落選

 

工藤冬里

 
 

ロシアではアースされていた
日本でそれを感知した

感情の雷親父
きみ(俳句)が悲しいから雨が降るんだよ
https://twitter.com/tomizawakakio_b/status/1452681393335455744?s=20

次手に太陽も食べられる高さにあります
https://twitter.com/tomizawakakio_b/status/1452666294117961731?s=20

義務化されれば従いますがそれまでは自由意志を行使します
さらに義務化されても従えない部分もあります
重要なのはそこだけで、
それ以外の幼児の色分けは角谷の言う足の裏に貼り付く一円玉や五円玉のように私たちの価値にべったりと貼り付きます
 

ユーチュー舞踏
というのをやっています
室野井が死んでからですからもう三年半がかりです

踏舞ーュチーユ
すまいてっやをのういと
すでりかが半年三うもらかすでらかでん死が井野室
 
 

月光は温度を下げます
冷えたライムを寂と言い
歳を食ったラッパーはその径を辿ります
https://twitter.com/tomizawakakio_b/status/1452651198784303112?s=20

俎板の恋であってはならぬ
https://twitter.com/tomizawakakio_b/status/1452696494180421633?s=20

眠りが浅い時は自分を殺せば夢が前に進んでゆく

GOsの動きに合わせたover the rainbowの最初の跳躍

堀モータースというガレージがあればメンテはそっちに変えてもいいよ

He pecado contra ti, sobre todo contra ti

NYの展示は3日からだそうです
https://youtu.be/aCmlEtFToeE

こうあってほしいと思うことを数式で説明しようとする科学と同じように、歴史に関しても他の選択肢のある限り逆説に留まろうとして迂回を続ける。手紙の言葉を信じなくなることによって未来は断たれる。

Queremos ir con ustedes
 

鶏頭の十四五本もありぬべし 子規
 

26 and died


銅​を​金​に​、鉄​を​銀​に、木​を​銅​に、石​を​鉄​に​、平和​を​監督​と​し、正義​を管理​者​と​する
金銀銅鉄木石の順か
 

Notamos la expresión inspirada de la verdad y la expresión inspirada del error

https://twitter.com/Cafeoto/status/1453691834207703042?s=20

We will now be living in a temporary virtual paradise
https://twitter.com/therecount/status/1453789257521315841?s=20
https://youtu.be/kt0jVDeu2Qc

https://twitter.com/twisuspendead/status/1454669167311740932?s=20

俺がまだ生きていたらという耳で俺以外の二楽章を裁断するベトちゃん案外ポーツマス的なのも良くないか?いやダメだベルリンもウィーンも土地がなってるだけだリスト編曲は偏屈な東洋リズムを細かく伝えれば済むってもんじゃない要はお前らは俺じゃないってことだ。

14:44 https://youtu.be/-4788Tmz9Zo

 
 

落選

俺は落選した
ムサシも効かなかった
岡山駅前のムナシも潰れた
無惨の造形には甘さがあった
民主主義的の方法で俺は落選したのだ
多数決で!
多数決じゃない一対他全部だ
三分の一が俺の尾で払われたものの
三分の一は
ワクチン打って鬼殺隊
ヒットエンドラン
ヒットエンドラン
ワクチン打って鬼殺隊
民主主義が最終政体として教え込まれている限り左右はその掌上で踊るだけだ
九条に対して
出産は身体が巻き込まれる暴力であり
病める血液が民主主義から零れ落ちる
私は彼より強い
ではなく
私は彼より正直だ
と主張する場合
裁判は時間を要する
自民はしばらく支配している
一貫したテーマは国家である
ツルツルと変換するな
小野の岐れ路のつまらない借家の
ブロック塀に国家が綻ぶ
枡目の中で綻ぶ
乱暴な巨人が白茶ける
神は化石を創造した(ジジェク)
患難から這い出して来ない人々を抱きしめる
バイデンがPopeを抱くように
第二の死も意味はない
綿から目鼻口が覗く
羊毛の汚れは捨象されている
家の軋む音は断続している
剪定しなければ実をつけない柿のように
未だに市民と言う木の市
共通点がなければ市民の交感はない
窓の向こう、干した綿のタオルが乾いて揺れることや外の気温をナメクジやサカナと共有するのだ
巻尺で測る頭のデカさに太いミサイルが配備されるインド
一層親しくなれるコックピット
移動してから気がついた
酸化の白の脳の表面の陰影
可愛いけれど顎のない輪郭
顳顬に鎧の鍔
中の人には言葉がなかった
岐れ路の絵を化粧台に貼る
吊られたマスクが揺れる

葛の巻き付いた引込線から火花が出ている
たまに風が吹くと電球が点滅する
ブレーカーを切った方がいいのは分かっているが本を読んでいるので

近江八幡7日合奏用


美大によくあるトランスパラント症候群
https://twitter.com/tomizawakakio_b/status/1454583967789637640?s=20

クラゲと共にやってきた
ヨン・ヤ・サ
https://twitter.com/NagautaLyrics/status/1454583659936174086?s=20

 
すげ替えてもすげ替えても全員不合格となれば人を裁ける人はいないということで落ち着くんじゃないでしょうか
あとは駆け込み寺なき復讐の地獄になると思うでしょう奥さん
ところがそうはならないんですなこれがまた

金木犀二度咲くことを知らぬ人

多数派は存在しない。批判の多さでその数が推し量られるだけだ。
しかし石を投げて敗北できた時代とそれ以降を比べて、どっちが充実感あった?投石すべきは海馬ヴァーチャルである。

 

 

 

#poetry #rock musician

悲しみ

 

たいい りょう

 
 

深くうな垂れている
疲れているのか
それとも 悲しみに
慄いているのか

手が顔を覆い
腰を老人のように折り曲げ
深く椅子に沈んでいる

悲しみは癒されようもない傷として
深い淵の中に
心を落としている

いつまでも いつまでも
降り続いてゆく
深雪のように
彼岸へとさらってゆく

 

 

 

あきれて物も言えない 28

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

Cheep Imitation

 

ここのところ、
高橋アキがピアノを弾いているCDで「Cheep Imitation」* を聴いています。

「Cheep Imitation」とは、
“安っぽい模造品”という意味だそうです。

昨夜も聴きました。
いまも聴いています。

 

今日は、
日曜日、

よく晴れた秋日和です。

音楽のおかげか、
すこししあわせな気持ちです。

我が家の金木犀に黄色い花が咲きはじめました。
清々しい香りの花です。

朝には、
道端の陽だまりにオキザリスのピンクの花たちが風に揺れていました。

もう午後ですが、
まだ陽はあたたかく窓辺から射し込みます。

静かです。
小鳥の声も聴こえてきます。

「Cheep Imitation」は、ジョン・ケージによって作曲された曲です。

高橋アキがピアノを弾いている「Cheep Imitation」は、
高橋アキのピアノソロで「Cheep Imitation」が弾かれて、
その後にモートン・フェルドマンが編曲し高橋アキに捧げられたピアノとフルートとグロッケンシュピール(鉄琴)のための「Cheep Imitation」の演奏があります。

「Cheep Imitation」は、
サティの「ソクラテス」を題材としてジョン・ケージによって作曲されました。

サティの「ソクラテス」をわたしは若い頃から、聴いてきました。
デルヴォー指揮でパリ管弦楽団、ソプラノのマディ・メスプレがパイドン役として歌っていました。

「Cheep Imitation」はケージがサティに捧げた音楽です。
その曲をモートン・フェルドマンが編曲して高橋アキに捧げたのです。

 

そこに小さな光が見えます。
そこに幸せがあるでしょう。

「Cheep Imitation」は、”この世界”へのとてもやわらかい”捧げ物”と言って良いと思います。

 

この世界には呆れてものも言えないことがあることをわたしたちは知っています。
呆れてものも言えないのですが言わないわけにはいかないとわたし思えてきました。

 
 

作画解説 さとう三千魚

 
 

* 高橋アキのCD「高橋アキ プレイズ ケージ × フェルドマン via サティ」(カメラータ・トウキョウ)

 

 

 

褪せた水色と白のストライプ、血痕

 

村岡由梨

 
 

1. 娘A

 
楽しそうに話す学生たちの声。
キュッキュッと忙しく歩く上履きの音。
「学校」という色々な音が渦巻く空間の中心で、
ひとり孤独感を募らせた、娘。
特に誰かに悪口を言われたわけでも、
意地悪をされたわけでもない。
鳴らないスマホ。
周囲の友達の、悪意の無い無関心。
自分という存在が持つ意味がわからなくなって、
娘はやがて、呼吸の仕方がわからなくなった。
そして、学校へ行けなくなった。
もちろん、それだけが理由なのでは無いのだろう。
理解のある面倒見の良い先生。優しい友達。
誰も悪くない。だから辛い。
「高校3年 大学4年 仕事を始めたら40年」
「今、選択を間違えたら、この先大変なことになりますからね」
オンラインの特別ガイダンスで声を張り上げる先生たち。
それを虚ろな目で見る娘。
思わず抱き寄せると、
体が静かに震えていた。
将来のことなんてわからない。
考えたくもない。それなのに
カチカチと無情に時間を刻む時計。
カチカチとカッターナイフの刃を出す音。
切れ味の悪い刃で、娘の白い皮膚が裂かれるのを見て
悲鳴をあげる。

 

「自殺したい」
親が子供にそう言われる苦しさを思い知りました。

そう言って診察室でうなだれる私。
「今はたくさん甘えさせてやりなさい。」
先生はそう言った。

娘が「ママさん、ママさん」と言って無邪気に抱っこをせがんでくる。その無防備な二つの胸の膨らみに、抱くのを躊躇う私がいる。これまで母親のような役割も果たしてきた夫に娘が抱っこされるのを見て、戸惑う私がいる。父娘が抱き合うのを見て、男女の性愛を思い浮かべてしまうのだ。うなされ苦しむ娘の声を聞いて私は、女である私と母親である私との間を右往左往する。これは育て直しなのだ。甘え直しなのだ。ぎこちなく娘を抱き寄せて、背中をさする。「ママさんって、いい匂いがするね」しばらくして抱いている手をゆっくりとほどいて、娘を寝かせて、手を握る。娘がどこか遠くを見つめて言った。

「ママさん…ママさんは近いのに遠いね」
「そう?」
「うん。近いのに、遠い。」
「そっか…」

そんなことないよ、とか
遠くなんてないよ、とか
そんな風に娘の孤独を受け止められる母親に、
これから私は、
なり得るのだろうか。

 
 

2. 娘B

 
夜遅くに塾が終わって、
突然の雨で全身びしょ濡れで帰ってきた疲労困憊の娘が
怒り任せに、こう言った。
「何でこういう時に限って迎えに来ないの」
「死ね、毒親」

 

「死ね、毒親」

 

かわいいとか愛しいとか、かけがえのないとか
そういった熱を帯びたような感情が、
すっと冷めていくような気がした。
こんなことくらいで感情が冷めていく、
自分の心の脆さが、こわかった。

「冗談だった」と言ってくれた娘。けれど、「私の知らないところでも、私のことを毒親だと嘯いているのではないだろうか。」自分の子供のことを邪推する。他人から悪い母親だと言われるのがこわい。いつかひどい言葉で傷つけられるんじゃないかと警戒する私がいる。自分自分自分吐き気がするような自己愛に耽溺する私。それを軽蔑する娘たち。自分自分自分自分自分自分自分自分いくら人から作品を認められたって、二人の娘の心に響かなければ意味がない意味がないもうどうすればいいのかわからない。自分という存在に意味を持たせようと必死だったけど、意味がない もう意味がない 自分の都合のいいように娘たちを解釈しようとする私 後ろめたさ いい母親ぶっていること 全て見透かされている

 
 

3.

 
ある日、私たち家族は、窮屈なベッドで眠っていて…
身動き出来ないほど、窮屈だった。
その時、まるでフラッシュバッグのように私は
2017年に訪れたアウシュビッツ(オシフィエンチム)で見た光景を思い出したのだった。
ぞっとするほど冷たい手で心臓を握りつぶされて
引きちぎられたような衝撃だった。
気がつくと、私はアウシュビッツの収容棟にいた。

モノクロではなく、鮮やかなカラーの光景だった。
私は、褪せた水色と白のストライプの囚人服を充てがわれ、
たくさんの囚人たちと同様、「名前を奪われて」、
一緒に収容棟へ入れられた。
寒い寒い夜だった。
古びて煤けた粗末な二段ベッドで痩せた体を押しつけ合い、
互いの体温を分け合いながら、
身を切るような寒さをしのいでいた。
生きのびるために
生きのびるために、自分以外の誰かの体温が必要だった。

ある日、一人の看守が一人の囚人を表にひきずっていった。
間も無くその囚人は頭を撃ち抜かれて死んでしまった。
地面に広がる赤い鮮血。周りにいる人たちの無関心。

夢から覚めて、
その血の赤さを思い出して
これまで「詩」という名の暴力で
娘たちの「名前」を奪ってきたのではないかと思う私がいた。
ただでさえ生きづらさを抱える娘たちを
自分勝手に振り回して、
私は今まで一体何を思って書き続けてきたのだろう。

過去の何もかもを消してしまいたい。
でも消したくない。
娘たちが許してくれてもくれなくても、
無条件に人を愛せる人間になりたいから。
娘たちになら、頭を撃ち抜かれて死んでも構わない。

けれど
生きのびるために
私たちは「名前」を取り戻さなければならないのだ。
生きのびるために
人は、自分以外の誰かの存在の温かさが必要なのだ。

生きのびるために
生きのびるために。

 

 

 

断捨離の中の思い出と向き合って

 

ヒヨコブタ

 
 

みながすなる断捨離といふものをわたしもしてみむとてするなり

探しているぬいぐるみがきっかけで
いろいろなものをお譲り頂いているうちに
もくもくと片付けを始めた
こういうときは勢いが肝心

私の少しのスペースを占拠しているものをあらためると
箱のなかに箱があり、さらに箱がある
鞄のなかに鞄があり、さらに布の袋やポーチが発掘される
これは面白いといいつつ、少しばかりあきれる
どこへ行ったかと探していた木箱が見つかるとこころのなかでガッツポーズをする始末だ

思い出だけを着た服は
もう何年も袖も通していない
誰にも着てもらえないものと思い出にはさようなら、ありがとうと言葉を掛ける

ひとつ物を買ったらふたつは棄てなさいと
あまりに厳しく言われた昔
潔癖なほど私のまわりは整っていた
病的な子どもだった
もし母がこのじょうたいを見たなら
怒り狂うのではないか
容易に想像できて、少し笑ってしまうのだ

わたしのもの集めは昔からだ
よく石ころに愛着をもち撫でてポケットに入れては帰る
地面に字が書けそうなものを探す同級生には
変人に見えたろう
まだそれがなんの石ころなのか習う前に
墓石の欠片をキラキラとながめたり
ひとさまの庭の石を持ち帰ったのを父にとがめられ
それが高価な石でわざわざ敷き詰めてあったことを教わったときには驚いた
こんなに素敵な石がたくさんあるというのに
大人はお金を出して買うのかと
子どもには不思議でしかたなかったが
こっそり返しにいった
その家のひとは笑って、ひとつくらいいいのだと言ったが
頑なに返すと粘った
さようなら、キラキラの白い石
じぶんの家の玄関までの飛び石のあたりの石も買ったものだと父は言ったが
もっときれいな石にしたらいいのにと
言いかけてのみこんだ

箱の中のまたその中の箱にメモを見つける
鞄のなかのそのまた鞄のなかに少し先のじぶんへの手紙がある
苦しいじだいのじぶんからのメッセージだと思い出して
別の箱にまとめる
まだ開くには早すぎる手紙だと

大切な思い出だけは棄てぬようにと
とある人に忠告されながら
大切とじゅうぶんな思い出を分けていく

ありがとう、さようならを分けていく