少女達のエスケーピング

 

村岡由梨

 
 

ある夏の日、娘の眠は、
いつも通り学校へ行くために
新宿行きの電車に乗ろうとして、やめた。
そして何を思ったのか、
新宿とは反対方向の車両に、ひらり
と飛び乗って、多摩川まで行ったと言う。
私は、黒くて長い髪をなびかせて
多摩川沿いを歩く眠の姿を思い浮かべた。
そして、彼女が歩く度に立ち上る草いきれを想像して、
額が汗ばむのを感じた。
それから暫くして、今度は次女の花が、
塾へ行かずに、ひらりと電車に飛び乗って、
家から遠く離れた寒川神社へ行ったと言う。
夕暮れ時の寂れた駅前の歩道橋と、
自転車置き場と、
ひまわりが真っ直ぐに咲く光景を、
スマホで撮って、送ってくれた。
五時を知らせるチグハグな金属音が
誰もいない広場で鳴り響いていた。
矩形に切り取られた、花の孤独だ。

日常から、軽やかに逸脱する。
きれいだから孤独を撮り、
書きとめたい言葉があるから詩を書く。
そんな風に少女時代を生きられたのだったら、
どんなに気持ちが清々しただろう。
けれど私は、歳を取り過ぎた。
汗ばんだ額の生え際に
白髪が目立つようになってきた。

 

夏の終わり、家族で花火をした。
最後の線香花火が燃え尽きるのを見て、
眠がまだ幼かった頃、
パチパチと燃えている線香花火の先っぽを
手掴みしたことを思い出した。
「あまりにも火がきれいだったから、触りたくなったのかな?」
と野々歩さんが言った。

きれいだから、火を掴む。
けれど、今の私たちは、
火が熱いことを知っている。
触るのをためらい、
火傷をしない代わりに、私たちは
美しいものを手掴みする自由を失ったのか。

いや、違う。
私はこの夏、
少女達の眼の奥の奥の方に、
決して消えることのない
美しい炎が燃えているのを見た。
誰からの許可も求めない。
自分たちの意志で
日常のグチャグチャから
ひらりとエスケープする。
そんな風に生きられたら
そんな風に生きられたのなら、
たとえ少女時代をとうに生き過ぎたとしても
私は。

 

 

 

The Eyeball Person

 

村岡由梨

 
 

Whenever grown-ups saw me when I was a young girl,
they told me how “innocent and adorable” I was.
I was always at the end of their loving gaze.

On the train to my violin lesson,
a filthy, ugly man sitting across from me was staring at me.
So I slowly spread my legs under my skirt and stared back at him.
His eyes were glued to my crotch.
He yearned for the “thing” between my legs.
It’s my evil eyeballs in heat.
Eyeballs oozing with vile water.
The man’s vile gaze intertwined with my evil gaze
and I felt a cold dampness on my underwear.

After a while when the train arrived at my station,
I disembarked as if nothing had happened.
I nonchalantly headed to my violin teacher’s house
as my imagination ran wild about doing it
with that man in the station’s public restroom.
My eyeballs were ready to burst.

On the bicycle saddle
In the corner of the stairwell
With all sorts of methods,
I pleasured myself when I was young.
During such acts, what were my hollow eyeballs watching?

And now, after a real physical intercourse,
I lie in bed naked
feeling deeply ashamed of myself.
I’m mortified of getting pregnant with two children
through countless moments of ecstasy.
Many portraits of me are displayed in the room with the bed
where many faces of me stare silently at me.
In the darkness, staring at me are me, me, and me.
Sometimes she says, “You’re beautiful”
and sometimes she says, “You filthy devil” or “Drop dead.”
One of the portraits was drawn by Nemu (first daughter),
which softly calls out, “Mom, Mom.”
When a line is drawn down the center of my face,
half is the face of a kind mother
and the other half is a face of evil.
When Nemu sees my evil face,
will she still believe in my face of a mother?

 

May 31, 2021.
Nemu announced that she’s going to leave us sooner or later.
“Mom, Dad, why are you making me suffer like this?”
I see Nemu in my mind wail loudly with red tears streaming down her face.
A part of her probably wants to flee from me
who suffers in the room enmeshed in gazes
of the mother, in other words, me.
She can flee and if she were to end up in an empty space,
we wouldn’t be there anymore.
She would be free.

I get jealous of Nemu’s youth.
And unexpectedly, I get rattled
by the thought of Nemu leaving me
not so far in the future.

Nemu, who’s so kind, still makes shaved ice
with the shaved-ice machine for the family.
She pours red syrup over it and smiles shyly.
“Here you go.”

The ice melts, and the red tepid syrup sways.
The sharp blades of the shaved-ice machine gleam
and I hesitate to touch them.
When we’re not around,
will somebody warn Nemu?
“Don’t cut your hand on the sharp blades of the machine.”
When we’re not around,
she might cut and hurt herself.
She might bleed red blood.
Who’s going to treat her wound?

The other day, a sunflower bloomed from a seed
that Nemu planted on her 16th birthday.
The sunflower stalk grew taller than me
and in no time at all, it even grew taller than Nonoho (husband).

The sunflower bloomed, seeking sunlight in the continuing cloudy weather.
A big, dry eyeball with yellow eyelashes.
A strong gaze that bravely tries to survive.

I remember the day when I first made eye contact with Nemu.
The newly-born Nemu
wrapped in white swaddling clothes
was in the incubator, silently watching me.
It was definitely me, a mother, at the end of Nemu’s gaze
as she toddled around, calling out for her mommy.
Back then, it was Nemu who was always at the end of my gaze.

Now that I’m older, if I crush the two evil eyeballs
idling in my hand all these years,
a pure, transparent jelly will ooze out.

I look up at the sunflower
and try to convince myself
that I don’t have to be ashamed.
Nemu taught me
what a beautiful desperate flower that a sunflower is.

 
 

Translation:Annie Iwasaki

*眼球の人(日本語版)
https://beachwind-lib.net/?p=30148

 

 

 

眠の涙、花の涙

 

村岡由梨

 
 

「泣いても誰にも助けてもらえない」
「泣いてる自分が『気持ち悪い』」
「言葉を発しても、誰も耳を傾ける人なんていないから」
「どうせ誰もわかってくれない」

【2022年11月27日 日曜日 眠17歳】
ベッドに横たわる眠が、
小学校中学校ととても苦しんだことを話してくれた。
泣きながら、小さな声で
「ママさん、少し抱きしめてもらっていいですか」
と言うので、胸がいっぱいになって、きつく抱きしめた。
眠が泣いた。
やっと、泣いた。
けれど、泣きながら「死にたい」と何度も言う。
その度に、「一緒に死のうか」という言葉を
何度も何度も飲み込んだ。

 

【2022年11月30日 水曜日 眠17歳 花15歳】
クリニックでの診察が終わったのが19時すぎ。
仕事から真っ直ぐクリニックに来た私は、自転車を押して
眠は歩いたり走ったりして、
経堂から自宅まで約3.5kmの道のりを歩いた。
眠の両眼から錯乱がなかなか消えない。
辛い道程だった。
「死にたい」「家に帰りたくない」
と延々と駄々をこねる眠をなだめて、
何とか自宅の駐輪場に着いた。
自転車をしまって後ろを見たら、
付いて来ているはずの、眠がいない。
アイスクリームの入ったレジ袋を玄関に放り込んで、
慌てて眠を探しに行くと、すぐに見つかった。
神社の裏道約50メートルの彼方にいた。
私の姿を見つけた眠が、少しずつこちらに歩いてくる。

私の中で何かが壊れた音がした。

近寄ってきた眠に言った。
「陸橋から飛び降りて一緒に死のう」
すると、眠はキッパリと言った。
「やだ」
「もうママも疲れたから。一緒に行こうよ」
眠はもう一度「やだ」とはっきり言って、
先にスタスタ歩いて、家へ入っていった。
私はフラフラとした足取りで家に入ると、
そのままトイレに直行して、便座に座り、
声を押し殺して、激しく泣いた。
洗面所にいた花にすぐに見つかり、
「ママどうしたの!大丈夫?」
と訊かれ、
「絶対言っちゃいけないことを言っちゃった」
「絶対言わないって決めてたのに言っちゃったの」
泣きじゃくる私の涙を花が拭いてくれて、
居間まで連れて行ってくれた。
居間では、眠が心配そうにこちらを見ていた。
「ごめんね、ひどいこと言って」
と泣きながら眠に詫びた。
互いに涙を流して、赦し合って、きつく抱き締め合った。
いつの間にか、眠の両眼から錯乱が消えていた。
夜、添い寝をして寝かしつけた。
小さな頃から変わらない、あどけない寝顔だった。
長い一日だった。

 

【2022年12月1日 木曜日 眠17歳】
昼間、薬の影響でトロンとしている眠の頭を
ドライシャンプーして、
体を拭いて、
着替えを手伝う。
寝かしつけても、
すぐにうなされて「ママ、ママ」と呼ぶので、
その度に手を握って、抱き寄せて、頭を撫でる。
足がふらついて危ないので、
体を支えてトイレまで行く。
朝・昼・夕・就寝前に、薬を飲ませる。

 

【2022年12月2日 金曜日】
17:37、自転車で陸橋通過。行きは、心も体も鉛のように重かったのに、帰りいつもと変わらない風景を見て、心が少し楽になる。この陸橋を通る度にあれほど苦しんでいたのに不思議だ。自転車を止めて、環七に連なる車のライトを撮った。映像作家とは思えない、手ぶれのひどい、へたくそな動画が撮れた。

 

【2022年12月3日 土曜日 眠17歳】
眠に付き添って、タクシーで経堂のクリニックまで。良い天気で、眠の調子も良さそうだったので、帰りは電車で帰った。下北沢で、バナナとヨーグルトと、眠の箸を買った。箸は、えんじ色の猫柄のものを選んだ。「花さんの分も」と眠が言うので、花用に空色の猫柄の箸を選んで買った。

 

【2022年12月4日 日曜日 眠17歳 花15歳】
午前中から仕事。9:45頃、陸橋通過。ケアマネとの連絡の行き違いで、30分も終了時間がオーバーしてしまう。イライラしながら、家族皆の昼用のお弁当を買って帰る。眠用に、冷麺を作る。疲れとイライラがなかなかおさまらない。そんな時、花が甘えて抱きついて来たのを、「疲れてるから」と言って拒んでしまう。

少し時間が経ってから、花に「ママって、私のこと嫌い?」と訊かれる。

夕食後、花と近所のバーミヤンでお茶をした。その後、店を出て、緑道沿いを歩きながら話をした。花の「眠のことが好きだから、今の状況が悲しい」という、切実で優しい言葉に胸が打たれた。花が、「もう全員いったん母親の子宮に戻って、イチからやり直そうよ!」と明るく言うので、その明るさが余計悲しかった。月が綺麗だったので、二人で空を見上げて、スマホで撮った。神社の境内を通った時、不意に強い風が吹いて、黄色いイチョウの葉が、花の細い体に降り注いだ。美しかった。

私たちが帰宅すると、夕飯をあまり食べられなかった眠が1階に下りてきて、バーミヤンでテイクアウトしたごま団子と台湾カステラを食べた。眠と花が、彼女たちにしかわからない言葉で話して笑っている。久しぶりの眠の笑顔。眠と花が笑っている、ただそれだけで涙が溢れてきた。

夜、また眠が泣いていた。
「頭と体が動かない」
「苦しくなかったときのことが、思い出せない」
「頑張ってたのに全部無駄になってしまう」
「このまま学校に行けなくて、仕事にも就けなかったらどうしよう」
大丈夫だよ、と何度も繰り返して、泣き止むまでずっと背中をさすっていた。

眠を寝かしつけて、音楽を聴きながら仕事をした。
美しい音楽にまた涙が止まらなくなって、仕事がなかなか捗らなかった。

 

【2022年12月5日 月曜日 眠17歳 花15歳】
小雨の降る中、タクシーで眠と経堂のクリニックへ。
後部座席に寄りかかって、窓に雨粒がぶつかるのを、ぼんやりと眺めていた。

不意に、20年以上昔のことを思い出した。
あの日も私は、母が運転する車の後部座席に寄りかかって、
母の怒鳴り声をぼんやりと聞いていた。
何度目かの自殺未遂をして病院に担ぎ込まれ、処置を受けた、
その帰り道だった。
「もういい加減にしなさい!
そんなに死にたければ人に迷惑かけずに死になさい!!」
母はものすごく怒っていた。
けれど、その一方で、私の知らないところで
母が「由梨が死んでしまう」と取り乱して
泣きながら知人に電話をしていたことを、
随分後になって知った。
女手ひとつで姉と私と弟を育ててくれた
この世界にたった一人しかいない母親を、
こんな形で深く傷つけてしまった。
そんな自分を深く恥じた。
悔やんでも悔やみきれなかった。

クリニックに到着して、
また眠の両眼に錯乱の兆しが現れ始めた。
川畑先生が、頓服でコントミンを飲ませる。
眠の頭が上向きのまま硬直する。
首が引き攣って、眠が「痛い」と苦悶の表情を浮かべる。
眼球が不自然に向きを変え、体が強張り、
手や足が本人の意に反して動いていた。
初めて見る眠の姿だった。
先生が、アキネトンを飲ませる。
改善しない。
今度は、アキネトンを筋肉注射する。
約1時間後、ようやく落ち着いた。
もう辺りは暗かった。

家に帰ると、もうすぐ塾の時間の花が、のり弁と生春巻きを食べていた。私と野々歩さんは丼ものを、眠は消化の良さそうな月見うどんを出前して食べた。まだ物足りなそうな眠に、おしるこを作った。おしるこを作りたくて、あずきを数パック買ってあったのだ。「のどにおもちを詰まらせないようにね」と言ったら、眠は「おいしい」と言って食べていた。

夜22時近く、花が塾から帰ってきた。
雨で、全身びしょ濡れだった。

 

【2022年12月6日 火曜日 眠17歳 花15歳】
花の中学校で三者面談。いよいよ本格的な受験シーズン。
担任の先生から内申点をお聞きする。5科目オール5で9科目でも44というほぼパーフェクトな数字だった。皆で喜ぶ。そのまま意気揚々と帰られたらよかったのだけど、野々歩さんの失言で一気に雰囲気が暗転する。帰り道、ほとんど話すことも無かった。家に一人で留守番している眠からメッセージが何通か来ていた。

花の歯が痛むので、夕飯はおじやにする。豆腐・えのき・ほうれん草・長芋のおじやと、タラのムニエルと、花が修学旅行のお土産に買ってくれたお漬物。

夕飯前、花と、猫用の部屋で話す。受験生の花に、家族全員の不調のしわ寄せが来ている。誰よりも家族全員の幸せを願っている花。このままでは花が壊れてしまう。真っ暗な部屋で「死にたい」「逃げたい」「誰か助けて」とうずくまって泣いている花を見て、心がビリビリに引き裂かれそうになる。

夜、眠と話す。私たちがいなかった間、「さみしかった」「不安だった」と泣いていた。「自分はこの家の厄介者だから、居なくなった方がいい」「入院したら、パパさんもママさんも花さんも居なくなるから、さみしい。けど、治すためには入院しなきゃならない」と言って泣いていた。

「二度とさみしい思いはさせないよ」と言って、抱きしめて、背中をさすった。

眠と花が寝静まった後、階下へ。今度は落ち込む野々歩さんの隣に座る。野々歩さんのことも抱き締めて、背中をさする。「大丈夫、大丈夫」と言ったら、「ゆりっぺの舌ったらずな声聞くと安心する」と言ってくれた。私がしっかりしなければ、と自分自身に言い聞かせる。

 

私は今までに1度だけ、
母に棄てられたことがあります。
小学校中学年のお正月のことでした。
離婚した父が突然やってきて、
食卓にドカンと座って、
私たちに
「白い皿を持って来い!!」
と怒鳴りました。
言われた通り持っていくと、
父は自分の髪の毛をビリビリ引き抜いて
白い皿の上に次々と載せました。そして、
「俺がどれだけ苦労しているのか、わかってるのか!!」
と怒鳴りました。
私も姉も弟も、怖くて何も言えませんでした。
すると、出かける準備をして、目を真っ赤にした母が、
姉→私→弟の順に玄関へ呼ぶのです。
「由梨」と呼ばれて玄関へ行くと、
目を真っ赤にした母が座っていて、
私を抱き寄せて、
「由梨ちゃんはかわいいから。
誰からも愛されるから。
大丈夫。大丈夫よ。」
と言って泣いていました。
私は、直感的に
「ああ、お母さんは、いなくなるんだな。
どこかに、死にに行くんだろうな」
と思いました。
ちょうどその頃、親類にお金を騙しとられたり、
大変な出来事が次々と母に降り掛かっていたことを
私たちきょうだいも知っていましたから、
母が限界を感じて死にたくなるのも
無理はないと思っていました。
でも、母を失いたくありませんでした。
でも、なぜか「行かないで」と言えませんでした。
私は、笑顔で弟と交代しました。
弟との話が終わってから、
母が「ちょっと出かけてきます」と言って、
玄関のドアを出る音がしました。
そして、駐車場の母の車のエンジンがかかる音がしました。
私たちきょうだいは一斉に立ち上がりました。
そして、裸足のまま玄関を飛び出しました。
母の車の後を走って追いかけたけれど、
母の車は50メートル先のゴミ集積場の角を曲がって
やがて見えなくなりました。
私たちは家に戻りました。
そして、見つけたのが、
一人に1通ずつ残された、母の遺書でした。

 

今まで、私は、眠と花を何回棄てただろう。
眠と花が物心ついてからも自殺未遂を繰り返し、
「死にたい」という言葉を繰り返し、
その度に眠と花は、私という母親から棄てられたのだ。
いつ母親に棄てられるかわからない不安を抱えて
生きてきた眠と花のために、今、私ができること、
それが「甘え直し」「育て直し」なのだ。
泣きたい時には、思い切り泣かせてあげたい。
甘えたい時は、気が済むまで甘えさせてあげたい。
眠と花が幼い時に、そうさせてあげられなかったから。

綺麗な言葉を並べるだけでは、
人の心を癒すことは出来ない。
大切なのは、綺麗事の一切を脱ぎ捨てて、
本気で相手と向かい合う覚悟なのだ。
肝心な部分をはぐらかさない。
そして、いつか綺麗な言葉が溢れる日常を取り戻せたら。

 

【2022年12月8日 木曜日 眠17歳 花15歳 由梨41歳】
仕事で中野へ。17時過ぎてようやく終わり、帰途。
夕食の後、眠と一緒に薬局へ行く。
台所用のハンドソープなどを買う。
帰り、遠回りして神社の境内へ。
眠の呼吸が不規則で荒くなる。
「誰もいないからマスク外しちゃおうよ」
そう言ってマスクを外したら、
冬の夜の冷気が顔全体に広がって、気持ちが良かった。
まだ呼吸が苦しそうな眠の手を握る。
眠が一瞬、はにかむように笑った。
私はもう、自分以外の誰かと肌を触れ合うことをためらわない。

「二度とさみしい思いはさせないよ」と約束した。

私、強い母親になります。

 

 

 

陸橋を渡る

 

村岡由梨

 
 

【2022年11月15日 火曜日】
15:00頃、仕事の帰りに自転車で、
世田谷代田・宮上陸橋を渡る。

朝ポツポツと降っていた小雨は止んでいた。曇天。人も車もさほど多くない。

ふと、この陸橋を通る時の気持ちや日々のあれこれを
言葉にして記録してみようと思い立つ。

スマホでフェイスブックを見る習慣があったけれど、今は、なぜだかこわくて見られない。スマホのホーム画面にあるフェイスブックのアイコンの先に、とてつもなく巨大な、手に負えないほど深く黒い世界が広がっているような気がして、開くことができない。かろうじて、お知らせだけはチェックすることが出来る。今日は詩人の長田典子さんのお誕生日とのこと。お祝いのメッセージを送りたいけれど、出来ない。ごめんなさい。長田さん、お誕生日おめでとうございます。

帰って、風呂場やトイレ、水回りの掃除。

夕飯に、たらこスパゲティを作る。
他に、ブロッコリーのソテー、
アボカドとスモークサーモンのサラダ。
娘たちは、「おいしい」と言って完食。

私が台所に立っている隙に、花が私のスパゲティにたくさんのレモン汁をかけるというイタズラをする。

私は、花のそういうところが好き。

これから、久しぶりに自分で髪を洗おうと思う。
ここのところ、ひどい鬱で自分で洗うことが出来ず、野々歩さんが週1ペースで洗ってくれていた。

花は明日から期末テストで、懸命に勉強に励んでいる。

私のvimeoのアクセス解析をチェックするのが日課の野々歩さんから「新宿で『スキゾフレニア』が観られているよ」と聞き、絶縁状態の姉が観ているのかもしれないと、恐怖で体が震える。また見当違いのクレームをつけられて、しつこく上映妨害をされるかもしれない。

母屋でまた、母と弟が言い争っているのが聞こえた。

 

【2022年11月5日 土曜日】
上原で、旧知の仲の税理士さんや司法書士さん、草多さん、野々歩さん、私で、志郎康さんの相続の話や、今後どうするかなどの話をする。まりさんの在宅介護がこの先ずっと続くのかと思うと、絶望感で目の前が真っ暗になった。この日を境に、精神的にも身体的にも今まで以上に追い詰められ、食事も喉を通らず、まりさんの顔や話し声がずっと私の頭の中をぐるぐると回るようになった。そんな中、這いつくばるように仕事へは行く。

 

【2022年11月9日 水曜日】
12:30頃自転車で陸橋を渡る。
「自分が死んだら人に迷惑がかかる」
「自分が死んだら人に迷惑がかかる」
と念仏のように唱えながら、何とか渡りきる。

15:00頃、桜上水での仕事を終え、
駐輪場で遺書を書く。

眠と花へ
野々歩さんへ
母へ
弟へ
姉へ
鈴木真理子さんへ
後田彩乃さんへ
さとう三千魚さんへ
さとうさんのおかげで、画家の一条美由紀さんや、詩人の長田典子さんなど、素晴らしい才能を持った方々との交流がうまれた。さとうさん、ありがとうございました。

遺書を書き終え、やっとの思いで自転車を漕ぎ出す。涙が止まらず、嗚咽が止まらない。
近くの日大の学生たちがびっくりしてこちらを見る。

名前のない大通りに出る。
どこまでも一直線にのびた道路。
終点の見えない不安で、
足がすくむ。
人もいない。
車もない。

私ひとりだった。

自転車を漕ぎながら、
子供のように声をあげて泣いた。
もう1ミリも先に進めない。
何度も立ち止まり、嗚咽する。

それでも何とか経堂のクリニックに着いて、
野々歩さんと川畑先生の顔を見て
また涙が止まらなくなる。

野々歩さんが、その場でまりさんのケアマネに電話して、私の代わりに月・木・土の夜の排泄介助に行ける人を探してほしいと伝える。見つかるまでは、野々歩さんが毎回付き添ってくれることになった。

川畑先生に入院を勧められる。
仕事の都合もあり、
入院はひとまず保留。
寝る前の薬が1種類増える。

帰宅後、国保連へのレセプト請求の仕事をする。

 

【2022年11月10日 木曜日】
いちいち夜の上原へ付き添わなければならなくなった野々歩さんがイライラしている。

 

【2022年11月12日 土曜日】
午前中、花の中学校で学芸作品発表会。

3年生の合唱『大地讃頌』を聴いて胸が詰まる。

花がポスターコンクールで金賞をもらって、表彰される。

午後、体調の良くない眠に付き添って経堂のクリニックへ。

帰り、眠も私も少し気分が晴れて、
電車に乗って歩いて帰宅する。
時々、眠の手が私の手に触れる。
気持ちの良い天気だった。

多摩美の有志の方々が志郎康さんを偲ぶ会を企画して下さったが、どうしても参加する気分になれなかった。私が長年まりさんとの関係に苦しんでいることを知らない人達ばかりがいるところに行って、さらに苦しむ勇気などなかった。まだ髪の黒い若いまりさんが映った映像を観るだけで、まりさんが怖かった頃のことを思いだし、動悸が激しくなる。

19時からはzoomで詩の合評会。
今回提出した作品が思いの外ダメ出しを食らい、落ち込む。

その後、野々歩さんと上原へ。

突然まりさんに「志郎康さんが亡くなって、由梨さんにとってわたしはどうでもいい存在なんでしょ」と言われ、混乱し、返答に困り、精神的に追い詰められる。

 

【2022年11月13日 日曜日】
午前中東松原の仕事で行き帰り陸橋を渡る。

私がもし、今よりもっと、誰に対しても優しく思いやりの持てる人間だったなら、私の周りの人たちは(きっと私自身も)苦しまずにすんだのにと思う。

今日の夕飯は、眠のリクエストでカレイの煮付けを作った。私の隣に座っていた花は、一生懸命小骨を取って食べていた。猫たちは気ままに過ごしていた。昨日今日と、取り立てて何かあったわけではないけれど、家族4人で過ごしたという、ただそれだけの束の間の幸せを、私は死ぬまで忘れないと思う。

 

【2022年11月14日 月曜日】
午前中桜上水の仕事で行き帰り陸橋を渡る。

陸橋下の環七を
何台もの車が走っているのを
ぼんやりと見る。

野々歩さんが、
帰りが遅い私を心配して
何度も電話やメールをくれた。
その度に
「だいじょうぶだよ」
「もうすぐ家に着くよ」
とロボットのように繰り返した。

夕飯に、きつねそばを作った。
大根菜とお揚げと
ちくわの磯辺揚げをのせた。
ねむはな完食。

私の中の不穏を察知してか、
花が何度もハグしてくる。

私もその細くてやわらかい体をきつく抱き締める。

いつまでこうして抱き締めることが出来るのだろう。

冷蔵庫の野菜室にある、きゅうり・玉ねぎ・にんじん・ピーマン・大根・生姜。

今、私が死んだら、
野々歩さんはきっと料理をしないだろうから
この野菜たちは誰にも使われず、
腐っていくんだろうな。

 

【2022年11月16日 水曜日】
川畑先生のカウンセリング。
私にとって、自殺は唯一の逃げ道で、
そのおかげで今、
何とか自分を保っている、
精神病院に入れば
その自由を奪われてしまう
という話。

 

【2022年11月17日 木曜日】
9:07 陸橋通過 快晴
雪をかぶった白い富士山がきれいに見れた。

15:07 陸橋通過
くもっていたので、富士山は見えないかなと思ったけれど、振り返ってみたらはっきり見えた。若い女たちがスマホでお互いを撮りあっているのを見て、激しく気落ちする。

激しい希死念慮を抱えているのに、自転車の荷台に、その日の夕飯の食材をのっけているという矛盾。豆腐と根菜類をたっぷり入れたすまし汁とピーマンの肉詰めを作ろうとして。

あと、仕事用のカバンからヘアゴムが3つも見つかった。我が家は皆、髪の量がものすごく多いので、ヘアゴムをすぐにだめにしてしまう。

 

【2022年11月18日 金曜日】
17:07 陸橋通過。日が暮れて、汚れたオレンジ色の昼空の名残に富士山の稜線がくっきりと浮かび上がっている。心身の不調が著しい。心も体もまるで借り物のような感覚。けれど胃の痛みはおさまらない。私が生きているという証?これからまた陸橋を渡って帰る。

 

【2022年11月20日 日曜日】
深夜、母屋で母と弟が激しく言い争っているのが聞こえる。その後、母から私に電話があり、今度は私が怒声を浴びせられる。つらい時間を、ただただじっと耐えるしかなかった。

 

【2022年11月21日 月曜日】
午前中の仕事を休む。母からのメールに打ちのめされる。午後臨時で、すがるような気持ちで川畑先生のカウンセリングを受ける。

 

【2022年11月22日 火曜日】
ふと、近頃母ときちんと話してないな、と思い母屋へ。30分ほどおしゃべりする。重い悩みでも、母と話すといつのまにか大笑いしてしまう。いっぱい喋って、いっぱい笑った。胸に重くのしかかっていた不安が少し晴れた。

 

【2022年11月23日 水曜日】
雨。仕事で桜上水へ。ひどい目眩で吐き気もするけれど休むわけにはいかない。早めに時間を切り上げさせて頂いて、帰宅後倒れるようにベッドへ。目を閉じて、雨の音に耳を澄ます。ふと、家の屋根が、私達を雨から守ってくれている事に気が付く。そう、いつも私達は何かに守られている。

 

【2022年11月25日 金曜日】
18:00頃、自転車で陸橋を渡る。陸橋下の環七に連なる車のライトがきれいだった。立ち止まってスマホで写真か動画を撮ろうと思ったけれど、撮らなかった。今日は立ち止まりたくなかった。流れを止めたくなかった。今日はそんな気持ちだったことを、早く帰って大切な人達に伝えたかった。

 

【2022年11月27日 日曜日】
11:22、陸橋通過。苦しい日が続いている。晴れた空や楽しそうに行き交う人達を見て、一方的に孤独を募らせる。「今も昔も平気で人を傷付けて周りを不幸に巻き込みながら、 現在進行形で私は生きている。そう言いながら、『あなたは悪くない』という言葉をどこかで期待していた 狡い私」

 

 

 

エスケーピング

 

村岡由梨

 
 

手元に見慣れない紙がある。
「死亡診断書」
「鈴木康之」
「(ア)直接死因 腎盂腎炎」
「(イ)(ア)の原因 前立腺癌」

どうしよう。
志郎康さんが亡くなってしまった!

思えば亡くなる2日前、奇妙な夢を見たんだった。
赤ちゃんになった志郎康さんを、
老齢の麻理さんがフラフラと手招きして
「これが最後だから」と言って、抱き寄せようとする夢。
そんな最愛の人を残して、
一足先にエスケープしてしまった志郎康さん。
大好きなバニラ味のハーゲンダッツみたいに
溶けて無くなってしまった。

ハーゲンダッツといえば、
子供のように駄々をこねるヤスユキさんだ。
便通の良くなる粉薬を飲ませると、
「苦い苦い苦い苦い苦い、
ニーーガーーイーーヨーーー!!!!!」
「アイス アイス アイスアイスアイスアイス!!!!!」
思わず「うるさい!!!」と一喝したくなるけれど、
そこは我慢。冷凍庫からハーゲンダッツを出してきて、
スプーンで一口二口と食べさせる。
そうするとヤスユキさんは大人しくなる。
ご機嫌なヤスユキさん、悪いヤスユキさん、
しょうもないヤスユキさん、
父親としてのヤスユキさん、祖父としてのヤスユキさん。
色々なヤスユキさんがいて、いっぱい翻弄された介護の日々。
でも、どんな時でも、帰り際の握手は忘れなかった。

梅雨頃からだんだん体調が不安定になり始めて、
夏の途中から食欲も顕著に落ちていった。
傾眠傾向が強く、いつも眠っている状態だった。
でも、時々「!“#$%&‘()=〜|」と言うので
注意深く聞いてみると「孫たちは元気?」とか
「今日は由梨ひとりで来たの?」とか
こちらを気遣う言葉ばかりだった。

亡くなる前日、救急車に同乗して
ずっと手を握っていた。冷たい手だった。
耳が遠いので、耳元で「由梨ですよ」と言っても
「うー」としか言わなかった。

それっきりシロウヤスさんの口から
「言葉」が出ることは無かった。

斎場の霊安室でシロウヤスさんの遺体と対面した時、
まるで作り物のゴム人形のようだったけれど、
トレードマークの度の厚いメガネをかけたら、
ゴム人形は、シロウヤスさんになった。
でも、これが、シロウヤスさんなのか。
シロウヤスさん、本当に死んじゃった。
シロウヤスさん、本当に死んじゃったんだ。
そう言って泣くことしか出来なかった。

 

私が作品を作れずに苦しんでいる時、
「とにかく続けなさい」と励ましてくれた志郎康さん。
私の顔を見る度「詩、書いてる?」と言う志郎康さん。
その度に「書いてますよ!」と答えていた私。
逆に「志郎康さんはもう書かないんですか」って言って
赤い表紙のノートを1冊買って渡したら、
次の日、詩がポコっと生まれていた。
それがこの詩。

 
 

鈴木志郎康

詩って書いちゃって、
どうなるんだい。

詩を書いてなくて、
もう何年にも、
なるぜ!

ノートを買って来てくれた
ゆりにはげまされて、
なんとかなるかって、
始めたってわけ。

それゆけ、ポエム。
それゆけ、ポエム。

 
 

ヤスユキはいなくなってしまったけど、
小さなシロウヤスはウジャウジャと世界中に広がっているみたい。

私も、詩を書き続けることを誓います。
いつかまた、「詩、書いてる?」って聞かれても大丈夫なように。

 

 

 

小さな灯火のお話

 

村岡由梨

 
 

古びた金槌。
この場合、金槌は親の頭を砕くためにある。
切れない安物の包丁。
これは親の全身をメッタ刺しにして、
失血死させるためにある。

殺される準備は、もう出来ている。
子殺しは良くないけれど、
子供が親を殺すのは、仕方がないんじゃない?
だから、誰も娘たちを罰しないでください。
「偽善者!」(声を震わせて)
「うそつき」(蔑むような目で)
「本当はママ、私たちのこと殺したいんでしょ」

家族って何?
「全員死んでくれればいいのに!」
そう言って屈託なく笑う、寝ぼけ眼の17歳と、
「こんなに苦しめるのに、どうして私を産んだの?」と
涙をポロポロこぼす、14歳。
「穢らわしい!」(吐き捨てるように)
「親ぶってるんじゃないよ!」(笑いながら)
そんな本気なのか冗談なのかわからない娘たちの
些細な言葉でいちいち傷つく、面倒くさい母親の私。

池ノ上の踏切内で、幼い女の子二人とその母親が
電車に轢かれるのを見た。
首を綺麗な一直線に切断され、
ゴム人形になった女の子の
巨大に膨れ上がった頭部を抱えた母親が
全身血まみれになって
喉を破くように泣いていた。
私も含めた周囲の人たちは、
声をかけるのでもなく
助けるのでもなく、
ただボーッと
ボーッと見ているだけだった。
所詮他人事に過ぎなかった。

 

このお盆、ふと思い立って、
初めて迎え火と送り火をやった。
ネットで調べながら でも
全く形式に則っていない 適当な迎え火と送り火。
経堂のOdakyu OXで158円のオガラと
おもちゃみたいな作り物のナスときゅうりで作られた
598円の精霊馬を買った。

夜、玄関の外で迎え火を焚いた。
「今、しじみちゃん、お馬に乗ってやってきてるのかな」
しじみは3年前闘病の末に亡くなった猫だ。
痩せてボロボロだったしじみ。
あの時しじみは、自分の死をもって、
バラバラだった私たち家族を
ひとつにしてくれたのだった。

雨がポツポツと降り始めた。
しじみのことを思って泣いた。
泣かずにはいられなかった。
祈らずにはいられなかった。
泣く私を、
娘が「ママ、泣かないの」と笑って
優しく抱いてくれた。
「私が長生きしたいのは、
パパさんやママさんが幸せに死んで行くのを
娘として見届けたいからなんだよ」

愛してるの?嫌いなの?
優しいの?優しくないの?
オガラがパチパチとはぜていた。
そんな真っ暗で小さな世界の、
小さな灯火のお話。

 

 

 

ある晴れた日、ひまわり畑で

 

村岡由梨

 
 

新しい映像作品のために、ひまわりをずっと撮っている。
初めに植えた6つの種は、
間も無く芽吹いて私たちを喜ばせた。
太陽の光を浴びようと
懸命に頭をグルグル回しながらやわらかい葉を広げる姿を見て、
家族皆で「かわいいねえ」と笑いあった。

その後、強い雨にも激しい暑さにもひるまずに、
伸びて、伸びて、
萎れて茶色くなった葉はむしられて、
育ちの悪いものは間引かれて、
灼熱の大きな眼球の視線に焼かれて
苦しそうに身をよじるようになった。
まるで拘束衣を着て死刑台から落下した死刑囚のように
ひとつの命が、決して死ぬまいと苦しんでいる様を
私はファインダー越しに、
冷徹な眼で見ていた。
カメラのシャッターがカシャっと切られる。
そうか、生きるということは苦しむことなんだ。

今年の夏は、水色の晴れた日に、
娘たちとひまわり畑に行こうと思う。
大きく、屈託なく育ったひまわりとひまわりの間を
白いワンピースを着て走る娘たち。
幸せとは、何なのだろう。
私にとって幸せとは、きっと
自分の大切な人たちが幸せであることなんだと思う。
でも、私の幸せが他の誰かの幸せとは限らない。
「あなたのことが嫌いなんじゃない。
 憎いのでもない。
 ただ、こわいだけなんだ。」
そう伝えたいだけなのに、伝えられずにいる。

娘たちが幸せになるために、
家以外の場所に居場所を見つけ、
玄関のドアを出ていく日もそう遠くはない。
この映画は、私たちの別れの映画だ。
ひまわりが芽吹いて、大きく成長して、花を咲かせて、枯れて死ぬ。
母と義父母が死んで、私たち夫婦が死んで、娘たちもいつか死ぬ。
娘たちには何百年も生きて生きて生き続けてほしいけれど、
娘たちもいつか死ぬ。
それを受け入れることから、私の「生きる」は始まる。
この「宿命」すらも守られないことが世界で起こっているなんて、
何という悲劇だろうか。

やがて死刑囚はこと切れて、
我が家のひまわりも花を枯らすだろう。
そうしたら、私は
ひまわりの頭を千切って、
たくさんの種を丁寧に集めて、ひとり
水色の空一面に、思い切り蒔いてみよう。
いつか世界中にひまわり畑が広がることを願って。
悲しいほど、切実な自由を胸に。

 

 

 

悪魔の子

 

村岡由梨

 
 

悪魔のような声をあげて嘔吐する母を見ていた。
まるで口から何かが産まれようとしているみたいだった。

運び込まれた病院の、救急外来の待合で私は、
看護師から、母が身につけていたエプロンを渡された。
石鹸の、清潔な香りがするエプロン。
母の香りだった。
ポケットには、飴玉と常備薬とティッシュと口紅。

しばらくして、看護師に付き添われた母が、
おぼつかない足取りで、廊下の向こうから歩いてきた。
いつもきちんと髪を結い上げ、
きれいな身なりをしている母の
やつれた姿を見て、私は、
幼い子供を見るような気持ちで、
母のことをかわいいなあと思った。
この人を守ってあげられるのは、私一人だけだ
という、どんよりとした不安が募った。

その日の深夜、母と二人で家へ帰った。

その日以来、母はすっかり弱り切り
ほとんどものを食べなくなった。
ある夜、私の携帯に母から連絡が入り、
これから風呂に入るのだと言う。
そして「一緒に入ろうか」と言われたので
そうすることにした。

着替えと洗顔フォームと保湿クリームを持って
母屋の洗面所へ行くと、
すっかり痩せた母が、弱々しく立っていて、
「あなたには全部見せておきたい」
と言った。
日頃から美醜に対する強い執着心を持っている母が
そう言ったものだから、
私は思わず身構えた。

まず母は全部の歯を外して見せた。
彼女が一番多感だった頃の親の無関心で
自分の歯が一本も無くなったということは
何度か聞いて知っていたけれど、
歯を全て外した姿を見るのは初めてだった。
次に、母は裸になって、
幼い頃に全身ヤケドを負った痕を見せてくれた。
胸の下の肌が赤く引き攣れていた。
眠る時にすら口紅を引くことを欠かさない母だ。
自分の皮膚が醜くただれたことが、
どんなに辛かったことだろう。

私たちは一緒にお風呂に入って、
母は、私の髪を洗ってくれた。
顔はこうして洗うのよ。
体を洗う時は、こうするのよ。
そうすれば美しくなるから。
もっともっと美しくなるのよ。
そして、そのやり方を
自分の娘たちにも伝えるの。
わかった?
母はそう言った。

私は、今まで母の何を見てきたのだろう。
私の記憶では、母の乳首の色はもっと黒かった。
けれど、実際はもっと肌色に近い茶色で、
子に吸われ、男に吸われ尽くして、
疲れ切った乳首がそこにはあった。

本当は母という女性の裸を見たくなかった。
年をとって醜くなった自分の裸も見せたくなかった。
とても恥ずかしかった。
叱られるんじゃないかという不安もよぎった。

 

母は激しい性格の人だ。
母のことを悪魔のように憎んで恨んでいる人は大勢いるだろう。
でも、私は母を憎みきることなどできない。
私のことを命がけで生んで、
姉と私と弟を女手一つで育ててくれた人だ。
清濁併せ呑んで愛することしか出来ない。

 

私は小さな頃から壁を見るのが好きだった。
暇さえあれば、いつも壁を見て没入していた。
壁の前にじーっと立っている私を、
母は無理矢理やめさせようとはしなかった。

今日も壁を見ながら眠るだろう。
私は壁を見ているけど、
壁が私を見ることはないから。
母が死んだら、私は母の遺体をじっと見つめるだろう。
私は母を見ているけど、
母が私を見つめることは、もうないのだろうから。

 

 

 

滑稽な干物のダンス

 

村岡由梨

 
 

先日通りがかった上原小学校の前で
2匹のカエルが死んでいるのを見た。

2匹とも、車に轢かれたのだろう。
ぺしゃんこで、黒く干からびていて、
ベージュ色の手先足先の斑点と水かきだけは、
かろうじて確認することが出来た。
2匹は仰向けで、片手を繫いで
ダンスをしているみたいだった。
2匹はつがいだろうか。
春が来て、やっと地上に這い出て、
これからどこへ向かうつもりだったんだろう。
誰も気に留めない死。
一緒にいた野々歩さんと私は、どちらともなく
「こういう風に死ねたらいいね」
「死ぬ時は手を繋ごう」と悲しい約束をした。
明日こそは、私たち
ちゃんと生きようと誓い合って目を瞑るのに
後から後から涙が流れ落ちて、
眠れずに顔が粉々に壊れてしまう。
毎日を無為に生き、着々と死にゆく私たち。

それから暫くして、また上原小の前を通った。
2体あったカエルの亡骸の内、1匹がきれいに無くなっていた。
きっとカラスか何かに食べられてしまったのだろう。
それを見て「もう1匹の残った方の亡骸を口に入れて噛んだら、
どんな味がするだろう」と思ってツバが出た。
ツバが出た。
私たちは生きている。
死ぬ瞬間まで、生きている。

残った方のカエルは、ひとりでダンスしているみたいだった。
ただの気持ちの悪いカエルの亡骸なくせに、
誰にも気付かれず、意味もなく朽ちていくことに抵抗していた。
死ぬ瞬間まで生きていたんだと、全身で叫んでいた。

 

 

 

 

村岡由梨

 
 

桜ほど悲しい花はない。
青く空が澄み切っているほど、余計に悲しい。
空が白い涙を、はらはらと流しているみたいだ。

自宅近くの緑道沿いの満開の桜並木を歩いていたら、
新しいランドセルを背負った小さな女の子が笑って
お母さんらしい人が写真を撮っていた。
小さなシートを敷いて、お弁当を食べている家族もいた。
私たちが私たちだった頃のことを思い出す。
生クリームがたっぷりのったプリンと、
少し焦げてしまったチュロスが入ったレジ袋を下げて、
文字通り、若さ故の根拠のない自信だけが一人歩きしていた。
もしかしたら、今からでも真っ当な人生を歩めるかもしれない、
なんて分不相応な希望も、一瞬だけ持ってしまった。
でも、もう私たちは若くない。
顔を合わせればまた深く傷つき合うだろうから、
もう二度と会わない、絶対に会わない。
そう心に決めている。

さよなら。
さよなら。
けれど私は、
幸せになっていいのかな。

 

春ほど悲しい季節はない。
そう思っていた。
多くの人たちが去っていった
そんな季節に、娘のねむは生まれた。
夜中陣痛が始まって、その明け方、ねむは
私の中にある産道を一生懸命前進して、くぐり抜けて
命がけで光の中へ産まれて来てくれた。
このドロドロで汚くて欺瞞に満ちた最悪な世界に、
どこまでも無垢で穢れのないものを
産み落としてしまったのかもしれない。
けれど、十月十日一心同体だったねむを抱いて、
自分もかつて母の子宮の中で包まれていた
羊水の匂いの記憶がよみがえり、初めて、
幸せになっても良いと許された様な気がした。

ありがとう。
ありがとう。
私が母親で、あなたは幸せですか?

 

ある薄曇りの日に、窓を開けたら
春の生ぬるい風が吹き込んできて、
窓辺にあった原稿用紙がパラパラとめくれた。
一端の詩人気取りで
自由に書きたい。
自由に書きたい。
お前にその言葉を書く覚悟はあるか。
自由に生きたい。
自由に生きたい。
お前に自由を生きぬく覚悟はあるか。

 

今日はねむの17歳の誕生日。
逆立ちして精液をひとしずく滴らして
スプーンでかき混ぜた様な青空だった。
この雲の名前はなんて言うんだろう。
おいで、外に行こう。
空を見たら、気分がスッと楽になるから。

おめでとう。
おめでとう。
希望と少しの不安を孕んだ、あなたは美しい。
4月から新しいスタートを切る、ねむ。
バースデーケーキのろうそくを、
笑いながら、フッとふき消した。