由良川狂詩曲~連載第18回

第6章 悪魔たちの狂宴~ライギョ来襲

 

佐々木 眞

 
 

 

ライギョと呼ばれる魚には、驚いたことには、なんと2種類があるそうです。

台湾からやってきて大阪、京都、兵庫などの湖沼で大繁殖したタイワンドジョウ、それからアジア大陸の東部が原産地で、北は黒竜江から朝鮮を経て、南は揚子江付近まで分布し、日本には朝鮮半島から到来、現在では北海道を除くほぼ全土に繁殖して平野部の浅い池沼に棲むカムルチーの2種がごっちゃにされているようですが、彼らがやたら大食いで、食洋魚を食害する点では共通しているのです。

ライギョ(雷魚)という魚が、小魚はもちろんエビ、カエル、フナ、コイ、ウナギ、さらにはイヌ、ネコ、ヘビ、鳥類など、自分と同じかあるいはそれ以上の大きさの動物すらぱっくりと食べてしまう、ものすごく獰猛な魚であることは、ケンちゃんも理科で勉強しました。

でもケンちゃんは、今まで由良川では、ライギョなど見たこともありません。

―――待てよ、あれはもしかしたらライギョじゃなくてソウギョじゃないかしら?

と、ケンちゃんは泳ぎながら考えました。

あれが中国原産のソウギョなら、由良川にいる可能性はある。だけどソウギョは名前の通り、アシとかマコモとかの葉や茎を食う雑食魚だし、ソウギョと混同されるアオウオにしても、川底の小動物を食べることはあっても、牛の肉までは食べないだろう。
でも、今そこで泳いでいるあの姿、あのかたちは、絶対にソウギョじゃない……

―――しかしライギョがなんで由良川にいるんだろう?

ケンちゃんの疑いは、深まるばかりです。

その間も、ライギョたちの悪魔の狂宴は、えんえんと続いています。

彼らがやることは、まるでピラニアです。でもピラニアはちっぽけな魚です。ピラニアの何百倍も大きなライギョたちが、飢えた食人ザメのように水中でガツガツと音を出して、牛の肉を、筋を、臓物を貪り喰っているのです。

その、この世のものとも思えない残酷な光景を見せつけられたケンちゃんが、もうそれ以上正視できずに、そろそろ引き返そうと身を翻そうとしたとき、ケンちゃんのスニーカーの右足が牛の白骨化した横隔膜にゴツンと当たりました。

すると百匹以上のライギョの大群が、一斉にホルスタインの死骸から湧きだすように飛び出して、ケンちゃんめがけて襲いかかってきたのです。

―――どひゃーあ、こりゃマイッタ。許してくれえ!

と叫びながら、ケンちゃんは、鎌倉スイミングスクール小学生の部グランプリに輝く素晴らしいピッチ泳法をフルに駆使して、全速ダッシュ!現場からの緊急離脱を試みましたが、牛の血潮に狂ったライギョたちは、「次の獲物はアイツだあ!」とばかりにケンちゃんめがけて殺到。

この前の日曜日にお母さんがヨーカ堂のバーゲンで買ってくれたばかりの白いスニーカーは、哀れライギョの鋭いひとかみでザックリと食いちぎられてしまいました。
ケンちゃんは大慌てでクロール泳法からドルフィンキックに切り替えながら、もう片っぽうのスニーカーをできるだけ遠くのほうへ投げつけると、ライギョたちは一瞬勘違いして、みんなそちらのほうへ気を取られる。

その間一髪のあいでにケンちゃんは必死のドルフィンキックを連発して、ようやく由良川の浅瀬にたどりつくことができたのでした。

ほうそのていで命からがら由良川の汀まで疲れきったからだを引っ張り上げることのできたケンちゃん。
真昼の太陽に背中をじりじりと焼かせながら、ケンちゃんはじっと考え込みました。

―――どうやったら奴らを倒せるだろう。どうしたらあの獰猛な敵をやっつけることができるだろう?

その間にも太陽は、ますます赤く、真っ赤に燃えたぎりました。
ケンちゃんは、なおも深く深く深く考え込んでいます。

太陽は、さらにさらに燃え上がり、灼熱の炎、紅蓮の炎をコロナのように、赤い渦巻きのように空高く巻き上げ、強力無比な太陽風を嵐のように銀河系全体に叩きつけましたが、惑星間の事象を背後から強力に支配するダークマター(暗黒物質)の妨害にあって、怒りのあまり暴発しそうになりました。

がしかし、われらのケンちゃんは、1時間経っても2時間経っても、太陽が真っ赤な顔をして怒り狂ってもいっさい関係なく、じっとじっと考えにふけっています。

太陽は、ますます赤く赤く、真っ赤に燃えたぎります。
ケンちゃんは、なおも深く深く深く考え込んでいます。

太陽は、ますます赤く赤く、真っ赤に燃えたぎります。
ケンちゃんは、なおも深く深く深く考え込んでいます。

太陽は、ますます赤く赤く、真っ赤に燃えたぎります。
ケンちゃんは、なおも深く深く深く考え込んでいます。

太陽は、ますます赤く赤く、真っ赤に燃えたぎります。
ケンちゃんは、なおも深く深く深く考え込んでいます。

太陽は、ますます赤く赤く、真っ赤に燃えたぎります。
ケンちゃんは、なおも深く深く深く考え込んでいます。

太陽は、ますます赤く赤く、真っ赤に燃えたぎります。
ケンちゃんは、なおも深く深く深く考え込んでいます。

太陽は、ますます赤く赤く、真っ赤に燃えたぎります。
ケンちゃんは、なおも深く深く深く考え込んでいます。

太陽は、ますます赤く赤く、真っ赤に燃えたぎります。
ケンちゃんは、なおも深く深く深く考え込んでいます。

太陽は、ますます赤く赤く、真っ赤に燃えたぎります。
ケンちゃんは、なおも深く深く深く考え込んでいます。

太陽は、ますます赤く赤く、真っ赤に燃えたぎります。
ケンちゃんは、なおも深く深く深く考え込んでいます。

 

 

つづく

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第17回

第6章 悪魔たちの狂宴~由良川のギャングたち

 

佐々木 眞

 
 

 

大広間の天井にへばりつくようにして、この異様な光景のいちぶしじゅうをのぞきこんでいたケンちゃんは、びっくりしました。
突然自分の名前が持ち出され、しまいにはケンちゃんコールまで由良川一帯にとどろきわたってしまったんですもの……

しかし、これでどんなに由良川の魚たちが困っているのか、なぜケンちゃんの到着を待ちわびているのかがよくのみこめてきました。

のみこめたのはいいのですが、ケンちゃんはだんだん途方に暮れてきました。
自分はどうやったらこのピンチを救うことができるんだろう?
あんなに魚たちから期待されているのに、由良川のギャングどもを向こうに回して、12歳の少年がたったひとりで何ができるというのでしょう?
ケンちゃんは考えれば考えるほどますます不安に駆られてきました。

数千、数万の魚たちが酔っ払ったように由良川音頭を合唱している大広間をそっと離れて、ケンちゃんはまるで誰かから呼び止められるのを恐れながら逃げ出すようにして、由良川の本流めざしておおきく複式呼吸をしながら、ゆっくりゆっくり泳いでゆきました。

少し頭を冷やしながら、じっくり考えてみようと思いましたが、哀しいことにいくら腹式呼吸を繰り返しても、いくらひとかきひとかきゆっくり泳いでも、頭の中には何のアイデアのひとかけらさえも浮かんでこないのです。
その時でした。

――おや、あれは何だろう?

ケンちゃんの前方およそ5メートルほどのところから、なにやら白く光る2本の棒がこちらに向かってきます。白く、先端が湾曲した、なにか骨のようなもの……。
左右とも2.0の自慢の視力で透かしてじっと見つめると、それはなんと牛の角でした。

角だけではありません。肉がそげ、きれいに白骨化した大きな牛の頭骸骨が、見えない虚ろな眼で、じっとケンちゃんを睨んでいるようでした。

次の瞬間、その眼はギロリと動きました。
ギロリ、ギロリ、ギロリ……それは、牛の眼ではありません。
牛よりももっと小さく、しかし、もっと不気味で狡猾そうな2つの眼が、ホルスタインの眼窩の奥から、じっとケンちゃんを睨みつけているのです。

ギロリ、ギロリ、ギロリ……、黒く悪賢そうな小さな眼は、2つ、4つ、6つ、8つ、……もっともっと光っています。
暗い水の中で、何十、何百の暗い眼たちが黒い縞模様を右に左に反転させながら、次々に白いしゃれこうべの下へと消えてゆくのです。

このホルスタイン種の乳牛は、おそらく先日の台風の時、上流の上林村あたりから、生きたままモウモウと鳴きながら、ここまで流されてきたのでしょう。

ケンちゃんは、さらに牛の死骸のほうへと近づいてゆきました。そしてそのすさまじい光景を見た途端、アッと叫び、叫んだ口の中から侵入した泥混じりの水を思いっきり飲んでしまいました。
真っ暗な由良川の河底に横たわるホルスタインの死骸を、何十、何百匹ものカムルチーたちが、するどいギザギザの尖った歯をきらきら光らせながら、夢中になって食らいついているではありませんか。

全長40センチから、大きい奴は1メートル以上もある青ずんだ黒い色をした川の盗賊カムルチーは、背びれと臀ビレをゆらゆらグルメの快楽にうち震わせながら、狂ったようにホルスタインの雌牛のやわらかな臓物に突撃しては、獲物をナイフのように鋭い歯で斬りとり、そのたびに微小な肉片と鮮血が濁った水を赤々と染めてゆきます。

―――カムルチーだ! ライギョだ! こいつら、由良川のギャングたちだ!

 

 

次号へつづく

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第16回

第5章 魚たちの饗宴~いやさかケンちゃん

 

佐々木 眞

 
 

 

タウナギ「ん、なるほど、あの西本町の四つ角の下駄屋の当主の孫で、いま鎌倉は尊氏一族の菩提寺、浄妙寺の近くに住んでおると聞くケンちゃん、そのケンちゃんに助けを求めよとアポロンの神託が下ったのじゃな」
Q太郎「さよう、さよう。その通りじゃ。それゆえ拙者早速一計を案じ、雨宮健氏に面会してわれら全由良川淡水魚同盟の前代未聞の危機を救ってくだされと、わが一族のうちもっとも機敏にして細身、修験道と立川流免許皆伝の持主たる愚息、豚児たるオタクのQ太郎を急遽鎌倉浄明寺の谷戸に派遣したのが、ざっと3週間前。はてさてその首尾はいかにと。よき便りを待ち暮らしておるのじゃ」
タウナギ「そうか、そうか、そうだったのか。いや、そうじゃった、そうじゃった。わしも寄る年並みで忘れるとこじゃった。さあ、みなの衆、ケンちゃんの無事到着を祈念して、みなで声を合せて、我らがテーマソングたる由良川音頭を歌い、踊ろうではないか!」

得たりや応、とみなの衆が立ち上がると、手拍子をとりながら、まずタウナギが野太いバスで歌い始めました。

 

おもしろや、京にはくるま
丹波に舟、ドウジャイナ
丹波に舟、由良の川にむかい舟
ドウジャイナ
鶴の子の、そだちはどこじゃ
四つ尾山、ドウジャイナ
早少女衆は 苗を呼ぶ声、山越えて
ソヨノ、まだ山越えて、
ほととぎすの声、ソヨノ

 

続いてQ太郎が、伸びやかなバリトンで、喉を震わせました。

 

井戸堀そめて 水がわかずに金がわく
面白や。
こまた榎の、榎の実やならいで金がなる
面白や。
みょうがとふきと、みょうが目出たや、
富貴繁盛。
今日はめでたや。日がらもようて、日もようて。
餅もつかずに石をつく。
面白や。

 

今度は、最長老のオオウナギの番です。

 

丹波で名所は、由良の川
水が半分、魚半分
これは綾部か 福知山
ぐると回れば 由良の海

 

ボーイソプラノのドンコが、続きます。

 

降らずとも 蓑笠持ちやれ 篠原に
篠原の 根笹の露は 蓑笠に

京から下るような 白い菅の 笠をば
わいらあにも たもろまいかの 白い菅の笠

 

ソロが終わると、一同声を揃えての大合唱になりました。

 

めでたためでたの 若松様は
枝も栄ゆる葉も茂る おめでたや
鶴は千年 亀は万年
由良川歴史は 一億年
われらの歴史は 二億年

苔むし神あがりましし白栲の
うつのうつろなる生き神さまに
われら魚どもせちにささげん
このはららごを

由良川の水より清く 由良川の底より深き
ことほぎの 心も死ぬにありがたき
その佳き日 その佳き人のおとずれを

せちに待ち待ちて 今宵ぞわれら
君に捧げん このいやさかの歌 このいやさかの歌
ア ソレ、ア、ソレ、ア、ソレソレソレ
いやさかケンちゃん、いやさかケンちゃん、いやさかケンちゃん……

 

 

次号へつづく

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第15回

第5章 魚たちの饗宴~全由良川防衛長官のご託宣

 

佐々木 眞

 
 

 

あまりにも長すぎるスタンディング・オベーションに疲れきったみんなが、ヨッコラショと席につくやいなや、それまで大広間の天井あたりを軽快なフットワークで旋回していた1匹のアユが、F21スーパーセーバー戦闘機の急降下訓練のようにきりもみ状態で落下してきて、議長席の隣のお立ち台でストンとバク転を決めると、猛烈な早口でタンカを切りました。

「オッサン、オッサン、無意味かつ無内容な前置きはどうでもええねん。ヒマな年寄り連中が老後の楽しみにゆっくり考えてくれたら、それでええねん。それより差し迫った大ピンチをどうするか、誰かはよ考えてくれたらえねん。
あのケッタクソの悪い外人魚、魚食い魚をはよ追っ払ってくれえ。毎日毎日犠牲者が出るいっぽうじゃ。いったい国家警察と機動隊はなにしとんねん。自衛隊はこんな時のためにあるんとちゃうか。徴兵制をはよ復活せんさかい、こんなアホなことになるんじゃ。くそっ、お前らはなにしてけつかんねん。やる気あんのか? ハッキリせえや!」

するとそれまで地底を砂とまったく同じ色でゆるゆる這いずっていたドンコが、突如3メートルほどもバネのように飛び上って、まるでフグのようにふくれあがり、総身の毛をすべて逆立てながら、怒涛のようにしゃべくりはじめました。

「なにいうとんねん、アホンダラ。お前みたいな一知半解の輩が、かつて理想的な魚族を生み出したスパルタ制を、悪をはらんだ寡頭制へ、寡頭制をいわゆる民主制へ、民主制を僭主独裁制へ、僭主独裁制を原始共産制へ、原始共産制を中世封建制へ、中世封建制を近代資本制へ、近代資本制を社会民主制へ、社会民主制を社会ファシズムへ、社会ファシズムを最終戦争へ逆倒し、そして最終戦争をドラクエモンスターズスーパーライトにしてしもたやんかあ!
昔から人世と政治の因果は果てしなく、この輪廻を繰り返しては転生する。よってわいらあは無駄な抵抗をやめ、警察も機動隊も解散して、この大いなる歴史的必然性に身をゆだねておればええやないか」

するとまたしてもアユが立ち上がって、なにか発言しそうになったのを、議長のタウナギは目で制して、
「黙らっしゃい。我々は昔から仲の悪いお前たちのへ理屈を聞くためにここに集まっているのではない。問題はただひとつ。あの暴力魚集団の侵攻をいかにしてはね返すかじゃ。この点について意見のあるもののみの発言を許す」
と言いながら、会場の面々を睨みつけました。自分は余計な話をさんざんしたにもかかわらず。

今の今まで偉そうに御託を並べていたアユとドンコは、長老の問いかけに一言も発し得ず、うつむいてもじもじしているばかり。
とその時、会場を支配する重苦しい雰囲気を破って、英国紳士を思わせるすらりと背の高い立派な純国産のニホンウナギが、右の胸ヒレを心持持ち上げるようにして、発言を求めました。

議長が「全由良川防衛長官、ウナギのQ太郎君の発言を許可します」と言ったものですから、それまで物陰に潜んで様子をうかがっていたケンちゃんは、「ああ、あれがウナギのQちゃんのお父さんのQ太郎さんなのか、さすが防衛長官にふさわしい男らしい風格だなあ」と感嘆することしきりです。

「不肖わたくしQ太郎、今次の国難に際し、全由良川防衛軍最高司令官の重職を拝命し、まことに僭越ながら、早急に次のような対策を講じた次第であります。
ひとつ。本官は去る4月23日未明、全由良川防衛軍最高司令官の名において海軍特別攻撃隊を編成いたしました。これによって当面の敵の攻勢に対応いたす所存であります。
ふたつ。不肖わたくしQ太郎、わが最愛の娘レプトケファルス姫を若宮神社に派遣し、イザナギ、イザナミ両神の神殿にて、今次の未曾有の国難をいかにして乗り切りうるや宇気比を行わせた次第であります」

タウナギ「宇気比ですと? なるほど、うけを狙ったわけか? してその結果は?」
Q太郎「アブラカタブラ、アタラフルキエニシ」
タウナギ「なんじゃそれは?」
Q太郎「つまりこの丹波の国と相模の国を新しくて古い縁で結ぶ人物を探せとのご託宣なり」
タウナギ「新しくて古い縁で結ぶ人物、ようわからん。それはいったい誰じゃ?」
Q太郎「丹波の国と相模の国を古い縁で結ぶ人物、それは室町幕府の初代代将軍、足利尊氏でありましょう」
タウナギ「なるほど。尊氏は丹波の国綾部で生まれ、丹波から鎌倉に進軍して幕府を打ち破ったからな」
Q太郎「さよう。足利尊氏は丹波の国、八田の郷、上杉の庄の生まれ。尊氏公を祀りし丹波の安国寺は同じ丹波の由良川のほとりにありて、尊氏公は今日もわれら魚族の危うい行く末を、ドンキホーテのように憂い顔で見守っていてくださるのですぞ」
タウナギ「なるほど、なるほど。で、丹波の国と相模の国を新しい縁で結ぶ人物とは誰じゃな?」
Q太郎「室町幕府の開祖にして丹波および相模ゆかりの征夷大将軍、足利尊氏の衣鉢を継ぐ人物こそ、綾部の「てらこ」の四代目の美少年、ケンちゃんこそその人なりい!」

 
 

次号へつづく

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第14回

第5章 魚たちの饗宴~全由良川淡水魚同盟

 

佐々木 眞

 
 

 

♪タラッタ、ラッタラッタ、ウナギのダンス
ニッポンウナギは世界一 あ世界一、ラッタラッタラア

と歌いながら半身に半身を寄せ合って一体になることを夢見ながら愛のチークダンスを踊っていた2匹の男女ウナギも、顔を赤らめて席に戻ったところで、全由良川淡水魚同盟議長のタウナギ長老が重々しく口を開きました。

「諸君! いよいよわれらの危急存亡のときは迫った。
諸君! われわれ魚類はいったい何のために生きているのであるか?
それは魚世界の真理を追究し、究めつくし、1匹の魚としての正しき生をまっとうするために、ではないだろうか?

諸君、ではまず、われらをとりまく世界の歴史と構造を調べてみようではないか。
地球誕生以来46億年、われらの祖先である複合細胞生物誕生以来12億年。
そしてわれら魚族の大繁栄期であったBC4億年から2億年を経て、われらの輝かしきヘゲモニーは、その後彗星のように現れた爬虫類、なかんずくプロントザウルスや剣竜、ティラノザウルスなどの恐竜たちによって簒奪され、彼らが滅びたあとは、カンガルー、ウマ、ゾウ、ネズミ、サル、キツネなどの哺乳類、わけても500万年前に登場したかの奸佞邪智をもってなる最悪最凶の最強存在、すなわち人類によって無惨に奪い去られ、あまつさえ平和愛好生物、平地いや平河川に乱を好まぬ絶対平和主義者として数億年の輝かしき伝統と実績を誇るわれわれのレーゾン・デートルすら土足で踏みにじられ、かのバイブルに謳われしごとく『われは漁る者、汝は漁られし者』との汚名と屈辱に甘んじつつ、既にして無慮1万年が経過したのである。

改めて問う、われらにとりて、世界とはなんぞや?
それは全生物的抑圧と被虐の階級ピラミッドの最下層にあって、日々大いなる苦痛を甘受せざるを得ない。そういう世界である。
弱肉強食の食物連鎖のもっとも弱い環、それがわれわれの日夜呻吟し、苦渋に喘ぐ世界である。

ふたたび諸君に問う。われらにとりて、まったき生とはなんぞや?
それは真理と善と美を求め、それによって深く充たされる生ではないか。
それが魚たちの、魚たちによる、魚たちのためのくらしではないだろうか。

幸福とは、究極のアレテー、すなわち卓越性に即してのプシュケ、すなわち魂のうるわしき活動である、とアリストテレスはいうた。
しかし残念ながら、こんにちわれわれの前途から幸福へ到る道は、あらかじめ遠く彼方に失われている。わたしたちの不倶戴天の敵である人類の無知と横暴と独裁によって……
彼らは全生物の全歴史にわたる共有財産としての地球を、自然ともども完膚なきまでに破壊しつくし、天地創造以来連綿として続けられてきた種族多様性保存維持の神聖なる責務さえ放棄して顧みようとしない。

おお、諸君! われわれはなんというおぞましく悲惨な世界に生きているのであろうか!われらあらゆる私情と万難を排し、悪辣非道、無知蒙昧、鬼畜米英のかの人間どもを、この地上、この水中よりすみやかに撲滅せねばならない!

一日も早く、ふたたび全世界の頂点に立ち、全生物界を嚮導し、自らの運命を自らの手中に握りしめたるかの輝かしき西暦紀元前2億年、魚類大黄金時代の御代へと帰還することこそ、われらの悲願であるう。

最後に言う!
わが親愛なる全由良川淡水魚同盟の同志諸君! 人類打倒暴力革命の最前線へ、真紅の旗、流血淋漓の旗を掲げて参加せよ!
全世界をふたたび獲得するために、われわれはいまこそ団結せねばならない!」

北朝鮮の最高指導者、金正恩の演説を徹底的に研究した最長老タウナギの、およそ2時間半にわたる基調報告というよりアジ演説がようやっと終了するや否や、人民大会堂、いや聖なる大広間を立錐の余地なく埋め尽くした由良川のすべてのフィッシュ・プロレタリアートは総立ち泳ぎとなり、尾ヒレ、背ビレ、胸ビレのすべてを狂ったように揺り動かして、ヤンヤ、ヤンヤの拍手大喝采を、なんと10分以上にわたって送り続けたのでした。

 

空白空白空白空白空次号へつづく

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第13回

第5章 魚たちの饗宴~綾部大橋

 

佐々木 眞

 
 

 

―――そして、あれから3年。
いまふたたびケンちゃんは、寺山の山頂に立って、由良川を眺めています。
寺山に向かって、南をめざして真っすぐ流れてきた由良川は、寺山の麓で90度向きを変え、西に向かってゆるやかに曲がっていきます。

右折して1キロほど下流へ行ったところに綾部大橋がかかり、その橋げたのたもとには、いつも大きなコイやフナがゆったりと泳いでいます。
ケンちゃんがウナギを生け捕りにした井堰はその大橋から50メートル下流で、幅70メートルの大河がせき止められて苦悶する地響きのような唸り声は、もちろんここ寺山の頂上までは伝わってきません。
井堰からそう遠くない場所にあるてらこの屋根も、小さく左手に小さく見えています。
ほら、露台の上に登ったおばあちゃんが、鉢植えのサボテンに水をやっているのが見えるでしょう。

このいつも変らぬ懐かしい風景を眺めているうちに、、ウナギのQちゃんの訴えが錐のように鋭く突き刺さりました。

――そうだ、一刻も早く悪い奴らを退治しなくちゃ。

ケンちゃんはせっかく登ったばかりの寺山をいっきに駆け下り、てらこまでフルスピードで戻ってくると、お店の入り口のところに置いてある自転車に飛び乗って綾部大橋まで全速力でペダルを踏み続けたのでした。

由良川を眼下に一望する大橋に立ったケンちゃんは広い水面いっぱいに太陽を受け、ギラギラと輝く大河をじっとにらみつけました。

――この川のどこかに奴らがいるんだ。でもどうやって奴らを発見したらいいんだろう。
それより、いったい奴らって何者なんだ?ま、いいや。とりあえず水に入って敵情視察といこう。

ケンちゃんは、あっという間にパンツいっちょうになると、スニーカーをはいたまま、綾部大橋の欄干のてっぺんまでするすると猿のように登りつめ、エイヤっと気合もろとも10メートル下の清流めがけて飛び込みました。

ドッボーーン!

体のまわりに次々にラムネのようにおいしそうな泡が、一斉に舞い上がります。
冷たい水の底からゆっくりと浮上してきたケンちゃんは、抜き手を切ってすいすい泳いでゆきます。
川の中ほどまで進むと、ケンちゃんは大きく胸いっぱいに空気をすいこみ、ついでに由良川の水もがぶりと飲み込んでから、潜水に移りました。

緑色のキンゴモが茂っているところを、おお気色悪いなあ、とゴボゴボ言いながら通り過ぎ、さらに深く深く5メートルほど潜っていくと急に水温が下がり、どんどん光量が減っていきます。
深みから水面の方向を見上げれば、お日様が何かに腹を立てているのか、それとも何者かに怯えているのか、ぶるぶる震えながら大きくなり、小さくなったりしながら、点滅しているのが見えました。
ケンちゃんは、さらに深く潜ります。潜りながら上流へ上流へと泳いでゆきます。
川ははじめのうちは冷たかったけれど、だんだん暖かくなってきました。まわりの様子がくっきりと見えます。

川底の岩や小さな石の傍らにへばりついてエサをあさっている小心者のヨシノボリが、上眼づかいに未知の侵入者を心配そうに見守っています。
下くちびるをとがらせたムギックが、不機嫌そうにチエッと舌うちをしています。
赤紫色のギギが、その近所では20センチくらいの黒紫色のナマズがひげをピクピク動かしながら、お互いに寄り添うようにして泳いでいます。
ギギの背びれや胸びれに触るとひどいめにあいますから、注意しましょうね。

気がつくと、いつの間にかケンちゃんの右隣りをすました顔して泳いでいるのは、35センチくらいのコイでした。
ケンちゃんを感情のまるでない左目でちらと眺め、スイと先に行ってから、ちょっと後ろを振り返り、尾ひれをひらひら動かしたのは「ついて来い」という合図でしょうか。

ケンちゃんは、コイのあとをつけて、ゆっくり平泳ぎでおよいでいきました。
すると不意に、いままでついそこを泳いでいたコイの姿が、見えなくなってしまいました。
ケンちゃんは、息をとめてデングリガエリをしたりながら、キョロキョロとコイの行方を探し求めました。

あ、いたいた。

コイは、本流をかなりはずれて川岸の方へ向っています。
いつの間にか川底にゴロゴロ横たわっていた巨岩が少なくなり、いろんな形をした小石に変わっているようです。
砂の色も濃茶から次第にうすい黄土色に近づいてきました。
もうちょっとで由良川の左岸にすれすれのところ、水深2メートルくらいのところまでやってきたときでした。
突然ケンちゃんは、コイが高飛び込みをやるような姿勢で深いほら穴の中へ消えてゆくのを目撃しました。

ためらわずケンちゃんも、あとに続いてその穴に潜り込みました。
およそ千畳間くらいの広さだったでしょうか。その大きなほら穴は……
不思議なことに天井のどこからまばゆいカクテル光線が縞模様になってふりそそぐその穴の底には、見渡す限り由良川の魚という魚たちが、熱海のハトヤの大宴会場のように長方形に整然と座りこみ、プランクトン醸造酒でグビグビと1杯やったり、「ポスト・ポスト構造主義以降の哲学上の諸問題」を青筋立てて論じ合ったり、飲みかつ食い、食いかつ論ずる思い思いの円卓の大饗宴をやっている最中でした。

フナ、コイ、ウナギ、ハヤ、アユ、ナマズ、ギギ、ドジョウ、ヨシノボリ、ドンコ、カワヤツメ……その数は何千か何万かめのこ算で勘定することすらできそうにありません。
だってみんな三々五々忙しく動き回っているんですもの。
こんなにたくさんの淡水魚を一堂に集めた水族館なんて世界中探してもどこにもないでしょう。
よく見るとQちゃんくらいの大きさのウナギもいましたが、Qちゃんの姿は見当たりません。いまごろは津軽海峡のあたりを通過しているのでしょうか?

千畳敷のアクロポリスのような大広間を、大声をあげて叫びながら、さしつさされつ、立ち座りつ、思い思いに遊泳していた魚たちの間から、黒い大きな影が浮かび上がりました。見るとサチュロスのように立派でちょっとユーモラスな風采をした一匹の巨大なタウナギが、ゆらゆら立ち泳ぎしながら全員に静粛を求めています。

「レディーズ アンド ジェントルメン。ビー・クワイエット、プリーズ!」

それでも知らん顔して大騒ぎしているみんなの方を振り向いて、

「シー、シー、静かにするんだあ、静かにせんかあ」

と、ナマズおやじが怒鳴りました。

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第12回

第4章 ケンちゃん丹波へ行く~「春の女神」

 

佐々木 眞

 
 

 

翌朝早く、ケンちゃんはホーホケキョの声で眼が覚めました。
ウグイスです。ウグイスは鎌倉でも来る朝ごとに鳴いていますが、ちょっとアクセントもイントネーションも違うようです。綾部のは、

――ホー、ホケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョウ

ほらね、最後のところがちょっと違っているでしょ。
ケンちゃんは顔を洗ってから、窓をからりとあけると、眼の前に寺山という小高い丘のような山が見えました。
町の人々に愛されている高さ200メートルくらいのこの山は、朝晩の散歩やマラソンコースとしても利用されていますが、ケンちゃんにとっては、天然記念物のギフチョウとはじめて出あった山として、生涯忘れることはないでしょう。

それは今から3年前の春、ケンちゃんがはじめて綾部へ行った時のことでした。
その朝、ケンちゃんは、お父さんと一緒に、まだ少し冬の気配もする寺山に登りました。
いちめんの枯れ草の下から、カンサイタンポポ、フキノトウ、キランソウ、シュンラン、ムラサキサギゴケ、イニフグリ、ナズナたちが可憐な花をつけ、新しい季節の到来を心の底から歌っています。
鎌倉のタンポポはセイヨウタンポポに攻め込まれて、日本古来のカントウタンポポが少数派に転落してしまいましたが、綾部では、まだ在来日本種のカンサイタンポポが、優勢を保っているようです。
お昼前のかなり強い日差しが、マツやクリ、ヤマザクラの樹影を透かしてかっと照りつけ、急斜面をあえぎながら登ってゆくふたりの背中に、大粒の汗をしみださせています。
もう一息で頂上、というところで、見晴らしのよい峠のようなところに出ました。
ここから左に行くと寺山、右に曲がれば4つの小さな尾根で構成されている四尾山です。
早春の青空は少し霞がかかり、冷たい風が麓から吹き上げてきて、ケンちゃんのほてった全身を気持ちよく冷ましてくれます。
枝ぶりのよいヤマザクラの木の下に二人は腰をおろし、空を仰ぎました。

風がそよそよと吹く度に、白と桃色の中間の色をしたヤマザクラの花弁が、ときおりケンちゃんの顔や胸にはらはらと降り注ぎます。
ケンちゃんの目の前を、派手な黄と黒のキアゲハが勢いよくやって来て、アザミの花冠にとまりました。
キアゲハは長い口吻をぐんと伸ばして、おしいい蜜を深々と吸い込んでから、急になにかを思い出したように、寺山の山道の方へ飛んで行っていましました。
しばらくすると、越冬して翅がボロボロになった雌のアカタテハが、赤土の少し湿ったところにとまっては飛び立ち、また戻っては飛び立ってひとりでソロを踊っていましたが、ちょうどそこへ1羽のジャコウアゲハの雄がふらりと舞い込んできたので、アカタテハは彼の尻尾のじゃこうの香りに誘われたようにまとわりつき、2羽でグラン・パ・ド・ドウを踊りながら空高く消えていってしまいました。
チョウたちが通行するある定まったコースを蝶道といいますが、ケンちゃんとお父さんのマコトさんはその「蝶道」のど真ん中で休憩していたのですね。

峠のサクラの木の下には、その後もいろんなチョウがやって来ました。
アカタテハと同じタテハ科の仲間で、やはり成虫のままで越冬した、歴戦の「もののふ」のような風格のルリタテハやヒオドシチョウ、モンシロチョウによく似たスジグロシロチョウ、翅の先端に橙色の縁取りレースを施したツマキチョウ、「残された3日のうちに恋人と巡り合わなければ、あたしの人生意味ないわ」と呟きながら大慌てで山道を行きつ戻りつしているナミアゲハ、などなど、みんなケンちゃんが鎌倉でもよくみかけるチョウたちでした。

と、その時、ヤマザクラの花びらが、またしてもケンちゃんの顔めがけて、ふわりと舞い降りてきました。
ところがその花びらは、ケンちゃんの顔すれすれのところでスイッとかすめて、そよ風に吹かれるがままに、ふわふわとあっちの方へ飛んで行ってしまったのです。
――あれは何だ。サクラじゃないぞ。チョウだ、チョウだ。
と気付いたケンちゃんは、ガバと跳ね起きました。
――あれは何チョウだろう。もしやまだ図鑑でしか見たことのないギフチョウかヒメギフチョウでは?
ケンちゃんは目が点になったままで、花弁のようなものの後を追いました。
そのチョウは、うすい黄色の地に黒のダンダラ模様が入り、後ろの翅の下の突端に黒地に赤の斑点があざやかな、これまでに見たこともない小型のアゲハチョウでした。
でもアゲハの仲間の癖に、その飛び方ときたら、とてもゆっくりしていて、ふわりふわりと春風に乗っています。
――まるで「春の妖精」みたいだ。
それが、ケンちゃんの頭に最初に浮かんだ言葉でした。
――学校の教科書に出てきたポッティチェリの「春の女神」みたいだ。
それが、2番目の印象でした。
そのチョウを見ていると、この世の現実のことがすべて忘れ去られ、なぜかケンちゃんは古代ギリシアの、アテナイじゃなくてスパルタの郊外の田園で遊んでいるような錯覚におちいるのでした。
きっと歴史の古い、もしかすると氷河期にまでさかのぼる立派な種属なのでしょう。

「おや、ギフチョウじゃないか。珍しいな」
いつの間にかぐっすり眠りこけていたはずのマコトさんが、ケンちゃんの傍に来て、カタクリの花にぶらさがって無心に蜜をむさぼっているギフチョウを指差していいました。
「学名Luehdorfia Japonica、日本特産の超貴重種だ。ヒメギフチョウと似ているけど、大きさとか色とか、細かい点でずいぶん違う。ヒメギフチョウの原産地は朝鮮、ウスリー地方だしね。それとヒメギフは、北海道と本州の東北と中部地方にしか棲息していない。綾部にいるのはいまのところギフチョウだけなんだ」
春の舞姫のように、鉢かつぎ姫のように優美なギフチョウは、ヤマザクラの木の下から10メートルばかり寺山の方角に登ったところに群生しているカンアオイの方へ、ゆらゆらと風に身をまかせながら、近寄ってゆきました。
あのギフチョウはおそらく雌で、カンアオイの葉の裏側に産卵しに行ったのでしょう。
「よおし、ギフチョウの産卵現場を観察するぞ!」
と叫びながら、ケンちゃんは急いで雌の後をおっかけました。
ところがどうしたことか彼女の姿がどこにも見当たりません。
「おかしいな、ついさっきまでここらでフワリフワリ浮かんでいたのに……」
ケンちゃんは、カンアオイの茂っている付近を、しらみつぶしに探しましたが、やっぱり見当たりません。
そのとき、寺山の頂上の上空をゆっくり漂っている黄色と黒のだんだら模様が、一瞬ケンちゃんの視野に入りました。
「あ、あそこだ!」
ケンちゃんは全速力で、寺山のてっぺんまで、息を切らして駆け上がりました。
しかしギフチョウは、どこへ消えてしまったのやら、右を見ても、左を見ても、影ひとつ見当たりません。
ケンちゃんの目の前に広がっているのは、白い千切れ雲を浮かべた口丹波の青空と、その下を悠々と流れる由良川の白い水の流れだけ。
静かに晴れた空と、音もなく流れる川のあいだに、ギフチョウは、幻のように忽然と姿を消してしまったのでした。

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第10回

第3章 ウナギストQの冒険~旅路の果て

 

佐々木 眞

 
 

 

そうやって波のまにまにアップアップしていると、いつの間にか犬吠崎の灯台が近付いてきたの。ケンちゃんも知っていると思うけど、坂東太郎の利根川は、この犬吠崎の手前、銚子で鹿島灘に流れ込んでる。

僕は波にもまれもまれている間に、前にもニシン、後にもニシンの大群にとりかこまれたて、どんどん海の浅いところへ、浅いところへとまるでオミコシでかつがれたように近付いてきて、気がついたら突然利根川の河口に入りこんでた。

本当はもっと南に下がって相模川から内陸部へ侵入する予定だったんだけど、もう全身くたくたに疲れ切ってるし、ひょっとしたらこれが相模川かもしれないし、ええい、ままよ、思い切ってさかのぼってみよう。、あとはなんとかなるだろう、と思って全力を振り絞って上流をめざしたってわけ。

うわお!なんという汚さ、なんとにごりににごったヘドの出るような水なんだ!
僕は長かった海水生活に慣れ親しんだ塩漬けの体が、一挙に淡水に触れたために全身を襲ってきた猛烈なめまいと悪寒と吐き気に必死に耐えながら、怒涛のように押し寄せてくる大河の壁を1センチまた1センチと押し返しながら、上流へ上流へとさかのぼっていったよ。

悪戦苦闘6時間、それでも水は少しづつきれいになってきたし、僕の体もようやく淡水に慣れてきたみたい。途中、悪臭ふんぷんで息もつけない霞ヶ浦に迷い込んで、酸欠で窒息しそうになったりみしたけれど、気を取り直して利根川の本流に戻り、埼玉県の南河原のあたりで南に流れ下がる武蔵水路にうまく乗り換えて荒川に移り、支流から支流を辿ってそこからなんとか多摩川へ移って、多摩川からさらに相模川へ移動できないか、と頑張ってみたんだけど、世の中そんなに甘くないや、結局元のもくあみ、ムチャクチャに汚い荒川に放水路にドドッと放り出されて着いたところが東京湾だった。

ハゼとボラとコノシロに聞いた話だけど、東京湾は年々ますます住みにくくなってるんだって。発ガン性や催奇性がきわめて高い有害化学物質のダイオキシン、そのダイオキシンの中でももっとも毒性の強い「2・3・7・8―TCDD」に汚染された魚がウヨウヨ泳いでいるってことを、ぜひ東京都のみなさんに伝えてほしい、ってメッセージを託されたんだけど、僕だって故郷由良川の仲間たちのことを思って気が気じゃなかった。

ダイオキシンによって0.0014pptの濃度で限りなく汚染された東京湾の海水をできるだけ口に入れないように、エラの奥深くためにためこんだ空気を大切に使いながら、4月27日の真夜中に、ベイブリッジを右手に見みながら浦賀水道を通り過ぎ、三浦半島をぐるっと回りこんで、ようやく潮のみれいな相模灘に出たときは、ほっとしたよ。

真夏を思わせる青空の下を、真面目な入道雲がムクムクと湧き起こるのを呆然と眺め、ああ、いずれ僕たちウナギも由良川の魚も遅かれ早かれ死んでしまうんだな、でも、有機物より無機物の方が寿命で長いのはなぜなんだろう、なんてアホなことをぼんやり考えながら、いつものようにお腹を天日で乾かしていたら、マンボウとヤリマンボウが仲良く波の上で昼寝しながら流れていくのに出会っちゃった。

あ、そうそう、ハナオコゼとイザリウオが大喧嘩して、ハリセンボンがあわてて止めに入っているのも面白かったったし、いちばん素敵なのは、なんといってもリュウグウノツカイとしばらく一緒に泳いだことかな……

苦しいことがあまり多すぎて、たまに楽しいことがあっても、すぐに忘れちゃう。
ケンちゃん、幸福はいつも急いで君の傍を通り過ぎるから、手をのばしてしっかりつかまえないと、一生そいつをとりのがしてしまうかもしれないよ。
エヘン、どう、ウナギストって哲学者でしょ。長い旅をしてるとついついいろんな物思いにふけってしまうのさ……

おっといけねえ、そうこうしてるうちに茅ヶ崎だ。
「サザンの桑田君が砂浜で勝手にシンドバッドしてるのが目印だ」とお父さんが教えてくれた、その茅ヶ崎と大磯の間を貫流している相模川に必死でとりついて、またもや逆行に次ぐ逆行、ようやく寒川町にある取水堰に辿りつき、直径2メートルもある太い真っ暗な水道管の中をうねうねうね15キロもうねったんだ。

よおし、これで最後の旅だと気力を振り絞ってようやく浄水場にもぐりこめたと思ったら、大量の塩素をどっさりあびて消毒されて、ほとんど死にかけたんだけど、ナニクソと頑張りぬいて浄水場の裏口からこっそり忍びこんで、送水ポンプと揚水ポンプをつづけざまにさかさまに、ウナギのぼって、ウナギ下り、送水管をつうじて排水池に入って一日中ゆっくり休んだあとは、鎌倉中の真っ暗な給水管の中をあっちこっち匍匐前進しながら、本日ただいまやっとのことでケンちゃんちの水道まで辿りついたってわけ。
ああくたびれた、くたびれた!

ウナギのQちゃんは、いっきに語り終えると、どっと長旅の疲れが出たようで、水盤の中でぐったりと横になりました。

その間にケンちゃんは、2階の勉強部屋から理科や社会の教科書や地図を持ちだして、Qちゃんの大冒険のあとを辿り、これはもしかして人間でいえばマルコ・ポーロやバスコ・ダ・ガマよりすごい大旅行じゃないだろうか。か細い一匹のウナギストにできることが立派な一人前の少年に出来ないわけはない。
よおし、命懸けの大ツアーを敢行したQちゃんに負けてたまるか。由良川の魚たちを救うために、ボギー、俺も男だ。ムク、お前は僕の愛犬だ。何でもしてやるよ! 何でもやってやるよ!と、固く固く心に誓ったのでした。

 

空白空白空白空白空つづく

 
 
 

由良川狂詩曲~連載第9回

第3章 ウナギストQの冒険~戦う深海魚たち

 

佐々木 眞

 
 

 

ああケンちゃん、僕はもうこれですべてジ・エンドだ。
由良川のウナギストたちには申し訳ないけど、僕は、性格が悪くて腹ペコちゃんりんゆであずきの深海魚たちの手にかかって、よってたかってオルフェオのように八つざきにされて短い一生を終えるんだ。

ああ、魚たちが僕に襲いかかって来た。
急いで急いで辞世の歌をうたわなくっちゃ。
ああ、早くしなくちゃ。
えいくそッ、この非常事態に、いっとう大切な時に何の文句も出てこないとは!
と嘆きつつも、僕は歌ったんだ。

ゆうべえびすで呼ばれて来たのは
鯛の吸い物ございの吸い物
一杯おすすで
スースースー
二杯おすすで
スースースー、
三杯めにさかながないとて
出雲の殿様お腹をたてて
ハテナ ハテナ
ハテ ハテ ハテナ……

するとその時、殺到するタラたちの前に、チョウチンアンコウが、夜目にも美しく輝くあのチョウトンを高々と掲げて、立ちふさがったの。
そして大声で叫んだんだよ。

「待て、このチビウナギをお前たちに独り占めさせておく俺さまだと思ったら、大間違いだぞ。こいつを喰いたきゃ、その前に俺さまを斃してからにしろ!」と。

そこへ、フジクジラとカラスザメも大勢の仲間と一緒に駆けつけ、アバンコウ、ワヌケフウリュウウオ、トリカジカ、それに例の悪漢3人組が入り乱れて、光と闇、蛍火と燐光、正義と邪悪、弱肉と強食、天使と悪魔、髑髏と般若、有鱗と無鱗、花と蝶とが丁々発止の大決戦!

深海魚同士の同志討ち、さらには共喰い騒ぎまでおッぱじまったのをいいことに、雲を霞み、夜を曙、波を帆かけの夜討ち朝駆け、艦長ネモの操縦するノーチラス号を遥かに凌ぐ最大巡航速度25ノットで、深度800メートルから、たちまち500メートル、300メートルまで、ぼく、一気に浮上したの。

そしてヒョーキン者のスナイトマキやキタホンブンブク、チャマガモドキ、クモリソデ、ウチダニチリンヒトデ、トゲヒゲガニ、エゾアイナメにアヤボラ君たちが元気に泳ぐ姿を見たときには、「やれやれこれで助かった」と思わずひと安心したんだ。

ここでケンちゃんは、
「田舎のおっさん
あぜ道通って
蛙をふんで
ギュ
Qちゃん、九死に一生だったんだね」
と、かるーく一発ジョークをかましたのですが、
Qちゃんは全然耳に入らないようで、夢中で話を続けます。

ねえケンちゃん、聞いて、聞いて。
ボク「もう怖いことは、こんりんざいごめんだ、ごめんだ」と泣き叫びながらも、さらにエンジンを全開して、水深わずか50メートルのところを、猛スピードで泳いでいたら、時計回りにぐるぐる回るあたたかな黒潮と、反時計回りでぐるぐる回るつめたい親潮とが入り混じっているところに出くわして、上を下へのぐるぐる巻きに状態になってしまったの。

アジ、サバ、スルメイカ、サンマ、ブリ、カツオ、キハダ、カジキマグロの大群が、おいしいプランクトンを求めて踊り狂う大海原。
ようやっとの思いで水面すれすれ、青空と青い潮のいりまじる境界線にぽっかり顔を突き出したところは、ちょうど鹿島灘の沖合およそ1.5キロの地点でした。

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第8回

第3章 ウナギストQの冒険~日本列島ひと巡り

 

佐々木 眞

 
 

 

ウナギのQちゃんの長話は、まだまだ続きます。

「ちょっと大変だったのは丹後由良の海岸かな。あそこは昔から波が荒くて、海水浴のお客さんも、どっちかいうと波の静かな若狭湾の高浜か和田のほうまで足を伸ばしていたくらいだから……。
でも最近高浜には原発が出来てしまったから、僕らも敬遠して、近寄らないようにしてるんだ。真冬でも暖かいお湯が流れ出ているから、そこに集まる馬鹿な魚たちもいるんだけどね。

由良川の河口が若狭湾、日本海にそそぐところは波がきつくて、塩もからいし、けっこう苦労したけど、いたっん沖に出てしまえばもうこっちのもの。
日本海ってさ、けっきょく対馬、津軽、宗谷、間宮の4つの海峡に取り囲まれた大きな湖みたいなもんなんだ。対馬海流のおかげで冬でもわりと温かいしね。
遠く東シナ海から時速0.04ノットで北上する対馬海流に乗って、能登半島、舳倉島そして佐渡海峡を過ぎたあたりで、ここらへんでよくある嵐がやって来たんで、思い切って水深300メートルくらいまで潜ったんだけど、それでも水温は零度、塩分は34%くらい。オホーツク海や北太平洋や東シナ海とくらべると、この日本海は水に溶け込んでいる酸素の分量がとても多いから、僕たちのとってはとても泳ぎやすいんだ。
アカガレイやヒレグロたちが楽しそうに泳いでいたよ」

 話がとつぜん実践的かつ専門的になったので、ケンちゃんは尊敬のおももちで、Qちゃんを見つめています。

「お父さんにあらかじめ教えられていたんで、男鹿半島を過ぎたあたりでは、うっかりして北海道のほうまで流されないように注意してたんだ。
なぜって対馬海流は、ここで2つにわかれてしまうから。もし僕が白神岬と龍飛岬の間で右折して津軽海峡に入らなければ、もう二度と由良川には戻ってこれないぞ、って厳重に警告されてたからね。

津軽海峡の春景色を眺めながら、下北半島の尻屋崎と亀田半島の恵山崎の間を、僕の巡航速度0.75ノットで通りぬけ、やれやれ、これでようやく無事に太平洋に出られたか、と思ったら、猛烈な勢いで体温が下がって来て、今までとは逆に南へ南へと流されていく。

その原因は、千島列島からやってくる冷たい親潮のせいなんだ。4月とはいっても、まだ北国の春は氷のように冷たいし、僕は南の海生まれだから、もう死ぬかと思ったけれど、みんなの代表として派遣されてきているわけだから、こんなことで文句を言っては罰が当たる、と思いながら、まわりのプランクトンを口当たり次第にパクパク呑みこみながら、朝から晩まで太平洋を南に流されてた。

ところが数日たったところで、突然全身が3メートルはあろうかというキハダマグロ、そしてカツオの大群が何千、何万匹の大集団で僕めがけて高速戦闘機のように襲いかかってきたんだ。

まるでバーチャルリアリティの世界。水も温かいところと冷たいところが交互に入り混じって、気持ち悪いったらありゃしない。
あ、そうだ。この辺が親潮と黒潮、寒流と暖流が激突するので有名な鹿島灘の沖合かなと思ったけど、プランクトンを求めて黒潮の南部水域からまっしぐらに北の海めがけてやってくる索餌北上群の威力のすさまじさがあまりにも物凄くて、僕はあっというまにきりもみ状態。
滝壺に落下した1匹のメダカみたいに激しい水流にぐるぐると巻きこまれてしまってアップアップ。ウナギの癖に水におぼれちゃった。

意識を失ってからどれくらい時間が経ったんだろう。そこは真っ暗のクラ。物音一つしない不気味な暗黒の世界。

ほとんどソヨとも水の流れが感じられない水深千メートル、いやもっと深いかもしれない。砂地のうえで30分くらいじっと横たわっていたら、だんだんまわりがぼんやり見えるようになってきた。
すぐ近くを、のそのそ歩いているトゲズワイガニを見付けたときは、うれしかったよ。それとかミドリモミジボウなんかも、僕のそばでボケーっとしてた。

じょじょに体力も回復してきたし、そろそろ上にのぼってやろうかな、と屈伸運動を行い、日課の腕立て伏せ20回、腹式呼吸20回、それにNHKの第2ラジオ体操を自分で歌いながら自分でやり終わって、ゆっくり真昼の暗黒界を見渡したとたん、僕は思わず腰を抜かしてしまいましたよ、ケンちゃん」

「ど、どうしたの、Qちゃん」

「つまりですね、僕のまわりに、いつのまにやら銀色にキラキラ輝く光源体が、あっちからも、こっちからもETのようにむらがって、初夏の宵の蛍火のように、こっちへ来い、こっちへ来い、って僕を呼ぶんです。

考えてみると深海ってほとんど人の出入りはもちろん、魚の出入りもないもんだから、僕みたいな変なストレンジャーがやってくると、みんな人恋しい、いや魚恋しい魚ばっかりなもんだから、もう珍しがっちゃって、何キロも離れた遠方から、手土産を持ってワレモワレモと押しかけてくるんですね。

まず第7騎兵隊のカスター中佐のように、光り輝く連隊旗を掲げたチョウチンアンコウが、全身真っ黒なオキアンコウと闇の中で鉢合わせ、
「おうおう久しぶり、久しぶり、この前会ったのは、たしか大西洋のはずれのどっかだったなあ、お前、元気?奥さんも元気?」
などと、やたら懐かしがったりしています。

いっぽうこちらで鉢合わせしたのは、全身を美しくライトアップしたフジクジラとカラスザメ。サメ肌をくっつけあって、大きなめんたまをうるませながら、「こんなところで会えるとは!」と涙をポロポロ流してよろこんでる。

そこへやって来たのは、サメ肌コンビよりもっともっと大きな目玉をウノメタカノメ、ウオノメもギョロギョロさせながら、僕に急接近してきた全身棘だらけ、完全武装のトリカジカとワヌケフウリュウウオのふたり。こわいよお!

おっと、そこへまたしても海底リングに乱入してきたのは、やたらめったら怒り狂っているソコクロダラ、カナガタラ、イトヒキダラの極悪3タラトリオ。
これでもう1週間以上口に何も入れていなくって腹ペコのペコ。
「こうなったら目にするもの口に入るものなら、石でも悪魔でもなんでも食ってやるぞ!」と物凄い鼻息をブツブツ辺り一面に吐き散らしながら、こんな歌を唄うのでした。

おちよ、おちよ、
だんだら餅 おちよ
金と銀とにわかれて
わがものよ