一条美由紀

王冠の下に泉があった
民は隠れている
王は言った
「出でよ、我が前に!」
白漠とした宮殿には王の声だけが響いた

栄えるものは滅びる
地下に眠るものはやがて起きてくる
静かに静かに彼らはやってくる
我々の乗る電車はいつか停車する

ネコは暖かい
ネコは柔らかい
ネコはひだまり
そして私の猫は天国にいる
陽が沈み黄昏て
黄色く汚れた街に月が出る頃
男たちは手を洗う
むかし場末の名画座でみた映画で
男が手を洗っていた
敵との闘いから生還した警部補が
洗面台に向かって延々と手を洗い続ける
疲れと血を洗い流すようにいつ果てるともなく
それがラストシーンだった
若い志賀直哉も日に何度も手を洗った
さきほど洗ったばかりの手を
また執拗に洗わなければ気が済まなかった
その若い清潔な手にケガレがみえていたのだろう
あの映画をみた頃の
若いわたしも頻繁に手を洗っていた
潔癖でもないのに手を洗った
自分の手にケガレがみえていたのだろう
「神経たかり」とも云われていた
「ケッペキにいさん 手を洗う」
と吉田美奈子が歌うレコードが出た時
自分の生活が視られているようだった
女たちだって手を洗う
それは知っているつもりだよ
マクベス夫人も執拗に手を洗っていたもの
彼女にだけはみえる血糊を流そうとして
あの映画の俳優もすでに遠く死んでしまったが
あの映画の中で警部補はいまだに手を洗っている
呼び物だったカーチェイスの場面より
洗面台の鏡の前で手を洗う男を思い出す
疲れ果てた寂しい背中をみせて手を洗っていた男と
蛇口から流れ続ける水の音
黄色く汚れた街に月が出た
ところでわたしはまだ手を洗い続けている
あれからずっと
擦り切れて血の滲むまで
夢の中でも手を洗い続けている
*2020年1月10日作
これを書いた頃はその後、至る所でみんなが熱心に手を洗うようになろうとは思ってもみなかったのだったが……。
10年前の今日は、雪が降っていた
10年経った今日は、風が吹いている
猫は10歳、歳を取ったはず
わたしも10歳、歳を取ったはず
コーヒーを淹れている
同じ電動ミルを使い続けている
眩しさは同じように、
陽は日に差している
ずっと、同じ部屋に住んでいた
何処かを見つめている、わたしがいた
何処かを見つめていた、わたしがいる
浮かんでゆくクラムボン
あれはなんだ 不思議だったから、ついていった
いつか、わたしを閉じ込めて、
何処かへと連れさった、あのクラムボン
今、この場所から、
そのクラムボンを、大空に見ている
何処かを見つめながら、居なくなるわたしを、
かぷかぷわらう、クラムボンの中に見る
(死んだ?)
何度旅から帰っただろう
陽が差す 冷たい空気を抜けたあと
変わりようの無かったものたちが
なんも変わらんかったよ、って
教えながら、ほんの少し揺れていた
わたしは、
この部屋で何度も眠った
全てをカレーにして
ステップ・ファミリーも鍋に入れて
前にも見たヴィデオも溶けるまで煮て
エアコンは強に
数の子はもう潰して
シーツは部屋で干す
降る降る言って雪は降らない
風は強い
財布はポケットに
充電器で手の甲が熱い
ナミさんが横浜でライブ中にステージで死んだ
大きな鍋に
ヒット曲を次々と投げ入れて
#poetry #rock musician
あゝ あれを忘れたな
と思う
あれもあれもあれも
忘れたな
と思う
でも
いいんだ
と
つけ加えようか
と
思う
20世紀末期に流行ったように
どうであれ
それで
いいんだ
という
風味
を
つけ加えようか
と
思う
思うだけで
つけ加えない
の
だ
けれど
バリアフリーの手摺のために
ステンのパイプを切る
(合金で鉄が切れるんだ)
モリブデンかタングステンか
(よくそんな鋸持ってたな)
銀が金に、銅が銀に代わるように
石も鉄に底上げされる
そんな時代が来ますか
僕は石で切れます
石で髪も切ります
午後にはリハビリの人が来ます
#poetry #rock musician
教えることはひとごとのように共に考えることに変わり
それでもそのひとごとを行為の契機にする動機付けを与えるための視覚効果が工夫されていった
走ることはたのしい
と言い聞かせるアスリートのように
一度は黒焦げになった頭蓋を焼杉板にして
塩害防止の黄土を目と耳に塗り
シナプスを組み替えていった
そんなふうにして
真珠採りの筏の家族は
最後の努力を
最後まで続けていった
#poetry #rock musician