オフィーリア

 

佐々木 眞

 

 

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今朝、死体を見た。
滑川の橋の下の魚たちが大好きな窪みの上で
それは、冷たい水に浸かっていた。

昨日白鷺の夫婦が、長い首をつんつん動かしながら
ぎくしゃく歩いていた小さな川に
蒼ざめたマネキンのように、ぽっかり浮かんでいた。

かろうじて水面からのぞかせた顔は、蝋のように白く
半ば閉じられた両の眼は
昇り始めた朝日をじっと見つめている。

祈ろうとして胸を目指していた両の手は
その願いを果たせなかったらしく
水の面に掲げられて行き場を失っている。

それは英国の画家ミレイが描いた
水藻の間を流れゆくオフィーリアに似ている。
叶わぬ恋に身を投げた高貴な少女の最期の姿に。

あくまでも恋人の抱擁を求めようとして、微かに開いた口からは
いつかどこかで聴いた尼寺の歌が聞こえてくるようだ。
寿限無寿限無海砂利水魚と泡立つ音に合わせて。

しっ、静かに!
水底で黙って耳を傾けているのは、
午後の太陽をじっと待っているハヤの七人家族。

せっかちな翡翠は、青の残像を残して慌ただしく飛び去り
白鷺の夫婦は、小魚探しに余念なく
寝坊助の亀次郎は、長い冬眠からまだ醒めない。

 

 

 

如月の歌~シェークスピア風ソネットの試み

 

佐々木 眞

 

 

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現代の詩人が作る現代詩のほとんどが、いわゆる「自由詩」というやつだ。
しかしおいらには、その自由詩の詩形がいかにも無秩序かつ胡乱なものに思われるので、
今更ながら天女の羽衣に軽く縛られてみたいと思い、
昔ながらの「ソネット」を作ろうと思い立った。

「ソネット」とは、ルネサンス期のイタリアで誕生した十四行からなる西洋の定型詩で
ペトラルカ風、イギリス風、スペンサー風の三つがあるそうだが、
おいらはシェークスピアの「ソネット」しか知らないので、
とりあえず、そいつの“うわべ”だけでも真似しよう、ってわけさ。

そこでおらっちは、たちまち寛永の馬術名人、曲垣平九郎盛澄になり切って、
天下の名馬“松風”に跨り、長駈愛宕山に赴いた、と思いねえ。
あの有名な“出世の階段”を一気に駆け上がると、
頂上からは江戸八百八町のおよそ半分を、一望することができたのよ。

けれども男坂の急勾配を、三度笠の詩句共が、押すな押すなと登ってくるので、
四行/四行/四行/二行の割れ目をば、ザックリ作ってやったのさ。

 

 

 

朝の歌

音楽の慰め 第1回

 
 

佐々木 眞

 

 

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空0これから時折、音楽にまつわる超個人的な思い出話、私の敬愛する詩人鈴木志郎康さんの素敵な用語を勝手に拝借しますと、「極私的」な話柄、を書き残してまいりたいと思います。

空0ひとくちに音楽と申しましても、おのずから私の下手の横好きのクラシックについてのあれやこれやになってしまいますが、その点はどうかご容赦願いたいと存じます。

空0まあ云うたらなんやけど、唐人の寝言、国内亡命者の口三味線、のようなもの、ですな。

空空空空空空空空空空空空0*

空0第一回のお題はとりあえず「朝の歌」にしてみました。
「朝の歌」といえば、まずはいまNHKの朝ドラでやっている「あさが来た」の主題歌でしょうか。

空0AKB48が歌う「365日の紙飛行機」は、副田高行さんのお洒落でシックなタイトルデザインとあいまって、「あたしなんざあ、もうとりたてて夢も希望もないけれど、今日もまた朝が来てしまった。でもとにかく全国的にアサー!なんやから、谷岡ヤスジみたいになんとか元気にぐあんばっていこうかなあ」という気持ちにさせてくれるようです。

空0AKB48は、皆さまがよくご存知のように、けっして歌が上手とはいえないやさぐれおねえちゃん集団なのですが、そのやさぐれ風の素人っぽさが、かえって日常の中の朝という時間の到来に、びっくらぽん、自然に寄り添っているような効果をもたらしているのかも知れませんね。

空0ところで「朝の歌」ということで思い出すのは、私の大好きな詩人、中原中也の大好きな詩「朝の歌」です。注1)

空空0天井に 朱きいろいで
空空空空空空戸の隙を 洩れ入る光、
空空0鄙びたる 軍樂の憶ひ
空空空空空空手にてなす なにごともなし。

空0という4行で始まるこのソネットは、

空空0ひろごりて たひらかの空、
空空空空空空土手づたひ きえてゆくかな
空空0うつくしき さまざまの夢。

空0という具合に嫋々たる余韻を残しつつ消えていくのですが、この最後の第4連の3行には、冒頭の代々木練兵場の軍樂の物憂い響きではなく、詩人の心の奥底でいつも鳴り響いていたうらがなしい滅びの歌が聞こえてくるようです。注2)

空0さて私事ながら、私の生家は丹波の下駄屋でしたので、町内の他の家の子供たちと比べて音楽的な環境に恵まれていたとはお世辞にもいえませんでしたが、なぜか祖父が熱心なプロテスタントであったために、小学生の時から強制的に教会に通わせられました。

空0私はそれが厭で厭でたまらず、その所為で却ってキリスト教に反発を覚えるようになり、現在に至るも無信仰無宗教の哀れな人間ですが、それでも教会で歌わせられる讃美歌の歌詞やオルガンの伴奏が、当時の田舎の少年の音楽心をまったく刺激しなかったと書けば嘘になるでしょう。

空0例えば讃美歌23番の「来る朝毎に朝日と共に」の出だしを聴くと、さきほどの中原中也の詩の冒頭にも似た、おごそかにして心温まる気持ちに包まれたものでした。注3)

空0後に成人した私が、LPレコードでモーツアルトのピアノ協奏曲第24番の第2楽章をはじめて聴いたとき、(それは確かクララ・ハスキルというルーマニア生まれの臈長けた女流ピアニストが、65歳で急死する直前に録音した曰くつきの演奏でしたが)、はしなくも思い出したのが、この讃美歌23番の奏楽でした。注4)

空0楽器もメロディも調性も異なってはいるものの、暗闇から突如一筋の光が地上に現われて、私のようにどうしようもなく愚かな人間にもかすかな希望を与えてくれる、無理に言葉にすると、天使が私を私を見つめながらゆるやかに翼をはばたかせているような、そんな有難い気持ちにしてくれた楽の音でありました。

 

空空空空空空空空空空空空0*

 

注1)中原中也の詩「朝の歌」は講談社文芸文庫吉田 煕生編「中原中也全詩歌集上巻」より引用。

注2)中原中也の芸術の記念碑的な出発点となったこのハイドンのピアノ曲を思わせる素晴らしい詩は、前掲書吉田 煕生の解説によれば、1926年(昭和元年)に初稿、1928年に定稿が完成し、諸井三郎の作曲で同年5月4日の音楽団体「スルヤ」第2回発表会で長井維理によって歌われた。なお本作が構想された当時、詩人の友人の下宿から陸軍練兵場(現在の代々木公園)の演習の「軍樂」が聞こえたことについては大岡昇平の証言がある。

注3)讃美歌23番(あるいは27番、あるいは210番)の「来る朝毎に朝日と共に」の第1番の歌詞は「来る朝毎に朝日と共に 神の光を心に受けて 愛の御旨を新たに悟る」。作詞は英国国教会司祭のジョン・キンブル、作詞は独教会音楽家のコンラート・コッヒャーと伝えられる。

注4)クララ・ハスキル独奏、イーゴリ・マルケヴィッチ指揮コンセール・ラムルー管弦楽団(2011年まで佐渡裕が首席指揮者を務めた)のモーツアルトのピアノ協奏曲24番は、録音は1960年と古いが、昔からフィリップス(最近デッカに買収された)の名曲の名演奏盤として夙に知られている。(20番も併録)

 

 

 

Les Petits Riens ~三十五年もひと昔

蝶人五風十雨録第9回「一月三十日」の巻

 

佐々木 眞

 

 

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1981年1月30日 金曜
夕方サンフランシスコ発JAL001便にて成田着。重い荷物をポーターに運ばせタクシーで鎌倉まで。やれやれと一安心。都合半月の海外旅行なりき。

1982年1月30日 土曜
土曜出勤。ルック雑誌広告。アデンダの大きなポスターをどうやってコピーしていいか分からない。

1983年1月30日 日曜 夜に雨
久しぶりに眠る。自閉症児親の会の会合をキャンセル。相模原の会員のみに電話連絡。たまには休まないと身体がもたない。息子たちと遊ぶ。

1984年1月30日 月曜 はれ
キリンビール訪問。だいたいそんなものよね。ベイヒルゴルフ企画で富士ゼロックスの小林陽太郎氏の出演許可をもらう。

1985年1月30日 水曜
朝パリEHPよりゴダールが撮影を完了したと連絡あり。アニエスbでf500買い物。夜駐在所のスタッフと会食。サル・プレイエルにてラベック姉妹のコンサート。

1986年1月30日 木曜 はれ
三陽商会長谷川氏、博報堂、関谷氏、小学館中川氏、島本氏。夜神谷氏と串花へ。

1987年1月30日 金曜 はれ あたたか
8時半日比谷スカラ座にてデ・ニーロの「ミッション」。86年のカンヌでグランプリだというがやや意外。G.I.Tにて日経矢田氏と「大コクトー展」の打ち合わせ。

1988年1月30日 土曜 はれ
ゆっくり起きてミラノへ発つ高市氏の自宅兼事務所に電話すれど終日繋がらず。「チャネラー」取材後小峰氏と飲む。松竹第2にてベルイマンの「シークレット・オブ・ウーマン」試写。女の生を重厚に描いた傑作。光と影が美しい。

1989年1月30日 月曜
プレス伊藤君と話す。努力家なり。IN秋冬構想会。

1990年1月30日 火曜 くもり
大阪支店にて11時から午後7時まで店長会議。山口課長と新任営業担当のお披露目。京高フェア打ち合わせ。私は「この日、この空、この私」「体と金と男」という話をしたがあんまり説経臭のする演説は良くない。夜神戸のグリーンホテル泊。

1991年1月30日 水曜
オレンジページ田坂さん来社。パスタ・パスタで昼食。「ゼロシティ」「アンポンで何が裁かれたか」をみる。

1992年1月30日 木曜
本日より米国出張。ボストンは古い英国の面影を残す町でJFKの生家や寄宿舎もあった。学生街のカジュアルなショップを見学。夜はウエルカムパーテーがあった。

1993年1月30日 土曜 はれ
会社休みてCD三昧。妻は味噌作りや心身の疲労困憊で臥せっている。

1994年1月30日 日曜 はれ
ボードレールの人生はわずか46年であった。次男東京造形大の1次合格。

1995年1月30日 月曜 晴
第1回の全員宣伝会議。だいぶ人が減った。文春の「マルコポーロ」がアウシュビッツにガス室はなかったという記事で廃刊決定。愚かなり。

1996年1月30日 火曜 はれ
1792年に再建されたべネツィアのラ・フェニーチエ劇場が失火のために全焼。残念なことなり。仏シラク大統領、核実験の終了を声明。

1997年1月30日 木曜 晴
去年より今年の方が仕事は楽になった。次男は自動車免許を取るための合宿に出かける。

1998年1月30日 金曜 曇
会社は出来るだけサボるようにしている。午後新橋TCCにてMIUMIUの出る映画を観た。横浜SSDにてアルゲリッチ、マイスキーのベートーヴェンのチエロソナタ集買う。ムク夜鳴きす。

1999年1月30日 土曜 晴れたり曇ったり 寒
会社休む。妻は余命2、3か月と宣告された鶴見さんに「手当て」しに行く。ムクと神社散歩。米バークシャー社から1万4千円の引き落とし請求書来る。

2000年1月30日 日曜 晴 暖4月のごとし ○
母と4人で宇田さんチ経由図書館。梅はどこかで咲いているに違いない。午後五反野マンションの広告コピーを書いているとようやくフリーになった気分が出てきて嬉しい。

2001年1月30日 火曜 晴 ○
不調。元気なし。妻やや回復すれどパソコン具合悪し。

2002年1月30日 水曜 晴
小泉首相が田中外相と野上次官を更迭。鈴木宗男は議運委員長を辞任。在任9ヶ月、ああいう奴でもいなくなると寂しいなあ。サライを買う。果たしてこれから仕事はあるのだろうか。

2003年1月30日 木曜 はれ
妻と義母、早朝より長野の親戚の葬儀に出かける。余、ようやく床上げ。ベルトリッチの「暗殺の森」みる。ドミニク・サンダは可哀想。トランティニアン良し。

2004年1月30日 金曜 晴 はれ
文化講義3連発。学生の新宿都庁レポートを読むとなかなか面白い。しかしコンテンポラリー講座は今日で最終回となった。困って執行さんに相談すると、織田学園というのを紹介しようといってくれる。まことに有難い恩人である。

2005年1月30日 日曜 はれ 暖
3人で 熊野神社へ行く。長男は岸本歯科で痛がったので、「痛かったら先生に痛いと言いなさい」というと「もう岸本歯科は行きません。チエ先生んちへ行きます」を連発。余波で箱根行きも中止となった。

2006年1月30日 月曜 晴
文化最後から2番目の授業。浪間先生は週3日で7コマ持っていて、今度アンコールワットへ行くそうだ。羨ましい。新橋キムラヤでグルダのベートーヴェン・ソナタ全集。大船ユニクロでジャケットとパンツを買う。5千円なり。

2007年1月30日 火曜 晴
布団干す。果樹園へ行き写真を撮る。文芸社の仕事が来ないので頭にくる。

2008年1月30日 水曜 晴 暖
妻は緑の会で北条時政邸へ行った。ずっとドイツ人が保存していたのに、次に買った日本人が売りに出したという。どこからも仕事の電話なし。

2009年1月30日 金曜 雨
終日雨降る。今日も文芸社は来なかった。やむを得ず山口氏の仕事を下請けでやることにす。孫請けなり。

2010年1月30日 土曜 晴
妻と太刀洗を散歩。お向かいのお嫁さんと会う。息子を中学校に入れるためにまた戻ってきたそうだ。疲れた顔なりき。

2011年1月30日 日曜 晴 初雪降れり
中央公民館の鎌響室内楽演奏会へ行ったが満員札止めのため帰宅し、CDを聴く。ハイドンの五度聴き終わり春の雪

2012年1月30日 月曜 晴れ
文化最終講義。これでたぶん学校は終りになるはず。

2013年1月30日 水曜 晴
妻と味噌を作る。午後ヤマダ電機、図書館。長男の携帯を解約す。安岡章太郎92歳で死す。

2014年1月30日 木曜 曇りのち小雨
ひさしぶりに栄プールで9往復す。25m×2×9=450mなり。妻は350m。

2015年1月30日 金曜 雨
関東は雪になりしが、鎌倉は降らず。

2016年1月30日 土曜 冷雨
「金目」の取り扱いを誤って辞職した甘利経済再生相の後任が、同じ「金目」発言で防災相を去った石原ジュニアとは、自民党も人材払底なり。日銀の窮余の一策「マイナス金利」導入をみても明らかにアベノミクスは破綻している。中国の景気後退と原油安で頼みの株式市況も動揺恆ならず、民草の誰ひとり景気が良くなったとは思っていないのである。内政の不安を北朝鮮のミサイルや中国の海洋攻勢を安保危機にすり替え、憲法破壊をもくろむ安倍政治に明るい未来への展望はないだろう。
ようやく冷雨が上がったようだ。
それにしても、私はいつになったら今井義行さんのような物凄い詩を書けるのだろう? いや、「今井義行さんのような」ではない。今井義行さんのように、自分らしい、自分でなければ書けない詩を、だ。

 

ハスキルのピアノに抱かれる冷雨哉 蝶人

 

 

 

夢は第2の人生である 第34回

西暦2015年長月蝶人酔生夢死幾百夜

 
 

佐々木 眞

 

 

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久しぶりに3大テノールのCDを聴いたら、なぜだかパバロッティを除くドミンゴとカレーラスの声が妙にしわがれている。そうか2人ともいつの間にか歳をとって老化していたんだな、と妙に納得してしまった。9/1

国境警備員の私は常に極度の緊張を強いられていたが、時折「侵入禁止」の立て札を捨ててたり、両軍の衝突で負傷した兵士の人命救助に従事していた。9/3

私は「戦にしてあればなんちゃらかんちゃら」という文字をコピペしてから、新しい原稿を書こうとするのだが、何回やり直してもその「戦にしてあればなんちゃらかんちゃら」がしゃしゃり出てきて、どうしても他の文字は打てないのだった。9/4

ところがしばらくするとPCの画面に「山猫さんこんばんは、いかがお暮らしでござんすか」というどどいつ野郎が勝手に出てきてのさばっているので、私はこれは駄目だ、と今日の仕事をあきらめてしまった。9/4

川沿いの小道を歩いていると、子供たちがさわいでいる。川の真ん中にある大きな石の上で大猫と鳶がにらみ合っていて、天然ウナギのウナジロウを狙っているのかと思ったが、そうではなくて大猫が捕まえて両手で抱え込んでいる台湾栗鼠を、鳶が奪い取ろうとしているのだった。9/5

豪雨が降り注ぎ、凄まじい雷鳴が轟きわたるその瞬間、峠の頂から今来た路を振り返ると、生まれてこの方私が歩んできた道筋が、ありありと見渡せた。9/6

北欧のどこかの国に出張に来ていた私は、取引先と夕食を共にすることになり、赤子を連れた女性とレストランに先発したのだが、途中ではぐれて途方に暮れてしまった。9/6

ある人が「いつも3冊の本を読め。ただしそのうちの1冊はちんぷんかんぷんの本にせよ」と助言してくれたので、後生大事にそのようにしていたら、ちんぷんかんぷんの人間になってしまった。9/7

全国知事会が、向後は第1次産業と第2次産業製品の生産を取りやめ、もっぱら第3次産業の製品のみを生産すると決定したので、政府はもとより全国民が一驚した。9/8

テレビドラマと映画の2本の仕事が、いよいよ大詰めを迎えた。後はそれぞれのラストショットの撮影と編集をすればいいのだが、最大の問題は社長の小林だ。彼奴は自分の強烈な口臭が、スポンサーからもスタッフからも嫌われていることを知らない。9/10

家族を殺された恨みを晴らすために、私は最前線の敵軍めがけて、単身で突撃していった。9/11

おやおやこれは一体どういうことなんだと、私が驚いている間にも、私の体はみるみる剛直して、巨大な玩具の兵隊になっていった。9/12

地球最後の日がやってくるというので、人々は狂乱したり、集団自決したり、久しぶりに一族郎党が団欒したり、思い思いに残された日々を過ごしていたのだが、滅亡の予定日を過ぎても何事も起こらないので、しばし途方に暮れていた。9/13

私は独立機械時計の弟子として長年修業を続けてきたのだが、目がどんどん悪くなってきたので、師匠に「迷惑を掛けるから首にしてください」と頼んだら、「俺なんか全然見えないけど、なんとかやってるから、お前も頑張れ」と励まされた。9/14

何十年も英語を勉強してきたにもかかわらず、てんで身につかない私は、アメリカ大使館でも衛兵と、アトランタ空港でも税関の悪名高いいちゃもんおばはんと大騒動を巻き起こし、ようやっと帰国した成田空港の税関でも、ここでは日本語でひと悶着起こしたのだった。9/14

東京暮らしが長い割にその地理がよく分かっていない私は、時折迷子になった。今日もそうなったのだが、幸い渋谷行きのバスに乗れたので安心していたら、折からの台風で通行禁止になり、バスから降ろされた私は、泥だらけになって大水の出た道無き道を歩き続けた。9/15

今次の戦にボランテイアで応じた富裕層には7%、中間層には9%、下層民には11%の一時金追加支給が国から出されるという法案に対して、私は支給額ゼロを主張したが、却下されてしまった。9/15

彼奴をやるかやるまいかと悩んでいたが、手元にあった葛根湯を呑んだ途端、急に元気が出てきて、その悪辣な権力者の胸元を、柄も通れと突き刺すと、彼奴はどうと倒れ伏した。9/16

夜、誰かがベンチに腰かけていた。近付くと腰の曲がった老人が、上半身裸で目を閉じていたが、よく見るとその背中は無残にただれて、大きな傷が出来ていた。もしかすると原爆の犠牲者かもしれない。

やがて夜空に満月が昇った。見たこともない巨大なフルムーンだ。やがて月から流れ出た乳白色のまばゆい光は、ベンチに座っている老人の背中に降り注いたが、ふと気がつけばあの醜い傷跡は跡かたもなく消え去っていた。9/19

私は恋人を盗られたと思って、後を追ってきたタコと格闘して、ナイフで刺し殺し、彼女の故郷まで辿りついたのだが、この噺をショートムービーにしたら、カンヌの短編映画祭でグランプリを呉れたので驚いた。9/20

その会社は途方もない広さを誇っていて、その敷地の中には事務所や工場や社員寮のほかに、海も山も草原も町も村も、寺や神社や教会も、数多くの住宅や路地や植物園、動物園にはパンダ、水族館にはリュウグウノツカイまで揃えていたので、誰も仕事をしないで遊んでいるのだった。9/21

どういうわけか厚生省の偉い役人になったので、施設で働き、ホームで生活している息子を苛める陰険な職員を解雇しようとしたのだが、まてよ彼奴も妻子と生活があるだろうと思って、特権を振りかざすことをやめた。9/23

総務課の川口さんから電話があってちょっと話があると云うので部下の酒井君と待機していると、来期の経費をすぐに出せと云う。「おラッチはよう、安倍蚤糞は失敗すると読んでいるけどよお、株式の投資が莫迦当たりしたんでよう、売り上げも利益も全然駄目だけど、経費だけは削らなくてもいけそうだと、社長が言っておられるんだそうだ」9/24

「だからあんたの課も大至急予算計画を出してほしいんだ」という不景気な中にも景気の良い話なので、私が「そんなら念願の新規ブランドの立ち上げが織り込めそうだ。酒井君と相談して一発どでかい計画をぶち上げてみますかな」」といいながら、目の前の川口さんの顔を見ると、顔と目鼻の輪郭がどんどん霞んでいる。

「おうそうよ、どうせ会社の金なんだからバンバン使いまくってくれよ」という声だけが聞こえてきたので、私はハタと気づいて、「でも川口さん、あなたはもう10年、いや20年近く前に亡くなっていますよね。そんな人がどうして来年の予算を担当しているんですか?」と尋ねると、

「いやあそういう小難しい話はよお、おらっちもよく分かんないんだけどさ、まああんまり堅く考えないで柔軟に対応してよ、柔軟に」と相変わらず声ばかりが元気に聞こえてくるので、「そんなこと言われてもなあ、酒井君」と後輩の顔を見ると、彼もまたなぜだか目鼻立ちが急激にぼうっとしてきているので驚いたが、じっと見つめているうちに彼は去年の今頃入浴中に急死していたことを思い出した。9/24

またしても単位が足らなくなってきたので、毎日のように大学へ行って見境なしに授業に出ているのだが、このままでは卒業できそうにないので、やむを得ず単位屋に頼んだ。彼奴は学校や教員のPCに侵入してデータを書き換えてくれるのだ。9/25

妻と子の姿が見えなくなったので、2階の窓からのぞくと、夕暮れの遥かな野道を歩いている。あわててバスに乗って、次のバス停で追い付いて、「早く乗れ」と声をかけると、2人の子供は乗り込んできたのだが、妻をおいてけぼりにしたまま発車してしまった。9/26

「みんないるかあ?」と誰かが声をかけたので、「妻だけがいません」と答えたら、「大丈夫だ、私の目には3つの物体の映像がちゃんと映っている」とその人物は請け合った。見ると、彼の腕には3つの腕時計が巻かれており、それぞれ別の時を刻んでいるのだった。9/26

「わたしには1ダース以上の子供がいるので、北朝鮮のスパイに1人や2人誘拐されたって全然構いませんよ」と豪語する男が、岸壁にいた。9/27

なんだか知らないけれど、こんな田舎で突然世界博覧会が開催されることになり、私は俄かプロデューサーとして現地に乗り込んだが、各国のブースはとっくに出来あがっているのに、中央会場と日本館の設営は誰も手掛けていないのだった。9/27

その有名タレントと契約を更改しようとしたのだが、彼は「君はこのトラックを全速力で飛ばせ。俺はそのトラックを全速力で追い越して運転席に乗り込み、そこで契約書にサインしよう」というので、私はスタートさせた。9/28

全国大会の時間の都合で報告が出来なかった連中が、怒り狂って司会者の私のところへ押し寄せてくるという話を聞いたので、戦々恐々としているところだ。9/29

私が夢を見ている最中に横尾忠則画伯が出てきて「この夢を絵に描いてやろうか」と言うので、「どうぞ、どうぞ」と頼んだら、実際の夢とはかけ離れた物凄く派手な極彩色の絵になってしまうのだった。9/30

しばらく政府の専横に不平と不満を抱く旧士族たちと生活を共にしたのだが、その政治的主張はともかく、彼らの清廉潔白な生き方には、目が洗われるような思いだった。9/30

 

雪の日には詩を書こうぜ  蝶人

 

 

 

岩波文庫版『石垣りん詩集』を読んで

 

佐々木 眞

 

 

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詩集を贈呈された者は、けっして古本屋に売ってはならない。
贈呈した詩人が、回り回って手にすることがあるからだ。
のみならず、それが詩に書かれて、一生物笑いの種にされることもあるからだ。

岩波文庫版の『石垣りん詩集』のなかに、『へんなオルゴール』というへんな詩がある。
「歴程」夏のセミナーに出席した詩人が、見知らぬ紳士からサインを求められる。
それは『表札など』という彼女の代表作のひとつだった。

「サインせよ とはかたじけない」*と喜んだ詩人だったが、開いた扉に一枚の名刺。
見れば「丸山薫様 石垣りん」と自分の筆で書いてある。
敬愛する偉大な詩人に送った詩集が、古本屋に並んでいたというのである。

「ひとりの紳士が1冊の本をひらくと
空0丸山薫さま 石垣りんです。
空0と明るいうたがひびき出す。」*

「どうしてうらんだり かなしんだりいたしましょう。
空0売って下さったのですか 無理もないと
空0それゆえになお忘れ難くなった詩人よ。」*

などと無理やり陽気にふるまおうとするものの、
そのとき彼女のはらわたは、煮えくりかえっていたに違いない。
だからこの詩を書いたのだ。

東京品川の糞尿臭い十坪の借家に、祖父と父と義母と二人の弟と住み続け、
たった一人の女の二本の細腕で、六人の暮しを支え続けた石垣りんは、
毎日のように押し寄せてくる詩歌集を、ただの一冊も捨てなかったのだろう。

詩集を贈呈された者は、けっして古本屋に売ってはならない。
贈呈した詩人が、回り回って手にすることがあるからだ。
のみならず、それが詩に書かれて、一生物笑いの種にされることもあるからだ。

 

空白空白空白空白空白空白空白空白空白*石垣りん『へんなオルゴール』より引用

 

 

 

正月の歌

 

佐々木 眞

 
 

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西暦二〇一六年一月二日
鎌倉の在に親戚十七名が勢ぞろい
そのうち五人が小さな子供

うららかな光のどけきお庭の中で
臼と杵とでぺったんぺったんお餅付き
大人も子供もお餅付き

つきたてお餅をちょんぎって
あんころ餅ときな粉が出来る
黒胡麻、胡桃、大根おろしもどんどん出来る

みんなで作ったいろんなお餅を
みんなで食べる どんどん食べる
おしいいなあ 美味いなあ

あっという間に、お腹がいっぱい
今度は近所の明王院にお参りだあ
それからみんなで、独楽を回そう

大きな独楽を、ひもで回そう
でも、なかなかうまく回らない
出来ない人には若い住職さんが親切に教えてくれます

そのうちに独楽回しに飽きてしまったユウちゃんが
昔ながらの井戸とポンプに目をつけて
レンちゃんと一緒にピストンを押しはじめた。

ガッタン、ガッタン、ジャア、ジャア、ジャア
ガッタン、ガッタン、ジャア、ジャア、ジャア
たちまち流れる水、水、水 水、水、水

それ気付いたカナちゃんも
それに気付いたノンちゃん、アルちゃんも
子供全員ポンプに群がり

ガッタン、ガッタン、ジャア、ジャア、ジャア
ガッタン、ガッタン、ジャア、ジャア、ジャア
たちまち流れる水、水、水 水、水、水

しばらくするとユウちゃんが
「水、水、水屋でーす。水、水、水はいらんかねえ」
即席水売りになりました。

またしばらくするとレンちゃんが、
「水屋さん、もっとこっちに流してよ
もうちょっとで地面に象さんができるぞう」

ガッタン、ガッタン、ジャア、ジャア、ジャア
ガッタン、ガッタン、ジャア、ジャア、ジャア
たちまち出来たよ、お水の象さん

いつの間にやらほかの子供たちも加わって
ワアワアキャアキャア正月早々出初め式
お気の毒に住職さんも逃げ出しちゃった

これではいかん、いかん、まずい、まずい
このままでは、名跡明王院が水浸し
ここらで水入りレフリーストップ

悪童五名と現場を離脱
峠をめざして出発だあ!
太刀洗方面へ転進だあ!

意気揚々と進軍してると
あれに見ゆるは次郎じゃないか
愛犬太郎を亡くしたおばさんが、四年前から飼っている

次郎は震災地からやってきた可愛い柴犬
名付け親の私を見つけて
声にはならない声でWangWang吠えてる

私が撫でると、子供も撫でる
次郎はうっとり目を閉じる
「次郎、あったかいなあ」とユウちゃんがいう

両手をペロペロ舐められたレンちゃんは
「マコトさん、次郎がぼくの手を舐めてくれたよ」
と、うれしそう あ、うれしそう

一月二日の午後三時
お正月の陽が、ようやく傾く
どんどん どんどん 陽が落ちる。

エイ エイ オオ! 
エイ エイ オオ!
それゆけガキんちょ太刀洗

エイ エイ オオ! 
エイ エイ オオ! 
朝夷奈峠の頂上へ