michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

幽霊たち

 

サトミ セキ

 
 

六月の東北の朝、湯治場の浴槽の中でわたしの腕に皺が寄り光が溜まっているのを見る。痩せた腕も濡れて光が溜まれば鈍く輝く。

殺風景な食堂で、ひとりきりで五穀粥を掬う。湯気のたつ粥をスプーンで口に入れたとき、二十三年前にお見合いをして三回だけ会った男を思い出した。
「コーヒーは飲まないけれど、ブレンド豆の比率は一口飲めばわかるんだ」
と三回目に会った彼は、そのときトヨタレンタカーを運転していた。真白い前歯に午後の日差しがきらりと反射した。わたしもが機嫌が良くなって鼻歌が思わず出てくる、運転がとても上手で雲ひとつない快晴だったから。
「ときどき、幽霊を見るんです、布団に寝転んでいるときとか天井に。将校の軍服を来て革手袋を嵌めている幽霊なんかを」

そういう彼自身が、まっさらな革手袋を嵌めてトヨタレンタカーを運転しているのであった。海の見える低い丘の上、小洒落たフレンチレストランの前に滑らかに車を停め、扉をあけて慣れない口調で予約を告げた。
「来年も『ライオンキング』をやっているそうです。あなたと見られたらいいな」
視線を泳がせ、ワイングラスを持ったまま、彼は横を向いて早口で言った。劇団四季は嫌いなんです、という言葉をフランスワインと一緒に飲み込んで、にっこりとわたしは微笑んだ。ああこのひとはいいひと、わたしと違う種類の。

その晩、夢の中に女が出現した。紫のつるっとしたドレスを着て水晶のブレスレッドを幾重にも巻いた女。三白眼の意地悪そうな瞳をさらに細め、覗き込むようにしてわたしに言った。
「あんたには合わないね、とってもいい人なんだけど、あんた、そのひとを必ず不幸にするよ、あんたは一生ひとりがいい」
(そうですよね 一緒に寝ながら 毎晩幽霊見てもいやですし)
わたしにはもったいないひとですのでご辞退申し上げます。仲人に断りの電話を入れたのは翌日だった。郷里の両親が会いに来る準備をしていたさなかになぜ、と嘆いたと人づてに聞いた。わたしより二センチほど背の低い、前歯の白いひとだった。わたしはあれきりお見合いはやめた。

二十年後のわたしが病を宣告された晩、あのひとは「大丈夫だよ」と目に涙をたたえて手を握ったりしただろうか、抗がん剤を打って、枕元の洗面器に吐き続けるわたしの背中をさすりながら、((見合い運が悪かったな))とひそかに思い、((いやいや、そんなことを思ってはいけない、いけないぞ俺は))と浮かぶそばから打ち消したりしただろうか。

(あのひとはいま、一戸建てのマイホームでコーヒーを一口すすっている。小太り妻が入れるコーヒーは今朝もうまい。ああ、肌がぴかぴかした健康妻のコーヒーを、わたしも飲みたい。
((今日はブラジル三、キリマン七だね)) 前歯の白かったひとは、たちのぼる香りを嗅ぎ、一口飲んで言っているのが聞こえる。あ、ほんのすこし歯も黄ばんできたかな。コーヒーも飲めるようになったのね。浪人中の息子は、今日も一言もしゃべらずかばんを抱えて出て行く、あのひとが三十年ローンを組んだ新興住宅地の家から。)

東北の湯治場で、コーヒーメーカーから出る蒸気の粒と、たちこめる硫黄の粒子に撹乱されて、わたしと小太り妻の粒子もまじりあう。わたしが薄い一杯のコーヒーを飲み終わるまで。
胃のなかで、コーヒーが五穀粥とうまくまじりあったら、あのひとと小太り妻の姿が消えてゆく。わたしも硫黄の蒸気のなかでゆらゆらしている脳細胞の消去ボタンを押す、これっきりのはずだった。

でもね、やっぱり幽霊を見るんです。湯治場から東京に戻ってきてもね、一人暮らしの小さな部屋の中で。軍服の将校じゃなく、三十年ローンの新興住宅地で、毎日静かに朝日をあびてごはんを食べる白い前歯の幽霊を。小太りでおいしいコーヒーを入れているもうひとりのわたしの幽霊を。

 

 

 

眠たい縄文

 

萩原健次郎

 
 

 

空白空白空白空白0ぽんぽこ。

どこかへ抜けていけるのかもしれない。
禅院の水鏡は、あらゆる雑な事物や景物を吸いこんでいる。

空白空白空白空白0君が代に。

バキュームの青空、蟻の手の、先の触指の受信装置など。
ワガワガと、翻る破声など。

濃緑は、零度の位置で誘っている天空のまっくろくろけの欲動を
つまんでは食べ、食べては吐いて、池水の嵩を増している。

猿たち、その毛は光に撫でられて
ゴールデンに輝いてらあ。

――あなたより知能が低い、あたしらわあ、

空白空白空白空白0巌(いわお)となって

――くどくよりも、それならば九毒でまいろう

と三味にあわせて、池水の舞台を歩いて行った。

抜けていった此の世は、ちょっとしたジンカンの地獄で
善意と悪意の貸借が、とんとんになって
参る人たちは、もうへとへとに鬱になって

――飛び込んでやる
――やく漬けになる
と可愛く叫んでやる。

空白空白空白空白0千代に八千代に

そのような国があったなどと、誰が信ずるものか。
日が出るとか。
狐が憑くとか。

遷宮するとか。

――喜劇のように死んでやる

空白空白空白空白0苔の生(む)すまで。

役者になる前に僧侶となり神主になり、宮大工になり、
ヒノキの板に乗り

飛び込む。

その前に、一度猿になりたい。
赤い尻。

白蛇に。
赤い舌。

空白空白空白空白0細(さざれ)石の。

逆しまに、池が空から降ってくる。

――ゴジラの国へ。

 

 

 

梅雨の晴れ間に

 

みわ はるか

 
 

四角い専用のフライパンで卵焼きを作る。
醤油、みりん、砂糖、塩、だし汁で作るオーソドックスなもの。
いつも茶色く焦げてしまうので今日は弱火にしてみる。
きれいな黄色でくるんと巻けたのを確認すると思わずにんまりと笑みがこぼれる。
フライパン返しで上手にまな板に移す。
研いだばかりの包丁で食べやすい大きさに切っていく。
以前はめんどくさいと箸で雑に切っていたけれどもうそれはやめた。
ストン、ストンと切り終わった卵焼きはとても美しかった。

去年の夏までベランダに吊るしてあった風鈴が悲鳴をあげていた。
雨風にさらされてボロボロになっていた。
銅製でとでも重厚な音色を聴かせてくれていたけれどもう寿命をとうにこえてしまっていたようだ。
仕方なく処分した。
次は今までのと全然違うものにしようとネットで色々調べて購入した。
なんと、明るいピンク色のフラミンゴの下に細長いステンレスでできた円柱の棒がぶらさがっているタイプのものだ。
4つもぶらさがっているのでお互いがぶつかって「テロテロ~、テロテロ~」とかわった音色がする。
その上にどっしりと乗っているフラミンゴが重そうだけれど。
それだけでは少し物足りなかったので、普通のよく見るタイプの風鈴も買った。
陶器でできたもので、白く塗られた上に朝顔の絵が少し遠慮したようにちょこんと描かれている。
こちらは少しの風で「チリン、チリン」と慌ただしく鳴り響いている。
2つとも前回同様ベランダに吊るした。
お互いが邪魔をせず、喧嘩することなく上手に共存しているかのようにみえる。
人間の世界もこんな風であればな~と思う。
夜中みんなが寝静まったころ、道行く車がなくなったころ、わたしは一人座椅子に座りながらそんなことを考える。
「テロテロ~、チリンチリン」という音を聴きながら。
うんざりするような日がある。
誰の顔も見たくないと感じる日がある。
一人丸くなって押し入れの隅でじっとしていたいと思う時がある。
だけれども、ものすごくあの人の笑顔が見たいとか、話を共有したいとか、同じ景色を見たいとか望む自分もいる。
やっぱり社会とはつながっていたいと願う。
贅沢なのだろうか。
どうなのだろうか。
今のわたしには残念ながらよくわからない。

先日、ひょんなことから、生まれて初めて弟と2人で外食をした。
弟の好きなお寿司を食べることにした。
水槽の中で少し窮屈そうに魚が泳いでいた。
出されたお茶は舌がやけどするかと思うくらい熱かった。
慣れないカウンターで思わずキョロキョロしてしまった。
ファミレスで十分なのだけれど、せっかくなので、こんなことも次いつあるかわからなかったので。
弟はわりときれいに食事することを知った。
器用に箸を使ってわさびの量を調節する。
ネタに醤油をつける。
布巾で口をふく。
赤だし、天婦羅、最後のごまプリンまできちんと丁寧に完食した。
世の男性というのはこんなにもよく食べる生き物なのかと感心した。
弟の話は面白かった。
男のくせによくしゃべる。
弟には夢があるようだ。
わたしはもちろん応援している。
縁あって姉弟になったのだからいつまでも仲良くしていきたいと思う。
仮に色んなことがうまくいかなかったとしてもまた話してほしいなと思う。
その時はまたお寿司を食べに行こうと心の中で姉のわたしは小さく誓った。

 

 

 

あれれっちゃ

 

鈴木志郎康

 
 

シロウヤスさんが、
パジャマを後ろ前に着て、
こりゃ、いいわい、
って、
ひょろひょろっと、
にわかに
立ち上がって、
部屋の中を、
杖も持たずに、
両手を翼みたく
バタバタさせて、
歩き回ってるっちゃ。
アッ、危ない、
すっ転んじまったっちゃ。
テーブルの角に、
頭をぶつけて、
床に仰向けに
すっ転んじまったっちゃ。
あら、動かないっちゃ。
動かない。
あれれっちゃ。
へへへ。
そんな、
俺っちの空想っちゃ。
歳取るって、
ねええ。

 

 

 

新 骨ッの世界

 

辻 和人

 

 

コツッ
コツッ
骨ッ
骨ッ
コツッ
コツッ

自転車走らせ
建設中の小平の家へ
お仕事中のミヤミヤに代わり建設の進み具合を見に行く
頭上に
鯉のぼりみたく
ハタ、ハタ、ハタめく
ほそ、ほそ、ほっそながい光線君を従えて
走った、走った
すると
鉄パイプの足場とシートに囲まれた巨大な影
「辻様邸」
うわぁ、ぼくんちだよ
感動
見て見て、光線君
「ツジサマー、サマー、サマーティーイーイー。」
興奮した光線君
平べったい体を痙攣したように高速度で折り曲げ
大きく広げたお目々を左右にグリグリ
あのー、まだそんなに驚かなくていいから

「こんにちはー。依頼主の辻です。」
「お待ちしておりました。どうぞゆっくりご覧になって下さい。」
仮設ドアを開けると
うわぁ、いきなり

コツッ
コツッ
骨ッ
の世界
横にも縦にも
おっと斜めにも伸びる
四角い木、木、木
これって
恐竜の骨組そっくり
ぐねぐね
きゅるきゅる
横にも縦にも
おっと斜めにも
骨ッ
コツッ
コツッ

弱いライトに照らし出された骨の群
玄関からそろりそろりと伸びて
ここ、トイレか
「くの字」に並んで
尻尾が軽くとぐろを巻く
う、う、
微かに
ぴっくぴっく
伸びていく伸びていく
だんだん太くなっていくぞ

がーん
突然ぶち当たった
ぶっとーい腰
ここ、キッチンか
長方形に、ちょいと不均等に並んだ骨
冷蔵庫と食器棚を置くスペースを広く取ったので
圧倒的なボリュームだ
尻尾と釣り合いを取りながら
ゆーらゆーら
重い重い体を揺らす
ゆーらゆーら
恐る恐る骨の一つに触れてみると
ひんやりした皮膚のざらざらした硬さが感じられて
ぞぞっとしちゃったよ
あ、今
リビングの上を黒い影がよぎって
電球が揺れた

とすると、足は
ここ、ベランダの隣の壁
埋め込まれた木が頑張ってる踏ん張ってる
よーちよーち
体が重いのでよちよち歩きしかできないけど
歩幅は大きい
前のめりに前進して獲物を追う
土をえぐって
よちっ
分厚い爪が空中に飛び出す
危ない
避けろ
けろ

1階を見尽くして改めて辺り見渡すと
何と何と
光線君が床にぺたっとへばりついてるではないか
おいおい、大丈夫か
「ピックピクー、ユーラユラー、ヨーチヨチー、
サマーティーイーイー、メー、マワールールー。」
中身のない目をくるくる回して正方形にノビている
心配しないで
肉は食べるけど光線は食べないよ
さあ、気を取り直して2階に上がろう

コツッ
コツッ
骨ッ
骨ッ
コツッ
コツッ

長い長―い背骨をつたって
胴から首へ
ぐねっぐねっ
不意に起こる屈曲
遙か下方で
尻尾が床を叩いている
その振動が骨をつたって
ぼくの手の甲を震わせる
振り落とされたら大変だ
必死にしがみついていると
回復した光線君、すっかり平気顔
骨の間をスィースィーと飛び回りながら
「イコーイコー、ウエー、イコー。」
飛べるって強いな
さ、もう少しで2階だ

よいしょ、最後の段を上がると
おおっ
す、すごい
コツッコツッコツッ
木の香りをぷんぷん立ち昇らせながら
長短の骨が
立って立って立ちふさがって
そうか
ぼくは背から首を通って喉元を抜けて
でっかい口の中
ってことはこりゃ歯か
上からも下からも
ぐわっと攻めてくる
フリースペース、クローゼット、書斎と
攻めてくる長短の骨を避けながらそろりそろりと移動する
コツッ
コツッ
興味津々の光線君
体を紐状に細くして一本一本の骨に巻きついては
ささくれた感触にいちいち驚いて
空中でくくっと旋回

ここ、寝室
高い位置に窓を配置したんだけどどんな感じかな?
足を踏み入れる、途端に
白い強い光
薄闇をぱーっと切り裂いて
目玉だ
獲物をぐりぐり探すレーダーだ
ぐりっと見据えられたらどんな獲物も腰抜かしちゃう
いつの間にか頭部に入り込んでた
同じ光の体をした光線君もこれにはびっくり
ぴたっと空中に止まって
円状に体をぴんと張って
甲高い声で叫んだんだ
「ザウルスーッ、ザウルスーッ、シュツゲンナリィーッ。」

そう
小学生の時初めて博物館なるものに連れてってもらったんだよね
ナンダ、ナンダ
コレ
ナンダ
散らばった骨を集めて復元された巨大な恐竜たちの姿
天井を掻き回す縦のライン
床に亀裂を入れる横のライン
骨と骨の間の
ぽかーん空間に
小さな目を凝らすと
古代がみるみる大きくなった

そうだ、そうなんだ
梯子を降りてもう一度できかけの家全体を眺めると
骨が骨を呼んで
連なって、大きくなって
わぉ
恐竜
尻尾を揺らし
目玉をぐりぐりさせ
鋭い牙を研ぐ
狙ってる
肉食だから狙ってる
巨大恐竜、立っている
歩け
歩き出せ
骨ッ
コツッ
コツッ

「雑然と見えるかもしれませんが、工事中の今だけですよ。
もう少したつと内装が仕上がって家らしく見えるようになります。」
工事責任者の方はそう言ってくれたけど
いえいえ、とんでもない
白い壁に覆われる前の姿を目に焼き付けることができてラッキーでした
近くのコンビニで人数分の缶コーヒーとお菓子を買って渡しましたよ

コツッ
コツッ
骨ッ
光線君
このことはミヤミヤには内緒だよ
暮らし始めた時にこの家が
昔、恐竜だったなんて
知られたくないからね
ミヤミヤには「順調に進んでいた。」とだけ報告するつもりさ
でも
ぼくは骨の世界の中で呼吸ができて
楽しかったよ
外から見る家は
どっからどう見ても荒い息吐く恐竜
困ったなあ
でもちょっと嬉しいなあ
走る自転車を体をきゅるきゅる回転させながら追いかける光線君
「ナイショー、ナイショー、ザウルスーッ、ショー、ショー。」
骨ッ
コツッ
コツッ

 

 

 

家族の肖像~「親子の対話」その19

 

佐々木 眞

 
 

 

お父さん、元気ってなに?
ガッツです。
ガッツ、ガッツ、ぼく元気になりました。

お母さん、このアジサイどうしたの?
お庭から取ってきたのよ。
ぼく、アジサイ好きですお。
そうだったの。知らなかった。

耕君、お母さんのいちばん大事な人は?
ぼくですお。
2番目に大事な人は?
健君ですお。
3番目は?
お父さんですお。
あったりい!

お父さん、割引は安く買うことでしょ?
そうだよ。

お父さん、トラブルって故障のこと?
そうだよ。

お父さん、影響ってなに?
wwwいろいろ影響することだよ。

「ぼくは常用漢字を使っています」と、ノートに書いておいてくださいね。
分かりました。

お母さん、念のためってなに?
そうねえ、雨が降るかもしれないので、念のために傘を持っていこう、っていうことよ。

ぼく、スギウラさんから注意されました。
そう。
ぼく、音、小さくしましたよ。
そう。
ぼく、スギウラさん、苦手じゃないよ。
そう。

お母さん、発車間際ってなに?
ちょうど発車するときのことよ。

ぼく、ノザキ君です。
こんにちはノザキ君。
こんにちは。

お父さん、残念の英語は?
ZANNE—N!

ぼく、連佛さんの声好きだお。「もしかしてルイ?」ぼく、連佛さんの声まねしたよ。
上手にまねしたねえ。

耕君、つかれていたから休んでいるのね。
はい、そうですお。
もう元気になったの?
元気です。元気、元気。

あなどるってなに?
かるくみることよ。

お父さん、「従来」は「いままで」ってことでしょう?
そうだよ。

バザーは感謝祭でしょ?
だいたいそうだよ。

お母さん、人気者ってなに?
人から好かれる人のことよ。

お母さん、「他」は「以外」でしょ?
そうよ。

お母さん、入線ってなに?
にゅうせん?
横浜線の線路に入る。
あ、そっちのにゅうせんか。

最後を飾るってなに?
最後をきれいにすることよ。

お母さん、狂うっておかしいことでしょ?
耕君、狂ってるっていわれたの?
言われないよ。

お母さん、よさこいってなに?
♪ヨサコーイ、ヨサコイよ。

お母さん、太平洋ってなに?
海よ。
太平洋、太平洋。

「なお」ってなに?
「そのうえに」のことよ。

引退ってなに?
そこからいなくなることよ。

迷うってなに?
さあどうしようかな、って思うことよ。

お母さん、あらそうって喧嘩すること?
そうよ。
あらそったらダメですよね。
そうよ。
あらそう、あらそう、あらそう。

怒るは女と又と心でしょう?
なになに。もう一度言って。
怒るは女と又と心でしょう?
ああ、そうだね。

ぼく青梅線好きですお。
そうなんだ。
ぼく青梅線乗りたいですお。

ビーチって磯でしょ?
そうだよ。よく知ってるね。
ビーチ、ビーチ。

おじいちゃん、おばあちゃん、亡くなったよね?
亡くなりましたよ。
どうして亡くなったの? 歳とったから?
そうだよ。

お母さん、茶番てなに?
笑ってしまうことよ。

お父さん、千はゼロが3つでしょ?
そうだよ。

「只今」は「現在」でしょ?
そうだよ。

美人、きれいでしょ?
そうよ。美人て誰?
お母さん。
あら、耕君ありがとう。

キョウコさん、おじいちゃんと結婚したの。
そうだよ。

おがら焚くと、おじいちゃん、おばちゃん、帰ってくるでしょ?
そうね、おがら焚こうね。

むかし、おじいちゃんとおっばちゃんチに、コロいたよね?
うん、いたよ。
ぼく、おじいちゃんと、おっばちゃんと、コロ描きますよ。
描いてね。

 

 

 

漆黒のスープ

 

正山千夏

 
 

雨の火曜日シナモントースト焼いて
ミルクティを淹れた
冷蔵庫のぶーんとうなる音ワンノート
今日は資源ゴミの日
つぶれたビール缶、スパイスの空き瓶段ボールの束
時間までに出しておけば青いトラックが運んでいくどこへ
灰色の雲で胃の中はいっぱいだ
選択は今日はできない乾かないから
わたしは重い足取りで運ぶどこへなにを

もしもあなたがそこにいるのなら
今ごろ漆黒の闇に浮かんで光を見ている頃かしら
そのスープにあなたもわたしたちもみんな溶けているのよね
世界は光と闇と、灰色の雲でできている
そこから先が思い出せない
光を見ていてたぶん自分もその光のうちのひとつで
それからどこをどうやって
気付いたら狭い参道だ

もしもあなたがそこにいなくても
わたしは漆黒の闇に浮かんで光を見ている
そのスープをあたためていると
光っていたのはさっくさくのクルトンだ肉体だ
だとしたらどんどん冷やしていけばいいのか
フリーズドライみたいにやがては粉々になって真空に
それからどこをどうやって
気付いたら呼吸していた

灰色の午後はアイロンがけをして
昨日の残りの煮物でお昼にした
冷蔵庫のぶーんとうなる音ワンノート
にぶら下がりながら夕食の献立を考えていると
郵便配達人がチャイムを鳴らした
見るとこないだ出した郵便物が宛先不明で戻されてきた
宛名のラベルがはがれてしまったのだという
迷子になっているのはあなたそれともわたし
漆黒のスープに浮かぶはがれたラベルを思うわたしどこへ

 

 

 

全部さ

 

揺れてた

夜中に
目覚めたら

揺れていた

それでもう
眠れない

一瞬
見たのさ

湖なのか
海なのかな

わからなかった

海も
凪いだら

ひろい湖みたいさ

どうなんだろう
もう眠れない

一瞬
水の揺れるのを見た

それは
世界の一部なのか

それは全部さ