<ササキマコト>の主題に拠る48の変奏曲~第2篇 第11変奏曲から第20変奏曲

 

佐々木 眞

 
 

第11変奏曲

全身に見慣れないと突起物が総立ちになって、「見てよ、見て見て、こっち見て」と大騒ぎなので、よく見るとさぶいぼたった

 

第12変奏曲

ピーターは、なんで自分がこんな田舎の支局に飛ばされたのか、さっぱり分からず、元の上司に何度も電話してそのわけを聞こうとしていたが果たせず、何年間も腐っていたが、ある日おらっちが上司の上司からそのわけを尋ねると「実は別の奴を飛ばせと指示したのに、人事が間違ってピーターを飛ばしたんだ」というのだった。

 

第13変奏曲

浅いが綺麗な海の中で、小さな魚や海藻がゆらゆら揺れるのを見ていると、時が経つのも忘れてしまう。ふと気が付くと、私は水の中でも呼吸が出来るようになっていた。3/31

 

第14変奏曲

エレベーターとは何をする機械か分からなくなった老人たちは、思い思いに大小便をしたり、告解したりしている。

 

第15変奏曲

明日の本番を前にして、主役のオセロが降板することになったので、みんなで少しずつ分担することにしたが、本来の役との区別を付けられないので観客は大いに戸惑ったようだったが、そのうちに斬新でシュールな演出だと思ってだんだん納得してくれたようだった。

 

第16変奏曲

会期が迫ったパリコレに出す服のデザインを必死で考えているおらっち。そのコンセプトのひとつは「踊る服」で、もう一つは「考える服」だったが、そもそもおらっちは、物を考えたことなど皆無なので、後の作品はてんで出来ないのだった。
 

第17変奏曲

朝、咽喉がムズムズするので、ケタクソ悪いなあと思っていたら、突然見慣れない小人が飛び上がって、まるで誕生したばかりのお釈迦様のように、両手を高く掲げてテーブルの上に着地したので、えらく驚いたよ。

 

第18変奏曲

死地に乗り入る十八騎

ああ、あれは確か鳥羽殿じゃ

死ぬも生きるも、この時ぞ

死地に乗りいる十八騎
いきつくとこまで
ずんずん乗り入る十八騎
生きるも死ぬも、この時ぞ、 この時ぞ

 

第19変奏曲

報国寺の裏道を歩いていたら川原という表札が出ている寂しそうな家があったので、カワハラアキコさんのお宅ではないのか、と思ったが、もうこの世の人ではなさそうなので、諦めて通り過ぎた。

 

第20変奏曲

学校の試験問題は、決められた時間内に、決められた形式で回答しなければならなかったが、それからおよそ50年後に正しく答えられた問題もあった。

 

 

 

名を呼ぶ

 

さとう三千魚

 
 

昼過ぎには
“Metamorphosis”を聴いていた

フィリップ・グラスの
“Metamorphosis”は

新丸子に居た頃
ひとりで風呂に浸かりながら聴いた

何度も
聴いた

いまは
もう

夕方を過ぎて

外は
暗い

暗くなって
高橋悠治のピアノで “「1886年の3つの歌」より「エレジー」” を聴いている

「エレジー」は
日本語で

挽歌という

いつだったか
竹田賢一さんの大正琴を聴いて挽歌だと思ったことがあった

午後に
モコの墓に行ってきた

女と行った

モコの月命日だった
9ヶ月が過ぎた

女は
線香を焚いて

モコ
モコ

と名を呼んでいた

もう外は
暗い

高橋悠治のピアノでエレジーを聴いている

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

 

廿楽順治

 
 

おかあさんは わらっていますが
なあに空虚です

あるとき
血が下からたいへんにでましたが

それはあなたがたです
死んでいくのは だってあなたがた

おかあさんはね
この世界にはずっといませんでしたよ

せんたくものも
昨晩のおかずも ずっとそのままです

おかあさんは
戦争のある世界にはいないので

(やっぱりね)
ちっともひとの「死」でふとっていません

 

 

 

社長椅子に座るこかずとん

 

辻 和人

 
 

もう横じゃあない
時代は縦
縦抱き抱っこでなくちゃ満足できないんだ
コの字型授乳クッションも使い方が変わったよ
横に寝たカッコでミルクを飲むのはもうおしまい
クッション床に置いて
開いている側が足
頭をフカフカもたれかけて
お手手は左右にバランスよく置いて
深々コの字に納まったこかずとん
えっと、ただ納まってるだけじゃないよ
首は縦
お腹は縦
重力に逆らって縦
2つの目はまん丸で
ぼくが手にする哺乳瓶の揺れを追って

重力に逆らう
哺乳瓶の先端を含ませた途端
頬っぺむぎゅむぎゅ夢中で動かした
視線は縦
「あー、飲んでる飲んでる。まるで社長さんの椅子に座ってるみたいね」
横からミヤミヤが言うけれど
ふんぞり返ってはいない
背は縦
シュッと伸びて
この姿は雇われじゃない、創業社長だな
何を創業したかわからないけど
重力に逆らって
生後4ヵ月後の未来を見据えている
縦、縦
時代はもう横じゃあない

 

 

 

期日を定めて箍の外れた

 

工藤冬里

 
 

期日を定めて箍の外れた樽のように
亀の子たちの咥えられてくるソファの
そろそろ冷房もきつくなって
扇風機を消そうにも夢は更に小鳥二羽を運び
身体は箍が外れていて
九月までは
九月になれば
それまでは

箍の外れた樽のように

 

 

#poetry #rock musician

猫を待つ **

 

さとう三千魚

 
 

窓辺に
小鳥が来る

いつか
山鳩が来たこともあった

息をころして
見ている

餌を
啄んでいる

下の道を

隣家の
猫が通る音がする

黒猫は
首に鈴をつけている

 

・・・

 

** この詩は、
2024年8月23日 金曜日に、書肆「猫に縁側」にて開催された「やさしい詩のつどい」第8回で、参加された皆さんと一緒にさとうが即興で書いた詩です。

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

人間の澱

 

佐々木 眞

 
 

毎晩風呂に入るので、毎朝風呂を洗っている。

たいていの汚れは落ちるが、擦っても擦っても落ちないのが、いつの間にか風呂の内側の壁面についた茶色い滲みだ。

それは、長年にわたって俺と妻と息子が、代わる代わるこの狭いプラスティックの箱の中に入って、擦りつけた薄茶色の澱だ。

それは、人間の澱。動物の澱。動物の体内からにじみ出る分泌物。
どういう成分だか分からないが、ともかく有機物の澱だ。

この薄茶色の澱をじっと見つめていると、なぜだか昔のいろいろを思う。

なぜ青山で一人暮らしをしていたトップモデルは、ぐらぐら煮えたぎる熱湯の中でまっ白な骨になってしまったのか?

なぜサカイくんは、深夜の浴槽で不慮の死を遂げたのか?

なぜユダヤ人たちは、アウシュビッツで殺され、なぜ私は、ぬくぬくと生き延びてあたたかなこの湯の中でひと時のしあわせを享受しているのか?

いつか私も、父母のように突然心臓まひや脳卒中に襲われ、それがこの薄茶色の澱のついた浴槽で、声なき助けを呼びながら、ひとり真夜中に息絶えるのかもしれない。

 

 

 

傘がない

 

佐々木 眞

 
 

さっきから「傘がない、傘がない」と、陽水が歌ってる。
線状降水帯の集中豪雨を眺めながら、やけくそのように歌ってる。

いよいよ台湾有事の大戦争がはじまったが、
徴兵前に、好きな女を、も一度抱きたい。

だけど「傘がない、傘がない、傘がない」と
まるで拓郎みたく歌ってる。

傘がなければ、なくてもいいじゃんか。
雨に濡れ濡れ走っていけば、好きな女と、も一度デキルじゃんか。

そう思うけど、このニッポン一の優男は、小名木のリバーサイドに佇んで
「傘がない、傘がない」と、いつまでもカッコつけている。

なるへそあんたは、日本全土をすっぽり包む外国製の巨大な傘じゃなくて、
エゴマ油がぷんぷん匂う、小さな、小さな番傘が欲しいんだ。

相も変わらず「傘がない、傘がない」と陽水が歌ってる。
線状降水帯の集中豪雨を眺めながら、やけくそのように歌ってる。

 

 

 

北陸から帰った

 

さとう三千魚

 
 

2000kmほど
クルマを運転した

静岡から山梨
長野

新潟に抜け

出雲崎の丘から海を見た

向こうに
佐渡が浮かび

西域かと思えた

柏崎の宿に泊まり
柏崎から

富山
金沢へと向かった

金沢は観光客で賑わっていた
かほく市で海を見た

金沢では
四角い池の

平らな水面を見つめるヒトを後ろから見る
駅前のホテルに泊まる

富山に戻り
岐阜を通り

名古屋に抜けて帰ってきた

2000kmほど
運転した

女は運転が怖くて眠れなかったと言う

帰って
毎朝

小川沿いを歩いている

西馬音内の盆踊りも終わったろう
今年は踊ろうかな

そう電話で
姉は言っていた

風鈴の音を聴いている

風が吹いて
風鈴が鳴っている

 

 

 

#poetry #no poetry,no life