michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

peace frog*

 

工藤冬里

 
 

カレーに転身
胃瘻に検診
尾籠な塁審
ティンカーベルは陽性
なので反共とコミュニズム、自己否定としての反日と自足としてのナショナリズムは金の出所が同じだったと思いながら思いつつ
犀のように吐きながら進め
雑魚はいいからカメラは国連と政教分離のトレンドのみを追え
願わくば私が仰向かんことを!
記録的短時間大甘情報
付き合いもあるし、腸内菌の嫉みの際にも手伝ってもらっている
openfield with no child
ドブ胡瓜のインド屋台風
ドブ胡瓜は極限まで細く縦切りにし、それらしいスパイス全部入れて炒める
裂けトマトなどあればそれも潰して混ぜる
砕いたインスタント麺を入れ溶き卵を加えて数分で出来上がり
非常に量が増すので二人分でも多いくらい
冷やし胡瓜の深沢七郎風
胡瓜は極限まで薄く輪切りにし、冷たいご飯に乗せる
冷たい残り物の味噌汁を掛けて出来上がり
鯛の擂り身などがあれば伊予薩摩と呼ぶこともできる
あとは
・メロンと思ってスプーンで食べる
・冬瓜と思って煮る
など
それはどんなジャンルなんですか
えーっと,例えば、純粋な数式だけを音にしてるんです
昭恵は徹也を許すチャンスを逃さない
peace frog
腐る服を着てインスタにアップしながら
技術は
いやに黄色い
熱り立った人を
水と思え
竹籤は折れ
瑠璃は逃げる
お気持ちはよくわ分かります
からきしだめな
オルナンはアラウナ
神罰でさえ良いこと
水を探り当てる
Take away from me the noise of your songs;
for I will not hear the melody of your viols.
紙が飛ぶ
すぐに腹を立てない 
万札と思って追いかける
裁判官が目撃証人
何回も洗濯して白が褪せている
職場では無理だ
四国だけ井戸にするとかスーパーやコンビニをなくすとか集落ごとに電気を自前でまかなうとか山を掘って住むとかは八十八ケ所的結界妄想と出所が同じだったが、エデンは最早展げるものではなく覆うものなのだとしたらグローバリズムにも積極面はあるということになって笑いが込み上げる
理由を見つけて
靭帯の平和
ひとり
いろいろ
善悪を判断する機能は?
違いを楽しむ
人の舎弟を批判しない
分画はどの時点で血ではなくなるか
ネオンは輸血していい
自分の感覚に従うのは良心に従うのとは違う
謙遜温和辛抱愛
良心は詩ではない
森山さんシンバルキレイね#フジロック
ワタラセはカモガワみたいだったけどね
時間を轆轤にかけて細長く筒にしているだけではないのか
「私が人間であったことなど一度もない」エマヌエーレ・コッチャ
一致する理由しかなかったがそれでも憎み合う理由を見つけた
一致する理由はなかったが一致した
靭帯の伸び縮みが平和
違いを楽しむだろうか
アル中だろうか
一生は素早く過ぎるので
腰掛けだと思っている

料理を削ぎ落とす
貯蔵はできないわ

https://youtu.be/22GEvDupWGo

 

 

 

#poetry #rock musician

明かりについて *

 

さとう三千魚

 
 

“ひかりだね”

きみは言った
電話の向こうで言った

小舟で
夜明け前の

青黒い海に漕ぎだしたことがあるかい

沖に出ると
空は

透明の薄い青になり
太陽が

水平線から昇ってくる

ひかりが
海原にひかりの道をつくる

無数の
ひかりが

凪いだ
海の波間に輝くのを

見たことが
あるかい

またたくんだ
ひかりは

ランプの明かりじゃない

ひかりは
無数のひかりが

またたくんだ

 
 

* 高橋悠治のCD「サティ・ピアノ曲集 02 諧謔の時代」”自動描写” より

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

わたしが子どもだった頃、ちいさな

 

ヒヨコブタ

 
 

たくさんの神様がいることは子どもの世界でも当たり前だった
〇〇ちゃんをお祭りに誘ってはいけない
△くんはまた異なる神様のおうち
そんなふうに当たり前のこととして覚えていた
そうしなければ、うっかりすると彼らの顔に戸惑いと諦念が浮かんでしまうことをしっていた
信仰というのは自由だと幼稚園のシスターは教えてくださった
異なるからということで争ってはならないということだと
子どものわたしは考えた

仏教の幼稚園の子たちは少しだけ勉強が進んでいた
そして少し誇らしそうだった
僅かなほんの僅かな時期

わたしのなかに特別な信仰はなくても
他の子の数人には強い何かがあることは
当たり前だった

それでも迷ったとき、悲しみの中にあるときは
マリア様を思うことがわたしには自然なことだった

余裕の見えない今のこの数十年に
子どもだった彼らを思い出す
諦念の中に居すぎないことを
異なることを威張らないことを
少しだけ願う

人は少しずつ異なる
顔や体つきと同じように
それを言い出したら争いばかりになる
争うのはもったいない
せっかく生きて生まれてきたのに

まるで子どもなわたしには
時々起こる違和感や他者を強く排除することがたまらなくなる
同じように、少しでも同じように生きていたいのに

家族の中でも変人なわたしを
わたしは何度も諦めようとした
けれども誰かが呼び止める
幼かったわたしのような
諦めていいの?と

信じているのは生きていくこと
誰のことも貶まずに生きていくこと
当たり前が通じなくても

もともと変人だったんだからと開き直る
変な子といわれて大きくなったわたしなのだから
今更絶望で総てを諦めたりはしない
傷ついた人に塩を塗りたくないのだ

八百万というだけあって
あまりに多い神様の
そのすべてを知ることはないだろう
その神様たちを知ることは無理だろう
それでいい
ただ、静かに見ている
静かに通り過ぎる

先祖たちが知っている
わたしのなかにも受け継がれている
なにかを
見つめ直す頃に来たのかもしれない