新井知次さんの詩

 

長尾高弘

 
 

新井さんと知り合ったのは4年前の2016年、洲史さんに誘われてつづき詩の会に参加したときだ。洲さんとは前の年に尾内達也さんが主催された都内の朗読会で初めて会って、住所が近所だということを知ってお互いに驚いたのだった。私と洲さんが住む横浜市都筑区では毎年1月に都筑区民文化祭というものがあって、つづき詩の会は、そこに詩のパネルを出品することを主目的とする会として始まった。最初は関中子、新井知次、若林圭子、洲史の各氏と私の5人で、年に1度の活動では寂しすぎるので、2か月に1回ずつ集まって詩の話をすることになった。

例会を何度か重ねるうちに、発表者を決め、その発表者が取り上げたい詩人の作品をいくつかコピーしてきて、ほかの参加者は会に出てきて初めてそれを読み、感想を言い合うという形ができあがってきた。また、原田もも代、植木肖太郎、黒田佳子、柿田安子の各氏らが新たに参加してにぎやかになってきた(このほかにも一時参加して発表もされたが例会には定着しなかった方が何人かおられる。例会には出なくても本来の目的である1月の文化祭に出品される会員もおられる)。関さんのていねいなフォロー(たとえば、例会前にはかならず連絡を入れてくださる)はもちろんだが、しっかりとした読みを見せられる会員が多く、例会が楽しい時間になったので続いてきたように思う。新井さんはそういった会員のなかでも特に鋭い(そして厳しい)読みを示され、一目置かれる存在だった。

2018年頃からは会員が出した詩集をほかの会員にも配り、それを読んできて自分がいいと思ったものを朗読して感想を言い、それについてほかの会員が感想を返すという形が増えてきた。原田もも代『御馳走一皿』、関中子『沈水』、若林圭子『窓明かり』を取り上げ、拙著『抒情詩試論』(厳密には詩集ではないが)も取り上げていただいた。ところが、どうしたものか、新井さんの詩集は後回しになってしまった。新井さんの新作が載っている詩誌「獣」も例会のときに何冊かいただいていたが、それも取り上げ損なってしまった。2019年になって新井さんが何度か例会に出席されなくなり、体調が悪いらしいということを聞いた。2020年の都筑区民文化祭で久しぶりにお会いできたが、それがお会いした最期になってしまった。6月28日に84歳で亡くなられたということを関さんから聞いた。

遅ればせながら、つづき詩の会では、7月と9月の例会で新井さんの詩を取り上げることになった。7月は新井さんが参加していた同人誌「獣」(と言っても同人が次々に亡くなって最後は新井さんだけになっていたが)の63号から66号(これが最終号になるのだろう)までに掲載された新井さんの詩をその場で初めて読み(もらっても読んでなければ初めてになる。私は一応「予習」していったが、新井さんには本当に申し訳ないことに、生前には本腰を入れて読んでなかった)、その7月の例会で奥様から提供していただいた2007年の詩集『丸くない丸』を持ち帰って9月に気に入った詩を朗読して感想を言うことになった。9月の例会には奥様も参加して下さった。

詩集『丸くない丸』(京浜文学会出版部、2007年11月発行)は3部構成になっている。あとがきによれば、1、3部は2007年までの10年間に書かれた作品だが、「パネルルーム」と題された2部の大部分は1970年代に書かれているという。ただし、〈小説がうまくいかなかったので、えい! とばかりドラマ仕立てで書いたものなので、結果として散文詩となってしまったようです〉というあとがきの言葉は額面通りに受け取らない方がよいように思う。新井さんは東京電力で働いていたことを隠されなかったが、2部には東電での仕事と定年(本人の意思とは無関係に辞めさせられるという意味が強く感じられる「停年」という表記が使われている)に取材した作品が集められている。3部は義母の方の介護にまつわる作品、1部はその他さまざまな作品が入っている。

読みたい作品を朗読するといういつもの流れで会は始まった。私は真っ先に手を上げて詩集でもっとも長い作品を読んだ。

 

空白空白空0魚の骨

空0魚の骨が喉にひっかかっている 思いを飲み込むと
痛みがチクチクと 紫色に感電死した事故速報の男の顔
になって長い尾をひいている どうしてそういう事にな
ったのか 事故現場のポンチ絵の中で男は最早感情のな
い記号となって横たわっている だからぼくたちは誰も
悲しまない ただ読み流して 自分ではなかった幸せを
さりげなく懐にしまって 高圧電線と隣り合わせた機械
の保守に駆けずりまわっている
空0そしてまた隣の誰か 隣のとなりの誰か の事故報告
が素知らぬ顔で流れてくる
空0悲しみではない痛み 痛みではない恐れ 恐れではな
い日々が連なって 糧を得ている自分がいる

空0ブレーン・ストーミング 糧をばらまいている背広は
横文字と号令をかけるのが好きだ コップの中の嵐 で
は様にならないのか
空0「ドンナコトガアッテモ記号ヲ増ヤスナ」
空0テンション高く 安全検討会をせよと現場にラッパを
吹きならす
空0「C」はなぜ事故ったか なぜ なぜの嵐をコップに
吹き込むのだ
空0Aが立会い人 Bが監督 「C」以下三名が仕事中
なぜ「C」が感電したか ポンチ絵を囲んでぼくたちが
重い口をひらくと ひらひら記号たちが躍り出でくる

空0錯覚 監視不良 安全区画が悪い 教育不足 体調が
悪かった という嵐 おいおい本当かよ 隠蔽している
ものはないのかよ だが記号たちに口はない 安全検討
の慣用句だけが飛び出るのをみているだけだ こんな時
労基署の立ち入りがある筈 だが調査結果は決してぼく
ら現場もんには流れてこない
空0怪我と弁当は自分持ち それしか吹かない嵐なのか
魚の骨がポンチ絵の中で泳いでいる 嵐の意見を整理
しよう これが知恵袋で アメリカはミサイルを飛ばし
た手法だというのだ 食べ飽きたメリケンから骨だけが
泳いで日本へ来たのか
空0事故った「C」が魚の頭で そこから太骨が尾っぽま
で繋がり 無数の小骨がコップの中の嵐を引き連れ枝状
に連なっている この悪さ加減の小骨が太骨を通って頭
をひきおこしてしまったという訳だ 人 物 設備 環
境 みんな悪かったという結果論は 集約すれば「C」
の錯覚が第一級戦犯となっていく
空0そうなのか なぜ夜間作業になってしまうのか まだ
ある A以外はみんな社外工という身分はどうだ 商売
の秘密に触れない賢さが 次の誰かを手招きしている記
号に見えてくる

空0魚の骨で解明された これでミサイルが飛び 事故が
無くなる めでたしめでたし 検討会の打ち上げは飲屋
へ直行 厄落しの酒で「C」の記号が飲み込まれ排泄さ
れていく
空0真実事故はこれで無くなるのか Aの側であったぼく
らが検討会をやり 「C」たちにそんな時間が持てるだ
ろうか 親会社の指示書を読み上げる姿だけが見えてく

空0見上げると二重に雲が流れ 上の白い雲に肉のない魚
がくねり 下の雨雲には何やら記号らしきものが浮かん
で ぼくの頭に落ちてきそうだった

 

これは「あとがき」が言うように70年代に書かれた作品なのだろう。アメリカが〈ミサイルを飛ばした手法〉というところにベトナム戦争の影を感じる(ベトナム戦争ではミサイルにやられたのは米軍の方だったが)。

すっと読めるわけではないのは、言葉にさまざまな意味が重ね合わせられているからだろう。特に目立つのは「記号」という言葉だ。最初は感電事故で死んだ作業員を〈感情のない記号〉と呼んでおり、その後この死者は実際に「C」という記号で呼ばれている。しかも、A、Bとは異なり、「C」だけが棺桶に入れられたように鉤括弧つきだ。そして〈背広〉(幹部社員)が〈「ドンナコトガアッテモ記号ヲ増ヤスナ」〉と言う。もちろん、本当に〈記号〉と言うはずはなく、ほかの言葉を使ったのだろうが、その言葉は何だったのだろうか。〈死者〉かそれとも〈死亡事故〉か。そして検討会の出席者である社員たちも、社員たちが口にした言葉もすべて〈記号〉と呼ばれている。〈記号〉は、自分を生きていないという意味での死を含めた死の象徴のようにも見える。

多義的な言葉という点では、タイトルの〈魚の骨〉もそうだ。〈魚の骨〉は、最初はのどに引っかかっている。のどに引っかかるというのは、「魚の骨」という単語を聞いたときにまず頭に思い浮かぶことだ。しかし、しばらくして次に出てきた〈魚の骨〉は〈ポンチ絵の中で泳いでいる〉。これはかなりぶっ飛んだ風景である。そもそも骨になった魚は泳がないし、それも絵の中だという。ポンチ絵というのは、明治時代の『ジャパン・パンチ』という漫画雑誌に由来する言葉で、要するに風刺漫画ということだ。ちなみに、フルーツポンチも、もとはフルーツパンチらしい。しかし、ポンチではパンチがなく、むしろ滑稽に感じてしまうのは私だけではないだろう。〈魚の骨〉は〈ブレーン・ストーミング〉と呼ばれる〈コップの中の嵐〉が吹いているそのコップのなかで泳いでいる。異様で滑稽な風景だ。そして、〈魚の骨〉とはまさに先ほど取り上げた死の象徴としての〈記号〉にほかならない。

〈事故った「C」が魚の頭で そこから太骨が尾っぽまで繋がり 無数の小骨がコップの中の嵐を引き連れ枝状に連なっている この悪さ加減の小骨が太骨を通って頭をひきおこしてしまったという訳だ〉頭から小骨に行って小骨から頭に戻る過程で〈なぜ夜間作業〉か、〈A以外はみんな社外工という身分はどうだ〉といった問いが抜け落ちる。なぜ抜け落ちるのかと言えば、〈魚の骨〉、すなわち〈記号〉は骨だけなのに泳げてしまうからだ。

〈頭をひきおこしてしまった〉というのは「死亡事故をひきおこしてしまった」ということなのだろうが、人が死ぬことよりも死亡事故の不都合さに困っている様子が伝わってくる。だからこそ、〈「C」の錯覚が第一級戦犯〉になってしまうのだ。先ほどの〈「ドンナコトガアッテモ記号ヲ増ヤスナ」〉もそうだが、言葉にさまざまな意味が重ね合わせられている一方で、ここでは普通は使わない意味のために言葉が置き換えられてもいる。このように言葉が複雑に操作されているものを小説になりそこなった散文詩と呼んでよいものだろうか。最初から詩になるしかない言葉だと言うべきではないか。

しかし、私がこの詩を誰にも取られないうちに自分で読みたいと思ったのは、単に言葉の詩的な扱い方の巧みさに舌をまいたからではない。〈Aが立会い人 Bが監督 「C」以下三名が仕事中〉、〈A以外はみんな社外工〉という関係性のなかで、〈ぼく〉が〈Aの側であったぼくらが検討会をやり 「C」たちにそんな時間が持てるだろうか〉と自らの立場を明示しているからだ。Aは「C」と同じ立場ではなく、「C」から見れば会社そのものである。死者を出した事故を〈コップの中の嵐〉で処理してしまう存在だ。ここで新井さんは「C」に成り代わって、あるいは天の声のような無人称的存在となって、正義の側から悪を告発するのではなく、告発されても仕方がない側の人間として、目に映ったことを包み隠さず書いている。抵抗詩、プロレタリアート詩などと呼ばれている作品には、まさに正義の側から悪を告発する形のものがたくさんあると思うが、そのような作品はとかく自分のことを棚に上げてしまいがちだ。この作品はそうではない。被害者であると同時に加害者でもある苦しさから目を逸らさずに会社とA、B、「C」の関係を誠実に描ききっている。その誠実さ(と意志の力)に心を打たれるのだ。詩に心を打たれるというのは、やはり詩から読み取れる思想に心を打たれるということなのではないだろうか。

70年代と言えば、自己否定論で知られる全共闘運動を経たばかりの時代であり、『丸くない丸』のなかにも〈パネルルームに 公安直通電話が接ながり(中略)資本はバブドワイヤーを一米ばかり嵩上げし 看板をペンキで塗りつぶし 攻撃目標がインペイされ 全共闘 デモ日程 デモルート ゲバルトゲバゲバ(中略)寡黙になったぼくらのパネルルームからアンポ条約はこれでもかと皮膚に擦過して 七0年代 電源確保の幕開き〉という印象的な詩句が連なる「幕開き」という作品がある。当時の学生が新井さんのこれらの詩を読んでいて、電力労働者に同志がいることを知っていたら、いやただ知っているだけでなく学生と労働者が連携し、そのような連携の糸が無数に張り巡らされていたら、時代は大きく変わっていたのではないだろうか、などとつい夢想してしまう。

70年代はまだ出稼ぎが行われていた時代でもあって、〈災害記録 零 のからくり 深夜作業で落下するのは下請工〉〈「あんたらは 糸を吐く直前の 蚕のような手だ」/なでまはす 異形の 東北弁の 笑い〉という詩句を含む「陰」という作品では、「魚の骨」にも書かれていた東電の現場の関係性が「東北」として可視化されていた時代のことが活写されている。今は、東北に限らず、4次、5次の下請けに雇われた全国の労働者たちが福島第一原発の現場に集まって被曝しながら事故処理をしているという違いがあるが、大筋では同じ構造がずっと前からあり、今も生き続けていることがわかる。その構造のなかで、〈おいおい本当かよ 隠蔽しているものはないのかよ〉、〈A以外はみんな社外工という身分はどうだ 商売の秘密に触れない賢さが 次の誰かを手招きしている記号に見えてくる〉とつぶやいている「ぼく」は、まるでF1の事故を予言していたかのように見える。その一方で、〈厄落しの酒で「C」の記号が飲み込まれ排泄されていく〉のは「ぼく」も同じなのだ。とても苦い詩だと思う。

2部の終わりの方には「停年の風」、「停年」といった明らかに定年後に書かれた作品が並んでいて、どちらも9月の例会で取り上げられたが、全員がひと通り作品を読んでから、また手を挙げて「停年の風」のひとつ前に面白い作品がありますと言って「廊下トンビ」という作品を読んだ。

 

空白空白廊下トンビ

肥えたトンビが
悠々と廊下を徘徊している
終業まじかの事務所
鶏たちが行儀良く首を揃えて
ペンをはしらせている

赤提灯に付き合えよ
羽根が柔らかく鶏を包むと
もう誰だって逃れられない
懐の暖かそうな鶏よ
しかし獲物はするりと逃げていく

鶏の秩序を変えようと
ハタを振った奴がいた
尻馬でトンビは強く羽ばたいたが
馬が速く走りすぎたのか
ほとんどの鶏が落馬していった
気が付くとトンビの机は窓際に移され
あろうことか馬が骨折していた
それならそれで俺はオレ 気楽に行けやと
廊下の囁きがなぜか耳にとどいて
徘徊する羽根の揺らぎに鼻唄さえもれた

 

このトンビ、最初はむかつく上司のことを書いたのかなと思った。実際、例会でも誰のことかちょっと議論になった。しかし、〈尻馬でトンビは強く羽ばたいたが〉とあるから、非組合員ではない。実際、その後ネットを見ていたらこの詩の先駆形をたまたま知ったのだが、そこには詩集で削除された〈鼻唄はだが時にエレジーとなった/かつて手取り足取り教えた鶏たちが/今はトンビの頭に座っている/全てに喉の渇く重さがずんときて/酒でも飲まなければ脱水してしまう//気楽さはしかし後戻りなんかない/ひっかけられた鶏糞を払いのけ/酒に焼けた赤い鼻のトンビが/今日も鼻唄まじり/磨きぬかれた廊下を俳桐している〉という4、5連があった(鶏がトンビの頭に座って鶏糞をひっかけるというところは惜しい感じもするが、詩集の形のようにここを省略したのはよかったように思う)。ご自身をトンビにたとえているのは間違いないと思う。例会では、奥様に「会社では言いたいことを飲み込んでおられたのですか?」と尋ねたが、組合活動では言いたいことを言われていたとのこと。愚問だったなと思った。

鶏といえば、人間に飼われ狭いところで卵を産む機械として扱われているイメージがある。一方、トンビは諺に「トンビが鷹を生む」と言われるように凡庸な存在のように扱われているが、以前ニュースになったように、急降下して人が食べているものをかっさらっていく荒々しさも持っている。何しろ鷲鷹類なのだから。そのようなトンビを自分の比喩として使うところが新井さんらしい感じがする。〈赤提灯に付き合えよ/羽が柔らかく鶏を包む〉というところが絶妙だ。

順番が逆になったが、7月の例会ではこの詩集から10年前後たった詩誌「獣」掲載の近作から、会員それぞれが読みたい作品を読んだ。私が読んだのは63号の次の作品だ。

 

空白空白鉄の匂い

畑では食っていけなかった
日清・日露の戦勝踊りが輪になって
日いずる国の鉄の会社の産業革命
親が死んで四人の兄弟は畑を捨てた
小才のきいた長兄がまず川崎へ
金と命の鋼管会社とはよく言ったものだ
兄の札ビラを見て弟たちは勇んで川崎へ
畑で鍛えた体に汗がよく似合った

昭和の戦争を乗りきって
退職金はたいて庭付きの家を手にした
親父は毎朝早く庭木と会話し
片隅の菜園に故郷を手入れして
小さな庭に朝日を迎える
そんな朝いつまでも顔をみせない親父に
部屋を覗くとベッドで息がなかった
他殺か自殺か医者から警察へ

司法解剖から帰ってきた親父の
大きく武骨な手から
鉄の匂いが立ちのぼり
ぼくの胸にしみ入った

 

学校の歴史の授業では、産業革命期の人の動きをここまでわかりやすく教えてくれなかったと思う。試しに、たまたま持っていたちょっと前の高校日本史の教科書を読んでみたが、松方デフレ財政で下層農民が小作に転落したということや繊維産業の担い手が小作農の娘たちだったということは書かれていたが、農民はあくまでも農民であるという印象を持ちそうな書きぶりであり、労働者はどこからともなく増えたような書き方だった。この詩には、〈畑では食っていけなかった〉ので労働者になった(マルクスの言う本源的蓄積)という教科書に書かれていない歴史のダイナミズムが書かれている。〈金と命の鋼管会社〉は〈金と命の〉「交換」〈会社〉でもあった。死と隣り合わせで働いていたのだ(私も学習塾で小学生にこの時期の日本の歴史を教えたことがあるが、教科書と同じような説明しかできなかったのが残念だ)。

しかし、〈親父は毎朝早く庭木と会話し/片隅の菜園に故郷を手入れして〉の2行を読むと、好きこのんで都会に出てきたわけではないことが実感として伝わってくる。それに対し、息子である〈ぼく〉は〈大きく武骨な手から/鉄の匂いが立ちのぼり/ぼくの胸にしみ入った〉と言っている。〈ぼく〉にとってお父さんは鉄の人だったのだ。〈匂い〉は「臭い」ではない。漢字ひとつで「いやなにおい」ではなく「いいにおい」という意味になる。嗅覚はもっとも身体的な感覚だとも言われる。ここに父を悼む気持ちがきれいに昇華していると思う。

と言っても、父をただ無条件に賛美しているわけではないのが新井さんらしいところで、1連の〈小才のきいた長兄〉、〈兄の札ビラを見て弟たちは勇んで川崎へ〉といった詩句には、父とその兄弟たちに対する批判的な目を感じる。そのような意味で微妙な響きを感じさせるのが2連の冒頭の〈昭和の戦争を乗りきって〉という1行だ。好んで戦争したわけではないにしても、反対したわけでもない。いわば、天災のように降ってきた戦争は、避けがたい不幸であり、〈乗りき〉るしかなかったのだ。しかし、無責任に戦争を始めた人間は確かにいるのであって、戦争は人災である。戦争が人災だったことに気づかなければ、また同じように天災を装った人災に見舞われることになるだろう。〈乗りきって〉からここまで読み取るのはいささか強引かもしれないが、少なくともそういう思考を誘い出さずにはいられない詩句になっていると思う。

例会では読めなかったが、63号には次の作品もある。

 

空白空白空の箱

肥桶かついで
生の大根まる齧り
筋肉隆々の青年よ
指揮棒が天から振られた
鎮守の神が軍歌を歌い出し
一夜明ければ立派な兵士だった

満州ではジンギス汗に会えたか
沖縄では鬼畜めがけて軍刀振り上げ
母の写真がちぎれ砕けた
雲から神が落ちたので
空っぽの箱で肥桶の村へ帰還
あまりに軽い箱だったので開けると
沖縄で戦死・ご冥福を祈る
紙切れ一枚に嗚咽がひろがった
祖母が仏壇から紙包みをとりだし
「ほら兵の爪と髪の毛だよ」
箱に入れて皆で手を合わせた
鎮守の神は無言だった
こんな寂しい死者との出会いは
その後一度もない

疎開児だった僕に貼りついた映像
倅が孫と遊びにきたので
こんな事があったと
兵叔父サンの話をしだすと
やめなよと倅が眉をしかめたので
皆で回転寿司を食べにいった

 

「鉄の匂い」では〈昭和の戦争を乗りきって〉1行で済ませた〈昭和の戦争〉のことである。「鎮守の神」、つまり人々がただ豊作を祈って崇めていた村々の神社が明治の天皇制と靖国によって軍事的に再編され、兵士供給装置となり、無数の戦死者を生み出したことが見事に描かれていると思う。宗教は恐ろしい。日本軍に殺された民衆も、宗教こそ異なれ、日本軍兵士と同じような農民や労働者だったのだ。

64号の「一揆物語り」という散文詩には、次のような部分が含まれている。

 

……
空0時が流れて、僕の兄弟が正月に顔を揃えた。何かの拍子に「秩
父困民党」の話がでた。権力は弱者を切り捨てる。概ね同意の酒
杯に母の実家の話が注がれる。
「秩父は神流川を挟んだ隣村だ。日照りは同じ苦しみ。一揆に加
勢したのか」
「ところがどっこい、曾祖父たちは竹槍担いで国賊退治だった」
空0皆はがっかりして、それから大笑い。曾祖父よ許せ。
……

 

大戦中、母の実家に疎開したときに、曽祖父が冬場の炬燵話で国賊退治を自慢した場面を受けたあとの連の一部である。

「鉄の匂い」や「空の箱」に描かれた父や叔父にも同じような視線が注がれているのではないだろうか。たとえば、「鉄の匂い」には書かれていないが、日本が植民地支配していた朝鮮で行った朝鮮土地調査事業で土地を奪われた人々(捨てたわけではなく奪われたのである)も、大挙して日本にやってきて〈金と命の交換会社〉に吸い込まれていっている。その運命が日本人労働者よりもさらに過酷だったことは言うまでもない。〈戦争を乗りきっ〉た日本人労働者は彼らのことをどう見ていたのだろうか。

詩誌「獣」には新井さんのエッセイも載っていて、そのときどきの関心事が書かれているが、それらのエッセイと同じ号の詩が見事につながっていて、つづき詩の会の例会が終わったあとの酒席で新井さんが控えめに話されたことにもつながっている。たとえば、66号には宗左近の縄文のことが書かれているが、新井さんが「長尾さん、宗左近についてはどう思ってますか。縄文のこと書いてますよね」と話しかけてこられたことを覚えている。本当のことではあるが「いやあ、あまり読んでなくて」とそっけなく答えてしまったが、66号の「宗左近の史的感性」という文章には、次のような印象的な言葉が書かれている。

 

空0ところで、古代史家の多くは渡来人が縄文人を滅ぼし
たのだ、とは決して言わない。混血などにより現在へと続
く日本人のルーツになったと論証する。しかし、この歴史
観からは宗左近の文学は成立しない。殺して滅ぼしたので
ある。それが、詩人の史的感性なのであると考える。

 

最近は、まるで日本の歴史を2600年ちょっとまで引き伸ばすためであるかのように、右から縄文を褒めそやす論調が目立っているが、それとはまったく反対のことが書かれている。そもそも、古事記/日本書紀のアマテラスの宮殿では、田んぼを耕し、機織りをしていたのだ。どこから見ても弥生以降の文化である。古事記/日本書紀は征服者の神話だと受け取るのが自然だろう。

新井さんに話しかけられたとき、記紀が弥生以降の文化だということにはちょっと触れた記憶があるが、新井さんがこのような見方から宗左近を話題にされていたことにはまったく思いが寄らなかった。ちょっと飛躍しすぎだと言われてしまうかもしれないが、渡来人(弥生人)が縄文人を殺したという見方は、近代日本が朝鮮半島から中国、東南アジアに侵略していって、現地の人々を人として扱わず、こき使ったり、犯したり、殺したりしたことを直視する見方に通じていくと思う。それに対し、弥生人の神話を崇めながら、縄文人は自分たちの祖先だなどと言うことは、日本国と日本人が犯してきた犯罪をなかったことにして、侵略を正当化してしまう見方に通じている。混血は間違いなく起きているだろうが、だからといって殺戮の歴史は消えない。先ほど触れた見たくないものを直視するという新井さんらしさがここにも現れていると思う。

自分の怠惰のために新井さんとそういう話をすることができなかったこと、そして新井さんの詩にしっかりと向き合ってここに書いたような感想を伝えられなかったことを後悔している。

 

 

 

夢素描 10

 

西島一洋

 

欲望と願望とカタルシス

 
 

だろうなあと思う。

夢というのは、自己浄化作用があって、懺悔すらも吸収してくれる。
だから、夢は薬みたいなものかなあ。
というより、精神のというか、心のリハビリみたいなものだ。

だから、いくらでも夢を見て良いし、いくらでもその夢を忘れても良い。

感動して書きとめてたくなる夢もあるが、それはそれで良いと思う。その夢には、自浄作用があるに違いないので、繰り返し思い出しても良と思う。

見たくない夢もある。
それも、思い出しても良い。
思い出したくなければ封印しても良い。

ただ、夢の記憶というのは無くならない。
これは、経験上断定できる。
詳しくは、前に書いた。

もうそろそろ寝よう。
というか、寝なければならぬ。
明日のというか、明日もというか、肉体労働。
その前に風呂に入ろう。

そして、何日かが過ぎた。

何日過ぎたのだろう。数日とも言えるし、十数日とも言える。
ただ、一ヶ月は経っていない。
とにかく、何日かが過ぎた。

このところ、よく眠れる。
このところとは数日かな、いや、十数日かな。
ただ、一ヶ月前より、もうちょっと近い頃からだ。

トラックの仕事をしている。
ドライバーというと聞こえは良いが、
実労は人夫である。
重い荷物を押したり引っ張ったり、荷役とも言う。
六十二か六十三歳の頃から、十年間の予定で始めた。
「絵幻想解体作業/行為∞思考/原記憶交感儀/労働について」だ。
長ったらしいタイトルだがしょうがない。
まあ肉体労働である。
仕事そのものより、体の痛みとの闘いである。

で、六年間ほどは、朝三時から午後三時だった。
仕事をしている時に日の出がある。
そうして、昼過ぎには帰って来て夕刻五時か六時頃には寝る。

ところが、突然、コロナ禍で会社の仕事が減り、やむなく夜の仕事になった。突然の十二時間逆転である。
昨年の十一月より、そのようになった。

午後三時から午前三時。
センターに向かう時、太陽を背にしている。
そして、夕刻になり…。
太陽とは縁遠くなってしまった。
ただ、月はよく見る。

このところ、よく眠れる。
昼夜逆転し、しばらく、三ヶ月くらいかな、眠れない日が続いた。
太陽がのぼって明るいときに寝なければならない。
これが辛い。

このところ、よく眠れる。
十二時間熟睡する時もある。
おおよそ、寝れば起きるまで。
つまり、途中で起きて何度も寝るということが無くなった。
これが続くと良いなあと思うが、
今これを書いていて、夜明けになってしまった。
どころか、もう午前九時だ。
やばい。

今頃はぐっすり眠っている時間帯なのだ。
こんな時間まで起きているのは異常な事なのだ。
女房はさっき、というか、一時間前に仕事に出かけた。

もうそろそろ寝ないと。
でも今日は休み。
といっても、と言いながら、少し横になった。

再び筆を取る。

その少しの間に、たくさんの夢を見たなあ。
でも、起きると同時に全部忘れてしまった。
いや、正確にいうと、忘れてはいない。
日常言語に置き換えられないパルスとしてどこかに存在している。これは間違いないというより、まさしくであって、そうして、かろうじて、精神の安寧を維持している。

雉鳩が鳴いている。
庭木で。

もう寝よう。
今日は良い天気で明るい。
雨戸を閉めるか。

 

 

 

経験を抽象化した仮想のネットワーク
今井義行「空(ソラ)と ミルフィーユカツ」を読んで

 

辻 和人

 
 

2020年12月10日に「浜風文庫」で公開された今井義行の「空(ソラ)と ミルフィーユカツ」は、読み物として心を動かされると同時に、飛び抜けて斬新で明確なコンセプトを備えており、文学の教材としても使える詩のように感じたのだった。
おいしい「ミルフィーユカツ」を食べた話者が、店を出た後なぜか爽快な気分にならず、空が濁って見えてしまう。その理由を探るという詩。全行を引用しよう。

 

空0空(ソラ)と ミルフィーユカツ

空0ソラ、 サクッ 口元が ダンス、ダンス、ダンス!! 
空0ソラ、 サクッ 口元が ダンス、ダンス、ダンス!!
空0いい気分だったのに

空0ん?

空0ふと 見上げた空が 濁って見えてしまった
空0夕べ 飯島耕一さんの詩 「他人の空」を
空0久しぶりに 読み返した そのせい なのかなあ───

空0「他人の空」
空0鳥たちが帰って来た。
空0地の黒い割れ目をついばんだ。
空0見慣れない屋根の上を
空0上ったり下ったりした。
空0それは途方に暮れているように見えた。
空0空は石を食ったように頭をかかえている。
空0物思いにふけっている。
空0もう流れ出すこともなかったので、
空0血は空に
空0他人のようにめぐっている。

空0戦後 シュールの 1篇の詩
空0鳥たちは 還ってきた 兵士たちの ことだろう
空0途方に暮れている 彼らを受け止めて
空0空は 悩ましかったのかも しれない けれど──

空0そう 書かれても
空0わたしは 素敵なランチタイムの 後で
空0もっと さっぱりとした 青空を 見上げたかったよ
空0暗喩に されたりすると
空0地球の空が いじり 倒されてしまう 気がしてしまってね

空0わたしが 食事に行ったのは 豚カツチェーン店の 「松のや」

空0食券を買って 食べるお店は
空0味気ないと 思って いたけれど
空0味が良ければ 良いのだと 考えが変わった

空0そうして今 わたしを 魅了して やまないのは
空0「ミルフィーユカツ定食 580円・税込」
空0豚バラ肉の スライスを 何層にも 重ねて
空0柔らかく 揚げた とっても ジューシーで
空0アートのような メニューなんだ

空0食券を 買い求めた わたしの 指先は
空0とっても 高揚して ダンス、ダンス、ダンス!!

空0運ばれてきた ミルフィーユカツの 断面図
空0安価な素材の 豚バラ肉が 手間を掛けて 何層にも
空0重ねられてある ソラ、ソラ、ジューシー!!

空0運ばれてきた ミルフィーユカツを 一口 噛ると
空0ソラ、 サクッ 口元が ダンス、ダンス、ダンス!!
空0ソラ、 サクッ 口元が ダンス、ダンス、ダンス!!

空0そうそう
空0豚カツ屋さんには 必ず カツカレーが あるけれど
空0あれには 手を染めては いけないよ
空0カツカレーは 豚カツではなく カレーです

空0カレーの 強い風味が
空0豚カツの衣の 塩味を 殺してしまう
空01種の 「テロ」 だからです

空0ただでさえ 今 街は コロナ禍  なんだから

空0空を見上げながら 入店した わたし

空0ソラ、1種の 「テロ」は 即刻 メニューから
空0ソラ、駆逐すべき ものでしょう──

空0わたしが ミルフィーユカツを パクパク してる時
空0ある ミュージシャンが クスリで パク られた
空0という  ニュースを 知った
空0この世では 美味なものを パクパク するのは
空0ソラ、当然の こと でしょう──

空0鬼の首 捕ったような 態度の 警察は どうかしてる

空0トランスできる ものを パクパク するのは
空0ソラ、ニンゲンの しぜんな しんじつ
空0ソラ、攻める ような ことでは ないでしょう!?

空0わたしは ミルフィーユカツで トランスしたし、
空0ミュージシャンは クスリで トランスしたし、
空0飯島耕一さんの 時代には 暗喩で トランス 
空0できたんでしょう──

空0だから 「他人の空」も ソラ、輝けたのでしょう

空0鳥たちが帰って来た
空0──おお そうだ あいつらが帰ってきたんだ
空0空は石を食ったように頭をかかえている
空0──おお そうだ みんな頭かかえてた
空0血は空に
空0他人のようにめぐっている。
空0──おお そうだ 他人みたいな感触だったよ

空0わたしは 詩を書いている けれど
空0もう  滅多に 暗喩は  使わない

空0詩は 言葉の アートだけれど
空0今は いろいろな トランス・アイテムが あるから
空0敢えて 言葉で 迷路を造る
空0必要は そんなに 無いんじゃない かな

空0わたしは そう 思うんだ けれど──

空0平井商店街を歩いて しばらくすると
空0濁っていた空が 再び輝き出した

空0飯島さんにとってソラは暗喩
空0ミュージシャンにとってソラはクスリ

空0しかし、

空0カツカレーを駆逐して  ミルフィーユカツを パクパク した わたしにとって

空0ソラは、ソラで 問題 無いんじゃないかな!?
空0(引用終わり)

 

話者は前の日に飯島耕一の有名な詩「他人の空」を読んでいた。敗戦後の社会の気分を暗喩で表現した詩である。「空」は現実の空ではなく、当時の民衆の沈んだ気持ちを暗示している。「他人の空」は全行引用され、この詩に組み込まれる。一方、話者は食事中、ネットのニュースか何かで、あるミュージシャンがドラッグ所持の疑いで逮捕されたことを知る。

ここから話者は独自の考えを巡らす。飯島耕一は当時の民衆の漠然とした不安を掬い上げるために暗喩を使った詩を書いた。当時の読者は漠とした感情が喩によって的確に可視化されたことに驚き、その魅力に夢中になったことだろう。敗戦は当時の人々にとって共通の関心事だったろうから。「血は空に/他人のようにめぐっている」は、敗戦、そして帰還兵を巡る当時の人々の名づけようのない気持ちを見事に表現している。的確な比喩を発見した詩人の興奮、そしてそれを受け止める当時の人々の興奮を、話者は想像する。

一方、ミュージシャンの方はドラッグの摂取によって昂揚した気分になり、非現実的な世界で遊ぶことに夢中になった。違法ではあるが、彼が名づけようのない幸せな興奮を味わったことは間違いない。話者はそのこと自体は良かったこととし、むしろ逮捕した警察の方を咎めている。

話者自身と言えば、ミルフィーユカツに「アート」を見出すほど夢中になった。カツの風味を殺す「カツカレー」を退け、ひたすらそのおいしさを味わう。「安価な素材の 豚バラ肉が 手間を掛けて 何層にも/重ねられてある ソラ、ソラ、ジューシー!!」とくれば、読者も松のやのミルフィーユカツ定食を味わいたくなってくるに違いない。

ここで「ソラ」という概念が重要な役割を果たす。「ソラ」はもちろん頭の上に広がっている現実の空から抽出されたものだが、現実の空から離れて独り歩きする。人が夢中になる程大事なもの、快く興奮させてくれるもの、そうした意味合いが込められているが、それだけではない。濁りがない、ということが重要な要素となるのだ。それは、おいしいものを食べて、晴れ晴れした空の下を歩くはずが、なぜか濁った空の下を歩く羽目に陥ってしまったという、名づけようのない話者の身体感覚から出てきたものだ。つまり「ソラ」は、名づけようのないものであると同時に、話者の身体感覚に即した明確極まりない概念であるのだ。

この仮想の概念「ソラ」が、この詩に登場する者たちを結びつける。飯島耕一にとって社会全体の空気を象徴的に表現する暗喩が「ソラ」であり、ミュージシャンにとっては現実から逃避させてくれるクスリが「ソラ」である。そして話者は、ミルフィーユカツに代表される、自分を取り巻く日常を「パクパク」味わい尽くすことそのものが、自分にとっての「ソラ」なのだと宣言する。話者はいい気分になって、輝きを取り戻した現実の空の下を颯爽と歩き出す。何とも見事な展開。

作者が作り上げた「空」ならぬ仮想の「ソラ」は、本来無関係だったものたちを緊密に関係させ、話者の経験を抽象化した不思議なネットワークを、言葉の空間の中に明確に浮かび上がらせる。「固有」というものの複雑さを取りこぼさずに「公共化」する比喩。今井義行の、話者を巡る「固有の状況」から比喩を抽出するやり方は、「全体の状況」からざっくり比喩を作った飯島耕一の時代からの比喩の進化を、鮮やかに示しているのである。

 

 

 

あきれて物も言えない 20

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

見捨てられた人々がいたし、いるでしょう

 

以前、わたしは、トランプ大統領のことを「金髪の花札男」として詩に書いたことがありました。
現役の大統領が、”自身のために” SNSを使って様々な批判やデマや嘘を発信し分断を利用して熱狂的な支持者を増やし、遂には議会を襲撃させるまでなりました。

大統領選に勝利したバイデン氏は1月20日の就任式で正式にアメリカの新大統領となります。
就任式が行われるワシントンの議事堂前の広場や周辺は有刺鉄線やコンクリートブロックなどで塞がれて立ち入りが制限され、2万5000人もの州兵が動員されているのだそうです。
アメリカにはコロナとともに分断が渦巻いています。

就任式の2日後、1月22日に「核兵器禁止条約」が発効されます。

「核兵器禁止条約」は、
「あらゆる核兵器の開発、実験、生産、保有、使用を許さず、核で威嚇することも禁じた初めての国際条約。国連加盟国の6割にあたる122カ国・地域の賛成で2017年7月に採択された。批准が50カ国・地域に達したため、1月22日に法的な効力を発する。核軍縮の交渉義務を課す代わりに米ロ英仏中の5カ国だけに核保有を認めている核不拡散条約(NPT)とは発想が異なり、核兵器そのものを非人道的で不法と見なす。」 *

いままではトランプ大統領が核のボタンを押す(核兵器を使った攻撃命令を出す)権限を持っていました。
バイデン新大統領に代わったとしても、また別の大統領に代わったとしても、
「不安定な大統領」が核兵器を使った攻撃命令を出すことを防ぐための体制を整えるべきなのだと思います。

バイデン新大統はオバマ政権が掲げた「核兵器なき世界」の理念を継承し「核兵器のない世界に近づくよう取り組む」と言明しているということです。

広島と長崎に原子爆弾を落とされた唯一の被爆国であるにも関わらず、
日本政府は日本がアメリカの「核の傘」の中にあることを理由に「核兵器禁止条約」を批准しないという。
広島と長崎の被爆者の方たちの長く厳しい被曝後遺症による苦しみの生と死を受け止めて、
日本政府は「核兵器禁止条約」を批准し、核保有国に対して核兵器廃絶を強く要求するべき立場にあるのだと思います。

日本政府が「核兵器禁止条約」を批准できないことは、被爆者の方たちに対して恥ずべきことだと思います。

 
 

かつて、
長崎の坂の多い街を歩いたことがありました。

長崎の坂の上では舟越保武の26聖人の像を見ました。
空に浮かぶように聖人たちが並んでいたました。
聖人たちのいる公園には野良猫たちもたくさんいました。

原爆資料館では原爆で吹き飛んだ石の天使の首を見ました。
原子爆弾ファットマンの丸みのある模型も見ました。
船の汽笛も聴きました。
教会の鐘の鳴るのを聴きました。

長崎では一瞬にして7万4千人が亡くなったそうです。
たくさんの被爆者たちが原爆後遺症に苦しみ亡くなっていったでしょう。

見捨てられた人々がいたし、いるでしょう。
日本にも、世界にも、たくさんの見捨てられた人々がいたし、いるでしょう。

 

呆れてものが言えません。
ほとんど言葉がありません。

 
 

* 朝日新聞 2021年1月17日朝刊の記事より引用させていただきました。

 
 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

また旅だより 29

 

尾仲浩二

 
 

フランスのビジュアル雑誌から作品掲載の依頼がきた。
どうしてこんなものを面白がるのかと作った本人が言うのもおかしなセレクトで
ならばこんなのはどうかと送ったら、Great!と帰ってきた。
今年もなんとか楽しくやれそうだ。

2021年1月15日 東京、自宅の暗室にて

 

 

 

 

夢素描 09

 

西島一洋

 

記憶喪失

 
 

夢ではない。が、前回幻覚と幻聴について書いたので、ついでと言っては何だが、記憶喪失について書いてみよう。

僕は、十六歳の時、一週間の記憶を喪失したことがある。

高校の柔道部の練習で投げられて、後頭部より畳に落ちた。そこまでの記憶は、はっきりとある。どうやって家に帰ったかも記憶に無い。それからまるっと一週間分の記憶を失った。

この喪失感というのは、文字にすることはとても難しい。喪失しているのは間違いないのだが、感覚的な喪失感というのが全く無いのだ。つまり、分かりにくいかもしれないが、喪失しているのに、喪失していないということだ。

でもこれはとても恐ろしい。

自分の知らないところで、ある時間、もう一人の自分が生きている。僕の場合は一週間だ。

もう一人の自分というのが生きていた痕跡がある。

痕跡は色々あったんだろうが、その当時の記憶として鮮明なのは、柔道の段取りの昇段試合の記録である。記録といっても小さな折りたたみ式のペラペラな紙のカードだ。

今は知らないが、柔道というとみんな講道館、あの嘉納治五郎創設のやつだ。家元制度といえば言えなくはないが、昇段試合にかかる費用はわずかだったと思う。「つきなみ」といっていたから、月一回だったのだろう。名古屋ではスポーツ会館でやっていたと思う。昇段試合といっても、負けても引き分けでも良いのだ。ポイント制で、負ければさすがに0点だが、引き分けでも僕の記憶では、0.5点、もちろん勝てば1点。何度でも昇段試合が出来るのだ。つまり、ポイントを積み重ねていけば、昇段できるという仕組みだ。

茶帯から黒帯になるのも、ちょろっとずつポイントを積み重ねていけば、そのうちなれるという、今から考えると、ゆるいシステムだった。そのおかげで、一応僕も黒帯にはなった。

その「つきなみ」のカードには対戦成績が記録してあった。

しかし、一週間前の「つきなみ」の記憶が無い。くどいようだが、明らかなる自分の行為の記録の痕跡。このもどかしさは、もどかしくもないのだ。

わかりにくいかな。自らの経験の痕跡として肯定はするが、つまり、きっとそうなんだろうとは思うが、自分の中では全く身に覚えがない。

以前の夢素描で、夢の記憶について書いたので、詳しくは書かないが、記憶というのは、極めて抽象的なもので、パルスというか、一生の経験の仔細まで、1秒にも満たないプシュッというか、ピュッというか、ツツツというか、それに完璧に集約されている。よく死ぬ前に、一生分の記憶が蘇るというが、僕は間違いなく本当だと思う。

ただ、いまだもって、あの一週間は喪失したままだ。

喪失は言葉にはできない。

 

 

 

あきれて物も言えない 19

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

国民の誤解を招くという意味においては真摯に反省をしている

 

菅義偉(すがよしひで)総理大臣は16日、内閣発足から3カ月となることを受け、首相官邸で報道陣の取材に応じた。 *

Go Toトラベルを年末年始に全国一斉での停止を発表した14日夜に、自民党の二階俊博幹事長らと5人以上で会食をしていたことについて、「他の方の距離は十分にありましたが、国民の誤解を招くという意味においては真摯に反省をしている」と話した。 *

ということです。

何も、
わたしたちは誤解できないです。

新型コロナウイルスの感染対策として政府が5人以上の会食や忘年会の自粛を求めている中で、菅さんが政府の要請に反して、7人と会食した、という事実を、わたしは、誤解できないです。

 

菅義偉総理大臣は、
わたしの田舎、秋田県の英雄です。

菅さんが総理大臣になってから思い出したのですが、
菅義偉さんは秋田県県南の秋ノ宮温泉郷の出身で湯沢高校の卒業生であります。

秋には見渡すかぎり黄金色の稲穂が田んぼにひろがる横手盆地、
その南の端っこの山と山に囲まれた秋ノ宮温泉郷が菅義偉さんの故郷です。

わたしの母が通っていた温泉で菅義偉さんのお母さんと知り合いになり親しくしていただいたと死んだ母から聞いたことがありました。

今年10月の終わりに葬儀で田舎に帰ったのですが、秋の宮の辺りでは菅新総理をお祝いするのぼり旗が立っていました。
また、秋田湯沢駅にはお祝いの横断幕が掛けられていました。
近所の道の駅では菅総理饅頭が売られていて、
県外産の祝菅総理土産用お菓子も売られていました。

菅さんは湯沢高校を卒業して「東京へ行けば何かが変わる」と夢を持ち上京し、
板橋のダンボール工場で働き、2か月で工場を退職。それから約2年後に法政大学法学部政治学科に入学する。 **

在学中には実家から仕送りも受けつつ、警備員や新聞社、カレー屋のアルバイトで生活費と学費を稼いでいた。 **

1973年、法政大学法学部政治学科を卒業し、建電設備株式会社(現・株式会社ケーネス)に入社した。
1975年、政治家を志して相談した法政大学就職課の伝で、OB会事務局長から法政大学出身の第57代衆議院議長中村梅吉の秘書を紹介され、自由民主党で同じ派閥だった衆議院議員小此木彦三郎の秘書となる。 **

とウィキペディアには書かれています。

自分の若い体験と重なるところもあり、若かった菅さんの姿が見えるように思えます。
若い菅さんは秋田や東京の現実を見て、この世界を変えるのは「政治」しかないと思ったのだと思います。

わたしも秋田の田舎から出てきて、
満員電車やアルバイトや会社を体験して、貧富の差や、この世界の矛盾や嘘、を感じた者の一人でした。

菅さんは、政治家を志して国会議員の秘書になり、人脈の海の中を泳いで、泳いで、総理大臣まで登りつめたのだと思います。
大変なことだったと思います。秋田県の英雄だと思います。
どれほどの苦い苦い水を飲んだことでしょう。
その苦さが菅さんの表情に現れていると思います。

「他の方の距離は十分にありましたが、国民の誤解を招くという意味においては真摯に反省をしている」と、
菅さんは記者会見で語ったのだそうです。

わたし、誤解はしませんでした。
ただその言葉の「真摯」や「反省」は真実なのか、どうか、と思いました。

 
 

わたしには、今年、10月に亡くなった山形県寒河江市出身の写真家、鬼海弘雄さんの顔が、思い浮かびました。
鬼海弘雄さんは菅さんと同じ法政大学の哲学科を出て写真家になり、コロナ禍の今年、2020年10月19日に亡くなりました。
嘘のない素晴らしい人だったと思っています。
トラック運転手、造船所工員、遠洋マグロ漁船乗組員などの仕事をしながら浅草の人々の大切な写真を撮り残していってくれました。

鬼海弘雄さんの写真にはわたしたちの希望のひかりがあると思います。

12月15日の新聞の夕刊一面には「食も住まいも「明日どうなる・・・」」という見出しが立っています。 ***
東京池袋の路上生活者を支援するNPOの炊き出しの列に若者たちも多く並んでいるということです。

今、コロナ禍のなかで、弱い人たちに支援の手が届いていないのではないでしょうか?
「Go To トラベル」の予算は1兆1,248億円だそうです。
経営が厳しくなる中小の企業ではこれからリストラが進むのではないでしょうか?
そこでは弱者が真っ先に切られていくでしょう。

受け皿が必要なのです。
今のこの世界には弱者を受ける皿が必要なのです。
1兆1,248億円の予算があったら弱者たちを受ける皿を作り、その皿を運動体として活性化させる政策が必要なのです。
下からの運動体を作る政策が必要になっているのです。

まるで政治家のように語ってしまいました。
嘘を言うつもりはありません。

 

呆れてものが言えません。
ほとんど言葉がありません。

 
 

* 東京新聞WEB版 2020年12月16日の記事より引用させていただきました。
** ウィキペディア(Wikipedia)より引用させていただきました。
*** 朝日新聞 12月15日夕刊一面より引用させていただきました。

 
 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

また旅だより 28

 

尾仲浩二

 
 

大阪での写真展が終わって次の三重県津での写真展へ
紀伊半島を四日間かけて鉄道でぐるりとまわった。
誰もいない道を歩いているのにずっとマスクをしている自分がいた。
あんなにマスク嫌いだったのに。
これが今年最初で最後の旅。

2020年11月16日 和歌山県周参見にて

 

 

 

 

生身の詩人の生身の現場

鈴木志郎康詩集『化石詩人は御免だぜ、でも言葉は。』(書肆山田)について

 

辻 和人

 
 

 

この詩集に収められた作品が書かれたのは、多摩美術大学を退職してからしばらくたち、足腰の調子が悪くなって車椅子を使うようになり、奥さんである麻理さんが難病に罹っていることが判明した頃である。物理的な行動半径がますます狭くなってきて、『ペチャブル詩人』の頃のように杖をついて電車に乗るということも簡単にはできなくなってきた。この状況の下で、社会との接点としての詩の存在は大きくならざるを得ない。志郎康さんは多くの詩集を刊行し、大きな賞も受賞した高名な詩人であるが、この局面においての詩への想いは、メディアの中で評価されたり話題にされたりすることによって満たされるものではない。身体の自由が効かなくなりつつあるこの局面において、詩を書くことは自己確認そのもの、詩を発表することは人間関係を築く行為そのものだからである。ハイブロウな芸術作品を世に送り出して評価を問う、などといったノンキな態度は問題外。「詩人」であることが、生活の上で何よりも切実な問題としてクローズアップされるのである。
ということで、この詩集では「詩人」であることの「宣言」が、これでもかとばかりのアクの強い身振りによって示されていく。
 

空0ホイチャッポ、
空0チャッポリ。
空0何が、
空0言葉で、
空0出てくるかなっす。
空0チャッポリ。
空0チャッポリ。

 
というふざけた調子で始まる「びっくり仰天、ありがとうっす。」は、今まで出してきた詩集の頁が全て白紙になってしまうというナンセンスな事態を書いた作品である。
 

空0五十三年前の、
空0たった一冊しかない、
空0俺の最初の詩集、
空0『新生都市』を
空0開いたら、
空0どのページも、
空0真っ白け。
空0すべてのページが
空0真っ白け。
空0慌てて、
空0次に
空0H氏賞を受賞した
空0『罐製同棲又は陥穽への逃走』を
空0開いたら、
空0これも、
空0すべてページが
空0真っ白け。
空0どんどん開いて、
空0二十六冊目の
空0去年だした
空0『どんどん詩を書いちゃえで詩を書いた』まで
空0開いて、
空0ぜーんぶ、
空0真っ白け。
空0チャッポリ、
空0チャッポリ。

 
注目すべきは、心血注いで制作してきた詩集群が「真っ白け」になってしまったことを、話者が面白がっていることである。「チャッポリ」というお囃子の掛け声のようなフレーズがそれを生き生きと伝えている。詩集は、メディアやアカデミズムから見れば、詩人の「業績」である。志郎康さんはその「業績」としての詩を全力で否定し、身軽になって好き放題に書くことを全力で喜んでいるようだ。
 

空0これこそ、
空0天啓。
空0活字喰い虫さん、
空0ありがとうっす。
空0また、
空0どんどん書きゃいいのよ。
空0チャッポリ。

 
「どんどん書きゃいい」というのは、詩が業績として化石化することを否定し、書きたい気持ちのままに書く「行為」に集中するぞという宣言であろう。この詩集のメッセージとなるものを直截打ち出した、潔い態度表明である。但し、現実はそううまく割り切れるわけではない。志郎康さんは周到にも、こう付け加えることを忘れない。
 

空0てなことは、
空0ないよねえ。
空0ホイポッチャ、
空0チャッポリ。

 
「へえ、詩って自己中なのね、バカ詩人さん。」は「ある男」と「その連れ合い」の会話の形を取った詩だが、過去を捨ててカッコつけず人目を気にせず書かれた詩はこんな風になるしかない。
 

空0ヘッ。
空0バカ詩人!
空0そっちじゃなくてこっちを持ってよ。
空0こっちのことを考えてね。
空0詩人でしょう、
空0あんた、
空0想像力を働かせなさい。 
空0バカ詩人ね。
空0男は答えた。
空0仕方ねえんだ。
空0書かれた言葉はみんな自己中、
空0言葉を書く人みんな自己中、
空0詩人は言葉を追ってみんな自己中心。
空0自己中から出られない。
空0自己中だから面白い、
空0朔太郎なんか超自己中だ。
空0光太郎も超自己中だ。

 
実は自己の望む言葉の形を突き詰めていくこと、つまり「自己中」に徹することは、至難の業なのだ。小説の言葉の多くは市場を前提とする。だから他人からのウケを気にしなければならない。しかし、詩の言葉は違う。詩の言葉は個としての生命体の心の生理的な欲求から生まれるものだ。市場でのウケを前提としない詩の言葉は、本来「自己中」に徹し、常識はずれな姿になったとしても、その姿をとことん先鋭化させるべきなのであるが、大抵の詩人は読者や仲間の詩人からの反応を気にして手が鈍ってしまう。この詩は、「連れ合い」と何かを運ぶような行為をしているシーンを描いている。「男」は不器用で、相手とのバランスをうまく取ることができない。それは生活の上ではマイナスポイントだが、詩作の上ではプラスに作用する。その逆転ぶりを志郎康さんは爽快な笑いで表現していくのだ。

「生身の詩人のわたしはびしょ濡れになり勝ちの生身をいつも乾かしたい気分」では、詩人であることが端的にテーマになっている。
 

空0詩を書けば詩人かよ。
空0ってやんでい。
空0広辞苑には
空0詩を作る人。詩に巧みな人。詩客。「吟遊詩人」②詩を解する人。
空0と出ている。」
空0ほらみろ、詩を作れば誰でも詩人になれるってことだ。
空0いや、いや、
空0ところがだね、
空0新明解国語辞典には、だね、
空0「詩作の上で余人には見られぬ優れた感覚と才能を持っている人。」
空0とあるぜ。
空0そしておまけに括弧付きで、
空0《広義では、既成のものの見方にとらわれずに直截チョクセツ的に、また鋭角的に物事を把握出来る魂の持主をも指す。例「この小説の作者は本質的に詩人であった」》
空0だってさ、魂だよ、魂。
空0危ない、
空0やんなちゃうね。

 
詩は才能のある特別な人のためにあるのではない、詩への道は誰にでも開かれている。表現の平等性が強調される。
 

空0定年退職して、
空0毎日、詩のことばかり考えてる
空0俺は、
空0正に詩人なんだ。
空0「余人には見られぬ優れた感覚と才能」なんてことは
空0どうでもよく、
空0詩を書いて生きてる、
空0生身の詩人なんだ。
空0生身の詩人を知らない奴が、
空0詩人は書物の中にしかいないと信じてる奴が、
空0新明解国語辞典の項目を書いたんだろうぜ。

 
ここで「生身」という言葉が出てくる。この詩のキーワードである。詩は文学全集に収められた文化遺産などではなく、生きている人のものだというのだ。
 

空0この現実じゃ
空0詩では稼げないでしょう。
空0作った詩を職人さんのように売れるってことがない。
空0他人さまと、つまり、世間と繋がれない。
空0ってことで、
空0生身の詩人は生身の詩人たちで寄り集まるってことになるんですね。
空0お互いの詩を読んで、質問したり、
空0がやがやと世間話をする。
空0批評なんかしない、感想はいいけど、
空0批評しちゃだめよ。
空0詩を書いてる気持ちを支え合う。
空0そこで、互いの友愛が生まれる。
空0詩を書いて友愛に生きる、
空0素晴らしいじゃない。

 
詩は、作品という表現の「結果」であるより、生きている人が、言葉を生きるという「行為」をしたことが重視される。そして、生きている詩人同士が言葉を生きた「行為」を受け止め合う「友愛」のすばらしさが説かれる。私自身も、志郎康さんを含めたこの「友愛」の場に何度も参加したが、それは夢のような楽しい時間だった。それは生きている人が生きていることを確かめ合う時間であり、表現が生身の人間のためのものであることを実感できた時間だった(ちなみに、その場は有志により今でも続けられている)。
 

空0生身が生の言葉で話し言い合うって、
空0気分が盛り上がりましたね。
空0これですよ。
空0生の言葉で盛り上がって、
空0熱が入って、
空0びしょ濡れの生身を乾かすってことですね。

 
「生きてるから/詩を書く。」と断言する志郎康さんは「詩を書くって定年後十年の詩人志郎康にとっちゃなんじゃらほい」で、生活と詩との関係を赤裸々に描く。こんな感じである。
 

空0毎週月曜日に、
空0ヘルパーさんはわたしのからだにシャワーの湯を浴びせてくれるっす。
空0一週間はたちまち過ぎて、
空0その間に、
空0わたしはいったい何をしていたのか、
空0思い出せないってことはないでしょう。
空0昨日は今日と同じことをしてたじゃんか。
空0ご飯食べてうんこして、
空0そのうんこがすんなりいかないっす。
空0気になりますんでざんすねえ。
空0うんこのために生きてるって、
空0まあまあ、それはそれ、
空0新聞読むのが楽しみ、
空0そしてあちこちのテレビの刑事物ドラマ見ちゃって、
空0でも、その「何を」が「何か」って、
空0つい、つい、反芻しちゃうんですねえ。

 
こうして排便がうまくいかないこと、ドラマを見るそばから筋を忘れてしまうこと、アメリカ大統領選挙の報道に接したこと、夜中に3回排尿すること、など生活の細々したことをリズミカルな調子で延々と綴った後、精神疾患に悩む詩人の今井義行さんの一編の詩を取り上げる。そこには、勤務時間に詩を書いていて自分は「給料泥棒」だったと書かれてあった。志郎康さんがFACEBOOKで「ところで、この詩作品は人の人生にとって「詩とは何か」という問いをはらんでいますね。」とコメントすると、今井さんは「わたしは詩作は、自分が楽しいだけでなく、他者の心を震わすこともあるという意味で、十分社会参加であると捉えていますので、他の分野も含めて、保護法があっても良いじゃない、とも思います」と返す。それに対する志郎康さんの考えは、
 

空0現在の詩作の意味合いと、
空0詩人の生き方をしっかりと、
空0返信してくれたんでざんすね。
空0パチンッ。
空0そういう考えもあるなあって、
空0思いましたでざんすが、
空0パチンッ。
空0パチンッ。
空0わたしは、
空0「詩人保護法」には反対って、
空0コメントしちゃいましたでざんす。
空0他人さんのことはいざ知らず、
空0わたしの詩を書くって遊びが、
空0国の保護になるなんざ、御免でざんす。

 
というもの。今井さんの考えは、障害に苦しむ自身の立場を詩によって社会の中に制度的に位置づけようとするものである。これは、病気によって社会との結びつきが細くなってしまった今井さにとって切実な問題である。志郎康さんはそのことをきちんと受け止めた上で、「誰にも邪魔されない一人遊び」としての詩作の行為の大切さを語るのだ。私は、このやりとりこそが「友愛」なのではないかと思う。「読んでくれる人がいれば、/めっけもん、」という志郎康さんは、生身から出て生身に受け渡される表現の経路に固執する。日常の瑣事を延々と綴ったのは、詩の営みも頑としてそうした生の営みの中にあることを印象づけるためであろう。その上で、個人が生きるということが、メタレベルにある何者かによって統制されることへの拒否を表明するのである。しかし、それでも詩人としての悩みはある。
 

空0詩を発表するところの、
空0さとう三千魚さんの
空0「浜風文庫」に甘えているんでざんす。
空0やばいんでざんす。
空0ホント、やばいんでざんす。

 
志郎康さんは詩を発表する媒体を、詩人のさとう三千魚さんのブログ「浜風文庫」に頼っている。他人が作った「制度」に依存しているということである。本来であれば自前の媒体も持ち、詩の「友愛」の場を広げるべきだが、その余裕がない。延々と日常を描写したり詩についての考えを述べたりしてきた志郎康さんは、ここにきて「やばい」という気分に陥ってしまった。そして驚くべきことに、詩の末尾でその不満をぶちまけ、尻切れトンボに詩を終わらせてしまうのである。
 

空0この詩を書いて、
空0読み返したら、
空0わたしゃ、
空0急激に不機嫌なったでざんす。
空0ケッ、ケ、ケ、ケ、ケ。
空0パチンッ、

 
このエンディングは、周到な計算によって仕組まれたものであろう。詩の末尾は読点であって句点ではない。想いにケリがつかず、詩が終わった後でも気分が継続していることを示す、その言葉の身振りをしっかり書き入れているのである。

詩は文学であり出版と関係が深い。詩にまつわる制度の最たるものと言えば、商業詩誌ということになるだろう。「心機一転っちゃあ、「現代日本詩集2016」をぜーんぶ読んだっちゃあでざんす。」は、「現代詩手帖」1月号の「現代日本詩集2016」を読んだ感想を詩にしたものである。今までは気になる詩人の詩を読むだけで、特集の詩を全部読むことはなかった。それを「心機一転」読んでみることにしたというのである。
 

空0心機一転ってっちゃあ。
空0そりゃ、まあ、どういうことでざんすか。
空0現代詩っちゃあ書かれてるっちゃあでざんすが、
空0選ばれたり選ばれなかったりっちゃあ、
空0こりゃまあ、こりゃまあ、でざんす、ざんす。
空0日本国にはどれくらいっちゃあ、
空0詩人がおりますっちゃあでざんすか。
空0ひと月前の「現代詩手帖」12月号っちゃあ、
空0「現代詩年鑑2016」とあってっちゃあ、
空0その「詩人住所録」っちゃあ、
空01ページ当たりおよそ44名ほどと数えてっちゃあざんす。
空0それが47ページっちゃあで、
空0おおよそ2068名くらいが登録されておりますっちゃあでざんす。
空0いや、いや、
空0もっと、もっと、
空0詩人と自覚している人は沢山いるはずっちゃあでざんすよ。
空0それに自覚してなくてもっちゃあ、
空0沢山の人が詩を書いているはずちゃあでざんすよ。

 
世の中には沢山の人が詩を書いているが、ここには雑誌が選んだ詩人の作品だけが載っている。当たり前のことであるが、詩人たちの間では、誰が選ばれて誰が落ちた、ということが気になるだろう。志郎康さんはそうしたことに着目するのは避けてきていたが、ここにきて制度の中で詩がどのように扱われているかをじっくり見てみようと思ったわけだ。それを志郎康さんは「心機一転」という言葉を使ってユーモラスに表現している。
 

空0「現代詩手帖」さんが、
空0今、活躍してるっちゃあ、
空0推奨する
空0数々の受賞歴のあるっちゃあ、
空048人の詩人さんっちゃあでざんすよね。
空0ざんす、ざんす。
空0つまりで、ざんすね。
空048人の詩人さんっちゃあ、
空0「現代日本詩集2016」っちゃあ、
空0まあ、今年の日本の詩人の代表ってことっちゃあでざんすね。
空0選ばれればっちゃあ、
空0名誉っちゃあ、
空0嬉しいっちゃあでざんす。
空0んっちゃあ、んっちゃあ、
空0ざんす、ざんす。
空0うふふ。
空0うふふ。
空0ハッハッハッ、ハッ。

 
志郎康さんは律儀にも、毎朝の4時に起きて作品を読み、SNSに感想を記した。
「11人のお爺さん詩人と2人のお婆さん詩人の詩を読んだ。皆さん老いを自覚しながら自己に向き合うか、またそれぞれの詩の書き方を守っておられるのだった。ここだけの話、ちょっと退屈ですね。」
「10人の初老のおじさんおばさん詩人の詩を読んだ。ふう、すげえー、今更ながら、書き言葉、書き言葉、これって現代文語ですね。」
「11人の中年のおじさんおばさん詩人の詩を読んだ。中年になって内に向かって自己の存在を確かめようとしているように感じた。複雑ですね。」
「11人の若手の詩人の詩を読んだ。自己の外の物が言葉に現われてきているという印象だが内面にも拘っているようだ。これで「現代日本詩集2016」の48人の詩人の詩を読んだことになる。まあ、通り一遍の読み方だが、書かれた言葉の多様なことに触れることはできた。今更ながら日常の言葉から遊離した言葉だなあと思ってしまった。」。
結構辛辣である。そして個々の詩人の作品についても記していく。
 

吉増剛造の詩については、

空0その誌面にびっくりっちゃあでざんすが、
空0吉増さんの感動が文字を超えていくっくっくっちゃあが、
空0言葉の高嶺っちゃあでざんすか、
空0ただただ驚くばかりっちゃあで、
空0真意っちゃあが、
空0解らなかったっちゃあでざんすねえ。
空0残念でざんす。
空0んっちゃあ、んっちゃあ
空0ざんす、ざんす。
空0うっ、ふう。

藤井貞和の詩については、

空0「短歌ではない、
空0自由詩ではない、
空0自由を、
空0動画に託して、
空0月しろの兎よ、」っちゃあ、
空0うさちゃんに呼びかけてっちゃあでざんすね。
空0何やら深刻なことを仰せになってるっちゃあでざんす。
空0そしてでざんすね。
空0「あかごなす魂か泣いてつぶたつ粟をいちごの夢としてさよならします。」っちゃあて、
空0終わっちまうっちゃあでざんすよ。
空0ウッウッウッ、ウッ。
空0ウッウッウッ、ウッ。
空0藤井貞和さんの魂がわかんないっちゃあでざんすねえ。
空0悔しいっちゃあでざんす。
空0んっちゃあ、んっちゃあ、
空0ざんす、ざんす、ざんす。

瀬尾育生の詩については、

空0今回の詩のタイトルっちゃあ、
空0「『何かもっと、ぜんぜん別の』もの」っちゃあ、
空0またまたあっしには通り一片で読んだだけっちゃあ、
空0何のことがかいてあるっちゃあ、
空0理解できないっちゃあ詩っちゃあでざんした。
空0繰り返し読んだっちゃあでざんす。
空0第一行からっちゃあ、
空0「薄れゆく記憶のなかで濃い色を帯びた瞬間を掘り出す金属の手当ては」っちゃあ、
空0何だっちゃあでざんす。
空0それからっちゃあ、
空0「バルコニーの日差しが斜めになるときは
空0その窓を開けておいて。滑るようにそこから入ってくる神の切片を/迎えるために。」
空0「神の切片」っちゃあ、
空0何だっちゃあ、
空0わからんっちゃあでざんす。

 
といった具合である。志郎康さんは詩を一行一行丁寧に読み込んでいくのだが、感想は総じて、文意が不明確で何を言わんとしているかがわからない、というもの。これは実は、一般の読書家がこれらの詩に対して抱く感想とほとんど同じであろう。むしろ一行一行を丁寧に読んで理解していこうとするからこそ、こうした感想が生じるのだ。現代詩には、日常的な言葉の使い方から離反した、文意の辿りにくい作品が多い。どこに行って何をしたという人間の具体的な行為ではなく、言葉の飛躍の間に暗示される、詩人の内面世界が重視される。その極度の抽象性は、詩人の内面は特別で崇高なものだとするヒロイズムの表れであり、ヒロイズムを共有する現代詩人同士の間では受け入れられるが、関係のない一般の人には理解不能なものになってしまっている、ということではないだろうか。つまり、「現代詩人」が「現代詩人」に向けて書いているのであって、「生身の人」が「生身の人」に向けて書いていない、ということ。そうした詩人の在り方が雑誌への掲載という形で制度化されることに対し、鋭い批判を放っている。その批判の仕方がまた、雑誌を読む具体的な行為に即し、対象となる詩人の実名を引きながら、「生身の人」として行っていくのが何とも痛快である。逆に言えば、曖昧に褒めたりせず、詩を一行一行丹念に読んだ上での理解を具体的に記すという点で、「生身の人」としての真摯な対応をしているとも言える。
この苛立ちは「俺っちは化石詩人になっちまったか。」において、
 

空0突然ですが、
空0俺っちは、
空0生きながらに、
空0詩人の化石になっちまってるのかね。
空0なんとかせにゃ。
空0チャカチャッ。
空0そういえば、
空0あの詩人は生きながらにして、
空0もう化石になっちまったね。
空0いや、
空0あの詩人も、
空0まだ若いのに、化石化してるぜ。
空0いや、
空0いや、
空0あの高名な詩人も
空0まだ生きてるけど、
空0既に化石詩人になっちまったよ。
空0俺っち、
空0バカ詩人やって、
空0なんとか、かんとか、
空0生きてるってわけさ。
空0チャカチャカ、
空0チャカチャカ、
空0チャっ。

 
と、リズミカルに「バカ詩人」をやることにより「化石詩人」を回避する決意に表れている。

この一個の生命体として「生きる」ことに対する意識の敏感さは、飼い猫の病気について書いた「ママニが病気になってあたふたと振り回される」によく出ている。ママニは元野良猫で、母親似だったためママニと名付けられたという。もう16歳で人間言えば80歳程の高齢になるが、ある日血を吐いて倒れ、餌を食べなくなってしまった。
 

空0水の器の前に来て、
空0考え込んでいて飲まない。
空0餌の器には見向きもしない。
空0飲まず食わずじゃ、
空0死んでしまう。
空0病院で教えてもらった
空0強制給餌だ。
空0麻理がママニを太股の上に抱いて、
空0わたしが前足と後ろ足を両手で抑えて、
空0麻理が注射器で、
空0こじ開けた口の中に
空0ペースト状の餌を注入する
空0ママニは
空0暴れて、
空0口を
空0ガクガクさせて、
空0餌を飲み込む。
空0これを繰り返して
空010ccを
空0食べさせるのがやっと。
空0やっと、やっと、やっと。
空0死なせたくないけど、
空0強制給餌は
空0辛い。

 
ママニの給餌の様子が精密に描写される。その時々の志郎康さんや麻理さんの心配が伝わってきて胸が痛くなってくる。
 

空0なるべく、
空0好きなものなら何でも
空0食べさせてください。
空0と言われて、
空0麻理は、
空0ママニが病気になる前から、
空0ミャオミャオ
空0と喜んで食べた、
空0おかか、
空0そのおかか入りのペースト状の餌を、
空0手のひらにのせて、
空0口元に近づけたら、
空0食べたんですよ。
空0そう、食べた。
空0カニカマボコも、
空0麻理が噛んで、
空0手のひらにのせると
空0どんどん食べる。
空0子持ちししゃも、
空0少し食べた。
空0水も
空0麻理の手のひらからなら
空0ちょっと舐める。
空0牛乳も
空0手のひらから
空030ccも
空0飲んだ。
空0おしっこもした。
空0そして、遂に、
空0十五日振り、
空0いや、十六日振りで、
空0ウンコをしたんだ。
空0これでなんとか、
空0ママニは
空0元気になれるか。

 
ここまで読んで、ああ良かったと、胸を撫でおらさない読者はいないだろう。この連における細かな行替えは、ママニの命を心配をする当事者が、ママニの一挙手一投足に注視する心の動きに即応している。生身が生身に向き合う真剣さが、言葉の形にぴくぴくと鮮明に表れているのだ。読者は生身の人間として、作者の生身の時間を共有する気持ちになれる。「化石詩人」にこうした詩は書けない。「バカ詩人」でなければできない仕事と言えるだろう。

『ペチャブル詩人』では退職後の孤独な時間を「空っぽ」な時間として積極的な意味づけをし、『どんどん詩を書いちゃえで詩を書いた』ではそんな「空っぽ」な時間での日常実践を活力溢れた筆致で描き、この『化石詩人は御免だぜ、でも言葉は。』では、とうとう生身の詩人が生の詩を書く現場を晒すところまできた。ここで言う「空っぽ」とは、空虚ということではない。個体が生きる自由で孤独な時間の持続のことを指している。生きているということは「空っぽ」を生み出し続けることに他ならず、詩を書くことは意義や評価に囚われない「空っぽ」の詩を書くことである。それは鈴木志郎康という個人にとって、「うんこ」をすることと同列の、生命体にとって必須の営みなのである。詩作をテーマにした詩はこれまでにもあったが、生身の生活の営みということに徹してこのテーマを描いた詩人は鈴木志郎康が初めてだろう。こうして見ると、志郎康さんの詩はある詩集から次の詩集へと、問題意識がきちんと受け渡され進展していることがわかる。そして次の『とがりんぼう、ウフフっちゃ。』では、この「空っぽ」の持続から生まれたダイナミックな「ナンセンス」の概念が、詩のテーマとしてクローズアップされることになるのである。

 

 

 

夢素描 08

 

西島一洋

 

起きていて見る夢について

 
 

一般的には、幻覚とか幻聴というのだろう。
しかし本人にとっては、寝ている時に見る夢のリアリティと同じく、生々しい。

僕は、マリファナも含めて一切の薬物はやったことがない。
そして、酒を飲んだ時とか夢うつつの時とかでもない。

一番素晴らしく感動したのは、19歳の頃のある体験である。

当時、六畳一間、古い木造アパートの二階に住んでいた。北側にある、細く急な階段を上り、ギシギシと短かいが暗い廊下を踏み進み、突き当たりの焦茶に焼けたベニア扉の奥が僕の部屋だ。

扉にはノブが付いていた。このノブは内側からボッチを押すとカギが閉まる仕組みだ。よくカギを部屋の中に置いたままロックしたことがある。そんな時は、階段をとっとと降り、狭い路地を通って、表通りの飯田街道をひょいと渡り、すぐ向かいにある街路灯のついた電信棒、これに括り付けてある琺瑯看板のちょっと余った番線、つまりちょっと太い針金を、キコキコ…と…折り曲げ、何度もやってれば、切れて、それを携えて、トコトコと飯田街道を渡り戻り、急な木の階段をすっすいと登り、黒光りの廊下の奥の我が部屋の前に立って、ちょいとひと息。何度もやってれば手慣れたもので、針金一本で簡単にカギは開く。この鍵開けのテクニックで、ちり紙交換をやっていた頃、人を助けたこともある。また後年、ミャンマーでトイレに閉じ込められた時、何とか脱出したこともある。

扉を開けると、半畳のたたきというか床があり、そこから奥が六畳。出窓形式で炊事の場所は一応ある。トイレは共有。

扉は暗い廊下の奥だが、部屋自体は南向きで、飯田街道に面していて、日中は日当たりも良い。夜でも飯田街道の街路灯の灯りがあり、深夜でも真っ暗になることは無い。窓下には三叉路ということもあって、名古屋市バスのバス停が四つもある。下町だが、商店街というか、街の中だ。でも、深夜は静かだ。70年代の頃なので、国道153号線でもある飯田街道でも、深夜は車の通りも無く静かだった。

僕は17歳の時に、あることをきっかけに一生の仕事を絵描きと決めた。まあ、覚悟みたいなものです。まさに命がけです。そして、その後10年ほどの間に、強固で濃密な極私的絵幻想が形成された。端的にいうと僕のいう本当の絵というのは、美術史の文脈でいう絵画では無い。絵なのだ。絵というのは絵画では無い。つまり絵は芸術でも無く美術でもない。しかし、これを伝えるのは難しいし、伝える能力も無い。命がけで本当の絵をかくというのが僕の命題です。僕の現在行っている絵幻想解体作業はこの辺りを因として発しています。解体作業というのは破壊作業と違います。一度解体して、部品を整理して、もう一度構築できるかどうかを問う行為です。5年ほど前から行っている行為「行為∞思考/労働について」も絵幻想解体作業のひとつです。もちろん解体作業と並行して、絵も描いているのでややこやしいですが、そんなもんです。順番通りにはいきません。というか僕の中では、この絵幻想解体作業も絵を描いているのに等しいので、日常、さらには寝ている時も含めて絵を描いているのに等しいのです。言ってみればそれほど強固な極私的絵幻想なのです。これを社会的に一般概念に置き換える作業はしないというより、そこまでの素養は僕には無いです。

本題に戻る。というか本題は何だったっけ?
ということで一旦文頭から読み直し、推敲作業をしよう。

推敲作業をしていると段々文章が膨らんでくる。
なんだか、これはまずい。
でもしょうがない。

深夜。
窓下から、というより窓下はるか飯田街道の西の彼方から微音。
あたりは静かだが、その音も静かな音だ。
深い低音。
ブンブンブン…
ゆっくりと、ゆっくりと、本当にゆっくりと近づいてくる。
その音は近づいてくるにしたがって、徐々に分かってきた。
歌声だ。合唱だ。足音だ。
だんだん近づいてくる。
男たちの集団の歌声だ。
言葉は分からないが労働歌である。
反戦歌でもあった。
凄い。
凄い。
どんどん近づいてくる。
ドウドウドドン。
強烈な大きな音のうねりだ。
体の芯まで響く音というか振動というか。
たまらない。
窓下の前を横切る集団。

感動した。

僕も参加したいという衝動に駆られて窓を開けた。

突然、音は消えた。
誰もいない。