収まるんだぁ

 

辻 和人

 

 

うっへぇー、すごい雨だなぁ
羽田から大分空港へ、それからバスで湯布院へ
そうです、そうです
旅行ですよ
ミヤコさんと旅行ですよ
おさらいすると
1月にメールのやり取り、3月に実物に会い
5月におつき合いスタート
6月にお宅にうかがって
ありゃまあ
今日、7月14日は旅行ですよ
オクテなぼくには考えられないペース
おっとっと
水たまり、水たまり
「思ったより降ってますね、早くどこかのお店に避難しましょう」

山小屋風のレストランにダッシュ
濡れた髪をタオルで拭いて
思わず顔見合わせて
あはっ
名物のだんご汁定食が運ばれてきた
ほうとうみたいなモチモチした舌触りがいいね
湿っぽい髪のまま
写真なんか取り合っちゃってさぁー
旅って感じ、してきたぁー
ひさびさぁーの2人旅なんだぁー

「ツジさん、小降りになってますよ」
ほんとだ、良かった
荷物をロッカーに預けて
探検の始まり始まりぃ
大きな鳥居を潜ってまっすぐな道をまっすぐ歩いていく
まっすぐ、まっすぐ
ぎゅっと握って
そっと抱いて
そういうことがもうぼくたちにはできるんです
だから幾ら歩いても疲れない
「あっ、川に大きな鳥がいる!」
「シラサギじゃないですか。きれいですね。」
シラサギ一羽見かけることがこんなに楽しいなんて
ナイスなタイミングで虫をついばみに来てくれて
シラサギ君、ありがとよ

ノーマン・ロックウェル美術館とステンドグラス美術館を見て
まっすぐな道をまたまっすぐ、まっすぐ
駅に戻って喫茶店でひと休み
湯布岳をイメージしたスイーツがあるっていうから注文してみると
巨大なアイスクリームに綿あめがドバッとかかったものが出てきたよ
山と霞
「湯布院の人は想像力が豊かですねえ。」
「2人がかりでも全部は食べられないですよぉ。」
アイスクリーム山をスプーンでつんつん突っつくミヤコさん
雨後のせいでリアルの山は見えにくかったけれど
2人の間で
これで湯布岳のイメージはバッチリだね

タクシーで宿へ
古民家を改造した素敵な旅館だけど
実は部屋がダブルブッキングされるトラブルがあったんだ
ミヤコさんが抗議してくれたおかげで
同じ料金で上のクラスの部屋に泊れることになった
さあて、どんなお部屋かなー
げげっ
豪華で広々した和室が二間
掛け軸の龍が口からいかにも高価そうな炎を吐いている
「政治家がお忍びで来るって感じだねえ。宿に悪いかな。」
「いいんですよ。間違えたのは宿の方なんですから。」
ミヤコさんは澄ましている
「でも、ちょっと得しちゃいましたよね。」
へへっ、て
たくましいなあ
へへっ、へへっ

一晩明けると雨は止んでいてすっかり観光日和
2人とも歩くの大好きだから
「今日はとことん歩きましょう。」
花の木通りをゆらりゆらり
いろんなお店があるもんだね
水槽に突っ込んだ足の角質を食べる魚にびっくり
かわいいアクセサリーや雑貨をうっとり見ているミヤコさん、にうっとり

金鱗湖では他の観光客から写真を撮ってもらった
湖面を眺めていたら、若い女性が
「写真撮りましょうか。」と声をかけてくれたんだ
カップルに見えたんだな(当たり前だが)
ぼくたちカップルなんだな(当たり前だよ)
日除けの帽子&アジアンテイストの青いワンピース姿のミヤコさん
誕生日にミヤコさんからもらった真っ赤なハートつき黒いTシャツ姿のぼく
ぼくはミヤコさんの腰に手を回して
2人して微笑んでいる
そういうものが
スマホの中に残されることになりました
ああ、こんなことも
生身と生身の触れ合いがなきゃできないことだ

山下清にシャガール、現代彫刻に民芸品
湯布院は美術館が多いね
規模は小さいがどこも個性がキラリとしている
川沿いの道を
ぎゅっと握って
そっと抱いて
緑の熱い息に吹かれながら歩くうち
お洒落なロッジのような洋館を発見
「ドルドーニュ美術館」と書いてある
どれ、入ってみようか

「いらしゃいませ。スリッパにお履き替え下さい。」
感じの良い老婦人が出迎えてくれた
ほう、これは美術館というより個人宅
外からは洋館に見えるけどどうやら元は日本家屋っぽい
高い天井に太い立派な梁が何本も張り巡らされている
「古民家を改造して作った美術館なんですよ。」
所狭しと並べられた絵や彫刻には
まるで統一感というものがない
素朴な風景画からアヴァンギャルドまで
傾向、バラバラ
が、なぜだろう
作品に統一性はないのに
妙に収まりが良いんだ
作品同士が仲良し
作品同士がお友達
いかにも「お部屋」ってところに
長い間架けられたり置かれたりしたよしみって言うのかな?
大きな美術館の冷たい壁に展示されていたら
うっかり見過ごしてしまうかもしれない地味めな作品も
ここではしっかり居場所を主張してる
ミヤコさんも熱心に見入ってるぞ
「あの、よろしければ冷たいお茶、召し上がって下さいな。」

お言葉に甘えてアンティークな感じの椅子に腰をかける
ぬぬっ、足に何か柔らかなものが!
黒猫ちゃんだ
ゆっくり床を横切っていく
「館主のUと言います。ここは九州にゆかりの作家の作品を集めた美術館なんですよ。」
Uさんはこの地域でのアートの普及に長年力を尽くして
縁のできた国内外のアーティストの作品をここに展示しているのだそう
バングラデシュの作家の作品もあった
カビールという名前の画家、日本で学んだそう
抽象画なのだけれど色づかいが繊細で
とても暖かい
あれー、黒猫ちゃん
テーブルの足に一生懸命頬っぺを擦りつけてる
このテーブル、私のものなんだよ
だって
うんうん、わかるよ
そうだろうね、そうだろうね

Uさん自身、彫刻家であり、俳人であるそうだ
Uさん作の座禅をする若い女性の彫刻を見せてもらった
ノースリーブの普段着のまま
ちょっと姿勢にぎこちなさを感じさせるけど
きりりとした表情
初々しい
きっと日頃から親しくされている方なんだろう
そうじゃないとこんなに細かく表情彫れやしない
黒猫ちゃん、今度は椅子の間をくるっくるっとして
背中をしならせて、絨毯で軽く爪とぎ
すっきりしたかい?

「宇治山哲平の作品を集めた部屋があるのですがご覧になりましたか?
大分出身の有名な抽象画家なんですよ。」
Uさんとも親交があったという
名前くらいは聞いたことある
「どうぞ、こちらへ。」
ほうっ

それは
赤と緑とオレンジが
○と□と△が
軽やかにコロコロ遊ぶ世界
コロコロ
コロコロ
あ、ソレ
コロコロ
ソレ、ソレ
コロコロ
コロコロコロ

「色が鮮やかでとっても楽しいです。」ミヤコさんが感嘆すると
「そうでしょう、そうでしょう。
宇治山さんの絵ね、一つ一つの形にみんな意味があるんですよ。
曼荼羅みたいにね。
だから抽象ですけれど他の抽象画とは違うんですよ。」
画面の中で
コロコロ動き回る
○□△
見惚れていると
足元にほわっとしたものが
黒猫ちゃんだ
飼い主さんについてきたのかな?
宇治山哲平の絵を鑑賞するぼくとミヤコさんの間を
するっするっと
抜けていく
そのリズムが
転がり続ける○□△のリズムに
うまく重なってるんだ

○□△と黒猫ちゃんと
素朴な風景画とアヴァンギャルドと
梁のある天井とアンティークな椅子と
バングラデシュと座禅と
…………
水たまりとだんご汁定食と
豪華な和室とシラサギと
綿あめと角質食べる魚と
アジアンテイストの青いワンピースと真っ赤なハートつき黒いTシャツと

縁が結ばれれば
コロコロ
コロコロコロ
リズムが生まれて
中身はバラバラでもきれいに収まる
感激して
ぎゅっと握って
そっと抱いて
収まるんだぁ

 

 

 

電源

 

爽生ハム

 

 

味噌汁の電源を入れ、
火気を床の間へはこんだ。
恐る恐る団子状になった生き物が
集まってくる、恐る恐る。
寛容な儀式のはじまり。
とある先生が着物で玄関先に立ち
袖口から、ぽろぽろと
銀紙のような皮膚片を無意識に落としている。
雪と桜を混ぜたような
目ざわりな排卵を、ぽろぽろと落とす。
招かれるのを待つ、傲慢な先生
迷ったあげく、待ちくたびれている。
まなざしの多さで先生は
もう、ほぼ、ブロンズ像である。
其の侭、先生をふさぎにいく
生き物の団子は
いずれ、形を覚え、先生の前で
接点のある人かのように通り過ぎていく。
先生の肩にぶつかり
先生を吊るしあげ、
感謝するのだろう。
先生よ、はやく床の間へ来てくださいね。と

 

 

 

草原は針のようで、水は途切れない

 

爽生ハム

 

 

ひたすら旅して、これ以上やってもつまらないな、飽きたなって事になって、そのまま悪意を置いて、帰ってこれれば、家族とか仕事とか作って幸せになっていたかもしれない。ていうか、私以外の旅仲間のおおよそは幸せになった。しかし、私は悪意を捨てきれず、なんせ一応、とても大きな悪意が、こんな綺麗な形で残っているのは、奇跡に近く、価値もあったので、まだ捨てずに取っておこうとした。それを懐にいれ現実に帰ってきたものの、その悪意を現実の方で爆発させたくなった。ただの街角で悪意を捨てるでも、置くでもなく、稀少価値があり純度や解像度が高く、他人に見てほしくて、ついつい計画的に悪意を放り投げた。

旅仲間はというと、惑星の中華街を出て谷底と川を渡った先くらいまでの、退廃した市民を対象とした市民ホールで、弧を描いて徘徊する黒い陽炎のあとを追い続け、弧を描く運動に参加する人になったり。勿論、旅仲間はオーディションを待っている迄の時間の訓練のようだが、実際のところ時計がないので、オーディションまで、あと何分というのを知らないでいる。でも旅仲間の時間の使い方には目を見張るものがあり、ホールの事務所で、この世界の元々の住人だと思われる事務スタッフの横のデスクに座り、ランチをとっていたりする。その時、陽炎は、旅仲間の弁当を見てたりする。それほど、ぱっと見、仲が良いが成立している。

弧を描く旅仲間は、最終オーディションまで来たので、明確な目標と情熱を持ちはじめた。其処にとどまった。
実際のところ、その先を知る前に私達は歩きはじめたので、弧を描く旅仲間の事を、一生、最終オーディション手前で弧を描く、永遠のランナーのようにして、私達はその旅仲間から、記憶するように別れた。

私達は、と言っても、私には、私、私、私、くらいに私の個人活動へ移りつつあったように思えた。距離感ができてきていて、惑星の道の草を触ったり、触らなかったりの判断と精度が恐ろしくあがっているように見えた。なにしろ、私は最後尾を歩いていたので見えるようにして見ていた、のだろう。
思い描くように触れ、思い過ぎたように触れなかった旅仲間の後ろ姿と手の両翼っぷりは、完全に悪意たっぷりに、悪意を蓄積していた。癒されていたとは逆の、伝染してるだった。

私達は中華街に戻り、階段の隅の方で、少なくとも四方のうちの半分は壁に覆われている、いかにもの代表的な階段の隅だった。そこで、思い悩み、歩き疲れただの、どうせ一緒だの、見ても見なくてもどっちでもいいだの、人間と風景がおかしいだの、そもそもの他人を他人からはじめるのが面倒だだの。だだっ広い大地の中の、狭い建築物の中の壁にもたれ、見た事が正確であるかのように、正確な、がっかりを披露していた。

 

 

 

遠くなった、道を行く人たちが遠くなった、あっ、はあー

 

鈴木志郎康

 

 

遠くなった。
遠くなっちゃったんですね。
道で人がこちらに向かって、
歩いて来て擦れちがったというのに、
その人が遠くにいるっていう、
一枚のガラスに隔てられているっていう、
水族館の水槽の中を見ているように、
遠くなっちゃったんですね。
ずーっと家の中にいて、
偶に外に出て、
電動車椅子に座って、
道を進んでいくと、
向こうの方に歩いて行く人、
向かって来てすれ違う人、
みんな遠いんですよ。
車椅子に座って道を行くと、
わたしは変わってしまうんですかね。
視座が変わちゃったんですね。
視座が低くなって、
大人の腰の辺りの、
幼い子供の目線で、
電動車椅子を運転してると、
立って歩いているときなら、
目につかない人たちの姿が見えてしまう。
けれどもそれが遠いんだなあ。
見えてしまうってことで遠いんだな。
見えてしまうっていう遠さ。
赤いダウンコートに黒い長靴のお嬢さん、
レジ袋を手にぶら下げて寒そうに歩いていく初老の男、
レジ袋と鞄を両手に持って着ぶくれたお母さん、
見えるけれど遠い。
見えてしまうから遠い。
遠おーい。
オーイ。
あっ、はあー。

昼食で雑煮の餅を食べたら、
餅の中に金属。
あっ、餅に異物混入かっと思ったら、
自分の歯に被せてあった金属がぽっこり取れちゃったんですね。
で、早速電話して予約外で、
西原の寺坂歯科医院に、
電動車椅子で麻理と行って直して貰ったんです。
帰りに小田急のガードを潜って、
車の滑り止めでごろごろする上原銀座の坂道を、
悲鳴をあげる電動車椅子で身体を揺すられ、
登って行くと、
いつも血圧降下剤などの処方箋を貰う小林医院の前を過ぎれば、
最近開店したスーパーマルエツ前の、
麻理のママ友がおかみさんの酒井とうふ店。
豆腐屋さん頑張ってねと、
突き当たりを右に曲がって、
信号が赤にならないうちに渡りきろうと、
電動車椅子の速度を目一杯に上げて、
道幅が広い井の頭通りを横切ると、
商店がどんどん住宅に建て変わちゃってる
上原中通り商店街です。
ついでだからと、
麻理が、
薬局パパスで猫のおっしこ用の砂を買って、
その大きな袋を抱えて、
わたしは電動車椅子を西に向かって
冷たい風を受けて走らせる。
赤いダウンコートに黒い長靴のお嬢さんが、
目の前の近くを遠く歩いて来る。
遠おーいな。
レジ袋を手にぶら下げて寒そうに歩いていく初老の男が、
やはり目の前の近くを遠く歩いて来る。
遠おーい。
そしてレジ袋と鞄を両手に持つ着ぶくれたお母さんまでが、
目の前の近くを遠く歩いて行くんですよ。
遠おーくなった。
中通り商店街を行く人たちがみんな、
みんな。
遠おーくなっちゃった。
上原小学校の前まで来たところで、
冬の雲間から出た西日の鋭い陽射しに、
わたしは、
両眼を射抜かれてしまいました。
遠おーくなった。
オーイ。
オーイ。
あっ、はあー。

家に帰って、
ふっと思ったんですが、
なんか、
この國の世間が遠くなっていく感じなんですね。
オレって、
日本人だ。
東京の下町の亀戸で生まれて、
日本語で育って、
日本語で詩を書いているわけだけど、
毎朝3時間掛けて
新聞の活字を読んで、
昼からベッドで
テレビの画面を見ていると、
安倍首相も、岡田代表も、
国会で議論してる議員さんたちや、
水谷豊も沢口靖子も
刑事ドラマで活躍する俳優さんや、
ビートたけしも林修も
スタジオで騒いでいる芸能人たちが、
遠いんだよね。
その日本が遠く感じるんだ。
活字で登場する連中、
映像で登場する連中、
なんて遠いんだ。
でも、
遠いけれど読まないではいられない。
遠いけれど見ないではいられない。
いまさらながら、
ゲッ、ゲッ、ゲッのゲッ。
権威権力機構ってのが、
有名人ってのが、
言うまでもなく遠いんですよ。
遠いけど、
彼らがいなけりゃ寂しいんじゃないの。
新聞がなけりゃ、
テレビがなけりゃ、
ほんと、さびしい。
遠おーい。
けど、
電動車椅子杖老人に取っちゃ、
仕様が無い、
けど、
けど、
しようがないね。
けど、
しょうがねえや。
詩用が無えや。
親父ギャグだ。
ゲッ。
あっ、はあー。

ところが、
だけどもだ、
ねえ、
一緒に暮らしてる麻理
という存在は、
ぐーんと近くなった。
今日も、
あん饅と肉饅が一つずつ入った
二つの皿を、
はい、こっちがあなたのぶんよ、
とみかんが光るテーブルに置いた
麻理はぐーんと近くなった。
抱きしめやしないけど、
ぐーんと近くなった。
近い人が人がいてよかったなあ。
わたしより先に死なないでくれ。
いや、わたしの方が麻理を
最後まで看取るんだ。
でも、
でも、
その後の心の、
心底からの寂しさをどうするんだ。
通院するのに付き添ってくれる人がいなくなったら、
どうするのかいな。
あっ、はあー。

今日は、
二〇一五年二月二十日。
歯医者に行ってから、
早くも、
ひと月が経ってしまった。
あっ、はあー。
馬鹿みたいに、
あっ、はあー。

 

 

 

生きる

 

渡辺 洋

 

 

悲しさを汗のように振りはらって
ジョンのように微笑みながら歌いたい
もっともらしいネガティブさに囲まれて
自分が信じられなくなるときには
C→F→G→Amのコードを弾きつづけよう

老人になって雲のように押し流されながら
世界のベランダを見ている
老人たちのかたまりになって
一人ひとり風に引きちぎられながら
お前たちの意味のない人生を
ふいごのような合わせた息で
吹き飛ばしてやる

神様が空気をつかんで破くみたいに
何もなかった場所に世界をひらく
ときには暴力的に
境界線上にいた人びとも引き裂いて
心たちのすみかをつくる

友だちと三人で逆立ちして
世界を持ち上げる
春風にヘソをなぶらせて