
干し椎茸もとめてうろうろ

ところが
それがね

その日降り立つバス停
古都東大路通五条あがったあたり
悪縁断ち切る御利益あらたかとか高名なお社手前の店さき
昆布椎茸の小袋大袋みっしりならぶコーナーに
出くわす秋日
町起こし塾の仲間と出かけた地図づくりの課題という一日の振り出しを
するっとわすれた

だってさ
直前に滋賀県産葉つき大かぶらをひとつ手に入れていて
そのうえ抱えあげた大袋は九州産干し椎茸四百五十グラム入り
ふだん手にする小袋や大袋と思っていた中袋のいったいいくつぶん
夫(ツマ)のために乾物
(馬の耳に念仏、じゃなくて)
そう
煮物何十度ぶん
塾の課題あとの空き時間
博物館へはともかく帰りのバスをなぜその停留所で降りたのか
椎茸昆布かつお節の匂いに誘われたのか私は
東大路通をひたすら北上四条通を左折して早足
河原町駅から十三そして宝塚行きに乗換え
型ガラスの窓の部屋へ
大袋と大かぶらにつれあい
「おっいいね」
とひとこと

それでますますあの煮物の出番が増え
たまにひじきや大豆や油揚げと煮ればひとしお
「せっかくなら三つくらい買ってくればいいんじゃない?」
などと唆されたから
ええ
三月に三袋 八月に三袋
もちろん出かければ
干し椎茸だけじゃなくてね
でも
干し椎茸提げて食事会 干し椎茸抱えて美術館
乾物が神仏、見物を上まわってね
そう食い気の産物
東大路通や阪急京都線はさながら干し椎茸みち、乾物ロード
引きずりそうなサイズの手提げに三つ押し込み
がさりがさっと抱え直すボックス席
車体のマルーンカラーまで何だか
干し椎茸の色に見えてくる

 
 

*『料理図鑑 「生きる底力」をつけよう』
おちとよこ 文 平野恵理子 絵 福音館書店刊

 

 

 

コロナ・ウィルス

 

たいい りょう

 
 

どんどん広がってゆく
ウィルスの感染拡大
ウィルスは、けつして死なない
別の人の体内で 生き続ける
彼らも生きるのに必死だ
遺伝子を遺そうとしている
私たちの同じ生命
どちらが勝つか
分からない
戦いは ずつと続いていく

 

 

 

「かかと」の 儚い人生

 

今井義行

 
 

いろいろ 理由(わけ)が ありまして

わたしは 半年振りに シャワーを
浴びることに なりました・・・

からだを 立たせたままでは
腰が キツイので
わたしは 浴槽の なかで
あぐらを かく ことにしました



わたしは 半年振りに シャワーを

浴びることに なったので・・・
髪を洗い 次に胸 両腕 というように
スポンジで 体をこすっていくと

たくさんの 垢がでてきました
それから そけい部 両足というように

下へ下へ スポンジを移動させて かかとに たどり着いたとき

「あーん」と わたしのかかとが
喜ぶような 声とともに よりいっそうの

垢を出したのです・・・
「どうしたの わたしのかかと?」
と わたしがわたしのかかとに 尋ねると

「もっと あたしをこすって」と

わたしのかかとが わたしに対して
求めてくるでは ありませんか

「ねえ わたしのかかとさん 
あなたは いま どうして おんなことばで わたしに話しかけてくるのですか?」

と わたしがわたしのかかとに 尋ねると
「あたし 別に オカマではありまシェン

あたし じぶんが いま はやりの

LGBTQ の どれに あてはまるか
なんて わからないで シュ シュ
シュッ シュッ シュッ・・・・

でも そんなこと
どーでも いいんじゃ ありませんの?

あたしは もうそんな事 いちいち
カテゴライズしても しょうがないと

思って いるのよ シュッ」

「そうだね わたしのかかとさん・・・

ところで その語尾の シュッていうのは
なんなの・・・?」

「いわゆる オノマトペ でシュよ」
「ああ そうなんだ

わたしのかかとさん もしかして・・・
あなたは 詩人では ありませんか?」
「詩人って 何でシュの?」
「詩人っていうのは ことばを虚構にして

造形化していく 人たちのことだよ」
「ああ そうなのでシュ ね

あたしって 陸上競技のアスリートじゃ

ないから 目や 腿や 胸みたいに

意識されることが 少ないじゃないの?

だから いままで ずっと からだの

脇役だから ほんとうに かなしかった
つらかった もしかしたら

気づかれないまま 火葬されちゃうんじゃ
ないかと 想像したら こわかった
でも きょうは 一所懸命 こすられて
はじめて スポットライトが あたった!
きょうは あたしの 記念日なのでシュ」

「ああ・・・いままで ずっと
気づいて
あげられなくて ごめんね
わたしのかかとさん・・・!」
「いいのよ 気になさらないで・・・」
「わたしに してあげられる ことは

ありますか?わたしのかかとさん」
「そうでシュね・・・」

「じゃあ もっと 強く 強く 強く

こすってください まシュか?」
「ガッテンダだ わたしのかかとさん!」

そうして わたしは わたしのかかとを
ゴシゴシ ゴシゴシ ゴシゴシ
魂をこめて こすり続けました・・・
そうしたら・・・

「あ あっ いいでシュ!
あっ いくっ いっちゃうでシュッ!!」

その瞬間 わたしのかかとは
たくさんのしろいものを 吹きあげました

それは 精子なのか 潮なのか
わたしには わかりませんでした けれど
わたしは わたしのかかとが
なにかに 到達した
ことだけは わかりました

「ありがとう ありがとう!!」
「いいえ どういたしまして
これからは わたしのかかとさんを
もっと 強く 強く 意識して

スポンジで こするからね!!」

「ありがとう ありがとう!!」



いろいろ 理由(わけ)が ありまして
わたしは 半年に 1度くらいしか

シャワーを
浴びることが できないのですが・・・

今日から わたしと わたしのかかとさんのあいだには
あたらしい きずなが

生まれたという わけなのです・・・

 

 

 

夏休みが終わる

 

さとう三千魚

 
 

夏休みには
川で遊んでいた

近くの雄物川で
泳いでいた

釣りキチ三平の川だった

水底に水草が揺れて
魚たち

水流に逆らって
泳いでた

群れて
泳いでいた

横に並んで
腰を振って

泳いだ

毎日
川で泳いでいた

毎日
川で遊んだ

川には
魚がいた

川には
死体もいた

魚や鳥や猫や犬や豚や

その死体
その骨

流木や小枝や洗剤容器や捨てられた平凡パンチや

たくさん
流れ着いた

夏休みが終わるころ
いつも

空を見上げていた
青空を見上げていた

昨日の朝
河口まで自転車で走った

河口にはサーファーたちが浮かんでいた

浮かんでいた
波を待っていた

 

 

 

#poetry #no poetry,no life