michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

向こう

 

塔島ひろみ

 
 

むかしそこに川はなく 向こうとこっちはひとつだった
境がなく 向こう、というものがなかった
橋をかける必要もなかった
そこにどうしてか川ができた
家をどかし畑をどかし 犬をどかし 木を引っこ抜き 大工事をして川ができ
川のこっち側は「こっち」、川の向こう側は「向こう」
つながらない 別の土地になった
団地の4階から川を眺める
川があるから眺めがよく 川があるからなにかと窓から景色を見る
護岸工事が終わり ようやく緑が戻りつつある河川敷
川面には黒っぽい大きな影がうつり 揺れている
それは10階建てぐらいの大きなマンションで 100人以上の人が住んでいそうだ
向こう側の知らない世界が
川に映って蜃気楼みたいに揺れている
ベランダに干した布団が川の上で揺れている
もうずいぶん向こうに行っていない彼は げっそりやせこけた黄色い顔で
川を渡ってきたのかと聞いた
私んちもこっち側だから渡ってないよと言うと
笑って じゃあこれからオレが渡るから
と言うのだった
昔なかった川を渡って 昔なかった向こうへ行く
息が苦しい 口をあける
声が出ない ベッドに体を横たえる
目を閉じる 川を渡るときが来たなと彼は思う
向こうに行くのが少し楽しみになってくる
かつて嫌いだった大きなマンション
その10階建ての どのフロアに どの部屋に住もうかしらと想像する
だから優しい表情で微笑んでいる
泳ぎ始める
どうして川を作ったのか 隔てたのか
昔はいつまでもいつまでも一緒でひとつだったのに
別れたり 泣いたり 手を合せたりしなくてもよかったのに
向こうなんて幻なのに ウソなのに
ないものに向かって彼は泳ぐ
行ってしまった

 
 

(9月某日、細田2丁目アパートで)

 

 

 

マンキー

 

鈴木志郎康 追悼

 

道 ケージ

 
 

ボク、マンキー
さるやない
マンキだってさ
マンキーマンキー
ラッキーなんだぜ
ボク、マンキー
返済終了!
おぅ、カッキー

生命保険確認の通達
もうすぐ満期

で、死んでほしい
と言われる
満期で支払い額が
下がるらしい

その前に死んでほしい
そう懇願され
やむなく死ぬことにした

ボク、マッキー
最後の言葉は
マンキー、ラッキー
またじゃあな

でもな
そう簡単には死なんで

「気合いで死ぬんや
 息飲んで死ね」

本末転倒だろ?
そりゃそうだが、聞いてない
こんなに額、下がるなんて
と妻

あんた末期
よく考えな、マッキ―
ジャッキー上がらん
タッキー翼折れ
どうする

「あたきなら死ぬ」
グッキー笑う
あやまりなく
殺める
雨やむ
見当つかない死に様よ

「大きな損になる
 やるだけやってみて」

まぁ、しゃあない
案外難しいんだぜ
それに自死は
降りないよ、保険

「だから気合いで
 マッキー
 なんとかしな」

そうかそうかと
息を詰め

ボクマッキー
あぁ、ラッキー!
アンラッキー!

「ドン ドン ドンガラガッチョ
 血の海だ
 やだなあもうこれだから」※

 
 

※ 鈴木志郎康「実践十円家族の皆様」より引用

 

 

 

存在するわたし

 

長田典子

 
 

ああ 
息苦しい
ソファに横たわる人を見降ろして
一方的に罵倒する
口が臭いんだよ、とか
野菜が嫌いなくせにケーキばっかり食べるなんてバカか、とか
なんで一緒にデートしてくれないんだ、とか
髪が少ないなら少ないでいいけど散髪屋で
「渡辺謙と同じ髪型にしてください」ってそれだけのことを
なんで言えないんだ、とか
お腹が出すぎで虫唾が走る、とか
だからってベッド離して寝るな、とか
まくしたてる
なにもかもあんたのせいなのだからと
重労働で曲がった指をあてつけに見せつける
あの人は目を三白眼にしてわたしを斜めに見上げる
頬を凍り付かせてもう終わりだという顔をする
わたしはぜったい終わらせたくないと続ける
いやだ終わらせてたまるか
吐いた罵詈雑言で喉がつまる
息苦しい

耐えられなくなったところで
目覚める
飼い猫が胸の上で丸まって
鼾をかいている
そうだった
猫もわたしも鼻を患っている
飼い主が病院嫌いで
疫病がもう何年も蔓延していて
嫌いな病院がもっと嫌いになって
死にそうでなければ気にしないでいいと過ごしているうちに
あそこもここもと気になるところが増えていき
猫のあれもこれも病のせいではないかと気になるところが増えてしまい
けっきょく病院には行かない連れても行かない
どんどん行かねばならない病院が増えてしまい追い詰められいく
息苦しくなる

息苦しくなると猫に噛みつく
口の中が毛だらけになるまでハグハグ猫に噛みつき続ける
猫はこっちの気が済むまで噛まれるままにさせている
猫はわたしをぜったいに裏切らない
知っている
あの人もぜったいにわたしを裏切らない
この鼻の病の息苦しさ
この疫病蔓延の息苦しさを
あの人にもぶつけたくなる
いやだ
夢の中のようにもう終わりだという顔が本当になったら
いやだ
疫病の恐怖 テレビニュースの執拗さといい加減さ
息苦しくてたまらない
バス通りを
目を空洞にして大声でわめきながら
あてもなく歩いて行く人の気持ちがわかる

ああ 息苦しい
夢の中で
あんな酷いこと言わなきゃよかったな
終わらせてたまるか
あの人とわたし それから猫

きょうは二か月ぶりにあの人が出張から帰ってくる
出張中は毎晩電話をして
すき?って聞く すきって返ってくる
無限大?って聞くと わざと三つ分と言ってくる
そのまえは地球三個分以上じゃないと嫌だった日が続いていた
だんだんエスカレートして
無限大が無限大じゃなきゃやだ、って言うと
無限大無限大無限大無限大と早口で呪文のように言ってきて
最後はいつもお互いに大笑いしながら電話は二分で終わる

あの人が服を着替えてうがいをして石鹸で手を洗うのを確かめてから
広くて深くてハーブ石鹸の匂いに少しだけ機械油の匂いが混じった懐に
顔をうずめて深呼吸する
匂いを嗅ぐ
今夜のおかずはあの人が出張先で調達してきたアジの干物と田舎風煮物
わたしは朝の残りの味噌汁を温め食器を並べればいいだけ
猫にも少しだけ温めたミルクを与える
あの人がわたしに多めによそった野菜の煮物をさりげなくあの人の皿に取り分ける
鼻うがい液や猫の餌の話などする
猫は男嫌いであの人がそばに寄るとシャーシャー威嚇する
あーあ、やっぱりかあさんがすきなんだ、わたしが笑う

寝る前には必ず曲がった指の関節にテーピングをする
これは指の酷使と加齢によるもので
確かに何十年も一日中重い荷物を運搬したり指を酷使する仕事をしていたけど
小学生でリリアンにハマりその後は編み物クラブで手提げバッグやマフラーを編み
高校生以降は勉強もせずに彼氏のセーターばかり編んでいたのも原因かもしれない
彼氏が変わるたびに何枚編んであげたんだろう嫌な奴ばっかりだったのになんで……
わたしという存在はないと同じだと思っていたから懸命に自分の形を象っていたのかも
中学生の頃ピアノばかり力まかせにぶっ叩いて弾いていたのもいけなかったのか
事あるごとにあの人に曲がった指を見せつけて
「あんたのせいだ」って言うことにしているのは
猫のマーキングに似てるのかも
あの人はいつもわたしのところにいて 
ぜったいに裏切らないから
わたしは今ここにこの場所に存在しているって感じられるようになったから
曲がった指を一瞬ちらつかせれば
事足りるのだ
すくっと立っていれば
枝がしなっても もとにもどる
息苦しさも 疫病も
ひゅー、っと ぬけていくだろう 

歯磨きをするあの人の後ろに立って言う
鏡を見ながら隅々までしっかり、とか 時間をもっとかけて、とか
寝る前にケーキ食べるなんてサイテイ、とか
買ってあげた増毛剤ちゃんと使ってよね、とか
夢の外でもやっぱり声を荒げている

あの人って夫というか古い友だちというか幼馴染みたいなものなのか
我が家の順位は最下位のあの人もやっぱりわたしの猫なのだ
ふらっと帰ってきてふらっと出かけるあたり
猫とわたしとあの人が揃う場所は
どんなときも
深く深く呼吸ができる

ここに存在する
存在し続ける
わたしは

すくっと立っていれば
枝がしなっても 

 

 

 

真夏のサンタクロース

 

佐々木 眞

 
 

仏に会うたびに、仏を殺し
詩に会うたびに、詩を殺してきたおらっちだったが
寄る年波ゆえに、疲労が困憊してきたよ

でも、今日は朝からいい天気
コロナに感染して、長の自宅療養を強いられていたから
偶には息子のコウ君と一緒に、近所を散歩してみようじゃないか

「ほら、この道の先に、赤いポストが見えるだろう
そしてそのポストの先に、小さな橋が見えるだろう
それを左に曲がって、ちょいと進んだところに
車椅子に乗ったおじいさんが、いるはずなんだ」

コウ君は、大阪道頓堀のグリコの看板のように
両手を高く掲げ、まっしぐらに進んでいきましたが
満面の笑みを湛えて佇む、車椅子の老人を見て
「お父さん、お父さん、おばあちゃんちの前に、サンタクロースがいるよ!」
と叫びました。

すると、あの有名な詩人のシロウヤスさんは *
いきなり車椅子を乗り捨てて立ち上がり
「おらあサンタだ! サンタシロウヤスだあ!」と声高く宣言して
おらっちのコウ君と、ガッツリ抱きあったのでした。

 

* 鈴木志郎康(1935年5月19日 – 2022年9月8日)