滝壺と蟻

 

原田淳子

 
 

 

街路樹の、凍れる波

千ねん百にちのあいだ
あなたは滝だったのですね

遺されたのは、あなたのうた
波の譜
指で聴く

蟻の彼はあなたの詩をおいかけて
滝壺に潜り
波を揺らしています

 

 

 

かーん、かーん、キラキラ

 

長田典子

 
 

雪、ゆき、雪、
まーっしろ、キラキラ
野原に
ひざまでつもった

きぃちゃんと足跡を付けて歩きまわる
長靴で
かーん、かーん、キラキラ、
聞こえない音が
響きわたり
ふたりの声は 靴音は
雪野原に吸い込まれていく
かーん、かーん、キラキラ、

学校は休み

きぃちゃん
あなたは今
どこにいますか

いっぱいあそんだあとは
いっつもおなかがすいた
きぃちゃんの家に行くと
お父さんもお母さんもいない
いっつもいない
おそくまでいない
きぃちゃんは小さな手で塩おにぎりを握ってくれた
小学2年生のきぃちゃんの手は
まほうの手だった

おにぎりを頬ばりながら
きぃちゃんは うちあけた
おとうさんね
よく なくの
くにからの お手紙よみながら

おとなが泣くとは知らなかった
家に帰ってまっさきにおばあちゃんにおしえると
おばあちゃんは
おくにに帰りたくても帰れないんだよ
だれにも言っちゃだめだよ
ふしぎなことを言った
おまえはきぃちゃんと
なかよくしなくちゃいけないよ、って

きぃちゃんは
わたしのいちばんのおともだちで
そんけいするおねえさんだった

きぃちゃんのお母さんは
出かけるとき
リヤカーをひいて出かけた
ウチに電話がかかってくると
きぃちゃんちに走って呼びに行った
黒電話の受話器にむかって
きぃちゃんのお母さんは
聞いたことのないことばで喋っていた

ダム建設のために
村の家が一件、また一件と引っ越していったとき
きぃちゃんも
いつのまにか
どこかに行ってしまった
何も言わないで

雪、ゆき、雪、
まーっしろ、キラキラ
だれもいない
雪野原
かーん、かーん、キラキラ
雪の
無音の音が響きわたり
きぃちゃんはいない
ひとりぼっちの雪野原はつまらなくて
足跡ちょっとつけても足跡じゃなくて

ウチもいよいよ引っすことになったころ
きぃちゃんが森戸坂の橋に立っていたよ
誰かが言っていた
朝鮮学校の制服を着ていたよ
チマ・チョゴリっていうんだよ、って

朝鮮学校の制服?
見たことがあった
八王子に買い物に行ったとき

ひざまで積もった
雪野原に穴をあけながら
きぃちゃんといっしょに歩きまわった朝
たくさんの穴をあけた
ふたりで 長靴で
たくさんの穴をあけたのに

ひとりぼっちの雪野原はつまらなくて
足跡ちょっとつけても足跡じゃなくて
胸のあちこちにたくさんの穴が開いたようで
ひゅうーっ、ひゅうーっ、にゅうーっ、にゅうーっ、
冷たい風が いつまでもいつまでも
吹き抜けていった
きーん、きーん、きーん、きーん、
凍えて 痛かった

きぃちゃんは
ものすごく遠いところに行ってしまった
もう にどと
会えないところに行ってしまった

かーん、かーん、キラキラ、
かーん、かーん、キラキラ、

きぃちゃんと
わたし
なにもちがわない
おくにが違っても
朝鮮学校の制服を着ても着ていなくても
なにもちがわない
いっしょに雪を踏んで遊んだ
いっしょに塩おにぎりを食べた

かーん、かーん、キラキラ、
かーん、かーん、キラキラ、

きぃちゃん、
あなたは今
どうしていますか

 

 

連作「不津倉(ふづくら)シリーズ」より

 

 

 

また旅だより 09

 

尾仲浩二

 
 

寺泊の港に座り一杯やった。
つまみはスーパーのカニカマとオカラ。
酒は芋焼酎。
せっかくの日本海なのに。
気がつけば三杯もやっていて
とっぷりと暮れていた。
ちょっと寒くなって宿に戻った。

2019年5月9日 新潟寺泊にて

 

 

 

 

人とそのお椀 03

 

山岡さ希子

 
 

 

膝まづいている 少しだけ中腰 腹筋に力が入る 左手で左足首を掴みバランスをとっている 
椀を右手で持つ 肘を腰に当て 親指を椀の内側に入れ 手の平で掴むような持ち方 右膝にのせている 
両乳首はツンと立ってる
俯き加減 首が太く見える なで肩である

 
 
 

帰福

八十八歳の母に会いに*

 

道 ケージ

 
 

帰ってきとった方がよかろうと兄
やはり 帰るか
「なんかあるごたぁね」と電話越しの母

帰郷すると
またすっかり母は小さくなっていた
妖精のように

なにかへ 帰る
何処かに 帰る

「小鳥に餌をあげると」
残飯を庭に置く
自分の食事はほとんど残して
「猫が口尖らしてやって来ると」

買い物にはもう行かない
「生協が来るけんね」
しなびた大根を
僕はおろすのだ

ほら、肉も食わんと
料理はしたことはないが
母に焼肉を
上等の和牛はすぐに焼ける

それでも箸で引きちぎって
「これだけでよか やわらかかね」

苦労時代のことは鮮明
「ほんと好かんやった 呑んだくれて
もう一回結婚? 絶対せんね」

福岡というのはめでたい名だ
帰福と手帳に書く

孫、つまりは僕の娘の入社祝い
「あげとったかね?」
十回、さらにもう五回

メモしとくけん、これをまず見やい
今度はそのメモがない
「どこやったかいね こげなふうたい」

使われないミシン
古びた三面鏡はすっかり縮み
・・・ここに座って無限に見入った

中野重治に母の詩はないらしい
プロレタリアの戻る場所は
何処

「その引き出しの下やなかかね」
へそくり見つけて
大笑い

親孝行らしきことは何もしていない
そう言うと
「そうたい 情けなかね」

じゃあ、またね
「今度はいつ帰れるね?」

階段は無理なので
門前の壁に寄りかかり
手を振る母

道をひきずり
振りかえる

帰福
帰る場所**

 

 

* 「朝日新聞 二〇一九年四月二〇日」
一人暮らしをする六五歳以上の高齢者が二〇四〇年に896万3千人となり、十五年より43・4%増える。全世帯に対する割合は17・7%。全国最多の東京では116万7千人と、六五歳以上人口の約3割にのぼる。背景には未婚や離婚などの増加があるという。

** 山本哲也遺稿集の表題でもある。

 

 

 

温度の瀬戸

 

工藤冬里

 
 

食い尽くす温度を正確に測り
温かさとの距離に明確に絶望する
私達は誰であれ、ボロアパートに住んでいる
将来修復されるのか、日々修復されるのか
今の気候なら 永遠に続く見えない虫の頭部と胴の隙間を
バックネットから我を忘れて覗き込んでいることも出来るだろう
決してあきらめないのはカモミーユの花
温度の中に浮かぶと透明だ
旗を待つ裏日本から心を広げようとするが
嗄れ声の雨の中 ヴェールが直線を覆い
島々の閉じた線が 解(ホド)けていっただけだった
瀬戸内海はこの温度のまま、池のように干された
泳いで渡るための直線は 寸断された
海の温度に従っていたので、もう名前を思い出せなかった
2011年の5月に、じぶんの葬式の段取りだけはしておかなければならなかった
身辺整理とアーカイブ化が交わる一点を現在地とし
ナビは海底の道を具象しようと彷徨う
家がない
白い霊柩車の行き交う地上に昇るまで
この航行の温度が家だ
線は強迫症と闘い
スナメリを見ては引き返す
温度の瀬戸