広瀬 勉
#photograph #photographer #concrete block wall
ぷかぷかと浮かぶ
雲みたいな声は
本人ではなく
だれかのいるほうから
聞こえてきた
(声はその人が持っていなかった)
まず椅子を用意する
声が座れるように
ぜんぶで8つ
どちらかあまってしまっても
かさなってゆくから
心配ない
(声は椅子に座りたがらない)
それから
舟をくみ立てる
泡はからだに沿って音をたてる
そのかたちをたどり
水面を漕いでゆくことにした
(声は舟に乗ってくれるだろうか)
2メートル先
水の中で声がする
ぷぅーと吹かれたラッパのように
からだがふるえる
ずっと手のひらにあった
ひとの、声
本を読むことや
なにか書きつけることについて
もっとも核心的なことを
たいていの人はわかっていない
文字は
否応なしに
人を無私にする
なにかを読んでいる人というのは
名前や履歴や肉体のある誰それではすでになく
読むということの発生場や瞬間でしかない
書いている人も同様で
おそろしいほど抽象的で
非物質的な現象そのものとなっている
文字をめぐる形而上的現象学こそ
まず考究されるべきで
いわゆる文芸的鑑賞や批評は
二の次三の次にされねばならない
文芸形而上学者の
モーリス・ブランショのような人が
いくらも必要とされる所以である
難波中タピオカ詰んでアタオカがッ
引き換えの飛行機の低空
コークのひとが出したリックさんの新作がDon’t Think と言うんだけどtwiceが付かないからそもそもくよくよするのは考えるからであって考えなければこの悩みもないんじゃないか、というメッセージと受け取った。失敗して苦しんでいる皆さん、これを聞いて考えないで生きよう。シュール越えだなこれは。
ギリギリまで他のことで頭を満たしておき、疲労困憊して気絶するように寝ないと頭を襲われてしまう。
decadeの特色を前世紀から辿ってみると、2020年代は真の意味でリアルタイムの時代なのではないかと思う。つまりすべての制作が今の言葉でなされていっていることを量として引き付けて実感しながら急いで片をつけていく。漫若勇咲「『私のはなし 部落のはなし』の話」を読んでそう思った。
なんというか、すべてが嘘くさいとか言ってる場合じゃなくて、ほんとうしかなくて、たくさんの風船があるように思うけれどもそれは錯覚で、一つしかない中の、その密度で決まる、みたいな。その力を重力とはもはや言わない、とか。
目玉に映った風景はまだ選択されていない
家ではない家が建ち並んでいるこうした状況にあって
すべて倒壊するという言い方もまた
シェバのジュヌスだな
https://youtu.be/80_ydUz6CI0
其処此処にその木の形に藤の花
花のない体も藤に被われり
藤の花被って木々に形あり
娘役界面として着る藤の花
体のない藤が着物となっている
山々は娘となった藤だらけ
形から更に垂れたるwisteria
藤の花着てしまった木の末路 哉
着るもののない始まりにwisteria
wisteria未来にも在り逆さ虹
形なき未来を被えwisteria
wisteria恐怖と希望は垂れ下がる
藤棚を管理するノイズツイート
mumble bee hawkwindの振動で
蜂は房藤空木とだけ呟く
何が揺れ何が揺れなかったか分かれ今日の神戸の逆向きの虹
avatarも靨と言ひつ笑ふのはavatarとしての月のあたくし




凶暴な
猪が出た
と放送
あり散歩止め
られたので寝る
猪は
うちの畑で
ごろごろし
てたと隣の
人が言ってた
#poetry #rock musician